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FATさんのレビュー一覧

投稿者:FAT

135 件中 1 件~ 15 件を表示

乗数効果の否定

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

貨幣愛に起因する不況という理論自体は、ケインズの一般理論にもあることなので、その復活という意味では政策的意義、特に日銀の金融政策に対する意義は大きいが、それ以上ではない。一方、本書の学問的に重要な点は、乗数効果の全面的否定ということであろう。さらにここから含意されるのは、マクロ経済学の財政政策へのツールとしての意義の消滅、少なくとも半減である。著者の言葉に拘らずに、財政政策への含意をまとめると、

「失業があるときには、その失業を埋めるだけの仕事を公共事業として行うことは、資源の浪費・遊休を減少させることとなり、経済的に意味がある。しかし、公共事業の中身は資源の浪費にならないように、精査しなければならない。」

ということかと思う。

新古典派的思考の中和剤にはなると同時に、改めて「公共事業には、その額以上の価値がある」という高度成長期の思考の残滓も払拭するものとなっている。つまり、奇をてらった論理のマジックが消えて、素朴な常識論に戻るということ。

特にマクロ経済学的に重要な点は、乗数効果を全面的に否定していることにあるとするのは前述のとおり。このような過程を経て、日本のマクロ経済学がもう一段、政策科学として進歩することを期待する。

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細胞内小器官の機能の本質が分かる

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 書名は「タンパク質の一生」であるが,この本は,細胞の機能を俯瞰し理解する上で,非常に優れた本である。いわゆる細胞生物学の本では,細胞内小器官自体について,その機能を解説するというスタイル,叙述方式になる。しかし,この本では,タンパク質の生成から,「成熟」,そして分解までを一連のプロセスとして描き,その中で各々のオルガネラの機能を展開するというスタイルとなっている。
 勿論,細胞の機能は,タンパク質代謝系だけではなくて,エネルギー代謝系もあるので,タンパク質の生成分解過程だけで,細胞の機能が解明される訳ではないが,「タンパク質の一生」に細胞内小器官がどのように関与しているかという,一本筋の通った叙述方式は,オルガネラの役割を説明し,理解させる方法として,非常に有効で分かりやすいものであると思う。
 少なくとも,評者にとっては,本書により,細胞内小器官の機能の連関の一部を理解できたような気がする。

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紙の本進化考古学の大冒険

2010/01/11 16:16

進化考古学という魅力的な方法論

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、小学館版の「全集 日本の歴史」の第一巻『列島創世記』の著者が「自然科学の分野で飛躍的に発展した進化科学の成果に導かれて、考古学者がこれまで本業としてきた土器や石器、住居や墓などの解釈を、もっと科学に近づけてみよう、というのが本書のねらいである。」として、進化考古学(あるいは認知考古学)を平易に紹介するものである。
 進化考古学(認知考古学)を評者なりに解釈すると、個々の人工物の製作「意図」ではなくて、人工物がヒトにどのような心理的・認知的効果を生み出し、それがどのように「共進化」してきたのかを解明する知的営み、とでもなろうか。
非常に魅力的な歴史へのアプローチではなかろうか。

 本書の最終章において著者は、無文字社会と文字社会とでは、人工物に込められている人間の想念というか、「知の共有にかかわるときのありよう」が異なると、強調している。文字社会であえて人工物の存在形とそこから喚起される個々人の認知を直結させてしまうと、一種のフェティシズム、「へうげもの」で描かれるような世界にいってしまうのかもしれない。それ故、文字社会における「直結」を戒める著者の姿勢は、確かにそうあるべきなのだろう。
 しかし、本書で展開されている進化考古学のロジック・分析手法を現代の社会分析に転用して、人工物、例えば服飾のデザインや流行色の短期的な変化に対し、そんな解釈を施してみたくなるのも確かだ。
 つまるところ、文字資料は嘘をつくが、人工物は解釈は難しいが嘘はつかないということかもしれない。その解釈において、禁欲的・抑制的でいられるならば、進化考古学という方法論は、先史時代を解明する非常に優れた方法論ということになる。
 本書によって、その進化考古学のパースペクティブの広がりを知ることができる。

