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  3. 荻野勝彦さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

荻野勝彦さんのレビュー一覧

投稿者:荻野勝彦

33 件中 1 件~ 15 件を表示

まさに「不平等研究の決定版」

14人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

数年前、橘木俊詔(1998)『日本の経済格差−所得と資産から考える』(岩波新書)や佐藤俊樹(2000)『不平等社会日本−さよなら総中流』(中公新書)がベストセラーになった。この2冊はその後、データの解釈や分析の不備が指摘され、その結論の妥当性も疑わしいとされているわけだが、世間ではむしろ「日本の格差と不平等は拡大している」という認識が定着しつつあるのかもしれない。
この本は、この「日本の格差と不平等」について、経済学の立場から調査・検証し、一定の科学的結論を得た本格的な研究書であり、出版社の宣伝にもあるように「不平等問題研究の決定版」といえるものだろう。とりわけ優れた点としては、その広範さと入念さがあげられるように思う。
第一の「広範さ」という点に関しては、この本は所得格差の実態とその要因にとどまらず、「どんな人が」「何をみて」格差拡大を感じているのか、その「感じ」は当たっているのか、格差拡大を問題だと考えているのは誰か、といった論点まで幅広く論じている。
この本によれば、80年代以降日本の所得格差は拡大したように見えるが、その大部分は高齢化による見せかけの拡大である。これは定説となっているといっていいだろう。しかし、冒頭にあげた2冊が現実によく売れたように、多くの人は格差が拡大したと感じている。政策の場面では、「人々がそう思っている」ということのほうが「事実そうだ」ということより重大な意味を持つ場面は往々にしてあるから、誰が、なぜそう思うのか、の分析は重要であろう。著者は様々な検証を通じて、「人々が格差拡大を感じるのは賃金や収入の格差の拡大自体からではなく、失業者やホームレスの増大からかもしれない」「リスク回避度の高い人ほど所得格差の拡大を感じ、それに批判的で、再分配政策を支持する」「女性は所得格差拡大には批判的だが再分配政策は支持しない」「賃金格差の拡大は英米より小さく、成果主義賃金は今のところ賃金格差を拡大していない」「高学歴若年男性正社員を除き、パソコンの使用は賃金を高めない」「日本の賃金が年功的なのは、経済学的な説明のほかに心理学的な説明も無視できない」などといった興味深い結論を数多く引き出している。世間の一般的な認識と異なるものも多く、政策的含意も豊富である。成果主義と意欲に関する分析は、企業の人事担当者の実感ともよく一致するように思える。
第二の「入念さ」に関しては、冒頭の2冊がデータの解釈や分析の不備を指摘されたということは、この問題を分析する上においてデータ面での困難がいかに大きいかを示している。この本はその大きな困難に、多くの既存統計の慎重な再集計と三つにおよぶ独自調査、そして入念な計量分析によって挑戦、克服している。たいへんな労作といえるのではなかろうか。また、計量分析手法に関しては私の能力をはるかにこえるが、天気予報の降水確率を利用したリスク回避度の測定や、同一個人の転職前後のデータを利用したコンピューター・プレミアムの抽出は、素人目にはたいへん鮮やかなものに映った。
本格的な研究書だけに、実務家が読むにはかなりの労力を要するが、身近なテーマであり、企業の人事管理とも深く関連している。意欲ある人事担当者には強くお勧めしたい一冊だと思う。

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紙の本14歳からの仕事道

2005/03/08 13:43

本当のキャリア教育の本…かもしれない。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本の「14歳からの仕事道」という書名は、ただちに大ベストセラーの村上龍著「13歳のハローワーク」を想起させる。しかし、内容はむしろ正反対といえそうだ。
 「13歳」は、仕事の百科全書の体裁をとりながら、むしろ著者の信念の告白に近い作品であった。その信念のよりどころとなるのは、著者自身のさまざまな体験や取材の印象、そして独自の倫理観といったものだったといえよう。是非は別として、少なくともその信念の根拠は科学的なものではなく、したがって大いなる独善ともいえるものであった。
 「14歳」もまた、信念の告白であるかもしれない。しかしそこには、その多くに著者自身が関与した調査にもとづいた、科学的な根拠がある。それが「14歳」と「13歳」の決定的な相違であり、作家と社会科学者の違いと言ってしまえばそれまでだが、どちらがより普遍的な説得力を有するかは明らかであろう。
 この小さな本には優れた特徴がいくつもある。なかでも第一にあげたいのは、企業の実務家が読んでみて、現場の実感によく一致していることだ。もちろん、異論を申し上げたい点も多々あるが、この本の主要な主張である「やりたいことは簡単にはみつからない、わからなくてもいい」「わからなくても働こう」「やめたくなっても粘ろう」などのメッセージは、まことに実務実感にあう。「13歳」が主張する「早く自分のやりたいことを決めなさい」「自分のやりたいことを仕事にしなさい」「サラリーマンやOLになることを考えるのはおやめなさい」といったメッセージが、実務家にはひどい違和感を覚えさせることとは対照的だ。
 第二にあげたいのは、たしかに大人も意識してはいるだろうが、本気で「14歳」のために書かれているらしいということだ。それは日本の現実、実情をしっかりふまえて書かれているということでもある。だからこの本には、「日本では認められない個性ある若者が海外で飛躍する」などといった陳腐な、それでいて多くの人々にとってはおよそ非現実的なお話は出てこない。「日本の労働市場は、企業の人事管理はかくあるべきだ」といった議論も出てこない。あくまで現実の14歳にとって現実的な対処が述べられる。これは実に誠意ある姿勢といえよう。ちなみに本づくりにおいても、平明でくだけた表現が心がけられ、多くの漢字にはふりがなが付されている。あまり長くないのもよい。著者独特の(悪い表現をお許しいただきたい。悪意はない)ちょっと拗ねたような語り口も、14歳にはむしろ自然に受け入れやすいものではあるまいか。これも、「13歳」が子ども向けを装いながら、妙に難解・晦渋な内容が多かったり、現実的でない事例を多用したり、すぐに社会や企業に対する批判が展開されたりするのとはまことに対照的だ。
 第三に、この本の「オビ」には、「この本には『キャリア』というコトバは出てきません。でも、…ほんとうのキャリア教育の本です」と書かれている。「キャリア」というコトバには、「職業的成功」というイメージがぬきがたくつきまとう。実際、「キャリア官僚」という語を持ち出すまでもない。「丸の内キャリア塾」などといったセミナーの類で語られるのも、だいたいは転職成功者の自慢話ばかりだ。しかし、本当の意味での「キャリア」はそんなものではないはずだ。「キャリア」というのは職業生活だけに限らず、職業をその重要な一部として含む人生全体をいかに生きるか、ということだろうと思うし、「キャリア教育」もそうした観点から進められてほしいと思う。こうした意味で、私は著者がこの本で「キャリア」というコトバをあえて避けたことに共感を覚える。
 多くの14歳にとってこの本は、著者のいう、目的も手段もわからぬままに「頑張る」のではなく、「冷静にファイトする」ための指針となりうるものではないかと思う。[荻野勝彦]

