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    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

あらきみほさんのレビュー一覧

投稿者:あらきみほ

9 件中 1 件~ 9 件を表示

紙の本図解昆虫俳句歳時記

2001/10/10 19:33

昆虫学者が書いたから信頼できる昆虫俳句歳時記

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 「このように私をとらえて放さない昆虫の魅力とは何であろうか。 まず種類が多いことである。全動物種の七五パーセントが昆虫で、飽きることがない。現世の地球で我々人間と共に最も栄えている動物群であり、至る所に棲み人間の生活と密接な関係をもっている。次に美しく形の変わったものが多いことである。また、あらゆる環境に棲むその生活が面白いことである。私にとってはそこが特に興味深く、生活を研究する昆虫生態学を専攻してきた。」(あとがきより)

 仕事柄、旅の多い著者はさまざまな昆虫に触れるたびに俳句に留め、また特に女性が嫌う汚い・危ない虫は、特に俳句になっているものも少ないからと、愛すべき生き物である昆虫の、多様で興味ある生活を紹介したいと思って昆虫俳句を採録はじめたのだという。例句のあまり見つからない「ざざ虫」「介殻虫」「亀虫」などは著者が例句を作っていた。佳い俳句をたくさんの人たちが詠むことで、「昆虫」たちは「季語」として生き返るのである。

 各項目のページを開けば、生物学的に、文学的に、俳句を例句として繙いてくれる文章はとてもたのしい。

 各項目の昆虫のイラストは学者がじっくり写生した緻密な図解である。

  蝶々のもの食う音の静かさよ  高浜虚子
  撫子に蝶々白し誰の魂  正岡子規

 「日本では古くから、生きている人や死んだ人の魂が、蝶に姿を変えるという信仰がある。それで、どんな蝶でも家の中に入ってきたものは、大事に扱うことにしている。客間の竹のすだれの裏に蝶が止まると、最愛の人が会いにきてくれるという言い伝えもある。」
 人間にときに纏わるようにゆっくりと飛ぶのも、もの言いたげな感じもしてくる。

  水馬流され水輪流されし  倉田紘文
  水馬こまめに恋いをしかけをり  須佐薫子

 「このように水馬には水面の波が重要で、自分でも脚で波を出し、縄張りを示したり、求愛の信号にする。雄の出す求愛波を感じて雌が近づくと、雄はこれを求愛波に変え、雌もこれに応える波を出して近づき、恋が成立する。」という。

著者:大正十五年福岡県生まれ、農学博士、医学博士で専攻は昆虫学。現在は久留米大学名誉教授。 俳句結社「天籟通信」「蕗」同人。

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紙の本ぽぽのあたり 坪内稔典句集

2000/11/25 20:19

坪内稔典第八句集『ぽぽのあたり』を読む

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 稔典氏は、現代俳句において、独自の俳句スタイルを作りあげている俳人の一人である。坪内稔典氏は昭和19年愛媛県生まれ。高校時代より新興俳句の日野草城、後に伊丹三樹彦氏の「青玄」で所属。一貫して若い世代の前衛的拠点としての俳誌をつくりつづけ、現在、「船団」 「子規新報」代表。そのユニークな句柄から、通称、愛称「ネンテン」氏と呼ばれている。もう一面は、子規、漱石、芭蕉論等多数著書のある大学教授の顔である。まずは、この句集から好きな稔典俳句を掲げてみよう。

胸に小火(ぼや)目に水鳥の遠く浮き
目も耳も口も穴なり春の昼
睡蓮へちょっと寄りましょキスしましょ
夕凪や父はとろけて母縮む
魂の半分は鬼花火散る
ごろごろのかぼちゃにたまる夕日かな
炎天やぐちゃっと河馬がおりまして
野にあって君は露草露の玉
十月の蝶氷片の響きして
三月の大粒の雨畝傍山
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ
四月来て雑木林が透き通る
こんもりと百年があり野ばら咲く
ストレスのたまる松の木秋うらら
月光の折れる音蓮の枯れる音

