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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

のはら そらこさんのレビュー一覧

投稿者:のはら そらこ

45 件中 1 件~ 15 件を表示

こねこがかわいい

25人中、25人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

表紙のこねこちゃんがかわいい。この表紙の絵は、本文中でも白黒の挿絵で登場する。
このこねこちゃんは捨て猫。主人公の女の子ちいちゃんが学校の帰り道でダンボールに捨てられているのを発見して、家に持ち帰る。でもアパート住まいのちいちゃんの家では飼えない。そこで、お母さんのお友だちがパソコンでつくってくれたのが、この表紙絵のポスターなのだ(『7日だけのローリー』(片山健作 学習研究社)も同じようにパソコンでポスターをつくっていた。そういう時代だなあ)。

ちいちゃんの家は父親がいないので、ちいちゃんはお母さんを悲しませたくなくて、お金のことでも、生活のことでも、いろいろと我慢している。今度も、こねこをどうしても飼いたいといって駄々をこねたりしないで、懸命に貰い手探しをする。そのあいだ、こねこがどんどんかわいくなり、飼いたいという気持ちもますます膨らんでいく。学校で辛いことを経験しながらもがんばるが、とうとうちいちゃんの我慢がいっぱいいっぱいになって……。
お母さんを思いやって自分をおさえているちいちゃんが、とてもけなげでかわいそうだ。

ちいちゃんの境遇と気持ちに焦点をあてれば湿っぽくなるのを、すくっているのがこねこのかわいらしさだ。こねこがちいちゃんになついていく様子は心温まる。同時に、こねこに慕われるうれしさとこねこを飼えないつらさで、ちいちゃんの気持ちはいっそう複雑になるから、さらに、ちいちゃんがかわいそうにもなる。それでも、ちいちゃんとこねことがふれあう場面では、心和まずにいられない。読むものは、ちいちちゃんと同じ複雑な思いをあじわう。こねこがかわいいから、ちいちゃんも、あんなにがんばれたのだ。
挿絵のこねこも、表情が豊かで愛くるしく、ときにはユーモラスで、読むものを楽しい気持ちにしてくれる。小さな小学生読者がちいちゃんの気持ちを実感する手助けとなるだろう。

大人読者として素敵だと思うのは、お母さんだ。生活は苦しいし、自分の子どもの望みを十分にかなえてあげられないつらさもある。どうしていいかわからず「ダメ!」と強く子どもをしかりつけてしまったり、逆に自分と子どもを哀れんだりしがちだ。だが、このお母さんは、子どもの気持ちをまず理解し、できることをしようと前向きだ。現実にはなかなかこうはできないが、理想的なお母さんの姿として、心にとめておきたい。

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紙の本おこだでませんように

2009/05/12 17:17

親と先生の読み聞かせの課題図書に!

15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 わたしたち大人はときどき、子ども時代を思い出し、あー、あのころは悩み事もなくて幸せだったなあ、などと、考えなしにつぶやいてしまう。でも、本当にそうだろうか? たとえばわたしの場合、家族に愛されとても幸せな子ども時代をすごした。でも、苦い思い出もしっかり残っている。お手伝いしていてうっかり卵を床に落っことして割ったとき、たまたま母親が急いでいて機嫌が悪かったために、ものすごくおこられた。学校で授業中、鼻の先になにかついている気がして、一生懸命目を寄せて見ていたら、先生の叱責の声が飛んできて、びくっと縮み上がった。

 親や先生の絶対権力の前で、子どもはか弱い存在だ。一方的におこられて反論できず、気持ちをぐっとこらえるしかないときがたくさんある。そんなとき、わかってもらえない悔しさといらだち、悲しみとあきらめ――そんないくつもの感情が混ざり合った、ぐちゃぐちゃな気持ちになる。

 この絵本の表紙絵の男の子「ぼく」の横顔は、不条理な目にあった子どもが理解してくれない大人に顔を背けて精一杯の反抗をしている顔だ。そう、この絵本は、子どもの正直な気持ちを、「ぼく」の素直な言葉でストレートに伝えている。

「ぼく」は、たぶん、大人からおりこうさんと思われていない。だから、

 ぼくは いつも おこられる。
 いえでも がっこうでも おこられる。

「ぼく」がおこられることをするのは、そのときそのときで、ちゃんと理由がある。でも、おかあちゃも、先生も、理由を聞かずに「ぼく」をおこってばっかりいる。「ぼく」は、おこられたくない。ほめられたい。


 むかし子どもだったわたしには、「ぼく」の気持ちがひりひりと痛いほどわかる、と同時に、「ぼく」をおこる母親と先生の気持ちも身にしみてわかる。今、親であるわたしは、子どもの事情や気持ちを考えずに一方的にしかりつけてしまった経験は数え切れないほどあるし、これからだって同じ失敗をくりかえさない自信もない。子どもには申し訳ないけれど、冷静に先入観なしで判断し、感情をコントロールするのは、大人にとってもたいへん難しい。

