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  3. saihikarunogoさんのレビュー一覧

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先月(2017年1月)

saihikarunogoさんのレビュー一覧

投稿者:saihikarunogo

176 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本聖女の救済

2012/04/15 14:34

「虚数」の意味

18人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

おもしろかった。読み進むほどに、意外な展開が待っていて、トリックと動機の双方の謎に、最後まで引っ張られた。『聖女の救済』というタイトルの意味も、最後になるまでわからない。わかったときには、そういうことだったのか、と驚いた。

前作『容疑者Xの献身』では、湯川学が友情と正義の板挟みで苦しんだが、今作では、草薙刑事が、恋と正義の板挟みで苦しむ。内海薫刑事は、草薙刑事が恋に目を狂わされて冷静な捜査ができないと判断し、単独で湯川に相談したのだが……。

途中、テレビドラマと映画で湯川学を演じた福山雅治の曲を、内海刑事が聴く場面が出て来たのには、ニヤリとさせられた。小説の内海刑事は、ドラマや映画のときよりも、知的な感じがする。それでも、彼女もまた、草薙刑事が恋に狂わされている分まで自分がカバーせねばと焦って、肩に力が入りすぎていたようだ。

最初に殺されてしまった人物について、ここまで勝手な男がいるものか、と思った。頭が良くて紳士的で、表面的なおつきあいの範囲内では、充分に優しくていい人である。しかし、根本的に自分勝手なのだ。こういう、普通の社会生活においては優れた人でありながら内面的には利己主義の塊みたいな人ほど、その根本的なところで触れ合わざるを得ない恋人や家族が、傷つけられ、苦しめられる。

しかし、「聖女」である綾音という女性も、恐ろしい。彼女は優しい。自分を裏切った夫にも、夫を奪った女に対しても。しかし、彼女の振る舞いは何もかもが計算され尽くしている。その計算を、内海刑事は見抜き、彼女の犯行を証明しようとやっきになる。草薙刑事は、綾音に同情し、綾音の夫の身勝手さに怒り、綾音の夫を奪った女の犯行を証明しようとする。どちらにしても、トリックを見破ることができず、真相にたどりつけず、湯川学を頼らざるを得なくなった。

そこへ、第三の女性の存在が浮かびあがって来る。はじめ、彼女の存在は、なんとしても綾音は無実だと信じたい草薙刑事のむなしい希望でしかなかったのではないかと思われたが……。

湯川学のいう「虚数解」という言葉の意味が、なかなか、考えさせられる。存在しない数、虚数。それは、第三の女性のことではないのか。もっとも、湯川学本人は、第三の女性の存在など知らずに、別の意味で、虚数解と言っていたのだが。

推理小説好きならば、「未必の故意」という言葉も、よく知っている。犯人が現場を離れ、蓋然性に頼って行う犯罪の場合が、その典型だ。綾音には「未必の故意」によって夫を死に追いやる動機がある。だが、その方法がわからない。湯川学は、物理的な理由によって、あるとすればこれしかないという、その方法を見つけるのだが、今度は、それでは、綾音が夫を死に追いやる動機と矛盾する。いや、矛盾しないのかもしれないけど、それにしても、普通、そんなことはありえないだろうという手順になってしまう。

草薙刑事が最初に事件現場に来たとき、内海刑事はベランダの花を見上げていた。彼女は別に事件の真相を解く鍵がそこにあると思って目をつけていたわけではないのだけれど、後々、草薙刑事はそのベランダの花に水やりをするようになり、更にそれが、最後の最後に、事件の解決につながることになる。

それは、悲しい恋の終わりでもあった。

だけど、草薙刑事と湯川学と内海刑事の友情に、最後は、ほっとさせられた。

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紙の本恵比寿屋喜兵衛手控え

2011/02/13 10:22

エゴイスト喜兵衛

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

恵比寿屋喜兵衛の仕事ぶりを通して、江戸時代の公事訴訟のことがよくわかる。もともと江戸に住んでいる人が公事に出るときには、家主や名主が付き添わなければならないが、地方の人が江戸で公事に出るときには、宿泊している旅籠の主人が付き添わなければならない。これは私が思うに、そもそも、およそ「御上」に営業を認められた宿屋ならば、宿泊者の「人別」を記録する義務があって、それが一種の身元保証になっていた、ということかと思う。そして、特に、訴訟手続きの代行をしたり相談に乗ったりした宿を「公事宿」と言った。

公事宿の主人としては、仕事の腕がいい。しかし、夫として、父としては、自分勝手な男で、だから私は喜兵衛に好感を持てない。喜兵衛は、妻の絹がいさめるのもきかずに、娘の糸を甘やかしてだめにしてしまった。糸はろくでもない男と結婚して、貧乏して苦労している。絹が、わたしたちがいけなかったのだ、と口に出して言うときは、心の中では夫だけが悪いと思っているときだ、と、喜兵衛は思っている。そして、病気で寝込んでいる妻に暖かい心遣いを見せず、妾宅に通う。絹は気が強くて折れることを知らないが、妾宅の小夜はつつましくてやさしい。と、喜兵衛は思っている。

だが、私に言わせれば、小夜が我を張らないのは、もともとの穏やかな性格もあるだろうがそれに加えて、喜兵衛に「世話になっている」立場だからだ。喜兵衛がそういう立場を自覚する女を選んだのだとも言える。喜兵衛は、絹の気の強い性格を愛して一緒になったくせに、彼女が病気になって寂しく寝て暮らすことしかできなくなると、我の強い女と一緒にいても安らげないからと、遠ざかる。なんて薄情な男だ。

越後から出て来た六助の公事に取り組んでいるうちに、なぜか、二度も、喜兵衛の命が狙われた。喜兵衛は、公事の相手方の黒幕は商売敵の大津屋茂左衛門で、恵比寿屋を乗っ取るつもりで、自分の命まで狙ってきたのではないかと考えた。大津屋茂左衛門には、かつて、同業の糀屋を乗っ取ったという前例がある。恵比寿屋の女中のおふじは、元は糀屋の主人の娘だったのだ。

このおふじがまた、ファーザーコンプレックスで、自分の父親が落ちぶれたのは、理不尽な裁きを下した与力のせいだと思っていて、それだけならいいが、いや、むしろ、気の毒だが、恋仲になった六助に、与力の手先になるのをやめさせようとする。それはちょっとひどい。六助の訴訟を審理した仁杉七右衛門は、おふじの家を没落させた与力とは全然、別人だ。仁杉七右衛門は評判の名与力で、審理の過程で六助の才能を見抜いて部下にしようと考え、六助もそれを喜んでいたのに。六助、こんな女とはわかれろ、と私は思ったが、この小説では、結局どうなったのか、判然としない。

ところで、大津屋は絹の実家でもあり、茂左衛門は、昔、そこの手代だった。実は、絹は喜兵衛と出会う前は、茂左衛門と相思相愛だった。それを喜兵衛が奪ったのだ。

私は、茂左衛門は、喜兵衛が絹を横取りしておきながら、彼女が年をとって病気になってから、妾を囲って疎んじていることに、怒っているのではないかと思った。喜兵衛は、物語の終盤になって、ようやく、そこに思い至る。やっと、自分がいかに冷たくて勝手だったかに気がついたか、と私は思った。

そんな喜兵衛の前に、疎遠になっていた息子の重吉が、姿を現わす。重吉は、人柄も頭も良いけれど、公事宿の主人には向いていないのを自覚して、家を出て、職人になって結婚して幸せな家庭を築いていた。その重吉が喜兵衛に、絹の実家が窮地に陥ったときに、助けの手を差し伸べないわけにいかないことを気づかせる。

そのとき、エゴイスト喜兵衛が、六十六部の姿を目に留める。物語の途中では、喜兵衛が昔剣術を習った師匠とその奥方の話が繰り返し出てきて、喜兵衛と絹と茂左衛門との関係を暗示しているように思われたのに比べて、最後の六十六部の登場は、やや唐突だと思う。

たとえば、ローレンス=ブロックの『八百万の死にざま』や藤沢周平の『消えた女~彫師伊之助捕物覚え~』では、最後の一行に、物語のすべてが収斂され、浄化されるような気分を味わうことができるのだが、この佐藤雅美の『恵比寿屋喜兵衛手控え』は、これもハードボイルド小説の一つと言えると思うのだが(リーガル・ハードボイルドとでもいうか)、前二者ほどには、最後の一行にカタルシスを味わうことができない。

とはいうものの、旅人を泊める宿の主人が、罪滅ぼしのために旅から旅を続ける六十六部に自らの姿を重ねた、という終わり方も、悪くはなかった。

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紙の本人魚の眠る家

2015/11/30 08:47

東野圭吾版『人魚姫』

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

アンデルセンの人魚姫はかわいそうだったけど、東野圭吾の人魚姫は幸せで、良かった。

この小説には、臓器移植法が、本人の事前の書面による意思表示を必須の要件としていた元の法律から、家族の同意だけで臓器提供できるように改正されたがゆえの、家族の苦悩が出てくる。小児の長期脳死や、脳死判定のむずかしさ、日本以外の国では脳死を死とする法的要件がもっと簡単なのにという医師の不満、ドナーが少なくて海外渡航移植に頼らざるを得ない移植待機患者の苦しみ、海外渡航移植のための募金活動、その募金活動への誹謗中傷、世界各国に海外渡航移植の自粛を呼びかけたイスタンブール宣言など、脳死と臓器移植に関するほとんどの問題が網羅されている。

