サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. スパンキィさんのレビュー一覧

スパンキィさんのレビュー一覧

投稿者:スパンキィ

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本雨にもまけず粗茶一服

2004/11/24 02:16

悪い人が一人も出てこない。どの登場人物も愛しくて仕方がない。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

東京の弱小武家茶道・武道の家元の跡継ぎとされている友衛遊馬(ともえあすま)くんが、自分らしく生きたい、弱小家元なんか継いでたまるかと家出をし、成り行きとはいえできれば行きたくなかった京都でいろんな人と出会い、自分の行く末を見つめて自分のことがわかってきて自分から一歩を踏み出すという話だ。

とにかく登場する人々がみないい。悪いやつなんか一人もいない。変人は多いけど(どれだけ変なのかは読んで確かめてみてほしい)。遊馬くんだって、バンドで有名になるんだと息巻いていたわりには、ぼんぼんゆえのやや難ありのわがままな性格とテク無しギタリストであったせいで、他のバンドメンバーから総すかんを食らった後は、怪しげな托鉢僧になってお金を稼ごうなぞという短絡的でおバカな行動に出はするものの、いつまでも滞在先の畳屋さんには迷惑はかけられないと新聞配達を始めてからは、実にいい青年になっている。

幼いころから教え込まれた茶道弓道剣道も身体が覚えていて実は嫌いではない、むしろ好きなのだと自覚していく過程も快い。遊馬くんのお点前を私もいただきたい。好きな女の子にも中途半端な自分をちゃんと告白できるようになるし、本当はよくできたお坊ちゃまなのだ。

とてもすがすがしい気持ちになれる小説で、この先遊馬くんはどんな経験をしてどんな家元になるのかとても気になった。続編はないのでしょうか。

京都の人々の裏にあるもの言いとか、実はその裏にある人間的なものとか、茶人の茶に対する姿勢や何を見るかということもよく書かれていて、読み進めるのがとても楽しかった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本密教入門

2004/07/27 11:58

密教の世界観が垣間見られる

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最近にわかに空海弘法大師のことが気になりだして、まずはとっかかりとして写真や図版がたくさん載ったこの本で「密教とはなんぞや?」と理解しようと思った。深いですね、宗教は。とくに己をつきつめるようなものは。

密教シロウトの人々が必ず口にするであろう質問に西村公朝氏が答えるという形式で密教についてのごく基本的な説明がわかりやすく書かれている。両界曼荼羅の表現する世界や、どうして密教の仏像はエロチックなのか、真言宗と天台宗の違い、護摩供の作法、身近な密教のお寺の紹介など、はたと膝を打つような内容ばかり。さすがに印のすべては修行者でない読者にはつまびらかにはできないということで、合掌の方法だけが載っていたが、いやはや合掌も奥が深いのだ。

付録として真言の一覧と種子(仏さんのイニシャルとかサインみたいなの)などが載っていてお得。それとライターの方が千日回峰行を行う行者について3日間だけ修行をしたというルポもストイックな雰囲気が伝わってきてよかった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本村田エフェンディ滞土録

2004/05/04 15:03

遠い土耳古(トルコ)の地で育まれる友情

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

中村智氏の装幀と水墨画のような挿絵が雰囲気をさらに盛り上げる。

場所は土耳古(トルコ)帝国、時はオスマン朝末期。主人公の村田は土耳古皇帝の直々の招きで歴史文化研究員として土耳古の君府・スタンブールへやってきた。下宿をしている屋敷には女主人で英国人のディクソン夫人がいて、料理や下働きの土耳古人・ムハンマドがいる。下宿人仲間には同じ学問を志す独逸人のオットーと希臘(ギリシア)人のディミィトリス。本書は彼等とムハンマドが道で拾った絶妙のタイミングで喋る鸚鵡を軸に、村田が体験した文化の違い、不思議な体験が綴られる連作である。

村田は前作『家守綺譚』の主人公・綿貫征四郎と大学の同窓なので、本書の最後のほうに出てくる。綿貫征四郎もそうだが、この村田という青年も土耳古で不思議な体験をしていくが、本書の主題はそういうことではなく、彼が異国の地で育んだ友垣との交遊であり、人間として分かりあえた青春の日々が国家という正体のわからぬものに振り回される日々へと変貌していったことへの寂しさであろうと思う。

そうした国家や民族を超えた交流の背景に描かれるのが、今から約100年前のトルコの風景である。まるで見て来たかの様に書かれていて、挿絵の美しさと凝った装幀と合わせてまだ見ぬトルコへと想いを馳せてしまった。まるで登場人物が実在であるかのようだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

