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  3. うみひこさんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

うみひこさんのレビュー一覧

投稿者:うみひこ

118 件中 1 件~ 15 件を表示

「赤毛のアン」の題名は…

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 もし、あなたが『赤毛のアン』を読んだことがあるならば、まずは67ページの写真を見て欲しい。翻訳者村岡花子が学んだ東洋英和女学校に派遣された婦人宣教師団の写真。その左端に座る眼鏡の女性の服装をじっと見て欲しい。ほら、お気づきでしょう?膨らんだ袖。アンがあんなに憧れて、マシュウが必死の思いで贈り物にしたあの膨らんだ袖の服を着ているのだ。もう、それだけで、何かアンについての秘密をそっと手渡されたような気がしてこないだろうか?
 本書は、村岡花子の生涯を孫に当たる著者が書いたものなのだが、決しておばあちゃまの思い出なんて、甘いものではない。花子の生涯自体が、そのような甘さを排斥しているのだ。
クリスチャンでやがて社会主義者になる父を持ち、10歳にして女学校の寄宿舎に入った彼女の人生の厳しさ。学校の図書室の本をすべて読んでしまう程の勤勉さ。そして、真実の愛を手に入れるまでの激しさ。その人生に尊敬と驚きを感じずにはいられない。
 彼女の生涯に現れる人々との友情や手紙のやりとりの風景にも心を打たれる。柳原白蓮との生涯を通じての友情。先輩と仰ぐ片山廣子との交流。日本女子大の創立を支えた広岡浅子を通じての市川房枝との出会い。吉屋信子への共感。友情を結んだ人々との会話が再現される場面には、日本の文学史の重要な要素が詰まっているのだ。
 さらに、翻訳だけではなく彼女は若くして実家を助けるために働き始めている。その仕事だけでも、教師、編集者、児童文学者、ラジオのパーソナリティと、多彩さに目を瞠るものがある。震災後、夫と共に立ち上げた出版社兼印刷所。そして、そこから、大人も子供も楽しめる家庭文学の機関誌を発行し続けたこと、婦人参政権獲得運動への参加、そして、戦後の文庫活動など、全てに先駆者であった人なのだと、驚きを感じずにはいられないのだ。
 そして、何より、本書で明かされる『赤毛のアン』にまつわる全てが、読者の気持ちを引きつけるだろう。原書がどのようにして彼女の手に渡され、どのように戦時下で訳されていったのか。出版に向けてのやりとり、そしてこの忘れがたい題名が決定された場面等々。このわくわくする物語については、読んでからのお楽しみに、口を噤んでいよう。
 もう一度、さっきの写真を見て欲しい。膨らんだ袖。その袖が語るのは、彼女たちが作者モンゴメリと同じ世代だったということ。そして、彼女たちから学んだ村岡花子だからこそ訳し得た世界が、読者を惹きつけたということなのだ。その素晴らしい贈り物に感謝を込めて、もう一度、彼女の激しく豊かな生涯を、近代の文学史の中で、そして女性史の中で、見つめていきたいと思うのだ。

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紫式部がサブカルチャー作家だった頃

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 また一条帝の時代についての、魅力的な本が出た。
この時代、いってみれば、一条帝の時代は、清少納言と紫式部の時代でもあり、いかに藤原道長が権力を握っていったかという時代でもある。
著者は、歴史を読む資料として公家の日記だけでなく、『枕草子』『源氏物語』『栄華物語』などの文学の中に読み込まれたものの相互的な影響を見ることによって、絢爛豪華な時代の様々な側面を読み込んでいくことを可能にした。 こうして、著者の視点で一条帝の時代を眺めていくと、「同時代」に生きた人々の豊富さに目を瞠る思いがする。
一条帝は、その姿が『枕草子』と『紫式部日記』に、実に鮮やかに描かれている天皇だ。笛の名手で、茶目っ気があり、いたずら心に富んだ若々しい帝でありながら、真面目で冷静で、常に己を抑える物静かで思慮を重ねる人物。そんな姿が、そのどちらの作品からも窺える。    
その人生を作者と辿りながら、気がつくのは、定子后の時代、彰子后の時代と、読み分けてしまうことの危険さである。二人は同時に后であった時代があるのだ。
更に重要なことは、作者が明らかにするように、『枕草子』は、定子后が宮廷にいるときに書き上げられ流布されたものではないということなのだ。定子后が死去して10年後にも、まだ書き継がれ、人々に読まれていた。そしてそれを読みながら、「昔はよかった」と、回顧する人々が、現実に宮廷内に多数いたということだ。
そんな時代に宮中に女房として仕えていたのが紫式部だった。そして、彼女の描いた物語は、その時代ではサブカルチャーにすぎないという作者の指摘を考えると、『紫式部日記』と、『源氏物語』後半部の成立の秘密が見えてくるのだ。
そう、宮廷内の出来事を書きつづる清少納言の指からは、いまだ週刊誌的な回顧録が流れ続けている。定子后の時代はよかった、定子后のいる後宮はお洒落だった気が利いていた。帝と定子后は愛し合っていた。そんな文章が貴族たちの間に流布しているときに、定子后をいまだ恋い慕っていることが目に見えている一条帝と結婚していたのが彰子后だったのだ。そして、その立場を、同情の眼で見守っている女房紫式部がいた。
そういう視点に立って、『紫式部日記』を読むと、彼女の愚痴や悪口の意味が、実に現実的になってくる。これは、現在形の悪口なのだ。無くなってしまった後宮や去っていった清少納言になぜ悪口で追い打ちをかけるのだろうという疑問が、ここにひとつの答えを持つのだ。
有名人の清少納言の描く華やかな定子后の後宮の姿に異を唱えられない紫式部。道長が高貴な血筋のお嬢様ばかりを彰子后の女房に集めたせいで、気の利かないお高くとまった同僚たちに囲まれて、自分までもが居心地悪かった紫式部。華やかな調度に囲まれながらもきまじめな彰子后の後宮。そこに、主流の教養である「和歌」や「漢詩」ではなく、サブカルチャーに過ぎない「物語」作家である紫式部がいるという図式は、実に眼からウロコの情景なのだ。
冒頭にまるで、推理小説のような「登場人物」表があるこの本は、見やすい系統図があったり、登場人物の邸宅位置の地図(安倍晴明ファン必見)があったり、最新の清涼殿平面図があったりして、実に至れり尽くせりに、読者をこの時代に導いていく。
ただ、欲を言えばあと一つ欲しかったのは、「年表」である。是非、お手近の年表に書き込みしながら読み薦められることをお薦めしたい。(私は作者が、資料にあげている倉本一宏著の『一条天皇』の年表に、いろいろ書き込んで、同時代性ということを深く再認識して楽しんだ。)
新しい視点でこの時代を楽しめること請け合いのこの本は、研究書としては破格に定価も安く、資料として是非手元に置くことをお薦めしたい。