しかし、それらは、危機に遭遇した親子の辿る心理サスペンスを描くための、素材である。あまりにうまく料理されているので、以前、臓器移植法改正の問題に強い関心を持っていた私としては、こういうテーマで、あまりうますぎる話を書いてくれるな、小説としてのおもしろみのせいで、テーマがぼやける、とさえ、思った。それは不当な不満であろう。作者は一つの奇跡を物語ったのだ。

水の事故で「脳死」となった少女瑞穂は、父親の播磨和昌が、身体の機能を補う機器の開発に携わる会社の社長だった御蔭で、最先端の技術を利用し、人工呼吸器をはずせるようになった。母親の薫子と祖母の千鶴子とが、瑞穂の介護を自宅でおこなう。機器の開発者のひとり、星野裕也も、訪問して筋肉の訓練をする。瑞穂は、筋肉が鍛えられて、薬剤の投与も少なく、肌つやも良く、車椅子にすわらせて貰って本を読み聞かせられたり、散歩に連れ出されたりするようになる。ある意味で、健康に、すくすくと育つ。

ところが、薫子が、口先ではともかく内心では星野裕也に、会社や恋人との関係を顧みることなく瑞穂に専念するように望むようになり、星野裕也も、瑞穂のために尽くせば薫子から神のように頼られることを心地良く感じて、耽溺していく。病的な事態だ。

そうなるのも無理もない状況もあるのだ。電気仕掛けで動かされる脳死の子供なんて死体を動かしているのと同じだ、グロテスクだ、親の自己満足だ、と言ったり考えたりする人々が、親族親戚にも知人隣人友人にも、いる。それに対して、理論武装もし、身構えもし、孤立感も高まらざるを得ない。

『人魚の眠る家』の後半は、どんどんサスペンスが盛り上がっていく。

第四章「本を読みにくる人」では、読み進むほどに、そんな気持ちで脳死の子供に本を読み聞かせに来ないで、こわいわ、人殺し、と叫びたくなる。ところが、最後までこの章を読むと、そんな単純なことではなかったとわかる。

第五章「この胸に刃をたてれば」では、途中まで、もう、薫子、やりすぎだ、異常だ、瑞穂の弟の生人(いくと)だって、いとこの若葉だって、かわいそうじゃないか、と思っていたのが、途中から、大逆転する。

娘の胸を包丁で刺せば私は殺人罪になりますか、なりませんか、殺人になるなら喜んでなります、今まで娘が生きていたことになるんですから、という薫子の叫びに、そうだ、そうだ!と、心から応援してしまう。

この章は子供たちが主役になって、一気にカタルシスを得る。

薫子も星野裕也も、最先端の科学技術という、現代の魔法の呪縛から解放された。

その後だ、瑞穂が<王子様>に出逢うのは。

瑞穂が薫子にわかれを告げに来た。薫子も、静かに受け入れることができた。それは、瑞穂を人魚のイメージでとらえた少年が、命の危機にさらされた時だったことは、瑞穂以外の誰も知らない。

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将軍様を甘やかしてはいけない

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

天明年間(1780年代)の田沼意次の失脚から、弘化年間(1840年代)の水野忠邦の失脚までの、約80年間を、松平越中守定信、松平伊豆守信明、水野出羽守忠成、水野越前守忠邦という、歴代の老中と将軍徳川家斉との関係を軸として描いた物語である。

歴代の老中のなかで家斉が、そしてなにより作者佐藤雅美が、最も愛した人物は、水野忠成である。『物書同心居眠り紋蔵』『縮尻鏡三郎』『半次捕物控』『八州廻り桑山十兵衛』のどのシリーズも、水野忠成が老中を務めた時代を舞台としている。その時代、文政年間こそ、徳川時代を通じて最も(上方ではなくて)「江戸」の都市文化が成熟し繁栄した。外食、出版、芸能など、現代のものに引けを取らないぐらい、利便性と多様性があったようだ。

一方、文政年間をはさんで、水野忠成が老中になるまでの30年間、松平定信が「寛政の改革」をおこない、後を継いだ松平信明が「寛政の遺老」として実権を握っていた時代と、水野忠成没後の、水野忠邦が「天保の改革」をおこなった時代とは、経済面では倹約・緊縮を、文化面では規制・統制がおこなわれ、江戸の景気は冷え込み、庶民の娯楽はしぼみ、特に水野忠邦の時代に失われた大江戸町人文化の輝きは二度と戻らなかった。

しかし、それは、水野忠邦だけの責任ではあるまい。実は水野忠成の時代、幕府は薩摩藩に長崎貿易に食い込むことを合法的に許可していた。そのため、幕府の長崎会所の収益が15万両も減ってしまった。その15万両は、徳川家斉の父一橋治済に「準大臣」の位を買った代償なのだ。その経緯は、『縮尻鏡三郎』でもおなじみである。

家斉は、松平定信と松平信明にいじめられたので、彼らが幕閣から消えたとき、水野忠成に、「贅沢をしたい。思いっきり羽根を伸ばしたい」と言ったのだという。それを、水野忠成は、増税ではなく、おもに貨幣の改鋳によって達成したので、諸大名への負担が増えることもなく、江戸の景気も良くなった。だが、大勢の家斉の子供をあちこちの大名に嫁入らせたり養子縁組したり、家斉の愛妾の親のために豪華な寺院を建築したりするたびに、巨額の支出を強いられた。水野忠成は、家斉の言うことを何でもはいはいときいていたわけではなくて、時には迷信に陥るのを諌めたこともあるのだが、それにしても、甘すぎた。もともと、家斉の小姓だったせいだろうか。その甘さが、ひいては、15万両の代償につながったのだ。

だいたい、松平定信と松平信明とは、家斉をいじめたと言えるのか。確かに、金魚鉢の大きいのを買わせなかったとか、せっかく作った築山盆池を壊させたとかいうのは、いじめだと思うけど、家斉の実父の一橋治済に大御所の尊号を贈るのを拒み通したというのは、別にいじめではないんじゃないの?一橋治済のほうがわがままで、それに動かされた家斉のほうが、将軍としての自覚に欠けていたんじゃないの?金魚鉢や築山盆池の一件だって、定信や信明の主観では、家斉を名君に育てるためにやってたんじゃないの?まあ、無意識下には、作者の指摘どおり、優秀な自分たちが将軍に身の程(劣った頭の程)を思い知らせてやりたい、という願望も働いていたと思うが。

作者は、松平定信や松平信明の、政治面外交面での業績を認めつつも、経済面では失敗とみなし、更に、彼らの人格面について、評価が辛い。水野忠邦の評価も同様だが、忠邦は、老中になる前、忠成とかなり深いつきあいがあったことが、詳しく述べられており、なかなか、おもしろい。あの『縮尻鏡三郎』が縮尻御家人になるきっかけとなった、大坂での大名旗本を巻き込んでの無尽の横行に、忠邦も関わっており、大塩平八郎もそれを知っていた。忠邦は日本国の執政になるという「青雲の志」を遂げるために、家来に無尽をさせてまで、忠成に贈る賄賂やおつきあいに要する、多額の費用を捻出していた。“老中は持ち廻り、金銀財宝廻り取り”と言われ、江戸時代は一貫して賄賂が横行していた。何も田沼意次や柳沢吉保だけではなかった。ま、もっとも、彼らの時代が極端にひどかったのは確からしいが、悪名高き彼ら自身が、他の老中に比べて強欲だったと言えるかどうかは、わからない。

司馬遼太郎の小説などとはまた違った視点なのがおもしろいが、外交面、国際関係に関する記述が少ない。大黒屋光太夫のこともモリソン号のことも出てこない。そういう話の好きな私にとっては、物足りない。「鎖国」の時代に「異国」に行った人々の存在こそ、いずれ日本は「開国」せざるを得なかったことを証明するものなのに。

これは、そもそも、徳川家斉が、異国に関心を持たなかったということなのだろうか。してみると、定信や信明が、金魚鉢や庭作りに執心することより天下海内に目を向けよ、と説教したのも、いじめではなく、国を思えばこその諌言として聴くべきだったのだ。化政文化が繁栄したのは徳川家斉と水野忠成の御蔭と言っていいが、繁栄がしぼむ原因を作ったのもまた、彼らだったと思う。

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紙の本聞き屋与平 江戸夜咄草

2010/12/26 14:59

聞き屋は秘密を漏らさない

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

誰にも言えない秘密を抱えているのは、私だけじゃないはずだ。人に知られたら、信頼や愛情や尊敬や、地位や名誉や財産を失ってしまう。それどころか、法の下に裁かれて、命さえも失うような秘密を、そっと抱え込んでいる。そして、ほんとうは、誰かに打ち明けたい。自分も同じだと言われて、お互い、よく耐えてきたとねぎらいあって、息をつきたい。

与平が聞き屋を始めたのは、結局、そういう願いがあったからじゃないのか。

両国広小路に間口十二間半の店を構える薬種商「仁寿堂」のご隠居の与平が、裏通りに机を出して、深編笠を被り、「聞き屋」という商売を始めた。一見、辻占のようだが、愚痴や、自慢話や、苦労話など、何でも人の話を聞くだけで、占いはしない。お代は一応決めてあるが、払えないときは次の機会でいいし、祝儀をはずまれれば遠慮なくいただく。

まるで、与平の心を見透かしたように、岡っ引きがまつわりついて、昔の罪の償いをしているのだろうと言い、探りを入れ、言葉尻を捕え、揚げ足をとり、聞き屋の稼ぎの上前をはねる。

なんて嫌な奴だ!

