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  3. Skywriterさんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

Skywriterさんのレビュー一覧

投稿者:Skywriter

149 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本日本のいちばん長い日 決定版

2006/09/04 00:11

終戦までの緊迫感溢れる24時間を丁寧に再現する名著

17人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1945年8月15日、玉音放送によって日本の戦争は終わった。正式に終わったのはミズーリ号上にて降伏文書に署名した9月2日なのだろうが、ほとんどの者はこの時点で戦いは終わったのだということを悟った。

 それと同時に、もう一つ終わったことがある。天皇を奉じて日本国民最後の一人に至るまで戦い抜くべきだと信じる青年将校たちによるクーデターである。

 中心を占めるのは近衛師団。天皇を護るための軍隊が、天皇の意思から逸脱して動き出していた。和平こそが天皇の望みだということに思いを馳せることもなく。

 彼らは宮城を占拠して外部との連絡を絶ち、降伏を天皇に勧める国賊の影響を排除して天皇から徹底抗戦を引き出そうとした。その行動は師団長、陸相、参謀長らから追認されるものと信じていた。

 玉音放送によって絶望的な抵抗を止め、一人でも多くの国民を救おうとする者たちと、国体護持を確保できない以上降伏を認めることはできないとする青年将校たち。

 14日の御前会議から、翌日正午の玉音放送までの緊迫した一日の模様を、多くの文献と取材から冷静に描き出す。淡々とした筆致でありながら、臨場感に溢れ、事態の推移から目を離せない。歴史的事実として玉音放送はあったわけだから、クーデター部隊の失敗は分かる。それなのに一気に読み通させる迫力を持った、すごい本だと思う。

 だが、読み終わって釈然としない点も多々ある。クーデター部隊は命令に背き、上官を殺害し、自分勝手な妄想に酔った。そんな彼らの策動を、一部の人々は参加はせずとも止めもせず、綱紀を最も守らなければならない近衛師団の将校たちが平然とそれを破る。

 ところが最後は、この動乱は無かったこととして特に処罰も与えられない。張作霖爆殺や満州事変など、明らかに中央政府の意思と異なることが起こっていながら適切な対応を取れない異常な状況。私利私欲ではなく国家のための行動だからと免罪されてしまう点には納得がいかない。

 夢破れた決起部隊も、天皇の意思は降伏に非ず、と勝手な妄想を広げた挙句、近衛師団長を殺害するなど後先を考えない失敗を繰り広げる。勿論、その時代の背景として下克上だとか軍人が政治に容喙していたことが大きいのだろうが、それにしてもその勝手さは目に余るように思われてならない。

 阿南陸相の自刃と、並行してのクーデターおよびその処罰の甘さを見ると責任とはなんなのかを考えさせられる。終わりを想定することなくなし崩し的に太平洋戦争に突き進んだ判断の甘さにも思いを馳せる。

 理詰めで構想を練ることなく勢いで進んできて、敗北の状況を纏め上げるのは至難の技である。そんな状況に陥らないためには、やはり冷徹な計算と終わりを見つめられる視野の広さが必要なのだろう。漠然とそう思わされた。

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紙の本利己的な遺伝子 増補新装版

2006/08/13 23:15

今読んでも古さを全く感じさせない素晴らしい一冊

16人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『利己的な遺伝子』がもたらした衝撃はとても一言では語りつくせないのではなかろうか。というのは、本書ほど徹底して生物の戦略が自分自身の遺伝子を広めようとすることに帰結するという視点に基づいた本がなかったことによる。
 そんなことは無い、と反論があるかもしれない。しかし、その反論は当たらない。たとえば、コンラート・ローレンツの古典的名著『攻撃 悪の自然誌』では一見すると生物の戦略が自分自身の遺伝子を広めようとすることを説明しているように見える。だが、ローレンツが想定しているのは、あくまで”種として最適な遺伝子を残す”ための行動である。
 などと言われると、その差が分かりにくくなってしまうかもしれない。簡単に言ってしまうと、ドーキンスの指摘する遺伝子の利己的な振る舞いとは、種全体のことなど全く考慮に入れず、それどころか、種全体がどうなろうとも構わずに自分自身の持つ遺伝子だけを後世に伝えるために冷徹なまでに合理的なあり方を言うのである。
 本書が出版当初から注目されたのは、そんな意外な視点を提供しているからだけではない。利己的な振る舞いの背後にある数理的な有利さを、数式を全く使わずに分かりやすく説明しているところにこそ、その真価があると思う。その価値は現在に至ってもいささかも損なわれていないだろう。
 もう一点、無視し得ないのは、数理的な説明と生物界で実際に見られる豊富な実例との絶妙なバランスである。
 数理的な説明では、なぜこの世が助け合いだけでは成り立っておらず、お人よし(常に恩恵を施す)と一定数のワガママ者(恩恵を受けても返さない)、そして常識人(こちらからは不義理をしないが、相手から恩恵を返されなければ報復する)が入り混じるのかを解き明かしている。単純な算術的前提とは思えないほど、現実を上手く説明しているのに驚かされる。
 豊富な実例では、たとえば生物の化学進化やチスイコウモリの助け合い、アリやハチのような社会的昆虫の生態、カッコウのような托卵する鳥類の生態など、読むだけでも面白い事実が目白押しに現れる。利己的な遺伝子云々を置いておくとしても読む価値がある。
 それまでの印象を根底から覆すような説を、専門知識を持たない者が読んでも面白く書けるというのは容易なことではない。本書は稀有な例といっても過言はあるまい。ちょっとでも興味を惹かれた方は、読んで絶対に損は無いと断言できる名著。

