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のらねこさんのレビュー一覧

投稿者:のらねこ

219 件中 1 件~ 15 件を表示

原作の持ち味を手際よく再構成。画力もある

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

原作は前々からチェックしていたんで、「あれをマンガ化するのは難しいんじゃないかな」、という期待半分不安半分で読み始めたんだが、結論からいうと、読む前に漠然と予想していたよりはよっぽど良い出来だった。
なにせ、龍(中華風の天竜と西洋のワイバーン風の翼龍とがいる。後者は家畜並みの禽獣だが、前者は人間以上の知性と能力を持つ存在とされている)や剣牙虎や導術師(=テレパシーなどのESP能力保持者。ただし、様々な制約があり、万能ではない)が存在する世界での軍記物だ。「異世界物」+「ミリタリー物」、ということで、物語世界を構成する要素の説明が、自然、煩雑になりがち。そうした細かな細部は、活字媒体である小説なら、比較的誤魔化しようがあるのだが、ヴィジュアルがメインのマンガという表現方法だと、そうした細かい説明を差し挟みすぎても、読んでいてうざったい印象を与えがち。その当たりをどう処理するかなあ、という興味が、個人的な関心事だったわけですが、この作品、その辺、かなーりスマートに処理しています。
たとえば、この世界、「汽船」はあるけど「汽車」はない。鉄砲は元込め式、ということで、テクノロジー的にいえば、現実世界換算でいうと、だいたい十九世紀末から二十世紀初めくらいに相当。で、当時の日本がロシアの南進策に過剰気味に怯えていたように、ちっぽけな島国である「皇国」も、大陸の「帝国」の侵攻を受け、うんぬん、というのが大まかな設定なんだけど、「皇国」の軍隊の、どこか野暮ったい印象を与える整備と、騎兵中心で颯爽とした感じで描かれる「帝国」のそれとを絵で示されると、まあ、文章でくだくだしく細かい説明なんかつけられるよりは、断然分かりやすい。そうした状況下で、「小心でありながら凶暴、かつ、軍事的には天才」、という複雑な性格に設定されている主人公・新城直衛も、原作ではさんざん「怖い顔」とか書かれているのに、このマンガ版では、三白眼ののっぺりしたシンプルすぎる造型になっている。また、そういうデザインが、場面場面での細かな表情の変化を絵で描写するのに、極めて適切であったりする。
そんなこんなで、作画担当の伊藤悠は、かなり原作を消化し、かみ砕いた上で、かなり上手にコミカライズしています。基本的な画力もかなりある方だし、それ以上に、場面場面を効果的にみせる演出力がある。
ということで、まだ一巻目しかでていませんし、先は長いのですが「買い」。
酩酊亭亭主

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モトネタになった本は十五年前に刊行。ほとんど内容を憶えている人いないんじゃないかな?』

14人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

モトネタになった「七都市物語」は、「銀河英雄伝説」という長編シリーズを一通り書き終えた田中芳樹に、早川書房の「SFマガジン」に掲載する短編シリーズとしてはじまって、後に文庫本としてまとめられたもの。で、その文庫本が一冊でたっきりで、その後の展開がまるでなかったシリーズが、どうしたわけか(たぶん、版権管理している「らいとすたっふ」の企画だろう、とは、想像しているけど)十五年もたって半ば忘却された今時になって「シェアードワールド」として刊行された。そのブランクを埋めるためだろうが、大ざっぱな背景の説明は「はじめに」で説明されるし、巻末には詳細な年表も用意されているので、この本で初めて「七都市」シリーズに触れる方も、(たぶん)安心できるかと。
「待望の」と冠するには、あまりにもマイナーなこのシリーズ、さて、実物の方の出来がどうかいな、と、試しに読んでみると、予想する以上の寡作揃いだった。
「大転倒」という地殻変動の末、干上がったジブラルタル海峡に運河を建設する公社と、その公社に資本を投入している二都市との政治的軍事的対立や駆け引きを描きながら「ボーイ・ミーツ・アガール」の物語を展開する、小川一水の「ジブラルタル攻防戦」。
異常な出生を持つ主人公と、その主人公を支えるナイーブで凡庸な物語の語り手も兼ねる青年、という、お得意の構図で「この世界ならでは」の虚々実々の駆け引きを展開する森福都の「シーオブクレバレス号遭難秘話」