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アイルランドの想像力の旅へ

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

イェイツとジョイス、ストーカー、ワイルド、ハーン、そしてドイル。最初の2人を除いて、この文学者たちがアイルランドに縁の深い作家だと言われて、驚かれる読者も多いのではないだろうか。そして、特に後半の五人につきまとうなにやら怪しい影に気づかれただろうか。ストーカーは、もちろんあの『吸血鬼ドラキュラ』をトランシルヴァニアから連れ出してきた作家だ。ワイルドは、同性愛者の耽美の極みともいうべき『ドリアン・グレイの肖像』を描き出し、ハーンはいわずとしれた『怪談』の名手。そして、ここに登場するドイルは頭脳明晰な科学的精神の持ち主シャーロック・ホームズを気取った英国紳士ではない。子供だましの妖精写真を信じ込んだ傷ついた男だ。こんな魅力的な題材で作者は何を語ろうとしているのだろう。興味をそそられずにはいられない。
筆者によって読者がまず蒙を解かれるのは、アイルランド=ケルトではないということだ。これによって、足枷を解かれたように、作者は、自由にアイルランドの想像力のネットワークを飛び回り、読者を19世紀から20世紀にかけての文学の世界に連れて行ってくれる。パイロットとして「取り替え子」の物語、妖精が人間の子供を連れて行く代わりに木ぎれや妖精の子を置いていくという民話が、読者を導いていく。
例えば、「ドラキュラ」の吸血鬼にされた妻を心臓に杭を打つことで取り返す場面に、取り替え子を取り戻す場面を見ること。また、画布の中に年老いた醜い自分を残し、美しいものに囲まれた屋敷で若き美貌を保ち続けていた「ドリアン」に、逆に妖精の世界に生きようとするような逆さまの取り替え子を見る視点。確かに作者の言うような民話や伝説の影を見ていくのは、魅力的な方法である。ただし、この本の作者が試みているのは一つの視点で彼らをくくることではない。それが明らかになるのは、ハーンの日本の民話の再話の中に、民話の普遍化を、民話の世界への解放を読む作者の試みである。又、ドイルとジョイスについて語る終章で、「もはや妖精は見えない」として断じた現代の文学者の中に、死んだ我が子を別の世界で甦らせたい切ない親心を見る作者に、私は同意する。新しい民話が発祥する契機は、暗闇や土塁がなくても同じように人の心の中に兆しているだろう。
アイルランドの想像力の旅がいかに魅惑的かを、民族的特徴を述べ立てる方法ではなく語っていこうとする作者の方法は、実に面白く画期的である。だが、新書として限られた場所では、捉えきれないほどの試みが作者にはあるように思える。今後の作品を期待したい。また、各章にもうけられたコラムの中に、京極夏彦やイアン・マクドナルドやウィリアム・ギブソンが語られていることに嬉しい驚きを隠せない。文学も研究も、常に若くどこまでも開かれていくことを、私の偏愛する夜の住人と共に願うのだ。

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紙の本魔女物語

2008/12/19 16:04

寒い日はピロシキとロシアの妖怪と本当の魔女

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 寒くて頭痛のする日に、ソファーで寝転がって、この短編集を読んでみたら、何だか急に元気が出てきて、熱いロシア紅茶とピロシキが食べたくなってきた。
 この本の作者は、革命前のロシアで、ユーモアに満ちた台本と小説の書き手として愛され、キャンディや香水にまでその名が使われたというアイドル的作家だったという。
 題名からロシアの魔女ばかりの話と思っていたのだが、そうではなくて、不思議で怪しげなロシアの伝説の中の妖怪のいる短編集だった。一編一編に、挿絵と妖怪についての短い紹介文があってお話が始まる、という作りなのだが、伝説を語っているわけではない。もっとひとひねりした、作者独自の展開で物語が転がり始める。
 表題作の『魔女物語』に出てくるのは、本当に魔女だったのか、それとも奇妙で不器用なだけの女中だったのか分からない女の子。けれども、何かあった家には誰も住もうとしない。
次の『吸血鬼』でも、奇妙な赤ん坊が本当に大学生の叔父の血を吸ったのかはわからずじまいだ。だが、ロシアの万年大学生、大食らいで大酒飲みという大学生が登場してくるだけで物語は活気づく。そして、本当のことは曖昧なまま、恐ろしい伝説ができあがっていく。 こう書くととまがまがしい語り口のようだが、そうではない。奇妙なユーモアで、転がるように物語は進んでいく。そして、作者の視線は、物語の創造者である老女に注がれていく。

 そう、物語には、必ず不思議な薬草に詳しかったり、伝説を口にする老女たち、ばあやが介在してくる。彼女たちの迷信を利用したような『風呂小屋の悪魔』を読むと、ちょっとがっかりしてしまうところもあるが、このロシアの物語の中では、ばあやたちは、伝説と現代を、幻想と現実を繋ぐ、あぶなっかしいが重要な役回りなのだ。

 日本にもいそうな『家鬼』。いかにもロシアの森の魔物らしい『レシチャーハ』。いたのかいなかったのか定かではない『うろつく死人』に『ヴォジャノイ(水の魔)』。彼らの存在をささやき続けるのは、お爺さんやお婆さんたち、土地の人だ。
 そして、ロシアの夏の別荘生活の魅力と革命前夜のデカダンスを見事に描いた『妖犬』と、『化け物たち』には、テッフィの手腕と、彼女のいた時代、第一次世界大戦と革命に揺れるインテリ層のいた時代というものを感じずにはいられない。