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虚妄と悪意に満ちた動物保護団体の実態を怒りとともに知ろう

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 鯨やアフリカ像は絶滅しかけているから、保護が必要だ。あるいは、毛皮をとるためだけにオットセイやアザラシが惨殺されている。そんな話を聞いたことがないだろうか。日本の商業捕鯨は禁止され、アフリカ像を保護するためとして象牙の輸入も道が閉ざされた。オットセイやアザラシを獲って生活していた先住民たちは生活の術を失い、途方に暮れている。

 実際はどうなのか。鯨やアフリカ像は減少しているのか。そう考えるのは、実はすでに動物愛護団体の術中に嵌っている。鯨と一言で言っても様々な種類がいる。たとえばシロナガスクジラは数が少なく、商業捕鯨の対象となったら絶滅の危機が訪れるだろう。しかしながら、ミンククジラは膨大な数存在しており、その結果、海洋資源の枯渇に結びつこうとしている。

 アフリカ像も同じ問題がある。アフリカの広い地域に分布するのに、全体が減っているから保護しようというのは理性的な態度ではない。実際に、一部の地域では像が増えすぎて、間引かなければどうにもならない状況になっている。その一方で、政情不安定な国では密漁を管理できず、像が減っている。総体としてみれば減っているから、増えすぎて困っているところでも像を保護するべき、というのが馬鹿馬鹿しいことだと思わないのだろうか。

 我々はついそう思ってしまうのだが、動物愛護団体はそうは思わない。なぜか。彼らが行っているのは善意に基づいた行動ではなく、有色人種を政治的に封じ込めるための策謀だから、である。だからこそ彼らは鯨が増えているという現実を認めない。オットセイの狩りを禁じた結果、200万頭いたオットセイがたちどころに60万頭まで減っても気にしない。世界中の科学者の意向を平然と無視し、国際法を破る。そして自分たちの唱える勝手なモラルを押し付け、恬として恥じない。それが動物保護団体の正体なのだ。

 そんな動物保護団体、たとえば、グリーンピースは動物保護を唱えて多くの資金を得たが、そのカネは動物保護には使われていない。では何に使われているのか、というと組織の拡大とPRだけである。つまり、彼らは圧力団体として存在するのだ。

 動物保護運動は、一見正しいことを言っているように見える。裏の数字のからくりを知らず、計算されつくしたPRは確かに人の心を動かす。その結果、何種もの動物が禁猟・禁漁の対象となった。奇妙なことに、そのために生活を脅かされたのはほとんどすべて有色人種である。オーストラリアでのカンガルー殺(増えすぎたための措置)はもちろん、純粋に趣味として行われるイギリスの狐狩りも彼らは非難しない。非難されるのは、日本人の捕鯨であり、韓国人の犬食いであり、イヌイットのアザラシ狩りであり、キューバのタイマイ輸出であり、アフリカの象牙輸出禁止である。

 こんな現実を、怒りとともに知るべきだ。豊富な実例を挙げながら動物保護運動がいかに虚妄に満ちたものかを説明する本書は、圧倒的な説得力を持つ。圧巻なのは、動物保護団体がなぜこのような行動を行うのか、という背後の説明である。それについては本書を読んで確かめて欲しい。一部筆が走りすぎている気がしなくもないが、論理も証拠も強固で説得力に溢れる。動物保護という虚妄の現実を知るため、一人でも多くの方に読んでもらいたい。読み物としても面白いのがさらに魅力を高めていると思う。

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戦略論からは見えてこない戦争の姿を克明に焙り出す名著

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人類の歴史は戦争の歴史とも言われるが、ということは補給をどうするかということが絶えざる問題だったということになる。戦場において、いかにして兵士に飯を食わせるか、消耗品をいかにして手に入れるかは、しばしば戦略そのものよりも大きな問題となって立ちふさがったのだ。

 しかしながら、これほど重要な補給について、十分な研究は行われてこなかったと著者は指摘する。第一次世界大戦前に、ドイツの参謀長だったシュリーフェンの計画した壮大な計画であるシュリーフェンプランは、ベルギーやオランダを迂回することでフランス-ドイツ間の国境地帯にある要塞を無力化し一挙にフランス中枢に攻撃をかけるというものだった。

 このシュリーフェンプランへの兵站面での批判が、迂回する半径より行動距離が長いので補給が現実的ではないという程度のものとはなんとも意外な話である(もっとも、本書の初版が1977年であることを考えればその後に研究が進んでいる可能性もある)。

