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  3. ヒロクマさんのレビュー一覧

ヒロクマさんのレビュー一覧

投稿者:ヒロクマ

50 件中 1 件~ 15 件を表示

ヒストリアン 1

2006/02/23 23:10

ドラキュラ伝説の新たなる傑作

31人中、31人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ドラキュラ伝説の新たなる傑作である。
 1972年、16歳の少女が父親の書斎で不思議な本を見つける。竜の挿絵がひとつだけ印刷された以外は何もない奇妙な本。そして一緒にあった「不運なるわが後継者へ」という書き出しで始まる手紙。父親にこの本のことを尋ねると、彼が大学院生時代に関わった、恩師の失踪と少女の母親の死にまつわる恐るべき事件について語り始める。そしてその事件をあらためて調べ始めた父親も姿をくらましてしまう。この本をきっかけに、少女は歴史の謎に巻き込まれていく。
 物語は3つの時代を並列して進んで行く。この奇妙な本をめぐり、失踪した父親の恩師が本の謎を追う1930年代、若き日の父親が教授の行方を探す1950年代、そして少女が父親と本の謎を探し求める1970年代。舞台は冷戦時代の東欧。政治的、宗教的困難を乗り越えながら本の謎を追い求める人々。
 そこには、後にドラキュラとして知られるようになる15世紀に実在した封建領主ワラキア公ヴラド・ツェペシュにまつわる歴史の闇が横たわっていた。
 ドラキュア伝説と聞くと、おどろおどろしい物語を想像するかもしれないが、いい意味で裏切られる。主人公たちは東西ヨーロッパ各地の大学、図書館、史跡、で古書や古文書、民謡などを丹念に調べ、謎の核心に迫っていく。彼らは特殊な能力を持っているわけではなく、普通の人々だ。しかし歴史への情熱に満ちあふれた「歴史家(ヒストリアン)」である。歴史ミステリー、知的冒険小説としての醍醐味にあふれている。東欧史に詳しくなくても、十分にのめり込める。
 真相に迫るたびに、思わぬ妨害や襲撃に会う。果たしてドラキュラは生きているのか?
 この本のもうひとつの魅力は、古書探求の面白さだ。実は「古書」というのが、この物語のポイントになっている。事件のきっかけが本であり、謎解きの重要な決め手も本だ。そしてドラキュラも・・・なのである。古書好きにとっても興味がそそられる内容となっている。
 さらにルーマニア、ハンガリー、ブルガリアといった、東欧各地の描写がよい。私は行ったことがないが、街や村の風景、食事の描写がきめ細かで、旅の面白さにも満ちている。実際に行ってみたくなる。
 そして物語の中核を成すのは、師弟愛であり、夫婦愛であり、親子愛である。3つの時代にまたがる謎解きが、物語の最後に向かって集約されていくとき、今までとは違ったドラキュラ像に出会う事になるだろう。
 ミステリーファンのみならず、歴史好き、旅好き、古書好きも楽しめる壮大な物語だ。

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「安全国家日本」崩壊の序曲

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 一気読みだった。そして読み終わって慄然とした。ここに書かれていることは、おそらく事実なのだろう。
 2000年の12月30に起きたいわゆる“世田谷一家殺人事件”。いまだに犯人は捕まっていないが、この本の中で著者は実行犯を特定している。それも一見関係のないいくつかの事件を紡ぎ合わせることによって、衝撃の事実が浮かび上がってくるのだ。
 犯行現場には指紋も含め、これ以上ないくらいたくさんの遺留品が残されていた。しかし警察は犯人を特定することはできなかった。ひとつには、警察の縦割り機構と、情報を共有しようとしない強い縄張り意識。それがいくつもの証拠を手に入れながら、ひとつの絵を描くまでにいたらせなかった。
 そしてもうひとつは今までになかった、まったく新しい犯罪組織の誕生だった。内容の核心に触れることなので、その組織については本書を読んで確認してほしい。
 はっきり言えるのは、世田谷で犠牲になった宮澤さん一家のように、今の日本ではいつどの家庭が同じような事件に巻き込まれてもおかしくない状況にあるということだ。
 今ある豊かさ、安全を当たり前のこととして享受してきた日本人。まさにそこにこそ、この事件を生み出す土壌があったのではないだろうか。
 一人のフリージャーナリストの長期に渡る忍耐強い取材と、真実を追い求める執念が、無数の点と点、線と線を紡ぎだし、真実にたどり着いた。その仕事に敬意をはらうと共に、ジャーナリストの底力を見せつけられたように感じた。一読の価値のあるノンフィクションだ。