 そして、何より最後の『ヤガー婆さん』。
バーバ・ヤガー或いは山姥とも訳され、ロシアの民話には欠かせない悪役の人食い鬼なのだけれど、物語では、最後に必ず獲物に逃げられてしまう。そんな、ヤガー婆さんを国語の先生は「…雪嵐と猛吹雪の女神です」と教えたという。作者は物語の中に入っていき、ヤガー婆さんを見つめていく。そして、結びの一言に、疎外された女神という存在の悲しみを込めて、ささやくのだ。魔女という言葉の中にある悲しみを感じる人なら、溜息をついて繰り返さずにはいられないだろう。
やるせないったらないことよ、と。

 革命後、パリに亡命した後もこの作品を含む多くの作品を書き上げ、出版できた希有な作家であったというテッフィ。貴重なラスプーチンついての回想録やこの不思議なペンネームについての短編が読める『テッフィ短編集』にも、この作家の多彩な側面が現れていて面白い。


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古書の来歴

2010/03/28 12:07

古書にまつわるミステリーと、書物に関わる人々の時空を超えた物語

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 古書の保存修復の専門家の、オーストラリア人ハンナが、
ある1冊の本を調査保存するために、
ボスニアのサラエボに降り立つ。

その本は「サラエボ・ハガター」と呼ばれ、
中世のスペインでつくられた。
ユダヤ教では禁じられていた筈の
彩色された宗教画の挿絵入りのヘブライ語の書物。
国立博物館の学芸員オズレンが、
戦火の中保存した奇跡の書物。
彼と共に、国連職員や、国連平和軍の兵士、
ボスニアの警察官、銀行の警備員に囲まれて、
銀行の会議室で、ハンナは仕事を始める。

彼女に与えられた時間は1時間のみ。
その間に彼女がするのは、本をすっかり綺麗にすることではなく、
与えられた本の損傷はそのままに、
その本を研究できる程度に修復すること。

 その見事な絵で彩色された書物から見つかる様々な疑問点や、
書物が辿ってきた歴史を調査できる様々な品や謎を
ハンナは見つけ出す。 

それは、古書の最後に書き込まれたラテン語。
羊皮紙の損傷の中に現れた一粒の塩の結晶。
挿絵の中に描かれた、
ユダヤ教の祭りに参加している一人のアフリカ系女性の絵。
半透明の昆虫の羽。
綴じ糸に染みついた白い毛。
ワインの染み。
失われた銀細工の留め金。

 世界各地に散らばる研究者と出会いながら、
ハンナは様々な謎を調査していく。

と、平行して、書物に関わってきた全ての過去の人々の物語が、
語られていく。
ウィーンで、ヴェネチアで、スペインのタラゴナで、セビリアで、
エルサレムで、そして、また、このサラエボで…。

 書物が通り抜けてきた、危機、数々のユダヤ人迫害、
異端審問、ナチスによる焚書、革命。
その中で、書物を作り上げ、描き、守り続けた様々な人々が、
ハンナが見いだした謎の奥底に存在してきたのだ。
 
 ハンナ自身の物語も同じように現在の時の中で、展開していく。
超一流の脳外科医の母との関係、
語られなかった父親の謎、
そして、恋。

 やがて、この希少な古書が何度も何度も失われそうになる物語が、
再び、現在のハンナ自身の物語と絡み合っていく。
最後に、書物が救われるとき、
一つの謎を解き明かす新しい発見が、
書物の中から、美しく立ち現れてくる…。

ここにあるのは、一つの書物の中にある物語だけではなく、
その書物が辿ってきた時代を読むこと。
そんな古書への愛着を促す物語だ。
 
 書物を愛する人にはたまらない謎解きの物語であると共に、
人を愛することを知る女性たちの物語でもあり、
戦争や暴力や、開発という名の下に、
失われていく文化への警告に満ちた書でもある。

 けれども、とにかくメリハリのついた
一流のミステリーであることが、何よりもたまらない。
ページをめくる指が止められなくなる。
そして、読後、ピューリッツアー賞受賞者の
もとジャーナリストである作者の生き生きとした筆遣いに、
次回作への期待を感じずには居られなくなるだろう。

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紙の本赤い靴の誘惑

2007/10/19 12:55

感謝祭からクリスマスにかけてのニューヨークの魔法生活

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

前作『ニューヨークの魔法使い』で、魔法会社に就職したごく平凡なOLケイティ。やっと仕事にも魔法世界にもなれて、気になる男性は他にいるものの、素敵な非魔法使いの弁護士のボーイフレンドもでき、デートのお誘いに忙しい毎日を送っている。そんな中、ルームメートとデパートにデート用の服選びにやってきたケイティは、全然買うつもりのなかった赤い靴に奇妙に心が引かれてしまう。
ある日、上京に反対していた田舎の両親が、遊びにやって来るという知らせが届く。感謝祭に沸くニューヨークで、いかに魔法世界の存在に気づかせずに両親と過ごすか、という大問題にケイテイは、頭を痛めることになる。そんな中、仇敵の黒魔術師イドリスが会社にスパイを送り込んでいることがわかり、ケイティはスパイを探索する役目を言いつかるのだ。
やがて、上京してきた母親がケイティと同じように魔法がかからない体質であることがわかり、やたらと周りをうろつきだしたイドリスの仕掛ける魔法をごまかすのにケイティは必死になっていく。
果たして、両親は無事、何も知らないまま帰郷してくれるだろうか。何だか、調子の狂ってきたケイティの能力の行方はどうなるのか。そして、あの素敵な赤い靴はケイティを幸せにしてくれるのだろうか、黒魔術師の放った罠の中で、魔法会社はどうなってしまうのか。
実に色々な仕掛けがあって、楽しめるこの物語は、恋の物語としても今回は充実して来ている。読者も、恋人と暖炉の前で過ごすニュー・ヨークの雪の一夜を思い描いて、じっくりと心を温めて欲しい。
その他にも、ケイティのお料理上手のママが作ってくれる感謝祭のご馳走。
「パンプキンパイに…あの小さなマシュマロの入ったさつまいもの料理…」
そして、クリスマス・パーティまで、小さなプレゼントを贈り続けるという会社内でのシークレットサンタ作戦。等々、アメリカの普通の人たちの生活を垣間見ることもできるだろう。
これから始まる寒い季節、心を温めるのに、実にぴったりの物語。手元に置いて、クリスマスまで、何度も読み返して、魔法使いのいるニューヨークを楽しもう。

