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先月(2017年8月)

田中武人さんのレビュー一覧

投稿者:田中武人

4 件中 1 件~ 4 件を表示

凡俗極まりない文章から漏れ溢れる劇薬の水脈

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

はじめに断っておくが、評者は著者と立場を同じくしない。
それどころか、旗幟鮮明でない言説、通俗的な文章、啓蒙主義的な態度など、どれをとっても評価できない。しかし、しかしである。この本全体が取り上げるテーマは無視し得ないし、それは劇薬のように評者を刺激して止まない。必読、と言わざるを得ないのだ。

かつて呉智英は『読書家の新技術』の中で、政治を行政と思うことに慣らされている読者に「劇薬」としてカール・シュミットの文献を推した。あれから15年以上の月日が経つが世の中の趨勢はシュミットというよりは英米系のリベラリズムが主流になっているように思われる。外務省の現役官僚である著者は、2003年現在の日本に大戦前ドイツの状況を重ねることで、再びシュミットの思想を浮上させる。
シュミットは、第二次大戦前から大戦中のドイツで、政治とは「友・敵」を峻別することだ、と喝破し「決断主義」を採った法学者である。そして何よりもその「決断主義」が法学からの理論武装として、ナチスドイツの思想のバックボーンとなったことで有名である。著者は、シュミット=ナチスという負のイメージをその背景を点検することで一つ一つ払拭して行き、ナチスの呪縛からシュミットの思想を解き放ち、現代の日本へと降臨させようと試みている。

文章は、つまらなく、甘い点も多い。特に、中立な態度を装いたいのか、一つ一つエクスキューズをつけるが、「劇薬」シュミット思想に対して通俗的なエクスキューズをつけることに何か意味があるのだろうか。しかも「決断主義」に非常なるシンパシーを感じていることを十分に感じさせながらも、エクスキューズに徹するばかりで「劇薬」部分に踏み込んでまでの評者自身の思想が明確に語られることがない。予防線を張った自己弁護が多い。それでいて、各章最後で行われる日本の現状への適用となると途端に陳腐この上ない矮小な結論へと落ちてしまうのだ。
さらにエリート官僚にありがちなある種の蔑視的な視線も気になる、著者にかかるとデリダも「その議論を発展させようとするデリダは慧眼の持ち主に違いない」などとくくられてしまう。
よくよく考えてみれば、イラク戦争終結後ますます北朝鮮の脅威/暴走が危険視される2003年の現在、第三者ならともかく外務省の官僚が「決断主義」を称揚するような文章を書いていて良いのだろうか。私でなくても「いかがなものか」と言いたくなるに違いない。

しかし、以上のような点を差し引いたとしてもなお、そこから溢れるシュミット思想の湧水には着目するだけの価値が十分にある。そして、著者が文章では巧みに避けつつも、実質その「劇薬」に侵されていることが透けて見える、まさにそのことが、一層本書を際立たせている。外務省の小役人なんて、と思うあなたでも、いや、漠然と現状のリベラリズムの言説に慣れきってしまっているすべての人にとって警鐘の書になるだろう。

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私が生きていくための良質の経営学入門

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

題名からは自動車産業のドキュメント本(Project X本といっても良いかもしれない)に思われるかもしれない。無論、そうとしても読むことができるが、むしろ、日本発の経営理論を駆使した実践的なテキスト、良質な経営学入門としてお勧めしたい。

本書では、日本の産業で特に世界的に優勢である(2003年の現在の話である)自動車産業を取り上げ、自動車産業の歴史を追い、日本発の経営理論である知識創造プロセスなどの概念をふんだんに散りばめながら、日本のこれらの産業がなぜ競争優位を保っているのか、(著者はそれをある種の「粘り強さ」と「しぶとさ」に帰着させる)を経営学の理論で解き明かしていく。その語り口はドキュメントとしても面白く、新書としては、かなり厚い400頁強を濃い内容にも関わらず一息に読みきることができた。

日本的な題材を日本の専門家が記述しているにも関わらず、本書で用いられる概念や分析、そして文書の印象も、雑誌「ハーバードビジネスレビュー」などで見られる米国経営学の一般向け論文などに近いように思える。実践的な事例分析であるため、経営「学」の門外漢でも十分に理解可能で、非常に良質なテキストになると思える。

経営学は、経済学やもちろん科学とも異なり、反証可能性をあまり持たない、つまり事後の検証が十分にできない、という制約がある。特定の産業、企業に関して何か面白いことを語ろうとすると、サンプルの量からいって統計学的な処理/根拠付けができない場合が多い。従って、本書でも冒頭で指摘しているが、「勝ったものが強かったのだ」というような、後追いの説明、単なる現状追認になる可能性を秘めている。
そのような観点から本書を眺めると、定量不能な「深層の競争」概念への帰着のさせ方や、進化論/ダーウィン主義への安易なシンパシー、など危うい面もある。著者の語り口に乗せられて納得してしまうかもしれないが、これらはあくまでもきれいに説明するため仮説であり、科学的根拠や統計学的根拠は希薄で、ひょっとすると、将来(もしかすると血液型占いのように)非科学的だと斬って捨てられるかもしれないのだ。

