サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 春都さんのレビュー一覧

春都さんのレビュー一覧

投稿者:春都

77 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本生ける屍の死

2001/05/29 05:18

これぞ王道、これぞ究極

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近では西澤保彦などの登場により、さほど珍しくなくなった「特殊な舞台・環境設定」ものと言えようが、ただミステリのパズル的要素で遊ぶだけで終わらないのが、この作品のすごいところ。

 「死と生」という最も大きなテーマに真っ向から挑み、ミステリというある意味「児戯」が許された世界でしか問うことのできない「比喩でなく、言葉通りの死者から見た死生観」をも含めて考察している。葬儀屋(関係者)だけに、人それぞれ死に対する自分なりの想いが多々あるのだ。
 しかし、だからといってミステリの形態を借りた「死学書」だと思ったら大間違いで、この作品はまごうかたなき極上の「本格ミステリ」なのである。

 物語中にくりかえし語られる様々な死生観。これらが考察のための考察、衒学趣味で終わることなく真相に密接に絡んでくる。

 本来のミステリであれば生者の思考形態だけ類推すればいいのだが、「生ける屍」が関わってくる殺人では、死者がどう感じどう行動するのかまで読まなければいけない。つまり従来の思考では解を導きだすことのできない動機=ホワイダニットなのである。

 また、屍とはいえ生きているわけで、見た目には他の生者と変わらない。つまりここにもまたひとつ「誰が死んでいるのか」という馬鹿げた謎が読者の前に現れてくる。とんでもないフーダニットを用意したものだ。

 作品をつらぬく一番の謎は「死者の甦る世界で殺人を犯す意味はあるのか?」であろう。人はなぜ殺人をするのか、それは被害者の息の根を止めることで安心感や優越感などを得るためであり、その前提(死)が崩れたときには全く意味をなさない。逆に自らに危険さえ及ぶだろう。
 しかし山口雅也はこの大いなるパラドックス(矛盾)に着地点を与え(しかも2つの方向から)、論理によって見事なまでに腑に落ちる解決を用意するのである。もちろん伏線は充分すぎるほど張られている。

 最後に僕も、文庫解説での法月倫太郎氏にならい、この作品に以下の賛辞を送りたい。
 「これぞミステリの王道だ!」

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本エイジ

2001/05/29 03:48

あったよ、こんな時期

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 小野不由美の『屍鬼』他を退けて、山本周五郎賞を受賞した作品。

 膝の痛みのためバスケ部を休部し、なんとなく毎日を過ごしているエイジの住む街で、連続通り魔事件が起こる。漠然とした恐さを感じていながらもやっぱり他人事だと思っていたエイジたちに、犯人はクラスメートだという話が伝わってきた。
 世間の「中学生は……」という視線のなかで、エイジはなにを感じ、思い、過ごすのか。

 「等身大」と言っていいのかわからないけど、中学生のときってこんなだったかなあ、なんて。宗田理なんかが書く「型どおりのいい子」とは大違いの、不安定で、不器用で、カッコイイことがなんとなく嫌な中2の男子を、みずみずしい文体で描いていく。
 個性的でありながら「いたいた、こんなやつ」というキャラを随所に配し、そこに思い悩む(ぜんぜん陰鬱じゃないんだ、これが)エイジを重ねていくのが上手い。不自然に「大人から見たこども」的なものがでてこないのもいい。

 まあ、当の中学生が読んだらどう思うかは別なんだけど。面白かったっす。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本極大射程 上巻

2001/05/29 05:42

射程距離0=1000

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1キロ以上も離れたところにいる標的を正確無比に撃ちぬき、周囲を埋めつくす敵には目にもとまらぬ速さで次々と銃弾をみまっていく、孤高の主人公ボブ。その卓越した能力を見せるとき、彼自身がライフルになり、ライフルは彼になる。

 特筆すべきは、ディティールを緻密に描くことで、いかに常人離れした能力を彼ら狙撃手たちが発揮しているのか、射撃の際にどれだけとんでもないことが行われているのかを、読者に分かり易く表してみせたところだろう。
 「引き金にかけた指の力を2ポンドから3ポンドに増した」とか、「数ミリ単位で照準を修正する」とか、想像もできないような状況下で彼らは戦っており、それができなければ超遠距離射撃などという芸当は不可能なのだ。

