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先月(2017年6月)

ササミさんのレビュー一覧

投稿者:ササミ

2 件中 1 件~ 2 件を表示

外国語で言葉遊び。ルールは何でもあり。

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ドイツ語と日本語で作品を産みだしている多和田さんの言葉と文学を巡るエッセイ。
第一部「母語の外へ出る旅」は書き下ろしで、各章にはテーマではなく土地の名前がまず記されている。

1. ダカール エクソフォニーは常識
2. ベルリン 植民地の呪縛
3. ロサンジェルス 言語の間の詩的な峡谷
などなど。

多和田さんは「容疑者の夜行列車」の〈あなた〉(二人称の視点人物)のように、絶え間なく世界中を旅しながら作家活動を続けていらっしゃる。行く先々でのシンポジウム、講演や町が招聘する〈作家の家〉制度など、ある場所で何を体験し、どういう思索をしてきたのか、明晰な文体で描かれている。多和田さんの考えがどういうふうに形成されてきたかが見えてくるファンには嬉しい内容である。私が好きなのは、根拠や証明で固めた思想ではなく、楽しい言葉遊び。役に立たないように見えるけれど、私は言葉がなくては生きていけない。一つの言語(母語)だけではなく、複数の言語が入り交じることによって、言葉遊びは連想が膨らんでどんどんパワーアップしていく。

赤ん坊はどんな言葉でも吸収して母語とする。一つの言語が選ばれるとき、他の言語を修得する可能性はなくなってしまう。エクソフォニーは、失われた可能性への再挑戦ということもできそうだ。多和田さんの場合、言語のはざまを意識されていて、「変身のためのオピウム」に出てくる
   「蜂は空中に8の字を描き、雨傘がその後を追う。はち、はち、気をつけて!」
という言葉遊びは、ドイツ語で 8 を acht、「気をつけて」が Achtung であるということを知らないと理解できない、言語の狭間に落っこちた言葉遊びなのである。

シュトックハンマー氏の主張として紹介されている
すべて創作言語は「選び取られたものだ」
という立場は、言語だけではなく、文体も含めて適用できる。さらに絵画、音楽、舞踊なども含めて芸術一般に拡張しても、言語→表現手段(画風、楽器など)と読み替えれば通用する。真面目な芸術論、文学論なのだが、多和田節の秀逸でユーモアにあふれた比喩がふんだんに使われていて、読書の喜びがたっぷり楽しめる。多和田さんの小説の中では、登場人物が時にこじつけに近い理屈を展開するけれど、エッセイでは論理展開がおとなしい。でも時々暴走して、脱線してくれるのはファン・サービスか。

フロイトの『夢判断』を無意識に存在する単語の関連の根拠とされているのは、ちょっと気になる(私はフロイトを信用していないのである)。ドイツで日本語を教えていて「病院」と「美容院」が似ているのを発見したというのは、本当かなあ。「医者」と「石屋」の類といっしょに、子供のころなぞなぞの本なんかでよく読んだ覚えがある。

フランス語を理解しないで長時間聞くことで意味を離れた純粋言語を体験した(夢で現れる)とか、知らない言語を習得する過程でその感覚がどう変わっていくか興味がある、という新しい冒険とさらなるステップアップを目指されているようだ。

第二部は実践編「ドイツ語の冒険」。実際にドイツ語の単語で遊んでみせる。こちらはNHKテレビのドイツ語講座テキストで連載されていた内容。私はテレビは見ないけれど、この連載を読むためにテキストだけ(nur)は買っていました。内容はドイツ語を学んでいる人を対象に書かれているので、ドイツ語をまったく知らない人にはちょっと辛いかもしれない。ドイツ語自体を知らなくても単語ひとつで妖しい発想がひろがっていくのを眺めるのは、すごく面白いと思う。

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紙の本変身のためのオピウム

2001/10/29 18:48

ギリシア神話に登場する女性を現代に蘇らせて

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 この作品を美しい秋の日に読むことができたのは、とても幸運だった。なぜならこの作品に登場するのは、秋の女たちだからだ。何人かの登場人物(例えばクリメネ)に舞台で見た黒い服を着た多和田さんが重なる。

 作品の構造はメタフィクションかメタメタフィクションになっている。「わたし」は登場人物に語りかけるが、それは作家であったり、作中の作家であったり、霊魂のように空中を彷徨っている存在であったりする。体内に作られる麻薬のような物質の作用で陶酔状態にある精神が、女たちの人生をのぞいていくという設定らしい。

 登場人物の名前はギリシア神話からとられているようだが、何を暗示しているのだろう。レダは白鳥のように入浴するが、白鳥に化けてレダに近づいたのはゼウスだ。自分自身が白鳥になってしまうレダには、男は(神は)もういらないということか。ゼメレの別れた夫はゼウスといい、息子はディオニソス(バッカス)である。ゼメレが靴を見つめるシーンでは、多和田さんのWEBにある詩の一節を思い出した。ギリシア神話に登場する女性を現代に蘇らせて語り直したのかもしれないし、女性の生き方みたいなものを模索しているのかも知れない(多和田さんは子供を産みたいのかも知れない)。本当は題材は何でもよくって、詩とも散文ともいえないテキストによる女性の生活を幻想的に描写する言語空間を作りたかったのかも。テーマは何度も読み直しているうちに見えてくるかも知れないし、永遠に判らないかも知れない。

 それでも多和田さんの文章を読むのは楽しい。多和田さんの作品を読み込んだせいか、脳の中に対応する回路ができてしまったのかもしれない。

 言葉の遊びはいつものように油断できない。例えば

「蜂は空中に8の字を描き、雨傘がその後を追う。はち、はち、気をつけて!」

 これは日本語とドイツ語のしゃれである(ドイツ語の8はAcht、気をつけてはAchtung)。

 そして、決めゼリフはこれかな

「あなた言葉の力と戦うつもりなの?」
「それは言語学者だから。」

(review-japanに書いた感想より)

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