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先月(2017年6月)

しっぽさんのレビュー一覧

投稿者:しっぽ

24 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本パレスチナ 新版

2004/01/23 14:49

泣いた。けれども…

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読み進むにつれて、涙が止まらなかった。
怒り? 悲しみ? 確かにそれもあっただろう。でもそれだけではない。
誰のための涙だったのだろう。
イスラエルの人への、パレスチナの人への、罪なく傷付いた全ての人への、でもそれだけではなくて。
多分それは「人類」という生き物への怒りや悲しみも含めたどうしようもない思いが流させたものだ。

この本では、学校の授業などではほとんど触れられることのない中東、とくにパレスチナ世界の現代史について書かれている。
この本を読むまでのぼくのパレスチナ問題に関する知識は一般の人が持っているものとそう大きく違いはなかった。
いや、重要なのは知識の量ではない。
この本を読んで、知識の質、この問題について考えるスタート地点が大きく変わったと言えるだろう。
自爆テロや武装ゲリラ闘争。
何ゆえパレスチナ人たちはそういった過激な手段に頼って自己の主張を通そうとするのか。なぜもっと平和な道を模索しようとしないのか。
そうした疑問がいつもつきまとっていた。
そしてその本はぼくのそういった疑問に一つの答えを与えてくれるものだった。

それまでのぼくの視点はどうしてもイスラエルよりのものだった。
そもそも、日本国内で流通しているパレスチナ問題に関する報道は、意識するにしろしないにしろイスラエルからの視点に立ったものがほとんどだ。
それは考えてみれば当たり前のはなしだ。
日本人のほとんどはユダヤ民族にもアラブ民族にも接点を持たないし、文化的な影響も受けていない。
けれどアメリカを中心とした西欧社会の承認を受けているイスラエルは正しいと言う無条件の思い込みが、いくら公平に状況をみようとしても心のどこかにしがみついてしまうのは仕方がないことだろう。

最初に言っておくが、真に「公平」なものの見方など存在しないと思う。特に民族や思想、宗教上の対立に関しては。
立場が違うグルーブがあればその数だけ、さらに突き詰めれば、人間ひとりひとりにとって、「真実」というものは無数に存在している。
だからといって全てを投げ出すつもりはもちろんない。
むしろだからこそ、そうした混沌に覆い尽くされている状態だからこそ、少しでも多くの人が幸福になる道を模索していくのがとても重要なことではないか、そう感じている。
この本を読むと、パレスチナ問題が今までぼくたちが思っていた以上に根が深いものであり、また力によって罪のない人々を虐げているのが、けっしてアラブゲリラだけではないということもよく分かった。
そして問題はぼくの中ではより複雑になってしまった。
自分が感じている怒りや悲しみが誰のためのものなのか、誰のために涙を流し拳を振り上げるべきなのか、それはますます分かりづらくなっている。
一つだけはっきりしているのは、人間とは心底、業の深い生き物だということだけである。

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紙の本プロレス少女伝説

2001/10/23 10:09

立花隆とは一生口きいてやんない

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「立花隆とは一生口きいてやんない」
 そう決めたのは、この本にまつわる彼のコメントを目にしてからです。
 『プロレス少女伝説』という本は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、女子プロレスを題材にしたルポです。クラッシュギャルズが引き起こした女子プロレスの大ブームが少しずつ翳りを見せ始めていたそのころに、女子プロレスの世界に足を踏み入れた、神取しのぶ、天田麗文、メデューサ・ミシェリーという、三人のまったくちがったタイプの女子プロレスラーたちの、生い立ちやプロレスに関わるようになったいきさつを書いています。

 さて、立花隆がどこに出てくるかと言うと、彼はこの本が受賞した文学賞の選考委員の一人だったのです。
 この手の文学賞では、受賞者が発表になると、総括として選考委員のコメントなども同時に公表されることが多くあります。
 その選評に目を通してみると、ほとんどの選考委員がこの『プロレス…』の受賞を推していたのに、ひとり立花隆だけはかなり強い姿勢でそれに反対していました。彼は発表された選評のなかで、その理由として次のようなことを述べていました。
 作品としての構成力や文章力は十分に賞をとるに値する。しかし、プロレスという題材がいけない。
 プロレスというのは「知性と感性が同時に低レベルにある人間だけが楽しむことができる」もので、その特殊な世界の中でのできごとなどは、わざわざノンフィクションとして世に問うような大事な出来事などではない、ということでした。
 繰り返しになりますが、これは雑誌に掲載された選考委員の一人としての公式の選評です。決して、インタビューでつい勢いづいてしゃべってしまったとか、飲んでる席でポロっと言ってしまったとかいうたぐいのコメントではありません。

