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先月(2017年8月)

服部滋さんのレビュー一覧

投稿者:服部滋

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本ゴーシュの肖像

2003/02/21 18:48

「律義なせつなさ」をかかえた人たちの素敵な肖像

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 くらしが/夢のように/なってから/夢はほとんど/みなくなった/ねむっているとき/わたしはたぶん/はっきりと/現実的に/どたりと/希望もなくねむっている(辻征夫「睡眠」全篇)

 カフカの夢日記を思わせるような詩だ。辻さんには「老婆殺し」や「学校の思い出」「ジャックナイフ」といったカフカっぽい散文詩があって、じっさい「ジャックナイフ」にはカフカの小説「兄弟殺し」が引用されていたりもする。
 現代詩文庫の『辻征夫詩集』に清水哲男さんが「”辻クン”のジャックナイフ」という文章を寄せていて、辻さんのことを「私にはなんとなくせつなさが洋服を着て、せつなさがネクタイをしているような印象を、いつも受けてきた」と書いている。そういえば、ボヘミア王国労働者災害保険局法規課職員フランツ・カフカにも、清水さんのいう「律義なせつなさ」がうかがえるような気がしないでもない。

 清水さんは「彼の前に出ると(略)誰だって自分のほうがヤクザな生きかたをしているように思ってしまうのではないか」とも書いている。「そんなせつなさを”辻クン”は生得のものとして曳きずっているような気がするのである」と。それを「親和力」と清水さんは呼んでいるのだけれど、どうやら辻さんもまたそうした「律義なせつなさ」を感じさせる人たちに惹かれるところがあるようだ。本書の表題ともなったセロ弾きのゴーシュにしても、いや宮沢賢治にしてからが、そんなせつなさを曳きずっている人じゃあるまいか。
 本書は二年前に急逝した辻さんの遺稿集で、詩の話、詩人の話、日常のくさぐさを活写したエッセイからなるのだけれど、「詩はかんたんにいえば滑稽と悲哀ではないだろうか」と書いているように、本書のいたるところにネクタイをしたせつなさのような「滑稽と悲哀」への親和がうかがえる。小沢信男さんの句集にふれた文章を読んでいて、そういえば小沢さんも、いや、ぼくの大好きな小沢さんの小説「わが忘れなば」(傑作だ!)こそ、「滑稽と悲哀」そのものじゃないかと思ったりした。
 ——この道を泣きつつわれのゆきしこと わが忘れなばたれか知るらむ
 そうでしょう、辻さん。

 ぼくはいささか「せつなさ」に、あるいは「滑稽と悲哀」に拘泥しすぎているのだろうか。だけど、滑稽とも悲哀とも無縁のような谷川雁の肖像を描くときでさえ、辻さんの筆にかかるとたちまち滑稽味と一抹の哀愁とを帯びてくるから不思議だ。思潮社の編集者だった辻さんが仕事の依頼で雁さんを訪問し、なぜか喧嘩になってしまう。号令一下、九州から荒くれ男を招集して思潮社を潰してしまうぞと脅す雁さんに対し、辻さんは「売れない詩集の束を雨あられと」投げつけて応戦する自分を夢想する——。

 柳澤慎一さんにふれた文章がある。編集者と一緒にビールを飲みに入った浅草のお店で、辻さんは柳澤さんのジャズ演奏と歌に出会う。柳澤さんはかつて一世を風靡したエンタテイナーで名バイプレイヤー、「ひょっこりひょうたん島」や「奥様は魔女」の声優でもあった。柳澤さんもまた「律義なせつなさ」を感じさせる人のひとりだ。編集者の勧めであらためて柳澤さんと会って話を聞くことになったのも、自分と同じ一族の匂いをかれにかぎつけたからかもしれない。
 柳澤さんは二年前に『明治大正スクラッチノイズ』という本を上梓された。軽妙洒脱な文章でつづった大衆芸能文化史。とてもオモシロイ本で、あまり人に知られていないのがもったいなくてならない。本書『ゴーシュの肖像』もまた置いている書店は少ない。こんな本こそbk1で取り寄せて多くの人に読んでもらいたい——柳澤さんの本の編集をお手伝いさせていただいたぼくとしては切にそう願わざるをえない。辻さんに柳澤さんの本をお見せできなかったのが、いまはかえすがえすも心残りである。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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紙の本暖炉 野溝七生子短篇全集

2003/02/21 17:52

ここ東京よ。皇后様がいらっしゃるのよ。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

<書評前編>
 野溝七生子の長篇『山梔(くちなし)』講談社文芸文庫版の解説で、矢川澄子さんは次のように書いている。
「士族の裔で軍籍にある父。その膝下で生い立つ娘たち——ここに一連の名が思いうかぶ。森茉莉(軍医総監森鴎外の娘)、白洲正子(樺山資紀大将の孫)、齋藤史(軍人歌人齋藤瀏の娘)etc.」
 むろん『山梔』の主人公・阿字子の父におもかげを色濃く投影する野溝甚四郎、すなわち七生子の父もまた「士族の裔」で厳格な職業軍人であった。
 ここに、軍人ではないけれども、幸田露伴の娘・文を加えると、良きにつけ悪しきにつけ父親の圧倒的な影響下に育まれた明治生まれの閨秀作家のリストが出来上がる。しかし、なんというメンバーだろう。いわゆる「父の娘」であることを除けば、このひときわ個性的な作家たちに、なに一つ共通点など見出せそうにない。