 これらの句を書き留めながら、この句集のどの句からも、自然の中に、ひとりぼっちで、どこまでもぼーっとたたずんでいる稔典氏が感じられた。稔典氏のあらゆる感性は、もう自由に、気ままに、働いているようである。そう考えると、胸の小火(ぼや)も、夕凪の父や母も、夕日のかぼちゃも、十月の蝶からは飛び立つときのぎこちない音も、溢れるほど繁っている野ばらも、冬の刃物のような月光も、そう、あの何百年も経った松の見事な人工の枝振りも、松の木にしてみれば、「ストレスなんだ!」と、素直に納得してしまうのである。数年前、「船団」誌上で、「写生よさようなら」という企画特集をした稔典氏であるが、今回の句集『ぽぽのあたり』に、「写生」「感性」「言技(ことわざ)」の三位一体を感じてしまったのだが如何であろうか。あとがきに、次の言葉があった。
 「民族学の柳田国男は、諺(ことわざ)は、言技(ことわざ)だと述べた。簡単に覚えることができ、そして気軽に口ずさめる俳句は、諺にきわめて近い。とすれば、俳人である私は言葉の技の発揮に腐心するほかはない。言技師(ことわざし)こそが俳人である。(略)」
 蝸牛社の『一億人のための辞世の句』第1巻のあとがきに、「今の 私の辞世の句は<たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ>」とある、この『ぽぽのあたり』の句集名はなんとも懐かしいのである。

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虹の種 句集

2000/12/17 20:09

「船団」の若き俳人〜塩見恵介

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 塩見恵介さんは坪内稔典氏主宰「船団の会」の若手俳人である。 1971年に生まれの29歳である。19歳より稔典氏の許で句作開始。
 『虹の種』は、俳句を始めた19歳から28歳までの十年間の作品であり、その間には震災、大学、大学院卒業、就職、結婚があり、長男誕生のこの春に『虹の種』の刊行となった。
     先生の化粧とあるく夏木立
     夕焼けや駅員さんとべっぴんさん
     父親をやめて今日から桃の花
 一句目、遠足の小学生高学年か中学生であろうか。夏木立の中を女の先生と並んで歩いている。20代位の若い先生であろう。そんなにお化粧が濃いというわけでもないのだが、幽かな化粧の匂いが気になってしょうがない。大好きな先生の話も少し上の空で聞く。「先生の化粧とあるく」が少年らしい感性である。季語「夏木立」が爽やかさと緑の世界に秘めた妖しさを合わせた青春性を感じる。
 二句目、北の果、半島の突端、過疎の駅など、こんな駅がどこかにきっとありそうだ。美しいのに哀しさの漂う「べっぴんさん」 が、鄙びた駅にポツンと佇んでいるのは、映画や小説のワンシーンだけではないだろう。「夕焼け」が駅員さんの「懐かしさ」と、べっぴんさんの「哀しいような美しさ」を演出してるのだ。三句目、わが夫などは、直ぐにも「僕も桃の花になりたい…」 と言いそうである。やっぱり、塩見さんは夫として父として頑張って生きようとしている人種なのかな。
     恋愛は女の仕事花吹雪
     告白は男の発作花吹雪
 集中に、このような二句もあった。男は発作のようにして、いつも自らが告白したり、決意表明したりしなくてはならない。疲れはしないのだろうか。
「父親をやめて」、優しさを象徴している「桃の花」になってみ たいという気持も又男の本心なのだろう。
     キャンディを谷に落とせば虹の種
     いつよりかわあんと泣かず鰯雲
 こんな古くさい言葉はお嫌いかもしれないが、塩見さんの句は「季語が効いている」。
 一句目、「虹の種」という造語も詩的だが、やはり「虹」の力かなと思う。
 二句目、まさに「鰯雲」である。空いっぱいに拡がる見事な鰯雲に出逢ったことがある。鱗は一枚一枚同じ大きさで、等間隔にならんでいる。静かにずんずんと迫ってくるようであった。「わあんと泣かず」がとても上手い措辞で、いつかしら悲しみを静かに対処するようになった「少年」を感じた。「わあんと」という生な言葉もリズムとなって効果的。
     春雷を前髪で受けとめている
     足跡はハートのマーク雪うさぎ
     炎昼や少しジェラ紀の匂う窓
     笛の子のファの音ばかり五月雨
     高窓に氷雨はフランス語となりぬ
     何もかも放りこみましょ焚き火の火
     今日自殺決意す・死ねず・鳩を飼う
     議論終え湯豆腐あつししかし食う