だいたい、この岡っ引きの、鯰の長兵衛は、与平にまとわりつかなくても、嫌な奴だ。たとえば、およしという、けなげな娘を、親が遊郭に売り飛ばそうとするのを仲立ちして、自分も儲けをむさぼろうとする。

うん、およし? 親に遊郭に売られる? 『髪結い伊三次捕物余話』にも似たような話があったな。髪結い伊三次は、およしの心を少しは明るくしてやれたものの、彼女を過酷な運命から救い出すことはできなかった。

聞き屋与平の客になったおよしも、同じような運命を辿るかと思われたが……。

与平には、鳶と火消しの頭(かしら)の源次という、力強い味方がいた。長男の藤助の妻おさくの父親である。

うん、鳶と火消しの頭(かしら)? 『無事、これ名馬』にも、そんな人がいたな。あっちは、「は組」の吉蔵。こっちは、「に組」の源次。まったくの別人だが、人情に篤くて頼りになるところは、同じである。

与平は源次の力を借りて、およしを、三男の富蔵が営む、八丁堀の表南茅場町の「仁寿堂」の出店に雇った。これでおよしは遊郭に売られずに済んだ。しかも、富蔵は、およしを気に入ってお嫁さんにしてしまう。もう、だいじょうぶ……かと思ったら、およしの母親のおまさが酒びたりになり、およしの弟や妹たちの世話もしなくなる。どこまでも娘の足を引っ張る親だ。およしやその弟妹たちを、こういう母親から守ってやりつつ、しかも、彼ら親子の縁を切らないようにしなければならない。これって、与平が、鯰の長兵衛に、しっぽをつかまれないようにしつつ、すっぱり追い払えない、いや、追い払わないのと、同じじゃないのかな。

与平は、長兵衛を追い払ってしまいたいと思っているけれど、でも、どこかで、彼のような存在を必要としているのではないのか。常に罪を暴こうとする者。繰り返し罪を思い出させる者。

与平の罪が、法で裁かれなければならないほどのものなのか、私には、判然としない。過去のそのとき、与平がどんな決断を下そうと、結果は変わらなかっただろうと思う。だが、道義的な罪はある。というよりも、それを道義的な罪だと認めることこそ、与平が良心を保っている証しではないのか。もしそこに、道義的な罪さえもないとして、完全に忘れ去ってしまったなら、与平は、たとえどんなに世間の評判が良くとも財産をふやそうとも、人としては、どんどんと落ちていってしまっただろう。

与平の父の平吉は、かつて、仁寿堂の番頭だった。主人の死後、つぶれかけた店を、お内儀のおうのから譲り受けて建て直し、女中のおせきを与平の嫁にして、夫婦仲がいいのを見届けて亡くなった。

おうのは仁寿堂と縁を切って再婚していた。しかし、与平が隠居してから、おせきを羨み与平を恨み、鯰の長兵衛をせきたてる。彼女は与平と対照的に人間として堕落していった。どうしてそこまで落ちぶれたのかと思う。

おせきは、平吉から与平を頼むと遺言されたことを、与平が寄る年波に負けて弱ってくるまで黙っていた。そのほうがかえって、与平のために良かったのだ。へたに罪の意識を共有して、世間に向かって秘密を守ろうと構えてしまうと、ふたり一緒に、道義的に堕落してしまったかもしれない。与平がひとりで重荷を背負いぬこうとするのを、黙って寄り添って見守り、老いて衰えてきたときに初めて手を差し出す、そういうありかたが、一番、良かったのだろう。

与平の死後、おせきが聞き屋を受け継ぐ。まさかそうなるとは、私は思わなかった。だが、よく考えてみると、彼女のほうが聞き屋にふさわしいのかもしれない。自分が知りえた秘密を守り通すという点で、彼女ほど頼りになる人物はいないではないか。

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遠くの同民族より近くの他民族のほうが母方の親戚が多い?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この『日本人になった祖先たち~DNAから解明するその多元的構造~』を読もうと思ったのは、ジャーナリストの神保哲生氏が主宰する、ビデオニュース・ドットコム「マル激トーク・オン・ディマンド 第562回(2012年01月21日)~われわれはどこから来て、どこへ向かうのか~」で、著者の篠田謙一氏(国立科学博物館人類史研究グループ長)の話を聞いたからだ。

わかりやすい図を幾つも駆使して、人類の歴史を説明してくれたのが、とてもおもしろかった。

人類の祖先が猿の祖先と別れたのが、100万年ぐらい前のアフリカ。それから、猿もどんどんいろんな細かい種に分かれて行ったように、人間も、幾つかの新しい下位の種に分かれて行って、世界中に、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人などが暮らすようになった。それらも全部、アフリカから、分かれて、出て行ったものだ。そして、最後に、現在の私たちの祖先である現生人類が、20万年ぐらい前にアフリカで生まれた。

20万年ぐらい前にアフリカで、それ以前の古い種の人類から分かれて誕生した新しい人類は、どんどんふえて、10万年ぐらい前になると、アフリカの外に、出て行った。そして、だんだんと、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人などにとってかわって、世界中に暮らすようになったが、その過程では、ネアンデルタール人との混血も、おこなわれたらしい。

アフリカを出た人類が、アラビアやトルコなどの西アジアから、インド、ヨーロッパ、中央アジア、東南アジア、オーストラリア、東アジア、北アジア、そして、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、そしてそして、南太平洋諸島、ニュージーランドと、広がって行く、その時間差が、なかなか、おもしろい。南太平洋諸島やニュージーランドに人類が住み着いたのは、3000年前から1000年前の期間である。日本列島に人類が住み着いたときよりも、新しいのである。というのも、そういう小さな島では、狩猟採集だけでは人口を維持できず、農業が必要だったからだという。

最初にアフリカを出るとき、舟が必要だった。ということは、アフリカを出る前から、もう、川や湖で舟を利用していたのではないか?と、私は、想像する。100年ぐらい、つまり、5世代ぐらい、舟を作ったり使ったりする技術を継承して、すっかり定着してから、今度は、海を渡ることを考えたのじゃないか? もっとたくさんの食べ物を手に入れるため、だろうか? そして、アフリカからアラビア半島に渡ったばかりのときも、やっぱり、100年ぐらい、つまり、5世代ぐらい、その辺でうろうろしていて、ある程度、人口がふえてから、ほなまたいきまひょか、という感じで出かける、というようなことを繰り返して、広がって行ったんじゃないか、と、私は、想像して楽しんでいる。

なぜ、アフリカを出たのか、という理由については、今のところ、人によっていろいろな説を述べていて、その人の人間観が表われていると、「マル激トーク・オン・ディマンド」で篠田謙一氏は語っていた。まだこれといった定説はないらしい。

日本列島に人類が住み着いたのは、4万年前から3万年前ぐらいだという。そして、日本列島と、朝鮮半島と、中国東北部の、人々のミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成は、たいへん、似ているという。中国東北部の漢民族は、中国南部の漢民族よりも、日本や朝鮮の人と、ミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成が似ているのだ。

これは、世界中で共通している現象で、どこでも、言語や民族が共通でも距離が離れているところの人々同士よりも、地域が隣接している人々同士のほうが、言語や民族が異なっていても、ミトコンドリアに含まれる遺伝子の組成は似ている。ミトコンドリアの遺伝子は、母から娘へと、母系で伝わる。

では、父から息子へと父系で伝わる、Y染色体遺伝子でみるとどうか、というと、人類の祖先がアフリカから出発して世界中に広がって行った、という経路は、ほぼ、ミトコンドリアの場合と重なっているが、まったく同じではない。そこがまた、おもしろい。この違いは、男性と女性の、子供の残し方の違いに原因があるらしい。女性は一年に一人しか子供を産めないが、男性は同時に何人もの子供を産ませることができる。というわけで、ある時期に、突然、大勢の息子や娘を持ち、息子たちにY染色体遺伝子を継がせることも可能なのだ。更に、文明が発達して来ると、男性だけの集団で移動することも多くなる。私は、航海や漂流なども遺伝子の拡散に影響があると思うが、その場合、Y染色体遺伝子だけが遠くへ運ばれるということもあるわけだ。

本書の後半は、縄文時代や弥生時代の遺跡から発掘された人骨のDNA解析を中心に、人類史のなかでも特に日本人に焦点を当てて述べられている。本書の特徴は、全体に、図表が多いことで、私は、すべてにしおりをはさんで、何度も読み返したが、ビデオニュースで見たときと比べて、わかりにくく、ちょっとむずかしかった。グラフがモノクロなので読み取りにくいせいもある。

そこで、インターネットで調べてみると、本書に載っていた図表をもとに、色づけしたり、地形図などと関連付けて、わかりやすくして見せているサイトが、幾つも見つかった。

それはいいのだが、いろいろなサイトの解説を読んでいると、かえって、混乱してしまった。というのも、縄文時代というもののとらえかたが、なんだか、本書のニュアンスと異なるからなのだ。