 厳密に事実と妥当性に基づいて近代戦争における兵站の問題を取り上げる意欲作である。といっても、取り上げられるのはヨーロッパの戦争であることは手に取る前に知っておいたほうが良いだろう。具体的にはナポレオン戦争から二次大戦に至るまでの戦争である。従って日露戦争やアメリカ独立戦争は扱っていないし、島嶼を舞台にした戦争についても触れられていない。その点で、日本の読者としてはちょっと物足りなさを感じるかもしれない。

 さて、本書では近代戦争に移る前、16~17世紀の戦争について述べるところから始まる。スウェーデン王グスタフ・アドルフの戦争を取り上げることで、近代戦とそれ以前の闘いの違いがはっきりしてくる。

 補給に興味がある方は是非読んで確認して欲しいのだが、兵站のあり方が大きく変わったのは、意外なことに二次大戦という。私のような半可通の場合、普仏戦争において大モルトケが列車を利用した補給体制を築いたのが変化点だと認識していたのだがそれは違ったようだ。

 具体的にいってしまえば、ナポレオン戦争のような大規模な軍事行動を含め、軍は現地調達に頼っていたという。従って、補給線の問題は存在しなかった。むしろ、行動を止め、一箇所に留まろうとするとその地方の食料を食い尽くしてしまうという問題が起こった。ということは、歴史上ほとんどすべての軍隊は食料を求めて徘徊する武装集団と言い換えることすら可能かもしれない。

 なんとこれがナポレオンも可能だったというのだから驚くのは当然だろう。なにせ、グスタフ・アドルフの軍はたかだか数万で、それですら一箇所に留まれば食料が不足したというのにロシアに攻め込んだナポレオンの軍は60万である。皮肉なことに、ナポレオンはロシア遠征にあたって過去になく兵站に気を配ったというのだが補給計画は画餅に終わった。大モルトケが失敗した理由は、なんと列車によって兵站駅に到着した物資を前線まで運ぶ手段がなかったことだという。

 兵站の重要性に視点が置かれているため、取り扱っている個々の戦争の展開や帰趨について詳しく触れられていないのが残念だが、どれほど兵站業務が実行困難かつ重要か思い知らせてくれている。

 かなり専門性が高く、私を含め一般人が読んでも何かの役に立つということはないだろう。しかし、兵站という思想、特に近代戦においては戦略や政略すら兵站の限界に従わなければならない以上、このような専門知に触れる機会があることは評価されるべきだろう。どれほど嫌でも、今後も戦争は起こるだろうし、そうなれば兵站が死活問題として迫ってくるのだから。

 また、ナポレオン戦争、モルトケの分進合撃、シュリーフェンプラン、砂漠の狐ロンメルの戦いと、興味を引く戦争を中心に扱っているので戦史に興味がある方は兵站という視点からこれらの戦争を眺めると、戦略中心の観点からは得られなかった知識を得られるのではなかろうか。難解ではあるが価値ある一冊だった。

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病気の遺伝子にも人類を生き延びさせてきた過去があることを示すダイナミックな進化論を紹介

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ヘモクロマトーシスという病気がある。体内に鉄を溜め込みすぎてしまう遺伝性の病気だ。この病を発病してしまうと、血液中と肝臓に大量の鉄が溜まり、やがて死に至る。彼らにとって瀉血は生きていくために必要な治療である、という。なんとこの遺伝子、ヨーロッパ人を先祖に持つ人の四人に一人から三人に一人が持っている。

 また、糖尿病も遺伝が深く関与している。糖尿病の遺伝子を持つ人は、持たない人よりも遥かに容易に糖尿病を発症する。これも重くなれば死をもたらす。

 ダーウィンの進化論では、適者生存によって有利な体質が広がっていくはずだ。なぜ命を奪いかねない危険な遺伝子がこれほどにも広く伝えられているというのか。これは偶然なのか。 
 自身もヘモクロマトーシスのリスクを持つ新進気鋭の進化医学者シャロン・モアレムがこの謎に果敢に取り組む。ヘモクロマトーシスの遺伝子が広まった背後には中世のヨーロッパを襲ったペスト禍が、糖尿病の背景には氷河期が影を落としている、というのが答えだ。今では病の原因にしかならない遺伝子が、当時は生き残るための貴重なアイテムだったのではないか、というのである。

 この謎解き自体がとても面白いのだが、更に本書の魅力を掻き立てるのは、病気の遺伝子が広がる背景にダイナミックな進化のシステムがあるということを明かしている点だろう。

 病気にまつわる意外な事実から物語を始め、やがて誰もが避けることのできない老化と死にまで話をつなげる中で、我々人類が辿ってきた歴史から最新の進化論までを一気に紹介しているのは見事。進化論の面白さは、自然が作り上げたシステムの美しさを実感できるところにあるとつくづく思わせてくれた。軽妙な語り口も相俟って、とても楽しく読むことができた。

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記憶とは何か、なぜ人々は突拍子も無いことでも信じてしまうのかという疑問に切り込んだ名著

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 アメリカで騒がれているエイリアン・アブダクションについては、多くの日本人が首を傾げるのではなかろうか。なぜそんな突拍子も無い事を、彼らは信じることができるのかと。

 その答えの一つは、そんなことを言うとはどうかしているというものだろう。もちろん、”どうかしている”には幅があって、最も穏やかなものだと「彼らは科学を知らない」あるいは「常識を知らない」となり、最も手厳しい意見は「頭がおかしい」ということになる。