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「今の若者は」といわないで

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「働く過剰」とは凝った書名だが、世間で若者が語られるときのことばはむしろ「不足」だろう。能力不足、職業観不足。我慢が足りない、ハングリー精神が足りない……あるいは、自信不足、希望不足、さらには根本的な問題としての求人不足。そして著者が主張する「大人の理解不足」。私にはこの「過剰」ということばが、世間に氾濫する「不足」という言説に対する著者の直観的なアンチテーゼをふくむように感じられる。
 この本は「日本の〈現代〉」と題するシリーズの一冊であるという。著者はたしかに、若年労働という観点から「日本の〈現代〉」を大胆かつ鮮やかに描き出している。もちろん、見る人、見る角度によって見方はいろいろだろうし、大胆な所論であるだけに論争的な内容を多く含んでいるだろう。私自身も、若年雇用問題の多くは長期にわたる経済低迷などによる大幅な求人不足によると考えているので、この本における著者の所論はいささか構造要因を強調しすぎていると感じる(もっとも、著者は前著『ジョブ・クリエイション』においては若年雇用問題はまずは需給の問題だと述べているし、本書でも循環要因への言及がある)。私は同感しないが、関係者のなかには、著者が「フリーター」や「ニート」といった概念を煽情的に(?)用いていることへの批判、反発もあるという。しかし、著者が『仕事の中の曖昧な不安』などによって、それまでともすれば「中高年失業」の問題ばかりに目が向きがちだった世論に対して若年雇用問題を説得的な形で指摘したことは明らかな事実だし、その後の著者の活動が、多くの人々の取り組みとあいまって、この問題に対する世論を高め、現実の成果として行政などによるさまざまな施策を実現してきたことも否定しようがないだろう。こうした著者の行動が、若者に対する強い共感と、この問題に対する真摯な熱意によるものであることも疑いない。批判はたやすいし、もとより自由でもあるが、それでは現実に他のだれがこれ以上の成果をあげられたかと考えると、批判が説得力を持つことは難しいだろう。
 著者自らが「私なりの現代仕事論の集大成」と述べるこの本においても、著者の若者への共感と熱意は横溢している。虚心に読めば、それは率直に読み手の心に響くだろう。そして、著者が「集大成」としたこの本の意図が、「必要なのは若者への働きかけだけではなく、大人への働きかけ」「働こうとする若者に向き合うべき大人に対し、現代の若者を取り巻く状況を知っていただくため、私の知っていることを、書いてみようと思う」(まえがきii)であることを、日本の「大人」たちにはぜひ受け止めてほしいと思う。たしかに、いまの「大人」たちの若者時代をも含めて、若者たちはつねに「大人」たちから「今の若者は」と言われ続け、それでもたくましく成長してきた。しかし、現在の若者をとりまく状況は、それではすまない、大人たちの理解と共感を必要とする、かつてない事態に本当に立ち至っているのかもしれないからだ。

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やはりこれが基本。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

トヨタ自動車の張富士夫社長は、日米両国における企業経営の経験をもとに、日米のビジネス文化の違いを「育てる文化」と「選ぶ文化」の違いだ、と表現している。そして、日本製品の高品質は「育てる文化」なくして実現できないが、米国では「選ぶ文化」ゆえに現地法人新設に必要な各分野の専門家の調達が容易であったと述べている(経団連機関誌「経済Trend」2004年6月号)。
その是非や優劣を問うことはあまり意味があるとは思えないが、労働市場のあり方はこうした「文化」と密接にかかわっており、企業経営もそれと無縁ではありえない。日本では、高度な仕事になればなるほど「こんな人がほしい」という人材は外部労働市場ではなかなか見当たらない(米国では日本より見つかる可能性は高いようだが、そのコスト=年俸もたいへん高いようだ)。
したがって、本書が指摘するように、日本企業は古くから「自社が必要とする人材は自社で育てる」ことを実践してきた。そして、これに成功した企業のみが長年にわたり存続することができた。もちろん、育成にはそれなりの手間がかかり、高度な人材ほど多くの時間を要する(米国ではその手間と時間をおカネで買っているわけだから、年俸が高騰するのは当然だろう)。ところが、近年流行した(過去形で語っていいだろう)「成果主義」は、こうした長期の人材育成を妨げるものであり、それ自身うまくいかないだけではなく、企業の長期的発展にとっても悪影響がある。これが本書の前半の主張である。基本的には著者の前著「虚妄の成果主義」の主張の敷衍であり、実務家の実感にまことによく一致する。
本書の後半ではまず、それでは人は何によって育つのか、どうすれば育つのかという議論が展開される。具体的な事例をもとにした議論はきわめて明快かつ説得的であり、あえて言えばごく基本的ともいえる。その基本を忘れて舶来(というか、米国産)の技術に走ったのが成果主義騒ぎの一面でもあっただろう。さらに続けて、競争優位の源泉となる「育てる経営」の合理性が経営学的に示される。
そして、「例解」として、世情を賑わした職務発明の対価をめぐる中村修二氏と日亜化学の訴訟において、著者が高裁に提出した意見書が紹介される。経営学・人事管理論および日本企業と日亜化学の経営・人事管理の実態をふまえて、一審判決を綿密に検証し、その誤りを論理的に指摘しており、まことに読みごたえがある。本書の白眉というべきであろう。
成果主義の困った点の一つは、「年齢や学歴の高い人が高い賃金を受けるのではなく、成果の大きい人が高い賃金を受けるべき」という理屈そのものにはもっともなものがあり、それゆえこれを旗印に成果主義を導入した企業はそれを転換することが難しいことだ。しかし、現実には著者も指摘するとおり多くの企業が「成果主義の改善」、ときには「成果主義の徹底」と称して、事実上成果主義を後退させているし、目端の利くコンサルなどは「成果主義そのものではなく、その運用が問題」などと方向転換し、新たな儲けをもくろんでいる。おそらく十年後には「成果主義?あれもアイデアとしては悪くなかったんだけどねぇ」と苦笑交じりに語るときがくるのだろう。昔も今も、企業経営者たちは「理屈が立派でも、実行しなければ意味がない」と言い続けてきたし、それは今後も変わらないだろうから。そして、そう言ったあとにこう付け加えるのだろう。「やっぱり、〈育てる経営〉が基本だよ」。