架空戦記畑が本来の活躍の場である横山信義は、「ペルー海峡攻防戦・番外編」として、お得意の海戦、それも、比較的珍しい「潜水艦狩り」を展開、の、「オーシャンゴースト」。
横山と同じ「架空戦記畑」でも、羅門祐人は、やはりこの世界でしか活躍の場がないような、ある種の「トンデモ兵器開発秘話」的な物語を用意する。
総じて、同じ世界を共有しながら、各々の得意とするフィールドの方に引っ張ってきて、のびのびと料理しているなあ、という感じで、どれも(良い意味で)気楽に読み終えることが出来た。

酩酊亭亭主

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紙の本Black lagoon 1

2003/01/10 00:01

絶妙のはずし具合

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「ドンパチと美少女」、いいかえると「エロスとバイオレンス」は、不特定多数のユーザーの購読意欲を刺激するいい材料になる。これは、今も昔も変わらない。たぶん、これからも変わらないだろう。
 で、「確実に読者に受ける手法」の多くは、幾人もの書き手によって使用されるうちに洗練もされるだろうし、逆に、「方便」として形骸化することもある。で、「定石」というか「お約束」なんてものの多くは、つまるところ「活かせるか・殺すか」で書き手側の手腕を推し量る「いい物差し」としても役割を往々にして果たす。もちろんこれは、読者の側にそれなりの眼力がなければうまく作動しないタイプの「物差し」なわけだが。
 例えばこの作品、「現代の東南アジアを舞台に、人質になった商社員が、会社に見捨てられて海賊たちの仲間になる話」、あるいは、「肌も露わな戦う美少女とロシアンマフィアの姉御肌の頭目と元テロリストのメイドさんが大活躍する話」とかおおよその概要を話しても、実物の内容を正確に想像できる人はほとんどいないだろう。なんというか、「お約束のはずし方」が、非常に微妙で、かつ、巧妙で、これが一種のスパイスというかいい意味でケレン味になっている。
 それに、作品世界を支えるディテールも非常にリアリティがある。銃器類やアクションもそうだけど、組織的な犯罪の実際というか犯罪組織の実態とかが、それなりの誇張や粉飾はあるにしても、かなりことこまかく設定されていて、なおかつ、物語にしっかりと組み込まれ活かされている。「まあ、実際にはこんなもんだろうなあ」と読んでいて頷けるだけのリアリティが保証されている。
「すんなりと作品世界にはいっていける」という意味では、かなりよくできた「娯楽作品」だと思います。

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リメイクものとしては結構イイ線いっているかと

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

さて、版元の秋田書店、TVアニメ化に合わせてか、ここ数ヶ月、「ブラック・ジャック」というコンテンツの知名度をとことんシャブリ尽くす戦略を採用しておりますなぁ。たとえば、複数の雑誌にまたがって不特定多数の作家にリミックス作品を書かせるなど、あざといといえばあざといやり口だが、そんな中からも結構面白い作品が出てきたりするから、まあ、それはそれで。無論、そうした企画の中からダメ駄目な作品も出てくるわけですが、どのみち、そんな「多数の作家がよってたかって作り上げているそんな企画」なんかより、浦沢直樹が単独でリメイクした「プルートウ」のがよっぽど話題性がある、という皮肉な現実を想起して「どうでもいいや」と思ったりします。
で、そんな中で、何故かモトネタの「ブラック・ジャック」が連載されていた「週刊少年チャンピオン」で、月一連載されているこの作品、実はモトネタの話しに結構忠実なリメイク。でも、作画担当の山本賢治という人が、なにかというと血とか臓物とかを作中に登場させる人だから、モトネタの話しよりは画面に出てくるグロテスク度が上がっています。この人の絵、フォルムの丸っこさ、かわいさと描線のシャープさが好対照な作風で、丸っこい線とフォルムの手塚風の絵とは微妙に趣が異なるのですが、元々「ブラック・ジャック」という作品自体が、ヒューマンな中にも多分に毒を含んでいる作品(なにせ、初めて単行本化された時は、「恐怖コミックス」に分類されていたわけですし)なわけで、そうした「毒」を考慮するなら、作風的にはマッチしているかと。
むしろ、時代的な制約や、掲載紙が少年誌であったところからの遠慮、それに、手塚自身がイマイチ吹っ切れきれなかった(と、予想された)部分にも、遠慮なく吹っ切った描き方をしていて、そのあたり、むしろ単純に、痛快に感じます。
例えば、主役のブラック・ジャックにしてからが、本来なら線の細い二枚目が無理して悪ぶっているいるような風情の原作とは違って、終始イヤな感じのニヤニヤ笑いをしている、ちょっと傲慢な性格にみえるように、描いている。ドクター・キリコには、黒髪つり目メイド服少女の護衛がついているは、猫耳裸エプロン出すは、で、本当に原作が好きな人には到底受け入れられないようなアレンジも若干ありますが、基本的には、「ココまでモトネタと同じだと、リメイクする必要あるのか?」って思うほど、原作には、忠実。
あと、遠景のモブシーンでヒゲオヤジとか御茶の水博士とかトッペイとかの特徴あるシュルエットが確認できるところからも、作画担当の山本賢治は、結構「手塚作品」には敬意を払っていると思う。
まあ、「過去の名作のリメイク」という、根本の企画案自体が安直といえばもそすごーく安直なわけで、そういう安直な企画案に沿いながらもなんとか自分独自のテイストを付加しようとしているあたりは、評価してもいいんじゃないでしょうか。
酩酊亭亭主