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玩具帳 句集

2000/11/25 20:28

「船団」の若き俳人〜『玩具帳』三宅やよい

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 三宅やよいさんは坪内稔典氏主宰の「船団」の若い俳人である。シュールな、元気な、句が並ぶこの句集から、著者が自分の中にある多面体と出逢う作業を、俳句という「遊び」の中で行おうとしているのだと思わせる。三橋鷹女は「一句を作ることは、一片の鱗の剥奪である」と言った。だがこのように、苦しんで得た俳句は、やがて鱗の剥がれた傷口をやさしく癒してくれる一片となるのである。

   満月を垂れ下がる紐引いてみる

 電球に垂れ下がるスイッチの役目の紐を引くみたいに、満月を垂れる紐を引いたら、満月が「三日月」に「半月」に「新月」になったりしたら楽しそうと、三宅さんは考えたのかしら、それとも、紐を引いたら、くす玉が割れるようにぱっかりと割れてガラガラと玩具が出てくるかしらと考えたのかしら。

   鏡には鏡が無数月の夜

 鏡が二枚あると世界がひらけてくる。角度を変えながら見てゆくと、真正面からではない視点での物の世界である。「鏡には鏡が数多」であるが、鏡は、鏡を覗く人またはカメラワークであっても必ず見る人があって初めて、鏡の中の鏡、又その中の鏡、と無数になるのであろう。そして、鏡の中にはそれぞれ「映る物」がある筈なのだが、この句からは感じられない。鏡を覗きこんでいるのは誰?鏡に映っているのは鏡、また鏡。この不思議な鏡の世界の頭上には月が皓々と輝いている。

   高速を師走の月とフーガする

「フーガ」は楽曲形式の一種で、曲の途中から、前に出た主題や 旋律が次々と追いかけるように出る曲のこと。遁走曲とも。 冬の月を頭上にハイウェイを走っている作者。高速道は大きくく ねくねと曲がっているのだろうか。見えていた月が見えなくなった。しばらくすると月は再び趣を少し変えて前方に現れる。 こんなことのくり返しで夜のハイウェイを走っている作者である。 「師走の月」と「フーガ」が意味ありげでもある。

   頬杖ついてあの世の友となりにけり

 窓辺に頬杖をついて、亡くなった友人に想いを巡らせているのは作者自身のことであろう。メーテルリンクの『青い鳥』の第三場「思い出の国」にチルチルと話す祖父の言葉がある。「いつでもおまえたちが、わたしらのことを考えると、わたしらは目がさめて、またおまえたちにあえるのだよ」「生きているものが思い出して、起こしてくれるのを待っているんだよ。」「お祈りすることは思い出すことだよ」生きている人が亡くなった人のことを思い出すこと、そうすれば亡くなった人と又、お話しすることもできる。「あの世の友」となって心を通わせることができるのだ。「頬杖ついて」がこの一句への挿入として素敵である。『玩具帳』の作品は総じてライト・バース風だが、ところどころに潜んでいる、ちょっと不思議でなんだか怖い句に惹かれた。次の句なども。

排水口にパーの手が出るおぼろ月。

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鳥になる 句集

2000/11/25 20:26

「船団」の若き俳人〜わたなべじゅんこ『鳥になる』

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 わたなべじゅんこさんは、四月一日にご結婚されました。この日はエイプリルフール! でも、結婚って大いなるエイプリルフールかも知れない。結婚記念日がくる度にそう思えば、楽しく年月を重ねてゆけるのでしょう、と、32年目の私。坪内稔典氏代表「船団」の若いけれど、編集代表でもあり、俳句界でも活躍のベテラン作家である。集中、じゅんこさんのたくさんの桜の句に魅せられた。

