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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

青月にじむさんのレビュー一覧

投稿者:青月にじむ

46 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本文学賞メッタ斬り!

2004/03/30 14:49

情けは人のためならず

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

…という言葉を思い出しました。
この本を読んで分かったのは、文学賞は主に文学者のためにあるということ。考えてみれば、殆どの賞の選考委員が同業の作家とある点で、こういうことは思いつくはずなのですが、作家というのは凡人では考えつかないほど突出している、とか、作家にしかわかり得ないことがある、とか思っていたので、この点は改めて認識しました。

“直木賞受賞!”という帯に惹かれて買ったものの、全く面白くなくて「この作家は二度と読まない」と誓った人もいるでしょう。しかし、その判断はもしかしたらまだ早いのかも知れないのです。だって、その人は今までいくらもいい作品を書いてきたのにタイミングが悪くて受賞できず「でも、この辺でやっとかないと…」という暗黙の了解で受賞したものかも知れません。世間の評価と受賞歴が一致しない作家や作品の謎も、この本でだいぶ解けてくるような気がしました。
とはいえ、作品の評価=受賞、またはそれに近い場合もあるようです。そういった文学賞を中心に見ていくのが一番「いい作品」に当たる確率が高いのだろうな、と思いました。そのための、小説と呼ばれる作品に与えられる文学賞を横断してメッタ斬りしているこの本ですが、お二人のキャラクターが実に絶妙だな、と思いました。学生の頃からSFファンダムの活動に携わり、その後文芸出版社の編集を経由して現業(文芸評論家・翻訳家)に到った大森さんのふかーくひろーい知識と、揺るがない豊崎さんの見識。そのコラボレーションが見事に結実してこの本ができたと言えましょう。
私が特に注目していて、この本を読んでこれからも注目していこうと思ったのは、日本ファンタジーノベル大賞、野間文芸新人賞(これは個人的にヒットが多い)、三島由紀夫賞、谷崎潤一郎賞、泉鏡花賞、といったところでしょうか。これに加えるとすれば、時々メフィスト賞。応募型の新人賞は別として、あげるべきタイミングできちんとあげている実績のある賞は、これからも時期を見誤ることが少ないのではないか、という理由からです。私はどちらかといえばジャンル系じゃない小説が好きなのでこういう結果になりましたが、人の好みによって変わってくるのではないでしょうか。

その他、普段は注目していないミステリ系やSF系の賞にも言及して貰ったのは、もう殆ど「トリビアの泉」的な発見が多数ありました。自分は知らない事情というのは、いつものぞき見趣味ではあるでしょうが、面白いものです。

ただ、どうしても不満なのが選考委員のこと。確かに、どうにもならない現状の不満を少しでも和らげるにはいつも妙な選評を書いたり、ちゃんと対象作品さえも読んでもいない選考委員はいじって喜ぶしか無いかも知れません。しかし、それは構造的な問題であって、それをそのままにしておくことがより一層の文学離れを招くのではないかという懸念が残ります。選考される方も、できればきちんとした評価をされたいのではないのでしょうか。勿論、そういう傾向を見せる文学賞も出てきてはいるようですが、もっとその兆候が見えてもいい頃ではないかと思っています。

読み物としても一級品、読書ガイドとしても参考になる(ダメな作品を読んでみたい好奇心が押さえきれなくなり悶絶すること請け合い!)、といいこと尽くめのこの本、いっちょ、読んでみませんか? 事実は小説よりも奇なり。それが実感できる一冊です。巻末の、お二人による「文学賞の値うち」も見物。双方の評価の違いがまたエキサイティングです。自分はどちら側かを考えながら見ていくのもいいのではないかと。
でもね、本当にいい本に巡り会うには、賞を頼りに自分の傾向を探し求めるより、自分の好きな傾向を持つ作品で書評を書く「信頼できる」書評家をひとりでも多く捕まえることだと思います。巻末の「値うち」でも、自分の好きな傾向が見えてくるかも知れませんね。

