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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

Tehanuさんのレビュー一覧

投稿者:Tehanu

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本光源

2001/03/23 05:52

何かを創造する時に生じる、混沌とエネルギー

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 作家というのは、短期間の間にこれだけ実力をつけるものなのだろうか。もちろん、10代でデビューなんていう早咲きの作家には、そうなる可能性は多分にあるけれど、桐野氏が乱歩賞を取ったのは、40歳を超えてからである。

 ミロシリーズの頃と比べて、最近の作品の筆力はどうだろう。その熱にぐいぐいとひきこまれてしまった。

 ストーリーの概略は、他の方が書かれておられるので、この際、省略。しかし、登場人物のすべてが、ものすごい執念の固まりだ。

 どちらかと言えば、自画自賛型主人公が活躍する、スペンサーものを読んだ後には、彼らの確執あふれる心象風景は、辛口の日本酒を飲んでいるよう(と言って、実は私は下戸なので、これは当てずっぽうな比喩です)。

 最後まで一気に読んでしまったけれど、一つ気がついたのは、登場人物の誰にも感情移入できないということだった。もちろんそれが、悪いわけではない。感情移入できなくても、十分、おもしろい。

 理由を考えると、彼らはそれぞれ個性があるが、感情の情念が同じぐらい強く、その温度差が、私と違うからだろうと思った。

 何かを創造する時に生じる、混沌とエネルギーに、これでもかと迫っていく物語。もう桐野氏には、ミステリーという仕掛けが必要なくなったのかもしれない。

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紙の本ハンニバル 上巻

2001/03/22 10:50

本当に異常なのは、誰か?

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 レクター博士は、常人の心理構造を持たない、異常者を超越した異常者だ。その対局にあるのが、FBI捜査官のクラリス。なんかこの構図は、デーモンと天使という感じ。そして、その中間に、いるわ、いるわ、歪んだ人間の群。

 ハリス氏は、よくもまあ、これだけ悪趣味な人間達を描けるものだ。しかし、前作の二つもそうだけど、その歪み方が中途半端な人間は、レクター博士に、いいように弄ばれてしまう。

 こうなると、何を悪と呼ぶのか、という境界線がわからなくなってくる。美しくない歪み方をもってレクター博士に接したからこそ、彼らは無惨な最後を遂げるはめになるのだ。

 ごまかしや欺瞞を嫌うクラリスのような、ある意味では、もっとも歪み方の少ない人間に対して、レクター博士はやさしい。

 自らの真実と向き合おうとしている人間と、そうでない人間との差が、レクター博士の美意識によって、区別されているのではないかと思う。

 そう考えると、レクター博士って、本当に異常なのか、という疑問が浮かんでくる。実は、それこそ、デーモンの罠って感じもするけれど。

 案の定、最後には、正義を超えた結末が待っている…。

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ハガーマガーを守れ

2001/03/22 18:01

おなじみの味を楽しむ、平和な時間。

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 ボストンの探偵スペンサーシリーズの最新刊だ。もうこのシリーズ、読者はストーリーや謎解きを楽しむという言うより、スペンサーや、彼を取り巻く登場人物達の、行動や会話を、味わうためにページをめくるのではないか。まるで、いきつけのレストランを訪れるように。

 残念ながら、今回の物語にホークは出てこない。スペンサーは、南部の町を一人で訪れて、事件と対峙する。スーザンも時折、顔を出す程度だ。

 しかし、スペンサー特有の、ウイットに富んだ会話は健在で、あちらこちらで、ひんしゅくを買いながら、独断的なユーモアを連発している。スーザンとの睦言もあいかわらず。

 おもしろいのは、今回の話が、競馬の厩舎を舞台にしているところだ。競馬と言えば、もちろんイギリスの大御所作家、ディック・フランシスの独断場と言ってもよいフィールド。そして、翻訳しているのは、同じく菊池光氏である。

 菊池氏の翻訳は、かなり独特な味を持っていて、読めばすぐにそれとわかるような特徴を持っている。その菊池氏の二大柱が、パーカーとD・フランシスだから、両方を読んでいる身にとっては、なんとなく今回の話を、比較してしまうのも、無理はないところだろう。

 結果と言えば、やっぱりスペンサーにとって、競馬は取り替えのきく小道具か舞台装置でしかない。もうこうなったら、スペンサーには、天上天下唯我独尊、自分の世界をひたすら突き進んでほしいと思うばかりである。

 レストランの主人に、味をどうこう言う時限は過ぎている。おまかせで出されたものを、にっこり笑いながら食べるのが、正しい客のあり方かもしれない。

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