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紙の本図書館戦争

2013/04/28 22:40

本に命を懸ける人たちの物語

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文句なしの面白さ!本への愛情あふれる傑作の登場だ!
 この本は図書館のベストセラー本偏重貸し出しにより、売り上げの落ちた出版社との論争を描いた作品、ではない。図書館を舞台に派手な銃撃戦を繰り広げて本当に戦争をしてしまうという、実はとんでもない話だ。
 我々の住む日本とは少し時空のずれた日本。昭和の次の年号は正化。時代は正化31年。昭和の終わりに制定されたメディア良化法は、公序良俗に反し、人権を侵害すると判断されたすべての図書を、政府の権限で検閲し、没収・破棄できるという法律。しかしその法律に唯一対抗できる牙城が図書館だった!
 一、 図書館は資料収集の自由を有する。
 二、 図書館は資料提供の自由を有する。
 三、 図書館は利用者の秘密を守る。
 四、 図書館はすべての不当な検閲に反対する。
 図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまで自由を守る。
以上のような図書館の自由法により、政府によりこの世から抹殺されそうな図書を図書館は守っているのだ。
 メディア良化法を背景として、良化特務機関という武装機関が設立され、武力をもって図書館に保管されている“違法”図書を没収しようとする。これに対して図書館側は図書隊という専守防衛組織を作り、良化特務機関の襲撃に日夜備えている。
 この設定だけでも相当とんでもないのだが、図書隊の日常業務や訓練、組織の内情などのディテールがしっかり描けているので、意外と読ませる。
 そして何と言っても登場人物たちのキャラクターがいい。
 主人公の笠原郁は、少女時代に自分のほしかった本を特務機関に没収されそうになったとき、突然現れその本と自分の窮地を救ってくれた図書隊員にあこがれて関東図書隊に志願した170cmの大女。身体能力は男勝りだが、理性よりも感情で行動するタイプで、いつも訓練の規律を乱している。そんな彼女が図書隊のエリート部隊、図書特殊部隊(ライブラリー・タスクフォースという。かっこいい!)に配属される。
 彼女の上官や、同期のエリート隊員、同部屋の女の子とのやりとりが、青春小説を読んでいるような小気味良さ。ライトノベルなノリがありながら、図書法設立の発端となった「日野の悲劇」なんて、変に生々しい事件も出てきたりする。
 もちろん派手な戦闘シーンも出て来る。
 根本にあるのは、好きな本を守りたい、読み継がせたいという純粋な気持ち。たかが本、されど本のために命を懸けて戦う人々の姿が、熱く高らかに謳われている。
 ドラマか映画にしたら絶対面白い!読みながら「あいつはこの役者で」と頭に思い浮かべながら読むと、より一層楽しめます。

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壮絶な逃避行の中に光る、人間の尊厳

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実話である。「面白い!」という一言でくくってしまうには、あまりにも過酷な物語。
 第二次世界大戦中にソ連当局にスパイ容疑で逮捕されたポーランド人の著者は、25年間のシベリアでの強制労働の刑に処せられる。
 その過酷な環境と、次々と倒れていく仲間たちの姿に耐えられず、6人の仲間たちと脱走を企てる。収容所からの脱出はうまくいったものの、そこから先には収容所での生活以上に苦しく、いつたどり着くかも分からない、インドまでの6500キロの徒歩による大陸縦断が待っていた。
 貧弱な衣服と、乏しい装備。常に食料不足にあり、いつ追手がやってくるかも分からない。それでも6人は強力し合い、困難な状況を乗り越えてゆく。時折出会う遊牧民や森の住人から受ける親切が、読み手にもじわりとしみてくる。
 途中、集団農場(コルホーズ)から逃げ出してきた17歳の少女が仲間に加わり、厳しい逃避行の中に爽やかな風が流れる。しかしその幸福なひとときもつかの間に過ぎない。
 この旅の中でもっともすさまじいのが、ほとんど水も食料ももたずに3週間以上もかけ、ゴビ砂漠を徒歩で横断する場面だ。仲間たちの体力は次々と奪われ、極限状態の中での横断が延々と続く。それでも彼らはインドを目指して歩き続ける。ソ連から受けた仕打ちがいかに恐ろしかったのか、そして彼らがどんなに自由を渇望していたのかを感じさせるエピソードだ。
 感心させられるのは、これだけの長期にわたる困難な旅にも関わらず、仲間たちの間で大きな争いや、心理的な脱落者が出ないことだ。互いに励まし合い、自分の与えられた役割をこなしていく彼らの姿には、どんな状況にあっても決して失うことのない、人間としての尊厳が感じられる。
 この本が単なる記録として終わっていないのは、そうした人間の生きる美しさが描かれているからだろう。
 今までなぜ日本で翻訳出版されていなかったのが不思議なくらい感動的な傑作ノンフィクションだ。