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世界をだました男

2002/04/09 14:34

あいつはあいつは大変身

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 あるときはパンナムのスマートなパイロット、あるときはハーバードロースクール卒の法律家、またあるときは悠々自適の生活を送る医師…そんな彼はなんとティーンエイジャー。
 嘘のようなホントの話。裕福な家庭に生まれた彼は、金のうまみを知っていてとうとう自由を得るために家出をしてしまいます。しかしまっとうに働いて金を得るなんてまどろっこしいことするわけが無い。いきなり、パンナムのパイロットに化けて、空港、そして世界を闊歩するのです。後ろめたい気持ちよりも、断然周囲の潤んだような憧れの視線にうっとりしてしまう。絶えず聞こえる追っ手の足音を聞きながらも、小切手処理のからくりと盲点を突きながら、とうとう5年間の豪勢な逃亡生活を送ることになります。捕まってもその機転でピンチを切り抜ける。犯罪者の筈なのに読んでいるとどんどんアバネイルに引き込まれていく。その場にいたら、逃亡に荷担してたな、きっと。
 しかし早足が過ぎた人生は早々に失速する。スリルたっぷりの日々にうんざりした彼は、母親の故郷であるフランスの片田舎に引っ込み、隠遁生活を送るのだけれど、ここでも「小説家」と名乗るその見栄っ張りぶりは健在。けれど、とうとう正体がばれて捕まってしまう。それにしてもフランスの当時の刑務所には犯罪者には人権を認めないようなところだったんですね。光も入らない穴倉のような牢獄で、恐ろしい拷問を受けます。しかし、悪運の持ち主とは彼のことなのか、別件の逮捕で、身柄はスウェーデンに移送されます。ここでの扱いはフランスとは天と地の差で、ここで穏やかで建設的な刑期を過ごしたあと、第二の人生をやり直すことになるんです。それが、今の詐欺対策のコンサルタント業の始まりだなんて、なんとも贅沢な人生じゃありませんか。

 自分では経験したくないけど、このスリルと興奮、本だけでも十分に味わえます。美貌と運と才能を、あらぬ方向に発揮した著者本人の半生記を、とくとお愉しみあれ。

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紙の本妻の帝国

2002/10/23 13:37

20世紀のイデオロギーの変遷をめぐる寓話

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この物語は今書かれるべくして書かれたもので、20世紀の総括のための寓話なのだと私は思う。

 ひとつのイデオロギーが現れ浸透する。その過程で色々な変化があり、その一方でそのイデオロギーによる弊害が出てくる。そうすればそれを不満に思い反乱を起こす輩が当然のように出現し、あるときは彼らが政権を掌握し、またあるときはそれがあっという間に潰され、何事もなかったように日々が過ぎてゆく。そしてまたあるときは、また違ったイデオロギーの政権ができあがる。
誰もが、幸せを希求してのことに違いないのにその途上でエゴが噴出したり断絶が起こったりするのだ。そういう社会の、歴史の片隅に、私たちは生きている。

 本来ならばナンセンスの極みである「自ずと感覚を共有することができる」社会が築かれる。そしてその到達点を目指し、段々と皆、いびつな行動を取り始めるのだ。何故いびつになっていくかと言えばその到達点は初めから到達不能で曖昧模糊としたものだったからであり、所詮は人間というものはひとりひとりの存在を認め合った上で社会というものは成り立つものなのだろう。ひとりのカリスマ的存在に牽引される社会が本当だと思うこともあるだろうし、個々の隙間や齟齬や認識の格差を埋めるために言葉を尽くし、説明する努力をしていくべきだという考えもあろう。一方で、ただ自分だけが快適であればいいのだという考えも出てくるに違いない。全てが人間から生み出される感情であり、意識なのだ。それらがどこぞにぶれる中を、私たちは生きているということになるだろう。そうして、過去の人びとは今を築いてきたということなのだ。ぶれ続ける限りはどこかで中庸に到達することもあるだろうが、逆にその期間は短く、いずれか一方に大きく傾ぐことも少なく無いだろう。

 そうして、そのようなディストピアの風景が広がる中でも変わらないものがただひとつある。それが、特定の誰かに向けられる愛というものであるのだろうか。小説の冒頭ではそれほどでは無いように思えた「わたし」の妻への愛も、物語がうねり、起伏するごとにその感情が高まっていく。その到達点がラストのシーンということになるのだろうか。正直、自分がその立場だったらどう対応するか分からない。でも、やっぱり「わたし」と同じようにしてしまうのだろうと、どこかで考えている。そういう、変わる中でも変わらないものがあるということをも、もしかしたら佐藤哲也は描きたかったのだろうか。

 この著者の作品は、短篇の「ぬかるんでから」しかまだ読んでいない。しかし、もっと読んでみなければいけないと今更ながらに思う。この小説は、ジャンルを越えて、もっと色々な人に読まれるべきだと思う。

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紙の本望楼館追想

2002/10/14 22:04

ふるふると震える心に共振する物語

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この物語は、過ぎ去っていくものや人を慈しみ愛する物語だと思う。読み終わった後にフランシスの蒐集リストを眺めて、その「もの」に込められた想いやそれをフランシスが盗み、陳列する様を思い浮かべる。読んだ後、暫くしてから少し涙が出てきた。

望楼館という、かつては豪壮な屋敷だった共同住宅に住む奇妙な面々が過去に囚われている現状からある段階を経て外に出て行く物語である。ある日、この忘れられ時間が停滞した建物に、アンナという住人がやってくる。しかも、明らかにこの住人に変化を与えそうな、つまり意識が外に向いている人間なのだ。案の定、住人たちは彼女と会話し、自分の過去をなぞっていく。それで一時、建物の中身は生き返ったように見えた。しかし、この物語の冒頭からちらちらと見え隠れするものがある。それは、この老朽化した建物の解体だ。この住人たちは望楼館の運命とぴったりと寄り添っている。果たして、望楼館無しで、彼らは果たして彼らでいられるのだろうか。