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紙の本北畠親房 大日本は神国なり

2010/01/02 15:12

14世紀半ばの歴史を理解するための好著

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 鎌倉幕府の崩壊後の14世紀半ばの歴史は、通常「南北朝時代」とされ、室町幕府の成立過程として著述されることが多いのではないだろうか。それも、「室町幕府の創設者」として、足利尊氏(高氏)の活躍を軸として描かれることが多いと思う。しかし、足利尊氏とその周囲の人物だけに焦点を合わせた歴史像には、何かしら腑に落ちないところがある。
 本書は、北畠親房という南朝の中心人物の動静から、南北朝両統定立時代の成立過程を描写する訳だが、いわゆる「南朝」勢力の整序のプロセスにおける親房の微妙な立ち位置というものが、このプロセスにおける本質を表象しているだと思われる。
 というのも、本書で明確に打ち出されているように、「建武新政」期というのは、足利尊氏を中心とする武家権力と後醍醐天皇を中心とする公家勢力が対立していたのではなく、後醍醐、護良親王、足利尊氏という三つの勢力の合従連衡が政治の力学を形成しており、その中でも中心的な対立軸は、後醍醐と護良の対立であったということなのだが、この点を分析する上で、北畠親房は絶好のポジションにあったということだ。
 というのも、元々護良派の親房が、建武新政崩壊後、吉野の柱石となっていく過程こそ、南朝が南朝という独自の存在感を作り出していくプロセスだからだ。

 いずれにせよ、南北朝の歴史を単なる足利尊氏という武家による「室町幕府」成立とするのではなく、もっと複眼的に把握する上で、北畠親房という人物は欠かせない人物であり、その動静を縦糸として書ききっている本書は、とてもおもしろいものであった。

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「異端」が「正統」を生み出すというパースペクティブ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書において展開されているのは、イスラム教における二大宗派であるシーア派とスンニ派の成立過程。この成立過程の要点は、「異端」たるシーア派の教義の固定化が時間的には先行し、「正統」たるスンニ派の教義は、そのシーア派の教義に触発される形で整備されていったものだという点だ。
 第3代カリフ・ウスマーンの就任から、第4代・アリー、そしてウマイヤ朝の成立、そしてアッバース革命(アッバース朝の成立)という政治変動の中で、後代のシーア派にとっての「カリフ」である代々のアリーの血統者とその支持者の政治的行動の変遷とともに、アリーの血統の指導性を神学的に強調していく宗派形成の過程がつづられていく。一方、スンニ派は、アリーの血統の指導性(聖性)に対抗するべく、神学的には預言者の始原性を強調するようになっていく。
 
 多くの場合、「正統派」=多数派宗派というのは現状肯定的な色合いを持つもののだろう。しかるに、現在のいわゆるイスラム復古主義的思想運動の多くは、「正統」スンニ派に分類されるものと思われる。
 正統派=多数派たるスンニ派において、現状破壊的な「異端的」運動が生じるという一見矛盾する現象は、スンニ派教義成立過程で刻印された「預言者の始原性」の強調に端を発するものということができるのではなかろうか。

 いずれにせよ、この「異端」が「正統」を生み出したという史実展開は、単に「アリーの血統を尊重するシーア派」と「預言者ムハンマドの言行(スンニ)を尊重するスンニ派」という事典の説明的理解が腑に落ちない異教徒(本書の中で、著者自身及び読者層を差してこの言葉を使用している)にとっては、この両宗派をより一層知る上で、とてもワクワクさせてくれる視野なのではないだろうか。

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紙の本日本の歴史 1 列島創世記

2007/12/04 18:26

認知考古学に基づく抑制的な筆致

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

認知考古学、要すれば「モノ(=発掘物や遺跡)をして語らしめよ」という哲学で本書は貫かれている。その元で、モノの個別の制作者の意図は「分からないものは分からない」と、潔く諦めているのである。そのため、一部逸脱もなくはないが、全般的に実証的ですがすがしい著作となっている。これが、本書の読後感の第一。
さらに、本書では、決して「日本」という国家概念ではなく、「列島」という地理概念で叙述が進む(そもそもタイトルがそう)。ここがポイントで、旧石器→縄文→弥生→古墳と進む時代区分の中で、列島の域内に、文化の「まだら模様」が作られていったことを説得的に説明している。これを見ると、邪馬台国論争なんて、エネルギーを注ぐ価値のある論争ではないという印象を持つことができる。これが、本書の読後感の第二。
いずれにせよ、このシリーズが、新しい日本史像を切り開いてくれそうな、強い予感を感じさせる良書です。