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紙の本炭焼物語

2006/03/11 07:58

自然と精神の豊かな交流を描いた良作

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 宇江敏勝氏は和歌山県の山小屋で林業に従事しながら作家として活動を続けている。彼は「山びとの記」や「炭焼日記」の中で熊野山中の自然や暮しを通じて、忘れられた日本の原風景を叙情豊かに綴っている。
 その宇江氏の著作に触発された武野繁泰氏が描き下ろしたのが「炭焼物語」だ。昭和30年代、高校卒業後すぐに炭焼きとなった主人公の、山での生活が描かれている。
 炭焼きがどういう作業工程で行われるのかがよく分かる。それだけではなく、山での生活の孤独と自由、動物たちや同じ山で暮らす人々との交流が、素朴だが暖かみのある絵で描かれている。
 山の精霊たちとの交流を描いた「雪の枕」というエピソードが特に印象深い。ほんの少し前の日本には、こんなに豊かな自然と精神の交流があったのだ。
 山での暮らしはとてもシンプルで、物質的には決して豊かとは言えない。しかしシンプルであるがゆえに、時折訪れる動物たちや、森が与えてくれる恵みが生活に鮮やかな彩り与えてくれる。
 そんな繊細な生活感がよく表現されていて、じっくり読ませてくれる。

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紙の本散歩もの

2006/02/24 01:39

散歩とは「のんきな迷子」

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「孤独のグルメ」の久住昌之・谷口ジローのコンビによる新作が出た。
 その名も「散歩もの」。
 「孤独のグルメ」では個人輸入商の井ノ頭五郎が、仕事の合間に一人で食べる食事に焦点を当てていた。今度は小さな文具メーカーの部長、上野原譲二が主人公だ。彼があてどなく歩き回る東京の風景と、そこで手にする様々なものが描かれる。
 観光ガイドや雑誌の記事に頼らずに歩き回り、今まで気がつかなかったことを発見する。ささいなことだけれど、何だかほっとしたり、少し哀愁を感じたり、昔なくした何かを見つけたり。そんな日常の中のささやかな非日常が、実にうまく描かれている。
 ここで登場する街は品川、井の頭公園、武蔵野、中野、目白などなど。とても文化遺産になるようなものではないけれど、いずれは失われていくであろう、古き良き昭和の香りの残る東京の風景。そんな記憶の中にしか残らない街並が、谷口ジローの精緻な絵で描かれている。
 漫画の中で上野原は言う。「散歩って観光とは違う。目的なんて持たず自分の好きなようにのんびり歩けることの喜びです」
 何ものにも縛られず、自分のペースで、自分の視界で新たな風景を見つけることの喜び。「孤独なグルメ」にも通じるものがある。やはり何度も読み返したくなる作品だ。
 いつも歩いている街から少しはみ出て、新しい風景を探しにいきたくなる1冊だ。