このストーリーについて触れ、語ることは、未読の人にはできないような気がする。この内容を語ったからといって、その良さが伝わるとは思えないのだ。話を読んでいく中で読者自身が望楼館に入り込み、一緒にどこかの部屋で暮らし始める。そして、この望楼館を愛し始めるときに、はじめてこの物語を語り合えるのだと思う。

引きこもり気味のフランシスが、アンナに心をこじ開けられ、それを拒絶しながらも段々と彼女に惹かれていく様子、そしてその愛情が一時、間違った方向に向けられていく様子、そして、盲いたアンナを導き、教会に通う様子…それらが語られるときに、彼らの心と共に自分の心がふるふるとふるえるのを感じる。その白い手袋を脱いだとき、望楼館を出たときに、彼らの人生は動き出す。

本というものは、手にした厚さで別れの時期が分かってしまう。それは、望楼館やそこで暮らす奇妙な人たちとの別れをも意味する。読んでいるうちにいつしかこの本の織りなす世界に愛を感じてしまったときから、次に進みたし、しかし別れは惜しい、と相反する思いを抱くことになる。

この表紙カバーをまずはめくって欲しい。内側にある、傷つきやすい白く薄い内側が全てを語っているのだと思う。

この作家、これが処女作で、既に第二作も出来上がっているらしい。これまた奇妙な話だそうで、こちらもぜひ読んでみたい。

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紙の本いつかわたしに会いにきて

2002/02/19 10:55

独身女性の、自由と孤独と切なさと

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 いわゆる、適齢期、及びそれ以降の女性たちを、シニカルな視点で描いた短編集。おかしみの裏に悲しみが隠されていたりして、登場人物たちも他人を揶揄しながら泣きそうな顔をしている、そんな描写がとても多い。
 多分、ターゲットとするのはヘレン・フィールディング著『ブリジット・ジョーンズの日記』(ソニーマガジンズ) にかなり近いんじゃないかと思うのだけれど、おそらくわたしはこちらの方が断然好きだろうな(実は、『ブリジッドジョーンズの日記』は積読中)。
 文章もかなり洗練されていて、無駄なものは全く無い。むしろ物足りなさを感じるほどで、余韻がいつまでも残る。何度も読み返した くなってしまう。ストーリーもかなり洒脱で、読んでいてどんな結末になるのかワクワクするし、その期待も決して裏切らない。

 これを読むと、アメリカでもやっぱり結婚適齢期の問題や他人との距離のとり方など、悩みは尽きず、また、苦しむところは似てるんだなあ、と世界共通の悩みなんだと少し安心するような、暗い気持ちになるような。
 裏表紙で紹介されていた「他人の夫」や「女装するもの」が、とても面白かったし印象に残った。しかし、その短編作家としての威力は、「初めての地震」で顕著だと思う。今は長編を執筆中だということで、とても楽しみ。切れのある文章と展開が、長編ではどう変わってくるのだろうか。
 並みいる大作家・名著がラインナップされるハヤカワepi文庫で、日本では無名な彼女が紹介される訳も、読んで納得できる。いい作品であれば古いもの、新しいものを問わない姿勢も評価に値するんではないだろうか。

 訳者の古屋美登里氏による解説は、各短篇の冒頭に引用されているメイ・ウエストの紹介と絡めて著者の趣向分析がされており、 非常に興味深いものとなっている。文句無くお勧め。

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紙の本心の傷を癒すということ

2002/02/15 23:56

大切なのは、傷ついた人にそっと寄り添うこと、そして風化させないこと

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 この本は、今のように「癒し」という言葉に手垢が付くずっと前に書かれたものである。この親本を読んだと きは「癒し」という言葉が、とても新鮮だった。

 阪神・淡路大震災をその身で迎え、直後から公的にも私的にも大変な責任と負担を負うことになる、 第一線の精神科医の、震災、およびその後の「精神」とそのケア、そして、精神を育む社会というものに ついて書いたものだ。当事者だというのに非常に抑えた筆致で、当時のことを回想し、仕事を進めていく 様子や神戸の町々を描 いている。勿論、精神ケアの話を中心としてだけれど、それらは決してカウンセ リングや診療によってだけ対応されるものではなく、むしろ、社会の中で生きていくこと、手を取り合っていくことでこそ癒されるものなのだ、ということを言葉を変えながら繰り返し説く。

 “すべて傷ついた人間しかいない被災地では、外部から来た無傷の人間が寄りそうことで、被災者 は癒された気持ちになる。(p.233)”