本書には、次のような文章がある。

>DNAの相同検索の結果を見る限り、朝鮮半島にも古い時代から縄文人と同じDNAを持つ人が住んでいたと考える方が自然です。考古学的な証拠からも、縄文時代の朝鮮半島と日本の間の交流が示されています。縄文時代、朝鮮半島の南部には日本の縄文人と同じ姿形をし、同じDNAを持つ人々が住んでいたのではないでしょうか。玄界灘の沿岸にある支石墓に眠る人たちは、朝鮮半島から渡来した縄文人と同じ姿形をした人々だったのではないでしょうか。
(「第八章 日本人になった祖先たち~朝鮮半島に縄文人はいたのか~」)

上記のように、「朝鮮半島から渡来した縄文人」と、本書には、書いてある。しかし、幾つかのサイトでは、縄文人が朝鮮半島に進出していた、と書いている。そりゃまあ、日本列島と朝鮮半島で、行ったり来たりしていただろうから、お互い、進出し合っていたと思うけど、どうも、ニュアンスが違う。つまり、それが、中国南部から日本列島に稲作が伝わり、それから朝鮮半島へと伝わった、という説へとつながり、朝鮮半島から渡来した弥生人が日本列島に稲作を伝えたのではない、というふうに、結論づけているものがあるのだが、そこまで言い切れるのだろうか。私には、稲作の伝播についても、朝鮮半島由来も、南方由来も、両方あるように思えるのだが。

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紙の本忘れ形見

2011/03/31 14:20

江戸時代の医者への興味倍増!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

これは、小説自体もおもしろいが、文庫版あとがきで、さらに、江戸時代の医者に興味をかきたてられた。

「膨大な治療の記録から産声をあげた有安先生」によれば、小説に登場する、

顔、両手、両足、腹、全身のいたるところがぶよぶよと膨れ上がって本来の顔がいったいどんな顔だったのかわからないほどになっており、腹にたまった膿を取り除くために鍼を刺すと、天井まで膿が噴き上がって跳ねて滴って部屋中を汚し、それを何度も繰り返し、一日では膿を出し切れないので、傷口がふさがらないように筒状のものを差し込んでおいて、同じ治療を数日間続けた、

という事例も、

麩を食べ過ぎて腹が張ってぐったりしているので、胃をきれいにする薬を食べさせると、しばらくして、出すわ、出すわ、一尺ほどの驚く長さの糞を時間をかけてやり遂げたと思うや、元気に泳ぎ始めた、

という金魚の治療も、

江戸時代の医者が記録に残しているという。あらゆる医者のあらゆる記録が現存し、それらをまとめた本は百冊を超えるそうだ。すばらしい!

有安先生は、金持ちが多額の謝礼を出してくれるときには遠慮なく貰うが、貧乏人が支払いに困っているときには待ってやるという、人情派の医者である。しかし、彼には秘密がある。一人娘のお雪は、彼が手にかけて殺した人の娘で、いつかは真実を打ち明けて、もしもお雪が親の仇を討ちたいと思ったら、そのときには討たれるつもりで、剣術を習わせていた。

ところが……、お雪は、十五歳になっても、髷も結わずに髪は一つに高く結び、稽古用の袴を着けて高下駄で闊歩し、料理裁縫はまるでだめ、優しさだけはたっぷりあるのであれこれ手を出しては珍妙なものをこしらえて周囲を辟易させ、恋とか愛とかましてや結婚とか、どこ吹く風、明るく元気で天真爛漫、なのでどうしても日常が、コメディタッチになってしまう。

定町廻り同心の堀田兵介とか、道場主清水進之丞の息子の亀五郎とか、若くてハンサムで強くて頭が良くて性格も良い、剣術の兄弟子ふたりが、お雪のことを妹のようにかわいがって憎まれ口をきいたり励ましたり、特に兵介は本気で嫁に欲しがっているみたいなのに……兵介の小者を務める健太とか、お雪が可愛くてほんとは手放したくない有安とかが、やきもきするばっかりだ。

布袋さんのような各務孫衛門は隣家の主人で家主で有安の碁敵で、かつ、お財布がわり、その妹という触れ込みだが謎めいた色っぽいお多賀さんも、気さくで親切で料理上手で、何かと助けてくれる。だから、有安が、患者のために治療以外のことまで面倒を背負い込んでも、なんとか、やっていけるのだ。言ってみれば、有安一家と隣家とが力を合わせて、医者とケースワーカーと両方の仕事をこなしているようなものだ。貧しくてからだが弱い人の場合、特にこの、ケースワーカー的な援助が必須で重要だと思う。

ほんとうはさる藩の非常に高い家柄の子息の司郎が、わけあって浪人して、有安の弟子となり、まだ十七歳なのに、幼いお美知を引き取って育てる。まるで有安がお雪を育てているのと同じような……ただ、ちょっと、違うところもあるが。

金魚の金ちゃんを盥に入れて飛び込んでくる、八歳の小坊主の珍敦がかわいい。さる事件に巻き込まれて、有安が、珍敦のいる法願寺の前で襲われ、たまたま門から飛び出してきた珍敦に、こっちへ来ちゃ駄目だ、と有安が叫ぶと、

>飛び上がり、子鼠が巣穴に隠れるような素早さで、門の中へ消えた。

というくだりなんか、目に見えるようだ。

藪医者への復讐、不義密通、などの深刻な事件と、「この薬を七日間、御用いて遊びそうらえば、いかほど弱き男根なりとも、精力を増し(後略)」「大人の儀式を済ませた江戸っ子なら、ほぼ全員が知っている秘薬」を巡っての有安の周章狼狽とか、ユーモラスな騒動との塩梅が絶妙で、楽しい。文章も上手なのが、うれしい。

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紙の本ほおずき地獄

2010/11/20 16:23

ヒーローはリアリスト

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なにがおもしろいかって、玉島千蔭のお見合いに、水木巴之丞が乱入する場面だ。正燈寺の紅葉狩りに来た、千蔭と千次郎、彼らが奉行所で世話になっている青野籐右衛門とその姪のお駒、そして、千蔭ゆくところ必ずついてゆく小者の八十吉と、青野家の中間。そこへ現われた巴之丞、あでやかな姿で、つややかな声を千蔭にかけて、あまつさえ、千蔭の胸に手を当てて、

> 「最近、お見限りではございませんか」

千蔭以外、皆、鳩が豆鉄砲を食らったような顔。千蔭はまだ、ことの重大さがわかっていない。

> 「こんなところで、可愛らしい娘さんと会うてらっしゃるなんて、憎らしい人やなあ」
> 手をそっと、千蔭の袖の中に忍ばせる。

ここに到ってやっと千蔭にも、ことの重大さがわかったが、そのときにはもう、青野籐右衛門が真っ青になって、お駒に「帰るぞ!」と怒鳴って、手を引いて行く、お駒は振り返り振り返り引き摺られていく。

おかしくて、おかしくて。

この、千蔭のお見合い話と、吉原の幽霊騒動とが、同時進行で語られる。幽霊は消えるとき、遊女が着る赤い襦袢の生地の縮緬で作ったほおずきを残す。千蔭もそれを手に入れた。

千蔭は、幽霊とは人の心が生みだしたものだという。巴之丞もそれに賛成し、だからこそ狂言になるんだという。

ふたりはこの認識で一致して、やがて別々に同時に、幽霊騒動の謎を解く。前の『巴之丞鹿の子』でもそうだったが、南町奉行所同心玉島千蔭は、その優れた頭脳で、犯人を割り出すところまでは行く。その先は、巴之丞が仕掛ける狂言によって、真犯人が自ら心の中を曝け出して罪をあからさまにするようにもっていくのである。

この近藤史恵の『猿若町捕物帳』シリーズの水木巴之丞は、京極夏彦の『巷説百物語』シリーズの御行の又市、またの名を小股潜りの又市と、よく似た感じのヒーローである。まずふたりとも、ハンサムである。それから、走るのは早いが、力は弱い。武闘派ではなく、頭脳派である。そして何よりも、彼らの徹底したリアリズム、現実認識、合理主義と、それに基づく仕掛け、狂言の巧みさである。

水木巴之丞は、『巴之丞鹿の子』の冒頭の会話で、

> 「芝居はただの芝居。全部うそごとや」

と言い切っている。

『巷説百物語』の御行の又市もまた、魔除けの札を巻くことを生業としていながら、この世に神も仏もなく、幽霊も妖怪もいないと言い切っている。

それでいてこそ、彼らは、自在に、幽霊を出し妖怪を操り、人が心の奥に秘めた想いや罪を露わにさせることができるのである。

ちなみに、『猿若町捕物帳』も『巷説百物語』も天保時代の物語である。

『ほおずき地獄』では、冒頭に、少女の独白が置かれている。この少女、お玉は、格子のある部屋のなかにいる。彼女の独白は何度も出てきて、物語の中程で、火事で火の粉と煙に巻かれるまで続く。幽霊騒動の続く吉原では、お玉を屋根裏部屋に閉じ込めて縄でぐるぐる巻きにして、火事が起こった時に見捨てて逃げた夫婦が、惨殺される。

だが、吉原が火事になったのは、五年前なのだ。なぜ五年もたってから化けて出るのか?