 そしてその瞬間にのみ成立する、銃と人との一体化。もはや悪だの正義だのといった倫理観は存在しえず、ただただ射撃の「純粋」が見えてくる。これはそういった意味で、銃規制とそれに反対するガン・クレイジー間の争いとは一線を画した、しかし真摯に「銃」を語っている作品と言える。

 作者のもつ描写力とセンスをそこなわない、なめらかな文章の翻訳も評価したい。いやいや、おもしろかった。主人公ボブはシリーズキャラらしいから、ちょっと追っかけてみたくなった。

 「血沸き肉躍るアクション小説」、このありふれた言葉がもっともよく似合う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

無辺の世界に言葉無し

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 人々の「不幸」のみを望み、はるか昔から歴史の闇に暗躍してきた異能の者たち——鬼道衆。様々な超常能力を持った彼らの崇める、不可侵の絶対者・外道皇帝が、永い沈黙を破りこの世に復活した。鬼道衆が求めつづけていた伝説の「黄金城」の扉は、いま開かれんとしている。

 人とは、時間とは、宇宙とは、存在とは何なのか。一人の人間が一生かかっても答えきれない命題を、いささかも躊躇することなく、次から次へと物語のなかにぶち込んでいく。

 すべてを語ってやろうじゃないかという半村良の意気込み、ここまでくるとすでに狂気にすら感じられるその想いに、読者はただただ圧倒され、綾辻行人や京極夏彦と同じく、自らの価値観を一変させられてしまうだろう。

 これが小説として書かれ、そして今手に取れることの幸せを、なによりも喜ぶべきである。にわかには信じがたいかもしれないが、『妖星伝』はこの地に住む同じ人間が創りだした代物、手を伸ばせば、広大無辺な世界がそこにあるのだ。言葉はいらない、今すぐ飛び込め。

 このままずっと終わらないでほしい、読み進めながら何度そう思ったことか。人には死があるように、物語には完結という終わりが待ちかまえている。己が「今」を体感している以上、すべての時が止まる一点に近づきつつあるのは、逃れようのない現実だ。すなわち頁を繰る行為とは、生を疾走し、死に向かっていくことと同義であるのかもしれない。

 しかし『妖星伝』は、本を閉じてからも生き続けた。いや、存在すると言った方が良いか。身体という名の器から脱した魂は、時の緊縛から逃れ永遠の営みを得るように、この物語は終結を迎えてもなお、読者の内にいつまでも色あせず在り続けるのだ。

 妖星は決して滅びない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本グランド・ミステリー

2001/05/19 11:59

1冊の本のうえで生きる者たちの幸福

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「未来がわかる」と「未来を知っている」では大違いではないかと思う。
 なぜなら前者の場合「自分」は現在にいながら未来のことがわかるわけで、つまり自己の足下は少しも揺らいでいないことになる。
 ところが後者の場合「知っている」とは未来を一度経験したか目撃したか、とにかく現在にあるべき自分というものが不確かになってしまっているのである。

 また「未来」を経験しているということは「では自分の今いる現在は過去なのか?」という疑心にもつながり得るだろう。
 自らの人生が載った1冊の書物=歴史が2つないしそれ以上存在し、しかも1冊目をすでに読み終えてしまっている彼らの自己は、未来と現在と過去のあいだで翻弄される。
 喪失ではなく「そこにありながらどこにもない」状態に置かれるのである。

 読者も同様だ。
 同じ人物の語りでありながら、異なった「事実」が記述されていく。これではなにを信じればいいのだろうかと不安になるはずだが「すべて事実なのだから信じればいい」のである。

 真珠湾で死んだ榊原はミッドウェーでも死ぬし、シェークスピアの詩によって範子に求婚した木谷は、その詩を言うことができないまま結婚を申しこむ。戦中、何ものかに殺された古田厳風の著書『失われた遺書』とは、戦後30年経ってから古田の手によって書かれたものである。

