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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

ちゅう子さんのレビュー一覧

投稿者:ちゅう子

7 件中 1 件~ 7 件を表示

いのちを考えたいあなたに贈りたい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いのちを定義づけるのは何ものだろうか。人は考えるからこそ、ふと気づいたときに思いもよらぬ展開が始まるのである。
 21世紀に入り「臓器移植」についての問題が庶民の我々にとっても身近なものになってきている。日本では20世紀も終わろうというとき、ドナーカード(脳死での臓器提供意思表示カード)が普及し始めた。「死んだら、痛くも何ともない身体。このカラダで誰かの命が助かるのなら、死んだら身体の提供をいたしましょう」という意思は美しく広がっていっている。「いや、人様には差し上げてもいいけど、私自身は人様の臓器、身体を頂こうとは思わないわ。」という意思も同時に存在している、云々。このようにいろいろな意思を表出することは自由なのである。しかし、人々に生まれるこのような感情をいち早く受け止めていた人物、それは一昔(それ以上になるだろうか)前、脳死臓器移植医療に「ちょっと待った!」をかけていた森岡正博氏である。
 「死ぬ」ことについて我々はどのように認識しているのであろうか。恐らくは誰もが「もう心が存在しない、抜け殻の身体が残った状態」と思いがちなのではないだろうか。
 著者は「ほんとにそれだけ?」の問いを繰り返し我々に語りかけ続けている。というのは、そこに「脳死」という一見「完全と思わせる死」を見逃さなかったのである。
 日本において我々が迎える「死」は、医師によって確認され、法的に承認され、火葬して墓に納めるというものであろう。このとき「死」とははたしてそれだけだろうか。著者は、現代社会・現代医療(…ときに、過去の話しと思える面もあるが、日本全国ではまだまだ彼の指摘している意識は存在している…)の側面から「人々の死」の捕らえ方の盲点を指摘している。そこに、「人々のこころ」の存在を我々に思い出させてくれる。本書では臓器移植について多くが語られその経緯も読み応えがあるが、著者はそれのみを語っているのではないというところをさぐってみたくなる。さらに、著者自身が現在もなお、我々への問いかけをやめてはいない。初版に引き続き文庫本、そしてこの増補決定版が急いで刊行された。それは人の死が法律で決められようとしていることへの警鐘からである。「死」とは誰のものであろうか。決定版とはうたってあるが、それは移植医療についての彼なりの締めくくりであって、著者はまだまだ考え続けているのである。
 森岡氏にとっての生命、とりわけ「ひとのいのち」とはかけがえのないものである。あなたは「ひとのいのちは、誰にとってもかけがえのないもの」と自信を持って語れるであろうか。私にとってのこの本は、「そんなこと、あたりまえじゃないか」という傲慢な心に「ほんとにそう思っているの?」と扉をたたいてもらった貴重な一冊である。
 森岡正博氏の生命に対する大いなる思い、あなたは何処まで読み取ることができるだろうか。彼に弱点があるとしたらそれはどういうことだろうか。「いのち」を真剣に考えるあなたとともにありたい「森岡正博氏のいのち」、森岡氏の歩みの一冊である。

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出会ったいのちへの揺らぎから、生命に対する人々の陥りやすい判断と新たな気づきへのプロセスに彼の思索がすすめられていく