 と「そっと寄りそうことの大切さ」を知らされた。「存在すること」による癒しはこの直前に中井久夫氏の言であると書かれているが、当事者じゃないその他大勢の人間の無力感、疎外感というのは、こういう意識で解消されるはずだと私も信じる。体験していないのだから知らないのは当たり前だ。知らないことを知ろうとするのではなく、体感する、という意識になるのかもしれない。

 また、デブリーフィング、デフュージングという、当事者同士で心のうちを打ち明け合う活動もある。アルコール依存の人たちの集まりなどでその存在は知っていたが、身近な人を目の前で亡くした人たちの集まり もまた、存在するそうだ。

 そして街。普段こうやって何気なく歩き、暮らしている街というものの大切さ、掛け替えの無さを知ることに なった。それは、避難所から仮説住居に移ることを必ずしも嬉しいとは言えない、という人が複数いたこ とでも分かるだろう。普段、長距離を異動する首都圏の人間だって、やはり自分の「縄張り」「行動範 囲」というものは存在し、それ以外のところに長時間いれば落ち着かない思いに駆られる。ましてや、その ホームに「戻れない」人たちの絶望感は、比較にもならないものだろう。

 私たちができることは、今までのできごとを風化させずに次に生かすことでしか無い。私ごときに何ができる か、とも 思うが、何かをしなければ、確実にできごとは砂となり、風に吹かれて散ってしまうに違いない。こ の7年間でも随分と変わってきたと思う。しかし、全く変わらない部分もあると思う。ことある毎にそれらを 思い出し、検証する必要があるだろう。

 安さんは、21世紀を待たずにこの世を去った。これからのことは残されたものの責任である。

 “被災地のコミュニティの問題は、日本全体の問題でもある。日本の社会は、人間の「力強さ」や 「傷つかない心」を当然のこととしてきた。また、バブル経済の際に、モノやカネだけが幅を利かせる、いささか品のない風潮が全国に蔓延した。人間の心の問題などは省みられなかった。しかし 阪神・淡路大震災によって、人工的な都市がいかに脆いものであるかということと同時に、人間と はいかに傷つきやすいものであるかということを、私たちは思い知らされた。今後、日本の社会は、 この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか……。(p.242)”

 日本の、明日はどっちだ。

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ひねり屋

2001/11/08 13:36

大人には小さな囲み記事が子どもにとっては270ページの物語になる

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 どこか、周囲の友だちとの違和感を感じ、それでも一緒にいなければ自分がどうなるか分からない、という「小さな社会」は子どものころから持っている。意外に、子どもは社会の中の生きものなのである。そこから外れるものは、直感的に感知し更なる攻撃を加える。それがドロシーがいじめられた意味でもあるのだろう。
 違和感を覚えながらもそこから離れられないパーマーは、鳩という守るべき存在ができたことで強くなり、ドロシーという同士を得、そして孤立無援と決め付けていた彼は、両親の暖かい目にようやっと気付き目を開くことになる。
 子どものころってどうしても視野が狭くなりがちなんだろうけど、自分で解決できないことが、なぜか大人には何とかなると気付かないことがあるみたいだ。実際、私もそういう時期があった。この世で自分ひとりになってしまったような気がするものだ。パーマーの場合はニッパーがいたのだけれど。
 ニッパーのために泣く泣く彼を捨ててくるとき、それでも家まで帰ってきてしまったのを見たときの落胆とその裏にある歓び、そして「鳩の日」のパーマーとニッパー。色々な形の、いろいろな対象への友情と繋がりを学び、自分がどう生きるべきかを身に付けていく。パーマーの10歳の誕生日から11歳の誕生日を迎えて「鳩の日」までの1年余りの日々の中で、子供というのはどうやってどんな風に成長するのか。そんな様子を垣間見せてもらった気がする。
 ラスト近く、「鳩の日」のシューティング会場に潜り込んだパーマーの頭にニッパーが留まろうとするときの、張り詰め、しかしどこかでじんわりと温まる空気の描写がとても素晴らしい。
 大人にしてみれば、物語の最初と最後に挿入される小さな新聞記事のだけのものなのだけれど、そこを一所懸命に生きている少年にとってはこの本、270ページの価値がある「事件」だったのである。こんな時期、自分にも多分あったんだろうな、なんてね、考えるね。

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われはフランソワ

2001/05/03 20:21

パイのようにいくつもの要素が織り成す物語

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 「物語」を堪能させてもらった。空白が多いヴィヨン伝とその時代をうまく利用した、壮大で大胆な想像の産物である。

 この物語の主人公、フランソワ・ヴィヨンは、フランスでも指折りの抒情詩人である。とは言っても私自身、彼の存在は太宰治『ヴィヨンの妻』で知るくらいで、つまりは泥棒や殺人などを犯し、パリを追放された悪党であるという程度の予備知識しか無い。本当だったら彼の作品集くらい読んでいたほうがいいのかなあ、と心配たのだけれど、それは杞憂だったようだ。

