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先月(2017年8月)

編書房 國岡克知子さんのレビュー一覧

投稿者:編書房 國岡克知子

2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本それってどうなの主義

2007/03/16 09:41

表より裏、正論より邪論、同調よりも反転を!

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

斎藤美奈子さんの本のタイトルはいつも考えつくされているが、今回の「それってどうなの主義」も面白い。本が売れるには「タイトル」の勝利が絶対必要だ。中身の薄い本であってもタイトルで飛びつくことはある。例に出して悪いけど『サラリーマンは2度破産する』(朝日新書)などは典型的。タイトルにひかれて「面白そうだな」と思って読んでも中身はたいしたことない。けれども、タイトルがいいから実力以上に売れるのだ。その意味で本書を“タイトルは勝利しているか”という視点でみてみると合格。人間でもモノでもブランド品になるには絶対にごまかしのきかない品格が必要だ。その意味で斎藤美奈子さんの文章はブランド品といっていい。中身の面白さは保証できる。
ところで、本書のタイトル「それってどうなの主義」はどんな意味か。あとがきに「日本語の裏側と日本列島の裏側。両者に関連性はないものの、私に表より裏、正論より邪論、同調よりも反転を好む傾向があるのは事実で、他の媒体に載った文章も、集めてみればどことなく似ている。その傾向をひと言で表現したのが本書のタイトルということになります」とある。そうか、裏側か。
ここにはいろいろな媒体に十年あまりにわたって書いた、ナショナリズム、ファッション、男と女の文化、教育、言葉などに関するエッセイが集められている。このエッセイ集に一貫しているのは、何か変だなあと思ったら「それってどうなの」と口に出す姿勢。口に出してつぶやいてみるだけでもその効能はあるらしい。
効能その一。頭を冷やしてくれること。“人生の中で重要な決定を下すとき、大きな波に呑まれそうになったときには、「それってどうなの」と自問する。そうすれば自分を取り戻す時間を与えてくれる”と記されている。ほんとにそうだよな、とつぶやく。最近、人生の重要な決定に失敗続き、連戦連敗のわたしはもっと早くこの本を読みたかった。二つめの効用は“暴走を止めるブレーキ”になってくれること。そして三つめは“引き返す勇気”を与えてくれる、というのだ。
読み進めていくと斎藤節(皮肉、やさしさ、ユーモア、意地悪)が相変わらず健在だ。「感動させたい症候群」では小泉純一郎元首相の「感動した!」をからかい、日本全国、感動した!症候群をばっさり斬る。「TとA」では、オウム真理教出家信者と監視小屋の住民のふれあいについて、驚くようなことを紹介する。「駒子の日本語」では川端康成の『雪国』に疑問を投げかける。駒子の言葉は東京の麹町あたりに住む若奥さんの言葉づかいではないか、と。「駅長さん、私です、御機嫌よろしゅうございます」(川端版『雪国』)は「駅長さん、私らて。なじらね。」(斎藤訳『雪国』)だそうだ。そう、斎藤美奈子さんは新潟出身。この本は日本語の言葉にも鋭い視点でのつっこみがいっぱい。
言いにくいことだらけの世の中だけど、とりあえずこの本をまねて「それってどうなの」と小さな声で口にだして言ってみる。すると、不思議なことに、ささくれだっていた心がやさしくなる。特に小声でぼそぼそと唱えると効果的、と著者は記している。

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紙の本民家を改修する

2007/06/22 13:23

懐かしくて美しい風景

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『民家を改修する』を興味深く読んだ。著者は静岡県の磐田市で出版業を営む。生まれた時から、祖父が建てたこの民家に住み、成長し、やがて大学生となって上京。その大学時代を除き、ずっとここに住み続けてきた、という。著者の祖父母、両親、著者の家族・・・と、何代にもわたる人びとの歴史が染み付いていて、深い愛着がある家のようだ。この家は、土間があり、部屋が田の字のように四つある、いわゆる田の字型の典型的な民家の作り方である。しかも、いい建築材料を使い大工仕事も本格的なものだったらしい。
 しかし、築60年ともなれば、屋根から雨漏りはする、壁は崩れ落ちてくる、風はビュービュー入り込む。雨戸は重く、開けにくい。生活するには不便この上ない状態だったようだ。これ以上この家に住み続けるにはムリがきた。さて、この家をどうするのか。
 50代半ば、という人生も後半にさしかかり、取り壊し新築するのか改修するのか。著者は高度成長とともに消えてゆく農村の風景を無念の思いで見つめてきた。だから愛着のあるこの家まで消滅してしまうことに耐えられなかったのだろう。そして、この家を「何をもっても代えられない私の居場所がここにあるのだ。だからこの家の改修は私にとっても必然的な問題なのだ」という結論に達して、妻と二人の息子の賛同を得、改修に乗り出す。
 本格的な民家改修は、最初に考えていたよりも、ずっとたいへんな仕事だったようだ。なんでも一流でなければ気がすまない著者は、建築、設計、施工、大工、左官、などなど、ありとあらゆる部分にホンモノを要求する。したがって、既存の材料を使いながらも、総工費は3500万円に達する。それも、妥協のはての金額らしいのだが、土地があれば地方では新築の家を建てても、これほどのお金はかからない。だが、地元の銀行から団塊世代に向けたリフォーム融資をうけ、一生借金を背負う覚悟を固めた著者は、もう迷うことなく改修に突き進む。私と著者はほぼ同年齢なので、この多額の借金を背負う、という決断に驚いてしまった。背筋がぞーっとした。この年齢になって多額のローンを背負うのはよほどの覚悟と経済力がないとできない。
 移築ではなく、居住していた民家の改修という未知の分野に挑むにあたり、勉強家の著者とその妻は二年の歳月を、古民家見学やら学習に費やし、建築家や施工会社、大工などの職人集団と綿密に打ち合わせを重ねる。驚くほどの細かい職人芸の連続で出来上がった家は「懐かしくて美しい風景だった。外から見て美しい家なんかあるものじゃない」と思えるほど満足のいくものだったようだ。
 本書は、著者の妻が「民家改修を記録して、本にしたらどうなの。私も古民家の本を何冊も読んだけれど、建築家の側からの話、あるいはビジュアルな写真によるレポートのような感じで、当事者自らが語った記録はないわ。こんな時代だし、古民家の話は今やトレンドだから」と言った言葉がヒントとなって書かれたとのこと。民俗学的な観点から読んでもよいし、実際に民家に住みたい人には実用書として役立つ。
 ちなみに、施主が書いた古民家の話は、作家の服部真澄さんが、福井から古い民家を移築して東京の品川に建てた家について記した小説『骨董市で家を買う』(中央公論新社、1998年刊)もあり、これもまた楽しい本だ。本書と読み比べてみてはいかが。

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