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 まだ見ぬ世界に目を輝かせていた幼い頃。限りない憧れに満ちていたはずなのに、いつの頃からか崩れてしまった。崩れいく日々を見過ごし諦めていくことが生きていくということなのか。そんな思いに包まれていた私に、もう一度いのちある人生、光を見つめてみないかと勇気をもらった一冊である。
 著書はかすかなロマンを漂わせながら展開が始まる。森岡正博氏はひとつの出会いから再起することを忘れなかった。社会の渦に翻弄されながらも、「彼の生きた歴史の中からつかみとったいのち」を彼の手のひらですくってみせている。そのひとつが彼を取り巻く社会運動としての激しい戦いであった。誰もが避けて通りたい道、時間である。確かに彼もその戦いを客観視してはいる。しかし彼は彼の生きてきた時間をしっかりと見つめ続けてきている。そして彼の胸の奥に潜む何かがあるという思いがこの著書に躍り出たのである。
 ひとつの論理や学問にはその性質上、陰にならざるをえないものがあるからこそ、人として見失ってしまうことが隠されてはいないかを問う。さらに、人々の生活から湧き出る叫びとしての運動(戦い)はつきつめていくと、人としての生き様を変容させることに導かれるのではないかと気づく。そこに「人として生きるときの揺らぎ、奇麗事だけでは生きていけない取り乱し」ということをあえて問いかけてくる。
 つらかった、読みすすめるときに目を覆いたくなった。そこまで考えて生きなくていい。逃れることもできる。この本、飾っておくだけでもきれいだしね(ごめんなさい)と。
 もとい。気をつけたいことは、森岡氏は学問を証明したいという試みで著しているのではないということ。この著書は学の世界の視点からでは絶対に読み取れないものである。もしも学の立場があるとしても、そこから必ず日常に繋がっていることを忘れてはいない。例えば、あなたの生きる毎日の中で「私には権利がある」「人は正しくなければならない」「悪を改めることこそが正しいことである」「大人になるということは諦めを認めること」云々が当然として育っていることを、各章で彼の学的解釈を通して語りかけ、問うているといえる。難しいことばにまどわされることはない。行間にある彼の語りに気づいたとき、これが「生命学」へのプロセスだよと私には聴こえてくる。
 まずは森岡氏の生きてきた(まだ生きているって?)時代に目を注ぎ省みた、彼の熱い語りの波に身をまかせてみてはどうだろう。あなたは「あなたにあるそのままの気持ち」で著書の内容を実感してほしい。そこから「あなたの生命学」がはじまるのである。

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きゅるるん大革命

2004/09/12 04:05

終わりのない始まりへ、昨日を連れて歩きだした言葉たち

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その瞳は私の目をみつめようとはしてくれなかった。

少しだけ寂しく手に取り、パラパラとめくる。

うん??? なに? まだ構成の途中なの?

どうしてこんなにページいっぱいに?
なにゆえ、こんなところに空白が?

どうしたの? 急に文字が大きく広がって。
なにがあったの? 一行におちついて。

きっと目次は消したかったのね。

おとなの女の子も常に昨日でありたいのかしら。

羽ばたきは今の、この時代に覆われたくないのね。

歩いているのに、この場所を歩いていることは認めない。

けれどもp116−117の写真が、それでも歩くよと言っている。

瞳でみつめるだけではなかったんですね…。

そう、

この始まりがこれからに連なっていったときに、

このきゅるるん大革命の、

この未完の構成が いつのまにか私にもわかるのかもしれない。

終わりのない始まりへ、昨日を連れて歩きだした言葉たちだから。

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自分の生き様になんらかの疑問を抱きながら生活するあなたへの贈り物〜著者の答えをばねにして、あなた自身の答えを見い出していけるように

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 「気になるタイトル」に気になりながら、実は昨日やっと手にしました。だから私にとっては比較的早く読み終えることのできた一冊です。
 この書は、現代の大人たちへの警鐘をも込めて書かれたものなのかもしれません。というのは、随所にドキンとするように著者の考えをなんとも平気に自然の流れで答えてあるからです。ちょっとだけ私といっしょにページをめくってみてくださいませんか?

著者「意味というのは、絶対に同じ共通のものなんだ」p29
 私「え? なんだ、なんだ?」
著者「まあ、こんなふうに科学によって説明がはいってくると、かえって話はややこしくなるだけだと覚えておくだけでもいい。科学に説明されなくたって、君は、心というものがある、心が心であるということを、ちゃんとわかっているからね。」p60
 私「え?〜だけでもいい??? え? 私、わかっているんだったっけ?」
著者「〜〜そうじゃないか?」p103
 私「は、はぁ…(どぎまぎ)」