 読み終わると、この題名の意味が重みを帯びてくる。題名に象徴されるように、この物語はとても複雑な層を持った人物描写、人生、人間関係、構成をしており、それらが折り重なる様はまるで丁寧に作ったパイ生地のようだ。間の空気、その風味が、物語全体のクオリティを高めている。素材が大事とは思うけれど、こうやってそれぞれの要素が相互作用している物語というのは、形にするのにかなり苦労するのではないかと思う。しかし、複雑で、しかし乏しい情報しか無いヴィヨンのような存在を主人公にした話としては、とても効果的なのではないか。
 雑然とした時代のパリの描写、生みの母、育ての父との絆と愛情、「悪魔の屁」事件を始めとした、パリ大学生であった間の悪行の数々、酒場の喧騒とそこでの即興詩、流転の人生、流浪、盗賊団コキュール、シャルル大公夫妻との出会い、ヴィヨンの出自、そして、生とは死と隣り合わせていることを思い出させる、刑場で縊られた人々の光景…。様々な要素が生き生きと、あるときは絡まり合い、あるときはふと顔を出し、溶け出して物語を美しい味に作り上げている。

 ヴィヨンという人は、その存在さえももしかしたら疑われている人物で、エピソードにはこと欠かないが実像がはっきりしていない。その断片的なそれぞれの話と彼が身を置いたパリという舞台、時代を最大限に活用し、その空白を想像力というつなぎで埋めることで風味はいや増している。それらを、いかにも「調べました」「頑張りました」ではなく、これほど生き生きとした面白い物語として仕上げたということは、随所に挿入されたヴィヨン作の詩の効果を考えただけでも納得がいくのではないだろうか。詩とは、机の上でじっとして読むものだけではなく、その、作られたであろう光景や心情を加えると、途端に息づく、そういう類のものもあるということ、そして、ヴィヨンの詩というのはまさにその種類にはいることを知り、大いに興味を持ったのだった。

 彼の、伝えられている生涯を思い起こせば、最後には別れがあることがおのずと分かってくる。しかし、最後にはその別れ(これは、彼のパリと周囲の人間との別れと、読者である私とヴィヨン、そしてこの本との別れを二重に意味する)を認めたくないほどに没入してしまい、しかしそのさらりとしたラストに、清々しい思いを感じながら本を閉じた。

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今まで私は何を読んでいたのだろう?

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 「私って、こんなにぼけてたのか!」と地団太踏みたくなる本だった。いや、ぼけてるのは認めるけどさ、どうしてこれだけ物語の中にヒントが隠されてるのに気付かなかったのかなぁ、と。気付く方が変だよ、と誰かに言って欲しいもんである。

 フィッツジェラルドの「大いなるギャッツビー」との密接な関係は、雨の中の死、ということで繰り返し表されていること、大好きだった弟のアリーになり替わるために赤いハンティング帽を被っていること、そしてその帽子は妹のフィービーに手渡されることで、フィービーがアリーになり替わること、博物館のガラスケースが好きな訳、窓ガラスの果たす意味、「ゲームに参加しない」訳、アリーが死んだ時にホールデンが狂ってガレージの窓という窓を叩き割って右手を駄目にしたことの意味、ホールデンが老人にも子どもにも見えるという外見の訳、迷った末ガールフレンドに会わない(and 電話するのを止める)訳、フィービーがD.B.の部屋にいる訳、アントリーニ先生の家を夜中に飛び出す理由、そんなこんな、とても小さくてとても重要なひとつひとつの事象を、「これでもか」という程に解説してくれるのだ。

 確かに私は「ライ麦畑でつかまえて」に代表されるサリンジャーの作品が好きだし、それらがしばしば「きれいなままの子どもでいたい」という願望を表したものだということは知っていたのだけれど、それは作品から「何となく」感じられるものであり、その正体が一体何なのかまでは突き詰めたことが無かった。今、もう一度読んでみると、全く違う印象を受けるものかも知れない。ここまでパイ生地のように何層にも何層にも薄く「もの」(事象)を重ねて、その間、間にたっぷりと「空気」(意味)を含ませるという方法がここまでできたものかと感心するばかり。そして、改めてホールデンがしでかす奇妙な行動や考え方の訳が分かってくるのだ。

 とにかく、ページを繰る毎に襲ってくる感動、これほどのものには久しぶりに会ったように思う。ひとつひとつの解説がそのまま、ホールデンの心の叫びに聞こえてくる。ホールデンは「僕のことなんて誰も理解できないんだよ」という態度をとりつつ、こんなに分かって欲しかったんだ!いや、それは最初っから分かってたんじゃないか、ただ、それを受け止める方法を知らなかっただけで。