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いま、働くということ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

サラリーマンから作家に転じた黒井千次氏に、「働くということ」という本書と同じ書名の著書がある。15年間の企業勤務経験をもとに、企業での思うにまかせぬ仕事の中にも自己実現につながる「職業」の可能性を見出し、「働くことは生きること」と結論づけたこの本は、多くの働く人たちに読み継がれ、1982年の初版以来、2004年12月までに35版を重ねている。
その2004年には、日本経済新聞社から「働くということ」という本が出た。新聞の連載をまとめたこの本は、起業、独立、転職こそすばらしいものと賞賛し、鮮やかな多数の事例で世間の注目を集めたが、長期勤続によって技能を向上・蓄積するという働き方には否定的だ。黒井氏が万人のものたりうると想定した自己実現は、起業、独立、転職できる人だけのものとされているようだ。
この間二十数年。「働くということ」になにが起きたのか、とりまく環境は一変したと言って過言ではない。本書、ドーア氏の「働くということ」は、その原題や訳書の副題のとおり、この間に進展した「グローバル化」が、人々の「働くということ」にとってどのような意味があったのかを述べている。
コンパクトな中に非常に豊かな内容を含んだ本である。あえてごく大雑把にこの本の主張の要約を試みれば、グローバル化とは「市場個人主義」が国際的に拡張する過程であるということになるだろうか。それはより具体的にはアメリカン・スタンダードのグローバル・スタンダード化であり、その理論的バックボーンは新自由主義経済学だということになる。そしてその結果、本来資本主義が有していた多様性は失われ、社会的連帯は衰退し、不平等と格差とが拡大したという。そしてわが国も「遅れてやってきた」だけでその例外ではない。
ドーア氏はこうした傾向に批判的な姿勢をとるが、目新しい具体的施策を提示しているわけではない。各国各層での連帯とともに、国際機関の役割に期待するというオーソドックスなスタンスをとる。この本も、国際労働機関(ILO)と東京大学が共催した社会政策講演によるものであって、大筋としてILOの理念に立っている。しかし著者の見通しは悲観的であり、この本全体に得も言えぬ諦観がただよう。
この本に対して、市場個人主義を克服する処方箋がないと批判することはたやすい。しかし私たちは、虚心にこの本を読み、労働に対する強い共感を持ち、日本への理解と愛情にあふれるこの老碩学の感慨に、深く思いを致すべきだろう。本書が指摘するように、市場個人主義の根は深く、単なる方法論で対処できるものではあるまい。問題の根はわれわれの心にあり、われわれのすべてが、たとえばILOの精神に代表されるような精神に立ち返ることに、著者はわずかな希望と可能性をつないでいるのではあるまいか。
そして本書の本文冒頭にもあるように、その一部には、市場個人主義を主導し拡散させる「コスモクラット」をも説得する可能性もあるのだ。1944年、ILOはその目的に関する宣言でその根本原則についてこう宣言した。「労働は、商品ではない。」「表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない。」そして「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。」

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紙の本仕事の社会学 変貌する働き方

2005/07/14 09:23

管理職・人事担当者にも好適の参考書

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 近年、日々の人事管理にあたる職場のマネージャーや、それを助ける人事担当者の仕事は、日増しに忙しくなっているらしい。その理由は「成果主義」の導入であったり、「非典型雇用」の増加であったり、「若者の退職」であったりするようだ。
 こうした変化は、当然ながら「社会」の変化と深く関係する。日々の仕事に没頭しているかぎり、マネージャーや人事担当者は社会とのかかわりを意識することは少ないかもしれない。しかし、職場の変化に対応し、今後の変化を予測し、人事管理をよりよいものとしていこうと考えるのなら、社会の動向に対して無関心ではいられないだろう。それは忙しいマネージャーに対するサービスを最大の使命とする人事担当者の大切な役割かもしれない。
 さて、この本は産業・労働社会学の基本的な教科書を意図しているとのことで、そのさまざまなテーマについて、歴史的経緯や国際比較を織り込みながら、基本的な概念や代表的な先行研究を紹介し、通読すれば全般的な基礎的知識が得られるとともに、さらに進んだ学習への関心を喚起するよう編集されている。そういう意味では典型的な教科書という趣の本だが、それだけではない。次の3点において、人事担当者、あるいは職場のマネージャー、ひいてはすべての働く人にとって、人事管理や「仕事」の現在と将来を考えるうえにおいて、非常に有益な参考書ともなりうる本だろうと思う。
 第1に、この本は「人事管理と社会とのかかわり」の具体的なテーマを適切に網羅している、ということがあげられる。とりわけ、研究という側面からは近年ではとかく軽視されがちに思える「労使関係」についても1章をさいて取り上げていることは非常に好ましい。人事担当者の仕事という側面からは、労使関係は依然として大きなウェイトを持つ仕事だからだ。もちろん、労働安全衛生や労働保険なども人事管理の重要な分野だが、これはおそらく「社会学」の守備範囲を超えて、ないものねだりというものなのだろう。
 第2に、この本がかなり最近の動向までフォローしていることがあげられる。学生の教科書としては必ずしもそうではないのかもしれないが、実務家の参考書としては最新動向の重要性は高い。さらにこの本では、実務家の関心が高い「政策動向」についても多くを紹介してくれている。
 第3に、カバーの惹句にもあるように、「簡易・平明でバランスよい」という点は重要であろう。労働研究はとかく著者の価値観が出やすい傾向があると言われるが、この本はバランスへの配慮がかなり行き届いているように思われる。とりわけ、第4章(性別職域分離)や第9章(非典型雇用)などは著者の価値観が出やすい、出したいテーマではないかと思うが、非常に冷静・客観的でバランスのよい記述となっているのには感心させられた。
 唯一残念なのは、第7章(学校から職場へ)の記述が他の各章と比較して著者の価値観がかなり強く感じられ、均衡を欠くように思われることだ。企業の人事管理に対する理解に若干の疑問を感じざるを得ないし、社会学の最新動向という意味では、否定的にではあっても「パラサイト・シングル」には言及が必要なのではないかと思う。
 以上に加えてもう1点あげれば、この本は読み物としてもなかなか面白く、読みやすい。通勤電車の中でも十分読み進められるのではないかと思う。忙しい人事担当者やマネージャーにとってはこれは重要なポイントだろう。
 実務家にとっても優れた本だけに、ぜひとも短いサイクルで改訂を行い、最新動向を反映していただくことをお願いしたいと思う。それにより、いずれは新任人事担当者必読の一冊として定番となる本ではないかと思う。

