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先月(2017年6月)

たむさんのレビュー一覧

投稿者:たむ

50 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本飛ぶ教室

2007/02/06 23:39

新訳の名に恥じない名訳。こんなに面白い作品だったのかと初めてわかった。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 素晴らしい!

 ケストナーというのはわたしにとってどうにも微妙な名前であった。気にはなるのだが、面白さがよくわからないのだ。『エミールと探偵たち』『雪の中の三人男』『飛ぶ教室』……。

 しらじらしい。という気もする。ユーモアや道徳がわざとらしい。ような気もする。だけど、それが楽しめない決定的な理由ではないような気もしていた。そんな本ならほかにもいくらでもあるのだから。

 『飛ぶ教室』を読むのは今回で三度目(それぞれ違う訳本で)となる。これまでケストナーをいまいち楽しめなかったのは、翻訳が原因だったのか!と胸のつかえがすっきり取れた。

 ですます調や直訳調がないだけでもずいぶん違う。テンポがよくて、もたもたとしないから、泣かせ所や落とし所がきちんと生きている。めりはりが利いているおかげで、実務学校生との決闘、ウーリとマティアスの友情、禁煙さんとの邂逅、ジョニーの涙、いろいろなシーンがキュッと締まって、わかっちゃいるのにじーんときてしまった。

 子どもたちの台詞も、旧訳とくらべるとずいぶんよくなった。白々しいお利口ちゃんだった生徒たちが、洋画の名優たちくらいには生き生きとし始めた。(微妙な褒め方だけど、わたしは映画を通してしか外国の子どもを知らないのだから仕方がない。)

 生き生きし始めたのは子どもたちだけじゃない。旧訳では、クロイツカム先生は風変わりでもなかったし、ベーク先生はいい人でもなかった。地の文でそう説明されていたからそうだとわかるだけで、文章から人柄が伝わってくることはなかったのだ。

 たとえ原典が名作でも、日本語化された作品もそうであるとは限らない。名作『Das Fliegende Klassenzimmer』が、2006年になってようやく名作『飛ぶ教室』として日本に“初”紹介されました。

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新編英和翻訳表現辞典

2003/12/06 23:18

読んで面白い実用辞典

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ものすごく下世話にいえば、「辞書にない訳語の辞典」ということになります。

 ——ただし、例えば「go」を引いて「金を出す」という訳語が載っていたのでは、単なる俗語辞典でしかない。「go」の基本的な意味はあくまで「行く」なのだけれど、日本語で表現する場合、文脈によっては「行く」よりふさわしい表現があるのではないか、そういった訳語をまとめたのがこの本(辞書)です。

 「表現」辞典という名にはそういう意味が込められています。さらに、「表現」訳語だけではなく、なぜそういう表現になるのかという説明も書かれてあるので、読者はおのずと、その単語の本質的意味と日本語のニュアンスを知ることになります。翻って日本語の表現力も磨かれること間違いなし。辞書としてではなく、読み物として読むだけでも充分に面白いし、充分にためになります。

 さて例にあげた「go」の「表現」訳ですが、著者は「転ぶ」と訳しています。初め読んだときは誤植か誤記じゃないかと驚いたものですが、説明を読むと、なるほど「転ぶ」としか訳しようがありません。

「例えば Which way will it go? という文で it がボールなどの物体ではなく状況などの抽象体を意味している場合である。」と述べられています。つまり「どっちに転ぶか?」と訳せるわけです。

 こうした訳語と説明が800ページ分。翻訳に携わっている方はもちろん、英語を勉強している方、あるいは少しでも言葉に興味のある方なら、読んで損はしない辞典だと思います。

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紙の本奇想の江戸挿絵

2008/05/16 20:57

奇想というより天才です。

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 まずは表紙のイラストをご覧ください。
 
 北斎の手になる読本の挿絵なのですが、初めてこの絵を見た方の多くは、帯に書かれた横尾忠則という名前にも引きずられて、これは現代のデザイナーが北斎の絵を元にコラージュしたものに違いない、と思うのではないでしょうか。
 
 なにせあまりにもパンク。あまりにもぶっ飛んでいます。
 
 わたし自身この表紙を見て、またずいぶんと濃ゆいデザインにしたもんだな、などとノーテンキにも思っていました。
 
 ところが本書161ページを開いて、大げさではなく本当に、思わず「うおっ!」と声が出てしまいました。何しろそこに掲載されている北斎の原画は、表紙のものと寸分違わぬものだったのですから。背景の白地を銀地にし、四隅を額のように縁取って反転させている以外は少しも手を加えられていません。
 
 北斎ファン(及び馬琴ファン)にとっては、何をいまさら、なのでしょうが、教科書&北斎漫画でしか北斎を知らない人間にとっては、この世がひっくり返ったようなショックでした。天才って本当にいるんだなあ。そうとしか言いようがありません。
 