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紙の本愛は脳を活性化する

2005/07/16 15:42

なんとも強烈なタイトルだが、歴としたノンフィクションです。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルのキャッチーさに初めてみたときはちょっとギョッとしましたが。基本的には「情報処理系として人間の脳」をみて、その特性とか特徴とかを簡明に解説したノンフィクションです。ブックレット、ということで、紙幅の関係上、簡単に説明しすぎているような印象を受ける部分も少なからずありますが、その分、不正確になりすぎないように注意しながら、よくコンパクトにまとめたなあ、とも思います。
 本書は、「1.脳とはどんなコンピュータか」、「2.脳型コンピュータの開発に向けて」など、機能的な部分に関連の深い項目を解説する前半部と、「3.心から見た脳」、「4.愛は脳を活性化する」などと続く、情緒的、心理的なファクターまでも視野に入れた後半部とに大別されます。前半部のような解説は、他の書籍などでも似たような説明がなされているので、既に関連知識を持っている人にとっては、あまり魅力的な情報を含んでいるとはいえません。が、後半部の「関係欲求」などを絡めて紹介されるいくつかのエピソード群の紹介は、他の類書にはない特徴になっていると思います。
 その中の一例として、「昔、ドイツのフレデリック二世が、赤ん坊の言語獲得の過程を観察するために行った実験」は、悲劇的な結果と相俟って、深く印象に残りました。「話しかける」などの外部からの刺激を極力遮断された赤ん坊は、みんな死んでしまった、と、記録されているそうです。
酩酊亭亭主

