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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

通貨さんのレビュー一覧

投稿者:通貨

13 件中 1 件~ 13 件を表示

〈今、ここ〉ではないどこかへ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、小学六年生に掲載されている連載漫画を単行本化したものである。本書の主要モティーフに類似した作品は色々あるのでここでは省くが本書自体は、「主人公は男の子」、「ある理由(概ね芸能界)のため女装をする」、それらを基調にして物語は進行される。本書で楽しもうと思うならば、「ドキドキわくわく」体験を本書の主な読者層である小学生たちと共有せなばならない。しかしそんなことは実はどうでもよい。重要なのは(というよりいい大人が本書を読むのであれば)、この一点こそが重要なように思える。つまり、なぜかくも彼らは普通の男の子として〈今、ここ〉から日常をおくろうとせず、女装までして芸能界や日常を「今、ここではないどこか」を目指し生きようとするのか。ところで本書には、主人公に対する仇役ともいえる女の子がたびたびでてくる。彼女たちは往々にして主人公に対して劣等感を抱き、そして攻撃を仕掛ける。普通に読めば、「わるもん」と「いいもん」の二項目にわけられ、こいつはひどい、となったりする。しかしそんな分け方がどうしようもないことは今の人びとにはわかりきったことではないだろうか(フィクションであるならまだしも、ってフィクションだが)。つうじょう「善い生」を営むためには「善い人格」が必要だとされる。しかし、そんなものが大して重要ではないってことを彼女たちは自らの悪さを、というよりルサンチマンを、自ら克服することをもって示してくれるのだ。もちろん自らといっても彼らの生への希求を目の当たりにするからなのだが。だから、彼女たちはけっして(そして彼らも)人格を陶冶されていない。危うさの中で彼らの認識を得、そして変わる。逃げることはたぶんダメだ。そしてだからといって、やけくそになるのもダメだ。では何がよいのだろうか。たぶん、危うかろうがなんであろうが希求せよ、ということでは(でも何をだろうね)。とはいえ、自らを棚上げにするのはマズイから日々の生活の中の「みっともなさ」、「ダメさ」、「どうしようもなさ」は直視すべきであるかも。けれども、だからといって、それらの要因は色々あるにしても、彼らが「ここではないどこか」へ生を希求するかぎりにおいてくだらない相対主義を駆逐する力を持つ。

ような気がする、なんて言っちゃたぶん怒られます。でも本書にでてくる彼らは常に色々なヤバさを抱えつつ、生を希求している、とはマジで思いましたけれども(と同時に泣けましたが)。

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紙の本エロ街道をゆく 横丁の性科学

2003/02/15 10:45

松沢呉一はくだらないことをくだらなく、にもかかわらず、面白く書くことに関しては当代随一だ

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くだらないことを高尚に書くことは適当にでっち上げればいいけど(例えばバタイユの『エロスの涙』とか)、どうして、何が悲しくて自分の恥部をネタにしてるんだろう。でもさあ人間てそんなに偉いもんじゃないよね、なんて諦念さえ伺われる。どうせみんな家に帰ればどう気持ちよくなろうか考えているのだし、こんな人と「やりてー」なんて思っているのだから当然ではある。でもでも普段みなさんはそんなことはおくびにも出さない。そんなだからこういう本を見れば「まあお下品ねー」などと良識ぶるんだ。でもそんなことはくだらないに決まっている。そして著者はそういったことも含めてくだらなさを追求している。

それらを実践するためのエキスが本書にはぎゅうぎゅうに詰まっている。確かに、本書の単行本が刊行されたのは九年も前だから個々のネタに関しては昔日の感は否めない。それでもこの本が果たす役割は大きい。

この本で著者は、絶えず他者との交流を図っている、ルポだから当然、それはそうだ、しかしこれには大きな誤謬が潜んでる。相手の話を聞いてハイお終いではそんなのただの一期一会じゃないか。著者にとって交流とは知りえない相手との対話だ。相手と話をし、ときには体を交え(たんなる性交渉だけじゃない)、そして考える。そう、この本で重要なのは絶えず考え続けているということだ。

一般の人々にとってはどうでもいいこと、でもそれだって考え続ければとても面白い結果につながることだってあるはず。それを提示しているのが本書だ。

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投稿とは何か(なー)?