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紙の本獣の奏者 1 闘蛇編

2007/02/24 17:31

魔術ではなく

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幻獣と語る少女の話。そう書くだけで、少女には、特殊な能力があるか、特殊な一族の秘術が授けられているか、あるいはお師匠様について魔術でも学ぶのだろうと思われるだろう。だが、この物語の主人公エリンは違う。彼女は考える。そう、ファンタジーには珍しく、エリンは観察し、仮説を立て、実験を重ねて、様々な方法を見いだしていく。彼女は科学的思考をする少女なのだ。
エリンが生まれた国は、二つに分かれている。王獣に乗って降臨した神王が治める王領の国と、闘蛇を操り近隣の国を平定し、王領に富と権力を貢ぐ大公の国。権威と権力の二分化は、それぞれの国の住民に不満をもたらすようになってきている。
そんな中で、ある日、獣医術師であるエリンの母が育てていた大公の戦闘用の闘蛇が死に、難をおそれた村人たちは、母を処刑してしまう。母を助けようとしたエリンは、霧の民の出身である母の必死の身振りによって、池の中で野生の闘蛇に食べられるところを危うく逃れる。
山の中で倒れていたエリンを助けたのは蜂飼いのジョウンだった。彼の下で暮すうち、エリンは生き物に対する様々な知識を学び取り、考える力を身につけていく。やがて、山の中で野生の王獣を見たことから、エリンは、王獣の医術師になる学舎で学び始める。ある日、怪我をした幼い王獣が学舎に運び込まれ、その世話をしていく中で、王獣と意思の疎通を図る技術を見いだしていった事から、エリンは、この国の存亡の危機の鍵を握ることになっていく…。
この物語の中で、魅力的なのは、登場人物たちが、みんな一生懸命考えているところにあると思う。暗い定めや掟に身を任せるのではなく、世界が崩壊するのを防ぐ方法を、考える。ニヒリステイックな考えに囚われそうな兵士も、王女も、大公の息子も…。そして、獣医術師としてのエリンが、この世界の中の生き物について真剣に考えていく過程が、世界の変貌に大きく関わっていく。孤独な少女が、人間と相容れないといわれる動物と接しながら、必死でコミュニュケーションの道を探っていく過程は、とても、豊潤な物語となり、一時も目が離せない。ファンタジー世界が破壊されるのではなく、変貌していく姿を楽しむことができるこの物語。その新しい世界観と、終結の思いがけない見事さには、圧倒され、感動を押さえられない。

この書評は、Ⅰ、Ⅱ巻共通のものです。

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紙の本塩の道

2005/08/16 21:07

饒舌な民俗学

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

名著として知られるこの『塩の道』の魅力は、何といってもこの著者独特の語り口にあるだろう。ゆっくりと語り出される話に耳を傾けていると、思いがけない場所に連れて行かれる。それは、柳田国男の『遠野物語』のような、冥界の香りのする異国への旅とは違う。手を伸ばせばすぐ傍にある裏山の、その又向こう、歩こうと思えばずんずん入っていける山の中のようで、確かに知っている日本のどこかの話なのだ。すぐ近くにいながら見落としていた風景が語り出される。そして、今すぐ田舎の祖父母に確認すれば教えてくれるかもしれないその身近なその風景の中に、日本を支えてくれた先人の知恵と工夫を著者が見いだしているのを知ることになる。
私にとって最も魅力のあったのは「塩の道を歩いた牛の話」の章だ。簡略に言ってしまうと、塩を運ぶのには主に牛が使われていたという話なのだが、そこから見えてくるものの豊富さと、著者の語りに酔ってしまうようだ。三陸の海岸でできた塩を、牛の背に乗せて北上川をさかのぼり、「塩っこと稗っこを取り替えねえか。」と叫んで、物々交換で交易する風景。「道草」をして、道端の草を餌にして、どんな細い道でも入っていく牛の方が馬より荷運びに便利だったという指摘。石を投げて、山の神に許可を得て、その場所に火を焚き、その回りに輪になって、足を内側に向けて牛を寝かせ、その牛の腹に身を寄せて夜を明かす野宿の風景。鮮やかに目に浮かぶ習俗の描写と、納得がいく解き明かしとの妙が楽しめるのだ。
この他にも、トウモロコシ、蕎、稲作、赤米、サツマイモ等々について古代、平安、中世から現代に縦横無尽に語り明かし、命を繋いでいく工夫をしようと呼びかける『日本人とたべもの』、農具や建築、お膳や畳等の生活用品について、生活の中の美と長い工夫の知恵との歴史の再評価を語りかける『暮らしの形と美』が収録されている。
饒舌で豊かな、めくるめく宮本ワールドへの第一歩として、是非お薦めしたい1冊である。

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ヴィクとパレツキーの自伝と、現在という恐怖の時代について

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 初めて、この書物を手にしたとき、これは、サラ・パレツキーのただの自伝だと思っていた。シカゴの名高い女探偵「V.I.ウォーショースキー」の生みの親。強く逞しく、恋人が「君は強すぎる…」と言って、去っていくような女性を描いた人は、どんな人生を送ってきたのだろうと思ってきたから…。けれども、この書物は、ただの自伝ではなかった。現在のアメリカへの告発の書なのだ。

作者は 1947年6月8日生まれ。こう書くと、この年号に深い意味を感じる。日本では、団塊の世代と呼ばれている世代。アメリカでは、反人種差別運動とウーマンリブ運動を知る人々の世代なのだ。

ある意味、「若者の時代」の作家でもある。

 この自伝を読んでいくと、彼女が作り上げた主人公が、何故、フェミニストで、自立した女性で、ハードボイルドな逞しい探偵であるかが分かってくる気がする。そして、それが、作者が、どういう時代を生きてきたからなのかも分かってくる。
 
それほど、この自伝の中では、彼女の若い頃の時代についての言及が多いのだ。そして、その時代を語ることが、アメリカの現代史を語り直すことでもあるようだ。
これは、パレツキーの自伝であるが、同時に、ヴィク誕生の物語でもある。是非、若い頃の彼女と共に、1966年8月のシカゴに降り立ち、そこで、ヴィクが生まれることになったアメリカの歴史の1頁、キング牧師との出会いを見てもらいたい。

