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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

ロバートさんのレビュー一覧

投稿者:ロバート

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本笑い姫

2013/07/25 00:40

波乱万丈の物語と壮絶な草双紙の世界

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

歴史小説に属する皆川博子の作品は初めて読んだが、まさかここまでのものとは。予想を遥かに上回る快作である。まず冒頭に掲げられた作中作『笑い姫』の一節に打ちのめされた。日本語を母国語とすることに感謝を覚えるほど残酷なまでに美しい。波乱万丈の物語の合間に紡がれる『笑い姫』はやがて草双紙として展開する。こちらの期待とは些か違った展開だが白眉は結末である。主人公の心情を映したその結末は月光の下、なお蒼白く銀光を浴びる笑い姫と千鳥の姿は狂おしいほどに美しい。これぞ幻想小説の極みである。
 本作の主眼は言うまでもなく作中作『笑い姫』にある。この本編の一割にも満たない草双紙はしかし、その文体ゆえに『笑い姫』のみで構成することは現在の出版事情が許さないであろう。そこでその作者を設定し、波乱万丈の物語と互いに共鳴する物語として送り出されたのではないだろうか。
 制約の中で採られたであろうこの構成は見事な効果を挙げている。それというのも一種主人公の成長譚ともとれる本編の面白さがページを捲る手を否応なしに止めさせないし、その主人公の成長と共に『笑い姫』が紡がれるからである。
 おそらく現代ではエンターテイメントとして認められにくいであろう草双紙を極上のエンターテイメントとして描き上げてしまった皆川博子の手腕に脱帽だ。皆川長編作品で五本の指に入る傑作である。ファンならずとも読みのがすべきではない。

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紙の本夏の夜会

2001/11/04 01:11

記憶の恣意性を暴露した実験作

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 おそらく本格の可能性と限界を現代ミステリ作家の中でも最も自覚している一人であろう西澤保彦が記憶をテーマに据えてその恣意性を暴露した一作。論理的推理というものが本格ミステリの醍醐味の一つであることは衆目の一致するところであろうが、それは擬似論理であることもまた異論を待たないだろう。更に本作のように推理の根拠となる証言や記憶までもが恣意的であらざるを得ないとすれば、本作の結末もまた恣意的であることから逃れられないだろうし、著者もそのことに十分自覚的である。
 ある時期までは確かに“伝統”というものの上に築かれてきた本格ミステリというジャンルは、いわゆる“お約束”の基にその論理なりトリックは成り立ってきたはずである。日本でも新本格以降、その“お約束”を再検証しようという気運が高まって久しいし、その“お約束”を逆手に取った作品も少なくない。しかし、その問いは明確な答えを持たないことも誰もが知っていることだろう。だからこそ西澤保彦は独自の本格世界においてルールを設定し、擬似論理が純粋論理足りえる空間を構築しようと試みているのである。その試みが完全に成功しているとは言い難いとしてもある程度の成果は収めている。
 しかし、本作のようなルールを設けない作品において西澤保彦は推理が擬似論理であることを隠そうとはしない。論理のアクロバットを主眼として、いかに飛躍した着地を見せるかに腐心している。
 本作は期待に違わず妄想推理が見事な着地を決めてはいるが、その根拠が記憶のみであるだけに伏線の弱さは隠しようもない。人間の記憶が恣意的であることを前提としている時点で本作は既に伝統的な“本格”ではありえない。
 確かに記憶の恣意性を暴露し、それでも本格たろうとした態度は立派なものだが、決して成功はしていない。もし記憶も推理も恣意的であることを前提し、なおかつ本格であろうとするならば伏線こそが最も重要な要素となるのではないだろうか。論理がいかに妄想であろうとそこに華麗な伏線があるならば、それはきっと本格でありうるはずだと思う。
 西澤保彦は今後の本格ミステリにとって最も重要な作家であろうが、一つ一つの作品を丁寧に練り込んで欲しいと願う次第である。

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