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「豊かさ」ってやつぁ……。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 トッドさんは、フランス国籍のユダヤ人。国立人口学資料研究所所長。どうやって「旧ソ連の崩壊を予見した」のかというと、ごくごく単純化していうと、乳幼児の死亡率推移をみて、「あ。これは駄目だな」と思ったそうです。
「乳幼児のような弱者をきっちりと保護できない=それだけ社会全体のインフラが弱体化してきている」
 という推論だそうです。それから、
「識字率が高くなると、女性の権利意識や性知識が増えて出生率が落ち着く。同時に、社会全体の知的レベルが上がって民主化が進む」
 という仮説も書いております。主として、発展途上国の様子をみての仮説ですね。この仮説の後半はともかく、前半に関しては現状をみるかぎり、実証されつつあるようです。旧ソ連崩壊予言の件もそうですが、人口統計という専門知識に依った、かなり頷ける考え方だと思います。
 アメリカと戦後世界の関係を大ざっぱに分類して、世界大戦への参戦から数十年の(他の国々から軍事的、経済的な面で助力を乞われる時期、アメリカの生産力で、そうした要請に応えられた時期)と、九十年代に工業製品の貿易収支が逆転して、グローバルな視点で見ると、国全体が完全に「生産者」から「消費者」へと転落してしまった状況を対比させ、その「実情」に国の指導者が無自覚である、としています。そして、書名が「帝国以後」であることからも容易に推察されるように、「アメリカが帝国として振る舞おう(=国際社会でのイニシアティブを握ろうと)すると、すでにそれに相応しい国力はないのだから、他の国々にとってかなり迷惑なことになる。逆に、ヘンにリーダーシップを取ったり他国に干渉をしようとせず、あくまで国民国家として振る舞おう(=一国家として内政に専念する)のなら、もともと地理的にも資源的にも人材的にもかなり恵まれているのだから、国際社会でも一目置かれる存在になり、優位に立てるだろう」としています。
 もちろん、いろいろな統計的資料とか過去の「滅亡した帝国との類似点」をつらつらとあげたり、もっと詳細に説明されているわけですが。
 巻末の訳者さんの「解題」でも触れられていますが、経済活動についての見方が工業生産力とかに偏りすぎてないか? とかは、やはり気になりますねえ。わたしは経済のことはぜんぜん詳しくないけど、それでも、現在の「世界経済」って、「生産力」だけで語れるほど単純なものではないのではないか? とかいう疑問は、ぽん、と浮かびます。読んでいていろいろと面白かったし、参考になる部分、頷く部分も多かったけど、部分的にはちょっと首を傾げるところもかなりありました。

酩酊亭亭主

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紙の本散歩もの

2009/11/14 07:59

「孤独のグルメ」ほどの派手さはないけど……。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「孤独のグルメ」の久住昌之×谷口ジローコンビによる散歩マンガ。季刊誌「通販生活」に二年間(つまり、四回×二年=八話)連載されたものに、原作者のあとがきと原作うらばなしを収録したもの。
ページ数的にはこぢんまりとしているが、密度は、濃い。
特に、谷口ジローの絵は、薄墨やトーンを多用しているため一見白っぽい印象を受けるものの、その実、「孤独のグルメ」以上の緻密さ。季刊誌、ということで、スケジュール的にも余裕があったせいかな? むしろ、こんな絵を文庫サイズに縮小印刷できたことが、異常。
内容的には、主人公がいろいろな場所を散歩して、そこで見聞したものに触発されてちょこっと内省的なったり過去を振り返ったりする、ってだけの、エッセイ的なマンガ、でしかないのだけれど、「空間的な移動=散歩」と「回想=主人公の内面内での、時間的な移動」とが密接にリンクしていて、ページ数のわりには随分と奥行きがあるように受け止めてしまう。
「孤独のグルメ」における「ゴローちゃん」ほどはっちゃけた過剰なモノローグに彩られているわけではなく、その意味ではかなり地味な内容なんだけど(なにせ、ものが「散歩」だ)、淡々と何度も読み返したくなるような妙味がある。

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「WEB進化論」をより深く理解できます。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 梅田望夫氏の、1996年から2001夏頃までのシリコンバレーでの実体験を元にした考察とエッセイ。
 少し前にに読んだ「WEB進化論」の楽観主義がどういうところから来ているのか理解できる。
 この本で書かれていることは、大別して三種類。
「I シリコンバレーで体感する」では、ベンチャー・キャピタルに代表される、「シリコンバレー・ルール」の解説。
 ただし、著者の梅田望夫氏自身、現地に移住して、経営コンサルタントとして日本企業との緩衝役になったり、後には個人投資家、あるいは自分の企業を設立したりする、「体験談」として語られている。
「II ネット革命とバブル崩壊」では、もっとマクロな視点から見た経済的な問題の考察。
 この文庫の元本が書かれた時期というのが、「1996年から2001夏頃まで」で、ちょうど、インターネットの普及とネットバブルがだいたいすっぽり入り、ちょうど「9.11」の前、までにあたり、特に経済的な関心がなくとも、「同時代の証言」としても読める。
「III マイクロソフトとリナックス」と「VI シリコンバレーは私をどう変えていったか」は、「私は十三才の時からプログラムを書き始め、コンピュータ科学を専攻したが、二十三歳の時に「自分の才能のなさに気づきプログラムを書くのをやめた」という著者の、愛憎混じり合う「ナード(オタク)」観察記……とでもいうべき内容。
 ただ、これも、Linuxが台頭してきた時期とちょうど重なるから、オープンソースへ可能性に関する半信半疑の言及、なども、「ああ。当時はこう見えたんだなあ……」という意味で、個人的には興味深かった。
 ただ、この本では「ナード」という語を、「寝食を忘れてプログラム書きに長時間没頭する天才肌の技術者」みたいな含みで説明しているけど、「ナード」って、日本語でいう所の「オタク」、つまり、「自分の興味のある分野にしか目をくれない人々」という意味合いの方が強いと思うけど……。
 わたしの知る限り、八十年代頃から「向こうではオタクのことをナードと呼ぶらしい」みたいな情報は日本の雑誌とかにも紹介されていたような気がするんだけど……この本では、ネガティブな印象は出さないようにしているのかな?
 でも、これを読むと、「WEB進化論」が何故、むやみに前向きな記述のされ方をされているのか、ということが分かります。あの、ポジティブな解釈の仕方は、氏のバックグラウンドから自然に出てきた視線なんだな、と。
 そういう意味では、かなり売れた(今でも売れている?)「WEB進化論」に感銘を受けた、あるいは、興味を引かれた方が、さらに理解を深めるために最適な一冊かな、と。
酩酊亭亭主