 ところで、私は、いつも彼女と同時期にハードボイルドな女探偵を作り上げたスー・グラフトンの主人公キンジー・ミルホーンと、パレツスキーのヴィクを比べずにはいられない。二人の違いの中に、それぞれの作家が自己投影したものが見えてくるのだ。
例えば、 キンジーは貧乏で、知り合いもクライアント以外には、特に大金持ちはいない。
ヴィクには、親友のロティという医師のおかげで、富裕層の知り合いが何人かいるし、顧客も経営者が多い。
キンジーは気取らず、着るものに無頓着で、ドレスは一枚しか持っていないが、ヴィクは企業相手の仕事が多いので、絹のブラウスを着ることが多い。
キンジーは無趣味だが、ヴィクは母親がイタリア系ユダヤ人の移民で、オペラ歌手を目指していたので、自身も音楽に造詣が深い。
キンジーは食べるものに興味がないが、
(でも、ピクルスとピーナッツバターのサンドイッチは作る)
ヴィクはほんの少しは料理をするし、(やたらと、トーフの炒め物がまずそうな感じで出てくるが、 イタリア風オムレツは得意らしい)
舌が少しは肥えているようだ。
キンジーもヴィクも恋人が次々現れるのだが、 どうもヴィクの方が、「君は強すぎる」という理由でふられることが多い気がする。
キンジーは2回結婚(離婚も)している。
相手は、警官仲間の年上の男と、天使のように美しい麻薬中毒のミュージシャン。
ヴィクは、一度だけ結婚(もちろん離婚)していて、相手は、ロースクールの同級生で、弁護士。
二人とも、白人女性で、貧乏な出自となっている。二人とも両親を亡くしている。
でも、キンジーは幼い頃に事故で両親ともになくし、独身の伯母に育てられた。そして、学歴はハイスクールまでで、その後、警官になっている。
ヴィクは、移民の両親に育てられ、大学を出してもらい、弁護士になった。両親はそれぞれ、別の時期に病死している。

何故、こんなに長々と比較したかというと、この自伝で知った、パレツキーの生い立ちが、作品にどう反映されているかが分かるからだ。

パレツキーは、司書の母と教授の父を持ち、男兄弟3人のうち、下の弟二人の生活の面倒を常に任されて育った。(7歳の時から毎週土曜、彼らのためにパンを焼き続けたといっている)インテリ家庭で育った割には、家庭内では、女の子というだけでかなりの差別を受けていたらしい。進学するにおいても、父親からの援助が受けられず、苦学して、博士号を取ったことなどが、この自伝で語られている。また、大学内でも教授たちによるセクハラ的言動や差別が当たり前だった時代についても、語られている。
 作者が主人公を、一人っ子に設定し、警官の娘という低所得家庭の出自ながら愛情深く育てられ、頑張って弁護士になった、という設定を見ると、パレツキー自身の憧れていたもの、自己投影した部分などがわかって来る気がする。 
 では、そんな彼女がどういう男性と結婚したか、については、お楽しみにとっておきたいのだが、実は殆ど語られていないのが、心残りなのだ。「彼」については、1冊の本がかけるくらい興味深い人物だと言ってはいるのだが…。
 何故、現在の自分について語る部分が少ないのだろう?それは、彼女がこの自伝を通して語りたかったことが、実は、アメリカの現状と、沈黙を強いられる作家がどのように声を上げていくかということだからなのだ。
 9・11以降、アメリカで施行された「愛国者法」の問答無用な恐ろしさを彼女は語る。テロを防ぐという理由の元に、アメリカ国民は自由を失いつつある。国家安全保障局とFBIによる捜査の恐ろしさ、全ての通信が、メールが、電話が盗聴され、図書館の自由も失われてしまう時代の恐ろしさを彼女は説く。
 彼女は、若い頃、ボランティアでシカゴを訪れ、キング牧師のデモに連なり、公民権運動に対する憎悪を目の当たりにした。それが彼女の人生を変え、ヴィクを生み出した。そんな彼女だからこそ、このような時代を生きぬき、どんなに、彼女とヴィクが疲れていようとも、物語を生み出して行くにちがいない。
 
 今後、この作家が沈黙を強いられる時代に、パレツキーとヴィクがどう戦っていくのかを、物語の中で読み込んでいくことが、現代アメリカを知る契機となっていくだろう。

 4年ぶりに、新作の翻訳もでたようだ。愛読者としては、本当に様々な意味で期待に燃えるところである。

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1000年前のブログを読むには

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この書評を下巻から書きおこそうと思ったのは、
この下巻の「おわりに」にまず注目してもらいたいからだ。
この日記の面白い読みどころが、
実に平明な学者臭くない文章で書いてある。
成る程、そこに注目して読めば、
この日記が、ますます面白くなるな、
と思わせるものが、いくつもある。

例えば、「文字について」
各巻の冒頭に、自筆本の写真が載っているのだが、
確かに道長の字は汚い。
おまけに黒々と墨で消してあったりする。
じゃあ、本当にこの国第一の権勢を誇った人が悪筆だったのかというと、
それは、人に見せないつもりの日記だからであって、
寺に奉納した教典の文字は達筆だったという。
そう知ると、この日記が、記録としての半ば公式な日記ではなく、
個人的な日記だったのだということが納得できて、興味が引かれる。
そして、ますます、この文字から、
道長の人柄がのぞけてきそうな気もしてくる。

そんなふうに、この日記の特徴を書いてある
この「おわりに」を読んでいくと、
道長という人への興味がどんどん湧いてくる。
例えば、「記されなかった記事について1」等を読んでいると、
記されなかった一条帝の言葉を色々推理したくて溜まらなくなる。
また、「物の怪」の記されているのは
ただ二カ所だけなのだという指摘もある。
怖いことについて、書くのを避けていたらしいという。
そんな物の怪についての記述のあり場所を探してみる。
そんなふうに、この日記から
自分なりの何かを見つけ出していくのも
面白いだろう。

 けれども、ある日、友人に、
「一巻を買ってそのままにしてある。
 この日記は小説ではないから読みにくい」
と、言われた。
確かに、貴族の日常が
毎日素っ気ない文章で書かれているだけ
と思えば、つまらないかもしれない。
でも、日本史の中ではダントツの有名人、
あの道長さんがブログを書いたと思えば、面白さは抜群だと思う。
何せ、身近にいるのも、安倍晴明やら紫式部やらの有名人だらけ。
次から次へ歴史的事件の中で、
面白い日常が発掘されるてくるからだ。