エトセトラ…と実はこういう「あなたへの声かけ」が、随所に出現してくるのです。これって、かつての大人たちを思い起こしませんか? とにかく声を大にして、自分の考えをしっかりと伝えてくれる大人たち。けれど今、身近にどれくらいいるのでしょう…それに大人としての私にはあるのかしら?という恥ずかしさがでてきました。
 しかしまた一方では、大人たちからの答えとしての「いまにわかるさ」という声が一番困ってしまう若者たち。なのに、です、この著者は、そのことばもちゃんと使ってしまっています。これはことばについていけるようになると、ポン、とあたりまえのように出てきていますからここではとりあげないことにします。

 読み進めながら、なぜ、著者はこんなにも自分の考えを「こうなんだよ!」とさらけ出しているのかを考えてみました。特に、答えの無い答えにはとてつもない不安と絶望をいだきやすい十代の若者たちにとっては、とても心地よい響きのことばたちかもしれません。ここまで断定して声かけられると、答えを持たないあなたにとっては、背筋をまっすぐにしてみたくなる、そんな魅力があるのではないでしょうか。

 しかし最後まできて、ふと、同じ出版社から約半年遅れで刊行された「無痛文明論」で森岡正博氏の唱える無痛奔流の響きがよみがえってきました。そうです。池田氏の答えを当然の知識のごとく受けいれようとすると、それが「みせかけの納得」になってしまう。そうならないためには「自分で答えを出す」のだということに気づきました。そういう意味で若者たちの「考えるための教科書」なのですね。
 一度は池田氏の考えを受け止めて、でも私はこう考えるわ、という思いを生み出していけるガイドであると言えそうです。

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無痛文明論

2003/10/15 00:03

無痛をしかける文明とともに生きることを論ずる一冊

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 あなたがこの本のタイトルを目にして立ち止まったのは、おそらく痛みのある世界を思い描いたからではないでしょうか。なぜ痛いというイメージがあなたの中にあるのでしょう。なのに、この本は痛みが無いといっている。どうしてなの?

 この無痛文明のページでは、あなたの社会で今を生きている、あるひとりの人物が登場します。まぎれもなく著者自身です。彼はタイムマシンがお好きなようで、自分の生き様を自分の生きてきた時間として正直すぎるほど振り返りながら、あなた自身に語りかけてきます。
 語りが聞こえてきたら、必ず思い出して欲しいことがあります。あなたは、なぜこの本を手にしたのだろう。なぜ読もうとしたのだろうか。

 あなたが若者なら、とても幸せに思います。それは、あなたの生きる道をあなた自身がその若さの中で意識しているからです。あなたの生きている世界は、ひょっとしたら何かが違ってるんじゃないか、とか、わけのわからない苦しみがあるんだよな、という漠然とした痛みの不思議を秘めていて、だからこの本の無痛に目を留めてしまった…あるいは、日常には不満は無いわ、両親には感謝しているし、という、そんなあなたの瞳の奥にも、この無痛の二文字からは自分のことばの微妙さに気づいたりして…。そんなとき、無痛の意味することが見えてくるかもしれないのです。

 もう若くはないと思っているあなたなら、同じですね、わたしと(笑)。もう、十分に自分を楽にさせる生き方を知っているときに、ふっと、若者の純な魂にふれてしまい、自分もあの若者のころに戻れるならやれるさ、と思うことありますよね。純な魂には、実は痛みが必要だと知っているのもあなただから、もうこのまま流されてみますか? その答えはあなたのものだから、だれも邪魔はしないけれど。でも、もう一度思い出して欲しいのです。

 さて、たくさんの無痛を唱えながら、いつのまにか文明のことばとなった著者自身を、私は見つけてしまいました。傍観しているようで実は文明としての彼なのです。文明は、自分を解体する人間(もしかしたらあなた)のことを語り始めました。語り続ける文明自身も実は不安なのです、その上、後戻りができないことも知っているのです。だから、あなた自身が考えて欲しいと言っています。何とかして欲しいから、文明は自分で案を出してしまいました。その案はあなたに確かめてもらいたい。そして、そのどれも、きちんと考え、具体的に生きていける形を現せるのはあなた自身だよって、文明自身が論じ語り続けている…。