WEBサイトは偏愛マップだったというオチ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

自己愛人間同士のコミュニケーションは取りづらいと言われてきたが、自己愛を表す偏愛マップを使えば自己愛人間でも自分と共通する部分を見出して交流が発生するというのが本書の趣旨。

この偏愛マップを使った交流はおもしろそう。
自分語りが好きな私としては偏愛マップをぜひとも作ってみようと思った。人に見せる/見せないかはともかく。いや、見せてコミュニケーションを円滑にしようという本なので、見せないと意味がない。

が、blogをやっている人あるいは趣味のページをインターネット上に公開している人はその一部を作っているということだと思う。偏愛マップとは自分の好きなこと、それもハンパじゃなく好きなことを人に読める程度に書きなぐっていったものだ。まさに趣味ページそのものでしょう? 自分のWEBスペースに単に関心があるものじゃなくて、すごく好きなものを並べれば実は偏愛マップはできあがる。

インターネットの趣味ページで交流している人というのはすでに偏愛マップを使ったコミュニケーションと同じことをしているということ。オフ会で盛り上がるのも当たり前なのだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

芸風はバラバラでも師匠への思いは同じ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

立川流って気になりますね。それはもうものすごく。一門というとやっぱりこう確立された芸風があって、そこに所属する噺家さんたちの芸風は似た流れで、というのがイメージにあって、まあたいていの場合そうらしいんだけども、立川流はそうはいかない。とにかく全員バラバラ。目指す方向もそれぞれ違う。いろんな噺家さんがいる。でもそれぞれの家元・立川談志師匠の芸への思いや理解なんかは根本でいっしょなのだ。

本書は落語立川流の噺家さんたちによる対談や文章から成り立っている。題名の通り対談では、家元が亡くなったらどうなるか? 跡目は誰が継ぐ? ということを話題に出しているが、実際現実のことになったらどうなるんだろうか。スポーツ新聞は一面で知らせるだろうなあ。家元亡き後の立川流に関しては、「文都 vs 談春 vs 志らく」の対談で志らく師が口にしたことに一番現実味があるような気がする。

対談はどれも面白いんだけど、二つ目さんたちのが興味深かった。それこそ様々な芸が現代にはあるところへ落語の世界に入り、この後どんな芸人になりたいと若い弟子たちは思っているのかとても気になっていたのだ。以外に普通だったのでなんでか安心したりして。

第三部の「家元、『弟子』を語る」では、家元が弟子の芸をきっちり正しく把握していて、心配だとか安心しているとか、あの演目はうまいとか書いている。実に師匠としての弟子への愛情がうかがえる部分だ。それと顧問の吉川潮氏からの後口上は立川流の真打ちへの言葉。これもとてもいい。こういうのに弱いんだな、私。

最後の巻末の年表と名鑑も役立つ。ますます立川流が気になる。どんどん落語会に行かなくては。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本全身落語家読本

2005/01/15 23:10

すっかり志らく贔屓になってしまった。高座はまだ一度しか聴いていないのに……。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

学術書としては異例の1万部を突破したという落語読本。ジェットコースター(私は超絶ギターソロにたとえたらどうかと思うな)にたとえられる志らく師の落語スタイルは、従来通りの落語のやり方では落語は現代から未来へと生き残ることはできないと、あみ出されたものだという。猛スピードでしゃべりまくる古典や映画の世界を江戸の世界に置き換えたシネマ落語という新作は、伝統芸能としての落語が落語なのだとする人たちには奇矯に映るらしい。しかし志らくの落語スタイルのベースには、古典落語についての深い造詣と、名人の落語スタイルについての鋭い分析がある。

本書では、落語には面白いのと面白くないのとがあるが、それはなぜかということを説明し(演る噺家次第)、落語が面白くなるにはどう演じられるべきかを説く。そしてこれが実に役に立つのだが、名人の噺では誰のどの演目を聴くべきかを語るために各名人の落語の何がすぐれていたのかを説明してくれる(芸人論)。従来の落語ガイドにはなかった詳しさだ。

「実践落語演習」では、志らく師が実際に演っているやり方で演じるための演目の速記をそのまま収録。古典が2席にシネマ落語が1席。このシネマ落語が傑作。「ダイ・ハード」と「たぬき」「妾馬(めかうま)」の合体で、舞台は江戸なのに見事に「ダイ・ハード」になっている。文字だけでもこんなに笑えるのだから口演されたら爆笑必至だろうことは想像に難くない。