 さて絵本では、親や先生と「ぼく」の気持ちが通じ合い、「ぼく」にこの上なくすばらしいラストが訪れる。読んでいたわたしは、心から安堵し、嬉しくなり、あたたかで幸せな気持ちになった。
 親だって、そしてきっと先生だって、おこりたくない、ほめたいのだ。この絵本のようになりたいと思っても、現実にはそうもうまくはいかないもの。でも、心から願っている。だから、親や先生が読み聞かせして、その気持ちを子どもに伝えてほしい。
 第55回青少年読書感想文全国コンクールの小学校低学年の課題図書。でも、低学年に限らず、子どものいる家庭とクラスで、読み聞かせしてほしい。親と先生のの読み聞かせの課題図書だ。


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紙の本さよならをいえるまで

2010/07/16 15:25

愛するものの死を受け入れるまで

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 なんの予兆もなくやってきた愛するものの死。どうすれば受け入れられるだろう――。ただただ時間をかけて、心が受け入れるのを待つしかないのだと思う。
 いっしょにすごした時の姿も声も鼓動も、それに匂いもあたたかさも感触も、確かに心に刻まれている。でも、もう今ここにない。それが、はじめは認められない。はねのけて否定する。それから悲しい現実をひとつずつ確認し、ようやく、心にすとんと落ちる。その過程をこの作品は、小さな人がわかりやすいようにファンタジックに描いている。

 ジャンピーは子犬のとき、ハリーの家にやってきた。ハリーとジャンピーはいつもいっしょに遊び、同じベッドで眠った。でも、ある日とつぜん、ジャンピーは事故に遭って、いなくなった。「うそだ!」ハリーは、ジャンピーにさよならがいえない。ところが夜中になると……。

 デッサン画にそのままそっと色をのせたような絵がすばらしい。躍動感にあふれる線と工夫された構図で、ストーリーを如実に物語る。子犬と出会ってから、別れが訪れ、さよならがいえるまでの少年の内面の動きを、五感もふくめて見事にあらわしている。
 たとえば、初めて子犬のジャンピーがやってきた日の場面。ジャンピーはハリーに飛びついて顔をすりよせ、ハリーはしりもちをついてにこにこしている。ハリーとジャンピーふたりが大きく描かれ、背景はない。そのかわりハリーにかけより飛びつくまでのジャンピーのデッサン画もふたつ添えられ、ジャンピーの元気な動き、ハリーが感じた子犬の感覚、ハリーの嬉しさが実感できる。
 ジャンピーがなくなった翌日の学校の場面にも、背景はない。ハリーを真ん中に6人の少年がすわっている。ほかの子たちがじゃれあっている中で、ハリーは両脇の子から少しだけスペースをあけてすわり、真正面を向いて飲み物を飲んでいる。何気ないシーンだが、まわりを遮断し、現実を見ないでいるハリーの内面がにじみでている。
 その一方で、ジャッピーがいないとハリーが気づく場面や、ジャッピーを恋しく思う場面では、家や部屋を上から見て見開きページいっぱいに描き、その片隅にハリーひとりをぽつんとおいて、ぽっかりあいた喪失感をあらわす。また、ハリーとジャンピーが遊ぶ様子を描いたページでは、コマ割りにしながら庭を見開きページに一続きに見せ、ふたりが過ごした楽しい日々の喜びとふたりの親密さを強く感じさせる。

 小さな人に、愛するものとの別れなど経験してほしくない。けれど、絵本を通して体験することで、きっとなにか貴重なものが心に残ると思う。親しい人が肌を寄せて、静かに読んであげたい絵本だ。

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紙の本ひみつだから!

2010/02/28 08:31

子どもの心で描き、大人の心で包む作家、バーニンガム

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「子どもの本にかかわる人は、うんと大人で、うんと子どもでなくちゃいけない」清水真砂子さんが朝日新聞(2010.2.16朝刊)で紹介されて瀬田貞二さんの言葉だが、『ひみつだから!』を読んで、ジョン・バーニンガムはまさにそういう人だと改めて思った。

 マリ-・エレインのうちにいるネコは、毎晩出かけて、朝になると帰ってくる。どこに行くのだろう?と、マリー・エレインは思っていたけれど、ある夏の夕方、ネコがおめかししてネコの出入り口のそばに立っているのを見つけた。
「どこへいくの?」
「パーテイーへ いくんだよ」「でも、どこかは いえない。ひみつだから」
「つれてって」
「ちゃんとパーティーらしくしないと」
パーティの格好をしてくると、ネコは「まあ、いいでしょう」「あとは、ちいさくなれば」というので、マリー・エレインは小さくなってネコの入り口からネコと外へ飛びだした
 そのあと、ふたりは、小さな男の子ノーマンも道連れにし(ノーマンもパーティーのよそおいだ)、恐ろしいイヌたちにみつかって追いかけられるが、危機一髪のところを逃げ切って、ひみつのパーティー会場に到着する。

 日常生活ではじまる物語が、するりとファンタジーの世界にはいり、すぐに、はらはらどきどきの展開になる。そのストーリー展開は、楽しむためになんでもありで自分中心に進む、子どものごっこ遊びのようだ。そして、冒険が終わって再び日常生活にもどれば、心はあたたかな満足感に包まれている。

 絵本のファンタジーのなかで、読み手の子どもたちは嬉しくて楽しい体験をするだろう。幻想的で魅惑的なネコの夜のパーティーに迎えいれられ「とてもしんせつ」にしてもらい、ダンスをしたり、ネコたちと同じテーブルで「すばらしいごちそう」をいただいたり……バーニンガムはこうして、大人の大きな心で子どもたちをまるごと受けいれてもてなし、やさしく包みこむ。