   落花一面記憶の海を泳ぎおり
   桜狩り悲しい記憶を追いかけて
   花冷えに記憶の緋色匂いたつ

 桜を見るということは、自己と向かい合うためであり、自分の正体に出会いたいためであろうか。桜の句に「記憶」という言葉を使っている句が三つあった。「記憶」とは「かつて経験したこと」という意味であるが、では、人間の記憶とは一体どの時点からを指すのだろうか。短い期間を生きてきた今までの出来事の記憶だけではないだろう。魂が輪廻転生することを考えれば、「記憶」は、深くて広々とした、正に果てしない海原である。待ちに待った初花から、七日から十日あまりの短い間に命を燃やし尽くす桜、そのあとには心をかき乱し妖しくさせる花吹雪がある。この花吹雪にこそ人はものを思うものである。心は飛躍し、過去、現在、未来へと自在に心は遊泳してゆく。桜のひたすら散りつづける花びらは、かぎりなく静謐な宇宙の中で永遠に流れる時間を感じさせてくれるものなのだ。じゅんこさんの「記憶」はこういうことかなと考えた。
 一句目、落花のはなびらの海が、穏やかな波も高い荒波もある「記憶の海原」となって、その中で溺れないように一心に泳ぎ廻るじゅんこさんが見えてくる。
 二句目は、記憶の海原から、じゅんこさんはやがて「悲しい記憶」だけを見つめ拾いあげることが出来るようになる。
 三句目となると、その「悲しい記憶」は「緋色」の色を持ちはじめ、「匂いたち」、じゅんこさんの感は一層研ぎ澄まされる。「記憶」という言葉は、俳句のなかでは使い難い。そこで、私たちは、直ぐにこう言ってしまいがちである。「そういう直接的な言葉を使わずに”記憶”を一句に感じられたらいいですね」他人の句に言うのは簡単だ。では、詠めるかと言われたら、出来はしない。今まで俳句ではとても使わなかった言葉を若い俳人たちは勇敢に使う。「記憶」の一語で、いろんな事を考えさせてくれた。本当は、私も、羨ましいと思っているのだ。
 もっともっと、じゅんこさんの俳句でおしゃべりをしたい句がたくさんあるが、又の機会にと思っている。他の好きな句を揚げよう。

夜が明けて桜咲く日が近くなる/花びらの揺らぎにも似て未来/樹液満つ小指の先まで桜色/桜闇のけぞる喉の白さかな/いちまいの闇を脱ぎ捨て花の夜/桜蕊ふるふる夜の微笑かな/葉桜が囁きかわす死後のこと/朝顔の森で迷子になっている/春隣窓をさがして鳥になる/冬銀河美しく散る壜の中/天高し背中の翼のびる午後/てのひらに空のひとかけ秋の水/風白く天馬を空にかえす午後/桜月夜遊んでくれろと猫がなく/星月夜地震娘が今日もゆく/さくらんぼ彼に会ったらよろしくね/あきらめのいいのが取り柄金魚飛ぶ/今なにをいおうとしたのよ冬林檎/触れられて化石になれば秋の風/

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空のさえずる 句集

2000/11/25 20:24

「船団」の若き俳人〜『空のさえずる』星野早苗

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 坪内稔典氏代表の「船団」の若き俳人の一人である。それぞれの章から一番好きな句を選ばせていただいた。