 現代の漫画の技法を先取りしつつ、一枚の絵としては明らかに現代の漫画を超えてるんですから。
 
 確かに江戸の挿絵のすべてがこれほどの出来だったわけではないようです。本書で紹介されている挿絵のなかでも表紙の絵はトップクラスに入る完成度・インパクトを持っており、ほかの絵のなかにはちょっと落ちるものも見受けられます。北斎自身の絵ですら、そうです。
 
 それでも、やはり凄いものは飛び抜けて凄い。そのいちいちが規格外なので、新書なのにたいへんなボリューム感がありました。
 
 表紙のイラストのほかに凄みを感じたものとしては、首を運ぶ野良犬や、狐火が見せる首級の幻、天井の足跡、口から吹く鼠、ほとばしる108人の変化などがありました。普通の新書用の紙ではなく白い上質紙を使っているので、絵も綺麗です。

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理想の書物

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

購入を決めたポイントは三つあります。
1.ゴーリーが扉絵を描いていて編集もしている。
2.怪奇小説が好き。
3.柴田元幸訳のディケンズやジェイコブズを読んでみたい。

1.私見では、ゴーリーってストーリーのない話の方が怖いと思います。解説者氏の言葉を借りれば「読者の想像力を要求する」。絵には描かれているんだけれど、それがその絵全体の中でどんな意味を持つのかわからない。そういう不気味さがたまらなく魅力的だと感じていました。

 だから本書の扉絵のように、“これはあの場面のイラストだな”、とわかってしまうと途端にただの挿絵になってしまってゴーリーの魅力が半減してしまいます。もちろんそれでも充分魅力的だし、ゴーリーがどの場面を描いたのか知るという楽しみもありますが。一番好きなのは「十三本目の木」でした。

2.半分近くが古典的名作です。だから買う前はちょっと躊躇していました。すでに読んだものが多いわけですから。ところが実際に読んでみると、初読の佳作よりも再読三読の大傑作なんだなあと意外な驚きにうたれました。使い古した言い方ですけど、まずはストーリーテリングの地力が違います。何度も読んでいるはずなのに、また新たに引き込まれてしまう。もちろん初めて読む作品も楽しめましたけども。個人的には今まで苦手だったジェイムズを楽しめたのが収穫でした。

3.ディケンズ、スティーヴンスン、ジェイコブズ、コリンズといった古典的名作が柴田訳です。既読が多いからとためらっている方も、これなら読んでみたくなるんじゃないでしょうか。正直に言えばディケンズは読みづらかったんですが、きっとこれは原作がこうなんでしょう。

 面白かったのはジェイコブズ。冒頭を読んだ途端、あれ、こんなに笑える話だっけ?ととまどってしまいました。あわてて平井訳と倉阪訳を引っ張り出します。ふむ。平井訳はもともとくだけた口語体で訳されているのでかえって印象に残らなかったんですね。倉阪訳は意外と言っては失礼ですが大人びて端正な訳。柴田訳で読むと、いかにもイギリス人らしい大真面目な顔で冗談を言っている感じがよくでているのじゃないかと思います。
 もちろん初読の方なら怖さをたっぷりと堪能できることは請け合います。

*ゴーリーの絵が独立した作品というよりは挿絵になってしまっている、だとか、大方の人にとって既読であるだろう名作が多すぎる、だとか、減点法で見てゆくと点が辛くなりますが、だからつまらない、ということはありません。むしろお気に入りの書物になりました。

 こんな作品やあんな作品が一つにまとまっていて、しかもあの人が挿絵を描いていてくれたらなあ……という、いってみればこれは今まで一人一人の頭の中だけにあった理想のアンソロジーなんです。それが形を取ってくれた。そう考えてみると、本書は本好きが作った本好きのためのとても贅沢な本なのだと思います。

 欲を言えば、イギリスの作品ばかりなのはゴーリーの方針なのか出版社の企画の一環なのか、とか、日本語版はすべてが新訳なのか、とか、ひとこと解説で書いていてくれたら親切だったのに、と思いました。

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紙の本砂時計

2007/07/23 12:54

架空世界を構築するように、現実世界を構築し直した

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本を読んだときに、たとえばある部分で『虚無への供物』を連想しました。ネタバレにならないように説明すると、運命に逆らおうと現実を改変する妄念と、断片化された世界。あるいは部分的には『ユリシーズ』も思い浮かべました。平凡な日常を、意識の流れと様々な(そして緻密な)語りを駆使して描いた現代文学の金字塔。
 
 本書のもとになっているのは、一通の手紙です。アウシュビッツで消息を絶った著者の父親が、生前に書いた手紙。そこからできあがったのが、この圧倒的な物語です。死者の周辺エピソードを丁寧に拾って歩き、故人の人物像を立体的に浮かび上がらせるようなドキュメント手法を、著者は取りませんでした。著者が取った方法は、言うなれば、故人が生きていた世界そのものから新たに構築し直そうとでもいうべき、実験的な試みでした。
 
