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  2. レビュー
  3. 三中信宏さんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

三中信宏さんのレビュー一覧

投稿者:三中信宏

129 件中 1 件~ 15 件を表示

この【ピンク本】を読まずにすますことはできない

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「まえがき」に書かれているように、本書は統計学の「理屈」をまじめに解説した本です。統計を「わかった気になっている」読者は本書の著者にずばっと折伏されるでしょう。一方で、統計学というものに「皮膚感覚的恐怖」を感じている多くの研究者は、本書の著者の「憑きもの落し」の冴えに目を見張るでしょう−。私自身、本書を読んで「ああ、そういうことだったのか」と深く納得できた点がいくつもありました。
 統計的推論の極意を伝える第1章、対比較を説明した第3章、そして回帰の陥穽を警告した第7章を私は特に楽しみました。本書は「理屈」の本であるにもかかわらず、その「数学」はきわめて初等的です。パラメトリック統計学の章で出現するいくつかの微分演算を除けば、数式の乱射を死因とする読者死亡率の期待値はずいぶん低いのではないでしょうか。ただし、「数式」が少ないかわりに、しつこいくらい「数値」は出てきます。とりわけ、ノンパラメトリック統計手法のボックス解説では「げ」と声が出るほど数値例が並びます。しかし、それは命に関わることではありません。むしろ、そういう「しつこさ」に慣れてしまえば、統計学の「理屈」が確実に理解できることが実感できます。統計学的な「ものの考え方」を理解する上で、本書は強力な助っ人になると私は感じました。
 レギュラー出演する「浦井君・村田君」をはじめ、なみいる学生・院生どもの超ゼツな質問の連発をビシビシはねかえすわれらが「飯山助手」は、はたしてこの統計消耗戦を生き残れたのか? まったく出演しないのに、イラストだけはしっかり描かれている「五十嵐教授」は、いったい誰なんだ? なぜ「助教授」はいないのか?−などなど本書の台本をめぐって想像はたくましくなります。
 137ページの回帰に関する数式展開は記法が不正確です。また、索引でのミススペルが散見されました。なお、本書の「イラストレーター女史」はすご腕! 各せりふの冒頭につくミニアイコンの表情が状況に応じて、平静顔・うるうる顔・脳死顔などと、ちゃんと変化しているじゃない! 精読したい人は各キャラクターが何通りの表情を見せるかを数えてみてください。

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謝辞
まえがき
第1章 検定って、なに?−統計的推論
     Mann-WhitneyのU検定とWilcoxonの検定
番外編 記述統計−Σに強くなる
第2章 正規分布
第3章 対応と独立
     Wilcoxonの符号化順位検定
第4章 頻度のデータ−%に直すな
     カイ2乗検定
第5章 分散分析のしくみ
第6章 最尤法
第7章 回帰の悪い夢
第8章 無作為化検定
第9章 多重比較と多重検定
付録 君にもできるごまかし
   統計の本
   索引

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頭骨,身体,知能指数を測ることで,人間を測りそこねてしまった歴史の教訓

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

先日惜しくも逝去した著者の残した数多くの著作の中でも,本書はひときわ異彩を放っている.その中心テーマは生物学的決定論だ.「生物学的に決定されている」という主張は,教育や環境によっていかに人間を向上させようとしても,しょせんは「限界」があるとみなす運命論・宿命論を育んだ.優生学や優生運動はその延長線上にある.本書を通じて著者は,社会の中に埋めこまれた活動としての科学が,人間に関していかに誤った決定論的主張を繰り返してきたかを科学史的にたどっている.

生物学的決定論の何が誤りなのか——著者は「実体化」(reification)と「序列化」(ranking)という二つのキーワードに沿って決定論の誤謬を暴こうとする(第1章).19世紀には,人体計測を通して,民族・人種・社会階層の間のちがいを定量化しようとする研究が大流行した,人体計測学とか頭蓋計測学とよばれる学問分野は,生物学的決定論に客観性を与える上で大きな貢献をした.著者は,これら人間の計測学の系譜を詳細にたどることで,そのような研究がいかなる文化的・社会的バイアスのもとで推進されていったのかを明らかにする(第2〜4章).

とりわけ頭蓋骨の計測は特別な意味があった.それは,人間の「知能」を客観的に計測できるかもしれないという希望を科学者に与えたからである.20世紀に入ると,その動機づけは知能の実体化を目指すという心理測定に置き換えられた.知能指数(IQ)をいかに測定するか,そして人種間の知能指数の差異がどれくらい遺伝的に決定されているかを解明することが当時の大きな研究目的となった.心理学者によって編み出された知能テストは,軍事・移民・優生・断種政策など多方面にわたって強大な影響力を及ぼした.しかし,その研究を進める中で置かれたさまざまな生物学的仮定が根本的にまちがっていることを著者は片端から指摘していく(第4〜5章).

統計学を駆使した定量化は,知能なるものの巧妙な実体化と序列化をもたらしたと著者はみなす.続く第6章は本書の中でもっとも技術的な内容を含む.古生物学者としての訓練を受けた著者は統計学とくに多変量解析の素養をもっているが,この章では多変量解析の1手法であり,心理測定学で広範に用いられてきた因子分析の批判的検討をしている.著者は,一般知能なる量が実在するという因子分析からの結論はまちがっていると言う.

生物学的決定論に向かって決然と「ノー」を突きつける著者は,その後の増補改訂版でも新たな遺伝決定論の出現に対してさらなる闘いを挑み続ける.近年の人間社会生物学や進化心理学に対しても著者は終始批判的だ.読者は過去の歴史をふりかえることで,人間を対象とする生物学的研究(とその社会的影響)の抱える問題の根深さを再認識するにちがいない.