 バーニンガム特有のほのぼのした素朴な絵は、一見して子どもが描いたようだが、実はデッサンも構図もしっかりしている。
 この作品では、さらさらっと描いた絵、濃く塗りつぶした絵、写真をあわせて使い、コラージュでドッキングもさせている。真夜中のパーティー場面や夜明け場面は、とくに使い分けが効果的で、ファンタジーの世界が生き生きと感じられる。
 そこに登場するものたちも、実に生き生きしている。そして、作家の彼らへの深い(子どもや孫への愛情のような)愛が、伝わってくる。

 バーニンガムは、自由な子どもの心で描きながら、子どもたちを大人の大きな心でやさしく包む、そんな作家なのだと思う。

 さあ今夜、ネコたちのパーティーへ、おめかしして出かけてみようか。場所は、絵本を読んだ人だけの秘密だからね。

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紙の本雪の結晶ノート

2010/02/08 06:29

自然の神秘への目が開く

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 美しい写真に科学的な説明をそえて、雪の結晶がどのようにできるか、どんな形があるかなどを教えてくれる科学絵本。高学年、中学生以上でなければ理解できない説明もあるけれど、年齢に応じた読み方をすれば、小さな子から楽しめる。

 実はわたし、雪の結晶という知識はあったけれど、実際に見たこと、いや、見ようとしたことはなかった。毎年、雪が数回は降る地域に生まれ育ち、雪だるまも、かまくらも作ったことがあるというのに。
 ところが、この絵本を読んだとたん、雪の結晶が見えてきたから不思議だ。コートや手袋に落ちた雪、垣根のはっぱに落ちた雪、そして舞いおりてくる雪に、目をこらせば、美しい小さな小さな結晶が見えるのだ。見えると、今度は、今まで見えなかったことが不思議でならない。
 同じ対象が、見る目によって、こうも違って見えるとは驚きであり、感動だった。これが、科学的な目というのだろうか。子どもたちと読み、雪の降る日には、観察したい。

 自然にできる雪の結晶が、美しい幾何学的な形をもっていることに、神秘を感じる。この絵本には、なぜそうした形になるかの説明もされていて、自然の神秘が解き明かされる感動と喜びもあたえてくれる。
 カバーの作者紹介を読むと、作者のふたりは、それぞれ雪の神秘に魅せられた写真家と物理学者。ふたりの作品は、子どもたちに、自然の神秘への目を開かせるだろう。

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大人が読んで、子どもたちに伝えたい

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者は弁護士さん。子どもに関する事件を手がけるうちに、いじめの恐ろしさ、残酷さを痛感し、いじめが起きる前に予防したいと、出前のいじめ授業をしている。さらに多くの人に訴えたいと、本書の出版となったのだろう。

 もっとも評価できるのは、いじめはいじめる側が悪いときっぱり言いきっていること。「『いじめられる側が悪い』というのは、いじめる側の言い訳に過ぎない」(p59)と切って捨て、「いじめを一定の範囲で許す」(p59)曖昧さを許さない。
 いじめられる側にも原因があるというのは、教師や親などの大人たちも陥りやすい考えだろう。たとえば(実際にありがちことだが)、いじめた側の子たちが活発で、友だちも多く、学業もそこそこでき、教師にも好印象を与える。その一方で、いじめられた側の子が口数も少なく、学業もふるわず、暗い印象を与える。その場合、教師はいじめの原因をいじめられた側に見つけようとしないだろうか? 

 著者は前半に、自らの体験、いじめ授業の様子を書き、「いじめはなぜいけないのか」を説いていく。とくに「コップの水」をたとえた話はわかりやすく、胸に迫る。いじめ授業のあとで子どもたちに読み上げるというメッセージは三者に向けられる。いじめている人へ、いじめられている人へ、いじめを見ている人へ。その内容は、授業を受けたあと(この本を読んだあと)には、心の奥底までしみわたるだろう。

 後半の3章以降は、子どもたち、親、学校の三者にわけて「いじめに立ち向かう」ための実践編になっている。
 いじめとおふざけの境界線にも、ごまかしを許さない。文部科学省の定義「いじめか否かの判断は、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする」を引き、フィクションだがわかりやすい例をあげて、どこからいじめになるかをきっちり教える。いじめられている子どもの気持ちは表には表れない。いじめている方はふざけているつもりで、まったくいじめに気づいていない場合はよくある。けれど、著者は、相手が嫌がっているのを知らなかったという甘えも許さない。「自分がおもしろければ、それでいいという考えを持って人と接していると、知らず知らずのうちに相手を傷つけてしまいます」(p119)と、びしっと諭す。

 親にとっては、第4章の「親にできること」が気になる。とくに学校との相談の持ち方については、さすが弁護士さんだけあって、学校の立ち場や対応を説明するなど、現実に即している。そして、受け止め手としての親の役割を教える。
 よい受け止め手となることは、我が子がかわいい親だからこそ、実際には難しいかもしれない。感情的になり、逆に子どもを追い詰めたりしがちだ。でも、そんなときこそ、「何が一番大切か。」(P145)を思い出したい。

