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先月(2017年5月)

ISHIHARA,Shingoさんのレビュー一覧

投稿者:ISHIHARA,Shingo

6 件中 1 件~ 6 件を表示

恋よりふるい

2001/05/09 04:03

目の位置を変える

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この詩集には「ワンピース」という美しい詩がある。
「ぽつんぽつんと届く/コラムやデンワで/詩人が亡くなったことがわかった/とてもとおい//一度だけ出会ったことがある/ぼくより少し年下で/はるかに明晰な知性だった/「アイスクリームから新しくなる」/肩をポンとたたかれたように感じたが/ぼくは率直な対応ができなくて/ひどくガッカリした//ガッカリして/新幹線にのって帰ってきた/十年よりもっと前のことだ//かけがえのない知性だった/からし色の/素敵なワンピースを着ていた/半袖の季節だった」
 ここで、からし色のワンピースを着ていたのは、松下千里であったと思う。優れた詩人であり批評家であった松下千里は、『生成する「非在」』(詩学社、1989)の中で、「アイスクリームから新しくなる」という阿部恭久論を書いている。
 その中で、松下は阿部の「給料日」の一節を引いている。「目の位置をかえよう(おっかしいな、いつもここに手ここに指……)」。
 そう、ひとことで言えば、詩を読む快楽というのは、これではないだろうか。良い詩というものは、読者の目の位置を変えて、パァーっと視界を開かせる。
 巷にあふれている詩が、日常を補強してしまうのに対し、阿部恭久の詩は、日常を再発見する。そのような阿部の目の位置は、私にとって、とても切実なものだ。

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紙の本のほほん人間革命

2001/05/08 01:56

めっさ、おもろい

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 生きることは時につらく、下を向きがちになるけれども、そんなときに読むと、心が軽くなって、少し顔を上げて歩こうという気になる本がある。それは例えば、世間とは違ったものの見方を教えてくれる本だったりする。

 『のほほん人間革命』に登場するのは、幻覚サボテン、下着パブ、タンキング、UFO本、UFOコンタクティー、遠藤誠などだ。以下、大槻ケンヂと遠藤誠の対談より。
 「大槻『……遠藤さんの(仏教における)「空」に対する解釈は——』/遠藤『「ないこと」=ゼロです』/……/大槻『この世のすべてのものは、ほんとはないんだよと。結構、面倒くさいときなんか、「イヤー、でも本当はこれ、ないんだから」って——』/遠藤『そう。ない、ない』/……/大槻『ボクは、これを女の子と会う時に応用してるんですよ。緊張するじゃないですか、最初のデートって。そういう時に、ああ色即是空、色即是空って』/遠藤『(笑)いいですねぇ』/大槻『きれいなお姉ちゃんがいるけど、別に相手がどう思おうといいの、いいのってなると——』/遠藤『そう思って接すると意外ともてるんですよ、逆に』/大槻『いやあ「般若心経で、モテモテ」っていうのはなかなかいいっすスね』/遠藤『いいっス。確かに』」(271-273頁)。

 人間というのは、自分の周りだけを見て、「世界」を判断しがちだ。例えば、大学生が予想する大学進学率は現実よりも高くなる。周りが大学生ばかりだと、世の中の半分くらいは大卒なんじゃないかと思ってしまう。つい油断すると、人は「世界」を、自分の延長線上に見てしまう。
 しかし、世の中は、君が思っているより広いのだ。世の中には、ほんとうに色々な人がいるし、いろいろなことがある。だから、おもしろい。

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ひとりでいること

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 高橋亮子は、萩尾望都や大島弓子など、いわゆる「24年組」とよばれる作家たちと同時期に活躍していた。しかし「24年組」に比べて、高橋亮子があまりとりあげられないのは、物語がオーソドックスに過ぎたためだろう。
 『坂道のぼれ!』を乱暴にまとめてしまえば、不良とされている少年に恋してしまう少女の話だ。少女は少年のやさしさや純粋さを見出していく。そうして二人は互いに成長していく。これは少女マンガの雛型のような物語である。
 「24年組」が、ホモセクシャル的要素などを取り入れ、既存の性的表現を革新したのに対し、高橋亮子は従来の「少女マンガ」の表現から逸脱しない。彼女は、あえて自らに枷をはめ、従来のマンガ文法の中で、いかに人間を表現するかに賭けていたのだと思う。
 だから物語は定番だけれども、決して安易なハッピーエンドでは終わらないのだ。恋愛関係にある二人が様々な困難を乗り越え、ラストで結ばれて、めでたしめでたしという内容ではない。様々な困難を乗り越えたがゆえに二人は結ばれない。あえて二人は離れる。『坂道のぼれ!』のラスト、少年は少女に「前を向いてひとりで歩け」と言い、遠くへ旅立つ。
 「二人で考えたら何でも分かると思う?」「でもひとりで考えたいんでしょう?」(『坂道のぼれ!』)、「何が正しいか何が間違っているか/まず/ひとりとひとりでなくてはなにも分からない/始まらない」(『迷子の領分』)、と高橋亮子は書く。ひとりであるということなしには、人を愛する幸福を得ることはできないという認識。それゆえ彼女は、多くの作品において、執拗に、恋愛関係の成就した二人を離れさせる。それは「少女マンガ」の読者にとって、後味の良いものではない。読者はカタルシスではなく、後味の悪さを感じるだろう。しかしだからこそ、読者ひとりひとりの中で物語は続いていく。物語は決して終わらないのだ。あたりまえだ。人生はそんなに簡単に決着のつくものではないのだから。
 高橋亮子はあまり目立たないけれども、マンガの可能性を追求した作家のひとりであることは間違いない。