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日本は封じ込められているか

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これを読んでも、現在の日本がどのように「封じ込めれている」のかは、全く分かりません。日本の朝鮮半島統治とアメリカによる日本占領統治を比較するという着眼点だけは興味深いですが、この著述からその比較が何らかの識見を生み出す比較なのかは全く分かりません。というか、まともな比較はされていません。同じ切り口による本当の歴史家による比較研究を望みます。

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次の参議院選挙に向けて、戦前の議会政治を巡る思想を振り返る

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、日本の明治所期から昭和の立憲構想、議会制構想を巡る思想史の概観し、二大政党による政権交代という政治の在り方、内閣という組織と官僚機構(藩閥)の在り方についての、政治家(井上馨)と思想家(福沢、徳富、美濃部)の論陣を歴史的に分析するもの。
 勿論、戦前「憲法」下においては、内閣総理大臣を任命し、行政執行を担う内閣を編成する「大権」が、形式上天皇にあり、議会との関係で「超然」とすることが、解釈上許容されるものであったのだから、そこでの議論と、議会に内閣総理大臣の指名権があり、内閣を構成する大臣の過半数が国会議員=事実上政党員でなければならない現行憲法下では、議論における前提が大きく異なっている。
 しかし、選挙を通じて、議会多数を占める政党勢力が変遷し、その議会多数を占める政党勢力が「責任」内閣を構成して行政を執行するという在り方を、戦前憲法下でも短い期間ながら実現させてきたのは、本書で語られる思想家達の立論があったこともまた事実だろう。
 そこで考えなければならないのは、責任政治、議会政治の確立に向けた知的営みが、美濃部に典型であるが、その政党交代政治の「堕落」という現実を突きつけられたときに、挙国一致内閣に一定の賛意を示し、「健全な」政党政治への回帰のための「一時的」逸脱へと吸い寄せられてしまったことである。
 とすれば、今後の日本でも同じことが生じないとは言えない。

 2009年9月初め、この国では、選挙によって選出される政治(家)と行政(官)との関係改革を掲げた政党が、選挙によって政権を獲得するという画期が生じている。
 こういう時には、迂遠なようであるが、この国における「選挙による政治」の歴史を振り返り、その生みの苦しみを理解し、そして二大政党による政権交代が壊滅していった背景へと思いを至らせるのは、同じ過ちを繰り返さないために必要だと思う。
 すなわち、今回の選挙を通じ二大政党による政権交代という歴史的画期が生じた今だからこそ、この政権交代体質の定着に向けて、二大政党政治が崩壊した歴史を真摯に学ぶ必要がある。そして、その前提として、戦前「憲法」下における議会=選挙勢力と、官僚機構=非選挙勢力との関係において、選挙勢力による政治を志向した思想家の思想的胆力を振り返り、「脱官僚」をスローガンだけに終わらせない、知的努力が必要なのではないだろうか。

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比喩はイマイチだが、内容は優れもの

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の各章で出てくる脳の領域「野」を、企業経営における各担当分野をもつ役員に例えるというのは、ご愛敬。
しかし、本書の開陳する脳の機能、働き方についての仮説は、非常に分かりやすく説明されているのです。

また、検証すべき命題として、どこまで発展させられるかどうかは判断が難しいが、次のような本書の説明には、強いイメージ喚起力があり、何か分かった気にさせてくれるのです。

「脳の意思決定は、脳の広範囲の領域で起こっている減少です。どこかひとつの領域が意思を決定しているわけではなく、複数の領域、そして当然のことながら多数の神経細胞が協調した結果として、脳の意思が生まれてくるのです。」

「ある瞬間にパッと指令を出すことで意思が決定されるわkではありません。前頭前野とその他すべての脳領域との間の緊密な連携の下、同時進行的に情報処理されているその動的な過程すべてが、意思決定のプロセスなのです。」

これらの記述は、これだけを取り出して評価すると、当然と思われるかもしれないが、この記述を支える、脳機能障害の症例や神経細胞のつながりの具体的な研究成果の後であると、大きくうなずけるのです。

そして、評者が本書の記述の中で最も関心したのは、次の記述です。

「そして『意思』とは、複数の情報入力にもとづいて脳が生み出す『ただひとつの解』であるといけます。そして、この『解』は、その瞬間における『解』であって、時々刻々と変化しうるものです。」