 果たしてそうだろうか。彼らは本当に、”どうかしている”から宇宙人に誘拐されて不快な人体実験をされたと信じているのだろうか。ゲテモノに感じられても不思議はないこの疑問に、正面から切り込む心理学者が現われた。

 著者はもともと”回復された性的虐待記憶”は本当に事実に根ざしているのかを研究していた。ところがこの話題はアメリカ社会においては実にデリケートで政治的で、熱い論戦を避けられないものだった。

 辛い記憶を抑圧という手段で完全に忘れ去るというメカニズムは全く存在しないことが明らかになっているのだが、アメリカでは冷静で客観的な心理学よりもフロイトの呪いの方が政治的に強いため受け入れられていない。(この辺りの話については『フロイト先生のウソ』や『精神分析に別れを告げよう』に詳しい)

 一読して感心するのは、著者が真摯に研究に取り組んでいること。著者自身は懐疑論者で、宇宙人が存在する証拠は無く、ましてや地球にやってきて人間を誘拐しては人体実験を繰り返しているなどナンセンスであると信じている。それでも誘拐されたと信じる人々から話を聞く際には決して彼らを見下したりせず丁寧な対応に終始している。

 そして彼女がたどり着いた結論は、宇宙人に誘拐されたと信じる人々は、決して頭のおかしい人々ではない、ということだ。彼らの多くは親しみやすく親切で、不自由なく通常の社会生活を送っている。

 宇宙人に誘拐されたと主張する人々の話を、懐疑論者が紹介しているというだけで一定の価値はある(ビリーバーが紹介している本は既に何冊も出ている)。しかし、それよりも価値があると思うのは、宇宙人に誘拐されたと思い込む、心理学的な背景と事実関係に踏み込んでいることだ。

 まず指摘されるのは、彼らが宇宙人に誘拐されたという記憶を取り戻すのに催眠術の力を借りていること。催眠術下ではしばし不思議な意識の変容があるが、とりわけ記憶に混乱をきたすことが知られている。また、記憶そのものがあやふやなもので、思い出すという行為は過去の出来事を正確に脳内で再現するわけではなく、現在の思い込みなどを織り込んで自分に都合よく再生されることが明らかになっている(『抑圧された記憶の神話』に詳しい)。恐らく、宇宙人による誘拐を信じる何人もの催眠術者が、多くの人々に誘拐の記憶を埋め込んでいるというのが事実だろう。

 次いで、彼らが何から宇宙人のイメージを得ているのかが語られる。それは宇宙人が地球に攻めてくるという映画やドラマであり、アメリカに深く根ざしているキリスト教である。詳細は本書に譲るが、聖書にある話と宇宙人による誘拐の細部の一致は驚くほどだ。

 とにかく冷静かつ丁寧に、宇宙人による誘拐が信じられる背景に切り込んでいると思う。とんでもない主張にはとんでもない証拠が必要、と信じる科学者としてのスタンスと、温か味のある人間としてのスタンスが研究成果を魅力的にしているように感じられてならない。記憶とは何か、なぜ突拍子も無いことでも人々は信じられるのか、ということに、理解を深めることができる好著であると思う。

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自爆テロや紛争の真の原因は人口学から説明できたという驚愕の事実を豊富な実例を元に解き明かすのに成功している

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 残念なことに、中東で、南アジアで、南アメリカで、アフリカで、テロや紛争に関する悲惨なニュースが絶えることなく報道されている。その度に、我々は南北格差や危険な独裁者、民族や宗教を背景にした対立構造について解説を目にすることとなる。

 しかし、著者はこれら民族や宗教、貧困が悲劇の真の原因ではない、と喝破する。では何が原因なのか。その答えとして挙げられるのが、ユース・バルジ。

 この聞きなれない言葉は、戦闘能力の高い15~25歳の青年層を示す言葉である。ユース・バルジが人口の30%を超えると、自爆テロや内戦の恐れは一挙に高まると著者は指摘する。

 ユース・バルジが30%を超えるとなぜ、テロや内戦が起こるのか。それは、人口比率を考えてみれば答えが見えてくる。即ち、ユース・バルジの占有率が高いということは、一組の夫婦が産む子どもの数が多い、ということ。それは直ちに、次男、三男以下の男達が、社会からあぶれることを意味する。考えてみれば、たかだか10数年程度で産業の規模を倍々ゲームで増やせるわけも無いのだから当たり前の話である。

 社会に身の置き場のない若者は何をするのか。それは、自分の居場所を得るために、高い地位や報酬を目的に、何でも行うようになる。その結果が続発する自爆テロであり、自滅的な内戦である、というのだ。

 刺激的なこの仮説は、世界の過去と現在を上手く説明できている。本書で指摘されている通り、大航海時代にヨーロッパが世界を席巻したとき、将にヨーロッパではユース・バルジの占有率が高かった。エルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロといった南米の征服者達に従ったのは次男、三男たちだったのである。しかも、この時ヨーロッパにはまだ彼らの居場所は無いわけではなかった。悲惨なペスト禍から人口は回復しきっていなかったためだ。しかし、ユース・バルジは30%を大きく超えていたのである。