本書は,古生物学や進化学に関する数多くの洒脱なエッセイで知られる著者のもつもうひとつのハードな側面を見せてくれる.

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【目次】
謝辞 9
第1章:序文 13
第2章:ダーウィン以前のアメリカにおける人種多起源論と頭蓋計測学
——白人より劣等で別種の黒人とインディアン 27
第3章:頭の測定——ポール・ブロカと頭蓋学の全盛時代 80
第4章:身体を測る——望ましくない類猿性の二つの事例 132
第5章:IQの遺伝決定論——アメリカの発明 175
第6章:バートの真の誤り——因子分析および知能の具象化 294
第7章:否定しがたい結論 403
エピローグ 420
原注 423
訳注 435
訳者あとがき 439
参考文献 [xii-xxii]
索引 [i-xi]
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ちょっとあぶない雰囲気がただよう読書と読者の姿を垣間見る

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「読書」と「読者」のあり方を,古今東西の幅広い資料を踏まえて描き出した重量級の本である.おびただしい数の写真や図版に映し出された「読書」と「読者」の生の姿を次々に見せつけられると,しだいに苦しくなってくる.覗いてはいけないことだったのではないか,という気持ちにさえなる.

 著者による徹底的な資料収集は,貴重な写真の数々を読者に提供してくれる.窓際で点字をなぞるヘレン・ケラーの写真(p.97)はまるで絵のようだ.レンブラントには,自らの母親をモデルにしたとされる「読書する老婦人」の絵がある.当時の大版の本を老眼を近づけながら一心に読み耽るその姿は,本書のどこかに貼り付けられていてもまったく違和感がなかっただろう.独り読書する読者の姿は傍目には近寄りがたい雰囲気を帯びる.

 本書の対象は,単に「読」そのものにとどまらない.「読書/読者」がもつ社会や文化との正または負の意味での関わりについても,多くの歴史的エピソードを挙げて示している.古くは秦の始皇帝による焚書坑儒の図(p.306)やラシュディの『悪魔の詩』(上・下)を燃やすイスラム原理主義者(p.247)は,もっとも攻撃的でしかも開放的な関係である.しかし,私にとって衝撃だったのは,本書最後の図——第2次世界大戦の空襲で焼け落ちたロンドンのある図書館の中を本を求めて瓦礫を踏み越えている「読者」の図(pp.330-331)——である.これは見てはいけなかった.本書には,そういう図版がいたるところに見つかり,読者はそのつどはっとさせられる.

 それにしても——時や場所を越えて読書にのめり込んできた無数の読者に関する本書に今またのめり込んで読書してしまう読者はいったい? 「最後のページ」からはじまり「見返しのページ」に終わる本書は,読書は生きることそのものだ——そして死んでからもなお縁が切れない「業」だ——ということを実感させてくれる.濃密な本は濃密な読後感を残した.

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【目次】
献辞 3
読書の意味——訳者はしがきに代えて 5

最後のページ 13

〈読書すること〉
1. 陰影を読む 41
2. 黙読する人々 55
3. 記憶の書 70
4. 文字を読む術 82
5. 失われた第一ページ 101
6. 絵を読む 112
7. 読み聞かせ 127
8. 書物の形態 144
9. 一人で本を読むこと 171
10. 読者の隠喩 186

〈読者の力〉
1. 起源 201
2. 宇宙を創る人々 210
3. 未来を読む 224
4. 象徴的な読者 236
5. 壁に囲まれた読者 249
6. 書物泥棒 262
7. 朗読者としての作者 271
8. 読者としての翻訳者 285
9. 禁じられた読書 303
10. 書物馬鹿 316

見返しのページ 333

訳者あとがき 349
原注 [15-38]
図版一覧 [13-14]
索引 [1-12]
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世紀末ウィーンに戻されたウィトゲンシュタイン

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 意外や意外.推理小説のようにおもしろい.確かに,主役は分析哲学の祖ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインであり,彼は主著『論理哲学論考』をつねに携えている.舞台設定はハプスブルク朝の世紀末ウィーンである.タイトルを見ただけだと,何か小難しい「テツガク」の話が500ページにわたって書かれているのではと勘繰ってしまうかもしれない.

 しかし,著者(トゥールミンとジャニク)の書いた脚本はそうではない.むしろ,後にイギリスにわたり,英語圏で「馴化される」(p.30)前のウィトゲンシュタイン思想をそのルーツであるウィーンに連れ戻し,そして彼がどのようにして自らの思想を育んできたのかを再考するためにもともとの「問題設定」(p.50)を見直そうというのが本書の目標である.

 多くの読者が先入観としてもっているであろうウィトゲンシュタインの「姿」は,本書ではがらがらと崩れていく.『論理哲学論考』は論理学ではなく,むしろ倫理学の論文と当時のウィーンの知的社会では理解されていたそうだ.そして,その頃のウィトゲンシュタインに深い影響を与えたカール・クラウス(p.151),後のウィトゲンシュタイン解釈に大きな影響を残したウィーン学団(p.239)など当時の思想家たちの動きが本書を通して次第にみえてくる.

 20世紀初頭のウィーンの社会的・文化的背景を詳細にたどりながら,ウィトゲンシュタイン思想の再解釈を迫る本書は,たとえ彼の哲学を知らなかったとしても,一種の推理小説のように読むことができる.後年ケンブリッジで築き上げられた哲学的「偶像」は,「故国」に帰ったとたんにどこかに消えてしまったのだから.足元がぐらぐらする気がしてきた.

 初版翻訳から20年あまり過ぎての復刻を大いに歓迎したい.まずは手に取ろう.