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軽快なしゃべり言葉の向こうに、「伝統」が透けてみえる

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

永六輔について全く知識がない人に、永六輔のことを説明しようとすると、かの人の明瞭な「肩書き」がなかなか思い浮かばないことに気づく。結局、下町のお寺で生まれ、芸能人として活躍するも、ある時期からテレビ出演を厭うようになり……うんぬん、という経歴をくだくだと説明しなければならなくなる。とりあえず、本書の場合は、そこここで、ご本人がそうしたご自分の背景を折に触れて披露している。というより、そうした背景なり経歴なりを背負っていなければ、本書に書かれているようなことはそもそも語ることができない。
冒頭にいきなり、「長岡京から平安京への遷都は、大仏鋳造時に起こった公害のため、周囲の環境が悪化したから」という結構説得力のある「仮説」が提示され、こその「奈良の大仏」から「公害繋がり」ということで、「雪印乳業の創業」とか「田中正造」とかに話しが飛んで、さらに「江戸城の石垣」とその運搬に必要だった隅田川、などなどと。本書は、広域歴史学習団という団体が主催している「学校ごっこ」という講義を再構成したもので、講義を再構成したものであるから平易な話し言葉であるわけだが、そういうことを差し引いても、実に小気味良く話題がポンポン飛躍していき、最後までそんな調子で話題はあちこちに飛びまくり、ちょくちょく脱線し、で、一見してまるで脈絡がないように見える。
だが、読了すると、すとんと筋が通っているようにも感じる。例えば、「奈良の大仏と公害」の仮説だって、永六輔が「職人の仕事」に従来から興味をもっていた所からできた「仮説」なわけで、そしてその、永六輔の「職人への興味」も、永六輔が、檀家に職人が多いお寺の生まれでなくては、生じようがなかったはず。
この本に書かれている多くの「仮説」は、説得力はそれなりにあるものの、多くはデータ的な裏付けを欠いているため、アカデミックな場ではまず通用しないと思う。が、話しとしては充分に面白いし、こうした発想をすることが可能な「永六輔」という人物の背景には、今や半ば断絶しかかっている態の「日本の伝統」がでんと控えているような気がする。この場合、「伝統」などといっても、さほど大仰なことではなく、従来の「尺、寸」が、「センチ」に変わったことで断絶してしまったような、そういう身近で地に足が着いた場所での「伝統」なわけだが、今更指摘するまでもなく、永六輔は、「センチ」の世界ではなく、「尺、寸」の世界で思考し、言葉を発している。
本書に掲載されている著者の写真も、どっかの年季の入った棟梁みたいな風貌だしね。
酩酊亭亭主

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紙の本世界は密室でできている。

2005/05/13 02:19

きゅーと!!!