一方、吉原の外では、両国橋のあたりに、「花子」という名の、白髪の夜鷹が出没して、それなりに客もついているという。

花子は、物語の終盤で語り唄う。

> 「こうして、ここに立っていれば、風は心地いいし、月はきれいだ。明日になれば、あたたかいお天道様は出るし、雨の音を聞きながら眠るのも気持ちいいものだ」

> 「我も五障の雲晴れて、真如の月を眺め明かさん」

ものすごく残酷な物語、絶望と裏切りの物語が繰り広げられていたのに、一方では、許しと感謝、知恵と自由とが謳いあげられていた。それは、役者が演じる狂言ではなく、まことの人生の場で語られた。

円空や木喰といった人たちと似たような心境なのかしらんと思う。でも、私は、だいじょうぶかしら、ひどい病気になったりしてつらいことになるんじゃないかしら、と余計な心配をしてしまう。美しい終わり方の、寂しく、こわい物語だった。

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紙の本深川駕籠 時代小説

2010/11/17 13:38

江戸シティマラソン、泳げ新太郎、走れ尚平

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なにこの、映画「トランスポーター」+東京シティマラソン(トライアスロン?アクアスロン?)+箱根駅伝+『走れメロス』(太宰治著)みたいな話は。

主要登場人物が、現代のスポーツみたいなことをするたんびに、笑ってしまう。

> 素肌に茶縦縞の木綿一枚、……(中略)……その縞木綿を尻端折りにして、さらにたすきがけだ。帯には足袋が一足挟まっている。……(中略)……手足をぶらぶらと振り、目一杯の伸びをくれてから、首をぐるぐる回した。身体をほぐし、気合を充たしたところで山門を出た。

これは纏持ちの源次が、入谷の鬼子母神から飛び出す場面である。鳶の親分の辰蔵が、深川の駕籠舁きの新太郎と尚平に、約束の刻限までにお客を送り届けることができれば十両の祝儀を出すが、できなければ髷を切らせる、との賭けをした。源次は見届け人として、駕籠舁きたちの後から出発する。行き先は雑司が谷の鬼子母神、距離は約12km、男一人を乗せて二人が担ぐ駕籠は正午を過ぎて出発、到着予定時刻は午後2時。

駕籠舁きたちは出発する前に、棒で地面に図を書いて延々と走行手順を協議し、お客をいらいらさせる。しかしこれこそプロの証しであると、辰蔵親分は見抜き、源次に、油断するな、と忠告する。

駕籠舁きたちの、一見、のんきなようすは、読んでいても、いらいらするやら、おかしいやら。そして、やっと、打ち合わせが終ると、びゅん!とばかりに、出発する。道のりは、山あり谷あり、上り坂下り坂、雪に、人の波、山門の石段、そして、千住の駕籠舁きによる妨害。そのうえ、ゴール寸前に、火事まで起こる。元は臥煙だった新太郎と、纏持ちの源次は、消火にすっとんでいき、尚平も協力。お客の立場は……もうすぐ刻限の鐘が鳴るよ……

まあ、この話で、新太郎と尚平のふたりと、源次や辰蔵親分とが、知り合いになり、以前からもめていた千住の駕籠舁きとは、更に激しく鎬を削る間柄になるわけだが。

いちいち、賭けにしなくてもよさそうなものだが、新太郎と尚平とは、なぜか、そういうめぐりあわせらしい。ある時は駕籠を担いで、ある時は新太郎ひとりで、またある時は尚平ひとりで。またあるときは猪牙舟と競争で、駕籠がこわれそうになるくらい重い力士を乗せて。またあるときは、元は力士だった尚平が相撲を取ることも。

年末、新太郎、源次、飛脚の勘助、千住の駕籠舁きの寅が、大江戸シティマラソン(トライアスロン?アクアスロン?)に出場することになる。松平定信の寛政の改革が始まってすっかり不景気になってしまった街を盛り上げるため、深川の肝煎りたちと辰蔵親分と今戸の芳三郎親分とが主催して、単勝札連勝札を売り出すのだ。当日は、あの損料屋の喜八郎(この年はまだ天明七年なので江戸屋の秀弥とは知り合っていない)が、大型の餅つきの道具を運び込んできて、札を買う列にも並ぶ。

警備には辰蔵と芳三郎の子分たちが当たる。この、大江戸シティマラソン(トライアスロン?アクアスロン?)の手配りがまた、いかにも現代の競技大会みたいでおもしろい。選手たちは色違いの鉢巻を結び、折り返し地点で走りながら復路の鉢巻を受取らなければならない。走路の要所要所には立会人がいて、順番を見届ける。競技は、走り、大川に飛び込んでの泳ぎ、そしてまた、走り、である。スタート地点で、飛脚の勘助の幼い息子が、「ちゃんが一番だからねええ!」と大応援。駕籠舁きの新太郎は息杖を持ち、勘助は挟み箱を持って、いつものように拍子を取って走る。そうしないと走りにくいらしい。大店の並ぶ尾張町大路には人の波あり、テレビもインターネットもないこの時代、誰もシティマラソンのことなんか知らず、ただ、走る男たちの姿に唖然とするのみ。橋は太鼓橋で急な上りと下りあり、大工とすれ違い様に道具箱が落ち、揉めそうになる。

寒中での水泳は危険が伴う。それを口実に、奉行所同心が手下に命じて妨害行為を仕掛けてくる。役人がお役目を笠に着て嫌がらせをするのはやくざ以上にやっかいだ。

シティマラソン(トライアスロン?アクアスロン?)は大盛り上がりで大成功、あの損料屋の喜八郎は単勝札が大当たりでほくほく、相場を読むのがうまいだけじゃなかったのか。

この小説の見所の一つは、競走しているときに選手たちが眼にする景色である。品川の海と砂浜に並ぶ干し網、真ん丸な朝陽……。新太郎たちと一緒に視ることができるのが楽しい。

年が明けてから、シティマラソンの妨害を妨害された、奉行所同心が、仕返しに来る。新太郎が無実の罪で連行され、尚平は、冤罪を晴らすためにまた、賭けをするはめに。今度の走路は、もろに、箱根駅伝の花の2区である。まさに、走れメロスである。ふたりの間には、美しく優しく賢いおゆきさんをめぐって恋の競争もあったけど、男の友情は何よりも強かった。

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紙の本あかね空

2010/11/09 15:27

家族を外から支えているもの

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文章が美しい。同じ作者の他の作品と比べても、この作品の文章は一段と味わい深い。他の作品だと、あまりにも一流の職人とか一流の商人とかにこだわりすぎて鼻に付くことがあるのだが、この作品にはそれがなかった。すべての登場人物の喜怒哀楽がきっちりと描かれていて、人間らしさを感じた。それは快感と同時に苦痛を感じるほどだった。

魅力的なヒロインであったおふみが、愚かで子供を苦しめる母親になってしまったこと、母親の歪んだ愛情の注ぎ方のせいで、本来、仲良く育つことができたであろう三人の子供たちの間に、溝が出来てしまったこと、母親に一番可愛がられた長男が、その甘やかしのせいで、だめな男になること、この愚かな母親が更に次男の嫁をいじめること、それはもう、一行読むごとに、苦痛を感じずにはいられない。

どんなに深い理由があろうとも、どんなに無理もない事情があろうとも、児童虐待をしてはいけない、たとえば、子供を間引くのよりはましだろうとか、女郎屋に売り払うよりもましだろうとかいうことは、言い訳以前のことだ、たとえ、江戸時代であっても。と、私は、声を大にして叫びたい。たとえ心の底にはどんなに深い愛情があったとしても、だからって上辺は意地悪に振る舞ってもいいってもんじゃない、上辺の優しさも両方とも大切だよ、とも、言いたい。

そんなことわかっていても、自分ではどうにもできないままに、死を迎える、おふみ。そのとき、家族の絆を結び直す力が、外から働きかけてくる。

物語は、同じ作者の『まとい大名』の舞台だった徳川吉宗の治世の次の時代から、『かんじき飛脚』の舞台となる松平定信の寛政の改革の頃までの数十年間に亘る。天明の大飢饉があり、棄捐令がある。それらも主人公たちの人生に影響を与えるが、それ以上に、主人公たちに深い関わりを持つ老夫婦の存在が、強く胸を打つ。

永代寺門前の豆腐屋相州屋の主人が死ぬ場面で、私は泣いた。年老いた夫の手を、同じく年老いた妻が握り、声をかける。閉じた眼が、うっすらと、開く。何度か繰り返し、もう、眼が開かなくなっても、妻が声をかけると、少し力を入れて手を握り返してきた。だが、最後には、もう、何も返ってこなくなった。妻はまだ手を握っていた。

雨戸を閉じた相州屋の外を、若い豆腐屋の祝言の行列が通り過ぎていく。上方から来て、上方の豆腐を作って売り始めた定吉と、定吉の豆腐が深川の人々に受け入れられるまで支え続けた、おふみ。彼らを暖かく見守ってきた長屋の人々。相州屋の年老いたお内儀は、明り取りの窓を開けて、行列をのぞいた。心からの喜びでいっぱいになって、そして、悲しみでいっぱいになって、泣き崩れて。

長い物語の中程で、私は、「あっ」と、声を出して驚いた。あっ、この人は……!と、この物語を貫く仕掛けと、登場人物たちが結び合っている不思議な縁を想った。その後、読み進む間の興味の半分は、常にそのことにあって、最後にはすべてが明るみに出るのだろうか、と気になって仕方がなかった。だが、終わりが近づくに従って、だけどこれですべてがわかって大団円になったら、まるで、歌舞伎だよなあ、と思った。歌舞伎も好きだが、この小説にはそれは似合わない。そして、それで良かったのか悪かったのかわからないが、結局、歌舞伎のような大団円には、至らなかった。