うまく表現できないのだが、神経細胞ネットワークの電気的・科学的状態の変化が、意識の実態であり、その変化の中の一定のものが「意思決定」と認識される状態変化を作り出すのだということなんだと思うのだが、この発想には、何か蒙を啓かれたという気がします。

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紙の本中世の天皇観

2009/09/16 21:09

日本の中世から近世の政治体制を制約した「正統」概念

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書では、中世以前の「天皇」なる地位の基盤、つまりある個人を天皇として周囲の人(基本的には、朝廷及び武家政権の権力者達)が認める論拠となっているのは、「正統(しょうとう)」という概念だとする。まさに、天皇の正統(せいとう)性は、正統(しょうとう)によって基礎づけられる。
この「正統」とは、ごく最近に皇位を継いだ天皇の父系血統であるが、今上から上代にさかのぼる形で認識されるものだが、神武天皇から下る系図の「幹」という形で構想されるもので、本書の31ページ以下で視覚化されている。
 この「正統(しょうとう)」を周囲から認められることが、皇位承継の条件であったというのが、本書の主張であり、この点から、平将門の新皇称号や足利義満の皇位簒奪意思を否定している。
 この「正統(しょうとう)」概念、非常に興味深く、日本の13世紀から16世紀の歴史を見る時に、常に気になる「その当時の天皇の有り様」について、新しい視野を広げてくれる。

 ちなみに、この「正統(しょうとう)」概念は、徳川将軍家内の征夷大将軍位の継承においても、同様な感覚があったのではないだろうか。例えば、別書「幕末の将軍」の中で、第15代将軍・慶喜の、徳川将軍というか、吉宗以降の将軍位継承者との血統上の特異性が論じられている。一橋派の慶喜が、家格としては御三卿として形式的には将軍家に近い人物ではあるが、血統としては、水戸徳川家の流れであり、吉宗の血統は引いていない。一方、14代将軍・家茂は、家格としては御三卿よりは将軍家より遠い御三家の流れでありながら、大御所11代・家斉の孫という吉宗の血統の濃い人物であった。この点こそが南紀派の「正統」の論拠だった。
 とすると、この南紀派と一橋派の対立は、吉宗を「祖」とする「正統(しょうとう)」概念によって、(とりあえずの)決着をつけたということなのかもしれない。
 
本書で展開される「正統(しょうとう)」概念は、結構長く日本の政治を拘束したものなかもしれないという意味で、そこを一点突破で指摘・解説する本書は、とても興味深い一書だと思う。

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文官政治家による戦争指導とは

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

結果の相同性を指摘しただけで、そこに因果関係を措定するのは、基本的な誤り。
本書の随所に見られる「南北戦争が、その後アメリカが行った戦争の原型だった」という類の指摘については、個々の戦争を指導した政治家や軍人が、南北戦争の戦史を追認しつつ戦争指導を行ったという点についての実証がなされない限り(たとえば、米国の軍人向けの教科書の記載が南北戦争に偏っている等)、留保をつけるべき。
一方、評者にとっての、本書の「おもしろみ」は、まさに史実としてリンカーンが戦争指導をどのように行ったのかという記述そのものにある。文官が武官に戦争を指導するというのは、ワシントンが武官=軍人かという範疇分けにもよるとは思うが、このリンカーンによるものが、西欧文明圏では、はじめてのこと(少なくとも個別の細かい戦争指導の記録が確認できる)なのではないだろうか。その次に来るのが、ドイツのビスマルクということになるのだろうか。
よって、本書の試みは、通信手段を用いた近代的文民統制とは、当初どのようなものであったのかという点から、興味が尽きないところだ。

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good timing の良書

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 コンピュータとい機械の設計思想の系譜をAI系(人工知能系)とIA系(知能増強=人工器官系)とに分類することにより、今後のマン・マシン・インターフェイスの発展の見通しを開いていてくれる。その一方で、その論調は、巷に良くあるタイプのビジネス戦略を分析すると称するタイプや、「今後のビジネスの方向性はこうだ」と知ったかぶりするタイプでもない。デバイスの変化の方向について、抑制された丁寧な記述がなされており好感度が高い。
 iPadが発表され、その発売がいろいろな立場から「待ち遠しい」とされる2010年2月という絶好のタイミングで発刊された良書です。