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

実はマイジョウ作品の長編をマトモに読むのはこれが初めてで、もちろん、今までに雑誌とかに掲載していた短編とかには幾つか接していたから作風とかについてはそれなりに知ってはいたわけで、だから、「ああ。この人の文章のドライブ感は、短編よりも長編のが生きてくるんだろうなぁ」程度のことは当然予測していたわけですが、で、その予測は無論全然外れていなくてそれどころかマイジョウの独特の言語感覚にすっかりやられてしまいましたわ、わたくし。だって、あれ、探偵役の男の子がフツーに「ルンババ」とか名乗っているんですよ仲間内だけではなく、警察とかにも。「ルンババ」なんて語感、フツーじゃでてこないよふつーじゃ。内容的にはね、実にオーソドックスなセーシュン小説だなぁ、という印象で、あれ、もちろん、講談社ノベルズの袋とじ密室本の一冊として出たのが初出なわけですから、密室とか謎解きとかはこれでもかというくらいにでてくるわけですが、それ以上に興味深いのは、「ルンババ」とそのワトソン役の「僕」と、回想の中にしか出てこない「ルンババ」の姉の涼ちゃん、修学旅行先の東京でひょんなことから縁ができてしまうOLの「椿さん」とその妹の高校生「ツバキ」、なんかの登場人物の関係の推移や心理なんやらなんかで、「僕」と「ルンババ」が十二歳の時点から物語がはじまって十九歳の時に終わる、ということから考えてもモロにど真ん中なセーシュン物で、読んでいて思わずうはうはなってしまうんですよ、これが。
酩酊亭亭主

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紙の本笑酔亭梅寿謎解噺

2005/08/05 23:41

強いて欠点をあげるとするのなら、主人公も作品も、あまりにも隙がなさすぎるという所か

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なにしろ「あの」田中径啓文の著作で落語とか落語家の周辺が舞台となるわけだから、読む前は例によって駄洒落としょーもないギャグにまみれたあちゃらかなノリを漠然と予測して読み始めたわけだが、読了してみると、ミステリとしてみても娯楽作品としてみても、あまりにも造作が整いすぎていて、かえって拍子抜けしたりする。
高校を卒業したはいいものの、金髪頭の外見とそれまでの素行がよろしくないということで、就職先も行く宛もない竜二が、元の担任教師に半ば無理矢理落語の師匠・梅寿のところに連れて行かれる冒頭部分から、実質上の主役である竜二が、「実はいい子」というのが強調されすぎていて、作品自体のそつのなさと相まって鼻白む面も、多少ある。
まず主人公。ぐれたのも実は家庭の事情によるところが大きく(実際、竜二の外見に似合わない心根の良さは、後のエピソードでも再三に渡り強調される。なにかというと師匠をたてる、ということを自然に行うことでも、追認される)、一度聞いただけの落語を大御所の梅寿師匠の前で演じて即座に入門を許されるほど「天賦の才」があり、一旦入門したからには、と、新作落語や漫才などにも寄り道して「笑い」を極めようとするほどの努力家でもあり、なおかつ、数々の事件を即座に解決できるほどに頭が切れ、しかも、それをひけらかさない。(たいていは、自分の推理を師匠の梅軒に耳打ちして「語らせる」。このあたりの呼吸は、ちょうど「眠りの小五郎」を楯にする江戸川コナンくんの構図とほぼ同じ。「安楽椅子探偵」ならぬ、「遠隔操作探偵」とか「マリオネット探偵」という分類になろうか。まあ、師匠が披露するのと自分自身で披露するのでは、言葉に重みも周囲の反応や受け止め方も違う、という事情もあるのだろうけど……)と、書き出してみると、やはり「金髪鶏冠頭」という外見以外は、欠点らしい欠点のない、優等生すぎる「主役」だと思えてくる。
次に、作品。連作短編で竜二の落語家としての成長物語、という体裁をとりながらも、同時に、事件が起っては、合理的な推理によってそれが解決される、一話完結の短編ミステリ集でもあり、、なおかつ、各事件が、それぞれのエピソードでは、作中に登場する古典落語のネタに、事件や背景が類似するような「見立て」の趣向もあり、ついでに、わたしは上方落語会にはあまり明るくないので、よく判断できないのですが、どうも、タイトルロールの梅寿師匠をはじめとして、作中人物の幾人かの芸人さんには実在のモデルがいそうな気配もある、という……。(わたしにも明瞭にモデルの見当がついたのは、つい先頃、多額の借金を抱えたため離婚され師匠にも破門された某外人落語家さんくらいでした)
まあ、ひとことでいって、かなり雑多な趣向を手際よくまとめあげ、しかも、短編集でありながら、収録作にあまり出来不出来の極端な落差もなく、手堅くまとめ上げている。
イヤ本当にこの本、主人公も作品も、あまりにもしっかりしすぎていて隙がなさすぎるのである。隙がなさすぎて「かわいげがない」あたりが、強いていうならこの作品のほとんど唯一の欠点だと思う。逆にいうと、しっかりとした娯楽作品とか連作短編ミステリとか落語家成長物語を読みたい方には、お勧めできます。
蛇足。あの劇画調の垢抜けていないイラストは、金髪故になにかと軽視される竜二くんの境遇にあわせ、「外見と中身は違うんだぜ」とアピールするために、わざと洗練させなかったのだろうか?
酩酊亭亭主