それでも、最後までおもしろかった。定吉とおふみの子供たち、栄太郎、悟郎、おきみ、彼らひとりひとりの幼い心に、どんな悲しみや傷が残されたか、そしてまた、悟郎とその嫁に来るおすみとの間にも、幼い頃から、どんな深い絆があったかが語り尽くされる。

読者の方にはわかっても、登場人物たちにとっては、すべてが明るみに出るわけではない。それでも、物事は落ち着くところに落ち着いて、何度も引き裂けそうになってきた家族の絆がしっかりと結び直され、溝を埋めることができた。それで私は、ますます、縁の不思議さを想った。実際、縁というものは、そういうものだろうとも、思った。何か、ありがたいような気もした。それは物語だから、そんなふうにうまく運んだんだ、と言えばそれまでだけど。

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紙の本ロング・グッドバイ

2015/11/19 23:18

チャンドラー研究の良書

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

村上春樹訳『ロング・グッドバイ』は、翻訳小説の部分と訳者のあとがきの部分とを合わせて、レイモンド・チャンドラー研究の良書だと思う。
 翻訳小説だけで見れば、私にとっては、清水俊二訳の『長いお別れ』のほうが、親しみやすく、読みやすく、リズムが良くて、愛着が湧く。
 もっとも、一つ一つの単語については、私が親近感を持つ清水訳が、他の人にとっては違和感を持つ場合も多いと思う。
 たとえば、早朝五時に尋ねてきたテリー・レノックスにフィリップ・マーロウがコーヒーを淹れる時、清水訳では<コーヒーわかし>と書き、村上訳では<コーヒーメーカー>と書く。私もコーヒーメーカーという言葉を聞きなれてはいるが、それでもなお、<コーヒーわかし>のほうに、親しみやすさに加えて懐かしさを感じる。
 あるいはまた、マーロウが金持ち専用の興信所カーン機関に行った時、村上訳では、カーン大佐は元<憲兵>だったと書いてあるが、清水訳では<MP>だったと書いてある。日本にMPがいたのは私が生まれる前のことだが、親がMPという言葉を使うのを聞いたことがあり、その言葉に伴う雰囲気が印象に残っている。
 一方、マーロウがやくざのメネンデスに向かって、テリーがおまえに援助を求めなかったのは当然だ、なぜなら、清水訳では<パンパンから金を借りるようなもんだから>、村上訳では<娼婦から小遣いをもらうようなものだから>と言っている。これは村上訳のほうがよい。なぜなら、<パンパン>とは駐留米軍の相手をした日本女性を指した言葉で、マーロウが住んでいた街には存在しなかったものだから。
 日本に<MP>や<パンパン>がいたのは、『長いお別れ』とほぼ同じ時代だ。村上春樹は私より十歳近く上で私と同じ関西出身なので、おとなが<MP>や<パンパン>と言う時の関西弁のイントネーションや雰囲気を知っているはずだが、いわば、もはや戦後ではない、ので、『ロング・グッドバイ』では、<憲兵><娼婦>という、より普遍的な(?)言葉を使ったのだろう。
 しかし、一つ一つの訳語の選び方にとどまらず、文章全体の流れとして、私にとっては、清水訳のほうが、優しく美しくなめらかに感じるのである。
 私は村上春樹の小説が好きで、大いに期待して『ロング・グッドバイ』を読んだのだが、期待しすぎてしまったようだ。
 ただ、50ページに及ぶ<訳者あとがき 準古典小説としての『ロング・グッドバイ』>は、とてもよい。チャンドラー小説への思い入れ、彼の生涯、作品の時代背景など、懇切丁寧である。特に警察組織の解説はありがたかった。これを読んでからもう一回、マーロウものを読み直すと、登場人物についての混乱が収まった。スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』と『ロング・グッドバイ』との比較は圧巻である。また、赤狩りへの言及も重要だ。村上春樹はダシール・ハメットが密告を拒んで投獄されたことに触れている。それは、『ロング・グッドバイ』出版の2年前であり、マーロウが、友達のために留置場に入れられたと複数の人物から称賛されているのは、ハメットへのチャンドラーの思いがこめられているのかと、私は思った。
 猫を愛することは文章を書くことと並んでチャンドラーの「ネイチャー」だったと、村上は書いているが、猫への愛については、清水による『長いお別れ』のあとがきのほうが詳しい。清水も作品への愛や時代背景に触れ、映画化作品を紹介し、異例の長いあとがきとなったと述べているのがおもしろい。

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紙の本漢文と東アジア 訓読の文化圏

2012/06/17 16:30

日本の時代小説や韓国の歴史ドラマをより深く楽しめる

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韓国ドラマ「海神」によって、チャンボゴの存在を知った私は、インターネットで検索して、日本から唐へ留学する僧が彼に世話になったことも知って感激していたが、実は、チャンボゴ以前から、多くの日本人が新羅の船に乗って唐へ渡っていたことが、この金文京の著書でわかって、ますます、感激した。

新羅から日本へ来た僧侶や、日本から新羅へ留学した僧侶も多い。もちろん新羅から唐へ行った人もおおぜいいるし、そのなかには、インドの言葉で書かれている仏典を唐の言葉に翻訳する事業に参加した人もいるらしい。また、インドまで行った新羅のお坊さんもいるということだ。直接、インドや中国の言葉に接する機会は、やはり、朝鮮半島の人びとが、日本列島の人々よりも、一日の長がある。

そして、日本でも新羅でも、漢文に翻訳される前のインドの経典の言葉は、日本語・朝鮮語と語順が同じである、ということに、両国の僧侶たちは気づいていた。両国とも、仏典を自国の語順で読めるようにする訓読記号が工夫された。

日本では、そこから仮名文字が派生し、万葉仮名も工夫され、やがて自然発生的に、カタカナ・ひらがなができあがって、特に、ひらがなを使う文書が、時代を経るにしたがって、どんどん、ふえていった。室町時代には既に日本の識字率は高かったということが、網野善彦の著書に述べられている。

日本では仮名文字に比較して漢文そのものは、長い間、一部の知識層に限られていたが、それでもだんだんと普及していき、漢学が最も盛んになったのは江戸時代末期であったという。そういえば、葉室麟の小説に出て来た原さいひん(「さい」は「彩」の左側、「ひん」はくさかんむりに頻)などの女流詩人が輩出するのも、江戸時代後半から末期にかけてだ。

日本・朝鮮・中国の知識人は、お互いの口語は通訳を使わないとわからなくても、文書は、漢文によって意味を通じることができた。その習慣は19世紀まで続いた。

一方、日本の仮名文字に対応するような、中国周辺諸国それぞれの独自の文字は、自然発生的ではなく、国家事業として創製された。

韓国ドラマ「大王世宗」で、朝鮮の言葉を表わす文字を創るために、中国の言語学の書物を輸入したり、各国の言語を研究するために学者を派遣したりしていたが、そもそも、中国で言語学が発達したのも、周辺諸民族との交渉があり、移民もあり、元のような漢民族以外の王朝も建てられたりしたからであろう。

その、漢民族以外の周辺諸民族は、10世紀から15世紀にかけて、大唐帝国が滅んだあと、民族的自覚が高まって次々と王朝を建て、その草創期に文字創製事業をおこなったのだった。

10世紀に、契丹人が、漢字を模倣した表意文字と、ウイグル文字などを参考にした表音文字を創り、
11世紀に、チベット系のタングート人の西夏王朝が、漢字にならって西夏文字を創り、
12世紀に、遼を滅ぼした女真人の金朝が契丹文字にならって女真文字を創り、
13世紀に、金を滅ぼしたモンゴル人の元朝がチベット文字からパスパ文字を創り、
そして、15世紀に、朝鮮王朝が、訓民正音すなわちハングルを創った。現在でも使われているのはハングルだけである。

朝鮮・日本、ベトナムなどの漢文訓読の歴史が述べられているのはおもしろいが、ただ一つ残念なのは、琉球の漢文訓読について述べられていないことだ。NHKのドラマ「テンペスト」で見ていると、琉球の役人は漢文を使っている。だが、「おもろそうし」というひらがなの書物もある国だ。是非、金文京氏には、続編として、琉球の漢文訓読についても著わしていただきたい。

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紙の本おろしや国酔夢譚

2012/02/18 18:46

『おろしや国酔夢譚』は冬に読むがいい

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まず、寒さである。大黒屋光太夫と16人の船乗りが漂着した、アレウト(アリューシャン)列島のアムチトカ島でも、そこからロシア人たちと船を仕立ててたどりついたカムチャツカ半島東岸の町ニジネカムチャツクでも、そこから陸路で横断して西岸から渡航したオホーツクでも、更にそこからずっと内陸の、世界中で一番寒い町ヤクーツクでも、そして、ヤクーツクからずっと西南の、清との国境に近い、バイカル湖南岸の町イルクーツクでも、冬は地面が凍って墓穴が掘れない。