 子どもたちは毎日、学校で、交友関係で、そして家庭でも、あるべき姿を求められている。要求にこたえられずに追い詰められ、自身の存在に自信を失ったた子どもたちが、自信をとりもどしたくて、自分より弱い者を作り出すためにいじめに走るとしたら……。

 著者はいう。「『無条件に受け容れる』ということが、いじめを解決するための一番のコンセプト」(P121)だ。はたして、わたしは、我が子をそっくり受け容れているだろうか、よい受け止め手になれているだろうか、子どものためではなく、こうあってほしいという自分の願望をおしつけてこなかったか、反省することしきりだ。せめて子どもの言葉をきちんと聴く努力をしたい。

 いじめられている子がこの本を読むのはきついかもしれない。いじめている子も大人が手渡したら素直になれないだろう。この本は、子どもを取り巻く大人たちが真剣に読み、自己を省み、子どもたちに伝えなくてはいけない。「いじめで誰かが死ぬ前に」。

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紙の本ぼくがラーメンたべてるとき

2007/10/12 20:14

世界に広がる目

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

タイトルからおもしろそうだ。表紙をひらくと見返しに、茶色、黒のまじった緑色、黒に近いこげ茶色などが大胆な大筆使いで横縞に引かれている。なんだかいつもの長谷川義史さんのふざけた雰囲気と違うと思いながら、ページをめくる。

中表紙はラーメンどんぶりと、その上には、よくわからないけれど、「わっか」が描かれている。ラーメンの湯気かしら?またまた、ふざけてーと思い、さらにめくって本文へ。

「ぼくがラーメンたべてるとき、となりでミケがあくびした」と、のんびりしたもの。いつもの長谷川さんの調子だ。「となりでミケがあくびをしたとき…。」で、さらにめくると「となりのみっちゃんがチャンネルかえた」ときた。ははーん、となり、となりと移っていって、まわりまわって最後にぼくのラーメンにもどってくるんでしょ。それじゃあ、ちょっとひねりが足りないんじゃない?などと勝手に予想して読み進めば、あれ?なんだか違う。となりの家から、となりの町に移り、どんどん、となりの範囲がひろがっていく。

最後の数ページまでくると、、いつのまにか自分の周りの空気がしんとし、息をつめて読んでいた。ぼくのラーメンに戻ってはくるけれど、読み始めたときにはまったく予想しなかったラストだ。やられたーと思った。

後の見返しは、前の見返しより、さらに色合いが暗くなる。裏表紙の絵は、力強く、余韻がのこる。

平和に過ごしているわたしたち。でも世界にはいまこの瞬間、いろいろなことが起こっている。そうしたことをいくらテレビニュースや新聞で知っていても、日本の子どもたちにとっては、どこか遠くの知らない国のことであり、あまり実感はないのではないだろうか。
それを、この絵本は、本当に身近な、すぐとなりからはじめて、少しずつ範囲を広げていき、子どもたちが、自分と同じ時を生きている、自分とつながりのある子どもの現実として受けてとめ、理解できるようにしている。絵本にこめられたメッセージは、深いところで、子どもたちの心に届くのではないかと思う。

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紙の本はじまりの日

2010/02/23 17:02

おやじ世代からのバトン

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ボブ・ディランの名曲「フォーエバー・ヤング」が絵本化された。息子のことを思ってつくったという、この曲では、未来ある子どもたちへの、真摯な願いが、飾らない素直な言葉で歌われる。

   きみが 手をのばせば
   しあわせに とどきますように

   きみのゆめが いつか
   ほんとうに なりますように

 その歌の背後では、ひとりの少年の成長の物語が描かれていく。少年はボブ・ディランその人ではないが、ボブ・ディランでもあるだろう。

 ニューヨークの街角でギターの弾き語りをするシンガーから、少年はギターをゆずりうける。少年は家で練習し、公園に集う人々の前にたって歌う。やがて大きくなった少年は、仲間と公園で演奏し、署名運動やデモ行進に参加するようになる。

 こうしたストーリーをもつ絵と、願いをつらねていく詩が、不思議にぴったりと合い(訳詩もすばらしい!)、成長の喜びを祝福する。そして、子どもたちにメッセージとエールをおくる。デモ行進の場面はこうだ。

   流されることなく
   流れを つくりますように

 イラストレーターのポール・ロジャースは、アメリカを感じさせるポップな絵に、ボブ・デイランと彼の歌にゆかりのある人、街角、ライブハウス、フレーズなどを多数登場させ、巻末でその一部を説明している。ビートルズ、キング牧師、ジェームズ・ディーン……。ボブ・ディランの調べとともに熱い青春時代を生きたオヤジ世代は、若かった日々を思い出し、あの熱い心を取り戻すとともに、いまの子どもたち、若者たちに引き継ぎたいと思うだろう。

 新しい流れをつくるのは、若い人たちだ。この絵本は、子どもたち、若者たちに、さあ、きみのばんだよと、バトンをわたしている。

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紙の本ヨハネスブルクへの旅

2009/06/30 17:31

気づきの瞬間

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 わたしにとって、南アフリカ共和国のアパルトヘイトといえば、どこか遠い世界のことでしかなかった。知っていることといえば、ついこの間まで少数の白人が大多数の黒人を狭い居留地に閉じ込めていたこと、日本人は名誉白人とされていたこと、反アパルトヘイト運動をしていたマンデラ氏がノーベル平和賞を授与されたこと、そんな断片だけだ。でも、この作品を読み、具体的に何が行われていたのかを理解し、その時代錯誤的な差別の非人道さに驚いた。