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紙の本いとし.愛しと言うこころ

2002/01/27 13:03

仮構することのリアル

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 涼氏は自宅の一部をアトリエに腕をふるう美容師。灯世は学生時代からの涼氏の恋人。そんな二人が織りなすボーイズラヴの連作短編集。
 とりわけ印象深いのが、涼氏の過去の傷が描かれる表題作だ。
 涼氏の母親は精神を病み涼氏を殺そうとした。母親は死に、その巻き添えで何人もの人が傷つくのも涼氏は見た。いまでもときどき夢でうなされる。
 あるとき喫茶店で向かいの花屋の女性を見た涼氏は、彼女を母親だと思う。母親はすでになく、その女性が他人であることは分かっているが、それでも涼氏は彼女を母親だと仮構して、「こっちを見ませんように、目があいませんように、目が合ったらすべてがなくなってしまう」と祈りながら、毎日窓辺の席でガラス越しに見つめている……
 もうどうにも立ち行かない、生きることに意味が見出せない、そんなときに人は、自らの求めるものを何かに仮構することで正気を保とうとするだろう。もちろんそれが嘘であることを知りながら。
 花屋の女性を眺める涼氏の分裂したまなざしの切実さ、傷を癒すことの切実さを、竹美家ららはその繊細な線で静かに描き出している。

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犯罪者の目

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 上岡龍太郎の語り下ろし自伝。「私の上方芸能史」と副題にあるとおり、上方芸能の歴史的資料としても読める。

 古今亭志ん生の晩年のエピソードがおもしろい。
 出番になると、弟子二人が志ん生をかかえて高座に運ぶ。緞帳が上がっても志ん生は喋らない。客席は「あれ、大丈夫なの?ヤバイんじゃないの」という雰囲気。すると、置物状態の志ん生が、「エーッ」とひとこと。客席は「生きてた……」。「これぞ生の喜びですよ。『もうあかんで』と思うてた人が生きてたんです。……ところが、『エーッ』と言うたなり、また志ん生が黙るんです。と、また客席が次の言葉を聞こうと思ってシーンとする。待っていても、しばらく無言です。/「待てよ。あれが最後やったんとちがうか? ひょっとしたら、あれは断末魔の……」/と思ってたら、志ん生が、/「………んぁ」/なんやわからんのやけど、お客はウワーッと盛り上がる」(183頁)。
 ここには、現在主流の「笑い」にはない、ゆったりとした時間が流れている。

 「ぼくの趣味から言うと、犯罪者の目してる、つまり常人やない、人殺してもおかしない目してるやつが、お笑いをやったら行けると思ってるんです」(273頁)。
 そういえば、色川武大が何かのエッセイで書いていたが、ある日、パチンコをしていたら「吉展ちゃん誘拐事件」の速報が店に流れた。そのとき色川武大が思ったのは、「つかまらないで、できれば逃げおおせてくれ」という、犯人に対するシンパシーだったという。色川武大は『なつかしい芸人たち』という本を書いているくらい、芸人に対して思い入れがある人だ。犯罪者=まっとうに生きられない=芸人ということだろうか。芸人になるのと、犯罪者になるのとは紙一重なのかもしれない。

 筑摩書房は、この他にも、古今亭志ん生『なめくじ艦隊』、桂文楽『あばらかべっそん』などの、芸人自伝本を出している。

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紙の本チェリーボーイズ

2002/01/27 13:05

童貞

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 NHKでときどき放送される「青年の主張」は見ていてかなり恥ずかしい。「命は大切に」とかその手の取り繕った主張を、「若さ」を盾に溌剌と語るその姿。「若さ」って、そんな声高な主張ができるほど立派なものだろうか?
 古泉智浩『チェリーボーイズ』は、童貞男子三人組、その名もクンニ、カウパー、ビーチクが、フェラ子(なんてみもふたもないネーミング!!)を襲おうとして、逆にめためたにやっつけられるという、なんとも情けなくてしょうもないお話である。
 クンニはクンニと呼ばれているが、もちろんクンニをしたことがない。カウパーに「どうかクンニにクンニさせてやってください」と土下座されたフェラ子は、クンニにお情けでクンニをさせてあげる。
 初クンニの感激に拳を挙げて叫ぶクンニ。
 「やったーー オレはクンニだぞー」。
 これがこのマンガのラストである。
 若さというのは、ときに、どうしようなさと同義だ。古泉智浩の描く男子も女子もみんなどうしようもなく若くてばかで純粋だ。
 これ以上でもこれ以下でも嘘くさくなる。古泉智浩はそんな絶妙にリアルな話を描ける数少ない描き手の一人である。

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