 なんやねん、その話をきいてそう思いました。

 子柔道で日本チャンピオンにまでなりながら、柔道界の体質を嫌い、ごくあっさりとプロレスに転向していった神取。日本人と中国人のハーフで、十二の歳まで日本に住んでいる両親と離れて南京で暮らしていた天田。レスラーを足掛かりにエンターテイメントの世界へ進むことを夢見ていたメデューサ。三人がなぜプロレスという世界に足を踏み込み、そこで何を見て、どんな足跡をのこしていったのか。
 それは確かに女子プロレスという閉鎖的で特殊な狭い世界でのできごとかもしれない。しかし一方で、女子プロレスという世界に熱狂する観客の少女達が大勢存在し、そこになんらかの価値を見つめているのも確かだ。
 たしかに、取るに足らないくだらないことなのかもしれない。ある人々から見ればね。だけど、だからといってそれを切り捨ててしまったら、彼女たちはどこへ行けばいいんだろう。
 プロレスは不思議なもので、見方によってはすごくたくさんの意味をそのなかに読み取ることができる。その多彩さやいかがわしさ、夢のような豪華さやむっとする汗臭さ。そんなものが混じりあっているのが本当のプロレスなのだと思う。
 プロレスというものを通して初めて、世界と正面から向き合うことを覚えた人だってたくさんいる。だから、プロレスの世界で彼女たちが生きてきた足跡をたどっていくことは決して意味のないことではないと思う。

 慣れない日本での巡業暮しの中で、他の日本人選手達から距離を置かれていたメデューサは笑いながら作者に言った。
 「誰かが私を永遠に受け入れなくても、それは問題にならない。私は他人に受け入れられるために生きているのではなく、自分の人生を見きわめるために生きている」

 強くならなきゃ、22才のぼくはそう思った。

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紙の本からくりからくさ

2004/01/23 14:12

そして人は今日も人生を紡ぐ

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小さい頃、といってももう中学にあがろうとする頃だろうか。
決して「世の中の役に立つ仕事にはつかない」と心に誓った。
なぜそんなことを考えたのかも覚えていないし、それほどその誓いにこだわって生きてきたわけでもない。
けれど、僕の中のどこか深いところで、そう誓ったという記憶だけは薄れることはなかった。
そのことだけが理由と言う訳ではないが、今のぼくは少々浮き世離れした仕事で生活の糧を得ている。
それはとてもうつくしいけれども、本質的には何かを生み出したり作り上げたりすることはない、そんな仕事だ。

文庫版の解説でもさりげなく触れられているけれど、この物語の中で印象に残っているのは、「手仕事」に代表される日常のこまごまとした生活のための作業の描写だ。
まず主人公やその友人たちが修行しているのは染色や機織りや鍼灸だったりする。
庭の雑草を摘み草して食卓にのせるくだりを初めとした食事の支度にまつわるシーン。
物語全体は時には中近東の山岳地帯や伊豆の島をはじめてした日本各地へと広がりを見せ、古い出来事と現代のできごとが、現実世界と精神世界のできごとが重なりあい深い奥行きを感じさせる。
にもかかわらず、登場人物たちや物語が読み手の日常から離れていくことなく、地続きの世界のできごととして感じられるのはそうした「日常」に対しての揺るぎない感覚がバックポーンとして貫かれているからではないのか、そんな気がした。
遠い昔から現在まで続けられてきた生の営み。
そのしがらみのなかで人は苦しみ、あがき、迷いつづけてきた。
時に何かにあらがい、逆らい、戦いをくりひろげてもきた。
けれどそのひとつひとつも、長い時をくぐり抜けてしまえば、ひとつの変わらぬテーマに対しての無限に繰り返される変奏曲に変わってしまう。
そしてそれこそが、人間のもつ強さのもとなのかもしれない。

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帆船に乗って航海をしよう!