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カラシニコフ 1

2004/12/06 00:05

1丁の銃から国家と武力の関係をあざやかに提示してくれる1冊

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 カラシニコフとは、1947年に旧ソ連の設計技師ミハイル・カラシニコフが開発したAK47という自動小銃の通称だ。冷戦時代に108ヶ国に輸出され、現在世界には1億丁のカラシニコフが存在すると言われている。そのシンプルな構造とメンテナンスの容易さ、故障の少なさから第三世界を中心に紛争やゲリラ活動、テロ活動に使用されることが多く、「悪魔の銃」と呼ばれている。
 そのカラシニコフがどのように開発され、どうしてここまで普及したのかを、銃に関心のない読者にも分かりやすく書かれている。でもこの本は銃の開発史が中心なのではない。著者は、この銃を通して国家と武力の関係をあざやかに提示してくれる。
 この本の中で主に取り上げられるのは、西アフリカのシエラレオネと、東アフリカのソマリアだ。この2つの国は、1960年以降ヨーロッパの植民地から国家として独立した。しかし軍政をしく独裁者によって国は安定せず、内紛による大量の難民と犠牲者を生み、今にいたっている。そしてその紛争の中心には常にカラシニコフが存在した。
 これらの国は著者の言葉によると「失敗した国家」である。その国の指導者が国民の安全や国の将来を考えていない国家のことだ。独裁者たちは自分の利権を守るために、闇のルートからカラシニコフを手に入れ、また彼らに敵対する勢力も同じようにカラシニコフを手に入れる。こうしてコントロールの効かなくなった銃が国の中にあふれ、子供たちまでもが銃を持たされ兵士となっていく。もちろんその子供たちにまともな教育など与えられはしない。
 武力は国家が国家として機能するために必要な要素のひとつだ。その武力が野放しになるとどうなるかということを、シエラレオネとソマリアの事例が見せてくれる。
 一方で、1991年にソマリアから独立を宣言したソマリランド共和国では、国民の自主的な銃の返納と、国による銃の管理がすすみ、安定した国家が築かれつつある。銃を返納した国民は教育や職業訓練の機会が与えられ、みな自分たちの手で国を作りあげていくという意欲と希望にあふれている。同じソマリアから出てきたとは思えない国だ。
 ソマリアとソマリランド共和国の違いは、国の指導者と国民が安全に暮せる国家を作ろうとする強固な意志があるかどうかだ。
 しかし日本を始めとする国連加盟国は、いまだにソマリランド共和国を独立国家として認めず、「失敗した国家」であるソマリアにODAなどを通じて援助を行っている。その援助もほとんどは国民の手には届かず、独裁者の懐に入ってしまうというのにだ。そうした事例はソマリアに限らず、まだまだたくさんある。「失敗した国家」とどうつき合っていくべきなのか、そんな課題も提示してくれる。
 1丁の銃から国家と武力、国家の成立する仕組みを鮮やかに見せてくれる、すぐれたノンフィクションだ。

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本格“テツ”ミステリー、ついに完結!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 待ってました!ついに完結編となる下巻が発売になった!原作・綾辻行人、漫画・佐々木倫子という異色の組み合わせによる、本格“テツ”ミステリー。ちなみに“テツ”とは鉄道オタクのこと。
 生まれてから一度も列車に乗ったことのない沖縄在住の女子高生・雁ヶ谷空海は、両親を亡くし一人で暮らしていた。そんなある日、北海道に住む唯一の肉親であり、まだ会ったことのない祖父から、夜行列車〈幻夜〉に乗って会いにくるよう招待される。
 初めて乗る列車。しかしそこには筋金入りの6人の“テツ”たちも招待されていた。
 いったい彼らは何ものなのか?〈幻夜〉はどこへ向かうのか?そして祖父の意図は?
 冒頭から様々な謎が問いかけられ、ページを繰る手が止まらない。
 物語は本格ミステリーなのだが、登場人物たちのおトボケぶりが、佐々木倫子の柔らかなタッチと相まってなんだか妙にマッチしており、不思議なおかしさが全編に漂う。
 “テツ”たちはお互いに博識合戦を繰り広げるが、自分が“テツ”であることは認めようとしない。そんなオタクの心理も見事に表現していて、本当におかしい。
 しかし物語の中盤、事件は起こる。
 上巻を読んだだけでは、一体この物語がどこに向かうのかさっぱり分からなかった。今度発売になった下巻で、核心に向かって物語は動き出す。
 一気読みでした!まさか、〈幻夜〉がそんな汽車だったとは!そしてそして犯人は!おっと、そいつは書けないぜ!知りたきゃ読んでみたまえ!

