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谷池真太さんのレビュー一覧

投稿者:谷池真太

3 件中 1 件~ 3 件を表示

村上春樹の歌

2001/05/01 19:29

村上春樹初期作品に対する手堅い評論

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 第一章では『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の初期三部作では「鼠」を通して60年代をその残務処理としての70年代に拠って書いていることを明らかにしている。「僕」はその後も生き続ける存在である。
 第二章では『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を通して枠で囲まれた「世界の終わり」を限定された幸福感として、自分の頭の中にある自分にも了解できない『世界』を述べている。
 第三章では『ノルウェイの森』を通じて他者の言葉がわからない・他者に言葉が伝わらない・自分の言葉がわからない、という「コミュニケーションがない」状況を書いている。
 第四章では『ダンス・ダンス・ダンス』を通じてニヒリズムについて書いている。コピーライターたる「僕」の仕事は「無駄な仕事」でそれが高度資本主義の中では必要なシステムなのだと言う。それは決して「僕」の仕事だけが「無駄」なのではなく、また、高度資本主義を肯定しているわけでもない。ただ、そのことに「宙づり」になっているだけなのだ。
 また、最後に「宙づり」の「浮遊状態」を続けてきた村上春樹がだんだんとどこかに着陸しようとしていることに危惧を呈して終わっている。その後『ねじまき鳥クロニクル』でノモンハンに着陸をみせたことを考えるとこの評論の妥当性は高いのではなかろうか。

 柄谷行人や加藤典洋の村上春樹論とちがって、妙な自己主張がなく、手堅く堅実な評論といえる。

(※この書評は謝恩価格本として販売されていた際につけられた書評です。)

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紙の本殺人狂時代の幕開け

2001/05/01 19:37

むかし、の、じけん

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 物騒な世の中になった。不法入国外人労働者の一部は善良な市民を襲い、暴走族も凶悪化の一途をたどっている。しかしもっとも驚嘆すべきは「人を殺したいから殺した」という動機で殺人を犯す人間が増えていることである。しかもそういった者の多くは若者であり、未成年であることも珍しくない。
 かつて(の古き良き時代)は、そういった殺人狂という者は概ね社会の弱者であり、アウトサイダーであり、いびつな社会の犠牲者であった。親に虐待され周囲に苛められ、屈折していく者の悲しい末路の一つが殺人狂であった。
 本書はそういったかつての殺人狂をひろく紹介している。ガス燈の時代、夜陰に紛れて暮らす強盗犯。生きのいい死体を売って儲けるために人を殺す男女。そして切り裂きジャック。
 だが、彼らの悪行も、それを丹念に調べ紹介することも、現代という社会に対しては何ら効力を持たない。ただ、意味があるだけである。かつて、近代化が進む華やかなりし19世紀は、実はこんなにも暗く、陰惨だったという事実が、「啓蒙の世紀の光」によって消されていたということを思い出させるのみである。

(※この書評は謝恩価格本として販売されていた際に投稿されました。)

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評価不能

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 以前BSマンガ夜話で取り上げられて以来、ずっと気になっていた一冊。たぶん今回謝恩価格本として並んでいなかったら、絶対に読む機会はなかったと思う。

 内容は、三島由紀夫(肉弾時代)とジャイアント馬場(肉弾人生)の二本立て。『肉弾時代』は三島由紀夫の自己愛《ナルシズム》を肉体を通じて書いた作品。三島由紀夫がパンチドランカーの元ハードパンチャーと美貌の元世界チャンピオンに試合をさせるというもの。この三島の自己愛というのは詰まるところ作者の宮谷一彦の自己愛なんだろうな、と思う。
 前述のBSマンガ夜話で夏目房之介が寂しそうな眼をしながら「(あの当時は)宮谷は格好良かったんだ」と過去形で語っていたが、多分そうだったのだろう。
 ただ、現代においては全くその格好良さも面白さも伝わってこない。大友克洋の登場によってまさに忘れられた漫画家となってしまった。「宮谷をリアルだと思っていたのに大友克洋が現れたらそっちをリアルだと思ってしまった」とは夏目房之介の言だが、これがその時代の最先端で、リアルだったのかと思うと、理解はできないまでも感慨深いものはある。

 評価は保留、とさせていただきたい。

(※この書評は謝恩価格本として販売されていた際に投稿されました。)

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