   半月を横抱きにして山走る
   弟がついて来るから春の坂
   傘さして丘の景色に入りたる
   噴水を見張るに少し疲れたる

 一句目、こんな景色を見たことがあるような気がするのだが、どんな時だったのだろう。きっと、夜のドライブか夜汽車からの景色だ。黒々と山が連なっている。その上に半月が出ている。走っているのは私で、山が動いたり走ったりするわけではないのだが、半月を抱えて山の方が走っていると捉えたのは楽しい。「横抱き」が恋しい女をさらって駆け落ちでもするようだ。
 二句目、「春の坂」というのは陽炎が燃え立つようで、陽炎と一緒に過去がもわもわっと沸き上がるようである。きっと星野さんには姉である星野さんを大好きな弟がいたのだ。その弟は、弟がくっついていると友達と遊べないと思って、本当は振り払いたいのに、どこまでもついてくる。こんな思いをするのも「春の坂」 だから愛おしいのである。
 三句目、すぐに、眼前に浮かんでくる懐かしさを呼ぶ景色である。 「傘さして」は白いパラソルをさしているまだ若い母親だろうか。 買物かお出掛けから帰ってくるところだろう。いつもの丘の上を、いつものパラソルをさして歩いて帰ってくる。その母の姿に子はたちまちに安らぎを得るのである。それを「丘の景色に入りたる」と叙したのはとても素敵。ノスタルジックな句をとても洒落た映画の一場面にしてしまう技は星野さんの句の一つの特長であろう。
 四句目、この句の鑑賞が別紙の栞にあるが、池田澄子氏の鑑賞に「アッ、そうなんだ」と思った。引用させていただく。

 私も噴水が大好き。時間が許せばいつまでも見とれてしまう。 水の高さ、風による吹かれゆがみ具合、噴き出し方や凝った照明の変化まであったりして、見るのを止める踏ん切りがつかない。早苗さんもきっとそんな風に、噴水の前を立ち去れないのだろう。 そして、その姿勢にちょっとくたびれて目を離そうとした途端、気付くのである。「あら、まるで見張ってたみたい…」作者が自分のちょっとした心の動きに気が付いて驚いたとき、生き生きとした一句が生まれる。そして、とても難しいことだけど、そこに書かれた言葉が少なく、景色が単純であればあるほど、俳句ならではの力を発揮するらしい。」心にあらゆる想念をとぐろさせながら、じっと噴水を見ていた自分にハッと気付いて、「見張って」いた自分の姿に気付いた星野さんの感性は凄いもの。たくさんの好きな句がありました。
1、山笑う……諍いに夜の螢も見届けぬ/ギシギシや更地途方に暮れてゆく/かなかなの歳月こんな結論で/高感度のキリン私が見えますか/秋霖に翼二枚を落としけり/真昼間のつまづきに似て遠雪崩/
2,夏の母……蓮華田を踏んでどこまで迷いたる/魚のごと目を横につけ壁に居る/魚になろうと思い水底に居てまばたかず/夏草の夜汽車にありぬ寂しい王様/
3,空のさえずる……初夏や何を埋めたのか空のさえずる/倒れたし鉄砲百合の目の前で/かたつむり道縦横に空に在る/ひとつずつ鍵を外せば夏木立/夾竹桃星をだましてしまいけり/「悲しくてやりきれない」日に発芽する/水澄むや今朝少年の一人称/
4、秋の箱……画鋲さす飛ばされやすき冬の星/風花を携帯あやつりつつ来たり/山羊の眼の人遠ざける山桜/健脚や吉野の桜追いつめし/大人だって大きくなりたい春大地/晩春の穴を出たまま貝ボタン/夏草や蛇の息してそば通る/日暮れまで寝て蜻蛉となりにけり/

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わがまま 句集

2000/11/25 20:23

「船団」の若き俳人〜尾上有紀子『わがまま』

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 尾上有紀子さんは坪内稔典さんの「船団」のメンバーである。尾上有紀子さんの句集の校正をしたとき、まさかと思ったが、万一を思って、確認の電話をした。原稿をパソコンで打つようになってから、漢字の転換違いがあるからだ。
 次の句であった。