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1986年に創刊され、創刊当時から続いている最長寿ページを再編集し、新たに纏めたのが本書で、例えばこのようなものには別に本書と同雑誌に掲載されている『ゲーム帝国』(エンターブレイン)などがあり、他には萩原朔美監修『ビックリハウス驚愕大全』(品切れ、NTT出版)、天久聖一他『バカサイ』、『バカサイ 2』(太田出版)がある。「ビックリハウス」のは投稿が主ではないが、雑誌のひとつの目玉が投稿ページだったということもあり、参考になる。「バカサイ」の場合は本書と同じく投稿が主で、ライン的にも「キレ」てる、「バカ」を標榜している点からも軌を一にしている。でも、やはり同じではない。他の3冊がその雑誌の特性からいっても中高生以上の読者が多く、ある種の常識を備えていること。もちろんだからといって、決して常識的だと言えないものも多数あるが、しかし、本書の掲載雑誌がゲーム雑誌だということは、この面白さのゆえんたるものではないかと思う。

確かにここで「アスキー文化」うんぬんということは容易い。でも、それは違うように思える。例えば小学生が読む雑誌の投稿ページにはとにかく下品なのが多い。それはそうで、「運賃箱」と聞いただけで笑い転げるもの達である。しかしそういった下品さとも本書の面白さは違う。そういった下品な投稿はどちらかと言えば書き捨てが多いのではないか。そういった場合においては単なる遊びとして投稿している節があるし、オリジナルキャラなどを描くなどするとしてもそれは無邪気さゆえのもののように思える。だから、本書の核をなすであろうヤバさはそういった低年齢雑誌のそれとは本質からして違うのではないか。端的に言って本書は編集者が読者を育てているとも言える。ある種の先導なくしてこのようなネタは成立しない。しかしだからこそ時として生じるネタ的暴走は見逃せない。しかしそれゆえ強く感じるのがゲームユーザーの特異さで(というのは誇張かもしれませんが)、いや、例えば20代以上ならヒマ学生とか、無職者とか、そういうのはいるだろうけど、もっと下の人間で投稿しているのはどういった人間なのか気になるよねっていう。なんつーかこの面白さは鬱屈とした若者のにおいがしました、みたいなー。あるいはいじめられっ子でしょうか。

いや、それは失礼です。でも識者たちは10年くらい前から現今の子供達を(今でも)虚構と現実うんぬんといいたがるけど、ほんとに分かってるのかしらん、と思えるのがこういう本を読んだとき、というか、こういうところにこそ彼らは集いますよ、と教えるべきではないのでしょうか。(個人的なことを言えば一番面白かったのは、メディアワークス創業前のマル勝ですけど。)

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アニメでの楓やミルモの魅力がコミックでも遺憾なく発揮されていてファン必読

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本書はアニメ『ミルモでポン!』のアニメコミックである。本作品の簡単なあらすじを紹介するとこうなるーーあるところに中学二年生になる南楓というかわいらしい女の子がいる。本作の主人公である楓は、同級生の文学大好きっ子である結城摂のことが好きであるのだが、なかなか告白できないでいる。あーあこんな私にも結城くんに告白する勇気があればなあ…なんて考えている楓、そんなときに町のいつの間に出来たのか分からない変なお店にはいる。そこは外見とは裏腹の、至って普通の雑貨屋であったのだが、あるマグカップを見ていると店主は恋を叶えるマグカップなどと言う。学校の帰りに昨日とは別の場所で同じ店を見つける。昨日も見たマグカップを手に取る。楓は結局それを買う羽目になってしまったのだが、そのマグカップは、決められた飲み物を注ぐと妖精が出てくるのであった!