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紙の本アダム・スミスの誤算

2001/07/04 09:08

本格的なグローバル経済論

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近、いろいろなところで、「グローバル資本主義の中では、株主重視の経営がグローバル・スタンダードであり、過剰な従業員は、解雇もふくめてどんどん削減すべきだ。それで失業率が上がるとしても、その方がかえって構造改革も進展する」という意見を聞く。どうも釈然としない、乱暴な議論に思える。
 著者は、アダム・スミスとケインズという巨人の膨大な文献に正面から相対し、通説にとらわれずに自身の視点から解題を試み、それをふまえて現代の「グローバル市場経済という幻想」を解き明かして見せる。社会思想家としての力量の確かさがもたらす、飛ばし読みを許さぬ迫力がある。
 そして著者は、金融と資本のグローバル市場の膨張が、実体経済と国家経済を従属させるという奇妙な転倒と、これが「市場の声」を通じて国家と人々の生活に大きな混乱を与えるメカニズムを分析してみせる。これは、数年前に発生したアジア各国の通貨危機とそれに続く経済危機などで現実になっている。
 市場経済の重要性に懐疑的になることはないし、経済成長を悲観しなければならないこともあるまい。市場原理や自由競争のもつ活力を上手に生かすことで、まだまだ経済成長は可能である。問題は、いかに上手く、人間のためにこれを生かすかという、人間の知恵である。
 結局のところ、企業経営とは、グローバル・スタンダードとか、市場の声とかいったものに惑わされることなく、信念をもって行われなければならない、ということなのだろう。そういう意味では、漠然と感じていた疑問に確かな回答を与えてくれる本である。

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「社員のニーズ、会社のメリット」

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2002年9月に発表された「少子化対策プラスワン」は、男性の育児休業取得の目標として「配偶者が出産した男性の10%」を掲げて世間を驚かせた。実際には、「プラスワン」が主張するのは「男性もふくめた働き方の見直し」であり、育児休業取得率はその象徴的な指標として取り上げられたのだが、「10%」という数字の高さのせいか、これが突出して注目されてしまった感がある。
 この本は、書名のとおり、「男性の育児休業」が働く人と企業にとってどのような意味をもつのかを、アンケートや聞き取りなどの結果をもとに解き明かしている。「男性の育児休業」について、現状分析から具体的な施策の提案までをカバーしたまとまった文献はおそらく本書が初めてと思われ、今後の検討や議論のプラットフォームとなる貴重なものであろう。多くの人事労務担当者や管理職に読まれてほしい本だと思う。
 その理由を二つあげたい。第一は、企業経営者や人事労務担当者にとって現実的な観点から書かれていることだ。世間では、「育児休業を所得できないのは企業が悪い」とか、さらには「企業は当然の権利である育児休業を取得させないことで不当に利益を得ている」といったような、「企業は育児休業をコストとして当然に負担すべき」といった論調が、行政(厚生労働省)をふくめて支配的であるように思われる。それに対してこの本は、いくつかのデータや調査結果をひきながら、男性の育児休業取得の企業にとってのメリットの可能性を指摘するとともに、休業中の職場の現実的な対応方法を提示することで、男性の育児休業が企業にとって単なるコストではなく、活性化や動機づけ、ひいては風土改革にもつながるということを主張している。育児支援策などのファミリー・フレンドリー施策が企業業績の改善につながるということは、まだ事例やデータの蓄積が十分でないこともあり、現時点では必ずしも明らかに実証されているとまではいえないものと思われるが、この本はその可能性についてかなり説得的に論じているといえよう。
 第二は、多様なあり方と自由な選択を尊重する立場から冷静に書かれていることだ。世間の一部には、「家事も育児も男女が平等に負担すべき」といった教条的な男女平等論が依然として根強くみられ、育児休業の議論でもともすればこうした画一的な価値観を押し付けるような感情論がみられがちだ(「女性の負担が過重」との思いによるものと推察され、情において無理からぬものがあるとは思うが)。しかし、大切なのは従来の画一的な価値観を脱して自由な選択を可能とすることであり、新たな画一的な価値観で縛りあげてはならないことはいうまでもなかろう。残念ながら、この本でも一部に(とくに第3章)やや情緒的な議論や表現もみられるが、これは男性の育児休業の事例があまりに少ないことなどから致し方のないところであろう。
 長期間仕事を休むことによって、キャリアや出世、報酬といったものの一部を失うことを承知のうえで、育児に参加することでそれ以上の幸福感を得たいと考える人は、おそらくこれから増えていくだろう。現時点では、雇用失業情勢が悪いゆえに、個人のこうした変化は目立ちにくい。しかし、潜在的にはすでにかなりのニーズがある可能性もある。
 であれば、男性の育児休業取得率10%という社会の到来は、思ったより遠い将来ではないのかもしれない。それがどのようなものになるのかは、まだわからない。しかし、少なくとも生き方の選択肢が増えるという点においては、より豊かな社会になるといえるはずだ。そう思わせる本である。