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紙の本生きている兵隊 伏字復元版

2004/11/21 16:19

戦争の狂気、というのは、今ではありふれたモチーフなわけだけど……。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 とりあえず、この作品が書かれた当時、日本はいまだ「敗戦」を経験していない。首脳部の見通しの甘さが兵站の破綻として現れはじめ、現地での略奪を日常とした様子はたしかにちょうどこの作品に書かれたとおりなのだろうなぁ、と、想像するのはたやすいわけだけど、そういう大陸方面の醜聞は建前上あまり伝わっておらず、内地的にはけっこうイケイケな主戦派世論が主流だった頃なわけで、そういうこと考えると、発禁にした当時の当局の判断は、国策上むしろ妥当なものだったと思う。
 一方、この作品を上執した側に反戦とか体制批判の意識があったかというと、あったのかもしれないけど、少なくともわたしには、この作品の本文からそういう成分を読みとることはできなかった。
 他国の戦地で補給も友軍との連動も稀になった状態では、周囲も誰が戦闘員か非戦闘員か容易に判断できない状況では、精神的に追い詰められて当然だし、そういう一種の極限状態を書いた作品としては、むしろ赤裸々過ぎるほどで、いささか露悪的なきらいはあるにせよ、よく書けていると思う。
 たとえば、兵士以上に好戦的で、殺人に対する禁忌感がかなり薄れている従軍僧侶がでてくる。戦場での高揚状態と平時の精神状態とのギャップにとまどい続ける兵卒がでてくる。略奪や暴行に対する感覚が完全に麻痺している、本来なら善良なはずの木訥な兵士もでてくる。
 そうした人物造型はたぶんに類型的で、例えば特にベトナム戦争の以後、アメリカで多く制作された厭戦的な映画とも多く共通する造型であると思う。「戦争という極限状態」を正直に描こうとすれば似たような部分が出てくるのは道理なわけだけど、だからこの作品は、新しくもなければ古くもない、「誠実な描写を心がけた作品」である、としか、いいようがないと思う。

酩酊亭亭主

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術中はまっているな、と、思いつつ何度もとりだして眺めてはにやにやしているのでした。

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「あの」あずまきよひこの新連載の主人公が「ちいさなおんなのこ」であると知ったとき、ずりぃよ、それ、絶対に面白くなるにきまっているもん、とか、思ったり思わなかったり。
「あずまんが大王」を一読すればたちどころに了解できるように、あずまきよひこは、人間と日常を描くのが、とことんうまい。卓越した観察眼をもつゆえ、なのだろうが、括弧いりの「物語」よりも、いかにもそこいらに転がっていそうな些末なことがらを、軽やかなユーモアというオブラートにくるんで提示して「魅」せる。
で、この作の主役のよつばちゃんは、「こども」でしょ。もともと、こどもと動物は、外見の可愛らしさと挙動の予測不能性で、ドラマとか映画の実写畑では、大人のキャストを食うくらいの存在感をもつもの。
にもかかわらず、マンガの世界でこどもと動物をメインすえたものが意外に少ないのは、こどもとか動物とかが多くの読者にとって既知の存在であるため、ごまかしがききにくく、「本物以上」に魅力的に描くためには、高いレベルでの表現力が必要となるためで、はい、正直、この「よつばと!」で、あずまきよひこの実力を見なおしましたわ、わたし。
これから読む方は、以上のようなくだくだしい理屈はすっぱり忘れて、頭をからっぽにして、素直に楽しんでくださいね。