 第一章を任意に繙くと、こういう記述にぶつかります。「外套の内ポケットから長い方眼紙を数枚取り出し、新聞紙の上に置いた。(中略)はじめは、まだ、小さな桝目が見えたが、線はしだいにかすみ、溶けこんで、消えていき、その後すぐに、照らされていた紙の縁も消えてしまった」。これを散文的に書き直せば、「ポケットから紙を出して燃やした」ということになります。ただそれだけのことが、慣習化された表現を使わないだけで、異世界の出来事のように不思議なものに変わってしまう。しかしそれでも、これだけではちょっと懲りすぎのレトリック止まりだったかもしれません。ですがこの作品がすごいのは、文章レベルだけではなく、作品レベルでこういうことをやってしまったところです。
 
 一通の手紙と生前の記録をもとに、様々な文体と語り、そして想像力を駆使して、ばらばらの断片として一つの世界が描かれます。たとえば問いと回答。「E・Sは日付を改竄したか?/手紙は次の日に、翌日に、遥か彼方の曙に宛てられたものであり、従って、手紙は翌日に属する、とのこと」。こんな調子で、とりたてて異常なところはないながらもどこかシュールな問答が繰り返されます。あるいは狂人の妄想。「ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、排泄物のおかげであったと私は信じつつある。一番星が出た頃、林檎の木の下の草叢に、彼がしゃがみ込んでいた時のことであった……」。そしてあるいは証人尋問風に……。
 
 こういうミニマムな記述が、切れ切れの断片となって入れ替わり登場するので、はっきり言って読みづらくはあります。けれど、こうした断片を重ねることで、やがて確固とした世界が浮かび上がってくるのです。「取り出した紙の線が消えた」という出来事の羅列から、「紙を燃やした」という行為が浮かび上がってくるように。
 
 架空化された現実(あるいは現実化された想像力)の果てに待ち受けるのは、ただ一つ本当の現実である、父の手紙です。架空世界として構築された現実世界は、この手紙を軸に反転し、わたしたちのいる現実世界へと橋渡しされます。そうなることで、プロローグに描かれていたルービンの壺(=砂時計)のように、作品世界もまた現実世界と「対等」に「実在」しはじめました。『百年の孤独』のラストシーンを読み終えたときのような、圧倒的な読後感を味わうことができた作品でした。

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膨大な証拠集め、科学読み物の宝庫。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 〈カンブリア紀の爆発〉のことはあまり知らなかった。本書でも指摘されている様な誤解をして、多くの生物が一気に進化した程度に思っていた。これは間違いとは言わないが正確でもないらしい。生物の分類は見た目ではなく内部構造(体制)によって決まる。カンブリア紀までの間に、三八の動物門の祖先は既に出揃っていた。つまり体制はカンブリア紀以前に“ゆるやか”に進化していた。だけど外部形態は似たり寄ったりだった。ところが、5億4300万年前に全ての動物門が硬い殻を獲得し、様々な複雑な形状へ変化するということが「またたくま」に起こった。これが〈カンブリア紀の爆発〉なのだという。

 なぜ〈カンブリア紀の爆発〉は起こったのか? 謎を解くために、著者はまず化石から何がわかるのか、を丁寧に説く。必然的に、化石からはわからないことも導き出される。それが色だ。そして色が存在するためには光が必要だ。ここで著者は、光がどれだけ進化を促す圧力となっているのかを、現存する動物を例に明らかにしてゆく。そして、光を——色を——見るためには、眼が必要なのである。
 本書を読まずとも題名からわかる通り、結論は「眼の誕生」だ。著者自身も述べている様に、言われてみれば「わかりきった話」「あたりまえの答」である。だけどあたりまえのことを「あたりまえ」で済ませられないのが科学である。あたりまえであることを証明しなければならない。それを素人にもわかりやすく、順を追って綿密かつ具体的に例証してゆく過程は圧巻だ。例え〈カンブリア紀の爆発〉の謎を追うという大きな目標がなかったとしても、一つ一つが魅力的な科学的エピソードにあふれている。

 例えば『ジュラシック・パーク』で有名な、琥珀に封じ込められた蚊の血液からDNAを採取して恐竜を蘇らせる方法。残念ながらこれは不可能であるらしい。

 あるいは——動植物の保護色や擬態についてはよく知られている。銀白色の樹皮にとまっていると隠蔽効果が発揮される灰白色のガが、工場からの煤煙で黒ずんだ樹木に適応して黒くなったというのは、何とも凄い例だ。