 書物の違いによってあらわれるいくつもの「ズレ」は、それを知る何人かの人物と読者以外には1つしかない確固たる現実として作用するのである。もちろん「信じればいい」のだが、そう簡単にできたら苦労はない。読者もまた翻弄されつづけるだろう。

 文章の上手さもさすがというべきで、ゆうに原稿2枚分が1文となっているのだが、慣れてしまえば心地よく頭に入ってくる。スケールも内容的にも「ミステリ」でなければ捉えきれないほど大きいと感じた。当然「広義のミステリ」という、なにもかも呑みこんで膨張しつづけるあれのことだ。と考えているのは僕だけかもしれないが。

 とにかくこの本は「把握」することを許さない物語であると感じた。たんなる厚さの問題以外で、久しぶりに読みごたえのある1冊であった。もちろん読了後も完全に把握できてはいない。それでいいと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本星の王子さま オリジナル版

2001/05/29 05:40

1冊の奇跡

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 飛行機乗りの私は、ある日不時着した砂漠の真ん中で1人のきれいな坊ちゃんと出会う。彼は、とてもちっぽけな星から来たのだという。

 いまさら僕があれこれ言うのもどうか、というほど有名な作品。だから、なにも言わない。言葉を費やせば費やすほど、この物語から受け取ったものが薄れてしまうような気がする。

 もし、あらゆる人がその一生に1冊の本を書けるとしたら、いや1冊しか書けないとしたら、テグジュペリのそれは間違いなく『星の王子さま』だったのだろうと思った。「こども」であり続けるのは、とても難しいことですね。

 なんてな。こんな気持ちになれるから、僕は本を読むのかもしれません。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

読者にも作者にも、発見がある

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 期待通り、『夏目房之介の漫画学』よりもつっこんだ批評になっていて、僕はこちらのほうがずっとおもしろく、楽しい勉強になった。あちらは作品を元にしてマンガ評を語るものだったのに対し、こちらは著者のマンガ学とでもいったものの具体例として作品をあげる形式だったからだろう。
 「線」と「コマ」を中心に、さらには「言葉」も含めた批評スタイルは、やはり自らもマンガを描いているという経験からくるものだけに説得力がある。しかもおもしろい。

 ペン(線)の違いによる絵の印象の変化、コマによる時間的/空間的な操作、文字であり絵でもあるオノマトペ(擬音語/擬態語。ドアが閉まるときのバタンッとかいうやつ)、他にもここには書ききれないほど多くの「マンガ表現」が列挙、というより「抽出」され、わかりやすく解説されていく。

 普段、僕らが読んでいるものは、実は驚くほど複雑な構造をもっている。とくに少女漫画は、欧米などではどう読み進めばいいのかもわからないらしい。
 日本の読者にそれが可能なのは、小さな頃から慣れ親しみ、複雑な構造を無意識のうちに理解してしまっているからだ。身に染みついている。
 だからマンガはいかに面白いことをやっているのか、効果は感じていたとしてもなぜそう感じるのか、そこになかなか気づけないしわからない。
 夏目房之介はそれをひとつひとつ解きほぐし、僕らにわかるように平易な説明で、気づかせてくれる。おそらくは実作者でさえ、慣習と経験により無意識に使っているかもしれないそれら、マンガ表現とはどれほど奥が深いものであるかを教える。

 マンガ好きであればもちろん、マンガのことはよく知らんという人でも、同じように発見があるに違いない。僕みたいにあまりマンガを読まない人間にとっても、これはマンガ評論として優れていて、かつ面白いということはわかる。

 マンガはなぜ面白いのか。面白くするために、これだけの技法を開発し、発展をめざし、洗練させていこうとしているのだから、そりゃあ面白くもなるはずだわ。
 数多の先人と、現在もなお試行錯誤をくりかえしている創作者たちに、感謝。

 しかしゴルゴ13が泣きべそかいてる顔はものすごく変だった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本星を継ぐもの