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【目次】
まえがき 5
凡例 11
第1章 序論——問題と方法 19
第2章 ハプスブルク朝ウィーン——逆説の都 51
第3章 言語と社会——カール・クラウスとウィーン最後の日々 107
第4章 文化と批判——社会批評と芸術表現の限界 149
第5章 言語,倫理および表現 199
第6章 『論考』再考——倫理の証文 275
第7章 人間ウィトゲンシュタインと第二の思想 331
第8章 専門家気質と文化——現代の自殺 391
第9章 補遺——孤立の言語 429
訳者あとがき 450
平凡社ライブラリー版・訳者あとがき 456
原注 [462-479]
参考文献 [480-494]
索引 [495-510]
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紙の本忘れられた日本人

2001/12/10 06:44

「仄暗い実話」の数々

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書のすべては実話なのだが,まさに民話のようだ.聞き取りをした著者の表現が魅力的なことももちろんだが,話し手の話力がとりわけ印象的.同時代にタイムスリップできたとしたら,さしずめ「現代民話」集とでも呼べるものなのかもしれない.「土佐源氏」や「土佐寺川夜話」が漂わせる仄暗さは,最近経験したことのないタイプのものだ.
 宮本常一は,「私の祖父」や「世間師」では舞台上で自らを語っているが,それを除けば,背景で歩き回りながら黒衣に徹している.
 今の社会に残されている「現代民話」も,あと数十年もすれば,こういう色合いが着いてくるのか,それとも消えていくだけか.

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【目次】
凡例 5
対馬にて 11
村の寄り合い 36
名倉談義 59
子供をさがす 100
女の世間 105
土佐源氏 131
土佐寺川夜話 159
梶田富五郎翁 171
私の祖父 193
世間師(一) 214
世間師(二) 238
文字をもつ伝承者(一) 260
文字をもつ伝承者(二) 282
あとがき 304
注(田村善次郎) 311
解説(網野善彦) 321

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進化学者ダーウィンの生涯をビジュアルにふりかえる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書で初めて目にした図が私には少なくない.一読して感じることは,多くの図版−生物図版,肖像画,資料写真など−を本書全体にわたって効果的に散りばめることにより,進化学者チャールズ・ダーウィンの生涯を現代の読者の前にリアルに説明しようとする姿勢である.ビジュアル性を重視するこの「知の再発見」双書の1冊としてふさわしい仕上がりになっている.
 ダーウィンの生涯を,その生誕から始まって,ビーグル号航海,ダーウィン進化理論の育み,『種の起源』の出版と反響,進化的人間論に分けて,年代を追って記述している.
 フランスはもともと反ダーウィニズムの精神的風土が現在でも色濃い.その中ではパトリック・トールはまだ中立的な方だろう.資料編の「根深い誤解」を読むと,フランス進化学特有のバイアスの存在が感じとれる.しかし,著者の言う「ダーウィン人類学」(第5章)には,すなおには納得できない.著者は,人間が持つ「道徳」があたかも進化を超越した位置にあるとの考えをもっているようだが,この点は疑問だ.
 図の説明および本文の訳語には再検討すべきものがある(p.85の「理想主義的な形態学」など).「進化学」を意味すると思われる箇所に「系統学」という訳語が当てられている文章がいくつかある.ほかに校正上のミスも散見される.しかし,ほとんどすべてのページに適切な図表を配置して,読者を飽きさせない工夫がされている本書は,ますます重厚長大になるダーウィン伝が多い現在,コンパクトによくまとめたものと思う.ダーウィンへの手引きとして勧められる.

【目次】
日本語監修者序文 1
第1章 生い立ち 17
第2章 ビーグル号に乗って 31
第3章 選択説の成熟 65
第4章 騒然たる勝利 79
第5章 自然と文明 97
資料編:進化論を読み解く 118
1.進化の論証 133
2.くい違う考え 141
3.根深い誤解 149
ダーウィンの息子たち 149
ビーグル号の航海とダーウィン(略年譜) 150
INDEX 152
出典(図版) 155
参考文献 158