 ところが自然界には、そんな特定の目的のためではない体色変化もある。なぜサメは黒いのか? 答えは実に意外で、あっけないほど単純なのだがそれだけに虚を突かれた。

 虚を突かれたといえば深海動物の色だ。水深が二百メートルを超えると赤色の動物が増える。なぜか。何だか詭弁のような話だがなるほどと感心する。

 ほかにも、わたしにとっては新鮮で驚きに満ちたエピソードばかりだった。

 全て知ってる物知りな方でも、図版の説明文等から窺える著者の人柄には、にんまりできるのではないだろうか。ニュートン自筆スケッチに付された説明文には、「残念ながらニュートンにはレオナルドのような芸術的才能には恵まれていなかった」とある。確かに下手な絵だ。幼稚園児並みだと思う。だけどそもそもその図版が本文に絶対不可欠だとは思えないものだから、ちょっと息抜きといおうか読者をできる限り楽しませようという著者の心意気が伝わってきて微笑ましい。衝撃的なオオトカゲのカラー図版も、著者の説明にかかると衝撃よりも愚か者度が強くなる。

 オオグソクムシの頭部を『スター・ウォーズ』の帝国軍兵士のヘルメットに喩えたり(そっくり!)、エンゼルフィッシュの攻撃を同じく『スター・ウォーズ』の戦闘に喩えたりと、随所に一般向けを意識してくれている。訳者が選んだ「ぼく」という一人称も、そんな内容にぴったりだった。

 無論、只の面白エピソードが軽妙に語られているだけではなく、各々のエピソードが最後には収まるところにぴたりと収まる。長い長い証拠固めにつきあってきたからこそ、最後に明かされる(というか明かされ直す)答えを「あたりまえ」だと心から思えた。

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紙の本くじ

2006/02/14 12:45

好きというのが憚られるような作品集

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『たたり』(山荘綺談)はたしかに怖かった。『ずっとお城で暮らしてる』の不気味さも忘れられない。でもこの粒ぞろいの短篇集の前では、それさえもかすんでしまうほどです。

 悪意というほどではない、出来心と表現するのも大げさな、ささいな心の動き。たとえば街中に出かけるから普段よりもおしゃれするという、見栄とも呼べないようなごく当たりまえのことは、誰もがするはずです。そういったごくごく小さな体裁をつくろったり、見栄を張ったり、大人ぶったり——誰もが無意識のうちに常日頃おこなっているような心の動きを、あるときはうまく切り取り、あるいは増幅し、読者の目の前に突きつけます。

 不快に感じる作品もあれば、リアルな心理状態にドキリとしたり、思わずくすりと笑える作品もあります。けれどどの作品にも共通していることは、自分の心を覗かれているような、ひやりとする感覚です。読んでいるあいだじゅう、部屋のどこかからすきま風が入り込んでいるように、うっすら寒い。

 表題作「くじ」は、強い悪意が極端な形で表れているという点で、この短篇集のなかでは異色です。「麻服の午後」の少女のような感覚は、誰もが子供のころに思い当たることがあったでしょうし、「伝統あるりっぱな事務所」のようなあくまでさりげない会話を毎日している人だっているでしょう。「おふくろの味」に出てくるマーシャのような知り合いが誰でも一人くらいはいるかもしれません。

 悪意という極端な形であれば、それは所詮フィクションなのだと楽しむこともできます。けれど本書に描かれている心の動きは、あまりにも身近すぎる。怖くて楽しいのではなく、怖くて気分が悪くなるような——それでもやっぱり楽しいのですが——麻薬めいた短篇集でした。

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でかした、ジーヴス!

2007/04/29 23:46

ウッドハウスが現実だった

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ある日テレビを見ていると、「カルチョ・ストーリコ・フィオレンティーノ」という祭りが紹介されていた。イタリアではサッカーの起源だと信じられているのだそうだ。ふうん、と思いながら見ていたのだが、次の瞬間に大笑いしてしまった。誰もがボールそっちのけで、いたるところで取っ組み合いやら殴り合いを始めたのだ。なんだこれは。「タッピーの試練」そのまんまじゃないか。イタリアと英国、サッカーとラグビーという違いはあれど、まさかウッドハウスの世界が実在するとは思わなかった。現実の世界もまだまだ捨てたもんじゃない?

 現実といえば、ジーヴスのいわゆる「個々人の心理」のほとんどはけっこういい加減だったりする。お話のなかだからこそ上手くゆくけれど、現実ではそううまくはいかないだろう。とっぴで愉快でふざけてるのが売りの物語なのだから当然だ。ところが「ビンゴ夫人の学友」だけは、こういう人っているよなあ、と思わされた。たしかにこういう人っている。だからこの物語にかぎっては、ジーヴスの解決は現実世界でも有効なんじゃないかと思えてくる。ジーヴスみたいな人が実際に問題を解決しちゃうところを空想すると、やはり楽しい。

 そんなふうに、難問を颯爽と解決するイメージのあるジーヴスだけど、けっこう強引なことをやるのもしばしば。“バーティーのため”に、しょっちゅうバーティーをひどい目に遭わせます。あるときは犯人扱い、あるときは狂人扱い、あるときは赤っ恥を掻かせ……。そんなジーヴスがあろうことか力わざに出たのが「シッピーの劣等コンプレックス」。まさかここまでやるとは。ドタバタはバーティーと愉快な仲間たちの担当だと思っていたのに、ジーヴスもやってくれるんですね。そういえば『ウースター家の掟』では戸棚の上に飛び乗ってましたっけ。