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この文章を読んでいるあなた。あなたでも帆船に乗って航海できるって知ってました。舵を取ったり帆をあげたりの作業を実際に自分達で行いながら航海していく、それがこの本で紹介さているセイルトレーニングです。この本では1983年の大阪世界帆船まつりを大阪市が開催したことから始まり、その後国内の自治体としては初めて帆船を建造し、セイルトレーニング事業を始めるまでのことが書かれています。
 帆船に乗って航海するのって面白いのか? この本に、その答えがでています。もちろん、最高に面白い、と。

 セイルトレーニングに参加するのには一切の資格はいりません。ヨットや船の航海経験も、アウトドアの経験も。あえて必要なものというば、好奇心とかいつでも笑える心とかそんなものです。ぼくが言うのだから間違いありません。だってぼくもこの本を読んで実際に帆船に乗ったのですから。

 スポーツは嫌いだし休みの日はうちの中で本を読むのが好き、そんなインドア派のぼくは何気なく手にとったこの本に興味を惹かれて「あこがれ」という名の帆船に乗り込みました。それまではヨットに乗るどころか海水浴さえ何年もごぶさたしていたくらいに海なんて縁遠いものでした。ちょうど仕事の上で行き詰まっていた時だったので、ちょっとした気分転換にでもなればと思って軽い気分で出かけたのです。
 で、結局、予想していたより遥かに素晴らしい経験をすることができました。そのひとつひとつは書きはじめるときりがないのでここでは割愛しますが、とにかく、この本がなければ、ぼくはこんなに面白いものに出会うことはなかったでしょう。

 ぜひ、この本を手にとって見て下さい。そして興味が生まれたら、本から実際の航海へと乗り出して下さい。きっとあなたの人生に、新しい何かが付け加えられることうけあいです。

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紙の本堕落論 改版

2001/12/12 00:04

自分自身によってしか救われることはない

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 坂口安吾というとどんな作品を思い浮かべるんでしょうか。じつは、ぼくはこの人の小説はそんなに好きではありません。きらいでもないんですが、あんまりいれこんだことはないんです。反対に、彼のエッセイ(という分類はちっとも似合わないけど)には、高校時代に思いっきりはまりました。自分の生きたい生き方(職業とかではなく生きる姿勢の問題)が、世の中の一般的な価値観とずれてきてることに悩んでいた時期がありました。ちょうどそのころ学校の授業で、安吾の「堕落論」がとりあげられたのです。このほんとうに短い文章が、苦しんでいたぼくを勇気づけてくれました。といっても、ある意味でそれはとても厳しい内容だったのですが…。

 「堕落論」では堕落することが必要だといいます。人間というものは強制された規範がなければ堕落していくものだという前提にたち、それでもとことんまで堕ち、そのどん底で、他人から与えられた規範ではなく、自分自身で自分の生き方を発見する。人は自分自身の力によってしか、本当の意味で救われることはない。そういう内容でした。弱さを肯定してくれているのに、自分の面倒は自分で見ろよと、突き放されるみたいな感じで、恐いんですがすごく魅力的でした。

 同じクラスのある友人がやはりすごく感動していました。ぼくはちょっと意外でした。彼は生真面目なタイプではないのですが、優等生で、校内のいろんな活動にも積極的に参加している人で、ぼくなんかからみるとちょっとまぶしすぎるくらいで、なんだか敬遠していた人でした。それが、何かのはずみで話をしている時に、「これって、なんだか、わかってるって人が書いた文章みたいな気がする」と「堕落論」のことを語ったのです。
 敬虔なキリスト教徒でもある彼にとって、既製の権威や規範を否定している「堕落論」は、ある意味では絶対に彼の信仰と相容れないもののはずなのに。そのときぼくは、彼の中にもなにか人にさらしていない悩みがあるんだと、なんだか彼にちょっぴり親しみを感じました。
 その後彼は上智大学の国際政治学科というたいそうむつかしいところに進み、今、東南アジアのどこかで、NGO活動に身を投じていると聞きます。今のぼくとはとてつもなく離れたところで生きている彼ですが、その消息を聞いた時に、ぼくは高校生の彼の中で息づいていた、人に言えなかった何かの存在が、ほんの少し理解できたような気がしました。