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紙の本歴史・レトリック・立証

2001/10/26 06:18

歴史はいまなお経験的テストの対象であり続ける

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 地味目のタイトルではあるが,歴史学のもっとも根本的な問題である資料にもとづく経験的検証の可能性を論じた論集である.歴史がレトリックとしての叙述であり経験的な立証とは相容れないという最近流行の懐疑論に対抗して,著者は,「真理の探求こそは歴史家たちもふくめておよそ探求をおこなおうとするすべての者にとって依然としてもっとも基本的な任務である」(p.71)という基本的な姿勢のもとに,上の懐疑主義に対する反論を本書で行なっている.
 彼の反論の骨子は,「歴史がレトリックにすぎないのだ」という懐疑主義派の主張を「両者の関係は薄弱である」というカウンター主張で反論することではない.むしろ逆に,両者の密接な関係を認めた上で,レトリックという概念そのものがアリストテレスの『弁論術』以来連綿として経験的立証をその根幹に含んできたという指摘をすることで,歴史がいまなお経験的立証の対象なのだと主張する戦術を採用する(p.73).この戦術はなかなかいいと私は思う.
 アリストテレスによるレトリックの分類の中でも,彼の『弁論術』で詳述されている「エンテュメーマ」(説得のための推論)に著者は着目する.なぜならそこには,「“最善の説明に向けての推理”(より古い言い方では,結果から原因へとさかのぼっていく推理)のような不可欠の推論様式」がふくまれている(p.67)からである.
 歴史がレトリックであること,そのレトリックが本来エンテュメーマ(遡行推理)としての推論様式を保持してきたこと,の二点から,歴史は推論あるいは立証の対象であり続ける.では,レトリックが立証とは無縁であるという誤った見解はなぜ生じたのか? 第2章でこのテーマに取り組んだ著者は,後世の弁論術やレトリックに絶大な影響を残したキケロがその責めを負うべきだと考えている(p.91).
 レトリックが立証とは矛盾するという懐疑主義の見解はもはや鵜呑みにはできない.歴史家は立証という行為をふたたびまじめに考えるべきだという著者は,歴史を推論するためのデータのもつ役割について,こんなユニークな表現をしている:「資料は実証主義者たちが信じているように開かれた窓でもなければ,懐疑論者たちが主張するような視界をさまたげる壁でもない.いってみれば,それらは歪んだガラスにたとえることができるのだ」(p.48).歪んだガラスであるデータから歴史を推論するためには,「ひとは証拠を逆撫でしながら,それをつくりだした者たちの意図にさからって,読むすべを学ばなければならない」(p.46).こうして,かつての実証主義でもなく,相対主義・構築主義でもない第3の道が拓かれると著者は結論する.
 歴史の推論基盤を論じた本としては最近まれに見るクリアな本だと私は感じた.
【目次】
序論 歴史・レトリック・立証 1
第1章 アリストテレスと歴史,もう一度 49
第2章 ロレンツォ・ヴァッラと「コンスタンティヌスの寄進」 74
第3章 他者の声:近世初期イエズス会士たちの歴史叙述における対話的要素 99
第4章 空白を解読する 127
原注 153
訳者解説:ギンズブルグにおける「表象と真実」問題のその後 197

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科学史的立論が実験科学的に検証可能であることを示した本

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 真空の存在を「実証」したトリチェリの有名な実験をパスカルが「追試」したという【科学史的常識】をもう一度ふりかえり、パスカルの真空実験の再試・パスカルの生誕地での情報収集・目撃証言の再検討・当時の実験器具製作技術のレベルなどの考察を通して、「パスカルは実際には実験していない」ことを証明するという内容です。
 現実実験ではなく思考実験であることがいったん判明したならば、次には「なぜそういう【常識】が後世に伝わったのか」という疑問が問題になります。著者はその原因を「パスカル自身のうそ」ではけっしてなく、むしろ後世の科学史家たち(アレクサンドル・コイレを貴重な例外として)が作り上げたパスカルの虚像に求めます。
 17世紀のひとりの科学者の行為の真相と深層にここまで没入できる科学史家がいることにとにもかくにも脱帽しつつ、追試のためだけにフランス南部の山のてっぺんにゴム風船を抱えて登った著者の姿に想像がかき立てられました。
 実験科学ならではの事後検証が科学史的常識の再検討にとって大きな威力を発揮するケースだと思いました。新鮮な内容の本です。
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【目次】
はじめに i
第1部 「実験科学者パスカル」の成立
 第1章 風船の実験よ、お前もか! 2
 第2章 定説が描き出す「実験科学者パスカル」の像 20
 第3章 新貴族パスカル家の希望の星、天才ブレーズ 30
第2部 「トリチェリの実験」の伝わりかた
 第4章 パスカルが「イタリアの実験」を再現するまで 52
 第5章 イタリアとフランスの事情 64
 第6章 ルアンでの再現実験 74
第3部 ルアンでの大公開実験
 第7章 ガラス工場での大公開実験 92
 第8章 証言の信憑性 109
 第9章 ルアンの町の証人たち 119
第4部 『真空に関する新実験』にはしかけがいっぱい
 第10章 サイフォンという実験用具 138
 第11章 綱を使う実験 160
 第12章 《空気の柱》を知ったとき 187
 第13章 隠されたメッセージ 201
おわりに−法曹家、幾何学者パスカル 213
関連年表 220
あとがき 228
文献 232
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植物の繁殖生物学研究の古典

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

【編集委員コメント】
 本書は,既刊である『現代によみがえるダーウィン』および『人間の進化と性淘汰』(I巻とII巻)と同じく,文一総合出版のもとで私たちが1999年以降進めているダーウィン著作集プロジェクトの一冊です。
 今回訳出された『植物の受精』は,チャールズ・ダーウィンが膨大な植物実験を手がけることによって,植物の受精の様式とその遺伝的・進化的基盤を明らかにした労作です.今回の訳出を契機としてその重要性が認識されることを期待しています. 本書は『種の起源』や『人間の起源と性淘汰』に比べ、知名度が低いのですが、実は、きわめて重要な内容を扱った著作であり、人間社会の歴史にも深く広い影響を及ぼしました。巻末の「解説」では、本書の意義を、以下の5点に要約しました。
(1)本書においてダーウィンは、近親交配が子孫にもたらす悪影響(近交弱勢)の一般性を立証した。この研究は、近親交配の遺伝学的研究の出発点となった。
(2)同時に、20世紀において人類がおかした大きなあやまちの一つである「優生学」の重要な礎石となった。
(3)本書においてダーウィンは、植物における自家不和合性の一般性を立証し、さらに植物に見られる繁殖システムの多様性(異型花柱性、閉鎖花、さまざまな性表現など)を進化学的観点から体系的に説明することによって、植物繁殖生態学の基礎を築いた。
(4)本書においてダーウィンはまた、虫媒花植物における昆虫と植物の相互適応に対する進化学的説明を試み、近代的な送粉生物学の先駆けとなった。
(5)さらに、本書がきっかけとなり、分散分析に基礎を置く近代統計学が発展
した。
 このように、本書は古典としてきわめて重要な著作ですが、同時に最近の植物繁殖生態学の研究を通じて再評価され、現代的価値を持つ著作として注目を集めています。被引用度も急増しており、植物繁殖生態学なら必読・必提の著作です。ぜひ御一読ください。ダーウィンのアイデアの鋭さとあくなき探究心に、きっと強い感銘を受けられることと思います。