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組織の通信簿

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書の冒頭における、実証的組織論研究の停滞についての整理は非常に重要であると思う。アメリカ流の経営戦略論の日本への導入が進み定着し、経営戦略論から技術経営論へと進んでいく一方で、地道な組織特性、組織の具体的様相を研究することがおろそかにされていく様がサーベイされている。この組織論というと、ゲーム理論、契約・情報の経済学を使った、新制度派経済学的研究ばかりが目に付いた。
しかし、藤本隆宏教授のアーキテクチャ論が生産現場の実態を分析する視点として定着しつつあるなか、組織論においても実証化の波が来そうな気配。
このような研究にキチンと資金が配分されると、この国の企業統治、組織統治の度合いを測る適切な「通信簿」への道が開かれるのではないかと思われるのです。

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ランケ、シュペングラーも逃げ出す『モンゴル・ウルス』の歴史

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まず、本書からの刺激的な引用を。「いまでは、中央ユーラシアに遊牧民の世界が展開したことは、誰でも知っている。ところが、それが世界史やヨーロッパ史の常識とむすびつかない。それはそれ、これはこれなのだ。ヘーゲル、マルクス、シュペングラー、ランケなどに、中央ユーラシアの『常識』や遊牧民のことを教えたら、かれらはいったいどうするだろう。きっと、おこっておいだそうとする人もいるにちがいない。しかし、あんがいよろこんで、もういちど人生をやりなおしたいという人もいそうな気がする。」
 この指摘は、決して大げさなものではない。その証左として、モンゴル・ウルスの歴史は、非常に分かりにくいという感触を持っている方も多いはずだ。なぜなら、モンゴル・ウルスを専門に扱っていない書(典型的には教科書)でのモンゴル史の記述なんてモノは、突然、史上にチンギス・カーンが現れ、ホラズム・西夏へ遠征すると、すぐにクビライの時代に飛び、南宋の接収となって、大元帝国の確立となる。そして唐突に朱元璋による明の建国になってしまうからだ。つまり、モンゴル・ウルスの歴史は、東アジアの王朝史上の征服王朝へと矮小化されてしまっており、ロシア・イラン地域のウルス、中央アジアのウルスの姿は等閑視され、ほとんど認識の外になってしまっている。これらのウルスが取り扱われるのは、精々ティムール朝やロシア帝国の前史としてだけだ。所詮、ユーラシア大陸の「東は東、西は西」なのである。ヨーロッパとの関係に至っては、言わずもがなである。
 要は、ユーラシア大陸のほぼ全体を緩く統合したモンゴル・ウルスという集団は、過去を振り返る出発点としての「継承国家」を有していない−それゆえ、各部分世界の王朝史へと還元することができない−が故に、既存の近代歴史学においては、この「モンゴル・ウルス」の全体像を把握しようという発想自体が希薄なのだろう。
 冒頭の引用からも察することができるように、本書からは、このようなモンゴル・ウルスの歴史記述の現状を打破し、十二世紀から約2世紀ほどの間に展開した、ユーラシアの全体像を描き出そうという著者・杉山氏の強い意気込みを感じることができるだろう。

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紙の本ファウンデーション

2002/06/17 09:14

本当に後悔してしまった。題名だけでは侮れない壮大なストーリー

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アシモフのこのシリーズをやっと手にとって、現在本当に後悔している。なぜ、もっと早くに読み出さなかったのかと…。

 『銀河帝国興亡史』 

 これまで、この題名に気押されて、アシモフのこのシリーズには手が伸びていなかった。というのも、このシリーズ名から、いわゆるスペース・オペラ的な作品?例えば『ローダン』シリーズ、あるいはビジョルトの『マイルズ』シリーズのようなもの?を想像していたから。
 だから、グレゴリイ・ベンフォード、グレッグ・ベア、ディヴィッド・ブリンといった、どちらかと言えば「堅めのSF」を発表している作家陣が本シリーズの続編を書き次いでいるのを訝しく思っていた。
 しかし、何事も食わず嫌いは良くないものだ。今回、本シリーズを手にとってみて、つくづくそう思っている。ドンパチ・バンバンということはないけれど、弱小な新興勢力と黄昏の巨大勢力との丁々発止のつばぜり合い。ページを追う目が止まらない、止まらない。いや?、面白いっす、本当。
 でも、このセルダン氏、キム・スタンリー・ロビンスの『永遠なる天空の調べ』に登場する「大統一理論をうち立てた物理学者ホリウェルキン」に似てます。というより、ホリウェルキンにセルダンの影響が見られると言うべきなのだろうか。

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