 とにかく、この本は、上中下とも、
用語解説、人物註、年表、地図、
内裏図、土御門第図などが付されていて、
手ぶらで通勤電車の中でも、読める仕組みになっている。
そして、読みながら、
現代の地図にかぶせられた京都の地図を見ていると、
現代とは違う平安京の様子が、
まざまざと目に浮かび上がってくる気がするのだ。

また、先ほども書いたように、
各巻の冒頭に掲載された自筆の文章の写真がある。
上巻の冒頭の、黒々と墨で塗り潰された跡のある
安倍晴明宛の文の写真。
下巻に掲載されている「この世をば」の和歌の写真。
これらを見ると、その時の感情まで、
墨の間から薫ってくるような気がして、惹きつけられる。

 頻繁に書き付けられる天候の様子に、
小学生の時に買ってもらった日記帳にも、
必ず天気の記載欄があったのを思い出す。
農業国日本の歴史なのだろうか。

そして、
「安倍晴明が五竜の祭を奉仕したところ、天の感応があった、
 被物をたまうこととする」
の一文に、朝廷の祭祀的役割の重要性を思わされるのだ。

かと思うと、
夢見が悪かったり、犬が死んだり、
何かというと物忌みで、
内裏に行かない奇妙な貴族の日常も、ここにある。
なんだかんだと、みんな休んで出てこないまま、
会議もできない朝廷の不思議さ。

 袴や馬が山ほど献納されてきて、
それをどこへやったとか、
誰に下賜したとかの記載の多さも気になる。

ここら辺りから、歴史的な何かを発見していくか、
陰陽師の活躍する怪しげな時代への幻想を得るかは、
読み手次第のお楽しみだろう。

ところで、私が一番気になるのは、
「羮次(あつものついで)を奉仕する」の一文だ。
野菜や魚肉を熱く煮た吸い物(鍋料理)の用語解説に、
宮廷で鍋パーティをする貴族たちの映像が、
頭の中で動いてしまって離れないのだ。
鍋奉行はいたのだろうか。
それとも、下手な料亭風に、お給仕が全て取り分けて、
貴族たちは、ただ、食べるだけだったのだろうか。
いや、それならば、
この言葉だけが時たま出てくるのは、おかしいだろう。
やはり、一種の特別な宴会だったのだろう云々と、
想像が次々に膨らんでしまうのだ。

読みどころ満載のこの日記。
とにかく、飽きてきたら、まずは下巻でヒントをもらってから、
読み直してみてはどうだろう。

そして、独自の読み方で、この一〇〇〇年前のブログを
じっくりと、楽しんでみて欲しいのだ。

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生誕100年のサルトル

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今年は、サルトル生誕100年という事である。おやっと首をかしげるのは、私だけではないはずだと思う。20世紀において、サルトルは、常に同時代人だった。常に、同時代において様々な場面で発言を続けてきたからだ。そして、人生の一時期に、彼の哲学や小説に、又は「アンガジュマン」の行動やボーヴォワールとのカップルとしての生き方に、影響をうけたのも、私だけではなかったろうと思う。
 その死後、25年。そろそろ、確かにもう一度自分の人生を含め、サルトルのいた時代として20世紀を読み直して行く時かもしれない。そんな思いに、答えてくれる格好の書が、本書である。
 語り始めは著者自身の『嘔吐』との出会いであり、まずここにひきこまれる読者も多いだろう。文学であり哲学であることの魅力こそが、この小説の魅力だった。第二章では、第二次世界大戦下のサルトルの思想形成の形で、『存在と無』と「アンガジュマン」が、第三章では実存主義と、小説、戯曲、評伝について、第四章では、「闘うサルトル」として、サルトルの政治行動が考察されている。第五章では、フランス思想界におけるサルトルの再審という思想の動向が語られ、やがて、その考察は、サルトルの未完の倫理学に向う。この章は、私たち読者への宿題のように思える。何故なら、著者は、二一世紀に生きる私たちが自由をそして人間を考えていく事の重要性と哲学の存在意義について語りかけているからだ。
また、 各章の合間には、生き生きとした「サルトルの肖像」が短いコラムのように書き込まれていて、多彩なサルトル像が楽しめる仕組みになっている。

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紙の本明治のお嬢さま

2010/02/01 16:33

明治美人が一杯

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

このところ、古い雑誌を読むのにはまっている。
昔の雑誌を読んでいると、
挿絵、表紙絵、広告や
奥付にある発行所の住所表記だけでなく、
表紙や各頁の紙の質など、
全てがその時代を語ってくれるのに気づく。
雑誌というのは、時代を表す情報の宝庫なのだ
という気がしてならない。

 本書は、そんな古い雑誌、
明治の『婦人画報』(何と、編集長は、国木田独歩!)や
『『女学世界』『婦人世界』などの
グラビアページに現れる上流階級の人々の生活や姿を中心に、
明治後期の令嬢達の姿を描いたものだ。

 例えば、この本の表紙絵をよく見ると、
『婦人画報』に載っているこのお嬢さまが
いかに裕福なのかが読み取れてくる。
一人のお嬢さまの絵は、立って、
箪笥の上の花瓶に挿した花を見とれている、
かと思ったら、箪笥ではなく、ピアノだった。
片手には楽譜を持っている。
1907年にピアノ!
どれくらいお金持ちだとピアノが買えたのだろうか。
もう一枚の絵は、イーゼルに立てかけられたキャンバスに向かって、
パレット片手に屋外で絵を描いているお嬢さまの姿。
油絵を描くというだけで、
どれだけ普通の人からはかけ離れているかが分かる。
こちらは、1900年。
『青鞜』がでるのが、1911年だから、
長沼智恵子よりももっと前に、
既に油絵を学んでいたお嬢さまの図なのだ。
 
 それは、本当に信じられないような不思議さに満ちている。
自由で裕福なお嬢さまの姿を感じさせ、
読者に憧れの気持ちを抱かせる。

 だが、本当にそうなのだろうか?
彼女たち、明治のお嬢さまは、幸せだったのだろうか?