詳細目次
・第1章 はじめに
・第2章 ヒルガオ科
・第3章 ゴマノハグサ科・イワタバコ科・シソ科など
・第4章 アブラナ科・ケシ科・モクセイソウ科など
・第5章 フウロソウ科・マメ科・アカバナ科など
・第6章 ナス科・サクラソウ科・タデ科
・第7章 交配・自家受精植物の草丈と重さに関する要約
・第8章 体質的な成長力やその他の点での交配植物と自家受精植物の違い
・第9章 種子生産に対する他家受精植物と自家受精植物の効果
・第10章 受精の方法
・第11章 花の受精に関連した昆虫の習慣
・第12章 一般的な結論

○解説(矢原徹一)
『植物の受精』−五つの分野を育んだ著作の先見性と限界
はじめに
1. ダーウィンによる受粉・受精の研究−37年間の歩み
2. ダーウィンの遺伝学
  ダーウィンとメンデル
  獲得形質はなぜ遺伝しないか
  ダーウィンはなぜ間違ったか
  動物と植物の違い
3. ダーウィンの「ヒーロー」と近交弱勢のメカニズム
4. 優生学−人類の遺伝的改良の試み
5. 花と昆虫に魅せられたダーウィン−送粉生物学の礎

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人類史への歴史科学的アプローチの成果

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

[上巻から続く]
 後半の第3部(上巻〜下巻)は、究極要因(地理)と至近要因(銃・病原菌・鉄)とを結ぶ因果連鎖に踏み込んでいきます。第11章は、病原菌とそれに対する免疫についての議論です。家畜を飼い始めた地域では家畜経由の病原菌の感染の可能性が増大します。「自然淘汰の産物」(上巻: 292)である病原菌は、宿主である人間側の抵抗性(免疫)を増大させつつ、自らも広がっていきました。地域によって、病原菌に対する免疫にちがいがあるとき、地域間で接触が起きると免疫力のない地域の人間は劣勢にまわらざるをえません。著者は人類史の中では病原菌による地域間対立の決着の事例が多いと指摘します。
 第12章は、食料生産がいかにして「文字」の発明に結びついたのかを論じます。文字の発生は少数だが、伝播によって各地でさまざまな「文字」が作られた事例を挙げていきます。続く第13章は、「技術」の発生と伝播についての章です。開発された技術はいったん受容されたならば「自己触媒作用」−発明は必要の母−により増幅され、地域間の差異を押し広げます。ユーラシア大陸が他の地域よりも技術面で優位に立てたのは、「知的に恵まれていたからではなく、地理的に恵まれていたからである」(下巻: 83)と著者は持論を反復します。最後の第4部では、ここまでで考察された至近要因・究極要因が、実際にどれくらい適用できるかを検討します。
 私が本書を読んでいてもっとも感銘を受けたのは、比較的短い「エピローグ:科学としての人類史」でした。ここでは、本書全体を要約するだけでなく、今後解かれるべき問題と並んで、人類史の進化生物学的な再構築に向けての行動指針が示されています。なぜ「差異」が生じたのかというそもそもの疑問に対する、著者の解答は「大陸ごとに環境が異なっていたから」(下巻: 297)であり、地理的な「初期条件」のちがいが「差異」を生んだのだと著者は本書全体を要約します。
 残された問題は、人類史の全体的パターンを見るときに、「文化の特異性」とか「個々の人間の影響」という環境とは無関係な要因−著者はこれらは歴史の予測不能性をもたらす【ワイルドカード】とみなしています−がどのくらい大きな効果をもつのかです。ちます(下巻: 316-317)。私が思うに、著者は「地理的要因」が人類史の総体的パターンを生みだした【共通要因】であるのに対し、個々の文化や個人の効果は【個別要因】であるとみなしているようです。
 「歴史とはこまごまとした事実の集積にすぎないという考え方」(下巻: 321)に抗して、著者は「歴史から一般則を導き出す」(下巻: 321)ことの可能性を論じます。歴史科学の中での因果関係の推論は、確かに「困難」(下巻: 325)ではあるのだが、それは他の歴史科学における困難さと大きく異なるものではないと著者は言います。その困難さの理由は、歴史科学の対象が「個々[のシステム]がユニーク(唯一無二)であるため、普遍的な法則を導くことができない」(下巻: 326)からです。著者は、歴史科学がもつこのような特徴を踏まえた人類史の研究を以下に進めるべきかについて「研究手法として有効なのは、データを比較検討する方法であり、大自然の実験から学ぶ方法である」(下巻: 326)とまとめます。
 過去の歴史事象に関する因果学(「古因学」palaetiology)を人類史の研究に全面的に導入した点で、本書は画期的であると私は考えます。
 訳文も質が高く、分量が膨大であったにもかかわらず、ごく短期間で通読できました。ただし、原著にはある図版(32葉)と参考文献(約30ページ)が訳書ではすべて省かれており、この点で資料的価値を下げています。また、私が見るところ、索引が原著に比べて簡略化されているようです。しかし、全体としてみたとき、今回の翻訳は高く評価されます。

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紙の本ウェブログの心理学

2005/03/17 18:02

「書き続ける」ことに意義がある

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前評判が高い本だったこともあり,200ページあまりをするすると一気に読了した.本書は全体を通じて「社会心理学」の観点に立って,ウェブサイトやウェブログにまつわるさまざまな現象を分析していこうとする.類書にはないこの切り口が本書の大きな魅力だ.