 全ての、ホールデンを、サリンジャーを愛する人たちに読んで欲しい。これが学術的にどうなのか、なんてことは関係無い。彼らを好きな人たちはもっと好きになる筈だし、どっちだかよく分からなかった人は間違い無く、夢中になるに違いない。

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紙の本いちげんさん

2001/01/23 19:55

どこまでいけば「日本人」になれるのだろうか

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 放浪癖のある「僕」が、京都の学生になり、京都で暮らす4年間の話。とは言っても実際は京子に出会った3年生の冬から卒業までの1年間なのだけれど。

 「外人」である「僕」だが、かなり日本の生活には溶け込んでいる。大学では日本文学を専攻し、趣味は日本文学の古本集め。少ない収入をやりくりしては初版本などを買っては表紙の手触りを楽しみ、中身を堪能する。
 そんなある日、盲目者への対面朗読というボランティアの仕事が舞い込んだ。依頼してきた親子の後ろ姿が気になっていた「僕」は、それに申し込み、盲目の京子と出会う。京都の街の生活感や「僕」の感じる苛立たしい「違和感」、京子の明るさや美しさ、そういったものが流れるような文章に乗って、本当に一気に読み終えてしまった。最後のページをめくるのが勿体無かった。

 「僕」は、こんなにも日本に馴染んでいる筈なのに、京都という街がそれを受け入れてくれない。食堂、修学旅行の黒い集団、電車の中のサラリーマン…日本人のように日本を歩き、日本人のように日本語を話し、日本語で書かれた本を日本人と同じように読む、そんな外国人は異常だ、という目でしか見てくれず、またアカデミックな場である大学や教授さえもがそんな「僕」の気持ちを突き放してしまう。

 この、異質なものを受け入れられない苛立ちというのは、日本の、それも京都という日本の中でも特に閉鎖的な社会を持つ街を舞台に選んだ演出が勝ったのか。

 結局は「僕」はこの街に「いちげんさん」としか見て貰えず、そんな街で停滞していることにショックを受けて旅立つ決心をする。要するに、日本は見捨てられちゃったという訳だよなあ、京子と一緒に。中華料理屋で味噌ちゃんぽんと餃子を食べて至福のひとときを過ごすその目に飛び込んできたベルリンの壁の崩壊。そして、「僕」が京子に惹かれた理由に思い当たったときの、その衝撃たるや。

 京都の街がとてもきれいに生き生きと描かれ、四季も鮮やかで、京子も官能的。きれいな文章を読めるだけでも幸せかも知れない。いや、まぢで日本人が書いたのかと思っちゃいますよ、これは。これだけきれいな日本語を使ってくれるなんて、日本人冥利に尽きますわ。

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紙の本愛の見切り発車

2001/01/23 11:40

積読が増えて困る本

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 私は本を読む速度に比べて本を買うスピードがやたらと速い。困ってるのに、1冊読んで積読を減らそうと思ったら逆に沢山増えてしまった。どうしてくれるのだ。

 本当に楽しんだ読書案内だった。
 アメリカ文学を中心に精力的に翻訳活動している柴田元幸氏の読書案内を交えたエッセイ。ひとつひとつの文章が短めで、その中で余すこと無くその本の魅力を伝える腕は確かだ。メモをするのを忘れてしまったので、もう一度流し読みをしながら欲しい本(ホントだったら全部欲しい)をチェックしないとならないけれど、帰りに比較的翻訳小説が多い書店に寄ったときに、簡単に書棚チェックをしてみた。背表紙を見てから「ああ、この本のことだったか」と認識するものもいくつか。

 真ん中には、7人の作家へのインタビューが挟まれていて、これがまた、なかなかに面白い。彼等の作品がその後でも紹介されているのだけれど、半ばまで来て「ああ、この作家か!」と思い出して読み直してみたり。とても個性的で、魅力的な作品が並ぶ。巻末にはちゃんと、文章の中に出てきた固有名詞の索引も付いていて親切この上ない。

 この本を読むと、柴田氏にとって翻訳という職業が天分のものであったことを確信する。しかも、既に評価が固まった作家よりも、自分で面白そうな作品や作家を探し出すことを至上の喜びにしているように思える。巻末の解説で森田隆二氏が述べている通り

「つまり、氏はわが国の翻訳出版事情を考慮しつつ、十年後の日本の読書人に役立つ書評を書いているわけで、いやはや、いささか気の遠くなる話だが、それが冒頭に記したところの、達人の「時間と元手の」の所以である。」

という訳なのだ。いや、実際、どこまで「翻訳出版事情」を考慮しているのか、なんてことは知らないけれど、この本で紹介されているいくつかの作品は、今まさに話題になっている作品も多く、それを考えるだけでもこの人の目の「確かさ」が分かるようなものだ。
 この立場をいつまで続けていけるのか分からないけれど、柴田氏には、大御所になってからも、新鮮な、少年のようなサプライズを持ち続け、いい作品を紹介し、訳していって欲しいものだと思う。

 最近面白い本が無いとお嘆きのあなた、この本を読んでもそう言えますか?