2001/05/29 05:44

SFで遊ぶ大人たち

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 地球人とまったく同じ姿形をしたチャーリー(発見された死体)。彼は何のためにどこから来て死んだのか、そして何者なのか。
 「未知という謎」を探るべく集った超一流の科学者たちがそこに覚えた感情、僕は間違いなく「哀れみ」だったのだろうと想像する。違う言語を使い、得体の知れない科学を用い、しかも自らは語ることのできないチャーリーの想いを知ることは、好奇心ももちろんあったのだろうけども、それ以上に「隣人の言葉」を聞いてあげたいという意識もあったのではないか。
 この広大すぎる宇宙にちっぽけな船でこぎ出した我々の、やっと見つけた最初の隣人こそが、チャーリーだったのだから。

 まぁ何とも楽しい。僕はその道の専門家、特に「天才」と呼ばれる人たちが活躍する話が大好きらしいのだけど、この物語はそれのみで創られていると言っても過言ではない。
 くり返される議論、積み重ねられては崩される思索。「知の饗宴」とも呼びたい天才たちの挑戦には、たしかに本格ミステリと同種のおもしろさを感じた。

 SFの印象として「作品内に限られた理論で終始する」というのがあったのだけど、どうやらそう簡単に言い切れるものではなく、率直に言えばバカげた偏見だったようだ。
 そういった側面は多少あるかもしれないが、僕はもっと「閉じた、窮屈な世界」と想像していたのである。考えてみれば、僕のようなものでさえ嫌だと感じる理由が本当にあるのだとしたら、あらゆるジャンルで最も熱狂的な愛読者がいる(と僕は感じている)SFなんてものは、とっくの昔に滅びているはず。お見それしました。

 でも、主人公たちが開発した「トライマグニスコープ」は、もっと物語にからんでくるのかと思った。謎の死体問題に関わりを持たせるためだけに、都合のいい道具をひょいと出してくるのはどうだろう。ストーリーが冗長になるのを防ぐべく作ったのはわかるのだけど、SF初心者としては期待してしまうじゃないか。

 冗長になるのを防ぐといえば、いわゆる「説明」にすぎない文章がほぼ半分を占めている。登場人物を軸に話を進めていこうとしたら、おそらくとんでもない長さになるだろうと、作者は考えたのだろう。
 その部分は小説を読んでいる気がしなくて、科学本か歴史本か、とにかく味気ない感じを受けたのだけど、当然のことながら重要な箇所というわけでもないので、意味のある省略として捉えることにした。この人は説明のほうが上手いというのもあるが。

 何はともあれ、SFにはまりそうである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本幻の女

2001/05/29 05:31

真っ向からのサスペンス

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 無実ではとの疑いを持った刑事と、ヘンダーソンの親友が動き始めたころには、すでに事件から数ヶ月が経っており、手がかりも消え失せてしまっている。
 そんな状況で、一緒にいた当人すらも憶えていないような女を見つけようなどとは、まさに幻を追い、煙をつかもうとするような馬鹿げた行動である。

 しかし彼らは、はなから勝ち目はなく、希望の光も見えない謎の闇を手探りで進んでいく。すべては監房のなかで自らの死の足音を聞きつづける者のために。

 真相にいたる道は、推理でも、警察組織を使った捜査でもない。一人の人間の足による、目撃者・証言者への徹底した探訪であり、彼らの脳裏にかすかに残る記憶の残滓だけだ。そして彼のたどる途上にも、いくつもの死体が転がり、せっかく得た証言者がその言葉を失っていく。

 友に迫る死への緊張感と、幻の女を見つけることができるのかという不安、接近したものたちが次々と不可解な死を遂げていく恐怖。「サスペンス」にいだくイメージそのままの、いや最上級の興奮がこの作品にはある。

 行き当たりばったりといえば聞こえは悪いが、しかし彼らのとれる手段はそれだけ、頭を使った推理などしているヒマはないのだ。
 だから物語は停滞することなく、スピード感に満ちた展開を見せる。章のタイトルとなっている「死刑執行?日前」の記述とは、登場人物と同様、読者にもつきつけられる残り時間である。本を置く余裕などない。