とはいえ、経済学が示す「大数の法則」に従う冷酷な現実分析は、いざ「私が生きていくために」役に立たないことの方が多いのだ。なるほど全員が勝者になることはできず、統計的に一定の割合は、敗者になるのかもしれない。しかし、それでも「私」は負けないために何をすればよいのかを求めているのである。本書は多くの人にとって妥当な仮説としてそれに応えてくれる。何より、本書の仮説が正しいことは、多数の人にとって福音になるであろう、少なくとも、アメリカ流の新資本主義よりは。

自動車産業、製造業のみならず、IT業界(特にソフトウェア開発)、サービス業など、組織の「力」を必要とするすべての「私」に本書を推薦する。

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紙の本やぶにらみ科学論

2003/11/16 20:56

肩の力を抜いた茶飲み話から伝わる透徹した視線

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まるで親戚がたまたま何かの教授で、気軽に居室を訪れた際に話を聞くような感じで始まる語りだが、読み進めるうちに著者の思想が立ち上り、気がつくと深く考えされる、そのような書物である。

我々は文化という名の擬制の中で暮らしており、理を突き詰めるとその擬制は暴かれてしまう。それでも理を追求することが必要であるのは、擬制であることに気がつかないことが、さまざまな弊害、既得権益や差別を生み出すからである。

著者は、理論生物学者で本書の中で、狂牛病、地球温暖化、オカルト、クローン人間などなどさまざまな事象に関して、理を徹底的に突き詰める。その結果は、本書を読んで欲しいと思うが一般の人(評者も例外ではない)には受け入れ難い結論を多数含んでいる。しかし、ほとんどの文章に関しては「理において」否定仕切ることは難しいと思われる。(無論、専門家からは異論があるかもしれないが、大枠において「正しい」と思われる。

この理の追求振りは凄まじい限りである。しかし、著者はそこで立ち止まらない。理を追求した後で引き返してくるのだ。それは例えば、「自然保護をしなければならない理由というのは厳密に論理的に考えると底が抜けているのではないかと思う。(中略)それは人間のナイーブな感情であり、(後略)」と指摘しつつも、それを否定せず、他の箇所では自らに関して「(前略)自然の摂理であり、善悪の問題でないことはわかっていても、自分に親しいものの命は助けたいと思ってしまう。」と積極的に認知するのだ。

話が認識論や構造主義生物学になると評者の評価できる範疇を超えてしまうが、本書を貫いているのは、ナイーブさを偽装しない透徹した視線とそのナイーブさを引き受ける優しさである。虫喰いやバカ学生についてバッサリと語るその中に理と情の間の緊張感が伝わってくる。

我々は擬制に浸りきっていて、擬制の中でしか生きられない、だからこそきっと擬制の限界と必要性を認識すべきであろうし、本書はそれを考える良い手助けとなるだろう。

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そしてポピュリズムが残った

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

取り上げている問題は重要な論点だと思うのだが、本書自体は評価が難しい。

本書は、大衆の政治不信及びその反動としての特定政治家への人気/期待の高まりという現象を、ポピュリズムという概念を用いて分析する。その分析はまず現代日本の政治家に見られる政治理念を「政治改革」を軸に簡単に分類し、中曽根以降の現代政治史を概観するところから始まる。そして、ポピュリズム概念の紹介とそれを体現する小泉純一郎、田中真紀子の詳細な分析に入り、最後にこのような状況を生み出す「鍵」となったTVメディアを考察して終わる。

前段の政治史は、まるで政治小説のように簡明でわかりやすく、なかなかにドラマチックで面白い。分析も政治学者として抑制がきき、おそらくは妥当である。だが、そこまでである。現状分析としては妥当なものでも、だからこうすべき、というものではないのだ。その抑制は、きっと著者の学者としてのものであろう。

しかし、本書の結論を乱暴を承知で敢えてまとめるのであれば、「彼らに政治理念はないのだ」というものであり、これではあまりにも身も蓋もない話である。そもそも、政治を論じるのに、本書のように理念不在な政治闘争レベルの話しか出てこないというのは一体どういうことなのだろうか。本書ではかろうじて政治理念をもつ政治家として(明記はされていないが)小沢一郎が評価されているようであるが、しかし政治的には(事実そうであるように)現時点では勝者ではない。勝者であるものは、日本型ポピュリズムの体現者であるのだ。そのことの(政治理念のないものが統治する立場にいる、ということの)原因に関しても本書では直接的には述べられず、TVメディアの特性とそれに呼応してしまう大衆、という形で暗示されるだけである。その提示のされ方はこの状況がまるで不可逆かつ不可避のものであるかのようである。そうである以上、それは読者(=大衆)も責任の一端を担うべきであり、自分で考えろ、ということなのだろうか。それとも、そもそも政治家に政治理念を求めること自体が間違っていて、そんなものはないほうが良い、ということなのだろうか。深読みかもしれないが、重い読後感が残ってしまう。

本書で提示された「日本型ポピュリズムを生み出してしまうTVメディアと呼応する大衆」を打破するその先の議論が聞きたい。それは最終的にわれわれが自ら選び取るものなのかも知れないが、少なくともその議論を行うのは政治学者及び政治家の責任であろう。

その議論についていくためにもこの不毛な現状を記した本書を読むべきなのかもしれない。

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