 さあ、まずは、はじめに、の文章をこころとめて欲しい。その後は気に入った目次項目から読みすすめてもいい。その時にめくったページだけでもいい。なぜなら、そこにはいつも日常の中から語ろうとする著者の心が見えてくるのです。リラックスした、自由な読み方をおすすめします。  
 
 最後に個人的ではありますが、読後、たぶん私はこのままゆっくりと、しかし自分に与えられた時間の自分の速さを見失わないように歩めばいいのかもしれない。今の生活の残りを自分の設定した時間に遅れることのないように気をつけながら…という、とても贅沢な(ある意味、軽い痛みでしかないから)元気(生きる)をいただきました。
 そして次は、この本を手にしたあなたの魂へと続きますように。

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紙の本かわいいホロコースト

2003/10/08 22:16

あなたにも見えますか?

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ことば知ってるつもり…

あたりまえの時間を持っていて、そのあたりまえにごまかされない。
エリスさんの微笑にも似て、ほんとうはなんなんだろうなぁ…と
ささやいてくれる…。それは、
時に、童話になるよ。時に、見上げるよ。時に、日記であり…。
かわいらしい時がある。背筋のこおる時がある。
そんなエリスさんのほんとうを、さがしあてられるかしら?

さてさて、ことのは…ことばって、

みなさん、ご存知でしょうか?
ええ、毎日使っているんだもの。
どこから来たんでしょうね?
すでに毎日おしゃべりしているわ。
ことばに待ったをかけてみたの?
だけど毎日話すわよ。
ひとつひとつがかわいいホロコースト?
きっと毎日おいしくごはんもいただくし。
あなたの瞳にまどわされていたのね?
うふふ毎日さえずっているのよ。

って、わたしには聴こえます……。

わたしは、
「行ってみたかったのは、夢と現実の中間だった」
91ページ:インコ学士の学園生活の、
この一行に、たたずんでしまった…。

ことばの意味を考えちゃいけなかった。
流れにまかせて、ことばをたどっていってみた。
そこには、自由があり、静けさがあり、なのに社会もあった。
とらわれないでいると、何かが見えるのかもしれないね。
あなたは、
あなたの愛することばをさがしているんではありませんか?
そんなあなたへ、こころを込めて推薦させてください。

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紙の本感じない男

2005/09/06 15:53

知らず知らずのうちにあなた自身と向き合ってしまうでしょう

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随分昔のことのような気がしますが、
まだ半年しかたっていません。そう発刊は平成17年2月でした。
題名にびっくり仰天して、こわごわ?いえ、恥ずかしいなと思いながら、それでも書店で購入してしまった、という読者も多いのではないでしょうか。

さて、あなた自身はどのような期待を持ってこの本を手にしたのか、そして読み進めるうちに、そのあなた自身の気持ちの中に、そうかなぁ、ホントにそうなの?あるいは、違うでしょう、という感覚が生まれ、すっかり著者の思う壺にはまってしまうようです。そして、なぜ著者はそんなことを言うの?私の場合はこうだよ、と、いつのまにか主張している自分に愕然としてしまうのです。
性について我々は、己れの気持ちを覆い隠してしまうことを推し進めていると言えそうです。もちろん、昨今では性描写は氾濫しているのですが、これは複数の人々の中であって、実は個々人の心の中ではまだまだタブーを美として存在しているのかもしれません。
著者はこれまで、この社会には我々を癒すかのように、或いは誤魔化すかのように、また気づかせないかのように進んでいく波が潜んでいると指摘し、「無痛文明」という捉えで語ってきました。そしてその流れの中で、我々が正面から語ることを躊躇してきた「性」について、「感じない男」が語られています。著者が男性だから「男」であるだけのことです。そう、男性も女性も、これまで口にすることが少なかった人々こそ、つい自分の性への葛藤、或いは快楽を主張し始めてしまうようです。
今、性としての己れと向き合える、この時間を素直に受け入れてみたいあなたに是非おすすめしたい一冊です。

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