   告告(こくこく)と吾を蝕む小望月
   柿(かき)くけこ咳の止まらぬ午前二時
   雨の夜知(ち)の流れる音をきく
   寅(トラ)ンクに紅白の梅をたっぷりと

 「間違いではありません」とのご返事にウーンと、正直思った。こういう、びっくりさせられる句に出会うとき、私(み)は、拒否反応はしない。私にはとても出来ない、こんな凄い句を作ることに感心して楽しくなって、ちょっと考えてみる。
 尾上有紀子さんが、試みようとしたのは次のようかしら。漢字は「音」と「意味」と「視覚」と三通り楽しめる。コンピューター文化のちょっとした「転換違い」を逆手に取った手法を使って、一語に二通りの「意味」を持たせた。重奏性を持たせたと、そう考えていいのでしょうか。
 一句目、小望月は十四日の月でもう少しで満月となる月のことで更に膨らむ可能性を秘めたもの、「蝕む」は逆にだんだんに元の形をそこなうことである。「告告と」は「刻々と」と意味を重奏させたとしたら、この「蝕む」と「小望月」のアンビヴァレントな動作を作者に「告」げる者は一体何者なのか。
 二句目、「柿くけこ」は子規の「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」が浮かんだ。夜中の午前二時の静寂を破る「止まらぬ咳」の音は広大なお寺から聞こえる「鐘」の音につながり、接点は「柿(かき)くえば」なのである。
 三句目、雨の音に耳を澄ませている作者の感覚は研ぎ澄まされて、体をどっくんどっくんと流れる血の音を聞いている。そんな時は頭脳は渦のようになっている。まさに「知」なのだ。
 四句目、「寅(トラ)ンク」の寅って何だろう。しばらく考えてしまった。紅白の梅だから、屏風絵の金泥に紅梅白梅と寅が見事に描かれていたら豪華だろうなと、思った。

 最初に碧梧桐の句を出したのは、碧梧桐のルビ俳句を思い出したからだ。碧梧桐は俳句の新俳句、自由律俳句、ルビ付き俳句と俳風を変え書体を変えて、あらゆる可能性にチャレンジした人であった。
 伝統的な文芸も「今」を生きる我々なのだから、視点は今も未来にも向けていなくてはいけないと思っている。
 六月は沈められたり沈んだり、この句が一番好きであった。あざ蓉子氏の名鑑賞が栞となっているので、是非見ていただきたい。
 他の作品を揚げよう。

月天心押入の底へ牡丹雪/百匹のうさぎと跳(お)どる花の春/五月雨と窓を開けない女たち/十五夜はおしゃべり芒の座談会/大海に忘れ去られたところてん/糊つけてパリパリ悲し夏の風/秋雨や道化の糸を君が織る/うやむやをトルコ桔梗が夢にする/吾亦紅老婆を来世へ届けたく/白い息さみしい魚は薄笑い/雨だれに心打たれて耳を研ぐ/風鈴の悲しく笑う野分かな/粉雪や河馬の放屁はピンク色/芋掘りて濁世ごろごろ暴かれる/ゲル状の箱の中から夏を出す/さようなら螺旋を描くかもめたち/六月をぐっちゃぐっちゃに踏み潰す/誘うはブルーグレイの満月よ/

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月ひとしずく 句集

2000/11/25 20:22

「船団」の若き俳人〜津田このみ『月ひとしずく』

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 「船団」若手俳人による句集コレクションの第二冊目である。
 津田このみさんは一九六八年生まれ。一九九六年より句作開始という句歴三年の俳人である。あとがきに「昔は、詩を書く人はあんなに己をさらけだしてよく恥ずかしくないものだと、思っていた」とあり、さらに、「実は、恥ずかしいことが大好きだったのだ」と書いている。
 でも、詩って本当はそうでなければいけないと思うし、津田このみさんは、とても正直な方だと思う。対象物を凝視しきること、自然であれ、人間であれ、自身であれ、心であれ、言葉であれ、とことん本質まで掘り下げること、他人の言葉でなくて、本心であること、飾ることなく一直線に出来るのは若さだと思う。
 先ずは、俳句をみてみよう。

   端正な生殖器であり桜かな
   置物のような老人桜かな
   人間の入れ替え時や桜散る

 もう俳句では、「桜」の切り口はあまりないだろうと思っていたのが覆された。桜という花を「端正な生殖器」と誰もが知っているけど言わない本当のことを言い、老人を「置物」とちょっぴり失礼な表現で言ってしまい、四月初めの様々な学校や職場の変化を「人間の入れ替え時」と言ってのけた。このみさんの率直さに脱帽!

