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千秋屋さんのレビュー一覧

投稿者:千秋屋

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本モザイク

2001/06/02 17:44

清々しい世界の捉え方だ

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 ここでいう“モザイク”とは変化すること、それ自体を比喩的に言い表した言葉だ。一時としてとどまらない、そして同じ姿は二度と見せない。矢印は常に一方通行、戻ったとしても戻ること自体がそのものの変化になる。

 でこの『モザイク』という小説の中で“モザイク”は何の象徴として描かれたかというと、「全部」だ。人も物も時間も。例外なくすべて。

 基準もなくし、枠も飛び越えて、相対は排除し、ひとつにする。部分が全体を作り、全体はまた部分となる。とにかくとにかくあるものすべて。あらゆる事物の変化する様を“モザイク”だと言い切ったわけです。

 いさぎよくて、気持ちよくて、清清しい世界の捉え方だ。『モザイク』はこの世界の捉え方を身をもって実感するに至るある女性を描いたの物語なのだ。

 はっきりいって神秘体験というわけです。話としては分かるけれど、実感したことがない。で、また実感といったって、人それぞれ実感の種類がきっとあるわけで、この物語は「佐藤ミミ」という女性がひとりで勝手に体験した物語として捉えるしかない。普遍的でスタンダードな世界の捉え方なんて誰にも分からないし、そんなものはないと思うから。こういう体験は正しいか正しくないかなんて、その時代の相対的で多数決的な判断に委ねられるものなので、考えるだけ野暮。特別と普通、異常と正常はひどくあいまいなのだ。すくなくとも、神秘的超能力的世界観はいまのところ少数派として特別で異常の範疇に入れられているのは確かなこと。渋谷を舞台に繰り広げられる、境界線上の混沌。あちら側とこちら側のせめぎあい。コミュニケーションの行き着くはてを想像してみたら、えらいことになりましたという大胆な仮説。展開する物語は、リアルな“もしも”を突きつけて、我々を、というか僕を引き込みました。ぐいぐいと。

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紙の本希望の国のエクソダス

2001/06/02 17:51

別にありかな、なんて

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 教育問題に始まったかと思ったら、最後は奇跡のハウトゥビジネスになって終わった。いずれにせよ、豪快な「もしも」がこれでもかと展開された。
 舞台は近未来。2001年から2007年までの日本。主人公は中学生。2001年の夏ごろから中学生の集団不登校が流行り出す。主に中学二年生。アフガニスタンでたくましく生きる少年が報道されたことからすべては始まった。彼に触発されたかたちで日本の中学生が学校に対して「NO」を突きつけたのだ。理由はシンプル。「行っても意味ないから」。中でも「ポンちゃん」というあだ名の少年は自らのスキルを武器に生きる道を模索。今、自分にできることをたんたんと遂行していった。
 彼にとってできることは、はからずも社会を変えていった。ネットでビジネスを、という素朴な発想はやがて世界を席巻。日本経済の絶望的大停滞という背景に、中学生の「希望」という名の脱出は加速度的に展開。価値や規則や義理人情、長年信じられてきたものがいかに曖昧だったかを、さらりと指摘し、ただひたすら思いつくことをたんたんとこなしていく。どれもこれも、ひょいひょい実現していくそのスピードはこれまた清々しく、気持ちいい。そりゃないよ、ってなことちょっと言いたくなるけど、別にありかななんてことも思ったり。いずれにせよ、面白かった。
 村上龍は即効性のある教育改革には「集団不登校」があるじゃないか、と言ったわけだ。前時代的発想のもとに居残る学校教育が今の時代に通用するなんていうのはまったく持って幻想で、中学生だってそんなことは感じているんだぞ。中学生は思っているよりバカじゃないし、やりたいことをやれる。やりたいことをやるのはもうちょっと待っててね、としきりに言う今の学校に、旧来の問題の先送り的思想が見え隠れする。何を信じて、誰を信じればいいだろう、ってことを中学生は考えている。そういうことに学校が気づかないふりをしている。たかをくくっている。
 いぜん石原知事も同じことを言っていた。学校になんか行きたくなければ行かなくていいと。彼自身、学生の頃そうだったらしい。その時、結局親が理解したところでうまくいった。一番ちいさなコミュニケーションがうまくいった。これは間違いなくいい例だ。ほんとはいけないんだけどね、なんていう甘っちょろい注釈はこのコメントにはない。
 なにはともあれ、僕の中学生観はもはや古い。前時代を生きてしまった感じがしてならない。僕はなんの疑問をもたないで、やってきたくちだ。実感としてはなかなかわからないが想像は何とかできる。でも、気持ちはわかるよ、なんて迂闊な事を中学生には言えないなあ。

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紙の本青いバラ

2001/06/02 17:48

青いバラはたぶん美しくない

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 すんごく分厚くて途中で何度もへこたれそうになって、というのもそんなに僕にとって切実ではなかったからなんだけど、それでもせっかくだから幾分駆け足だったけど読んだ。
 書かれてあることはぜんっぜん僕の知らないことばっかりだった。で、知識として身についたかというと、うーむ、すぐ忘れそうだけど。知的探究心と好奇心はかなりかき立てられる内容だったのは確かなこと。でもね、はっきりいってどっちでもいいんだよね。バラが何色であろうとさ。俺には関係ない。少なくとも読んでいる途中はそう思った。
 青いバラ、というのは自然界には存在しないもの。ありえないこと、不可能なこと、という意味で古く古く昔から「青いバラ」は認識されてきた。でも、遺伝子組み替えでちょちょいと(…と一瞬にはできないまでも)、青いバラは作れてしまうかもしれない世の中になってしまったのでした…。ということをこの本では言っているわけです。だから、ここで僕が何色でもいいじゃん、なんて無責任に発言してしまうと分厚い本が一瞬にしてひっくり返っちゃうんです。
 まあほんとに僕は何色でもいいと思うんだけど、何色でもいいではすまないと考えている人が世の中にいる、ということが分かった。バラ栽培の知られざる苦労話も聞けた。園芸の歴史についても勉強になった。育種家、という職業を知った。世の中には知らないことがほんとに多いんだと悟った。
 できないもんはできないんだよ、でもやってみなくちゃわかんないんだよ。そこのせめぎあいの美学が気持ちよかった。せっせと、そしてコツコツとバラを咲かせる。できる範囲でやってみる。そういう姿勢があった。
 青いバラは不可能だ、を合言葉にみんなやってきた。で、そこには逆に不可能に挑戦するロマンも生まれた。で、いろいろ試行錯誤した。結局ほとんどうまくいかなかった。でもでも、ロマンがあった。そこがよかった。
遺伝子組み替えはつまり、ルールブック書き換えとおんなじことだ。おきて破りな発想。そういう風に言えなくもない。でも、科学は科学でロマンがあって、不可能への挑戦ということでは発想は一緒。科学だって十分すぎるほど地道なのだ。

 結局、最初の提示された命題に帰結する。「青いバラはたぶんそんなに美しくない」ということだ。できたとして、たぶんそんなにびっくりしないんじゃないのか、ということだ。哀しいけれど、多くの人は「ふーん」とか「へー」と言うだろう。どうしていままでできなかったの?なんつって不思議に思うかもしれない。できるっしょ、そんなの、ロケットが飛ぶ時代だよ、と。
 青いバラは皮肉なことに前時代的発想の象徴になるのかもしれない、なああんてことをまた無責任にも言ってしまう僕でした。

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