 紹介文に「サスペンスの詩人」とあるように、文章にもこだわりを見せている。最初の一行、「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」が、この作品そのものであるといってもいいだろう。訳文でも充分魅力あるが、これはぜひ原文で読み、舌の上で転がしてみたい文章である。

 僕はいわゆる「古典」をあまり読んだことがない。それゆえに、良いイメージ、というか現代のものと比べて特に優れているところがあるとは思えなかったのだが、少しだけその認識をあらためる必要があると思った。

 なぜ「古典」と呼ばれるまでに、多くの読者によって読み継がれているのか。ミステリファンの目は、昔も今も、同じ輝きを持っているのだろう。興奮のメカニズムは100年経とうが1000年経とうが変わりはしないのかもしれない。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本黄金色の祈り

2001/05/29 04:37

ふりかえることができますか

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最初に言っておきたいのだが、これはミステリとしては特別優れている作品ではないと思う。いや、「謎の部分」と言った方がいいか。
 とにかく、西澤保彦は奇抜な設定とロジックを評価されがちだが、彼の持つもうひとつの作風にして、実は全作品に流れていると言える「人間の奥深くにある心理」を描いたものとして、これは僕の読んだなかでベストなのである。その心理が、いつもいつも僕のことを書いてるようで、身につまされるのはなんでだろう。

 取り壊す予定の旧校舎から、白骨死体が発見された。僕の、かつての親友だった。かたわらに置いてあったフルートは、高校時代に入っていた部活で、何者かによって部員の一人から盗まれたものだった。
 親友はあの時の犯人だったのか、それとも犯人はべつにいて、そいつによって彼は殺されたのだろうか。

 つらい作品だった。ここに書かれてあること、それは僕がこれまで意識の外に追いやり、目を逸らしてきた「現実」と重なってしまうからだ。そう、主人公と同じく、僕だって分かっていたはず。自分で自分をだまし、自己欺瞞という目かくしによって、いかに現実から救われてきたのか。

 都合のいいように解釈することで解決したと思いこみ、あるいは折り合いをつけ、それによって傷ついた人がいたとしても、それさえもいつの間にか、僕ではない「誰か」のせいにしてしまう。これまでの人生で、どれだけくり返してきたのだろう。

 しかし心の奥では、自分がどう目を逸らしたのか、自己欺瞞をかけたのか、そしてあの人たちを誰が傷つけたのか、すべて分かっているのだ。それによって、どれだけ後悔することになるかも、そうだ、僕は分かっている。それなのに、何故。

 名作というわけではない。しかし、何年か経ってから再び読んでみたい作品である。いまの年齢の僕がこの作品から感じたことを、25歳の、30歳の、そして執筆時の著者と同じ年齢になった僕はどう感じるのか、とても気になるから。

 主人公は過去の自分を振り返ることで、自らの罪(そう呼びたい)に気づいた。いま現在だましつづけているであろう僕は、もしかしたらこれからも自分をだましていくのかもしれないけれど、この作品を読むことで、その時、はたと気づいてくれることを願いたい。キミの「本当」はそこにあるのだ、ということを。

 最後まで主人公の名前は出てこない。つまり、読者ひとりひとりなのだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本名探偵に薔薇を

2001/05/29 04:03

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「探偵は神たり得るのか」、エラリィ・クイーンや法月綸太郎など「名探偵」と呼ばれる者たちが、悩み葛藤し続けた問いである。
 推理などしょせんは想像の域を脱しない、それが導きだす真相など「真実」と言えるのだろうか。いや、そもそも真実など存在するのか。

 数多の探偵たち、つまりはミステリ作家が必ずぶちあたる大きな壁であり、袋小路である。器用な連中は巧みに抜け出し、あるいは見えないフリをすることで呪縛から逃れることが出来るのであるが、城平京は違った。自らその罠に飛び込んだのである。

 構成の妙と言えるだろう。
 第1部「メルヘン小人地獄」において、名探偵・瀬川みゆきの土台を確固たるものとし、その揺るぎない才能を読者の意識に植えつける。視点人物(語り手)を探偵にしないことで、まさに「神」のような人物であることを印象づけるのだ。
 とてつもなく蠱惑的な魅力をもつ「完璧に近い毒薬」の来歴、それが引き起こした連続見立て殺人事件という、ミステリ好きにはたまらない物語を、あっけなく後の伏線に利用してしまうのである。

