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先月(2017年1月)

雲呼庵さんのレビュー一覧

投稿者:雲呼庵

2 件中 1 件~ 2 件を表示

文明としての暗号

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 Uボートの跳梁を可能たらしめたドイツ軍のエニグマ暗号に対し、連合国は解読に精力を注いだ。サイモン・シンは、「恐怖こそは暗号解読の主たる駆動力であり、逆境こそはそれを支える基盤なのかもしれない。」とし、「必要が発明の母だとすれば、逆境は暗号解読の母なのかもしれない。」と暗号解読に向かう人間の心情と境遇を示す。そしてこの時代に『暗号解読』に変化が起きた。「何世紀ものあいだ、暗号解読者としてもっとも有望なのは言語構造の専門家だとされていた。しかし、機械がつくるエニグマ暗号を解読できるのは、むしろ科学畑の人間ではないかと考えたのである。」数学者の登用であった。「独創的な暗号解読者は『頭脳の柔術という離れ業をやってのけるために、日々、闇の霊と親しく交わらざるをえない』のである。」と、数学の神秘をも説く。更にシンは、歴史家デイヴィッド・カーンの言を引いて「(エニグマの解読は)人命を救った。連合国の人命だけでなく、戦争終結が早まったおかげでドイツ、イタリア、日本の人命をも救ったのである。世界はこの点について暗号解読者たちに恩がある。」と暗号解読が果たした歴史への作用を確認している。もちろん歴史は現在も進行している。シンは「デジタル革命の遂行と、暗号の必要性を訴えることに」情熱を傾けたフィル・ジマーマンの著述を抜粋する。「かつて暗号は、日常生活にほとんど関わりのない、姿の見えない科学だった。しかし、情報化時代において暗号を語ることは、政治権力、とくに政府と人民との力関係を語ることなのだ。それはプライバシーの権利、言論の自由、政治結社の自由、出版の自由、理由なき取り調べや逮捕からの自由、他人に干渉されない自由に関わる問題なのである。」こうなると、懐古物語ではない。私たち自身の生活に関わる社会問題だ。既に様々な国家が、強力な暗号手段を国民が手にすることに圧力をかけている。公開鍵暗号RSAの発明者の一人であるロン・リヴェストの言が紹介される。「犯罪者が悪用するかもしれないからといって、特定のテクノロジーをすべての人に対して禁止するなどというのは実にお寒い政策だ。強盗は指紋を残さないように手袋をはめるかもしれないが、合衆国市民は自由に手袋を買うことができる。手袋が手を保護するテクノロジーであるように、暗号はデータを保護するテクノロジーなのだ。手袋がわれわれの手を、切り傷、ひっかき傷、火傷、凍傷、細菌感染から守ってくれるように、暗号はわれわれのデータを、ハッカー、企業スパイ、ペテン師から守ってくれる。手袋はFBIの指紋分析官を困らせ、暗号はFBIの盗聴を妨害するだろう。暗号と手袋はどちらも安価でどこででも入手できる。実際、ちゃんとした暗号ソフトをダウンロードする費用は、ちゃんとした手袋の値段よりも安いほどなのだ。」現在の強固なデジタル暗号の成果と課題だ。シンの考察は続く。ハイゼンベルクの不確定性原理から説きはじめ、量子暗号の確立に目を向ける。「考察下の対象のあらゆる側面を知ることは原理的にできない」とハイゼンベルクに言わしめた量子の不確定な振る舞いを、暗号技術に用いる研究が進められているという。つとに知られる思考実験『シュレーディンガーの猫』の逸話も披露し、「箱の中の猫は生死二つの状態を重ね合わせた状態にある」という量子論の概念を示す。難解だが興味深い『暗号』の世界だ。
 「しかしシンの才能は、高度な内容をわかりやすく説き明かすだけにとどまらない。より素晴らしいのは『そこに感動がある』ことだ。暗号の歴史を描くにはいろいろなアプローチがありうるだろう。軍事にフォーカスすることも、数学にフォーカスすることもできよう。しかしサイモン・シンは、人間の営みということにぴたりと焦点を合わせた」(「訳者(青木薫)あとがき」)。

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紙の本天才アラーキー写真ノ方法

2001/09/05 13:21

天才ノ方法

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 写真家アラーキー(荒木経惟)は、自らを「天才」と称しはばからない。堂々と「自分は天才である」と公言する。これは、うらやましい。「名人」だとも言っている。名人だからこそテキトウに仕事をする、一生懸命やったらつまらない名人技になってしまうからだと言う。名人技とは距離を置いて「天才」はあるのだそうだ。その辺を自己認識できることが天才の証なのだとアラーキーは言う(たぶんそういうことが言いたいのだと思う)。
 私だって天才になりたいから、真似して「俺は天才だ」と言ってみる。「だから一生懸命になんか仕事をしないのさ」と言ってみる。言うのは簡単だからドンドン言う。言い続けているとその気になってくる。その気になればしめたもの、天才の気分で日々を過ごす。楽しい。爽快だ。
 この本を読んでよかった。天才とは楽天のことだったのだ(と私は思った)。
 「気分だけで生活できるわけがないだろ。現実はどうするのだ」とお思いの方々、天才は何とかしてしまうのです。アラーキーはそのようです。私がやはり凡人であっても、何とかしてしまうことくらいはできます。何とかなる程度のことをすればよいのだから、何とかなるでしょう。でも、そういうことを気分良く行うためには自分が天才であると思っていた方がよいと思います。その方がうまくいくような気がします。そして、うまくいってしまえば、やはり私は天才であったかと、うぬぼれを強くします。あまりうまくいかなかった場合は人のせいにします。凡人社会の中で浮き上がってしまった天才ですから、しかたありません。詭弁のように聞こえるかもしれませんが、この本の読後にはそのような気分になります。
 みんなで天才気分になりましょう。何かいけないことを言っているでしょうか?

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