 悲惨なニュースの聞こえてくる地域と、ユース・バルジの占有率は本書の中で纏められている。その余りの相関の高さには驚かされるほどだ。日本のことを考えてみても、満州事変から太平洋戦争へと突き進んだ時期は例に漏れずユース・バルジが危険水準を超えていた。その後のベビーブーム世代がユース・バルジに差し掛かったとき、何が起こったか。それは全共闘や核マル、中核といった過激な若者たちだったことを想起すべきだろう。

 多くの実例を挙げていることから、本書の指摘はかなりのところ当たっていると感じさせる。ニュースで伝えられる事実の裏に潜む見えない原因に注意を喚起してくれている功績は大きい。今後も人口学からの警告に目を向けていくべきだろう。


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戦争における人殺しを歴史学・心理学から探ることで人間の精神に迫る労作

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 チャップリンはヒトラーを痛烈に皮肉った『殺人狂時代』において、「一人殺せば人殺しだが1000人殺せば英雄だ」と嘯いたものである。残念なことに、20世紀は多くの”英雄”を生み出した時代でもあった。

 一将功為りて万骨枯る、という言葉があるように多くの人々が犠牲になっていった。しかも、ナポレオン戦争やアメリカの南北戦争あたりから、戦争は戦場での短期決戦で済むものではなく、国家の総力を挙げて行うものとなっていったため、とてつもない数の死傷者が出てしまった。

 悲惨な歴史に目を遣る時、我々の関心はどこに向かうだろうか。その一つは英雄達であるのは間違いなかろう。ハンニバルやカエサル、曹操や織田信長らの活躍には多くの人々が興味を持ってきたし、それは今後も変わらないだろう。そしてもう一つは、英雄の活躍の背後で無残に屍を晒してきた人々への哀悼ではなかろうか。

 しかし、戦争には英雄と犠牲者だけが居たわけではない。歴史上、何十万、何百万という無名の兵士達が存在した。彼らには彼らなりの理由があって、戦争に関与することになったわけだ。これらの人々に十分光が当てられてきたとはとても思えない。

 本書は永きに渡って省みられることのなかった兵士達の実像を戦場考古学や聞き取りによって明らかにしている。

 その成果から現われてきたのは、意外なことに、兵士達は自分の命が危機に晒されているその中であっても敵を殺すことを躊躇する、というものだ。

 たとえば、南北戦争では戦場跡から何発もの弾が篭められたマスケット銃が見つかるという。推測されるのは、ひたすら弾を篭め続けることで戦闘をサボタージュしているわけではないように演技しつつ、相手を殺すという決定的な行為を避けたのだ。また、古代の戦争を再現してみると、演習と実際の死者の間にはとてつもない開きが生じるのは間違いないらしい。

 兵士が人を殺したがらないという事実が決定的に為るのは、二次大戦後の聞き取りで、なんと15~20%程度の兵士しか発砲していなかったことが明らかになった。

 これは著者が指摘するように、人類への光明と誇りに繋がるものだ。

 だがしかし、様々な手法によって、ベトナム戦争では兵士の八方率は95%にまで跳ね上がった。一体、二次大戦からベトナム戦争の間に何があったのか。その謎は、心理学から解き明かすことが出来る。ベトナム戦争後に発生した多数のPTSD患者発生の謎も含め。

 20世紀に明らかにされた心理学の結果と、実際の訓練における効率的な訓練。その両者を詳細に知るのに、軍に奉職して長き時を過ごしてから心理学へ進んだ著者以上の適任者はそうはいない。人は人を殺したがらないという一般的な傾向、その傾向から外れる人々、更には人を殺したがらない人々を有能な兵士に変える手段。慄然とさせられることもあるが、多くの人にとっては他人を殺すことが最大の抵抗になる、という事実には一抹の救いがあるように思えてならなかった。

 また、殺人を許容できるようになるまでの、様々な点が解説されていることも興味深い。つまり、人を殺さないようにするには本書で指摘されていることの反対を行えば良いのだから。

 歴史、心理学、そして何より痛ましい事実の数々から、殺人への抵抗感と、殺人を強制された結果が兵士に何をもたらすかといったことまで、殺人に関わる状況が網羅されている。きっと、本書を読めば人間という存在をより理解できるようなるのだろうと思う。

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環境問題を冷静かつ正しく理解できる格好の書

11人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は環境問題全般について、世間にどれだけウソが撒き散らされているかを明らかにしている。多くの人は善意で環境問題に取り組んでいるのだろうが、その行動の多くは環境を改善する効果が全くない、とは驚きではないか。

 たとえば、ペットボトルのリサイクル。実は、回収されたペットボトルのほとんど全ては焼却されている。熱にしてエネルギーを回収するという意味でリサイクルという言葉が使われているのである。それでは何のために多くの人が苦労してゴミの分別回収に協力しているというのか。