 そして第2部で行われること。今度は視点人物を瀬川みゆきにすることで「名探偵の崩壊」を描いてみせる。当然彼女が導きだす「真実」もまた拠りどころを失い、虚構の霧の中に溶けていってしまう。
 再びあらわれたそれは、探偵自身の存在基盤をも破壊してしまう「メルヘン(小人)地獄」へと変貌している。探偵が活躍する「メルヘン」が、一瞬にして「地獄」へと姿を変えるのだ。
 瀬川みゆきが最終的にどう受け止めたのかは読者の楽しみにとっておくことにするが、そのラストはあまりにも哀しく切ない。

 賞の選考時、作品のラストに前例が2,3あることが問題にされたという。たしかに僕にも思い至る作品がいくつかあった。もちろんそれが決定的な欠点であったとは言わないだろうし、1つの賞を与えるという行為がかかえる「過剰な危険回避」の頭があったのかもしれないが、やはりテーマを見誤ったと言わざるを得ない。その深遠さを。

 構成、トリック、どんでん返し、その他『名探偵に薔薇を』に使われている手法は、すべて「名探偵」と呼ばれる者の抱える葛藤や苦悩、弱さから人間性に至るまで描き出すための、一道具にしか過ぎないのだ。舞台とまるで合わない大げさで古風な文章も頻繁に使われるが、それも「探偵小説」を表現するために利用されているだけである。ただ下手なだけだろう、などとうがった見方をしてはいけない。そう、いけないのである。

 残念ながら、おそらくシリーズものにはしないだろう。いくら名探偵とはいえ、また作中で多くの「解決した事件」を匂わせているとはいえ、この作品の性質から続編・番外編は生まれようがない。というよりも、書いてしまったらこれが台無しになる。作者がよほど「器用な人間」でない限り……。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本天使の囀り

2001/05/19 12:24

私が私でないものに変わり果てる

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 僕の見たところ『黒い家』では「外部からの恐怖」を中心にあつかっていたようだが、『天使』は明らかに「内部からの恐怖」をも取りあげた作品である。

 自分を動かしているもの、行動原理となっているものが「あるもの」をきっかけにして容易に変貌してしまい、しかも自分では気づかない。
 客観視可能な「正常な」登場人物や読者こそがその歪みを知ることができ、恐怖する。

 ただの「ウィルス浸食系」ホラーでは外的な恐怖に終わってしまうが、そこに「自己の変貌」が伴うだけに内的な恐怖も加わり、作品の重厚感あるいは恐怖の多層性を増しているのである。

 小説・ミステリの書き方がうまい。いくつもの伏線がストーリーに違和感なく盛り込まれているし、参考文献からの情報も読みやすいよう配慮している。
 それで気づいたのだけど「専門的な説明」に適しているのは、やはり会話文なのではないかと感じた。登場人物によって語られるそれは作中の人物に対してのもので、多くの場合「素人相手」に話される。つまり作中の「素人」に理解されるよう話す=同じく「素人」の読者にも理解されやすい、ということ。

 前作『黒い家』はしばらく前に読んだから印象が薄れているのだろうが、『天使』の方が面白かった気がする。ただ「追いつめられる恐怖」という点では『黒い』が上かもしれない。『天使』は題材が題材だけにわりと客観的に読めたからだろうか。
 それはともかく、次作にも期待がつながる作品であった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本さむけ

2001/05/29 05:49

真相は、箱根細工の器のなかに

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「箱根細工」という細工物を知っているだろうか。幾片かの板状の木を組みあわせてつくった箱で、側面をずらしたり、あるいは底の部分をまたずらしたりと、ある決められた手順をふまないとフタを開けることができないというものだ。
 市川崑監督の映画『女王蜂』で、金田一耕助が密室となった部屋を同じ要領で開けるシーンがあるのだが、はたしてこんな例を出してわかる人間がどれだけいるのか疑問である。