というのが本作品の簡単なあらすじであり、ここからとっても楽しい物語が展開されていく。妖精たちはどれも一筋縄ではいかない(普段は優しいが切れると怖いリルム、パンチラ大好きっ子のヤシチ等)妖精でいっぱいである。

決して癒されることのない(もちろん良い意味で)良質のラブコメディアニメ(コミック)である。

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紙の本少女スタイル手帖

2002/09/23 00:24

女性でなくても楽しめる

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昭和30-40年代に少女でもなく、生まれてもいなかった僕はどれも「懐かしい」ものでも何もない。でも家は兄弟が全員女だったから、少女の気持ちは多少は分かるつもりだ(女の子の洋服を着たがったりしたし)。本書に出ている玩具、家具、その他もろもろのものは、普通だったらどれも捨てられる運命にあるだろう。それを収集するだけで大変な労力だろうし、これらのものへの愛情がなければ出来ない。

ものへの著者の解説も詳細にではなく、あくまで「ニュアンス」といった感じでそれが逆にいい感じなのだ。著者と読者一緒になって楽しめそうな雰囲気があり、それが外部の人間からでも楽しめる。男でも多少なりとも幼少時は楽しいものだ。でもだからこそ、女の子の思い出ってこんなのなのかな、と思える本書はとても楽しい。

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少女古写真館

2003/02/02 14:39

少女はいつもご機嫌ななめなのだ!

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巻末に付されている伊藤比呂美さんとの対談で著者が述べているが、著者は、少女写真は不機嫌でないと駄目なんだとか。言い換えれば、何を考えているのか分からない少女、とも言える。そして、本書に出てくる古写真(なかには絵葉書なんかもある)を眺めていると、少女はおそらく(写真外でも)いつも不機嫌ではなかろうか、と思えてくる。つまり彼女たちが例え笑顔でいたとしても、それは巧妙に、というより無意識に大人をだましているのではないか、なんて思える。そういう意味では、これらの写真が撮られた時代は昔であるから、まだそれほどカメラに慣れていなかった少女たちが緊張しているなんてことは(もちろんそれはあるとしても)どうでもよくなってくる。

巻末の対談では、そうは言っても、不機嫌に振る舞っていても実はなんにも考えていないのかもしれない、なんて言われているが、そんなことはもはやどうでもいい。

そういえばその昔(といっても九十年代中期だが)少女ブームが起きたときも彼女たちは不機嫌だった。日本では少女は不機嫌であることが重要なのかも。

巻末の対談は簡単な少女写真史を学ぶには好適。

しかしなんでこれがちくま学芸文庫なんだろう。

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メダロット・ナビ

2003/01/27 17:12

変に感動を誘うところはげんなりだが、それ以外は良い

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この漫画が従来のメダロットのものと毛色が違う点は二つある。
一つ目。戦いの終わったあとを描いているところ。
二つ目。所々に『星の王子さま』の引用がされるところ。
二つ目ははっきり言うとどうでもいい。文脈もクソもないし。面白いのは一つ目の戦いのあとという点。これは正確に言うとまだ戦っているが、本来のメダロットにおいての戦いとは少し違う。
本作品の主人公はカスミという男の子と、そのパートナーであるメダロットであるメタビーで、その友情記とでも言えるもの。あと他にバイザンというメダロットも関わってくるがこいつが面白い。
バイザンは以前パートナーが居たが、何らかの理由により孤独になってしまった。ここら辺はデジモンテイマーズにおけるインプモンにも通ずる部分がある。孤独な、放浪の民というわけだ。だがそのどちらにも通底するのは、未だ人間への、というより友達への思いがあるということ。
おそらく、何らかの事柄が本意のものではなかったがゆえに、いまだ人との交友を求めている。だが彼らは孤独である。それを克服するためにはどうすればいいか。彼らには毎日を共にするパートナーである人間が居たが、別に毎日を共にする必要はないのではないか。バイザンが本作品の最後でも述べているように遠く離れていようがそれは友ではないか。
玄田有史さんも述べているように「うすくつながって生きる」と言うことの重要性を本書からは(うっすらとだが)確認することが可能だ。

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なかよしの時代

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例えば、「MOMOウェルカム」を読んで矢沢あいの『パラダイス・キス』を想起した。
例えば、「とつぜんおじゃまのナミダ娘」を読んで少女の嫉妬に打ち震える姿に青春を見た。
例えば、「どろろんパッ!」を読んで透明人間の正しい有り様を描いていると思った(好きな人が入っているお風呂に入る、スカートめくり、など)。
例えば、「友だちひとりふえるかな…」を読んで何か「もの」を介して好きな人とコミュニケーションをとることが子供の頃にはあったなあ、ということを想起した。
例えば、「夢みる七月猫」を読んで作中のセリフ、「パロウズの初版本…」というのを見て笑った。
例えば、「わたしだけの指定席」を読んで若者にとって学校の席順とは単にそれだけを指さない、それ以上の意味のあるものだったということを想起した。
例えば、「空とべたらええなあ」を読んでありがちな話ながらも感動した。
例えば、「おっとどっ恋ヨーイドン!」を読んで体育祭は、嫌な奴はこんな体験すらも出来ないんじゃないか?と思った。しかしがんばれば何とかなるかも、という主題のこの作品に悪い気はしなかった。