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紙の本成果主義を超える

2002/04/26 16:11

すべてのサラリーマンにおすすめします。

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 「成果主義」というのは不思議なところがあって、コンセプトとしては受け入れられやすいようだが、現実に自分自身の問題になると「成果主義とは私の賃金を減らすもの」という否定的な受け止められ方をすることが多いらしい。その意味するところはあいまいであり、報道などによる認知が先行していて、実相は必ずしも明らかではないようだ。
 こうした現状にあって、この本はなかなか貴重なものであると言えると思う。この本は、成果主義についてもっとも先進的であるとされる電機業界を中心に、労使からの聞き取り調査をもとに、まずはそのかなり正確な実態を客観的に記述している。とりわけ特筆すべきなのは、企業の人事部長などからの聞き取りを中心において、労組や社員個人などからの聞き取りで補強するという取材姿勢だ。事例集のようなものは別として、この手の本には企業からの聞き取りを中心においたものが少ない。公式見解で容易に入手できるから価値が低いと思われているのか、しょせんは建前で一方的な見方だと考えられているのか、企業の見解は面白味がなく「売れない」からなのか…。
 とはいえ、社員の酒場での愚痴話や、取材しやすい特定の社員(特定政党の支持者であることが多い)からの聞き取りなどから構成するのに較べれば、この本の手法ははるかに合理的で、全体像を明確に捉えることができるのではないかと思う。
 そして見えてきた実像は、マスコミなどが描き出す「成果主義」とはずいぶん異なるものであることに気づく。たとえば、マスコミがこぞって書きたてた電機各社の人員削減をとってみても、その大半は海外でのものであったり、場内外注の打ち切りをカウントしていたりして、現実に社員が削減されるのはそのごく一部だというのが事実である。しかもそれは生産拠点の統廃合などによって転勤が必要になった場合に、それに応じることができずに退職していくといったケースで相当部分が占められる。希望退職に対しては、最大3年分もの割増退職金が支払われる。それなら57歳以上の人は全員希望退職しても損はない計算になる。
 あるいは、長期雇用慣行についても、世間では「長期雇用は終わった」などとかまびすしい。しかし、実際に話を聞けば、各社とも「今後とも維持する」「長期雇用を守るために、今がんばっている」といったことを異口同音に述べるという。実際、電機各社は年金支給開始年齢の引き上げに対応した65歳までの雇用延長に関しても、わが国の最先端を行っているのだ。長期雇用をやめようとする企業が雇用延長を進めるだろうか。
 これら一連の取材を通じて、著者はついに、世間で言われるような「人材のジャスト・イン・タイム化を目指すかのような成果主義は日本企業には根付かない」と断言するに到る。そして、そうした中で、現在の日本的経営の長所を維持し、短所を改善する努力が各企業によって続けられるだろうと予測する。そうして「日本的経営は進化する」というのが著者の結論であるようだ。
 この結論には私も同感だ。実務家としての実感にもあっている。著者は具体的方向性には踏み込んでいないが、私は基本的には長期雇用のメリットは生かしつつ、年功序列を排し、あわせて労使双方のニーズに応じた働き方の多様化が進んでいくという方向ではなかろうかと思う。これはおそらく、多くの実務家と共通する見解ではないか。
 著者は学者ではないから、格別の分析があるわけではない。とはいえ、さすがに小説家の筆だけあって、たいへんに読みやすく、実情をバランス良く理解しやすい本になっていると思う。価格もいたって手頃である。成果主義に関心を持つ人たち(ほとんどのサラリーマンがそうだろう)に、本当の実情を知るために広く読まれてほしいと思う。[荻野勝彦]

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アメリカの素顔の一面

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 アメリカというのは、本当に不思議な国だと思う。
 広大な国土、豊かな資源、そして巨大で自由なマーケットと成功へのチャンスがある。それは、世界中の資金と人材を引き付けてやまない。多くの人に、アメリカに行けばすばらしい未来が約束されていると思わせずにはおかない、そんな魅力を持った国である。しかし、現実にアメリカに暮らしている、普通のアメリカ国民の暮らしぶりというのは、実はなかなかつかみにくい。
 小林至氏は、元東大野球部のエースで、卒業後プロ野球入りして話題になったが、結局2年で戦力外となり、その後、渡米してスポーツジャーナリストになった人物である。これまでも、大企業の駐在員や、MBAの留学生、あるいは高校生のホームステイなどでは窺い知ることのできない、アメリカの庶民生活の実相を伝えてくれる貴重な存在であり、私も、講演の時など、何度か小林氏の文章を引用させてもらったことがある。
 その小林氏が、7年間におよぶ、市井のマイノリティの一人としてのアメリカ生活をもとに書いたのが、「僕はアメリカに幻滅した」である。ずいぶん刺激的な書名だが、実際読んでみると、アメリカに幻滅したというよりは、アメリカで暮らしてみて、日本の良さが改めてわかった、という趣旨の本である。内容は非常にリアリティがあり、極めて興味深い。
 アメリカは、栄光と繁栄の一方で、多くの社会問題をかかえた国であることも事実である。貧困や犯罪だけではない。あれほどの訴訟の多さは、コミュニティの基礎が「不信」であることの証だろうし、なにより、ごく一部の富裕層と、圧倒的多数の庶民との格差の大きさは、日本では耐えられないだろうし、許されもしないだろう。
 とは言え、この二面性が、アメリカの特徴であり、強さでもあるのだろう。世界でも最先端の先進国に、成功のチャンスを求めて世界中から集まってくる、強烈な上昇志向を持つ人たちがいて、いわば、先進国の中に発展途上国がある社会である。大きな格差を内包し、それがダイナミズムを生む。。その懐の広さは、国土も天然資源もはるかに乏しい日本の、およそ及ぶところではない。
 もちろん、今の日本はアメリカの優れた点を多いに学ばなければならない。そして、真似のできない部分があることも、率直に認めるべきだろう。そして、将来も、アメリカに渡った日本人が「日本人に生まれて良かった」と言えるような国であり続けることができるよう、努力を続けたいものだと思う。