 それでもゴミを分別して出すことに何らかの利点があるなら良い。しかし、現実はそうではない。ゴミを分別しなければならなくなったことで、排出されるゴミの量は増加してしまった、と本書は指摘する。環境先進国とされることの多いドイツも、ゴミの分別収集を実施した結果、ゴミが激増してもはや国内では捌ききれなくなっている。なんのために我々はゴミの分別回収をしているのだろうか。もう一度じっくり考える必要があるのではないか。

 いや、それでもダイオキシンの問題があるではないか、と指摘されるかもしれない。ダイオキシンを発生させないためにゴミを分別するのだ、と。それにも本書は応えている。ダイオキシンには、大した毒性はない。

 驚かれるかもしれないが、これはもう明らかになっている。冷静さを欠いた、おどろおどろしい報道によってダイオキシンが猛毒だと思わされてしまうかもしれないが、ダイオキシンの急性毒性として知られているのはなんとニキビができることくらいである。ダイオキシンは環境問題で注目を浴び、徹底的に調べられたのに、人間にニキビ以上の害をもたらす証拠がないのだ。タバコとは大違いである。

 いやいや、ダイオキシンの真の威力は急性毒性ではなくて慢性毒性にあるのだ、と思われる人もいるかもしれない。しかしそれも過ちである。イタリアで起こった化学製造会社で起こった爆発によって近隣の住人が大量のダイオキシン類を浴びてしまったセベソ事件があるが、ここでも多くの調査が行われたものの、ダイオキシン暴露が原因と確定できる死者は出ていない。カネミ油症に至っては、ダイオキシン類ではなく毒性があることが明らかになっているPCBがダイオキシンと強弁されている始末である。

 これらの事実を明らかにしているだけでも本書の価値は大きい。その価値を更に高めているのは、なぜこのような不合理なことがまかり通っているのかまで踏み込んでいる点だろう。気になる方は是非とも本書を手にとって欲しい。

 環境問題は善意だけではなく、冷静に何が必要なのかを知らなければ取り組めないテーマである。イメージ優先で、感情に訴える手段はコマーシャリズムとしては有効かもしれないが、環境を守るためには役に立たない。まず知識を手に入れ、考える土壌を作る。その上で、極めて有効な本だと思う。

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紙の本やがて消えゆく我が身なら

2007/05/10 23:12

身も蓋も無い文章だから持つ説得力と、読者に考えさせる文章が知的な楽しみを与えてくれる

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者のエッセイは(語彙の無さを顕わにするようで恥ずかしいが)凄いの一言に尽きる。何が凄いかというと、無駄に飾ることなく、身も蓋も無いことを言っていることである。自分が正しいことを主張していると信じる人間にありがちな高い視点から説得してくることもなく、ただ自分の意見を指摘しているのはなかなかできるものではない。

 衒学的なてらいはない。どの文章も、中学生以上だったら分かる程度のものだし、複雑怪奇な論理構造も持っていない。いや、だからこそ分かりやすいのか。そのあまりの直接的表現に、時には反発を覚えることもあるが、その視点の確かさと説得力に目を見張ることにことになる。たとえば著者はこう指摘する。

「(略)教育現場は今、明るく滅びつつある。全校生徒が明るくあいさつをして、塵ひとつ落ちていない校舎で、卒業式には全員直立不動で「君が代」を歌っている、なんてのは、どう考えても北朝鮮ではないか。完全にオワッテイル図である。(P.229)」

 こんな一言に、私ははっとさせられる。全体主義が蔓延した社会からは確かにこの通りの映像が届けられる。しかし、その映像を美しいと思う人はいない。美徳であってもその美徳を全員が共有することを強制されたとき、そこには民主主義の姿はなくなっている。あるのは全体主義だけ。また、こう言って諭す。
「 もう少し体の調子が良くなったら、もう少しお金ができたら、もう少し暇になったら。多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。しかし、もしかしたら、体の調子はこれ以上良くならず、お金は決して増えず、暇にもならず、気づいた時には不治の病を宣告されているかもしれないではないか。(P.85-86)」
 重要な指摘である。そもそも真面目に働くのは未来を担保に今を犠牲にしているわけで、会社においてさしたる未来を夢見ているわけではない私が、自分のやりたことに費やせる時間のほとんど全てを犠牲にしてもしかたがない。中には仕事が趣味だと言う人もいるだろうけど、そういう人こそ上の指摘を考えてみて欲しい。

 こんな調子で、自然保護は金持ちの道楽だと断じ、趣味の昆虫採集を語り、労働や犯罪について意見を述べる。よくぞ言ってくれたと思うものもあれば、著者は何を言っているのだと思うものもある。しかし、どれも考えさせられるのは事実なのだ。そして、文章を与えるだけではなくて、読者に考えさせるというのは実は大変なことなのだ。それは、主題がきちんとしていないといけないし、自分の主張が無ければいけないし、そして他人の心に賛同にせよ反発にせよ、なんらかの波風をたてなければならないのだ。笑って楽しいというのではなく、刺激される楽しみがあるという点で、とても面白いエッセイである。

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とにかくひたすら面白く脳科学を語るラマチャンドランの2作目