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いまここと地続きの場所でのファンタジー

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 タイトルの「マチルダ」は物語の中に出てくるカンガルーの名前です。しかも、カンガルーにしてボクシングの達人(達カンガルーか)。
 マチルダはサーカスやお祭りで街の腕自慢達と賭け試合をやる毎日。しかしマチルダの世話役は元イギリスのミドル級チャンピオンで世界チャンピオンにも後一歩というところまでいった人物。彼のコーチのおかげでマチルダは様々なテクニックも身につける。
 ところがある日、田舎のお祭りでいつものように賭け試合。その日の相手はなんと、たまたま故郷に帰ってきていた現役のミドル級の世界チャンピオン。ところが、酒が入っていたこともあって、なんとマチルダがチャンピオンをノックアウト。それを、これも偶然リングサイドで全国紙のスポーツ記者が見ていたから大変。翌日の新聞には「ミドル級に新世界チャンピオン誕生」の記事がでかでかと。世界で初めてのカンガルーのボクシング世界チャンピオン(?)をめぐって、興行師、新聞記者にマフィアの親玉までが、それぞれの思惑で動き出す。
 アメリカ中を巡業して回るマチルダはプロボクサー相手に連戦連勝。テレビでも試合は中継されて大ヒット。そしてマチルダは、かつてお祭りのリングでノックアウトした選手と、ニューヨークで十一万人の観客を前に、本当の世界チャンピオン決めるためのリターンマッチに望む。
 作者のポール・ギャリコはぼくが一番好きな作家です。この人の作品はファンタジーなんだけど、表現や文章はものすごくリアルなの。どんなに不思議な出来事が起こっても、それが現実のぼくたちの生きている世界と地続きな世界での出来事だと思ってしまうような語り口なんです。たとえば、この「マチルダ」の中でも「カンガルーがボクシングをする」っていうことの他は、ものすごくていねいに書かれてる。登場人物もものすごく生々しい人たち。彼らの考えとか悩みとか打算、そういったものがきちんと描かれてるから、ボクシングをするカンガルーのおバカな話を真面目に楽しむことができる。
 ラストにはまた、ものすごく人間臭いどんでん返しも用意されてます。やっぱり、ギャリコって面白いや。そうあらためて思い知らされた一冊でした。

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スーパーの駐車場で女子プロレスを見ていたころ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 最近はあまり見に行かないのだけど、昔、全日本女子プロレスという団体の試合をよく見に行った。
 立派な体育館からスーパーの駐車場までいろんなところで試合を見た。
 そのころ前座に必ず小人プロレスの試合が組まれてた。
 何度か見たけどそこそこ面白い。体が小さいから動きが素早く見えて面白いし、技とかもそこそこ決まってる。
 お約束みたいなボケがたくさんあって、突っ込み役として、レフリーもハリセンを持ってリングに上がってたりもしてるし。
 でも、ぼくが見に行ってたころはもう三人しかレスラーがいなかったので、試合がどうしてもマンネリっぽくなってたなあ。シングルマッチしかできないからどうしても試合の組み立てが限られてはちゃってたし。
 それでも、断続的に何回か見ていると、いろいろ違ったことをやっていこうと工夫してたのはよくわかったけど。

『異端の笑国』という本では、小人レスラーをはじめとして、小人症の人たちと社会との関係についてのルポです。
 本の中でくり返し語られているのが、小人の存在自体を隠そうとする社会全体の雰囲気についてです。
「不自由な肉体を見せ物にするな」という思いやりにあふれた正論によって、表現者、エンターテナーとして活動したいという小人達は活動の場を奪われて行きました。
 テレビに出れば投書がくる。障害を笑い者にするなと。小人の人たちのエンターテナーとしての技術や努力やプライドには少しも思いをはせようとしない人々。ただひたすら「見せ物は悪」という固定観念から少しも出ようとはしない。
 障害者、健常者の別にかかわらず、すすんで見せ物になろうとしてそのために大きな代償を払おうとする人間だっているのだよ。少なくとも現代には。
 生きるということに対しての絶望的なくらいの想像力の欠如だと思う。人にはいろいろな生き方があるのに。ただ、生きているだけでは気がすまないバカな人間もたくさん存在するのです。拍手や歓声や、もしくは怒号や悲鳴の中でしか生きている実感を見出せない人間も。
 まあ、ぼく自身も想像力や思いやりが足りない人なので、本当はあまり人のことは言えないのだけど。

 今でも、メキシコではたくさんのミゼット(小人)レスラーが試合をしています。日本では前座の余興的な扱いの小人プロレスですが、メキシコでは人気も高く、レスラーはかなりよい扱いを受けていると聞きます。
 彼等は小人に生まれたことをラッキーだと言い切るそうです。人と違った能力を与えられたおかげで、それを活かしてエストレージャ(スター)になれた、と。
「他人と違う」ことに対してのこの積極的な考えかたをぼくはとても素敵だと思います。