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現場の強さが国の力

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 著者は、旧通産省出身の研究者で、もっぱら製造業を中心とする中小企業のフィールドワークの蓄積によって、中小企業研究に独自の地位を築いている。その持論は「中小企業は日本のまごころ世界の宝」である。一見まことにエモーショナルなこのフレーズは、実は非常に根本的な本質をついている。著者はモノづくりの基本は「ねばりと頑張り、まごころと辛抱」だという。従業員全員が、顧客の時には無理とも思えるオーダーやニーズに精一杯応えようと努力するところに、よい製品が生まれる。それには従業員がお互いに譲り合い、助け合わなければならない。時には目的のために自分を殺さなければならない。それが「ねばりと頑張り、まごころと辛抱」だ。著者によれば、それはこれまで日本企業(とりわけ中小企業)にだけ優れて見られるものであった。それゆえ、中小企業は日本が世界に誇るべき「日本のまごころ、世界の宝」だというわけだ。
 その基本を、著者は日本企業の「現場主義」に求めている。日本では現場が大事にされることでコミュニケーションが良くなり、現場の働きやすい設計が行われ、現場の知恵が出るようになった。エンジニアと現場の作業者とが所得も含めてきわめて公平で、それによってお互い譲り合い、辛抱するために不可欠な「心のゆとり」が生まれたのだという。これはこれまで、ほぼ日本にだけ見られる特質であった(中国が近年めざましい発展をとげたのは、文化大革命によって労働者とエンジニアの階級差がなくなったからだというのが著者の説である)。
 今、日本の中小企業はかつてない苦境の中にあると言っていいだろう。この本は書名を見ても明らかなように、中小企業へのエールである。著者はその膨大なフィールドワークを通じて、日本の中小企業は依然として強いとの確信を語り、さらに強くなるための道筋を、成功している経営の共通点という形で描き出している。特に、ITの「ツール」としての活用に関しては、一章を設けて述べられている。全巻を通じて紹介される幾多の事例は、どれも強い共感を呼ばずにいないものであり、まことに説得力に富む。
 「町工場が滅びたら日本も滅びる」というメッセージは、なにを意味しているのだろう。私はこれは、一握りのエリートやリーダーだけがいくら大活躍しても国は滅びる、大多数を占める「普通の」無名の人々が、それぞれ優れた働きをして、日々レベルアップしていくのでなければ国は繁栄しない、という意味なのではないかと思う。百歩譲って、金融や情報産業のような世界では、あるいは一握りの天才が活躍すればそれでいいのかも知れない。しかし、モノづくりの世界ではそうはいかない。そして、日本がモノづくりなしで立国できる可能性はきわめて低い。
 われわれ労務屋、人事屋も、こうした観点からものごとを考えていかなければならないのだと思う。圧倒的多数の普通の人々が、ねばりと頑張り、まごころと辛抱、そして心のゆとりを持ちつづけることができるような人事管理とはどのようなものだろう。それは少なくとも、著者も言うとおり、周囲を顧みずに「成果」をあげた少数の人間が優遇され、目立たぬ仕事に地道に取り組んだ多数の人々が割を喰うような「成果主義」ではないことは間違いあるまい。あるいは、働く人が腰を落ち着けて技能を磨くこともチームワークを高めることもできなくなるような「労働力の流動化」でないことも確実だろう。
 たしかに、この本のものの見方は、世間で流行のものとはかなり違っている。しかし、流行、多数が常に正しいとは限らない。ことによると、こうした見方に立ってさまざまな施策を考え直して見ることが、今日の閉塞感を打ち破る起爆剤になるのかも知れない。[荻野勝彦]

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待望の優れた解説書

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 著者はこの本のまえがきで「『ワークシェアリング』ということばは市民権を得たようである。…数多くの人が論じ、提言を行なったりしている。そのなかには…やや誤解に基づく議論を展開しているものも見られる。そういったことから緊急に一冊の新書にまとめることの重要性を認識するようになった」と執筆動機を述べている。まさにそのとおりであろう。著者は均等法以前から一貫して女性労働の研究に携わり、今般のワークシェアリング論議にも早い段階から深く関与してきた実力者であり、この本の著者として最適な人材を得たといえるだろう。
 この本の第1章から第4章までは、今回のワークシェアリング論議をめぐる経緯や背景、議論のポイント、事実関係などが要領よくまとめられ、的確にポイントをおさえて紹介されている。ここまででおおむね全体の4分の3を占めているが、これだけ読めばワークシェアリングを論じるための基本的な前提はできるように書かれている。背後には専門家としての熱い想いがあるにもかかわらず、一貫して冷静かつ公平に記述されていることに、研究者としての良心を感じる。
 最後の第5章は、これからのわが国におけるワークシェアリングのあり方について、著者の主張が述べられる。あえて端的に言えば、まずは緊急避難としての対応が重要であるにしても、長期的に働き方を変えていく多様就労型ワークシェアリングへの取り組みがさらに重要であり、それを推進する重要なエンジンのひとつが「ファミリーフレンドリー」である、ということになるだろうか。これは今般の政労使によるワークシェアリングの検討と基本的なベクトルが一致しているし、また、実務家としても共感しうるものである。
 とりわけ好ましいのは、著者の企業実務に対する深い理解のもとに、わが国企業の職場や仕事の実態をふまえた議論が展開されていることである。これまでの議論には、もっぱら欧州と日本との比較をもとに、「ジョブの概念が不明確でないとワークシェアリングは不可能」といった思い込みにもとづく議論や、教条主義的な同一賃金同一労働の主張などが多く、実務感覚をかけはなれている感があったが、今回著者が提示した「日本型ワークシェアリング」は、こうした袋小路を脱して、現実的で建設的な議論を進める好適な材料となりそうだと感じる。実際、たとえばこの本で提唱されている育児休業の代替策は、日本企業における職務分担の柔軟性が有利に働くものである。
 それでもなお、実務家としていささか疑念を抱かざるを得ない部分もある。たとえば、著者は「非常に優秀な従業員を抱えていて、たえず二割か三割ぐらい休業している企業」をイメージしているという。しかし、非常に優秀な従業員が二割も三割も休業するのはあまりに惜しいし、現実には本人もそれを望まないことが多いだろう。フルタイムとパートタイムの処遇格差についても、かなり現実的な提案になってはいるが、「期待役割」といった実務感覚が捨象されてしまっている。また、企業の役割が強調される一方で、ともに必要不可欠な「働く人の役割=意識改革」への言及が乏しいことにも不満が残る。
 とはいえ、これらはある意味企業の人事管理の多様化の中で吸収されるべきものであるかも知れないし、逆に言えば、著者の提言が具体的な議論の材料としてたいへん優れたものであることを示しているともいえるだろう。著者にはさらに提言を深化させることを期待したい。
 将来に向けたワークシェアリングの議論は、実はこれからである。それはわが国における就労だけではなく、国民生活全体を変貌させるものとなるに違いない。その議論が本格化しようとしている今、格好の優れた解説書が出たことをなにより喜びたい。[荻野勝彦]