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圧倒的な画力による破壊の美学!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まいった!これほどの作品だったとは!!
 マニアの間では知られていた「サルタン防衛隊」が約10年振りに新装版として復刊された。最初の刊行は1984年なので、すでに20年以上前の作品なのだが、今読んでも紙面から伝わる力はすごいものがある。
 表題作となる「サルタン防衛隊」(高千穂遥原作)の他、「DOG☆AFTERNOON」(大友克洋原作)、「髑璃威堕参上!」(高千穂遥原作)の3作品が収録されている。どれもスラップスティックなバイオレンスアクションなのだが、とにかくそのすさまじい量の描き込みに圧倒される。それもそのはず、漫画家の高寺彰彦氏は大友克洋氏のアシスタントとして彼に師事していた人物だからだ。大友氏に通じる破壊の美学が、3つの作品に流れている。
 原作を書いた2人も、当時はいちばん勢いがあった。大友氏は、「童夢」や「Akira」を描いた頃で、高千穂氏は「ダーティペア」シリーズや「クラッシャージョウ」シリーズでノッている時期だった。そんな旬な作家の原作を元に、緻密な画力を持つ高原氏が描くわけだから、面白くて当然だ。
 私もこの作品の噂だけは聞いていて、今回初めて読むことができたのだが、ホント一気読みでした。
壮絶なバイオレンスはあまりに過剰過ぎて、最後には笑ってしまいます。新宿副都心や国会議事堂、東京×××ニーランドをモデルとしたと思しき遊園地などが、なんの躊躇もなく破壊されていく描写には、快感すら覚えます。こういうパワフルな作品が最近あまりないだけに、今の漫画にもっとがんばってほしいものです。

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古代から受け継がれる旅へのロマン

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 1996年にアメリカの北西海岸で縄文人に酷似した人骨が出土した。9000年以上前、ケネウィック人と名付けられた彼らはどうやってアメリカ大陸までやってきたのか?
 この本の著者ジョン・タークは、北海道の根室から千島列島、カムチャッカ半島を経由し、シベリア大陸の沿岸に沿って彼らは丸木船で航海してやってきたのではないかと考えた。そして、そのルートを検証するため、1999年6月、自らシーカヤックを漕ぎ、3000マイルを超える人力航海へと挑んだ。
 最初はウインドライダーという帆の付いた三胴船を使用して航海を始めた。しかし、ガイド兼コーディネーターのロシア人は途中で脱落し、風が頼りのウインドライダーは、思ったより機動性がよくなく、しかも船体が重すぎるため、着岸の際にも危険を伴うことが多かった。旅のペースも上がらず、気力も失い始める。本格的な
冬が始まる前の8月に、目標行程の3分の1くらいになるカムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャッキーで一旦旅を終了する。
 1年後の2000年5月、今度はシーカヤックを使い、妻と新たなロシア人ガイドの3人で航海を再開する。妻は途中で旅から離脱するが、ロシア人ガイドとは強固なパートナーシップで結ばれ、アメリカ領のアラスカ・セントローレンンス島までの航海に成功する。
 人力での航海ならではの海と真正面から向き合った情景描写がすばらしい。ベーリング海は世界でも屈指の海の難所だ。あまりの気象の厳しさから出発地点に戻らざるを得ない状況がたびたび起きる。
 彼らの行く手を阻むのは自然だけではない。共産主義体制が崩壊したとは言え、シベリアの辺境地域には、依然として昔ながらの官僚主義が残っている。なかなか下りない許可や、法外な金を要求してくる役人。
 それに対して、旅の途中で出会うその地に暮らす人々はやさしい。旅する著者たちを“プティシェストヴィニク(吟遊詩人)”と呼び、貧しい暮しにも関わらず、最大限のもてなしで迎える。食料の調達のために訪れたある町の食料品店では、ほとんど品物がなく、自分たちの食べるものにも事欠く状況の中で、彼らに食料を渡す。しかも代金は受け取らない。貧しい中にも人間としての気高さと品格を持って生きているの
 この旅を通じて、著者はなぜ縄文人たちが厳しい海を渡ってアメリカ大陸までやってきたのか、ひとつの理由をみつける。
 それは旅そのものに対するロマンだ。
 古代の人々が移動を繰り返したと理由はいくつか考えられる。よりよい住環境を求めて、または豊富な食料を求めて。侵略者に追われてということもあっただろう。
 しかし著者が旅したロシアの沿岸は、進めば進むほど人間にとってより困難な条件の場所になる。あえてそこを進んでいった理由は、未知なる場所に対するロマンだったのではないか、と考えたのだ。
 この本が単なる航海記として終わっていないのは、人間の未知なるものへのロマンや探究心が遥か昔から今に受け継がれているのではないか、という著者の思いが全編に貫かれているからだ。
 人はなぜ旅に憧れるのか、その答えのひとつがこの本にはある。旅を愛するすべての人々に読んでほしい1冊だ。