第1章では,個人がどのような動機づけでホームページをもとうとするのかについて論じる.著者は,情報呈示・自己表現・コミュニケーション動機という三つの属性をそこに見いだす.国際的な比較をしたとき,日本のウェブサイトの多くが「情報よりは自己重視が多い」(p. 18)という特性が際立って強いことが指摘される.ウェブ日記をもつサイトの割合が日本では24%もあるのに対し,アメリカや中国ではそれぞれ8%,4%という低率であることに驚かされる.日本のウェブサイト所有者の多くは「自分を語る」ことに重きを置いているということなのだろう.

第3章と第4章は本書の核心部分である.第3章では,「なぜウェブログを書くのか」という問いに対して,ウェブ日記の心理学的な分析を通して答えようとする.著者はウェブ日記のもつ属性の正準判別分析を通して,「自己表出(自己効用)」の軸と「他者関係(他者効用)」の軸を発見した(pp. 85-86).そして,この二つの正準軸の張る空間の中で,ウェブ日記の4類型カテゴリー(p. 83)−−“事実”を述べる「備忘録」と「日誌」そして“心情”を語る「(狭義の)日記」と「公開日記」−−がうまく分かれることを示す.さらにこの章では,重回帰分析を用いて,ウェブログを書き続ける心理学的要因に関するモデルのテストを行なっている(pp. 88-92).この部分については,続く第4章において,共分散構造分析を用いた因果モデルの構築とテストという方向に発展させられる.

この章で特筆すべきことは,「日記」のもともともっていた「自己表現のためのメディア」である特性が,ウェブログという新しい環境のもとで,あらためて開花しつつあるのではないかという指摘だ.日記は明治中期に成立した読書文化としての「黙読」習慣の成立を前提とするという記述(p. 95)は確かに納得できる.ウェブ日記からウェブログへの変遷は「日記」が個人の中でもつ重みを増す方向に働きかけたということなのだろう.“心情”を語る日記についてのこのような分析は,他方で“事実”を述べる日記についても可能なのだろうか.そのような疑問は次の第4章の主題である.

第4章では,個人がウェブログを「書き続ける」(単に「書き始める」だけではなく)心理的動機を,第3章が分析した〈人間的側面〉に加えて,〈情報的側面〉にも注目して,共分散構造分析に基づく心理的潜在要因の因果モデルを構築し,それをテストしている(pp. 113-120).その結果,たいへんおもしろいことがわかった.“事実”に関する情報開示を主眼とする〈データベース型ウェブログ〉と個人的な“心情”を語る〈日記型ウェブログ〉とでは,「書き続ける」心理的動機づけが異なっていると著者は結論する.すなわち,両者のタイプは「欲求→効用→満足」という基本的な心理プロセスに関しては差がないが,〈日記型ウェブログ〉は,情報の提供や獲得が動機づけにつながっていないのに対し,〈データベース型ウェブログ〉では自己表現の満足度が動機づけに結びつかないという大きなちがいが見られる(pp. 117-118の図4-3と4-4).

最後の終章では,ウェブログのこれからを述べる.ウェブログのタイプ別を問わず「重要なポイントは,それらが継続して蓄積されていくこと」(p. 159),要するに「ただ書き続けること」(p. 136)という本書の中心的メッセージは確かに受け取りましたよ.ウェブログをやっているそこのアナタもぜひ本書を読みましょうね.付録の資料はたいへん参考になる.

三中信宏

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「自然魔術」という触媒の役割

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第2巻は〈魔術〉が中心テーマとなる.「魔術」と聞いて後ずさり
する読者はきっと少なくないだろう。しかし,この巻こそ,全体の
中でもっとも刺激的かつおもしろいと私は感じる.いわゆる〈暗黒
の中世〉からルネサンスを経て,近代の科学に連なる系譜を考える
とき,さまざまなタイプの〈魔術〉とよばれる「技芸」があったわ
けで,著者はその中でも遠隔作用としての「磁力」は〈魔術〉その
ものであったことを指摘する.しかも,〈魔術〉の発展とともに進
んできた「実験的手法」と「経験的思考」は,その後の近代科学が
育つ揺籃であったことを著者は示す.

第10章では,この〈魔術〉に光を当てる.ルネサンスにおける
〈魔術〉の復権は,人間が自然を支配できるとみなすルネサンスの
人間中心主義の精神のもうひとつの発露であると著者は言う(p.34
3).もちろん,もともとの〈魔術〉は超自然的な霊(ダイモン)
によるとみなされる行為だが,クザーヌス以降,そのような〈ダイ
モン魔術〉とは別個の〈自然魔術〉が登場してくる(p.348).著
者はこの〈自然魔術〉がその後の科学に与えた影響を「力」概念の
史的検討を通して調べる.遠隔力という〈隠れた力(virtus
occulta)〉をあやつるという点では同一であっても,宗教的な
〈ダイモン魔術〉と定量的な〈自然魔術〉とは異なっている(p.37
0)という著者の主張は,その後の章でも繰り返し述べられる.

第15章では,ルネサンス後期の自然魔術を論じる.〈隠れた力〉
も最終的には自然的原因に帰着されるのであって,ダイモンのよう
な超自然的原因をもちだすのはまちがっているという見解(p.51
7)は,「自然主義的で技術的な魔術観」(p.524)をもたらす.現
代の多くの読者にとっては,「魔術」と「科学」の並列は違和感が
ぬぐえないが,本書でいう〈自然魔術〉はほとんど【実験科学】と
同義であるといってよいことに読者は気付かされる.

