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先月(2017年6月)

甘露さんのレビュー一覧

投稿者:甘露

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本センチメンタルな旅・冬の旅

2001/05/10 21:33

センチメンタルな旅・冬の旅

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 陽子さんという存在は、荒木さんの写真には欠くことのできないものであった。愛する人であり、妻であり、最高のモデルであった。
 「センチメンタルな旅」の写真は、なんとも不思議な情感を漂わせている。新婚旅行のはずなのに、新婦である陽子さんの楽しそうな笑顔は一枚も写っていない。どこか「物思いに沈んだ表情」の陽子さんが“淡々と”描写されている。柳川の旅館にある広い庭園で撮影に熱中する二人。飯沢耕太郎氏は、その中の石で出来た直方体の椅子に石棺を見、花に蝶が舞っているカットに“異界”を発見する。陽子さんは偶然にもこの“石棺”に座ったり寝そべったりしている。この元武家屋敷である柳川の旅館そのものに“死のイメージ”が色濃いことにだんだんと気付く。夜のSEX場面が描写されるが、これには、死の館であるこの旅館の中での、生への再生の儀式を表している、と読む。すでにこの時点で陽子さんの黄泉の国での出来事を写真にしていたのか、と荒木さんもあとからそう振り返る。新婚旅行でありながら、“センチメンタル”で、“死のイメージ”が色濃いこの「センチメンタルな旅」を引継ぎ、「冬の旅」が始まる。

 1989年の8月、子宮筋腫といわれ、女子医大に陽子さんは入院する。手術した結果、子宮肉腫とわかり、助からないことを荒木さんは知らされる。陽子さんは荒木さんから病気のこと、助からないことを一切話されなかった。しかし、長年連れ添った二人である。言葉で言わなくてもすべてが伝わっていたであろう。わかった上での陽子さんの「がんばり」だとすれば、それは自分のためではない。他でもない荒木さんのためにがんばっているのだ。その心中は察するに余りある。

 公園の滑り台で遊ぶ少女、晴れた空の太陽を隠す柳。そして雪が降り始め、季節は真冬へと向かってゆく。早稲田のAat Roomへと歩く道すがら、表紙にもなっている「黒猫を抱いた少女」の看板を見る。この看板は荒木さんが陽子さんに見立てて撮影している。キャプションという形で陽子さんの手紙や言葉がたびたび出てくるが、実際の陽子さんは、最初の手術をした直後の8月に雑炊を一緒に食べた写真を最後に出てこない。そして1月26日に容態が急変し、翌27日に亡くなった。励まそうと荒木さんが買ったこぶしの花が哀しい。陽子さんの遺体と一緒に三ノ輪の浄閑寺へと車で向かう。二人での最後のドライブとなってしまった。

 翌日、哀しいくらい良い天気。いつものようにバルコニー写真を撮るが、陽子さんがまだ生きていたときとなにも変わらない風景がそこに写っている。世の中は荒木さんの哀しみをわかろう筈もない。何も変わらない冬の日の日常が過ぎていく。しかし、荒木さんの中では違う。もう陽子さんは生きていないのである。例えようのない大きな喪失感。空を仰ぐと飛行機雲。
 通夜。告別式。そして焼き場。骨になってしまった陽子さんを抱いた荒木さんの気持ちを想像することは出来ない。骨になり、小さい骨壷に収まるくらいになってしまった陽子さん。その不可逆的な事実に呆然とするばかりだ。葬儀のあいだ、病床の陽子さんからプレゼントされた真っ赤なマフラーを首からかけていた荒木さん。死という運命へのささやかな抵抗だったのだろうか。

 残酷にも葬儀が終わると何事もなかったかのように翌日から日常は再開する。また雪が降る。日付は2月になっていた。雪の積もったバルコニーをチロが跳ね回るシーンでこの写真集は終わっている。ここまで読んできて哀しみで心は打ち震えた。気が付けば目からは涙が溢れている。写真集を見て涙したのは生まれて初めてだった。写真には人の心を直接揺さぶるだけのエネルギーを込めることが可能なのだ、と思った。