 お間抜けなバーティーもかっこいいバーティーも、スマートなジーヴスもドタバタジーヴスもいぢわるジーヴスも読めて、やっぱりウッドハウスはいいなあ、としみじみ思うのでした。

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乱歩 夜の夢こそまこと

2005/07/28 21:26

もっとも魅力的な二十面相

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は“二十面相””黒蜥蜴”という二大スターをフィーチャーした前半部分と、乱歩自身の人形が“屋根裏の散歩者”や“人間椅子”に扮する後半部分とに分けられます。前半がスターを中心とした「人形」写真集だとすると、後半は乱歩作品の雰囲気を視覚化した「舞台」写真集といえる作りになっています。
 雑誌や本の表紙などで著者の人形を見かけたのがきっかけで著者の作品が好きになった人間にとっては、やはり人形メインの前半部により魅かれるものがありました。
 とりわけ二十面相は素晴らしい! これこそが、子供たちを熱狂させ、また自身も心から楽しんで犯行を重ねていた二十面相その人です。見た瞬間に、この人なら読者を魅了するはずだ、この人なら無駄を惜しまず人をびっくりさせるのが好きなはずだ、この人なら捕まるのも恐れず自信に満ちて戦いを挑むはずだ、と納得しました。もしかすると乱歩の原作以上に活き活きと輝いています。人間の俳優との共演も違和感なくうまくいっていました。
 続いて黒蜥蜴。二十面相ほど画面に動きがないのが残念ですが、やはり美輪明宏氏がモデルなのでしょうか、原作を裏切らない妖艶な魅力に満ちています。二十面相同様、この人なら読者を、そして明智を魅了するはずです。(ただし28ページの写真だけは少し残念ですが)。
 28ページに限らず、人形を使うのではなく写真を加工して使っている箇所がいくつかありました。それがうまくいっているシーンもたくさんあるのですが、どうもまずいシーンもあり、人形作家としての作品を期待した人間には残念なところです。特に後半部には——なぜか一箇所だけ乱歩の人形を使わずに乱歩っぽい人間を使った「D坂」のシーンや、どう見ても普通の人間にしか見えない「白昼夢」のマネキンなど——人形を使って欲しかったと思うシーンが結構ありました。「押絵と旅する男」における露店の賑わいや覗きからくり、「白昼夢」の町並みの写真などは、確かに時代と作品の空気を伝えてはいるのでしょうが……。
 後半の白眉は「屋根裏の散歩者」でしょう。屋根裏と人形しか映っていないのに、引き込まれるような魔力を持っています。始めに書いたとおり、登場するのは郷田三郎ではなく乱歩の人形——というか、乱歩自身を郷田役に起用したというべき(?)——なのですが、これがはまり役。動かせません。
 はまり役といえば「目羅博士」の乱歩や「押絵と旅する」車中の乱歩も捨てがたい。
 本書の写真と自分の持っていたイメージが一致すればいうことはないのですが、一致せずともそれはそれで新たな発見や事実に気づかされます。例えば「白昼夢」……本書を読んで、これが真夏の晴れた午後の話だったのだと初めて気づきました。あるいは「目羅博士」……月光の妖術と聞いて漠然と黄色——狂気の色——をした月光を思い浮かべていたのですが、著者は青白い色を基調に作品を作り上げています。
 「盲獣」を映像化したチャレンジ精神を買って★プラス1個の5点です。(映像化はチャレンジではなく愚挙だと思えば★マイナス1個)。

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紙の本陰摩羅鬼の瑕 文庫版

2007/02/18 23:57

さまざまな楽しみ方ができるという点ではこれまでとまったく変わらない出来でした

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 期待していたわりにイマイチという評判を耳にしつつ文庫化を待って初読。

 そんなに悪くない。むしろかなり面白い。少なくともわたしは、ねっとり混沌とした『絡新婦』・『塗仏』よりは好みでした。

 たしかにいろいろなことを期待している側からすると、ことごとく拍子抜けの感は否めません。

 わたしにとってこのシリーズの楽しみは、妖怪に関する蘊蓄がけっこう大きなウェイトを占めます。ところが本書では、陰摩羅鬼にいたってはほんのひとことと言っていい。ほとんどはウブメに費やされています。それもむしろ林羅山を語るための方便という気がしないでもない。ところがこの林羅山観が面白い。これだけで『Q.E.D』シリーズが一本書けそうな……。そう言うととんでも系みたいに聞こえてしまいますが、いえいえ説得力がありました。