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紙の本やりなおし教養講座

2005/02/14 21:34

「教養のためのしてはならない百箇条」をぜひ読んでほしい

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 私がこの本を手に取った理由は、巻末に「教養のためのしてはならない百箇条」が掲載されていたからだった。この百箇条は村上氏が雑誌「新潮45」の1989年4月号に載せたものだ。そして、この百箇条のことを初めて教えてくれたのは、亡くなった大学時代の恩師だった。この恩師からは読書の楽しさを数多く教えていただいたが、この百箇条は最も印象に残っていたことのひとつだった。
 その中からいくつかかいつまんで紹介すると「『美味しい』ものとそうでないものとをはっきり区別はするが、食物についてとやかく言わない、書かない。」「シルバーシートなるものには腰掛けない。」「自分の最も欲しいものが、手に入るとしても、それを敢えて取らない。」というようなことが100個書かれている。
 初めて読んだのは大学生のときだったが、正直「何でこんなことまで?」と思ったものもいくつかあった。それでも納得できるものもたくさんあり、自分自身、現在も実践するべく努力していることがいくつかある。
 今、この本を通して読み、最後にこの百箇条をあらためて全部読んでみると、うなずけるものが増えていた。
 村上氏がこの本の中で語っている「教養」とは、学問の知識のみを指すのではない。人が生きていく上で、自分自身に課す規則。村上氏は「規矩(きく)」と呼んでいるが、その規矩に従って揺るがない自分を造りあげていくこと。それが教養だと言っている。
 例えば山本周五郎や藤沢周平の描く市井の人々。彼らは特別の教育を受けたわけでもない、ごくごく平凡な人々だが、自分の中にきちんとした規矩を持っていて、慎み深く生きている。そんな人たちを教養のある人だと言う。
 今の時代、自由を主張することが当然の権利だと考えられている。民主主義の名のもと、平等であることが正しいというのが一般的な考えだ。だが、そこに何らかの価値判断がなければ、自由は際限なく暴走し、平等は他人に違うことを許さない強制へとなっていく。そんな中で、決して声高に自分を主張せず、でも揺るぎない自分というものを高く持ち続けること、それが教養なのだと思う。
 最後に百箇条の中からもうひとつ。
「自分は皆とは違う、という気持ちを忘れない。結局は自分も皆と同じだ、という判断を忘れない。」

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勇気ある内部告発の書

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 18年前に起きた日航123便の墜落事故は、死者520人という世界最大の飛行機事故として記録されている。
 この事故の原因は、後部圧力隔壁の修理ミスにより飛行中に隔壁が破れ、その衝撃で垂直尾翼が破壊されたため、と信じられてきた。当時の事故調査委員会の報告書もそう結論づけている。
 しかし、元関係者から著者である藤田氏のもとに提供された内部資料により、その事故原因は誤りである、ということが見えてきた。
 圧力隔壁とは、飛行機の内側と外側の圧力差を調整するための設備である。飛行機は離陸後、通常7〜8キロぐらいの高度を飛行するが、これは約10分間で地上からエベレストのてっぺんまで運ばれるようなものである。普通の人なら重体か、下手をすれば死んでしまうような状況だ。そうならないように地上の気圧や温度、酸素濃度を保つための装備が圧力隔壁なのである。
 これが破壊されるということは、機内が一挙にエベレストのてっぺんと同じ状態になるということであり、それだけで大惨事だ。
 しかし4人の生存者の証言やボイスレコーダーの記録からは、隔壁が破壊された場合に起こる、急減圧を示す証拠は見当たらなかった。つまり隔壁の破壊はなかったということになる。
 事故の原因が垂直尾翼の破壊であることは間違いないようだが、その理由が根本から覆されることになる。
 隔壁の破壊による垂直尾翼の破壊なら、その機体の修理ミスだけで済まされるが、隔壁に問題がなかったとしたら、垂直尾翼の構造上の問題となり、すべての機種に関わってくる。事故機を製造したボーイング社と事故調査委員会、当時の運輸省や日航の上層部がそうなることを恐れ、事実をねじ曲げ隠ぺいしたのでは、というのが藤田氏の推理である。
 2001年に施行された情報公開法に先がけ、運輸省は当時の事故調査資料を大量に廃棄処分にしようとした。しかし、運輸省内部の有志の人々の手により、その一部はコピーなどをとられ、秘密裏に保存された。日本では国家公務員の内部告発は守秘義務違反となり、告発者を保護する仕組みもない。そんな状況の中で、真相究明のため藤田氏に資料を託し、この本となったのである。
 事故の真相究明はもちろん行わなければならない。それが亡くなった520名と残された遺族への責任だ。しかし本当に正すべきは、事実を知っておきながら自分たちの利権と地位のために、真相を闇に葬り去ろうとする、日本的官僚体質だ。この病巣を取り除かない限り、いつかまた同じような悲劇が起こるだろう。