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紙の本六の宮の姫君

2001/12/12 00:23

ほかの作品は大好きです

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ぼくはこの話、あんまり好きじゃない。

 「六の宮の姫君」を読んだ人にちょっと聞いてみたいな。「面白い」という要素を省いて考えた時、あなたはこの物語を「好き」になれますかって(ものすごく変な問いかけだなあ…)。みんなは好きなのかなあ、こういう雰囲気の作品…。ただ、この作品に関しては自分の判断にちっとも自信がない。ほんとに、個人的な感想でしかないんだけど、この作品の中に描かれている世界、大学の文学部の研究室とかの世界って言うのが、ぼくは嫌いなの。ずいぶん昔(時間の長さでの昔というより、ぼくの心の中での昔ってこと)、一度こういう世界に片足を突っ込みかけて、自分には向いてないと思って捨ててきた世界だから。
 なんか、ほんの少しは未練があるのかな。こころのどこかで。こういう人生への。それとも、自分の過去のある一時期への反発なのかな。こんなに過敏な反応をするのって。やだな。心を開くため。精神を解放するために物語をひもといているつもりなのに、自分の中のみょうに固いところをたまたまみつけてしまったみたい。

 えっと、小説としてはほんとに面白いと思います。それは、もう、絶対。でも、どうしてその内容について語るのかが少しも納得できない。ストーリーもキャラクターもすごくよい。だからどんどんひきこまれて読み進んでしまう(そこがまた、しゃくにさわるのかも)。
 でも、どうしていまこれについて語らなくてはいけないのかがわからない。物語の中では作者の力量で、そんなことは気にならない。だから、作品としてはとても優れていると思う。ただ、ぼくは学生時代にぼくが感じた疑問を改めて感じただけ。文学を研究する、そのことに意味がないとは思いません。ただ、若い頃のぼくはこんなふうに考えてしまったのです。それが、現在を生きている僕達にとってどのくらい役にたつのか。役に立つという言葉がそぐわないのなら、どのくらい助けてくれるのか。本気でそれを必要とするか。それを失うとどのくらいぼくは傷つくのか。
 そしてぼくは、より自分に力をあたえてくれるものを探したのです。そして、研究室の机の上や、図書館の本棚や、分厚い本のページのすきまにではなく、騒々しい街と人の中に自分が進んでいく道を探したのです。

 この本は本当に面白い本です。読んでみて損はない、いちおしおすすめの本です。ただね、ぼくにはちょっと素直に読めない本だったの。

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紙の本わがひとに与ふる哀歌 詩集

2001/12/12 00:12

見えない人、見えてる人

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 伊東静男の「わがひとに与ふる哀歌」昭和10年の発行です。ちょっと古い本なのでとっつきにくかったのも確かだけど、何度か読んでいるうちにだんだんひかれていきました。どこにひかれたのか。この人はきっと「見えてない」人だと思ったから。
 詩集のタイトルになっている「わがひとに与ふる哀歌」っていう詩の冒頭。
  太陽は美しく輝き
  或は 太陽の美しく輝くことを希ひ
この自信のない書き出しはなんなんだろう。そしてこの詩は、「清らかさを信じ」たり、「太陽を希っ」たりしながら「意志の姿勢」でやっと鳥の声を聞いたりしている。

 すぐれた芸術家っていうのは、現実の世界とはちがった別の世界の存在を、作品を通じて普通の人にも見せてくれるものだと思う。そして作家本人は、そのちがった秩序で構成されている世界が見えているのだと思う。いませんか、そういう人。独断で言うと、絵描きさんとか音楽家に多いような気がします。見えてる人って。

 伊東静男と同世代の詩人で言うと、中原中也なんかは見えてた人っぽいですね。だけど静男には見えてなかった。においや気配は感じてたんだと思う。それもかなりはっきりと。もしかするとすりガラスごしみたいにぼんやりとは見えていたのかも知れない。でも、はっきりは見えなかった。だから、そういう世界の存在を確信しながらも疑っていたような気がする。それとも、はっきりと見つめていながら、どこか現実の世界に近しさを感じていたのかも知れない。
 だから、静男の詩はどこか屈折があるような気がする。それもたんに現実に屈折しているのではなく、自分がそこによって立とうとしている「詩」の世界に対して屈折しているような気がする。ぼくはそこにひかれていた。

 ぼく自体は、やっぱり見えない人です。そういうものがあるのを信じていますが、見えない人です。だからあんまりはっきり見えると言う人は逆に信じられません。でも、気配は感じています。だから、もう何年も何年もずっと信じ続けています。