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人材を「コスト」ではなく「価値」として

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 「War for Talent」の時代だという。優秀な人材こそが競争優位の源泉であり、それを獲得し確保した企業が競争を制するというのだ。一見してもっともらしいこの理屈に、本書は疑問を呈する。「実にすばらしい人材があふれているのに、だれ一人として満足のいく成果を上げていない企業は実に多い」。その逆に、「一見したところどの社員もそれほど秀逸ではなく、決して人一倍働いているわけでもなさそうなのに、なぜかすべてが順風満帆な企業もある」と本書はいう。優秀な人材を獲得し、つなぎとめることも大切だが、それ以上に大切なのは、すべての社員の「Hidden Value」=「隠れた人材価値」を引き出していく組織であり、マネジメントであるというのが本書の主張だ。
 どうすれば隠れた人材価値を引き出し、高い業績を続けることができるのだろうか。ほかのライバル企業は、なぜそれを模倣することができないのだろうか。本書はこの二つの疑問に、豊富な事例を通じて解答を与えている。
 成功事例の共通項として3点があげられる。まずは「非常に明快な価値観が広く共有されている」、次に「価値観を正確に反映した社員中心主義の経営が整合的に一貫して行なわれている」、さいごが「経営陣全員が管理者ではなくリーダーである」。さらに具体的には、今現在の能力ではなく価値観を共有できるかを重視して採用を行なうこと、社員への投資、広範囲にわたる情報の公開と共有、チームワークとチームによる統制、金銭だけではなく、成長や達成感といった報酬などがあげられる。一般的なアメリカ企業の価値観であると言われる「自己責任によるキャリア育成」「雇用と解雇の自由」「株主至上主義」などに対しては、人材価値の発揮を妨げるものとして否定的である。
 第2の疑問に対しては、「知っているだけではなく、行動できるか否か」という点に尽きるようだ。単なる模倣ではなく、徹底しなければだめなのだ。本書は成功例と「似て非なる」失敗例をあげ、成功と失敗を分けたのは幸運・不運ではなく徹底・不徹底であることを示している。価値観を貫きとおすことはまことに困難なのだ。
 わが国においても大いに示唆に富んだ本といえるだろう。中央官庁、都銀大手など、優秀者が多数いるにもかかわらず、効率や業績の悪いケースが目立つ。その一方で、トヨタやリコー、キヤノンのように「隠れた人材価値」を引き出し、高業績を続けることに成功している企業もある。こうした企業に対しては、「勝ち組企業だから社員重視などと言っていられる」という批判がもあるが、これが見当違いであることもこの本は示している。自己責任や株主重視といったアメリカ流の発想がもてはやされているわが国でこそ、大いに読まれてほしい本だと思う。
 そして、何より私が好きなのは、この本がとてもネアカなところだ。
 たしかに、監修者の長谷川喜一郎氏も解説で述べているように、厳格な管理、懲戒によって高業績をあげている企業もある。この本も、この本の主張だけが成功の「唯一の」方法であるとは述べていない。懲罰による厳格な管理も、一貫して徹底することは難しいだろう。重要なのは方法より徹底することなのかも知れない。
 とはいえ、人間は懲罰をもって臨まなければならないとか、人材は価値ではなくコストだという考え方は、当否は別としてもいささかネクラな人間観ではないだろうか。それが徹底された組織は、なんとも精神的には貧困なのではないだろうか。
 それであれば、人間は成長する可能性と意欲を持つものであり、人材はコストではなく価値であるというネアカな人間観に立って、それを徹底したほうが、よほど気持ちが豊かではないか。もちろん、この二つの人間観は同じものを違う視点から見ただけのことであり、現実の人間はその両面をつねにあわせ持つものであるとしても。[荻野勝彦]