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紙の本文人悪食

2001/01/17 17:59

「欲」の結晶が文学なのだなあ、と分かる一冊

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 文人というと欲から一歩引いたところで、ストイックに芸術に向かっているように見える。私もそう思っていた。しかし、この本を読んで、他の人よりも著しく煩悩が無ければとてもじゃないけどやってられないんじゃないかと考えを変えた。食欲、性欲、睡眠欲が動物の本能から出る欲だと言われているが、それは彼らも同じように持ち合わせていたのだ。人間が生み出すものは全て欲に通じるものと考えると、彼らはいかに多くの、強烈な「欲」を後世に伝えたものであろうか。

 文章というものは、世に出たときにはある程度受け入れられるような形になっている。それを額面どおり読んでも勿論面白いのだけれど、実はその表皮をぺろっとはがしてみると、ぐちゃぐちゃの「欲」がのた打ち回っているのが見えてくるのだ。つまり、今までわたしは表皮だけで楽しんでいたものと思われる。おいしい果実というものは、皮に包まれているものである。それを破ったところに、真のうまみがあるのだと思う。勿論、皮だけでも十分美味しいものもあるのだけれど。

 生を受けた瞬間から死ぬ瞬間まで、ひとは欲を持ちつづけている。傍から見える他人の欲というものは、それをストレートに表現するか、工夫に工夫を重ねて隠し通すかの違いだけでで、特に文人にはその表現の方法が長けているために屈折したものが多いということだろう。あんな美しい言葉の裏にあんな意味が隠されてたなんて…。人一倍文学に親しんできたつもりのわたしは、一体、今まで何を見てきたんだろうと自分の感性を疑いたくなった。

 これを読んで改めて(もしくは、避けていたのに)読みたくなった名作が沢山出てきた。全く新しい観点からの、とても楽しい読書案内だ。著者の豊富な語彙に載せられて次々とページをめくり、「食」を通して文人の欲と業と、また人生を垣間見ることができるのだ。

 食いしん坊にしかこんな本は書けないし、ならば、食いしん坊であればこの本が絶対気に入るはずだ。

 参考までに。これを読んだわたしがまず買った本は、谷崎潤一郎『美食倶楽部』である。著者の『素人包丁記』も手に入れようとしたが、どうも新刊書店では手に入らないようだ。発売元の講談社のリストにも出てこない。あああ、これに著者なりの答えが入っているはずなのに…。

 最後に。巻末に添えられている参考文献リストを必ず見て欲しい。これだけのことをイメージするために、どれだけの本を読んだことか。わたしなぞ、これを見ただけでお腹…あ、いや、胸…いっぱいである。

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紙の本裏ヴァージョン

2000/11/29 16:32

読書とは戦いなのだ!

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 実に7年ぶりの新作。一筋縄でくる訳がないでしょう。

 読みはじめでまず驚く。いつもの松浦理英子じゃない!だって、男性が主人公のホラーの短編小説なのだ。拾ってきたオコジョに恩を仇で返される話。想像すると、ちょっと恐い。その後はまた全く違った作風の短編が続き、はて、一体これはどうしたことだろうと読者は悩む。唯一の手がかかりである作品ごとに添えられているコメントは、かなり痛烈だ。そんな「?」が最大限に膨らんだときに、質問状という形で二人の応酬があり、この、小説の書き手と評者の関係が明かされる。なーるほど、この中の短編というのは、劇中劇みたいなものね。
 40になる独身の女性同士。評者は、かつて売れない小説家であった高校時代の親友を居候させてる訳だ。家賃代わりに毎月の小説。それは、フロッピーに入れられ、二人の間を行き来する。フロッピーを介しての友情という訳だ。この、必ずモノを介して接触するというのがもどかしく、そして絶妙の効果をあげている。

 と、そこで分かった気になるなかれ。この二人の会話(?)の中で、評者は作品は勿論だがその執筆者にまでケチをつけ始める。親友という間柄と居候という立場の弱さからかそれをのらりくらりとかわすのだけれど、我慢にも限界がある。今までは、媒体を介してのタイムラグを持ったコンタクトだったのが、ある日、直接対決になるのだ!