欲を言えば,ここでも中世の形而上学(存在論)との関わりに言及
があってほしかった.なぜ「本質」を求める実念論的姿勢が中世の
スコラ学に広まっていたのか.対立する唯名論の立場はどうだった
のかとか.アリストテレス的な演繹主義が本質主義をベースにして
いたことは事実だろうし.いずれにせよ,演繹的なスコラ学と超自
然的な〈ダイモン魔術〉を両極端としたとき,非演繹的でしかも実
験に基づく〈自然魔術〉がその内分点に位置するという著者の主張
は説得的だ.

第16章は,デッラ・ポルタのベストセラー『自然魔術』(1558)
をとり上げる.タイトルとは裏腹に,ほとんど「博物誌」に近い内
容をもつとされる本書は,「思弁的な文献魔術から実証性を重んじ
る実験魔術への転換」(p.571)を遂げたという点で画期的な書物
でありとくに,デッラ・ポルタの磁石研究は後世の歴史家がことごとく
見逃してきたが,その内容は続く時代の先鞭をつけたものにほか
ならないと著者は言う.


この章の終わりの部分で,著者は〈魔術〉と〈科学〉のちがいをま
とめている(pp.599ff.).〈魔術〉の秘匿性に対する〈科学〉の
公開性という対比は,実はそれほど正確ではなく,むしろ初期段階
では〈魔術〉も〈科学〉もともに公開性と秘匿性を併せもっていた
と考えるべきだろうと著者は言う(p.601).科学の裾野が広がる
につれて,出版や教育を通じて秘匿性がしだいに消失し,世俗的に
なっていったというのが著者の意見である.

(第3巻に続く)

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「魔力」としての力の観念史

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物理学における「力」概念の歴史的発展をたどった本.とくに「遠
隔力」をめぐるさまざまな言説を通じて,【魔術】(誤解されやす
い言葉だが)が近代科学の成立に果たした役割を再評価する.序文
に書かれてあるように,「力」のような「特定の問題の解決や個別
的な概念の形成」(p.1)についての科学史的研究がこれまで乏し
かったという認識のもとに,グローバルではなくローカルな視点で
物理学の歴史を追究する.

とりわけ著者が注目するのは〈中世〉である.ギリシャ時代の再発
見を契機としてルネサンス以降の近代科学が生まれ出てくるのだが,
その間に挟まれた〈中世〉の果たした役割は無視され,「千年余は
完全に空白になって」(p.13)いた.科学と魔術が入り交じってい
たこの〈中世〉をもういちど読み直すのが,本書のもっとも意欲的
な目標である.

前半の章では,本書全体を貫くふたつの対立する自然観について論議
が進む??「物活論」vs「還元論」の対立は,言い換えるならば,
有機体的全体論に基づく遠隔作用論vs機械論的還元論に基づく
近接作用論の対立だと著者は言う(pp.59,91).しかし,中世が
はじまるとともに,近接作用論は千年の忘却を体験する.

第3章はローマ帝国時代.磁石の遠隔作用はプリニウスの博物学書
(p.117)などを通じて広く知られるようになったものの,その解
明はむしろ後退した.それに代わって「自然の共感/反感」(p.11
8)というような解釈が登場することになる.実験や観察ではなく,
文献からの孫引きのもたらした弊害は甚大だった.

第4章は中世キリスト教のもとでの自然研究のありさま.しかし,
そのような閉塞状況にあっても中世の「力」に対する関心は方々で
発現する.11〜12世紀にかけて再発見されたギリシャ時代の文化的
蓄積がイスラム圏を通じて大量にラテン語に翻訳移入されることに
より(p.178),キリスト教に対抗する経験的知識の威力が徐々に
ではあるが認識されるようになる.

関心が湧く点は,この〈中世〉にあって経験的知識あるいは経験主
義的立場がどのように維持されてきたのかということ.著者は,第
6章で,中世スコラ哲学を代表するトマス・アクィナスに注目する
(第6章).彼は異教徒と闘うには,宗教ではなくむしろ哲学(科
学的真理:scientia)を武器とすべきだと考えた(p.210).この
ラインに沿って,トマスは「異教徒」アリストテレスとキリスト教
とを融合することで〈スコラ哲学〉を成立させた(p.211).真理
と信仰とは矛盾しないというトマスの立場は,キリスト教世界の枠
内で「自然学」を可能にしたと著者は考える(p.213).

おそらくこの文脈では,中世の存在論(形而上学)についてもっと
掘り下げるべきだったのだろうと思う.しかし,著者は「本質主
義」についてちらっと言及するだけで(p.230),それ以上は議論
していない.全体を通じて言えるのは,形而上学に関わる論議には
できるだけ触れないようにしつつ,「力」の概念の成立を論じてい
ることだ.第3巻の結末で明らかになることだが,最終的には形而
上学を棚上げにしたところに近代物理学が成立したという著者の見
解のもとでは,形而上学が脇役にまわされるのはしかたがないこと
なのだろう.

続く第7章では,13世紀のロジャー・ベーコンの「経験学」
(scientia experimentalis)が取り上げられる.現実の自然界に
比べたときのスコラ哲学の貧しさを痛感したベーコンは,演繹科
だけではなく帰納科学の重要性を強調する(p.242).磁石の遠隔
作用についても,ベーコンは近接作用の立場から合理的な説明を試
みた(p.266).ベーコンと同時代のペレグリヌスによる『磁気書
簡』は,磁石の極性などの性質を指摘した最初の著作である(第8
章).彼はまさに「経験の巨匠」(p.287)だった.

(第2巻へ続く)

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これぞまさしく〈蜻蛉日記〉だ!