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安易な人事制度改訂への警鐘

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 1966年から1969年にかけて、日経連は民間企業の実務家たちによる「能力主義管理研究会」を開き、報告として、学歴、勤続・経験年数(≒年齢)などから推測される「潜在能力」中心の人事管理から、「業績として顕現化された」いわば「顕在能力」中心の「能力主義管理」への転換とその具体策を提言した。当時、その内容は非常に大胆なものと評価され、現在では、わが国労務管理史において画期的な出来事として高く位置づけられているという。その報告書が日経連から復刻された。
 報告書は、能力主義が求められる理由として、将来的な労働力不足、高齢化、高学歴化、賃金水準の上昇、技術革新の進行、(欧米の模倣でない)技術開発に対するニーズ、国際競争の激化、若年労働者の価値観の増大などの環境変化をあげている。それから現在に到る30数年間、高齢化も高学歴化も賃金水準の上昇も技術革新もさらに進行した。国際競争が厳しくない時などなかったし、若年労働者の意識はいつの時代も前の世代とは異なっていた。企業が競争社会に生きる以上、昔も今も常に環境は厳しかったし、さらにその間、日本経済は二次にわたるオイルショックとプラザ合意以降の円高という大きな外生的ショックを受けてもいる。
 そして現在、ここで述べられた多くの施策のほとんどが、程度の差こそあれ、現実のものとなり、拡大し、定着しつつある。この事実は、30年前には非常に大胆と見られたこの報告のすぐれた洞察力が、歴史によって検証された結果だと言っていいと思う。われわれはまず、30数年前にこうした議論を行い、その後30年以上にわたってそれを現実化し、あるいは「日本型雇用ポートフォリオ」や「裁量労働」などといった新たな考え方をも取り込みつつ、今日の人事管理を築き上げてきた先達の大きな努力に、深く思いをいたすべきだろう。そして、自信を持って、その路線と精神を引き継ぎ、進化させていきたいものだと思う。
 この報告書の精神とは何かを考えてみるとき、448頁、2部13章から成る本文のうち、実に4分の1以上にあたる124頁が「能力評価とその運用」ただ1章にあてられていることに気づく。「能力主義管理」だから当然と言えば当然かも知れないが、そこには、当時の実務家たちが、能力主義管理の必要性を確信しながらも、「人間が人間を評価することの難しさ」をきわめて謙虚に受け止め、真摯な議論を重ねたことを伺わせて余りあるものがある。また、報告書は「やめる自由とやめさせる自由」を主張する。しかし、この「やめさせる自由」とは、報告書によれば「再教育再訓練→再配置をくり返し与え、なお、期待する職務業績をあげえない場合は社外における能力活用をはかる…それを拒否する場合は処遇(賃金)は低きに甘んじなければならない」ということだから、やめさせないように訓練と処遇とで最大限の努力を払うということを意味している。このように、「人間の能力や適性をよく知るには努力と時間が必要」、あるいは「現実の仕事を通じて育ち、育てる」、さらには「環境条件の不備のために持てる能力を発揮できない人がいる」などといった考え方が、この大部の報告書を一貫しているように感じる。
 そこには、当時の実務家たちの、「神ならぬ人が、モノならぬ人に向かいあう」人事という仕事への、おそれにも似た感情が反映されているように思える。それこそが「人間尊重」ではなかろうか。この報告書がすぐれた洞察を示しえたのも、こうした精神に立って、繰り返し深い議論を重ねたからこそと思えてならない。
 はたして、現在人事制度の改訂を論じている諸氏は、こうした先達の謙虚さや真摯さ、考察の深さを見て、自ら恥じるところはないだろうか。今この本が復刻されたのは、史料としての価値もさることながら、安易な人事制度改訂に対する警鐘の意味も持ちうるのかも知れない。

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いつの時代も若者には可能性がある

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 現在の若年労働を知り、考えるうえで、この本はまことに貴重である。それは何より、この本が若年に対する大いなるシンパシーのもとに、若年の視点に立っていることによる。こうした立場の上にこれだけの実証的な分析と主張が行われている本はこれまでなかっただろう。
 この本の1章から4章までは、ごく荒っぽく言ってしまえば、現状の若年の失業や離職、あるいはフリーターの増加などは、景気の悪さと既存の雇用を維持しようとする(さらには60歳台前半の就労を進めようとする)社会構造のせいであって、若年が悪いのではない、ということを言うために費やされる。これは、人事担当の実務家としての実感にも良く一致している。実際、就職し定着している若年であっても、企業内がいわゆる「上がつかえている」状態になっているせいで、仕事がステップアップしないという問題に直面している。
 そういう意味で、4章での「所得格差より仕事格差が問題」という洞察は正鵠を射ていると思う。ただし、仕事格差がもっぱら労働時間だけで論じられていることには不満もある。たしかに若年の長時間労働はそれ自体問題ではあろう。しかし、より問題なのは仕事の中身だからだ。重要性が高く、自分自身の成長にも資する仕事を与えられているのであれば、それは仮に労働時間が長くなったところでむしろ本人は好ましく思うだろう。「下が入ってこない」せいで、雑用のような仕事に忙殺されて長時間労働になるのが最悪である。一方で、中高年にしても、閑職に追いやられて労働時間が短くなっているのであれば、それは決して本人にとって喜ばしい事態ではあるまい。
 4章から7章までは、必ずしも若年だけが対象となっている内容ではないが、若年が現状を打破するための方法につながる考察が行われ、8章が全体の結論になっている。一見、4章までの流れからは、最も効果的な解決策は「中高年の解雇や早期引退」ということになりそうだが、さすがにそうはならない。それでは著者の言う「漠然とした不安をどうとらえ、どう冷静にファイトするか」ということへの答にはならないからだ。そこで著者が提示した答は、これまたごく荒っぽく言ってしまえば、ひとつは「自分で自分のボスになる」という意識のもとの「新しいタイプの独立開業」であり、もうひとつはその成功の前提でもある、グラノヴェターらの言う「Weak Ties」の大切さである。
 これはいずれも重要なポイントをついているだろう。確かに、著者が示しているように、開業を成功させるには20年以上の仕事の経験があることが望ましく、今の若年者が「新しいタイプの独立開業」に到達する道筋や、そもそも「新しいタイプの独立開業」とはなにか、ということも明らかではない。しかし、「自分で自分のボスになる」ために、自発的に能力開発に取り組むことは、フリーターであってもできる。
 こうした「自分で自分のボスになる」若年が増えてくれば、20年後にはおそらく彼ら自身が「新しいタイプの独立開業」とそこへの道筋を見せてくれるだろうという予想には、私も賛同したい。私もまた、若年の力を信じるひとりであるからだ。
 著者は、「頑張れ」とか「夢を持て」ということを若年に言いたくないという。同様に、私は「自立」とか「自己責任」とかいうことばをあまり使いたくないと思っている。それ自身はもちろん悪いことではないが、今日的な意味合いでそれを強調することは、健全な依存関係、ひいては(伝統的な共同体意識ではない)ゆるやかに支えあう連帯関係、一種の「Weak Ties」をも否定してしまいかねないからだ。今の社会で必要なことはむしろ、「Weak Ties」が縦横に張り巡らされた、新しい「社会的連帯」を構築することではないかと思う。

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