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紙の本東京日和

2001/05/10 21:39

東京日和

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この「東京日和」は思想の科学という雑誌に連載されたエッセイである。東京を天気の良い日に散歩して、そのときに起こった出来事や、心に感じたことを文章にしている。夫である荒木さんと一緒の道行きの記録にもなっており、楽しそうな夫婦の雰囲気が直接伝わってくる。陽子さんの病気のために3回で終わってしまったのだが、読んでみると東京を撮らせたら日本一の荒木さん撮影の写真とマッチして面白く、どうしてもこの続きが読んでみたい、という気持ちになる。

 陽子さんが亡くなってからの荒木さんの日記が、活字に直されずそのまま載っている。バルコニーで陽子さんを感じるものをブツ撮りしていく荒木さんの様子がわかる。書いていてすぐ陽子さんを思い出すのか、陽子さんの記述と、楽しかった頃の写真が半分以上を占めている。「湯上りビール 牛肉とピーマンのあまから煮 なす古漬け 冷凍ごはん 遺影のヨーコとふたりっきりで<食事> 鼻のあたま黒くしてチロすっとんで帰ってくる」 日記のさいごには新盆の記述がある。「7/13迎え火」をし、「7/14新盆」を営むも「7/15送り火しない。帰さない。」で終わっている。竹中直人氏は、この本を書店で立ち読みしているうちにはまってしまい、感動で涙が出、本屋を後にする頃には「是非映画にしたい」と決意を固めていたという。その話は現実になり、竹中直人が荒木さん役、中山美穂が陽子さん役の「東京日和」という映画になった。

 巻末にはライカで根岸、根津、谷中の“昔ながら”を撮影した「東京日和」がある。亡き陽子さんに捧げられている。これがきっかけで、荒木さんの写真の、モノクロからカラー、カメラはライカを使う、というスタイルが始まる。人生のパートナーにして、写真家人生をともに過ごしてきた陽子さんの死は、荒木経惟という写真家の何かを確実に変えた。

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古本屋に未来はあるのか?

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いろいろな示唆を受けたが、その中で「古本屋は狩猟採集経済だ」といっていた事に共感した。川上である出版社から流れてくる出版物は川下の書店まで流れて読者へ行き着く。古本屋は海辺で波打ち際に流れ着いたいいものを拾い集めて並べる商売だ、というわけである。なるほどなぁー、と思った。つまり自分の商売に合った品物を自分で見つけていくのが古本屋なのだ。

 ところが、今から20年前くらいから川上から流れてくる本の質が落ち、量が大量となって川や海が汚れ始めた。それでも頑張って海辺でせっせと拾う古本屋の横で“ブルドーザー”を使ってガサガサと大量に囲うヤツが出現した。それがブックオフだったのだ。
 ブックオフは古本屋ではなかった。もっと言えば、商いに使うのは別の品物でもよかったのだ。ガサガサと集められた本は玉石混交のまま大量に“処理”され、その文化破壊の態度は現在でも改まらない。古本屋が一番集めたい本はブックオフにとってはゴミに見えるらしいから、運悪く彼らの前に流れていった逸品はかわいそうに“ゴミ”と認定されてしまうのである。

 ブックオフは各店舗あたりでは不採算店が多いという。株式公開に向けて原宿店のような大型店を開店(敷金1億円、家賃2000万円)したりすることでさらに収益性を落としている。
 ならば何処で利益を出しているのか。それは、“ブルドーザー”でガサガサと集めた本を新規開店のフランチャイズ店に落とす時に出るお金から、なのである。元手がほとんど只同然の本が1400万円に変わるこのからくりが主な収入といえるだろう。つまり新規開店がなくなった時点でブックオフシステムが消滅するのはほぼ間違いない。だからこそ彼らは店舗を常に増やし続けようとするのだ。ねずみ講のようなものである。