 だが、はたしてそうか。
 牟礼魔利(むれマリア)、藻羅(モイラ)、由里(ユリア)、暮尾(クレオ)、普律(フリッツ)といった森茉莉の小説のそこかしこに登場する絢爛たる名をもつ人物たち。一方、野溝七生子はといえば、スラ、ヌマ、クノの三人娘に沙羅(さら)、摩耶(まや)、征矢(ソヤ)、鳰子(におこ)、そして新和塁(しんなとりで)。
 こうした命名と、たとえば——

  白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
  定住の家をもたねば朝に夜にシシリイの薔薇やマジョルカの花

といった齋藤史の短歌には、ある共通点があるように思われる。
 それは、幼少期に大正モダニズムの空気を存分に吸い込んで育った者のもつ、ある種のコスモポリタンの感性であり、たとえば、久生十蘭や夢野久作らのいくつかの小説にも見かけることのできるものだ。だとすれば、渡辺温や城昌幸ら『新青年』の作家たちと彼女たちとは、それほどかけ離れた場所にいるわけではないのかもしれない。(後編へ続く)
(bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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後編:ココシュカにあっては、魂(anima)は狂気(mania)と同義語である

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<書評後編>
 ところで、異性との「つらい個人的体験」とは、直接にはアルマ・マーラーとの破局を指す。最初の相手が画家クリムトで、作曲家マーラーと結婚し、やがてココシュカを振って建築家グロピウスのもとへと走った恋多き女アルマ。ココシュカの「嵐」という絵画の、そしてほかならぬくだんの等身大人形のモデルこそ、「ココシュカをその魅力で難破に導いたセックス・セイレーン」アルマ・マーラーである、と滝本誠氏は書いている(「人工陰毛のアルマ・マーラー」、『映画の乳首、絵画の腓』所収)。

「オスカー・ココシュカのスキャンダル」の副題をもつこのエッセイで、滝本氏は「ココシュカの不幸は、クリムトやエゴン・シーレ、リヒャルト・ゲルストルのように、“世紀末ウィーン”という時代風土の中に殉死できなかったことだ」と論じている。ココシュカは1980年、94歳まで長生きした。だが20年代以降のかれの作品は「色彩バランスが崩れた夥しいジャンクである」と滝本氏は斬って捨てている。
 アルマとは似ても似つかぬモンストルムに抱かれながら、幼児のごとく幸せな時を長い長い夢のなかに過ごした敗残の芸術家——。それにしても、プラーツはなぜアルマの名を伏せたのだろう。この稀代のファム・ファタル(宿命の女)の名を。

 プラーツの名についてまわる「みだりがましいまでに博学な」といった評言(若桑みどり、『官能の庭』訳者あとがき)に恐れをなすことはない。本書は、仰々しいまでに重厚な造本とは裏腹に、以上のような読んで愉しいエッセイというに相応しい内容に充ちているのだから。
 綺想、ビザール、マニエリスム、幻想怪奇といったジャンルに興味のある人は手にして裏切られることはないだろう。いささか値が張るが、千頁を超す大著ゆえのこと。決して高くはあるまい。めったな本屋には常備していない。こんな本こそネットで注文するに最適である。重いしね。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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紙の本歩く 河野裕子歌集

2003/01/30 19:13

ふすま閉めればわれもまっ逆さま

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 頃日、1冊の歌集を身辺にたずさえている。ある時は電車の吊り革につかまり、またある時はモスバーガーのカウンターで、寸暇を惜しんで頁を繰る。ことばが頭の中でしっかりと像をむすぶまで1首を幾度もくりかえし読む。

  小さき鍵は大きな秘密を守るため帽子箱のやうなものに隠す

 大きな秘密はどこに隠しているのだろう。薄暗い土蔵のような処にか。乱歩の『人でなしの恋』に出てくるような。帽子箱って、小さい頃うちにもあったっけ。ボール紙でできた円い函。今はあまり見かけないけど。って、そもそも帽子かぶらないし。ところで、大きな秘密ってなんだろう。

 大きな秘密という目に見えないアンビギュアスなものと、小さな鍵と帽子箱という確かな手触りのものとの対比。物語の1場面のようで、それでいて誰の心の中にもある日常の裂け目のようなものを想起させるあたりが1首の妙か。
 電車を降り、そんなことを頭の中でころがしながら歩く。歩きながら反芻し、反芻しながらまた歩く。

  もう一人の兄がゐたのだと記したる小さき紙片を子が持ちてゐし

 むかしの子どもは誰もが異母兄弟がどこかにいると空想したものだけれど、あれは少女漫画の影響だろうか。この子って弟かな、それとも妹かな。だれが書いたんだろう、この紙。ふしぎな歌だ。

 「逆立ちしておまへがおれを眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと」や、「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」といった歌でかつての青少年をシビレさせた少女も早や知命を過ぎた。たっぷりと真水をたたえた湖のように静謐で豊饒な歌藻を見せてくれる、著者最新の第9歌集である。

  さびしくて死んでしまひし人の気持ち襖閉めればわれもまつ逆さま

  滾る湯に菠薐草(はうれんさう)を放ちたりわつと噴きくるヨモツヒラサカ

 黄泉の国と現つし世とのさかいを見つめる歌が目につく。身辺にそして吾身に死を意識せざるを得ない出来事の多くなる年頃なのだろう、自らを省みてそう思う。

 ふだん短歌に縁のない人でも、やまだ紫の漫画『しんきらり』が、著者の「しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳」からタイトルを拝借したといえば、ああと思い当たるかもしれない。この拙い紹介文が、読者と本歌集とをむすぶひとつの機縁になればと冀う。
 本書は今年創業した出版社の最初の本だという。すばらしい船出を祝いたい。 (bk1ブックナビゲーター:服部滋/編集者)

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