 作者のビヴァリー・ナイドゥーは、南アフリカ連邦の白人家庭に生まれ育ち、反アパルトヘイト運動によって逮捕、投獄され、その後イギリスに亡命した女性だ。訳者あとがきによれば、ビヴァリー自身、大学に入るまでは、黒人の召使が「家族と離れて暮らしている現実にも何の疑問も感じなかった」という。ビヴァリーを気づかせたのは、大学へいって、さまざまな人と出会い、視野を広げ、たくさんのことを知ったたことだろうか? なにかを気づくにはまず知らなくてはいけない。

 この物語の主人公13歳の少女ナレディもまた、生まれ育った黒人居留地の村を出て、300キロも離れた大都会ヨハネスブルクへ旅することで、今まで当たり前と思っていたことに疑問を感じはじめる。
 ナレディがヨハネスブルクへの旅を決心したのは、赤ん坊の妹が病気で今にも死にそうになり、母さんが家にいてくれさえすれば何とかなるのにと思ったからだ。母親は、ヨハネスブルクの白人の家で住み込みで働いていた。母親からきた手紙の住所をたよりに、ナレディは4歳下の弟をつれて徒歩でヨハネスブルクに向かう。
 無鉄砲な計画だが、そこは物語のこと、姉弟は、オレンジ農園で働く黒人少年、トラック運転手、ヨハネスブルク近くの黒人居住地ソウェトに住む若い女性グレースに助けられて、母親の働く屋敷にたどりつく。旅の途中でナレディは、黒人差別の実態をまのあたりにし、自分自身も差別を体験する。そして、グレースや母親の話から、自分がいままで気づいていなかった政策による差別に気づくのだ。

 1ページ13行、本文のみで109ページの短い物語に、よくもまあこんなにたくさん、というぐらい、アパルトヘイトの実例が多く組み入れられている。白人専用バス、白人以外の16歳以上のものが居住地からはなれるとき携帯していないと逮捕されてしまう「パス」の抜き打ち検査、母親が働く立派な屋敷と白人の女主人、黒人診察しもらうのに何時間も並んで待たなければならない黒人たちの病院、スウェトの黒人生徒たちが起こした抗議デモなど。どれもが、生き生きとした描写で書かれていてわかりやすい。わたしと同じように、おそらくこの国のことをほとんど知らない日本の子どもたちも、驚きの目をみはりながら、アパルトヘイトを理解していくだろう。

 最後にナレディは、学校でも、何食わぬ顔でさりげなく恐ろしい差別が行われていたことに気づき怒りを覚え、これから自分が何をすべきかを考える。ナレディの気持ちの転機の瞬間が、この物語の核であり、作者ビヴァリーの原点だろう。

 アパルトヘイトは、1994年に完全に撤廃された。だが、この作品から子どもたちが知り、学びとるものは多いだろう。本を通して、違う世界へ旅するとき、それまで見えなかったものが見えてくる。

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紙の本ウサギとカメ

2010/03/20 06:44

ほのぼの系「ウサギとカメ」

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 蜂飼耳さんの文による岩崎書店の「イソップシリーズ」の4作目。

 わたしの知っているおはなしとストーリーはほぼ同じだけれど、印象が違う。
 まずウサギとカメのイメージが――特にウサギが違う。わたしの頭にあるウサギは、足が速いのを鼻にかけて、足の遅いカメをからかう嫌なやつだ。それに、じゃあ競争しようといいかえすカメは、かなり負けん気が強い。

 ところが、たしろちさとさんの描いたウサギは、赤いチーフを首に巻いて、とってもかわいらしい。くるりとした目、穏やかなそうな口元の表情は、カメを馬鹿にしているようには見えない。
 
   「ねえ ねえ かけっこして
   どっちがはやいか たしかめようよ。
   ぼく まけないぞ」

 セリフも無邪気だ。ただの遊びで、友だちをかけっこに誘っているように見える。

 カメも、

   「そうだねえ じゃあ きょうそうしてみようかあ。
   ぼくだってまけないよお」

と、のんびりした素直な受け答えだ。

 さて、カメを引き離したウサギは、かけっこの途中ににんじん畑でみつけて一休み。にんじんをぼりぼり食べて満腹になり、周知のとおり、眠ってしまう。油断したというより、大好きなにんじんを見て、うっかり競争を忘れて、食い気に走ったという感じだ。にんじんを抱えて眠りこけるウサギのなんとも気持ちよさそうで幸せそうなこと! 天使みたいな寝顔だ。このウサギはぜったいに憎めない。
 その横をカメがのっそりと通り過ぎていく(この場面をわたしは、この作品を読むまで想像したことがなかった)。勝敗にこだわるカメなら、「よし! これでぼくの勝ちだ」ぐらい考えるだろう。だが、このカメは、笑っちゃうぐらいのほほんとしていて、どうしてこんなところで寝ているんだろうと不思議がる。