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世界を築く祈り

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 「祈り」とは何だろう。
受験に合格しますように。あの娘と両思いになれますように。宝くじが当たりますように。病気が早く良くなりますように。
 みんな今までにいろんなことを「祈って」きたはずだ。
 こういう即物的な祈りだけでなく、世界には祈りそのものが生活の基盤であったり、民族のアイデンティティである場所がある。
 石川氏がそうした地域を23年間にわたり自ら訪れ撮影し、取材し、記録したのがこの本だ。
 中でも石川氏の代表作「海人」の舞台となったインドネシアのレンバタ島での記録が興味深かった。
 太古の昔から変わらぬ、手漕ぎの船と銛1本で巨大なマッコウクジラに挑む漁を続けるレンバタの漁師たち。一時期は国連食糧農業機関の援助により、エンジン船と捕鯨砲を使った近代捕鯨が導入されたことがあった。しばらくは成果があったが、機材のメンテナンスが大変なのと、貨幣経済の概念がないレンバタでは、鯨を獲っても現金収入がなく、船の燃料を買えなかった。
 何よりも、捕鯨船で大量に鯨を捕った翌年は、鯨が全然獲れなくなってしまった。
 彼らにとっては自分たちに必要な数だけ鯨が獲れればいいのだ。
 そして今も昔からのスタイルで鯨漁は続けられている。
 彼らの漁は捕鯨という行為を通じた「祈り」だ。いつ海面に現れるのか分からない鯨をひたすら待ち続ける。鯨を見つけるやいなや、一斉に手漕ぎ船で漕ぎ出し、どこまでも鯨を追う。そして全身全霊を賭けた銛の一撃で鯨を捕る。手負いの鯨は激しく抵抗し、ときには船が破壊され死傷者も出る危険な漁だ。
 それでもレンバタの漁師たちは、昔からの漁法を守り続ける。そこには海の王ともいえる鯨と対等に渡り合ってこそ、彼らの命を得る権利がある、といった鯨への畏敬と畏怖の念が感じられる。荒々しい漁の裏側に、生に対する敬虔な姿勢が見える。
 獲った鯨はひとつも余す事なく、人々に分け与えられる。それが命を捧げてくれた鯨への感謝の表れだからだ。
 これはまさに鯨漁という形の「祈り」だ。
 この他にも様々な「祈り」が記録されている。28年間片手を上げ続けるヒンズー教の行者。アンデスの氷河を裸足にサンダル履きで十字架を背負って渡る巡礼者。トランス状態で神と交わろうとする人々。
 石川氏が訪れる場所の多くは辺境の地だ。危険な目にあったり、それまで撮影が許されなかった場所もある。それでも石川氏は真摯な姿勢で現地の人々と接し、記録に残していく。
 彼らの祈りは悠久の昔から変わらず続けられている。
 「変わるものよりも変わらないものの方に遥かに重みがある」と石川氏は言う。
 滔々とした時の流れの中で、こうした名もなき人々の祈りの積み重ねが世界を築いてきた。世界の多様性を感じさせてくれる。
 読み終わってから「もっと写真が見たかった」と少し残念に感じたが、あとがきでいずれは写真集の出版も予定している、と書いてあった。今からとても楽しみだ。