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李陵・山月記 改版

2001/12/12 00:00

自分のなかにひそむなにかと出会う時

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 この人の作品は、古典的なものから題材をとっているものが多い。一番多いのは古代中国(あまりにもアバウトな区切り方だが)の伝承や史実に基づいたもの。で「山月記」の舞台は唐代の中国です。
 李徴という、頭はきれるんだけどちょっと偏屈な男が役人になったものの、まわりといまいちうまくいかなくて、役人をやめて詩で身を立てようとするんだけど、それもどうもうまく行かない。しかたなくもう一度役人になるのだが、ある日出張の途中、突然気が狂って宿を飛び出しそのまま行方不明になる。
 その翌年、李徴の友人だった袁惨(字がでない!)という役人が、やはり出張で李徴がいなくなったあたりを通りかかって、一匹の人喰虎に行き当たります。ところがこの虎、人間の言葉をしゃべります。袁惨はその声に聞き覚えが。その虎こそ李徴の変わりはてた姿だったのです。う〜ん、ファンタジーだったんだなあ。

 国語の授業でこの作品を取り上げたのですが、うちの先生が、この「山月記」の下敷きになった中国の伝承を持ってきました。もちろんそっちは漢文なのですが、当時は今よりも漢文は読めたので(ううっ)ざっと目を通してみると、ストーリーまるっきりいっしょ。でも、中島敦の方が、「虎になった理由」についてより詳しく語っています。理由は正確にはわかりません。あたりまえだけどね。
 でも、李徴は人間だった頃の自分を振り返って思うの。詩によって身を立てようとしながらも、師匠についたり同好の仲間と交わったりすることをしなかった。それでいながら、身近な人たちを才能の乏しい俗物だと軽蔑してつきあうことができなかった。「己の珠にあらざるをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった」と李徴は思う。そうやって自分の中に「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」を飼いふとらせ、友人や妻子や自分自身を裏切り傷つけてきたがゆえに、外見までも虎のようなみにくいものになってしまったのではないか。ここんところでぼくは参ってしまいました。なんか、自分のことをいわれてるみたいで。

 物語の最後で、草むらに身を潜めていた李徴は遠ざかる袁惨の一向にその身をさらします。もう二度と袁惨が自分に会おうという気を起こさないために、あえて凶暴で醜悪な虎の姿で朝の空に浮かぶ月に向かって咆哮するの。

 ずっと昔に読んだ本です。ぼくにはその時から分かってたはずです。自分の中にも李徴と同じ虎がいることに。でも「臆病な自尊心」は今でもぼくの心の中で眠っています。自分を変えるというのは、なんて難しいことなんだろうか。

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紙の本南の島のティオ

2001/12/11 23:56

夢の時間を生きていくことについて

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 この物語は南の方にあるどこかの島が舞台です。まだ、自然も色濃く残っているものの、飛行場もあり町中では車も走り回る、そんな島。主人公のティオは街のホテルの子供だ。物語はティオが島の中で経験する、ときには幻想的な、ときには現実的なできごとが次々と語られていく。

 ぼくが好きなのは「帰りたくなかった二人」という短い作品です。
 海に囲まれた南の島にかんちがいで山登りをしようとした日本人のカップルが、ティオのホテルにやってくる。山には結局登れないんだけど、ふたりはすっかり島での生活が気に入ってしまう。少しでも長く島で暮らすために、ホテルも引き払って森の中の小屋で二人は暮らすようになる。
 それでもやがて、手持ちのお金が尽きる。二人は日本に帰らなくてはならなくなる。日本に帰ると仕事で忙しい毎日が待っている。二人の仕事はやりがいもあっていい仕事らしい。飛行機のチケットを売ろうか…男の人はそんな考えを弄んだりもする。けれど結局、二人は日本へと帰っていく。
 「またくるね」そういう二人にティオは思う。「二人はもう、戻ってこないんじゃないか」と。

 最近ぼくは、趣味で帆船に乗っています。帆船に乗るって言うのがどういうことなのかはピンとこないでしょうが、それはすごく強烈で新鮮で魅力的な体験です。ただし、時間的にも金銭的にもけっこうきついものなのです。帆船での航海って。