 こんな、うっかり、のほほんのふたりだから、勝敗が決まったあとも、いたって穏やかだ。ウサギは負けても屈託ないし、カメは勝った勝ったと大騒ぎしない。ふたりは相変わらず、いや、ますます仲のよい友だちだ。


わたしの頭の中では、「ウサギとカメ」は、ウサギに嘲笑されていたカメが、レースに勝ってウサギを見返し、それが痛快なおはなしだった。だがこの作品では、痛快さより、ほのぼのしたあたたかさが感じられる。

 読み終わって、うーん、こんなに違っていいのだろうかと、考えこんでしまった。

 そこで、岩波少年文庫の『イソップのお話』(河野与一編訳)の「ウサギとカメ」(P25、26)を読んでみた(あとがきによると、この本は学問上すぐれたテキストを用いてギリシャ語から翻訳しているという)。
 するとまた、わたしの抱いてきたイメージとすこし違っていた。確かにウサギはカメの足の遅いのをばかにして笑うが、そのことはさらっと書いてあるだけだ。最後は「決勝点まできてみると、カメのほうが勝っていました。」と、あっさり終わる。そして、「生まれつきはよくても、いいかげんにやっていてだめになる人はたくさんいますが、まじめで熱心でしんぼうづよい人は、生まれつきすばしこいものに勝つことがあります。」と、教訓が続く。
 カメがウサギに馬鹿にされて悔しい、とか、ウサギに勝って、へへーん、どんなもんだい! とかいう感情の部分はなくて、事実だけを述べている。おそらく、わたしの頭にあった「ウサギとカメ」は、さまざまな絵本や本、童謡などを通して、自分のイメージを作りあげてきたのだろう。
 それに、この寓話は嘲笑を戒めるものではない。才能に恵まれているくせにいい加減なもの、逆に才能に恵まれなくてもまじめで粘り強いもの、両者を対比させて、両者にメッセージを送っている。

 それでは、「ウサギとカメ」に先入観のない小さな人たちはこの作品をどう読むだろう。
 ウサギの方がはやいのはわかっているから、ウサギが勝つよと、はじめは思うかもしれない。それなのに眠ってしまったウサギに「だめだよ、ねていちゃ」とはらはらし、「のおろり てくてく」走り続けるカメに、がんばれーと声援を送るだろう。そして、終わりがけの謙虚な一文、

   カメは ちょっと じしんが つきました。

で、カメに共感し、誇らしい気持ちになるだろう。
 一方で、ウサギの無邪気な姿がとても魅力的に描かれているから、ウサギのしくじりも心に強く残るだろう。

 それなら、こんなほのぼのした「ウサギとカメ」もあってもいい。

 さて、このウサギとカメがもう一度かけっこしたらどうなるだろう? ウサギは反省して最後までしっかり走れるだろうか? いや、このウサギなら、また何か誘惑に誘われて、負けちゃうんじゃないかな? でも、そんなウサギがわたしは好きだ。

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軽くて深い 新感覚の物語

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 とにかく面白い! 内容はかなり深刻だけれど、語り口は、めちゃくちゃ軽い。大笑いしちゃうけれど、じーんと涙がにじむ。特殊なことだけれど普遍的。今までに知らない、新しい読感触だ。

 こんな本に出合ったのははじめてで、読み始めは、予想を覆されつづけた。
 表紙には『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(「ホントにホントの」は、吹き出しでつけたしている)といった楽しそうなタイトルがあり、黒ぶち眼鏡でボサボサ髪の男の子がびっくりした顔をしている。パラパラとめくると、漫画っぽい挿絵や文字の書きこみ、吹き出しも見える。これは、中高生が喜びそう、さて、どんなおふざけ話だろうと、本文を読みはじめれば、いきなり、

   生まれたとき、オレの脳には水がたまっていた。

 深刻だ。主人公が水頭症で生まれ、手術をし、その後遺症があり、そのためにいじめられたこと、そのうえ、家がその日の食べ物も欠くぐらい貧しく、貧しさ故に悲しい経験をしなければならなかったこと、インディアンだから貧乏からぬけだせないことが書かれていく。語り口はものすごく軽い。でも、読んでいて辛くなる。ナニ、ナニ、この本は、人種差別がテーマの、インディアンが虐げられるおも~い話だったの?と、タイトルと表紙絵と漫画風挿し絵に裏切られた気がした。
 ところがさらに読み進めば、またもや予想は覆されて、境遇は厳しいのに妙に明るい。白人は、差別主義者の悪役としては登場してこない。その一方で、インディアンの情けない姿がかなりシビアに書かれる。保留地にはびこるアルコール依存症、暴力、DV、無気力。しかし、主人公はその不甲斐なさを嫌いながら、そうした保留地の人々をとても愛している。とても切ない。それなのに語り口はあくまでも軽い。喜劇的に語って、読むものを笑わせるくせに、切なくさせる。
 このあたりから、わたしは主人公のペースに巻きこまれ、彼と喜怒哀楽をともにし、笑いながら泣き、泣きながら笑い、最後に大きな満足感を得て読み終えた。