酩酊亭亭主

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見者のヴィジョン

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 まれに、普通の人には容易に伺うことのできない異界を望む才に恵まれた者がいて、さらにその中のごくごく少数の者が、自分がかいま見たヴィジョンを他者に伝えるなんらかの術をもつことがある。五十嵐大介は間違いなく、そうした、二重の意味で希少な資質に恵まれている。これは、きわめて希有な例であると思うが、そうした資質に恵まれることが果たして幸運といえるかどうかは、かなり微妙な判断が必要となりそうだ。
 本書に収録されている「産土」、「熊殺し神殺し太郎の涙」、「未だ冬」、それに、表題作の「そらトびタマシイ」などの作品群は、表層的な部分に注目するのなら、古典的民俗学的世界観から題材をとっているように見える。例えば、「そらトびタマシイ」でいえば、三十五ページの、ルゥキィと合体した美代子の姿や、「熊殺し神殺し太郎の涙」太郎たちが森を彷徨するシーン(八十五ページ)や不死人形の少女が「きれいにおけしょう」するシーン(九十八ページ)などの騙し絵のようなコマなどは、イメージとしてもかなりユニークで、また、作中のストーリーの中でもかなりの比重を持つ。
 こうした想像力は、ちょっと類例を思いつかない。ともかく、「想像力の質」が視覚的な要素のほうに多く偏向しており、それを「物語のチカラ」で説明づけたり適当な終始をつけようとした形跡があまり認められないあたり、一種の潔ささえ感じる。例えば、「熊殺し神殺し太郎の涙」の終わり方、などは、「物語」の観点から見たら予測される収束の方に向かわず途中で放り出したような印象が強く、多くの人に居心地の悪さ、座りの悪さを感じさせるものだと思うし、「そらトびタマシイ」、「すなかけ」、「le pain et le chat」などの作品群にしても、もっときちんと盛り上がって結末つけて、いわゆる「成長物」のパターンに嵌めた方がすっきりと読める人のが多数派でありましょう。
 しかし、子細に作品をみるうちに、「これはこれで正解かな」と納得させるだけのものを内包しているのにも、気づいていく。それは、場の空気であるとか人物の表情であるとか視覚的な要素が持つチカラや面白さがストーリー的な結構の放棄した上で、なおかつ、有効に機能している、ということなんだけど。

酩酊亭亭主

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紙の本ナショナリズムの克服

2002/12/16 23:57

意識化されない不幸と意識せざるをえない不幸

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 民族も国家も、所詮人間の都合で勝手にでっちあげられた人為的な概念にすぎない。すぎないのだが、日常の生活や個人のアイデンティティの根幹と容易に結びつきやすい……いや、分かちがたいがために、実態以上に強固なものとして理解される傾向があるように思う。特に近代に入ってから発明された、「民族」と「国家」を無理に結合させた「国民国家」というフィクションは必要以上に強力になりはじめ、そのチカラが前世紀の二度の大戦や紛争、あるいは、昨年の9.11などの遠因になっている面も否定できない。
 民族も国家も、所詮、ドグマなんだけど、「一種の共同幻想」として一笑にふせない「重さ」を持つことは、どうにも否定できない「現在の現実」だ。
 ただ、情報機器や航空機など、技術の進歩のおかげで、ボーダーラインとしての国境、は、以前ほどの強固さを持たなくなってきているのも事実。本書は、一国内に多数の民族を擁する多文化国家への道を歩んでいる国、オーストラリアに在住する自称博打打ちの著述家森巣博と、在日二世コリアンの学者、姜尚中との対談という形で進行する。ほぼ同世代の同時代人でありながら、国家や民族へ帰属意識が希薄な者と、否応なくそれを自覚せざるを得なかった者との、かなり率直な意見交換が交わされているわけだが、表面的には平易を通り越して下品な方向に向かいがちな言葉遣いになりがちであるのにも関わらず、その分、かなり率直に「現実」を見据えているのも事実で、国家や民族、それに経済までをも包括した、過去の結果としての現在、現代の帰結としての未来の「われわれの世界」の姿を、かなり真摯に見据えているようで、読んでいてとてもスリリングだったし、かなり興味深かった。

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