16人の船乗りは、アムチトカ島漂着寸前に1人死に、アムチトカ島で一年目に6人死に、二年目にまた1人死に、ニジネカムチャツクで冬に町全体が食料不足に陥り、それまで牛乳・牛肉を拒否していた光太夫たちも受け入れるようになるが、その冬はなんとかしのいだのに、結局、壊血病でまた3人死に、ヤクーツクからイルクーツクへ向かう途中で、庄蔵が凍傷にかかり、イルクーツクで悪化して片脚を失い、ために彼はロシア正教に改宗し、イルクーツクで三年目にまた1人死に、ロシア女性と恋仲になった新蔵がロシア正教に改宗し、大黒屋光太夫1+{16-(1+6+1+3+1)-2}=3人で日本に帰って来たが根室でまた1人死に、結局、光太夫と磯吉の2人だけが、漂流してから十年目に生きて江戸まで戻り、そこで七十余歳と六十余歳まで生きた。漂流したときは三十歳代と二十歳代だった。

亡くなった人々は、皆が冬に命を落としたわけではないが、彼らの気力体力を萎えさせた大きな原因に、北緯50度の気候があったのは間違いない。

作者の井上靖の死後に研究が進んだ分子人類学によれば、日本人の祖先は多様な地域から列島に流れ込んで構成されており、なかにはバイカル湖あたりから来た人々もいるそうだが、その人々は寒さに強い遺伝子を持っているのに、南方から来た人々は寒さに弱い遺伝子しか持っていない。そういう違いが、大黒屋光太夫の一行にも、あったのかもしれない。

光太夫は、ヤクーツクからイルクーツクへ移動するとき、自分を含めてここまで生き残った6人は、もうめったなことでは死ぬまい、と考えた。それだけの気力体力知力を持っていると考えた。この6人は確かにそれだけの強い個性を持って描かれている。読んでいるうちに、私は、ある懐かしさを覚えた。それというのも、私は、高校生の頃、井上靖の『夏草冬濤』を愛読しており、主人公洪作少年や友人たちと似通うものを感じたのだ。なぜか本来的に寂しく、それでいてどこかのんびりした暖かさ。また、洪作が、何かを期待して希望を持ったり失望したりと輾転する場面があったように、光太夫もまた、日本へ帰国できるかどうか、希望と絶望とに輾転する場面があり、それも似ていた。

『おろしや国酔夢譚』では、その序章において、江戸時代の初期から大黒屋光太夫たちの前までの、ロシアに漂着した日本人たちを紹介している。彼らは日本語教師として国に雇われて一生を終わった。それは一つには、物理的技術的に彼らを日本に送還するのが困難だったせいもあるが、もう一つには、将来、日本と国交を開き、貿易をするための布石とする、という政策のゆえもあった。それゆえ、大黒屋光太夫たちがロシアに来たとき、物理的技術的には、日本に送還することは簡単とはいかないまでも不可能ではなくなっていたのに、彼らもまた日本語教師として働かせようとする国の意志が、帰国をむずかしくした。光太夫たちは、先に漂着した日本人の子孫にイルクーツクで出逢ったとき、塩を撒きたくなるほどの厭な感じを持ってしまった。

しかし幸運にも、光太夫たちが同じくイルクーツクで出逢った、キリル・ラックスマンが、彼らを日本に送還することを突破口として国交を開くことを、エカチェリーナ女帝に勧めた。エカチェリーナ女帝は、結局、日本人漂民たちを、日本語教師組と、帰国組とに分ける決定を下した。

キリル・ラックスマンは、本人が日本に興味津々で是非共出かけて行って研究したいという強い情熱があったからでもあるが、夫人と共に実に親切に家族同様に光太夫たちの世話をした。磯吉はラックスマンに心酔し、彼の研究助手を熱心に務めた。

光太夫たち帰国組が、庄蔵と新蔵とに涙のわかれをする場面で、磯吉は、日本とロシアとの国交が開けたらまた再会できる、という希望を語った。私も、是非そうなってほしい、ラックスマンに日本に来てもらいたい、と思った。

だけど、毛皮商人のシェリホフには来てほしくないわ、と思った。裕福な毛皮商人たちのなかでも最も有力な人物で、ラックスマンとともに大黒屋光太夫たちの支援もしてくれたが、アレウト列島やシベリアで、現地の人々を搾取している商人の筆頭でもあるのだ。もっとも、シェリホフ自身も、楽観的なラックスマンとはちがい、日本に漂民を送還したからといって国交が開けるとは期待していなかった。シェリホフは非常に現実的な冷めた眼を持っていた。

この『おろしや国酔夢譚』では、アレウト列島やシベリアの先住民が、かつては激しい抵抗運動をしたのに、大黒屋光太夫たちが来た頃にはすっかり温順になってしまっており、それは、諦めによるもので、かつてのコサック兵たちのようなむちゃくちゃ残酷な支配から比べれば、毛皮商人や役人たちは穏健になったものの、本質的には搾取が続き、苦しさは変わらないと述べている。また、先住民のなかには、徴税を請け負って非常に裕福になっている人々もいた。

『おろしや国酔夢譚』には登場しないが、大黒屋光太夫たちと同時代に蝦夷地を探検した最上徳内の一行は、松前藩の請負商人たちによる搾取の実態を知り、怒り、アイヌに同情している。

案外、ロシアの毛皮商人と松前藩の請負商人となら、うまく交渉するかもしれないが、どのみち、北緯50度の先住民の苦しさは変わらない。

キリル・ラックスマンは、博物学者であり、鉱山師でもあった。日本の平賀源内を思わせる。源内は、大黒屋光太夫たちが漂流するよりも前に死んでいるのでこの小説に出てこないが、もし、生きて、ラックスマンに会ったなら、意気投合したかもしれない。源内と同時代の学者で彼より20歳若い桂川甫周は、恩師ツンベルクの書物によってヨーロッパの知識人にその名を知られていた。光太夫は、ラックスマンから桂川甫周を知っているかときかれたときには答えられなかったが、日本へ帰ってから彼に会い、聞き書き『北槎聞略』が作られた。不思議な縁である。

だが、光太夫は、見てはならぬものを見、知ってはならぬものを知ってしまい、それは桂川甫周や他の蘭学者たちとも分かち合えないものだった。磯吉が望んだようにラックスマンが日本に来ることもできなかった。文字通りの「鎖国」が、制度的に精神的に、光太夫たちと他の日本人たちとを隔ててしまった。とても寂しく、残念である。ただ、光太夫も磯吉も、帰国後に妻子を得て、長命を保ったことに、たくましさと救いを感じた。

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紙の本白い鬼 新装版

2011/12/16 16:06

まだ引っぱる饅頭の話

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前の『剣客商売』第四巻『天魔』の後半の『鰻坊主』『老僧狂乱』から、まだしつこく、例の「饅頭」の話を引っ張っている。それに同じく第四巻『天魔』の『約束金二十両』のきつい突っ込み「秋山うじの孫女でござるか?」より少し婉曲な「先生御息女であられますか?」という突っ込みもある。しかし、この第五巻第一話の表題作『白い鬼』は、恐ろしく、そして、哀しい話でもある。

小兵衛の往年の弟子の愛すべき人柄が生き生きと描かれた後で、彼が死んでしまうのも哀しいが、その人を殺した憎むべき「白い鬼」が捕えられ獣のように泣き叫ぶ姿もまた、哀しい。美しい男が「白い鬼」になったについてはそれなりの、「かわいそうな生い立ち」もあるのだが、それにしても、許すべからざる残酷な所業を重ねるのを止めるためには、断固として一刻の猶予もなく、彼の息の根を止めねばならなかった。

>「小僧。逃(のが)さぬぞ」

小兵衛の「手段(てだて)をえらばぬ」闘いぶりが、意表を突き、かつ、鮮やかである。前の第四巻の表題作『天魔』では、大治郎が、相手の虚を突く戦法で勝った。小兵衛も同じやり方で闘おうと思っていたと言う。小兵衛にしろ大治郎にしろ、ただ単に鍛え抜いた強さばかりでなく、相手が魔か妖か怪かというような場合、地球上の物理の法則には従っているが剣法の常識を超えた方法で勝つところがすばらしい。

第二話『西村屋お小夜』は、『剣客商売』第三巻の表題作『陽炎の男』以来、久しぶりに、三冬の住む根岸の寮への曲者闖入である。前のときは、小兵衛に手紙を出したのに大治郎が駆けつけて来たことに不満を覚えた三冬であったが、今回は、自分から大治郎を頼って行っている。

吉川英治の『宮本武蔵』でも、武蔵に向かって、あなたともあろうおかたがなんというはしたないまねを、とかなんとか言って逃げたお通が、こわければもっと遠くへ逃げればいいのに、もどってきてようすを見ている場面があったが、今回、三冬も、似たような経験をする。といっても大治郎に襲われたのではなくて、顔見知りの男女の密会の現場を見てしまっただけである。それで夜も眠れなくなってしまった三冬。なぜ、みだらだ、いやらしい、と思うことを、大治郎に結び付けて、あの方もどこぞのひととめおとになればあんなことを……と想像するか? 前の『陽炎の男』では自分が何やら大治郎としている夢を見ていなかったか?

が、一転、事件が起こると、果断に曲者を撃退する。強い三冬、かっこいい!