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上野俊哉との対談は最悪

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この雑誌の全体に対して特に言いたいことはありません。というか、いろいろあるのでいちいち言うのが面倒くさいし。

しかしながら、この中で特にひどいものがあり、それにだけは少し言いたいと思います。

この中の上野俊哉と大塚英志の対談です。まず上野バカ哉さん、あ、間違えました、上野俊哉さんがどうでもいい話(アムスで鞄を取られたとか。ついでにそのとき死ねばよかったのに)から初め、「なんで今の子みんな監視好きなんでしょうね」なんて言います(p.82)。とりあえずこういう現実をなんら見てない発言が許されるのはバカだから何でしょうが(いやむしろ新現実って言うのがそういうものなの?)、今の若者が監視がうんぬんというのはある程度確かだとして、でも、こいつらが運動していた時期だって若者は遊びほうけてたわけでしょうが。それを「今」の話題とするのはどうなんでしょう。こいつらは〈いまここ〉なんて言って、アクチュアルとかどうでもいいこと言うけど、現実を見てないのはどっちでしょうか。

それにしたって、今の若者が「理論」あるいは「思想」のアプリケーション化が進んでいるなんてよくいいますね(p.83)。言ってることはわかるけど、そんなの今に限ったことではないでしょう。視野狭窄すぎでしょう。あんたらの近くの若者だけじゃないの?と思ってしまいます。

それで上野のバカは今の子は現場やシーンに対して対象としか見てない、なんて言う(p.84)。こいつらの言説自体がこいつらの言う「バカはバカでいいと。八割のやつらはもうただ働いていろと」みたいなものではないか。

それで極めつけはわれわれが80年代に言ってたことはシャレだったと(p.87)。詐欺師ですね。いやだから、そういうのを真に受けるなと。シャレはシャレとして受けて戯れろと。ま、なんつーかボードリヤールを真に受ける現代っ子のこととかですか。でも反省はしてるみたいです。だからって許されるものではないですが。

あとは、真面目左翼は「80年代」と「ポストモダン」がお嫌いらしいです(p.93)。そんなん真面目じゃなくても嫌いでしょう。

要はこの対談は、思想がどうとか言うけど、今の若者って……てやつでしょう。でもいずれにしたって、今の若者はそんなじゃないし、あることないこと言わないで欲しいです。

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わけがわかりませんが

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本書は去年刊行された『ぷちナショナリズム症候群』を補完するかたちで編まれたものだろう。序文で著者も恨みがましく言うように、前著では時流に即したかたちでしか書けなく、ゆえに反論も招いた。でもやっぱりそうではないんじゃないか、というものから本書は成立するのだけども、でもやっぱり今の問題は右傾化していることなどにはなくて、右傾化してるのかと思ったら、反戦したりというような「わけのわからなさ」にあるような気がするんですが。でもそれを考えるとこういった対話は今の若者ってなに考えてるのかわかんないよね、みたいなものに収斂されるかもしれず。で、仮に直線的に右傾化していたとして、しかし他方では鬱屈としている若者がいる。どっちがいいんでしょう、と問われれば著者がどう答えるか、そこが微妙に気になる。どちらにも問題はあるかもしれないが、その問題こそが重要に思えるのですけど。空回りしているような気がする。

その空回りぶりは、たぶん議論が四方八方に逸れるからではなくて(というよりそれが本書の読みどころだろうし)、「わけのわからなさ」を整理し切れていないからのように思えるのですが。つーかこれ読んでもなにが問題か、むしろどれがマジでやばい問題かがよく分かりません。多すぎるからなんですが、でもそうすると右傾化に問題を見いだすのはやや難しいような気がします。 でも僕は好きなんですが、香山リカ。「リカちゃんをいじめるものはわたしドールリカが許さない!」って感じですか(そこまで言う気はあまりないですが)。