   満開の桜に喉を締めらるる
   夜桜にだまされにゆくつもりです
   落花さあわたしの中にはいりなさい
   夜桜や私が死んでまだ百年

 一句目、二句目はよく分かる。三句目も花吹雪を浴びているときの感じがよく出ている。四句目、梶井基次郎や坂口安吾の小説にもあるように、桜には死のイメージがある。俳句ではどのように詠むかであろうが、掲句は不思議な句である。生きている私が夜桜を見ている。その私を、死んでいる私が見て「わたしが死んでまだ百年」と言うのである。桜の儚さ、夜桜の向こうにある宇宙の永劫さ。死の儚さ、百年という宇宙的時間からみれば一瞬の時の流れ。いろいろ考えさせられもするが、リズムよく出来たこの句は夜桜の度に口にでそうである。

  ▼冬
   笑ったって泣いたって怒ってたって白い息

 ほんとですね! 「白息」という季語がこんなにも楽しく、真実の使い方がされている。笑っている人、泣いている人、怒っている人、このみさんは眺めて、共通項の白い息に気付いた。有季定型の俳句を目指すならば、季語をどのように生かすかであろう。津田このみさんは、季語の本質を思わぬ角度から、思わぬ言葉遣いから攻めた俳句世界であると思う。

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ポケット 句集

2000/11/25 20:21

「船団」の若き俳人〜小枝恵美子

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 「七つの帆・ 句集コレクション」の一冊目は「船団」の若き小枝恵美子さんの『ポケット』である。このシリーズには各巻に栞が挟まっており、「船団」代表の坪内稔典氏をはじめ、超結社の会員である池田澄子、内田美砂、あざ蓉子、南村健治、本村弘一、小西昭夫各氏の一句評が寄せられている。

> 蟻のA君
>   なずな咲くてくてく歩くなずな咲く
>   女子大へこっそり通う蟻のA君

 一句目、池田澄子氏の鑑賞より、

> 『ポケット』を詠んでいると、淡彩画の絵本を見ているような気分
> になってくる。口語のたのしさとメルヘンチックな可愛さ、そして
> 軽快なリズムのせいだろう。
> 掲句の徹底した単純さは珍しい。感情の説明も、いわゆる詩的な言
> 葉も皆無である。「歩く」と言えば真っ先に思い出される「てくて
> く」さえも、むしろ技巧的に思われるほどだ。

 二句目、あざ蓉子氏の鑑賞より、

> 蟻のA君とは、もちろんAntのA、それともアッシー君。意外にポル
> シェなんかで裏門に待っていたりして。出てくるのはお嬢さん蟻。
> 夏木立のなかのまぶしい女子大生の肢体や、青春の愁いも浮かんで
> くる。
> 蟻は女王蜂を頂点に雄蟻、働き蟻などで構成されているが、それが
> 女子大と微妙に付いていておかしみを誘う。「蟻のA君」と名付け
> たところに作者の新鮮な視点がある。

 掲句は蟻を比喩的に鑑賞するのでなく、実物の蟻と鑑賞しても面白い句であると思う。女子大の校門の中へ、颯爽とした人も、そうでない人も、つぎつぎに吸い込まれてゆく。ふと地面を見ると蟻がいる。その蟻も女子大生と同じ方向に歩いている。そう言えば、昨日も蟻を見かけたようだ。昨日の蟻と同じかどうかは分からないのだが、毎日見かける蟻を「蟻のA君」と名付けたところが作者の技である。たちまちA君という人格を持った一匹の蟻となるが、毎日校内をうろうろしている小さな蟻は、「こっそり通っている」としか見られないのである。小さな存在の蟻と女子大生との対比。女子大生は、自信に溢れていて、自信が無くて、美しくて、未熟で、気まぐれで、時々怖くて、時々優しくて、といった不可解な存在である。ガリバーの世界を思わせる。

> 異星人
>   炎天のすべり台から異星人
>   夕闇の空へ空へと雪うさぎ
>   ルビーとかダイヤモンドとかそら豆とか

 すべてシュールかというと、そうではなくて、作者の実景把握が正確であるから、読者の心にすうっと入り込み、共に飛躍した世界へ翔んでいけるのであろう。暑さにゆらめく「炎天のすべり台」から滑り降りてくる人は異星人のように見える、否、異星人に違いない。と、作者と同じ気持ちになれるのである。

 『ポケット』からは思いもかけない世界が次々に飛びだしてくる。 是非とも楽しんでほしい句集である。

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