それで大治郎がまた、三冬の声や目つきがこれまでと違って来ているので、どぎまぎしてしまう。おもしろい。

まるで鬼平犯科帳のような事件の顛末だったが、西村屋のお小夜さんはかわいそうだった。なんて運の悪い人だ。

そして、とどめが、「存じませぬ、存じませぬ」と、若衆髷が崩れそうなほど首を振り、逃げ出す三冬と、なかなか気づかなかったけど、やっとわかって、粂太郎と一緒に居合をする大治郎だ。例の「饅頭」のときといい、二人でいろいろと「恥ずかしい」経験を重ねて、だんだん核心へ迫って行くようである。

池波正太郎の文章はユーモアとロマンスと緊迫感のかねあいが絶妙である。気持ちがいい。特に『剣客商売』は、『鬼平犯科帳』や『仕掛け人梅安』に比べても、明るい。悲惨な話も結構あるのに、救われる感じがする。

三冬の恋人が小兵衛から大治郎へとすっかり変わったこの頃、小兵衛の前に、三冬ほど女らしくもなければ美しくもない、しかし、負けず劣らず強く魅力的な女性、杉原秀が登場する。『手裏剣お秀』で、彼女を小兵衛と結びつけるのが、深川の鰻売りの又六であるところもおもしろい。又六は、深川の金時婆さんという力持ちのお婆さんとも知り合いだった。

おはるが、三冬よりもお秀のほうがずっと好きだ、と言ったのは、たぶんに、三冬への嫉妬がある。しかし、それを抜きにしても、そういう好みというのはわかる気がする。

かなり以前に、第二次世界大戦前の日本の女性の権利拡張運動を紹介した文章を読んだとき、ある工場へ、ふたりの女性運動家が来たが、一方の女性はどちらかというと華やかで豊かな感じ、もう一方の女性は質実剛健な感じで、後者の方が好ましいと、工場で働く女性が感じた、という趣旨のくだりがあった。ふたりとも優れた業績を残しているが、そのときは、そうだったのだ。

小兵衛と三冬が知り合ったきっかけが、彼女を襲う計画を知って助けに行くことだったように、今回も、又六から、お秀を襲う計画があることを聞かされて、助けに行く。ところで、お秀の住居兼道場のある場所だが……、品川台町の雉の宮って、藤枝梅安の住んでいるところと同じじゃない? どうやら、神社の南側と西側、ぐらいの違いらしいが……。まあ、時代も異なっていて、この頃、梅安はまだ、仕掛け人にもなっていないし、江戸にもいない……はずだ。

杉原秀はおもに近所の百姓の息子たちに剣術を教えているが、手裏剣の名人でもある。そして何よりもその性格が潔く、剛直である。今は亡き父と共に苛烈な体験も経て来ている。たとえていえば、杉原秀は、白土三平の漫画に出て来る女忍者や女武道のようで、佐々木三冬は、手塚治虫の「リボンの騎士」のサファイヤのような感じがする(サファイヤは原作の漫画よりテレビで放映された動画のほうがりりしく、三冬は後者だと思う)。

『暗殺』は、大治郎が暗殺者を返り討ちにしたら、やっぱりそれも暗殺? 小兵衛が六尺ゆたかな釜本九十郎の頭上を越えるほど跳躍してやってのけたことは、これも暗殺? スリル満点で、しかも、またまた大治郎と三冬の仲が進展しそうな気配にうれしくなる。

『雨避け小兵衛』は、非常に悲しい話である。最後に、小兵衛にとってのおはるの存在のかけがえのなさがわかる。

『三冬の縁談』について。こんなの、あの第一巻第四話『井関道場四天王』のときみたいに、小兵衛が、三冬の弟子の土田政右衛門でござる、って言って出て行って、田沼屋敷だとばれちゃうから相手の屋敷で試合して、負かしちゃえばいいじゃん……というわけにはいかないのか? ま、結局……第一巻第一話『女武芸者』で相手が三冬にやろうとしたことと同じようなことをやってないか? まあ、性格に問題アリの相手の自業自得だから、いいけどね……。

なんといっても、大治郎が悩み苦しむ姿がいい。でも、小兵衛じゃなくて、大治郎に、あの性格に問題のある縁談相手をやっつけてほしかったな。それに、三冬と既成事実を作っちゃってもいいのに……!

『たのまれ男』は、大治郎の弟弟子で人のいい小針又八郎の危機を救う。彼にたのみごとをした、気の毒な女性も、そのたのみごとも、結局、救われずに終わるけれど……でも、一つの悪事が露顕して退治されるから、それだけでもいいのだろう。それに、大治郎は三冬にも手を借りており、お互いに相手を頼り合うようになっているのがわかって、めでたい。

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田沼時代や寛政の改革を連想しながら読了

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日本国内で貧富の格差が広まることを問題視し、その解決を図ろうとするならば、日本が国民国家であることを肯定して(ナショナリズム)議論を始めなければならない、なぜなら、日本国内と外国とを比較したなら、むしろ、貧富の格差は縮まっているのだから、地球規模で考える(グローバリズム)場合は、日本国内で貧富の格差が広まることは問題ではないのだから……。

というような話から始まっている。続いて、

>ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である。

という定義が紹介されている。これはむかし、歴史の教科書で習った、「民族自決」と同じじゃないのか?と思ったが、違うようだ。ナショナリズムの成立には、民族よりも、共通の言語のほうが、重要らしい。

ある国の人々が自分たちは同じ国の国民であると自覚するのに必要な条件は、共通の言語で新聞を読み、国会で議論し、法律を定め、国家に暴力(軍事力、武力、警察力)の合法的な行使を委ねていることである。たとえ複数の民族が存在しても、共通の言語を使って政治をしていれば、あるいは、たとえ複数の言語が存在しても、翻訳や通訳を介して共通の言語を使っているのと同じ状態で政治をしていれば、一つの国民国家たりうる。そのような、一つの国語を持つ国民国家が成立したのは、18世紀末からで、それは、資本主義の成長と同時である。国民国家は資本主義を成長させるために必要な制度だった。

資本主義が成長する前には、「国民国家」は存在しない。「国民国家」が成立する前の国家が基盤としていたのは、農耕社会である。それは身分制度によって人々の差異を明確化し固定化することが必要とされていた。国家は君主と一体視され、犯罪は君主の権威に挑戦するものとされ、残酷な刑罰が見世物としておこなわれた。「国民国家」では、人口が流動化すること、人々が農村を出て工場など様々な職場で働くこと、そのために全員が職業訓練の前提となる初等教育を受け、規律を身につけること、などが求められる。刑罰は残酷な見世物ではなくなり、社会の秩序を守るために、国家が国民から委ねられた権力を行使するものとなった。

というようなことが、書いてある。時代小説好きの私としては、国民国家の成立が18世紀末から、という点に非常に興味を覚えている。それは、アメリカ合衆国が独立し、フランス革命が起こった時代だが、一方、日本では、田沼時代、続いて、松平定信の寛政の改革がおこなわれた時代だ。その頃には、日本全国の都市に寺子屋があった。話し言葉は方言でも、全国の町人が共通の言語を読み書きできた。

江戸時代後半は、北海道でとれる産物が、廻船によって九州まで運ばれ、清へ輸出された。その北海道の産物を集める商人たちは、アイヌから収奪し、搾取した。これって、植民地に似ている気もするけど、商人たちは、廻船によって人も物も流通している蝦夷地まで含めて一つの我が国である、と意識することはなかっただろうか? 田沼意次は蝦夷地の開拓とともに、日本国民全員に税をかけることを構想した。実現していたら、それこそ、国民国家への第一歩、ではなかっただろうか?

松平定信はそれを阻止したが、彼が長谷川平蔵の進言を取り入れて設置したという石川島人足寄場は、むしろ、資本主義的流れに沿うものではなかっただろうか?地方から江戸に入ってくる無宿ものを集めて職業訓練と読み書きそろばん道徳の教育を施した。私は、つい、それを、アメリカ合衆国の公共図書館と比較してしまう。地方から都市に流入する若者や、新来の移民を、優秀な労働者に、穏健な市民にするため、公共政策として、図書館を整備した。江戸の人足寄場は、当時、世界的に見ても画期的な、犯罪者の更生をめざした刑務所と評価されているらしいが、アメリカのように市民が自由に自発的に知識を求めて行く図書館とは異なるものの、期待された社会的機能には、似たものがある。

国民国家の成立と資本主義の成長は18世紀末の世界的な現象であって、東洋の島国日本の宰相松平定信も、時代の流れにどんなに逆らいたくても、小舟一艘だけでも流れに乗せざるを得なかった。

日本の戊辰戦争と明治維新は、アメリカ合衆国の南北戦争と、時代も近いし、同じ武器も使われているし、資本主義の成長と国民国家の成立をより一層、一段と進めた、という点でも、とてもよく似ていると思う。南部が奴隷労働に頼る農業中心の社会だった、南北戦争前のアメリカ合衆国が、日本を開国させるのに成功したのは、ちょうど、両方の国の成長度に、通じる部分があったからではないかと、私は思ってしまう。通常言われるように、ペリーの軍事的威嚇に屈した、という面もあったにしても、日本の商業や海運業の成長も、開国を必要とするところまで、達していたのではないか。

今の時代は、グローバリズムこそが文字通り世界的な潮流であって、それに乗るべきなのかもしれない。でも、あまりに急流だと、大勢が溺れてしまう。だから、流れに逆らうもの(この場合、ナショナリズム?)も、必要なのだ。松平定信は田沼意次とその一派を徹底的に弾圧粛清したが、今の時代はそういうやりかたではなく、いわば定信も意次も一緒に船に乗せて、舵取りしていかなければならないのだろう。

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