 主人公のオレは14歳になり、スポケーン族保留地内のハイスクールに入ったが、すぐに問題を起こす。それをきっかけに、保留地のすぐ隣の、白人が通うハイスクール、家から35キロメートル離れたリアダン校に転校する。
 保留地から出たことで、スポケーン族の仲間からは裏切り者として疎まれる。だが、白人の通う学校へいっても、白人になったわけではない。はみだしインディアン(原文ではパートタイム・インディアン)だ。

 しかし、はみだしインディアンだからこそ、見えること、わかることがある。彼は、インディアンとまったく違う白人の常識や考え方に、異を唱えず、ただ素直に驚き、たじろぐ。そしてインディアンも白人も公正に見て、その見たままを、愛すべき人間の姿としてとらえる。保留地では、幼馴染で乱暴者のラウディー、酔っ払いの父さんや、父さんの友だちでバイクにのるユージーン、引きこもりの姉さん、偉大なばあちゃん……。リアダン校では、過食症のペネロピー、ばりばりスポーツマンのロジャー、熱血のバスケットコーチ、天才ゴーディ……。どの人物も強烈な個性があり、妙なところや弱みがあるけれど、その人ならではのよさがある。
 主人公は、こうした人々に囲まれ、インディアンと白人にはさまれた立場で悪戦苦闘し、ついにインディアン、白人といった人種のわくにとらわれない真理を発見する。

 作者がホーンブック賞受賞のスピーチで語ったことには、この作品は、北米先住民、スポケーン族の保留地で生まれ育った作者の自伝的物語で、78パーセントが事実、ということだ。(あとがきによる)

 たったひとりで白人のハイスクールに入るには、どんなに勇気と根性がいり、どんなに孤独で辛かったことか。作者は、波乱に満ちた日々を喜劇的に書きながら、希望とやる気、勇気をもつことの大切さ、人間のすばらしさをしっかり伝える。そして、決してあきらめてはいけないと、わたしたちを励ます。自分の未来の扉は、自分自身がその気になれば、きっと開く。

 さて、たくさんの登場人物の中でわたしがとくに好きなのは、小さなころからずっと主人公をかばってくれた乱暴者ラウディだ。ラウディと主人公の友情のなりゆきには熱い涙が流れる。もし、ラウディにモデルになる人物がいるのなら、どうぞ、幸せに元気で暮らしていますように。

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永遠の少年のおとうさん

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「おとうさんはなんだってできるんだぞ!」これは、うちの夫が、息子と遊んでいるとき、よくいう言葉だ。わたしは(はいはい、そうですか)と、内心あきれながら聞いていたのだが、その夫にそっくりのおとうさんがこの作品に登場した。

 あっくんのおとうさんは、ときどき帰ってくるのがすごく遅い。次の日、おとうさんは遅くなったわけをあっくんに話してきかせる。そのいいわけ話が4編。小タイトルは4編とも「きのうの夜、おとうさんは、」ではじまり、それぞれ「あなをほっていてたんだよ」「ボートをこいでいたんだよ」「ホームランをうったのさ」「町に春をよんだよ」と続く。

 どのいいわけもファンタジー(ほら話ともいう)だ。帰宅途中におとうさんは、誰かに会って、むきになって奮闘し、結果的に誰かの手助けをすることになる。おとうさんのがむしゃらな奮闘ぶりがとても楽しい。おとうさんの手助けは、世界の自然の不思議につながるから、小さな読者の好奇心も満足させるだろう。

 おとうさんをがむしゃらに奮闘させるのは、「○○できる?」「○○できないでしょう」という言葉だ。この言葉をきいたとたん、「○○できないかって。だれにむかっていっているんだ?」と、おとうさんの負けん気魂に火がつく。おとうさんはもはや、妻子の待つ家路を急ぐおとうさんではない。ひとりの負けず嫌いの少年だ。なにもかも忘れて、目の前のことに没頭する。
 きっとおとうさんは、おとうさんになっても、心の中には永遠の少年がいる。そして息子の前で親然としてふるまいながらも、少年の心がちょこちょこ飛び出してきて、息子の遊び仲間になり、よきライバルにもなっているのだろう。
 そのなかにおかあさんの入るすきまはほとんどない。男と男の世界。だからだろう、この本におかあさんはちょっぴり出てくるけれど、影が薄い。
 章と章の間には、あっくんがおとうさんと遊んでいる場面が描かれている。あっくんはもちろん、おとうさんも心から楽しそうだ。仲間として真剣に遊んでくれる少年のおとうさんが、男の子は大好きだ。

 永遠の少年のおとうさん、帰りが遅くなって息子さんとの時間が足りないと思ったら、ぜひ、この本を読んであげてね。そして、もっともっと忙しくて、そのひまもないおとうさんなら、おかあさん、あなたの出番です。お父さんは仕事をいっぱいしてすごいのよ、といいながら、ぜひ、読んであげてね。

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紙の本クリスマスのおかいもの

2009/12/25 17:45

クリスマスってこういう日!