 作者は、信じられない程豪奢な生活を送る上流階級の姿と
そこに潜む矛盾を見事にユーモアを込めて描いてみせる。
豪華で信じられない程広大な屋敷に住み、
大勢の召使いに傅かれながら過ごす生活。
でも、それは、逆に、
台所が遠すぎて、おつゆもおかずも冷めてしまい、
いつも冷たい食事を食べる生活を生むという。
お陰で熱いものが食べられない、
貴族独特の猫舌の体質ができあがるのだ。
いつでもどこでもお付きの女中が傍についていて、
お金にさわることは一度もないまま成人するお嬢さま達。
女学校へは行きも帰りも馬車や車で、寄り道はなし。
学生同士の交遊も学内止まりだという。
孤独で、籠の鳥の生活。

年頃になると、結婚が待っている。
上流階級であればある程、多くは政略結婚で、
お嬢さまには何の選択の自由もない。
話が決まるとさっさと女学校を退学させられてしまう。    

今とはかけ離れた豪奢の裏にある
不自由で孤独な生活には本当に驚かされる。

作者は、明治の上流階級の成り立ちや構造を優しく説明しながら、
豪奢な家の中で行われていた、
家存続のための「妾」問題に、読者の目を向けさせる。
妻妾同居や子供の地位などの家庭内における差別的な構造が、
多くの女性を政略結婚の道具とし、人権を奪ったことだろう。
悲劇の女性、九条武子や柳原白蓮を生んだ発端が見えてくる。

 それにしても、この本に載っている数多くのグラビアや、
写真を見ていくと、江戸時代から何年もたたないうちに、
明治は、まるきり美人の基準を変えてしまったという事に気づく。
数多くの写真は、現代においても美人と呼んで差し支えない
令嬢たちの姿を写している。

 そして、そんな美の追求にとらわれていくお嬢さま達
―痩せたい、美顔術を施したい、最新のカタログの商品が欲しいー
というお嬢さま達と同じ思いで、
今の女性が雑誌を見ている事にも気づかされる。

 そんな姿を雑誌の中に見いだしながらも、
作者は、美しくたしなみにたけ、
いざ戦争が起これば凛として、武士の娘として、
血を見る事も厭わず、看護の奉仕に馳せ参じた
明治の上流のお嬢さま達の姿も描き出してみせるのだ。

 矛盾と混沌に満ちた時代の中、
生き抜いてきた我らが曾祖母や祖母の姿を求めて、
明治のお嬢さまの麗しきお姿に満ちたこの書物の中を、
是非、彷徨ってみて欲しい。

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記憶の中の源氏物語

2009/05/05 16:16

源氏物語を取り戻せ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語は誰のものか。
この本の作者は、「はじめに」で、そのことを問いかける。それは、千年にわたって奪われ続けてきた物語について語り始めるための、魅力的な幕開けだ。
 そう、始まりは藤原道長だった。『紫式部日記』のなかには、その最初の略奪風景が記録されている。それによると、道長邸で皇子を生んだばかりの中宮彰子は、源氏物語の豪華な写本を仕立てて内裏へ持ち帰ろうとしていた。最初は、物語などと馬鹿にしていた様子の道長も、周囲の反響と羨望に、次第にこの豪華本の制作に夢中になってくる。挙げ句の果てに、道長は紫式部の局の中を勝手に家捜しし、見つかったもう一冊の原本を娘の妍子に与えてしまうのだ。読者と自分のものであった物語が奪われた後、深い喪失感の中で、紫式部はやがて、宇治十帖を書き始める…。
 ここから読者は、千年の旅に出ることになる。作者が語るのは、この時から現在までのありとあらゆる権力者が、物語を所有しようとしてきた過程なのだ。それは、日本の文化史であり、権力者達の歴史であり、さらに国宝とされる美術品の生成の歴史でもある。
 写本を作り、「本物の写本」という権威を作り、読み方を講義し、さらに秘伝を作り上げて伝授する。豪華な紙に物語の一節を天皇自ら美しく書き写す。物語を絵巻物に仕立て、娘の嫁入り道具にする。物語の一場面を能にする。友禅の文様にして、着物に仕立て上げる。物語を記号化して、読まずに所有しようとする試みの数々が露わにされていく。その奇妙な物語の所有の歴史を、様々な角度で、語ってみせるのが、この書なのだ。
 第一章における、女性読者たちの内面化された読みや、熱愛のあまり本を焼き、源氏供養をするという試み。これに対する、光源氏に自分を投影し、写本の「正本」を作ることで外側から物語を所有しようとする男性たちの姿。この対比は、まずこの本の主題として、しっかり捉えておかなくてはならないだろう。
 第二章の「青海波舞の紡ぐ『夢』」の章は、権力者たちがこの源氏物語の一場面にすぎない踊りを、まるで歴史上の儀式のように再現することにかけた情熱と、その事により何を得ようとしてきたのかを読み解く試みで、この章だけでひとつの書物に匹敵する素晴らしさだ。
作者の表によると、これだけの人々がこの舞に夢中になり、舞を捧げたのだという。

堀川帝から白河院へ
近衛帝から鳥羽院へ
高倉帝から後白河院へ
亀山帝から後嵯峨院へ
後深草院から後嵯峨院へ
後醍醐帝から自分へ   
足利義満から後小松帝へ
足利義正から後花園帝へ
徳川家光から後水尾帝へ
徳川家綱から家康へ(東照宮、始祖へ)
 