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どんな形態であれ「日記」を読むのは,ちょっと後ろめたくて,だからこそ愉しい.今西錦司の「カゲロウ日記」——厳密には「日記」というよりも「ノートブック」に近い気がする.1935年の春先から初夏の4ヶ月に書かれたこの「日記」は,今西が当時カゲロウ研究のフィールドとしていた京都の賀茂川(本書では「加茂川」)水系での「採集日誌」である.

「日記」ならではの個人的な思いが随所に溢れる.単に論文書きや分類専門家ではない自然探求者(Naturforscher: 68)としての「渓流生活者」(p.5)と自らを描く今西は,ひたすらカゲロウを追い求める.カゲロウの学名が頻出する本文ではあるが,カゲロウ学の専門家による詳細な傍注によって,読者の理解は大きく助けられている.この「日記」を何とか世に送り出そうとした関係者の努力が,本書の資料的価値をもたらしたのだと私は思う.

「棲みわけ理論」——今西の名とともに知られるこの学説の萌芽は本書に見られる.カゲロウの「life zone」(p.18)の概念がそれである.流域の特性によってカゲロウが「棲みわける」という発想がこの「日記」の中で育まれていったのかと思うとたいへん興味深い.幼虫の移動に関する観察,亜成虫の不思議な潜水行動の発見,成虫の大量死の目撃などなどカゲロウの生活史のすべてを知ろうとする今西の情熱が文面から伝わってくる.植物生態学の概念(たとえば遷移)の動物生態への適用, biosystematics にも通じるような分類群の概念化のあり方など,当時の(今西の)生態学理論の成立事情を垣間見る気がする.

6月の日記は「洪水記」と記されている.賀茂川の歴史に残る大氾濫に遭遇した今西は,その被害の甚大さを眺めながら,「自然は一寸微動した」(p.137)だけなのだとつぶやく.もちろん,その天災は自分にもふりかかってくる.「人間丈でなく,川の虫も自然の微動で姿を消した.われわれの仕事もこれで一旦は中絶である」(p.138)——「日記」の最後を締めくくるこの言葉は,まさに〈蜻蛉日記〉の象徴ではないか.

今西のカゲロウ研究に啓発された研究者はほかにもきっとたくさんあるだろう.そういう周辺の事情を丹念に掘り起こしていくことで,今西はしだいに「神格化」とは正反対の「対象化」がなされていくのだと私は思う.

ぜひ多くの読者が本書を手に取られることを.

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【目次】
刊行の辞(石田英實) i
刊行に寄せて:今西ノートの背景(吉良竜夫) v
凡例 x

採集日記:加茂川1935
 第一冊 March 3
  三月の summary 41
 第二冊 April 49
 第三冊 May 91
  上高地方面採集記 123
 第四冊 June〔洪水記〕 127

解説1 日本の水生昆虫学と今西カゲロウ学(谷田一三) 139
解説2 ノート発見の経緯、執筆時の今西さんのことなど(斎藤清明)149

関連カゲロウリスト 155
関連水系図 161
索引 162
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ゲルマン言語学からみた日本の蘭学と蘭学者

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フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトといえば「日蘭修好400周年」のシンボルのような存在である.その年,西暦2000年に,オランダでは(日本と比較してもっと)大々的な日蘭記念イベントがいくつも行われた.医学者・博物学者シーボルトに関わる企画や出版物も少なくなかった.

本書は,そのタイトルを一見すると「また日蘭修好本か」と思ってしまいがちだ.しかし,読んでみると,意外にも,ゲルマン言語学者である著者ならではの独特な視点から,江戸時代末期に来日し後に国外追放されたシーボルトと彼を受け入れた日本の蘭学者とくに本書の主人公である宇田川榕菴を描いている.

何が本書のユニークな視点か? それは著者が,シーボルトの出身地である南ドイツならびに後に移り住んだオランダの言語学的背景を踏まえながら,日本における蘭学の発展のありさまを論じている点にある.シーボルトは日本滞在中に,医学を教授し,江戸参府の道すがら,博物学的・民俗学的に貴重な多くの資料を採集した.そして,育ちつつあった日本の蘭学者たちに大きな影響を残した.しかし,シーボルト自身は,最後まで故国ドイツ訛りのオランダ語が抜け切れなかったことを著者は明らかにする(第1,2章).

もう一方の主人公である宇田川榕菴は,一言で言えば鬼才である.幼い頃から学問の才があった榕菴は,語学的才能にも恵まれ,オランダ語のみならず,周辺のゲルマン諸語にも関心を向けていた.鎖国下で外遊など望むべくもなかった榕菴にとって,「オランダへの仮想旅行」(p.205)だけで,これほどの業績を残したことを著者は大きく評価する(第5,6章).

もちろん,伝統的な本草学とは異なる近代植物学を日本に導入しようとした榕菴の苦闘ぶりも描かれている(第3,4章).著者は,榕菴の未刊手稿をも参照しながら,彼の主著『植学啓原』の内容に踏み込んでいく.漢学の素養を踏まえて彼が造語した植物学や化学の訳語の数々は,いまだに使われている(葯,柱頭,圧力,金属などなど).蘭学の知的遺産は過去のものではけっしてない.

新鮮な驚きと満足を与えてくれる新書である.日本の幕末期以降の科学のあり方を考える上でさまざまな情報が得られるだろう.

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【目次】
まえがき 7
第1章:「山オランダ人」来日 9
第2章:「博覧多通」対「卓越した教養人」 35
第3章:西洋最新の植物学書 91
第4章:幻の学名 115
第5章:至れり尽くせりの蘭学ハンドブック 139
第6章:言語学者,宇田川榕菴 155
あとがき 208
注 211
参考文献 216

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