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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

gorgeさんのレビュー一覧

投稿者:gorge

9 件中 1 件~ 9 件を表示

レゲエのイメージを読み解く

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

レゲエにまとわりついた「抵抗の音楽」「ラブ&ピース」「青い海」といったイメージをひとつずつ解きほぐしながら、それらのイメージを二重性を読み解く。「パン・アフリカニズム」の運動家として知られ、ルーツレゲエの歌詞にもよく登場し、現在はジャマイカのナショナル・ヒーローになっているマーカス・ガーヴェイ(1887-1940)をテーマにした「ガーヴェイの船と正装」が面白いけど、なんかもどかしい。ガーヴェイは「中期ヴィクトリア朝式の正装」を好んだが(よく見る写真も早稲田の学帽みたいなのをかぶって、変な法服を着ているものが多い)、それでは黒人にふさわしい(とわれわれが思っている)「アフリカ風の民族衣装」はいつだれによって発見され、「正装」として定位されたか? といった指摘は面白いのだが、では黒人によるひとつのネーションを作ろうとして、近代国家にとっての船舶と郵便の重要性にはやくから気づいていた(ガーヴェイは船舶会社を経営していて、それに関わる郵便詐欺で当時滞在していたアメリカを強制退去させられた)、組織者としてのガーヴェイ、ところが写真に写るときにはきらびやかな宗主国の衣装を着たがった、彼のその意識は何に向けられていたのか? までには踏み込んでくれない。リントン・クウェシ・ジョンソン(ダブ・ポエトリーのアーティスト)をテーマにしたダブ論でもリントンが、なぜあのような茫洋としたダブの音空間を必要としていたのか、には触れてくれない。
全体にどうしてもポスト・コロニアリズム風の議論が主調になっていて、物足りなさが残ってしまう。でも、あとがきで著者は「ディアスポラという語を非正統的に使ってみたい気もしている。たとえば、異文化のファンあるいは「かぶれ」と呼ばれるような人々の体験をそこへ接続させてみること」と書いていて、ポスト・コロニアリズム風の議論を逸脱させるような契機があることを記しているのだが……。

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紙の本岡本かの子全集 5

2006/01/17 11:57

この官能性はなんだろう

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何度読み返しても、「家霊」「鮨」などは文句なくすばらしい。この官能性はなんだろう。谷崎の初期の短編に似た「蝙蝠」などにも弱い私であった……。「丸の内草話」などの都会のスケッチのような中編は、かの子の晩年を感じさせてしまうのだが、「東海道五十三次」のような不思議な味わいがあると思っていただけの短編は、読み返すと何だか凄みがある……。「生々流転」を読まなくては。

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デザインとことばの関係を改めてあぶり出した

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本が出版されたひとつのきっかけとしてあるのが、書物の制作工程を個人が一元的に処理できるような錯覚を促すDTPの普及で、これがデザインとことばの関係を改めてあぶり出したのは確かだろう(個人の手元でテキストはデジタル化され、その一方でプログラムやディレクトリの階層構造はことばに他ならない)。「……デザインはまずことばだが、ことばはレイアウトされつつある過程で、その機能を発揮する。ことばはデザインでもある。デザインとはこの反転を生きることだろうし、この反転を演出することを編集と呼んでもよいはずだ」(「デザインとことば」)。
そこで重要なのが、デザインを成立させ、交換を保証する「喩」「写像」の構造だと思う。事物からことばへ、そして視覚単位として切り出されたデザインへの写像。「投影がどんなできごとかを考えないと、「複製」概念に近づけない……」(「知恵蔵裁判を語る」)。この関係をまだだれも批判できていないのではないか。デザインに独立した「言語ゲーム」があるといってもなんの説明にもならない。この本の通底する主題になっている、デザインの単位として縮減されたかたちを取る「平面(=ページ)」への固執もここに関わっている。

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マラルメ−書物と山高帽

2006/01/23 13:38

書物と詩編と言葉をめぐる複雑なマラルメの「賭け」

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マラルメの書物観というと─作者の死によって成る世界の隠喩としての固いオブジェ、「墳墓としての書物」─といった連想が働いてしまうが、ことはそんなに単純でなく、書物と詩編と言葉をめぐる複雑なマラルメの「賭け」が、散文のテクスト操作、書物と新聞、文学と経済、(真正な)詩と(それ以外の)雑文などをめぐって、切れ切れになったマラルメのテクストを引用しながら語られる。……「マラルメのテクストは、クリスタルの透明性をおび、言語のなかにあって思考の交換には属さない領域を映しだす」しかし「真実を一回限りの確かさで言いあらわす唯一至上の定式は存在しない。この、屹立した、単独の公式としての詩句が不可能であるということが、分断され、切れ切れとなって、散文のあいだに紛れこみ、「ページの戯れを配分し調整する詩句、書物を支配する詩句」の必要を要請するのだ」そして「知の独占形態としての「本来の書物」は、もはやかつてのように貴族の城館や僧院の書庫の奥深くにかくまわれることも、仮綴じ本をおさめた詩人の別荘の書架のなかにおさまることすらせず、いったんは相互に組み替え可能なばらの紙片に還元されて、「普遍的なルポルタージュ」の言語の循環のなかに投入される」。したがって「ロマン主義的なページづけの支離滅裂な崇高さでもなければ、その昔、書物を単位として一括して定められた人為的な統一でもない。すべては宙吊りとなり、交錯し対置された、断片的な配置となり、余白に現れる沈黙の死というべき全体的なリズムに参画する。(……)対称性が平行にひろがって、詩編における詩句の位置から、書物にしめる詩編の真正さへと結びつき、一冊の書物を超え、数冊の書物の翼を駆って飛翔する。」(マラルメのテクスト「陳列」)ことになる。……デリダやブランショなどともさまざまにテーマを共有していると思うが、それらがむやみに引用されることがないのは、好ましい。しかしこの引用の方法と文体がマラルメ的賭けを模しているのだとしても、マラルメについてなにも知らない読者としては、いささか読みにくい。