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 脳研究の最先端を懇切丁寧に説き、知的興奮を覚えながらもべらぼうに面白い『脳のなかの幽霊』のV.S.ラマチャンドランが帰ってきた。その出来は2作目を待ち望んだ多くの人の要求に応えるだけのもので面目躍如である。
 数ある脳の本でも、なぜラマチャンドランの本が面白いのだろうか。それは、複雑そうに見える脳の機能を簡単な試験で読者に実感させていることや、自説の成否を簡単に判別できるようなテスト方法を提案することにあると思う。読者は自分でできる試験をやってみて、不思議な現象を知ることができる。
 もう一つは、取り上げる現象があまりにも興味深い事例であることに起因すると思う。左半分を無視する半側無視や自分の母親を偽者と断じたり、自分は死んでいると主張する患者達。なぜそのようなことが起こるのか。症状の本質的な原因は知らなくとも、顕れる現象だけでも十分知的好奇心を刺激させられる。さらに、芸術と脳、あるいは言語学と脳、など、多くの先人がなかなか踏みこまなかった領域にまで入り込んでいるところも面白い。
 そして最後に指摘したいのは、その文章の余りと言えば余りの平易さである。脳科学と言えばなにやら難しそうな印象を受けるだろうが、ラマチャンドランの本はそうではない。極めて分かり易い文章で一見難しそうなことを解き明かしてくれることこそ、著作を面白くしている最大の要因であると思う。一般人に分かり易く最先端の科学を説明するのは並大抵の能力ではできないことで、私としてはここに非凡なる脳科学最先端を知る語り手が現れたことを心から嬉しく思う。
 さて、本書の内容についてもちょっと触れておこうと思う。本書はラマチャンドランがイギリス各地をまわりながらの連続講演をもとに組み立てられている。ラマチャンドランは”この連続講演をするにあたって私が目指したのは、神経科学(脳の研究)というものを、一般の方々に(トマス・ハクスリーふうに言うなら「労働者」に)もっと身近に感じてもらえるようにしたいということでした” と述べている。それはおおむねこれまで述べてきたように達成されているように思う。取り上げている内容は、幻肢や自閉症の一部の患者が示す特異的な才能を特徴とするサヴァン症候群、数字を見たら色が見えるというような複数の感覚を同時に体験する共感覚、体を動かす1秒近く前に脳で発生する準備電位など、どれを取っても面白そうなもの。
 恐らく、多くの人は手に取ったら一気に読んでしまうのではなかろうか。唯一の欠点は、すぐに読み終わってしまうところである。

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夢の終わりに気付くべき時

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スペースシャトルの就航は1981年。宇宙へのアクセスを容易にする、夢の機体と騒がれたものである。だが、それから25年近くが過ぎたにも関わらず宇宙が近づいたようには感じられない。
それどころか1986年にはチャレンジャーが、2003年にはコロンビアが墜落し、14名の命が失われ、事故のたびに打ち上げが中断されてきた。アメリカの宇宙開発はむしろ後退した、と言っても良いほど低迷しているのが現状である。
なにが今日のこの事態を招いた原因なのだろうか。
その答えとして、著者が導き出したのは「そもそも設計思想が誤っている」ということだ。”夢の機体”とされた機体はなぜ”欠陥品”なのか。本書ではスペースシャトルの構造、性能は勿論、アメリカの政治的、軍事的な思惑にまで立ち入って設計段階での過ちを指摘されている。背景となる理由の一つ一つは大したことがないかもしれない。しかし、結果としてスペースシャトルは多機能のつぎはぎとなってしまい、万能マシンであるがゆえどの機能をとっても専用機に負けることになってしまった、という指摘は重要だろう。
今後の宇宙開発がどうあるべきなのかを考えるには最適と言える。なによりも、まずスペースシャトルに託した夢が潰えたことを認識し、その上で次にどのように進むべきなのか、を示してくれた本書に感謝したい。
なお、チャレンジャーの事故については事故調査に携わったファインマンさんの困ります、ファインマンさんが面白いのでお勧めである。
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紙の本テロルの決算 新装版

2009/10/31 00:00

17歳の少年が老政治家に刃を向けたその一瞬と、そこに至るまでを丁寧に描き出す傑作ノンフィクション

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1960年10月12日、社会党の党委員長・浅沼稲次郎が、演説中に右翼で17歳の少年・山口二矢(おとや)に刺殺された。

 なぜ少年は老政治家に、それも個人としては善人と評するしかない老人に、刃を向けたのか。一方にその問いかけがあれば、もう一方の問いかけはこうならざるを得ない。即ち、なぜ善人の老政治家は、少年から命を狙われることになったのか。

 本書はその二つの問いの間を行きつ戻りつしながら、刺殺事件の全貌に迫っている。生き急ぎ、死に急いだ少年へ過度な思い入れをせず、老政治家を無意味に称揚しない。あくまでも冷静に、しかし激しく、二人の人生が交錯したその一瞬と、そこに至るまでの二人の人生を描き出すことに成功している。

 本書を手に取らなければ、私の中で山口少年は自分の意見と相容れない政党のトップをテロルによって排除した、粗雑な人物としての姿しかなかっただろう。殺された側の浅沼委員長も、悲劇の主人公としてしか思わなかったはずだ。