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ウォーターランドへの招待

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 清涼な読後感のあるエッセイだ。カヤックの上から、または水辺から見た風景を通じて、生命、自然、時間についての女性ならでは繊細で細やかな考察が綴られている。
 自分自身カヤック乗りとして、この本を読み終わった後、「ああ、自分がカヤックの魅力に惹かれ、感じていたのはこういうことだったなあ」と、始めた頃のことを思い出した。
 言葉にこだわる著者ならではの表現が随所にあり、「はっ」とさせられる。たとえばこんな一文だ。
「ぼんやりと透けて見える太陽。いわゆる朧月夜の日中版。その淡い日光のせいだろうか、湖面上の軽やかな波立ちが、薄い金属的な美しさ。小さく背の高い二等辺三角形に切った銀紙と金紙一枚ずつを、少し重ねてペアにして、そのペアが何百、何千と一斉に輝いて見える。キラキラキラキラ・・・・・・キラキラキラキラ・・・・・・。」
 「まだ森の吐息の残る、新鮮な朝の空気の中を、子どもたちが誘い合って学校へ向かう。ああ、そう、ラジオ体操があるのだ.空気は、さくさくと音を立てそうなまでに瑞々しい。日の光に当たったら溶けてしまう、小さな氷が織り込まれているよう。」
 言い得て妙だが、なかなかこういう書き方はできない。
 アイルランド、北海道、琵琶湖、カナダ。カヤックツーリングや旅で訪れた各地の描写もすばらしい。単なる紀行文にとどまらず、その地の風景から様々な物語を紡ぎ出している。水辺を中心とした豊かで小さな宇宙を形成している。
 人と水辺の間には近いようでいて、越えがたい一線がある。人間は土地で暮らすようにできている。水の中には豊潤な世界があるのと同時に、人間にとっては異界でもある。その境界線は緩やかに、軽やかにつないでくれるのがカヤックという道具だ。カヤックという道具の持つ精神的な奥深さを感じさせてくれる。
 人と水とのつながりが如何に豊かで、同時に如何に「無」を感じさせるものであるのかが、よく伝わってくる。

 「現代のほとんど全ての問題が、時間を掛けてゆっくり成熟させることを軽んじてきた、そのことが社会に、もう手遅れかも知れない、という絶望的なほどの危機感を募らせている・・・・・・。
 それは本当に本当に「危機」なのだ。けれど、水辺でゆったりと、自分自身を自然の中にチューニングするかのように浮かんでいると、それでも、どこかに光があるような気がしてくるのが不思議だ。生命は儚い、けれどしたたかだ。」
 カヤック。このすてきな道具に乗らずにいるのは実にもったいないことだ。
 一度乗れば、世界が変わるよ、本当に。

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紙の本わたしを離さないで

2006/08/24 23:38

「予想外」の感動

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 すごい小説を読んでしまった。参りました。
 そもそもこの作品を読んだきっかけは、1通のメールからだった。
 それはある友人からの久しぶりの便りだった。そのメールにはこの本について、こう書かれていた。
「どんな内容なのかというと…いうと…。これ、簡単な説明ですら、ある意味ネタバレになってしまうので言及できません。強いて言えば、『静かな、人間関係のはなし』です。書評を見てから読んだのですが、本当はまっさらな、全く作品に関する予備知識を持たないままで読みたかった。というわけでヒロクマさん、もし書店でこの本を手に取ったならば、裏表紙や帯に書いてある粗筋には一切目をくれずに、いきなり読み出すのが吉であります。」
 彼は本や映画については一家言持っている人物である。その彼がわざわざメールでここまで書いて送ってくるのだから、読まずにはいられないではないか!早速メールをもらった翌日、書店でこの本を買い、読み始めた。
 期待以上の読後感だった。何と表現していいのだろう?今風に言えば「予想外」の感動だ。確かにこれは内容について書くわけにはいかない。もちろんある程度予備知識を持って読み始めても、この作品のすばらしさが削がれることはない。でもやはり何の先入観も持たずに読めば、感動はより深まるだろう。
 あえて抽象的にこの本を語るなら、人間の感情と倫理と命に関わる話というべきか。
 最初から最後まで抑制の効いた静かな文体で語られる。始めのうちは何についての話か分からないかもしれない。大きな事件が起こるわけではない。だが物語の根底には非常に大きな問題が深く流れている。それは21世紀の我々が今まさに直面しようとしている問題と言える。
 しかし、読みにくい話ではない。ここで語られる物語は、ほとんどの人に共感を持って受け入れられるものだろう。だからこそ、物語の核心が見えたとき、切なさと感動がじわじわと押し寄せてくる。
 そう、この物語は号泣するようなものではない。砂にしみ込む雨のように、しっとりと確実に心のひだを埋めていくのだ。

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