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先月(2017年6月)

fujiwaraさんのレビュー一覧

投稿者:fujiwara

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本「脱社会化」と少年犯罪

2001/08/10 16:03

少年犯罪に通底する病理を抉り、頓珍漢な国会議員と教育改革国民会議に喝!

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 キレた少年たちによる犯罪が後を絶たないご時世である。事実検証能力に乏しいジャーナリズムと言論人が事態の深刻さを煽動する。もう少し事実を冷静に見極めることが必要だ。少子化の影響を加味しても、少年犯罪は、全く増加しておらず、凶悪化もしていない。メディアの興味が犯行動機の不可解さに向けられるゆえに生じる誤解である。
 
 本書の第一部で展開される宮台の論考は、世間に流布される焦点ボケした陳腐な言説とは一線を画しており、実に的確である。大部分は97年の酒鬼薔薇事件以降、各種メディアで宮台が力説してきた内容と軌を一にしたものであり、宮台信奉者、あるいは社会学的センスのある読者にとっては常識の範疇である。キイワードは《脱社会的な存在》。他者との社会的な交流抜きで自己形成を遂げてしまったコミュニケーション不全の若者のことである。ヤクザなどの《反社会的な存在》とは異なり、厳罰適用による矯正プログラムの効力が及ばない。また、病気ではないので治療法もない。実に厄介な存在なのだ。人を殺すことの敷居が極めて低い彼らには、一般的な社会通念や規範が通用しない。仏教の因果律などを持ち出して命の尊さを説くことなど全く無意味なのだ。こうした《脱社会的な存在》が顕在化するに至った要因に関する考察が冴えわたっている。外界とのコミュニケーション抜きで生活物資を調達できる社会の趨勢は、もはや退行させようがない。生きる力の源泉となるのは、他者との関わりの中で形成される自己の尊厳である。この尊厳のリソースが不足しているところに病理が潜むと宮台は指摘する。《良い学校から良い会社で良い人生》という一元化された価値観に呪縛され、個性的で多用な生き方に価値を見出せなくなった70年代半ば以降、病理が確実に拡大した。民度の低い有権者が選んだ国会議員は、頓珍漢な少年法厳罰化やメディア規制に奔走するばかり。これは、本質的な問題解決の途を迂遠なものにする可能性を多分に孕んでいる。
 第二部の藤井誠二との対談では、少年たちをとりまく現実の分析を巡って丁々発止の議論が展開される。兄弟ほどの年齢差の二人が、互いの経験をオーバーラップさせる形で本音をぶつけ合っており、小気味いい。二人とも地域社会に共同体が根付き、よその子供でも平気で叱る大人がいた時分に少年期を過ごしている。校内暴力や不良グループ同士の抗争も盛んだった時分である。暴力が共同体外に及ぶことがなく、殴ったり、殴り返されたりの応酬も限度を踏まえ、決して相手を死に至らしめることなど無かった。共同体の解体とともに、口うるさい大人が居なくなり、不良グループも消滅。少年たちは喧嘩を通じて限度を知る機会が無くなってしまったのではないだろうか。畢竟、相手を傷つけることを厭わない少年たちが続々と凶行に走り出したのであろう。少年たちが成長し、自己を確証するプロセスに明らかな歪みが生じているのだ。
 更に、対談は、性と薬物にも及ぶ。問題行動に帰結しがちなため、教育現場では忌避される種類の話題である。少年たちが自立する過程で、大人たちが責任を果たすためには、問題を忌避せず情報を開示して、自己責任で判断させよと二人は主張する。シンナーよりも覚醒剤がマシと宮台は語る。全てを禁じるのは逆効果。自分の頭で考え、痛い目に遭うことで少年たちは社会性を身につけていくのだ。思うに教育とは、子供が自立するのを補助するプロセスに他ならない。上からの押し付けなど何の効力もない。ボランティアを義務化した教育改革国民会議を扱下ろした叙述には溜飲が下がる思いである。頓珍漢な国民会議の面々は、どう答えるつもりなのか。是非とも伺ってみたいものだ。

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紙の本哲学の教科書

2001/07/10 16:08

限りなき『懐疑』の世界への誘い

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 先ずは表紙のタイトルとイラストが目を引く。『哲学の教科書』とはなんとも胡散臭いタイトルである。表紙に描かれた髑髏のイラストが胡散臭さに拍車をかける。この手の哲学本を手にして何度期待を裏切られてきたことだろう。思うに哲学とは、青白きインテリを志向する若者が通過する洗礼ではないだろうか。分厚い哲学書に挑み、時には原書を繙くものの、巨大な先哲の知性の壁に跳ね返され、屈辱的なルサンチマンを抱え込むのだ。でも歳月の経過をもってしても、哲学への憧憬が潰えない人が多いのではないだろうか。
 