 それが、二人の人生を丹念に追いかけたこの秀逸なノンフィクションを手にしたことで、褒められたものではないとしても純粋で、一途な少年の姿を知ることができた。もう一人の主人公、浅沼委員長にしても、なぜ彼が滅私奉公という言葉以外が思い浮かばないほど、党を守り立てようとしたのかも伝わってくる。

 私個人としては、二人の、どちらの立場も首肯し得ない。それでも本書によって生きた二人の姿が脳裏に刻まれることになったのは否定しがたいのだ。そう思ったとき、本書が”ノンフィクションの金字塔”と称される理由が分かった気がした。人間をしっかりと描き出した傑作だと思う。

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怪獣記

2007/10/15 00:14

愛があるからこそ懐疑的。自分の目で見なければ納得しない。そんな立場だからこそ生まれ得た快(怪?)著

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 いやー、面白い。これが素直な感想である。それが感想とはどうかしていると思われるかもしれないが、それ以外に形容しようがないのだから仕方がないのだ。嘘だと思うなら読んでみてください。

 なにが面白いのか。そもそも、いい歳して「怪獣(未確認動物=UMA)を探すのが本業」というのがどうかしている。しかも怪獣を求めて世界中彷徨ってしまうのもスケールが大きい。無双の怪獣好きなのだが、「メジャーなUMAは騒がれているのに比例して目撃を狙う人が多いだろうから」という理由でマイナーな怪獣に狙いを絞るという、かなりおかしいやり方をしているように思われてしまう。

 だが、本書を凡百の怪獣好きと隔てているのは、懐疑的な視点だ。著者は無条件にあらゆる怪獣を信じているわけではない。好きだからこそ懐疑的にならざるを得ないという信念の人でもあるのだ。だから、文章からは怪獣への愛が深く刻まれている。

 さて、今回の狙いはトルコの怪獣ジャナワール。CNN等の主要なメディアで流された暇ネタを見て偽者と確信しながら、その確信を証明するためにわざわざトルコまで旅に出てしまう。その意気たるやよし。

 トルコではジャナワールなんていないよと笑われ、新聞ネタになりながら取材の旅を続ける一行は、事実は小説よりも奇なり、を地で行く珍道中を繰り広げる。この辺りの筆は実に軽妙で、爆笑してしまった件もあるほどだ。怪獣は措いて旅行記として読んでも面白いのではないか。

 CNNで取り上げられたネタは偽者か。はたまたジャナワールは存在するのか。亀をお供に積載重量55kgまでの子供用ボートに乗り込んで勇躍、湖に漕ぎ出した著者は何に巡り会ったのか。なぜ亀がお供なのかは本書で確認してください。立ち読みはしないことを勧めます。笑っちゃうから。

 懐疑的な姿勢の裏にある怪獣へのこだわりが生んだ名作だと思う。私も不思議な現象は愛している。オカルト的な説明がしばしば犯す、論理の無視が許せないだけで。でも、著者の徹底っぷりは私とは深さが違う。愛はもちろんのこと、自分で確認しようとするその姿勢においても。

 怪獣への愛なんてちょっとどうかしている、そう思う人もいるかもしれない。それが正しい判断なのかもしれない。でも、もしそう思わないなら、楽しめること請け合いである。気になってしまった人は、是非自分の目でトルコの怪獣を求めた旅の行方を確認して欲しい。

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カンブリア紀の爆発的な生物進化の謎を解け!

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 5億4300万年前、生物は突如として複雑な形態に進化を遂げた。いわゆるカンブリア爆発である。それまで最も複雑化した生物であってもせいぜいミミズの親戚みたいなレベルだったのが、三葉虫やオウムガイ、アノマロカリスやオパビニアといった装甲を纏い、複雑な構造をとるようになる。
 カンブリア爆発の原因は謎だった。今では否定されているが、当初は進化して装甲を纏った1種類の生物が多くの種に分化したという説もあったが、それは否定されている。地質学的には一瞬といっていいほどの短期間に、一種や二種ではなく多細胞生物のほとんど全てが同じような進化をしたのである。
 その答えを出すまでに、迂遠とも言えるほど多くの話題をたどりながら、一つの結論にたどり着く。タイトルを見れば分かるとおり、目の誕生こそがカンブリア爆発を起こしたというのだ。
 結論だけ書いてしまえば、そんな単純なことが答えとは思えない。だからこそ、多くの話題をたどる必要があるのだ。その結果、眼の構造から色の見える理由といった物理的な点、そこから導かれる動物の色彩戦略といった話題から、海底の有機物分解者たちのような、文字通りにも比喩的にも光の当たらないところに生息する生物の生態まで本当に幅広くてどれも興味深い話が目白押しとなる。
 魚の腹が銀色に見える理由だって、これまで見慣れてきたから当然でもそこには深い理由がある。そんな話題が一見わき道にそれているようでいながら終章で一気に一つの結論に向かって収束する様は見事である。
 もう一つの本書の魅力は、カンブリア紀の奇妙な生物についての多くの図版があることである。彼らの色彩は永遠に失われて久しいが、本書を読むことで実情に近いカラフルな彼らを想像できるような気になれるのが嬉しい。古生物ファンは必見だろう。

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