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現代日本のアニメを語ることの難しさ

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本書で提示されている問題はとても明快です。つまり日本のアニメは「日本という国のコンテキストのなかで研究する価値があ」り、「日本の現代社会を映し出すのに役立つ鏡であり、その時代の重要な課題や希望、悪夢についての深い洞察を次々と提示しているのである」(p24)。

それらを検討分析するのが本書の主なテーマであり、それらはおおむね成功しているといっていいんじゃないでしょうか(でもどうでもいい記述も多い。らんまのジェンダー分析ですかよかったですね)。日本のアニメを網羅的に紹介しているのも好感が持てる(もちろんすべてではない。そんなのはもはや不可能だし、する必要もあまりない)。ちなみに著者近影を見ると著者の方はとても美人で萌え萌えです(こういうことを言えばいいんでしょうか)。

著者は、まず日本のアニメを分析するときに鍵概念となる三つのモチーフを提示する。「『終末モード』、『祝祭モード』、『挽歌モード』である」(p30)。これらを日本のアニメに当てはめると見えてくるものがあるんだって。で、ですね、見えてくるものが現代日本における問題と照応しあっていると述べるわけです。

とてもすばらしい。しかしすばらしいことはすばらしいのですが、私には一抹の不安がぬぐえません。それは本書がよい意味で議論の余地を残しているがゆえに、たたき台になりえるということです。もちろんそれはとてもすばらしいことではありますが、他方で、おジャ魔女どれみから現代思想まで語れる自称東浩紀の再来学生くん達が感化されてしまって、箸にも棒にも引っかからないクソ論文を大量生産してしまうのではないか、と思われるからです。

いまもすでにおこなわれているのかもしれませんが、そんなものとは無関係に暮らしていきたいものですし、著者にはさらなる活躍を期待したいものです(日本の連中を押し黙らせるくらいの大論文を書いて欲しいなあと。)

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若者のすべてそれ以外

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本書で提示されているのはつまり、世の中にはこういう若者がいますよ、と、なんにも知らないオヤジ連中、あるいは脳みそ腐りかけ連に、若者のインタビューを通して教えてあげようというものではないでしょうか。

でも果たしてそれ以外のものがあるのでしょうか。つーか著者はこういう事をして迷惑千万な人々がいることを知らないのでしょうか。たぶん知らないのでしょう。これは困ったものです。

それでもいいところはあります。それは、つまり本書を通して著者が好きそうな(かどうかは知りませんが)言葉でいえば、こういう「若者は存在しない」ということがわかることです。著者のような40歳代以上の(それ以下でもいくらでいますが)「オヤジ」どもが、理想を立て、そして夢想する。それは現実にはないのですが、そのような理想は、オヤジどもには現前する。

もちろんいるでしょう。手首切ったり、少女誘拐したりする人は(こんなのは出てきませんが)。少女誘拐に対する最悪の論調、「僕たちはそんなことはしない!」。この連続性を全く顧みない論調、腐っていますね。あるいはこういった本書に出てくる若者たちに向かって発せられる論調、「よく分かる!」。何がわかるんでしょうか。いずれにせよ、こういった安心したい人達はなんにもわかっていない証左なので、どうでもいい。

ステレオタイプですらない、陳腐きわまりない若者たち、二項対立的に整理されて満足がいく若者たち。そのどれもが著者は好きなのでしょう。几帳面なのですね。

いやむしろ、この本を読んで反動せよ、とでも逆説的に読み解くべきなのかもしれません。でも私はいやです。正直いって腐っていると思います。

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紙の本みんなのトニオちゃん

2002/07/09 08:51

世界はクソだと認識しなきゃいけないのか?

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僕は『SPA!』連載時からこんなものは半年くらいで終わるだろうと思っていたけれど、予想に反してだいぶ続いて、単行本まで出てしまった。

主人公がいつも死ぬのは『サウスパーク』だし(根本敬の『生きる』でもいい)、キャラクターのネーミングセンスは凡庸極まりないし、副題に臆面もなく「FUCK THE WORLD」なんてつけるのは理解できない。

しかし、いたって普通の若者が(お洒落が好き、音楽が好き、馬鹿騒ぎが好き、そしてニーチェが好き)、こういったものを書いた、それ自体に意味があるんだろうか。

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