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紙の本中国人と書物 その歴史と文化

2006/01/17 11:54

特におもしろいのは、「句読」などの項

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中国の書誌学にまつわるエピソードを集めた本。「読書」「焚書」「集書」「校書」「注釈」「句読」「刻書」「偽書」「蔵書」「余話」の十編。「句読」から。特におもしろいのは、「句読」などの項。中国人は正確に読書するために句読点にこだわった。「……そもそも彼らは句読点を書物読解のための手がかりとしてではなく、それぞれ読解の仕方を示す印として考えていた。したがって彼らが書物を写したり刷ったりする際には、わざわざ句読点を入れず、読書するときに読みながらはじめて句読点を付けたのである……」。それだけではなく宋代になると「評点」(批評や注釈的な読解のマーク)が頻繁に付けられるようになる。明代には、経書や史書に有名な文章家の評点が入った書物は参考書として飛ぶように売れた、という。五色の筆で書き入れを書き分ける習慣もあったという。「評点」から書き入れ、ポストイットまで、「書物〈使用法〉─余白と書き入れの歴史」とか、考えてみたりする。

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紙の本眼の冒険 デザインの道具箱

2006/02/23 18:30

この本の意匠が

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あらゆる引き出しが動員されて、「?」という部分がないわけではないけど、普通のデザイン書にはない広がりを持っていることは間違いない。個人的な好みでも、デュシャンに対する偏愛など、どの章を読んでも面白い。ただガチガチに固めてある背(糸綴じではない。開きにくい)、「チリ」のない造本(指の引っかかりがなくて寝転がっては読みにくい)、店頭でビニールパックしてあることなどが気になる。「デザインの道具箱」と銘打って、デザインのアイディア集の趣もあるからなのか、ペダンティックなひけらかしに読めてしまうのか、何かがリアルでないような、もうひとつもの足りなさが残る内容を、この本の意匠が象徴してしまっている気がする。

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数の比率と平均律の響き

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数の比率と平均律の響きの不思議を調律師が語るエッセイ。単なる平均律の歴史ではないし、自由なスタイルが面白いんだけど、楽理についてなにも知らないおかげで、「正調音」(純正律)、「中全音」(ミーントーン)などの用語がはっきりしないところが残ってしまい(組版の細部とか、邦題とか、編集がもうひとつの印象もある)、なので『響きの考古学』藤枝守 音楽之友社(1998)を補助的に再読する。これでちょっとすっきりした。でも音程を比率で表現するのは一向に慣れない。

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図版も多く、各論考も面白い

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リシツキーと同時代・前後のアヴァンギャルドの動きが整理され、すっきりと理解できる。図版も多く、各論考も面白い。ただ、シンポジウムの記録「エル・リシツキーをめぐって」(五十殿利治+向井周太郎+勝井三雄+寺山祐策)がややとっちらかっていて、ちょっと残念。また、リシツキーの仕事が歴史的な経緯だけでなく「20世紀のデザインにとってどのような意味を持っているか」(「はじめに」)があいまいにいくつか示唆されてはいるものの、必ずしも明確にされていないのも惜しい。関連:http://ameblo.jp/mtsuchiya/entry-10006819901.html

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「ワールド・ミュージック」を再定義する

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「ワールド・ミュージック」を再定義する試み。80年代の「世界音楽」の発見からエスニシティの再交配はさらに進んで、南フランス、ブルターニュ、マグレブ、ベトナムなどで新しい音楽が生まれている事態をパリから伝える。ポスト・コロニアル風の紋切り型のトーンがやや強く、矛盾が感じられる部分もあるのだが、端々に気になるフレーズがあって、面白かった。曰く「(異ジャンル間の往復運動は)相手ではなく自分が変わることを覚悟しなければならない……」などなど。
著者は冒頭で「ローカル・ミュージック」を「私たちは、世界各地の音楽の、全方位的・中立的・快楽的な聴取から、局地的・認識論的な聴取へと、音楽受容の転換期にさしかかっているのだ……そのためには、音楽を発生源において聞き取ろうとすること……その場に行ってみること。テクノロジーが削除してしまった現地の気配を取り戻そうとすること」において定義しているのだが、これは逆に「場」を無化し「全方位的・中立的・快楽的な聴取」に向かうような音楽配信などをどのように相対化できるのだろうか? それについては「「特別な意味を帯びた空間」に執着することなく、かつてなじんだいくつもの場所から、ひとつのアイデンティティを形成することは十分可能である。というのも、私たちが失われてしまったと思い込む始源の記憶の全体性は、失われた瞬間に死児のように生じるのであり……重要なのは、特別な意味を構成する要素は何かを認定することではなく、諸々の要素から特別な意味が生まれるのはどのようにしてか、つまり構成の方法を学ぶことである。それができるようになれば、何度転地しようがそのたびごとにアイデンティティは更新され、維持される。……」ということだろうか(つまり「場」は複数なのだ)。

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