 探偵であるリュウ・アーチャーは、事件の真相を探るべく、たらい回しにされているかのようにあちらこちらへ関係者の話を聞きに行く。同じ人物のところにしつこく訪れ、真相につながるなにかを知っていないか、隠しごとをしているのではないか、あいつとあいつはどんな関係なのかをくりかえし尋ねる。他の関係者から聞きだした、新たな情報をたずさえて。

 ひとりの人物が、会った途端にすべての事実を告げてくれたら、どれだけ探偵は、そして読者は楽だろう。彼らがたんなる「情報提供者」にすぎず、物語の一駒として機能してくれるのなら、どれだけ単純な事件となるだろうか。
 しかし彼らは探偵と出会おうが出会わなかろうが各々の生活があるのであり、これまでに年齢だけの時間を過ごしてきて、背後にはそうそう簡単に人には明かせない隠しごとを持っている。
 探偵との出会いは、その人生のなかでの一瞬の接点にしかすぎないのだ。

 彼らからそれを引きだすには、喋らせるには、さまざまな情報を他からたずさえていかなければならない。箱根細工のように(ここでようやくつながる)、フタを開けるにはあっちをずらしこっちをずらしして、一見まるで関係ない手順を踏んだうえでなければ、真相という名の「中身」を見ることはできないのである。

 リュウ・アーチャーだけが、その開け方を知っている。読者はその手際をほれぼれと見守り、やがて出てくる「箱の中」にもまた驚くことだろう。まさしく、探偵のプロフェッショナルである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本桜闇

2001/05/29 03:50

時は流れゆく、私と同じく

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この作品の核となっている「二重螺旋」。すぐ隣を進んでいながら容易にたどりつくことができない、そのもどかしさ、距離感。
 グルグルとねじりあいながらある方向に向かって進んでゆくそれは、たとえば友人知人、生者と死者、そして探偵と犯人などのあらゆる人間関係に相似しているとも言えるだろう。
 人間が2人集まれば「二重螺旋」が浮かびあがってくる、とはちょっと言い過ぎだろうか。

 個人的にこのシリーズ、短編のほうが好みだ。作者自身も述べているように、より「本格」の色が濃く(解りやすく)なっているからだろう。
 つまり裏を返せば、長編では京介・蒼・深春らの人生を描くことに重点をおいている、というかこの「桜井京介」ものではそれが一番語りたいことなのだと思う。

 あえてキャラクター小説のかたちをとることによって、人物で物語を描くのではなく、物語で人物を描いてゆく。だからこそ、そこに成長や苦悩といった彼らの「人生」を見ることができるのだろう。

 最後に、どうでもいい感想を。蒼ってキモチワルイ。20歳にもなってメソメソしている野郎の図には、かなり首すじがかゆいものがあるぞ。これの背後に「蒼くん、カワイイ〜」とかいう人たちが見えてしまうのも、またなんともイヤだ。
 ちょっと「やおい」のニオイがするのだけど、まあ間違いなく僕の妄想だろうから、気にしないよう。でもこういうのって男性作家は書けないだろうな、とも思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本パノラマ島奇談 新装

2001/05/29 03:23

作家の夢と読者の幻

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ここに出てくる謎解きだの殺人だのはどうでもいい。
 すべてはパノラマ島の、作者が熱病におかされながら書きつけたような、それでいてひどく現実感のある「まぼろし」にある。

 天才的な芸術心をもった人間が、だからこそはらんでいる狂気が具現化した島、そこに一歩踏み込んだ瞬間から読者の地平は彼方へと運ばれてしまう。

 なんなんだこれは。

 いまさらながら、乱歩おそるべし。とくに表題作の越境ぶりはたまらなく好きだ。
 底なしの富のおかげで「パノラマ島奇談」の主人公は妄想を結実させたわけだが、僕ら読者と、誰より作家は筆一本あればそれができてしまう。これを悦ばずにいられようか。
 夢か真か、それとも幻か。見きわめ困難がこの世であるなら、いっそ夢に耽りたい。本を手にする一時ぐらいは許されよう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

77 件中 1 件~ 15 件を表示