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投稿者:T−MIHO

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紙の本キャッチャー・イン・ザ・ライ

2003/05/07 16:33

「キャッチャー」と「デクノボー」

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 「ライ麦畑でつかまえて(野崎孝訳)」はいまでもちゃんと本棚にあるのに全く覚えていなかったのは、その昔(1970年)ファッション感覚で買ってはみたものの、たぶんホールデン・コールフィールドの不器用さにうんざりして途中で投げだしてしまったからだと思う。当時の私にとって、彼はただのハタ迷惑なガキで、だから彼のガールフレンドには同情さえしたと思う。
 だいいちこの題名のわかりにくさ。中味と全然ちがうじゃない、とも感じていたにちがいない。
 それが、「ザ・キャッチャー」という主語に変わって何か納得できそうな気がして、今度はちゃんと全部読んだ。そして(最愛の妹)フィービーに問い詰められた ホールデンが、ようやく「ライ麦畑のキャッチャーになりたい」と告白する場面(P.280)になって、このせりふはどこかできいたことがある、と思いだしたのだ。
 「雨ニモマケズ」
 サリンジャーが宮沢賢治の同類だと思うのは自分でもちょっと突飛だとは思ったが、考えれば考えるほど似ているので書評を書く気になった。
 第一にホールデンとフィージー。心から愛し合いだから互いに必要とし合っている点で、賢治と妹のトシの関係も同じである。
 だから賢治はトシを喪って『未成熟なるもののしるし』である『大義のために高貴なる死を求める』ことにのめりこむ。
 「グスコーブドリの伝記」のブドリは、「火山を爆発させて大気中のCO2を増やし、冷害を救う」という高度な技術を完成させながら、「最終スイッチを押す」というおよそ「無価値な」〜そんなことができるなら遠隔操作ができるはずだ〜大義のために高貴なる死を選ぶ。それは妹ネリの身に起こった悲劇を二度と起させないためなのだ。
 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に訳者の解説がないことを、村上春樹はそれが不可能であったことをわざわざ書いている。
 三十年前の野崎訳には解説があるが、そこには「サリンジャーは自分の正体を人前にさらすことをひどく嫌い(中略)家の周囲には高い塀をめぐらして外にはめったに出ず、ほとんど世を避けたような恰好で暮らしているそうだ(後略)」と書かれている。
 一方の賢治は、羅須地人協会の活動を通して実り少ない奮闘を続けた結果若くして死んだ。それは、文字通り未成熟なもののしるしとしての死だったと思う。
 そしてそれが「大義のために卑しく生きる成熟」への敗北として認めざるを得なかったのが「雨ニモマケズ…」という「メモ」であり、死を迎えた賢治がなお捨てきれなかった「想い」だろう。
 「ミンナニ デクノボートヨバレ」て東に西に南に北に走り回る姿は、「だだっぴろいライ麦畑みたいなところで(中略)よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どこからともなく現れ」るサリンジャーのキャッチャーに通じる。
 どっちみち、人は「未成熟」な無垢のまま生きることはできないのだ。しかしサリンジャーもまたそれを認めたくなかったにちがいない。短いエピローグ(P.352)がそのことを語っているように思う。

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