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 4階建てのもみのきマンションには、1階にうさぎのはなちゃん、2階にきつねのこんくん、3階にあひるのがあおくん、4階にりすのりすこちゃんが住んでいる。
 クリスマスイブの日、はなちゃんと、りすこちゃんと、があおくんは、町のもりもり商店街へクリスマスのお買い物に。こんくんは、なにやら忙しそうで、家にいる。
 商店街では、それぞれ目当てのお店へ。はなちゃんは食料品店、りすこちゃんは本屋さん、があおくんは洋品店。それからクリスマスの飾りも買って、こんくんが待っているから、いそいでマンションに帰ろう。さあ今夜は、もみのきマンションで、イブのパーティだ。

 もみのきマンションのなかよし4人のすごすクリスマス・イブが、こまやかに描かれていく。行きかう人と交わす「メリークリスマス!」のあいさつ、防寒着に身を包んだたくさんの人(動物)たちが買い物する商店街のにぎわい、はなやかなイルミネーションやショーウィンドウ、通りの真ん中やそれぞれの店にたてられたツリーなど。どれも、これからはじまる楽しくて嬉しいことを予感する、わくわく感が伝わってくる。そして、マンションにもどってからは、もっと楽しくて、嬉しくて、あったかい。

 うんうん、クリスマスって、こういう日だよね、と、うなずきながら読んだ。たがいに思いやる人がいて、やさしくなれて、広い世界、自然とつながっている神聖な気持ちになれて、心が満ち足りてくる。
 隅々にわたるまで、クリスマスの幸せ感にあふれる絵本。どのページを何度読んでも幸せな気持ちになる。この絵本とともに素敵なクリスマスを。

 もみのきマンションシリーズになってほしいな(つぶやき)。

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子育てではなく子育ちを

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 読み始めて驚いた。子育ての中でわたしがなんとなく苦しく感じていたことへの答えが、きちんと論理だって書かれている。著者は、現代社会の子育てを検証し、新しい社会での子育てを提案している。

 いちばんはっとさせられたのは、「子育て」ではなく「子育ち」を、それにはまず「親育ち」をと、訴えているところだ。生まれたばかりの赤ん坊のころから人は好奇心を持ち、周りを見て発見し、まねて育っていく力を持っている。それを子どもがする前から、大人が先に与えてしまえば、外面では育っても、芯のところが育たない。自分でみつけて達成するからこそ面白いのだ。その喜びを、先回りする大人がそいでしまう。それに、子どもは自分にあわないことをやらされていることだってある。
 子が育つのを見守ることは、忍耐のいることだ。厳しい競争社会で子どもが生きていけるだろうかと不安にもなり、ついレールを敷きたくなる。それでも、長い目で見れば、どうだろう。

 わたしにも息子がひとりあるが、彼が自分の意思で反抗してくるようになったとき、気づかされたことがたくさんある。息子のためにと思ってしていたことが、実は、わたしが自身の理想をかなえるためだったり、満足するためだったり、誇らしく思うためだったりする。
 彼をある方向へ導こうとするのではなく、彼の後につき、成長する力を信じて、後押しすること、それが、親の役目なのだと改めて思う。

 ところで本書は、子どもが子育ちしていくために、家庭レベルをこえて、社会がどう変革していけばいいかを書いている。子育て支援が盛んないま、子育て中の方はもちろん、それ以外の多くの人に読んでもらいたい。

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紙の本おつきさまのやくそく

2009/04/30 18:17

ちょっぴり切なくて、胸がほわぁんと暖かくなる物語。

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 人はみな、ひとりぽっちで心細い存在だけれど、つながる人がいるから、寂しさをこらえて強く明るく生きられる。私たちがふだん忘れている寂しさ、誰かとつながる喜びが、この作品――日常からほんのちょっぴりずれただけの安心感のあるファンタジーから伝わってくる。主人公ぼくがの素朴な言葉が、心の琴線にふれ、思わず泣きたくなる。

 たとえば2ページ目。読み終わった本を足元につったっている男の子の後姿の挿絵とともに、こんな文がつづられている。
 
 こんや ぼくは ひとりです。
 ひとりで ごはんを たべて
 ひとりで ベッドに はいります。

 これだけで、ぼくの寂しさ、心細さがじんじん伝わってくる。

 物語では、夜、ひとりぽっちで留守番しているぼくのところへ、満月のお月さまがやってきて、いっしょにすごしてくれる。でも、お月さまだからといって、たいそうなことをしてくれるわけではない。夕食をつくって一緒に食べたり、トランプしたり、お風呂にはいったり……、もし、その夜、お父さんがいたら、お母さんがいたら、あるいはきょうだいがいたら(ぼくはひとりっこだ)、きっとするだろうということばかりだ。ぼくはお月さまととても楽しく過ごす。そのときお月さまがなげかけてくれる穏やかな光は、家族と普通の時間を穏やかにすごすとき、ぼくの心をてらすものと同じだろう。家族とのごく普通のひとときこそ、ぼくのなによりもの望みで、幸せなのだ。それを思うとき、また、ぼくの心細さ、不安感が伝わってきて、ぼくを抱きしめたくなる。
 でも、ひとりぽっちの夜はいつものことじゃない。ぼくには、つながり、あたたかく見守る人がいる。物語のラストでその安心感がぼくを包みこみ、読んでいるわたしたちもうれしくなる。

 お月さまがぼくに話してくれるカエルの親子のおはなしも、たがいに支えあう親子の情愛がじんじん伝わってきて、泣きたくなる。

 時々心細くなるのは子どもだけじゃない。でも、誰かとつながっているから、心はあたたかい。

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