 キャラ萌え読者には、榎木津が登場するのにほとんど出番のないことや、木場が単なる狂言回しであることが、物足りないでしょう。にぎやかな仲間に囲まれていないと、京極堂すら迫力がないような印象を受けるから不思議です。でもそれもレギュラー・キャラに限ってのこと。昨今ブームの執事ファンなら応援せずにはいられない執事中の執事や、木場同様に馬鹿で一本気な元刑事(枯れっぷりがいい!)。鳥の「城」に住む「青白い顔」で「齢を取らないのか」と思わせる「黒衣」の「伯爵」、しかも新婚初夜に花嫁が……だなんて、なんだかかの著名な「伯爵」みたいです。

 ミステリ・マニアなら本を投げつけたくなるかもしれません。あっという間にわかる犯人。すぐに見当のつく動機。だけど例えば『塗仏』みたいな作品の場合だと、犯人が誰とか真相はどうとかいうのはもはやどうでもよくてほとんど無意味。犯人が山田さんだろうと佐藤さんだろうと、真相が宇宙人だろうと帝国の陰謀だろうと。でも本書の犯人は、この人でなくてはいけない。ミステリとしては、やはりこうであってほしい。最後はすっきりしたいのだ。

 解説を木田元氏が担当しているので、てっきりハイデガーや西洋哲学について思想的展開が広げられるのかと思ったのも当てはずれ。儒学者である伯爵が、ハイデガーを思わせる思想に独自にたどりついていたりはしますが、どちらかといえば筆は儒学に割かれています。まあこれはわたしの勝手な勘違いゆえの当てはずれなので置いておいて。儒学と日本人の死生観に関する蘊蓄には、殺人事件のネタが割れてもなお引き込まれる謎解きの魅力がありました。林羅山の蘊蓄といい解決編といい、人が死ななくても、いえ事件が起きなくてもミステリ・謎解きというのは成立するのだな、と改めて感じ入りました。禅でもない。哲学でもない。儒学ミステリというのは珍しいと思います。

 京極堂が憑物落としなんだ、というのを再確認させてくれる作品でもありました。ミステリとしてならさすがに本書にこの長さは必要ない。起こることはわかりきっているのだから、長々と書き込む必要はありません。でも憑物落としだとすると、おそらく伯爵と伊庭の視点は必要なのでしょう。何が憑いているのか読者に伝わらなければ話にならないわけですから。『姑獲鳥』が関口視点だったのと同じこと、なのだと思います。必然的に本書は伯爵自身の物語であり、伊庭自身の物語でもある。それを共有した読者には、哀しい読後感が待っているのでした。

 なお本書は、巷間にあふれている「村=異世界の論理」ミステリに対する京極氏からの回答でもあります。そこを真面目にやろうとした分、あまりとんでもない仕掛けめいたことはできなかったのかな、という気もしました。

 相対的に見れば『姑獲鳥』『魍魎』『鉄鼠』などには及ばないのですが、面白かったので絶対評価で★五つ。

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ファンタジーとSFの名作60冊

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 北村薫『ミステリ十二か月』に続く、大野隆司とのコラボによる読売新聞連載の名作案内、ファンタジー&SF編です。

 北村氏の姉妹編と同様、もともと子ども向けに書かれたものですが、採りあげられた作品はとても幅広いので、かなりのファンタジー&SFファンでも知らない作品に出会える可能性はありますし、すべて既読だったとしても、的確な粗筋に記憶を新たにうなずいたり、意外な指摘に驚きながら再読の思いを深めたりできることと思います。

 たとえば誰でも知ってる『アルジャーノンに花束を』。

「こうして、賢くなる手術を受けたチャーリイは、どんどんどんどん、頭がよくなってしまいます。/いや、なりすぎちゃったかもしれません。」

 最後の一言、何気ないのですがズバリ作品の本質をついている言葉だと思います。ずっとむかしに一度読んだきりだったのに、“ああ、そういう話だったよな”と、本を読んで感動したときのことを思い出してしまいました。あれはまさに「なりすぎちゃった」話でした。

 オーソン・ウェルズの奇才ばかりが言挙げされることの多い『宇宙戦争』ラジオ放送のエピソードですが、「それは第二次大戦が起こる直前のできごとでした。一般の人たちの不安な気持ちが、『まったくのウソ』のお話を『本当かも』として誤解させてしまったのかもしれませんね。」と、これまた実にサラリと本質を突きます。

 もともと子ども向けなので、短いけれど親切丁寧、眠っているファンタジー心をくすぐるツボを押さえた文章です。

 これまで苦手だったラヴクラフトや篠田節子も読み返してみようかな、という気にさせてくれる、とてもよい案内書でした。

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優れた映画コラムニストという意外な顔

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 優れた評論に必要なものは、すべてを見通す眼はもちろんのこと、何より誉める技術と貶す技術なのだということを痛感しました。短歌の名伯楽としてはよく知られている中井氏ですが、映画評の才もあったのですね。適確な啖呵が小気味よい。