 で、一度航海を体験した後で、何度も船に乗るようになる人と、航海がすごく楽しかったにも関わらず、二度と船に乗りにこようとはしない人もいます。一方は年に一度一週間船に乗るために、お金をため、有休を調整して、ものすごい努力をしてまで海に出ようとします。
 そして一方に、たまに会って船の話とかをしているとすごく楽しそうだったり、ぼくが今度船に乗りに行くと言うとうらやましそうにしたりする人がします。でも、その人たちは決してもう一度船に乗って航海しようとはしないのです。

 ぼくはこの短い物語のラストシーンで、ふと、そんなぼくの友人達のことを思いました。ちょっと切なくなりました。夢と現実をごちゃまぜにしたまま生きていくのには、資格や力が必要なのかもしれません。それは夢を現実に変えていくには、もしくは現実の世界の中に出現させるには、と言い換えてもいいのかもしれません。夢を見ることはだれにでもできることだけど、夢を見続けることや夢を現実のなかで求めていくことができるのはごくごくわずかな人たちだけなのかもしれません。

 この本を読んで、そんなとりとめのないことを思ってしまいました。

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紙の本アクアリウム

2001/12/05 01:52

一読で三回おもしろい

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 奥多摩の地底湖で遭難した友人を探すために、一人きりで洞くつに潜った主人公は、横穴の奥の小さなドームの中で、不思議な生き物と出会う。魚のような哺乳類のようなその謎の生き物は、主人公とテレパシーのようなもので共感しあう。主人公はその生き物を「イクティー」と名付け、休みのたびごとに装備を整え湖にもぐる。
 ところが、林道建設のためのトンネルの掘削が始まったせいで、地下の水脈がかわってしまい地底湖の水は濁り、水位が下がっていく。イクティーは少しづつ弱っていく。イクティーのために、主人公は奥多摩山中で出会った林道建設反対派の運動に関わっていくようになる。

 独特の雰囲気があって、すごく面白い小説でした。最初は地底湖の生き物との幻想的な交流が中心で話が進んでいたのが、途中からは林道建設反対運動の中で主人公がイクティーを助けようとする試みが語られる。運動の中での人間関係や力関係のなかで主人公は悩み、傷つくが、最後はそんな現実の関係性から抜け出して、イクティーを救うために主人公が行動に移って終わる。

 一つの物語で三つの別々の小説を読んでるみたいなところもあるけど、それぞれの展開が不自然じゃないし一つの流れがしっかりとしているので違和感は全然感じませんでした。ひとつのジャンルには収まらない魅力がある面白い作品でした。

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紙の本詩は友人を数える方法

2001/12/05 01:48

夢のような、あまりにも夢のようなエッセイ

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 詩人の長田弘がアメリカの、それもへんぴな地方を旅するなかで、片田舎の風景の中から過去の物語と詩を拾い上げていくエッセイ。作者の感性が拾い集めるのはなんともいえない不思議なエピソードばかり。

 地図にものっていない人口が三人の小さな町の生まれてからさびれていくまで。旅をしながら林檎の種を配り何千本もの林檎の木を育てた男といつしか静かにひろがっていったその旅の伝説。ライブハウスで偶然見つけた刑務所の服役囚たちの詩集。

 エッセイの中で語られる話はどこか不思議な雰囲気で、現実のできごとではなくて。全てが作者の想像なんじゃないかと思うくらい。でも、そんな夢のような物語なのに、語られる町や人々は切ないくらいにくっきりとした明確な印象が残るの。この人にしか書けない独特の世界です。

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山の上の交響楽

2001/12/05 01:39

無限につづくものたちと向き合うには

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 この話はオーケストラのお話です。
 ひとりの天才作曲家が83年の歳月をかけてかきあげた、全てを演奏するのに一万年(!)かかるともいわれる曲「山頂交響楽」。その演奏は200年前に始ってから一度たりとも途切れたことがない。山の上の奏楽堂では八つのオーケストラが一日三時間ずつ交代でその曲を演奏し続けている。
 そして三ヶ月後、今までで一番の難所がやってくる。八つのオーケストラの800人が同時にステージに上がって演奏をする八百人楽章が近付いてきているのだ。ところが、ただでさえ演奏の難しい八百人楽章が迫るにつれ、さらに様々な難題が持ち上がってくる。
 パート譜の出来上がりの遅れ。演奏中に奏楽堂の屋根を開く、開けないの意見の対立。楽譜の中に指定されている見たことも聞いたこともない新しい楽器。そして気が遠くなるくらい長い時間、ただひたすら演奏を続けていくことへの疑問。
 なんだかんだで日が過ぎて、ついに八百人楽章の幕があがる。