 本書を一瞥すると、難解な用語、言い回しは殆ど見当たらない。アンデルセン、宮沢賢治らの文学作品がテキストとして引かれている。これらの作品に通底するのは、この世のありとあらゆる事象に対する『なぜ?』という問いかけである。これが重要であり、『分かった気分になること』が哲学の最大の敵であると著者は説く。即ち、目に見える浅薄な表面に出現した事象、未来永劫に結論の出ないテーマを思惟の対象とし、『理解への到達』を絶対悪と見做し、『懐疑』を拡大再生産することに存在意義を見出すのが哲学なのだ。死・自我・時間・他者・存在・意思・自由…。
 雲を掴むような話が哲学の研究対象となる所以である。まあ、何と不健全かつ、時間浪費の学問だろうと思わざるを得ない。
 著者自身、哲学を何の役にも立たず、病的で、凶暴性・危険性・反社会性を濃厚に含むものと明言している。世に流布する凡百の哲学入門書が、高貴さと洗練を装った奇麗ごとに終始しているのとは対照的。著者は哲学界では異端児なのだろう。でも、その正直な姿勢には好感が持てる。
 本書は、純粋な意味での哲学入門書ではないかもしれない。だが、哲学は特異な能力、センスを持たない凡人にはこの上なく厄介な世界だと教えられただけで、何となく安堵感を覚える。巻末のカントの『純粋理性批判』の解釈例に至っては、もはや狂気の世界である。原文のわずか三行を四ページ近く要して延々と敷衍しているではないか。これは、やはり凡人の手に負えない代物だ。

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保守派ウルトラ頑固親爺が『つくる会』の教科書に筆誅を加える!

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 保守派論壇を代表するウルトラ頑固親爺が、『つくる会』の『新しい歴史教科書』を徹底検証して無知蒙昧、誇張捻じ曲げに筆誅を加えた一冊。併せて、歴史教科書問題解決の方法として歴史教育の廃止を提唱する。

 『つくる会』は、その発足以降の活動ぶりが大きな注目を集め、若年層を中心に幅広い支持者を獲得。教科書づくりから検定合格までのプロセスは、歴史認識の難しさと現行の教科書検定・採択の問題点を大きく浮き彫りにした。騒動が大きかった割に、市販された教科書を目にした多くの人々は、その意外に穏当な内容に肩透かしを喰らったのではないだろうか。
 同会の『新しい歴史教科書』に対しては事前の予想通り、教育関係、労組、同和問題関係者等の陣営から教条主義的なバッシングが沸き起こっている。批判本も数多い。その多くは、ステレオタイプの歴史観批判に終始しており、不毛なイデオロギー論争を惹起するだけの陳腐な内容と映る。
 本書は、こうした革新陣営の『つくる会』批判とは全くスタンスを異にする著者が、その強靭な思想的立脚点から『新しい歴史教科書』を徹底検証。同書の史実記述の誤り、歴史認識の甘さを厳しく糾弾している。先ずは、『つくる会』の面々と著者の思想上の位置付けの差異を念頭に置く必要がありそうだ。本書のなかで、安藤昌益に関する記述が耳目をひく。『つくる会』の面々が安藤昌益を「万人が耕す世の中を理想と説いた。」とヨイショしているのが気に食わないらしい。著者に言わせれば、安藤昌益は「超越的絶対権力者を崇拝する原始共産主義者」となる。従って『つくる会』の面々は、革新系の人々と精神構造を共有する同じ穴のムジナと映るわけである。100%右に寄った著者から見れば、80%右寄りの『つくる会』の面々も所詮は、左翼のお仲間。既存の戦後民主主義の路線に沿った教科書しか書けない人々なのだ。
 さて、肝心の『新しい歴史教科書』批判は、実に興味深い。古代史から近・現代史に至るまで史実認識と価値評価を巡って仔細な検討がなされ、痛烈な筆誅が加えられる。革新陣営による批判本にはない視点が満載で、高度な歴史書として楽しめる。
 特に文化史の解釈では、著者の博学博識ぶりが遺憾なく発揮される。もはや『つくる会』の面々は、相当に分が悪い。ノックアウト寸前である。但し、本書で展開される歴史認識論争は相当に高度だ。事実誤認だとしても、中学生が学習する上では、殆ど実害は無いのではないか。また多くの論者が懸念する『新しい歴史教科書』の右傾化、ナショナリズム志向にしても、現場の教師の解釈と解説が、その教科書の記述内容を超克するであろう。その程度の無難な記述内容であるから検定をパスできたのではないか。
 著者は、『新しい教科書』の事実誤認、無知蒙昧ぶりを煽動し、結果として検定の杜撰さを浮き彫りにして、歴史教育のあり方を根本から変えることを主張する。その方法というのが何と、なんと歴史教育の廃止である。大部分は評論家の山崎正和氏の論説に依拠したものである。既存の左傾化した歴史教科書を批判してきた著者である。従来の歴史観に一石を投じた『つくる会』の活動にもう少し好意的な評価を下して、その博識ぶりを生かして建設的な提案を示してほしいと思う。今後更にグローバル化する時代の潮流は避けがたい。自国の歩みを振り返り、諸外国との相克を鑑み、わが国の針路を見据える上で、歴史教育は不可欠なものだと考える人が多いのではないだろうか。

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