 のっけから、コクトー『詩人の血』について「死んだ少年から盗んだハートのAを天使に奪われ、二度のピストル自殺をとげる詩人を見ながら私は、この映画が三島由紀夫を強くそそのかしたと確信した」などと、ドキッとするようなことを言ってのけます。

 テレビを見ては「『地獄の黙示録』はどうでもいいが、『影武者』は気がついてみると馬の映画で、終りに行くほど馬が美しい」と言い放ち、イングリッド・バーグマン『秋のソナタ』に思いをはせては、「バーグマンが老いた母を演じるらしいが、三十五年前の『カサブランカ』の昔から、この女優にはどこかしら母性のおちつきがあった。続く『ガス燈』でもそうだったが、この人の映画だけはぜんぶ見ようと心に決めたのは、いま思えば女としてではなく、そこはかと漂う母性に惹かれてのことに違いない」と、これまたはっとするようなことを書き記します。

 こうした(たぶん何の根拠もない)断定こそが、「偏愛的」なるサブタイトルの所以なのでしょう。けれど、“見える”人には根拠など必要ないのだな、ということがよくわかります。見た瞬間に“わかってしまう”のでしょう。

 貶す方も歯切れがよくて痛快でした。この人に貶されてもぜんぜん嫌な気持にはなりません。『愛と哀しみのボレロ』について「どだい設定に無理があるのにめでたく(というより強引に)母子の再会へ持ってゆき、歓喜のボレロとなるそれが実は全編ユニセフの宣伝映画でしたというオチはあまりにも露骨で、私には周りで熱狂して手を叩いたり涙を拭ったりしている女性客が薄気味悪く、映画館ごとタイム・マシンとなって戦時中に戻ったかと思ったほどである」と容赦がないのに、決して不愉快ではありません。的確にして簡潔な表現とキビキビとしたユーモアに、むしろ快哉を叫びたくなりました。

 誉めるのも貶すのも簡にして要を得たものばかり。なかにはさすがに「偏愛」としか呼びようのない評もあるけれど、押しつけがましくはないので疎ましくはない。

 読む前は勝手なイメージから、ヨーロッパ映画や日本映画が多いのだろうと思い込んでいたのですが、ちゃんとアメリカ映画も取り上げられていて、そういうところもバランスがよい。

 古い作品ばかりかと思いきや、テレビでもお馴染みの井筒監督の出世作に触れられていたりもして、ほんのわずかでも中井英夫と同じ時代に生きていたんだなということを改めて知らされたようで感慨深い。

 これまで瀬戸川猛資『夢想の研究』や和田誠他『今日も映画日和』などがわたしの映画評のバイブルだったのですが、本書もそれに加わることになりました。

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扉を開ければ——幻想的な虚構とえぐい現実

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 柴田元幸氏というと、どちらかといえば現代文学の翻訳者という印象が強いので、「幻想小説集」とは銘打ってはいても、主流文学よりの作品がメインなのだろうなと、読む前はあまり期待してませんでした。

 うれしい誤算でした。これほど粒ぞろいのアンソロジーも珍しい。幻想小説ファンにも、現代主流文学ファンにも楽しめる作品集だったと思います。

 巻頭に既訳のある「地下堂の査察」を持ってくるのが大胆。でもたしかに、巻頭にふさわしい物語かもしれません。こじつければ、“ドアを開ける”話なのですから。地下堂の扉を開けると、目の前に「どこにもない国」が広がっている。この本に収録されたすべての物語が、地下堂ひとつひとつに暮らす住人のエピソードであってもおかしくありません。

 地図製作者がエリートとなっている国、ポーの生涯と作品だけで成り立っている国、ショッピング・モールという“外国”についての聞き語り、じゃがいもモンスターの襲来、音のない世界で描かれる子どもたちだけの雪人間コンテスト……。

 興味深かったのは、これだけ幻想的でありながら、どの作品も生々しい現実とコミットしているように感じられたことです(そもそも現実から完全に切り離された作品なんてもの自体が存在しないでしょうが)。収録作の多くが、ファンタジー作品の器にメッセージを込めたのではなく、ファンタジーの手法で現実を描いた作品だったからなのでしょう。

 自分は人から必要とされているのだろうか?という不安と驕りを、もっとも極端なSFの形で描いた、ピーター・ケアリー「“Do You Love Me?”」。SF的な設定とちょっと乾いたユーモアの中で、剥き出しにされた“Do you love me?”という問いかけの言葉がエグイ。

 怪物のような悪意を怪物そのものとして描くことで言葉にならない不気味さの醸し出される、ジョイス・キャロル・オーツ「どこ行くの、どこ行ってたの?」。被害者の目には実際にこのように映っているのかもしれない、と想像すると怖くなります。