 なんか、このシチュエーションだけでわくわくしない? この話は設定はSFっぽいけどストーリー自体はごく日常的に進んでいきます。あらすじだとドタバタした話みたいに見えるけど、物語自体はむしろ淡々と物語は流れていくの。
 自分達が生まれる前から演奏が始って、自分達が死んだ後も演奏が続いていく、ほとんど「無限」といっていい長さをもつ交響曲。演奏者たちにとって演奏は仕事で、毎日休むことなく続いていく。でも、その中で、「八百人楽章」に向き合うことによって、無限の長さの演奏の中にいても、一瞬一瞬はその長い曲の中でも二度とあらわれない一瞬だというのが見えてくる。

 なんだか、生きることみたいだとは思いませんか。

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障害者プロレスを“生”で見てみると

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 あれは、五年ぐらいまえのことだったっけ。
「ドッグレッグス」という、名前だけは知っていた。障害者が集まって、定期的にプロレスの大会をしているって。
 ある時、まったくの偶然から、彼らの試合を目にする機会と出会った。そんなにものすごく興味があったわけじゃなかった。実際に見てみるまでは。

 ずいぶん昔、「学生プロレス」というものを見たことがあった。
 いろんな大学のプロレスサークルの連中が集まって、プロレスのまねごとをしていた。
 プロレスのキャラクターや技をパロディーにしたコミックショーまがいの試合から、それなりに体も鍛えた人たちが、それなりにさまになっている技を披露してくれる試合もあった。
 それはそれで、そこそこ面白いものだった。見せ物としては。
 プロレスが好きな人間ならにやっとするようなネタもある。素人にしてはすばらしく美しい試合運びを見せてくれもした。
 そしてその中から、実際にプロレスラーになってしまった人もいる。

 だから、障害者プロレスもそんなもんだと思っていた。
 そこそこ面白くて、そこそこ見れる、ちょっと世間的にはしゃれがきついかなくらいのもの、そんなことを想像していた。

 でもね、ちょっとちがってました。

 そこにあったのはとても「生っぽい」試合だった。
 試合の内容が真剣勝負とかそういうレベルの話ではなくて、レスラーとして登場してくる障害者や健常者ひとりひとりが、妙にリアルで生っぽい存在に感じられたのだ。
 試合内容はある意味ではひどいものだった。
 だって自力では立てないような人間もレスラーとしてリングに上がっているのだから。
 試合展開も殴ったり蹴ったりかもつれあっての締め技や関節技の応酬に終始していた。そういうリアルファイトがやりたかったからじゃなくて、単純に、体の動きが不自由な人間どうしが戦うと、そういう展開にしか持っていけないからだ。
 最後の試合は健常者対障害者の「異者」格闘技ハンディキャップマッチ。試合は障害者の懸命の抵抗も空しく、健常者がほぼ一方的に相手を痛めつけて終わった。

 この障害者プロレスの世話役のようなことをしている人が書いた本がある。
『無敵のハンディキャップ』という本だ。
 この本の中に、障害者プロレスをはじめたそもそものきっかけが出てくる。
 それは、二人の障害者がひとりのボランティアの女子大生を取り合った末に、結局二人ともふられてしまったことから始まる。
 ある時二人が口論から喧嘩を始める。プロレス好きだった二人の喧嘩を見ているうちにそれを興行にしようと思い立ったらしい。
 この本の中には、障害者とボランティアがおたがいの関係を作っていく難しさが随所に語られている。
 ボランティアは障害者をいたわり、保護する存在としてとらえがちになる。それがつづくと、障害者もそのことを当然ととらえるようになってしまう。
 そしてそれが続くと、障害者の依頼心はますます強くなっていく。そしてそれがある一線を越えてしまう時、多くのボランティアはよりかかってくる障害者達に耐えられなくなって遠ざかっていく。

 著者は現状の障害者とそれを取り巻く状況に偽善的なうさんくささや、障害者の自立をかえって疎外するような雰囲気を感じていたという。
 だから障害者プロレスはそんな「ボランティア業界」そしてその向こう側の健常者にとって、障害者というものをつきつける行為なのだ。
 それが果たして正しい行為なのか、現実に意味があることなのか、それはぼくにはわからない。
 だけど、障害者プロレスに参加することで何かを得ている障害者達がいて、それを見ることで何かを考え始める健常者がいるのなら、それはあながち、ただのきわもの的な見せ物なんかではないとぼくは思う。

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