 さて、その後どうなるのか。スリリングな友情の鞘当て(こんな表現があるのか?)とお互いの隠れた胸の内を想像しながら楽しみたいものだ。

 勿論、俎上に上がるのは作品であり、その作品ひとつひとつも「習作、実験小説」の形を借りながらも、完成度の高い、独立した作品になっている。何重にも仕掛けられた物語の構造を見るだけでも十分に楽しめる。作品についても二人の関係についてもそこに書かれているだけのことから想像せざるを得ず(でも、女同士の友情ってこんなんだよなー、なんて甘酸っぱい気持ちになっちゃう)、それだけの懐を持つだけに、見方により、色々な解釈ができるのだ。読者の反応さえもが作品のスパイスになる。さながら、万華鏡のように、その姿をくるくると姿を変え、気がつくと読者はその筒の中へ取り込まれてしまっているのだ。

 読後は、作者にもてあそばされてしまった自分に気付きいて非常に悔しくなるが、同時に完敗した、というすっきり感もある。よし、次はどう来るんだ、受けて立ってやる、と戦闘意欲を掻き立てられる、見事な一冊だった。また私たちをやきもきさせるのだろうけれど。
  ああ、連載で読みたかったよ!彼らはどれだけ翻弄されたことだろうか。羨ましくてならない。

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もつれっぱなし

2001/01/23 19:33

二人の会話というのは、その密室性がトリックを生む

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 会話だけで進んでいく話たち。実験作だなあ、と思える6編。

 全て、片方が主張することをもう片方が否定しつつも、感情的な側面からその仮定(?)を証明できるよう持っていく話。2人がいないと成立しない。本当ならば、一人で葛藤しながら結論に持っていくところを、他人の視点を置くことで、その思考をより分かり易く読者に披露してくれるのだ。
 そして、どれもが二人だけの世界であり、密室である。だから、世界が作り易いのだ。読者は、神の視点で二人を見つめることになる。勿論、二人だけの話だから、もしかしたらその前提さえもまったく間違っているかもしれないし、そこから導き出された結論なんて、つまるところはその「虚構」の上に成り立ったもので、現実には意味を成さないものかも知れない。敢えて、相手を信じて「仮定」した上での思考ごっこをするというのが、これほど面白いものだと思わなかった。二人の見たもの、知っていることしか真実ではない、というのは、ある意味恋愛そのものだよなあ。

 地の文無しに物語を成立させるということは、まるでサーカスの綱渡りだ。できそうだけれど、実際やってみたらとんでもなく難しいということは、解説で小森健太朗が述べている通り。全ての情景描写も心理的な流れも二人の台詞だけで完結させなければならない。だからこそ、持てるテクニックを駆使した成果を惜しげも無く披露した作品群がこれらなのだろう。
 いいものを見せて貰ったなあ、と思います。井上夢人の真価ってやつ?

 テクニックに流れ過ぎないところも好みです。

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紙の本ぼくは怖くない

2003/12/12 17:59

南イタリアの熱く乾いた空気の中で、少年は大人になる

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 来年三月にこの小説が映画化されたものが日本で公開されるということで、感想を書いておきたいと思います。小説の方は、イタリアのヴァレッジョ賞を受賞しています。全く知らない名前の作者なので前知識無しに恐る恐る読み始めたのですが、もう、そこからは一気に読み終えてしまいました。

 南イタリアというのは、北に較べるとあまり豊かでは無いそうです。少しだけ昔の話。この物語に出てくる街も、四家族、四軒のみの小さな集落で、この小さな社会の中でも色々なことが起こる訳です。

 主人公のミケーレは9歳の男の子。ある日、友達との競争で罰ゲームをやる羽目になり廃屋に肝試しに入るのですが、ここに死体が! しかし、後で死体ではなく、衰弱し息も絶え絶えの男の子だということが分かります。しかも、最近周囲の大人たちが不穏な動きを見せている件とも関係しているらしいのです。この子を助けたいけど、それを周囲の大人たちに知られたら殺されてしまう。一体どうすればいいのだろう。——ぎりぎりのところで悩み、誰にも相談できず自分で困難な道を切り開いていく過程を描くことで、この物語は少年の成長物語にもなっています。
 この物語の舞台でもあるイタリア南部の、熱く乾いた空気や太陽のぎらつき、大雨の前触れの強い風がミケーレの心の中の風景とリンクして、読んでいるこちら側までがその天候の変化に心がざわざわします。

 大人になるときというのは、何か守らねばならないものができたり、秘密を持つようになったりするのかも知れません(自分のことは覚えてないのですが)。自分でも経験があるのですが、この「狭間」にいる子どもたちというのは、今までは全然気付かなかった大人たちの表情の変化に、急に敏感になったりしますよね。大人たちが急に頼りなく感じられてきて、反抗的になってみたり。そういう子どもの微妙な心情を描くのが、とてもうまいな、とも感じました。ジレンマに陥った末に、自分で決断をして坂道を転がるようにラストへと突っ走る場面に、こちらも一緒に手に汗を握ります。「ぼくは怖くない」という言葉は、このときにミケーレが発する言葉です。

 貧困からどうにかしてもがき出ようとする大人たちと、大人の発する不穏な空気を感じ取り、揺れ動く子どもたちの繊細な心、そして友情に心が揺さぶられます。大人にも子どもにもお勧めできる一冊だと思います。

映画「ぼくは怖くない」公式サイト

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