 ヒロイック・ファンタジーじみた設定世界を舞台に、暴力と救済という根元的でアクティブなテーマを描いた、レベッカ・ブラウン「魔法」。こういう設定で描かれると、マゾでもサドでもDVでもない自分にも、こういう関係がかっこいいと思えてしまうところが恐ろしい。まさに魔法なんですね。

 その他ミルハウザー、ベイカー、ケリー・リンクといった日本でもお馴染みの作家たちの作品を読むことができます。

 ちょっと心にずしっとくるものの多い作品集でした。

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ホラー・アンソロジーの傑作、いやアンソロジーの傑作ついに復刊

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 ハートリイのように『怪奇小説傑作集』に収録されている作家。ブロック、ブラッドベリ、シェクリイ、マシスン、ボーモントと『異色作家短篇集』に収録されている作家。ミステリのハイスミス、SFのディック、クリストファー、ホラーのダーレス……。とラインナップを見てもわかる通り多種多様。「幻想と怪奇」というとホラーを連想しがちだけれど、むしろ「異色作家短篇アンソロジー」と呼んだほうがしっくり来るかもしれません。

 あまりに多種多様なので作品ごとの好き嫌いがはっきり分かれるところでしょう。

●「淋しい場所」ダーレス
 筒井康隆「遊歩道」を連想した。夢や空想が具現化して現実になったのではなく、夢こそが現実であり現実にこそファンタジーが潜んでいるという子どもの視点から見た世界。
●「ポオ蒐集家」ブロック
 ポオ「アッシャー家の崩壊」へのオマージュでありながら、映像的な恐怖が待ち受けている展開はさすが。
●「女」ブラッドベリ
 SFからブラッドベリに入る人。ファンタジーから入る人。さて、怪奇幻想からブラッドベリに入る人というのは何人くらいいるのだろう? 恐ろしくも悲しい女と女の戦い。
●「すっぽん」ハイスミス
“アンファン・テリブル”という点を抜きにして読んでも、一人の人間が次第に追いつめられて行き場をなくしてゆくサスペンスとして秀逸。
●「アムンゼンの天幕」リーイ
 極地の怪物、といえばキャンベル・ジュニアの「影が行く」。あちらは怪物の正体を見せ、こちらは見せずに恐怖を描いた。真っ向勝負の「影が行く」と比べると、本作は思わせぶりに逃げたという印象を免れない。
●「夢売ります」シェクリイ
 シリアスなものであろうとユーモラスなものであろうと、平気な顔をして壮大なホラ話を書ける人。小手先ではない。だから感動を呼ぶのだ。
●「繭」グッドウィン
 正統派モンスター小説。怪しいものを持ち帰ってはならないというのはホラーの鉄則であって……。北杜夫やナボコフの描く美しい昆虫とはまったく別種の、グロテスクな昆虫。
●「二年目の蜜月」マシスン
 説明不要、マシスンの作品。ブラッドベリの作品やフレドリック・ブラウンの作品に説明がいらないのと同じこと。
●「無料の土」ボーモント
「メアリーの七つの喜び」といい、“七つの大罪”を思わせる結末といい、いかにもな寓話のようでいて、実のところは“無料”なのは“土”以外の何物でもなかったという直球。
●「あたしを信じて」グラッブ
 愛情を注がれていないから。寂しいから。というのはあるいは間違いかもしれない。でもやはり——「すっぽん」、「繭」、そして本編の人形。孤独な子どもの物言わぬ友人たちには、幻想と怪奇が潜んでいる。
●「植民地」ディック
 ユーモア混じりのパニック・サスペンス。「とても見られたさまじゃない」光景を描きたいがために、“無機物にしか化けられない”という設定を後付けしたのかなぁと考えてみると微笑ましい。
●「エレベーターの人影」ハートリイ
 善意の果ての悲劇。本来なら後味の悪くなるはずのそうした展開が、かろうじて切なく美しい話となっているのは、ひとえに“すべて夢”だからだ。エレベーターの中の幻も、クリスマスの休暇も、サンタクロースも、みんな子どもが空想する夢幻。そうとでも信じないことにはやりきれない。
●「はやぶさの孤島」クリストファー
 乱歩の「パノラマ島」はある意味ユートピアだった。異様ではあれ稚気を含んだ楽しさがある。けれど本編の島はリアルにサイコ。そこが怖くもあり悲しくもあり。
●「水槽」ジャコビ
 読んでもよくわからない部分は、作者の狙いなのか、作品が破綻しているのか。その宙ぶらりんの具合悪さが破綻ゆえのものだったとしても、作品にとってプラスになってしまうのがホラーのよいところ。具合の悪くなる作品なのです。

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さわやかな薔薇

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薔薇という花は、派手でけばけばしい花だと思っていた。けれどこうして見ると、普通に地に咲く花なのだ。花屋で売られている薔薇は細い茎だけの先に赤い花びらが乗っているから派手に見えるのだ。咲いている薔薇は、青々としたたくさんの葉に囲まれた中に花びらをつけていた。

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