 川が海が汚れたという話に関連するが、「昭和文学全集」は編めても「平成文学全集」はできないだろうという話もキツイ現実だ。つまり川上の水源たる豊かであるべき土地が痩せてきて丸坊主に近い状態になっている事の哀しい証明になっているのだ。
 大学も国際情報学部など華やかな学部が新設される一方で、独文科や英米文学科、果ては国文科までが毎年定員割れを起こし始めているという。教養よりも情報へと学問の府までが流れ始めているらしい。

 こうなると古本業界は日本文化の縮図のように思えてくる。この業界だけの問題では済まないように思えるが…。

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紙の本東京は、秋

2001/05/10 21:49

東京は、秋

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東京の1972年から73年の風景が、ネオパンSSに定着されたデティールたっぷりの描写で記録されている。写真には「夫」荒木さんと「妻」陽子さんが、その写真について対話するという形式でキャプションが付いている。

 都市のディティールを撮っていく、というのがこの写真群を撮影していた当時の荒木さんの主眼であった。そのため「なんだか、どこだかわからない、そういう撮り方をしてる。どこだかわからなくてもいいわけよ。東京のどっかが出るだろう、それでいいわけ。」と、新宿ゴールデン街にあった都電の線路とそばの建物の裏側が写っている写真にコメントを附している。確かにキャプションがなければ此処が何処だかわからない場所、という絵が大半を占めていて、東京という都市が過ごしてきた時間を感じることができる。最初に出てきたこのコンセプトは写真集全体に貫かれていて、荒木さんの面白いと思う風景やモノにレンズを向けて「ポーン」と撮っていく撮影手法によって”東京”が切り取られていく。

「夫■もうひとつね、新宿の御苑に向う途中に電信柱がぼんぼんとある。この写真が気に入ってんだ。
 妻■電信柱が一杯あって、うっとうしいけどねー。
 夫■さえぎるもんが一杯あるのが好きなんだ。この線がなぜかいいんだなぁ。いいなあ。(机をたたいた)原風景だなあ。まったくあたり前なんだよ。全てが原写真。いつも通ってる、なんでもないいつもの所を、なんでもなく撮る。それが欲しいんだよ。
 妻■それなかなかできないでしょ。できないと思う。だからそういう写真見ると、すごいと思っちゃう。
 夫■だいたい街が表現してるのに、それを複写すればいいのに…。
 妻■自分を表現したくなっちゃう。
 夫■そうじゃないと表現者とみられなくなっちゃうと思ってる。それがダメなんだよ。」(82頁)

 この会話の中に荒木さんの都市写真に対する考え方の全てが集約されている。
 普段見ている風景はいつまでもそこにありつづけるような気がして特別な感情を寄せることもない。だんだん朽ちていくその様子を見て嫌悪さえ感じ始め、早くきれいにならないかな、などと考えたりする。それが再開発されていざ目の前から消えてしまい、そのあとに全く無機的で機能的なだけのビルが立ち上がれば、消えてしまったあの風景のことがむしろ懐かしくなる。小さい頃、あの家の木に登って叱られたとか、あのブロック塀から落ちて怪我をしたとか…。その風景がなくなることは、自分がその風景と関わって出来た経験が“思い出”になってしまったことを意味する。
 電信柱も、陽子さんにとってはうっとうしいだけのようだが、荒木さんにとっては、誰がなんと言おうと“原風景”なのである。人の想いとはそういうものだ。
 忘れられない人がいるように、忘れられない風景というものは人の数だけ存在する。今見慣れている風景が思い出に変わるのも時間の問題だ。あの頃は良かった、と振り返る人が大抵老人なのは、彼の上に降り積もった“時間”が、彼の中にあったものを全て思い出に変えてしまったためではないだろうか。自分で撮った写真を陽子さんと一緒に語ること、撮るよりも楽しいと言った荒木さんの写真行為もまた、この本の中の思い出となった。

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