源氏物語の中の一場面を再現させるにすぎないこの舞が、まるで祭のように、扱われていくことになる。その中で、父に捧げるように振る舞いながらも、実は自分の子供を宿した継母へ捧げる舞だったという、この不穏な物語の持つ奇妙な構造が、歴史の中で生命を持ってくるという。ここのところが何とも言えず面白い。
 なかでも、近衛帝から鳥羽院へという形は取りながらも、実際は藤原頼長の青海波であったという辺りが、面白い。権力が移るに連れ、舞が本来捧げられるべき相手を変え、さらに舞の意味も、どんどん変わっていくのだ。けれども、一番奇妙なのは、やはり後醍醐帝の、自作自演の青海波だ。自分が桐壺帝のように親政する帝となるための舞。そんなふうに、後醍醐帝は、物語の中の人物を生きる夢を抱いたのだ。この章を、読者は、権力者と同様に、美しい舞と音楽の波に揺られながら、夢中で読み進んでいくことになるだろう。
 続く第三章では、著者は、歴史の中で、美術品や講義、研究という形で源氏を所有しようとした者達や、源氏のように生きることで、覇権を手に入れようとした者の、様々な夢を歴史の中に読み込んでいく。
 第四章では、応仁の乱の悲惨な焼失とその中での書物の所有の歴史を見る。また、連歌師宗祇の果たした、地方への源氏物語によるネットワークを知ることができるだろう。さらに、意外な戦国武将たちの源氏物語への思いを知ることになる。
 第五章では、江戸時代から明治にかけての様々な物語の所有の有様が語られる。ここを読むと、柳沢吉保の六義園を見る目が変わってしまうだろう。又、松平定信、あの奢侈嫌いな堅物的人物が七回も物語を書き写したことに驚かされるだろう。出版文化により庶民の読み物として広がっていったこの物語が、庶民の心理にはたした役割も語られていく。特に絵入り源氏物語の普及と、雛人形による王朝幻想の広まりには、興味深いものがある。現代でも、年に一度、幼い頃からのあの人形たちを見ることがなかったら、中学の教科書でいきなり出会う平安時代の文学に、親しみを持つことはできないのではないだろうか。
 やがて、現代にいたる第六章の中に、戦争と権力者に愛されなかった源氏物語の歴史が語られていく。このことを読むと、今後も権力が書物の読みに介在していくことの危険性を感じずにはいられない。
 作者は言う。古典を過去の遺物として捉えるのではなく、そのつど甦る「神話」として捉える文学史の捉え方を、折口信夫の方法に学んだと。多種多様な視点で、人々の中に源氏物語を見ることの豊かさを、この書物を閉じながら実感した。
 この大著の中で、千年の歴史を、溺れそうになりながらも作者と共に泳いできてみて、人間の持つ幻想というものの不思議さを感じずにはいられなかった。そして、自由な読者として書物に向かっていく勇気を与えられた気も、なぜかしてくる。
 物語を取り戻せ。そんな気分で、神話化した古典の千年の歴史を辿ってみよう。

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テッフィ短編集

2008/12/27 18:38

ロシアの闇とユーモアと

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 革命前のロシアで、そのユーモアに満ちた戯曲や作品が愛され、
その名がお菓子や小物類にまで使われたという、
アイドル的人気作家だったテッフィ。
彼女が書いたこの短編集は、
ユーモアとロシアの革命期の恐ろしい闇が詰まっている。
 
 第1部の『ラスプーチンのこと』は、
実際に会ったラスプーチンについての回想録だ。
彼女がジャーナリストだった頃の話なのだが、実に貴重な証言だろう。
ある意味、女性ジャーナリストとして、ラスプーチンに白羽の矢を立てられ、取り込もうとされた陰謀のようにも思える話だ。
 彼女が連れて行かれたのは、怪しげなその時代の作家や
2重スパイがいる、富豪主催のパーティ。
そこで語られるのは、彼女の肩に手を置き磁気催眠術をかけ、
彼女を意のままにしようとする怪僧の姿。
彼女が拒むと、その磁気はラスプーチンの中に逆流し、
苦しむのだという。
又、別の日のパーティでは、常に引き連れている楽師達の演奏のもとに、
コサックダンスを踊り狂うラスプーチンの姿が見られる。
そして、彼は、自らの死とロシアの終焉についての予言とも思える言葉を口にする。

ラスプーチンにおもねろうとする男と生け贄に差し出されようとしているその妻の姿。
また、別のところで夜会に現れる、ラスプーチンに魅入られた宮廷の女官たち姿。彼女たちを捉えるテッフィの視線に、女性の立場からこの時代を捉えた、貴重な視点を感じる。

第2部はユーモア小説集。
『ペンネームのこと』では、この不思議な名前の秘密がユーモアたっぷりに明かされる。その他、パリに亡命したロシア人の生活を味覚の中に捉えたた『ブリン』。多彩な視点で女性を捉えた、『賢い人』『コカイン』『魔性の女』等も面白い。
テッフィが愛されたわけが、少し分かってくるような、そんな気のする短編集だ。

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魔使いの弟子

2008/04/29 08:13

「魔法使い」ではなく「魔使い」の弟子の危険な修行

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 長い間、この物語はきっと魔法使いの弟子の滑稽なお話だろう
と思っていた。ところが、大間違い。
思っていたより、物語は不思議な世界と、
魔術ではない修行を積む主人公の成長を語ってくれる。

時代も、国も、架空の場所。
農業は機械化されていないし、 乗り物も出てこない。
ゴースト、ガースト、ボガード、そして、魔女に、ラミア魔女。
死者の気配や、妖怪や、吸血鬼的な異人種が生きている世界。
そこで、普通の人々の生活を脅かすものを追い払う役目をになうのが、
「魔使い」なのだ。

この物語の導入部であるにあたる『魔使いの弟子』では、
7番目の息子の7番目の息子で、左利きという、
少年トムが、持つ能力や死者の気配を感じる力などが、
物語の中で露わにされていく。
そして、少年は、家を去り、魔使いの弟子となって修行していくのだが、
その中で分かってくるのは、
この世界が実に危険な場所であるということだ。
この魔使いの住む家でさえ、一カ所は、幽霊が住み着いていて離れないし、もう一カ所は、ボガードという一種の妖怪が住み着いている。
ここでは、ボガードは一種の妖精のように家事を行い家を守っていて、
トムは美味しい食事に少しほっとするのだ。
だが、そこは同時に、恐ろしい魔女が地面の穴深く、
とらわれている場所でもあるのだ。

妖怪や魔女を閉じこめるための穴掘りや、
毎日の講義、食料品の買い出し。
トムが励む弟子の修行の日常の中、
「尖った靴を履いた女の子には気をつけろ」
という、魔使いとの約束を破ったことから、
魔女の姪アリスが物語に入り込んでくる。
そして、邪悪な魔女との闘いが、
思ったより早く主人公に襲いかかってくるのだ。

アリスとの友情、
恐ろしい魔女との闘いが、
主人公の家族まで巻き込んでいく中で、
随所に語られる不思議な女性、
トムの母の秘密も、
読者の心を誘いながら、
物語は進んでいく。

気弱で、幽霊の気配に脅える少年が、
自分自身を信じて、
闘い、友情をはぐくんでいく姿が、
謎めいたと言うより、とても人間的な魔使いや、
賢い女性であるトムの母という、
大人の人々に囲まれながら描かれている。
頑固なジャックにしろ、村の人々や不良少年にしろ、
普通の人々も典型的に描かれているわけではなく、
トムの眼差しの中で理解されくように描かれていて、
この世界に厚みを与えている。

主人公、アリス、母、魔使いの運命が、
どのように語られていくのか、
今後目が離せない思いでいる。

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