圧巻は「特殊講義『ネタ論』」。192本の演目について、どこがどう面白いのか、面白くないのか、面白くないものはどこをどうすれば面白くなるのか(なったのか)、誰がそれを得意とするのかを書く。速記本やあらすじ本にはなかなかない部分だし、どう聴くべきかだけでなく、これを知っていると演っている演者の技量や解釈する力まではかれてしまうという恐ろしいことになっている。

志らく師の書くことはとても明解で、落語に本当に真剣に生涯を掛けて取り組んでいるんだという姿勢が浮かび上がってくる。かっこいいんだけど、たまに照れが混じっているところがおもしろい。例えば現代の落語家で注目すべき人々を挙げる章で、もちろん自分自身を入れていてそこでは「(オイオイ、自分かい)」と書いている。この照れが随所に見られることで、この本を「若造がえらそうなことを書いた本」でなくしている、と思う。えらそうなことを書く度にいちいち自分でつっこみをいれているところがなんともおちゃめで、舌をペロっと出しながら書いている様子まで浮かんできてしまった。もちろん確信犯ではあるのだろうが。違いますか、師匠。

こんな風に真剣に落語に取り組んでいる人の噺が面白くないはずはなく、この本を面白いと思ったら即志らくの高座を聞きに行くべきだ。志らくの落語はライブに限る。いや、落語は何でもライブが一番なわけだけれど。この点音楽といっしょだな。

そして巻末の卒業試験。半ば本気半ば冗談。初心者の私には相当に手ごわい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

真面目で素直な作風に人柄と芸風がうかがえる

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

とても器用な人だと思う。高座でもその器用さを充分に生かしたエネルギッシュでパワフルな噺を聞かせる。真剣に落語に取り組んでいるのだなあと実感し、清々しい気持ちになる。きっと真面目で素直な人だろうと思っていたが、本書を見て読んでさらにその印象を強くした。

お店に売っているきれいな野菜の絵をひとつずつページに配してエッセイも1ページにひとつ。野菜の絵は色えんぴつとパステルえんぴつで描かれていて、どれも色鮮やか。影の付け方が独特で美しい。繊細に見えて、ほんわかとどこかのんびりした風にも見える。きっと描き手そのものなんだろうなあと思える。文章も絵に似て素直で読みやすい。家族のこと、芸のこと、自分の好みなど、いずれも身の回りのこと思っていることについて。この人の高座が楽しいのはあたりまえだ。これほど真面目に真剣に生活を送っている人の芸が適当なわけがないのだ。

いよいよ林家たい平師から目が離せない。本書を読んだら林家たい平の高座を聞きに行きましょう。本から受けた印象の通りの人が楽しい落語をやっていますよ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本笑酔亭梅寿謎解噺

2005/01/05 01:02

上方落語の魅力たっぷり

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

手が付けられないほどのやんちゃをしてきた星祭竜二をなんとかしてやろうと、退学した高校の元担任が上方落語の大御所・笑酔亭梅寿に竜二の弟子入りを依頼するところから物語は始まる。めでたく入門を許された竜二だったが、入門の経緯が経緯だけに落語の「ら」の字も知らない。第一自分が落語を好きなのかもよくわからず、むしろどっちかというと漫才が好きだという現代の若者らしい反応を見せるのだが、なぜだか師匠の元を去らない。そうして内弟子修業が始まり、その修業の中で師匠の落語に触れて古典落語のすごさを思い知り、また兄弟子の新作落語に驚きもする。

ミステリという形態をとってはいるが、ミステリはこの小説にとっては単なるスパイスにすぎないと感じた。ミステリとして読むよりも、己の才能に気付かない金髪モヒカンの若者が落語にとりくみ成長してゆく清々しい小説として読んだ方が数倍面白いと思う。登場人物もみないいし(悪いやつがこれまたいないんだなあ)、連作短編それぞれが上方落語の演目をうまく折り込んでいて、それに前座さんのお仕事をからめ、若手落語家が抱える落語への迷いや焦り、こだわりを巧みに描き出している。師匠である笑酔亭梅寿が披露する至芸も聞きたくなってしまう。各短編冒頭に掲げられている月亭八天による解題も軽妙でわかりやすく、いい味付けとなっている。

さらに落語好きならば大喜びしそうな演出もある。例えば吸血亭ブラッドは快楽亭ブラック師匠を少なからずモデルとしているだろう。ほかにも探せばニヤリとする仕掛けがそこここに。O-1グランプリなんて、ぜひとも実現してほしいものだ。

ますます落語にはまりたくなってしまう快作だ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本煮ても焼いてもうまい人

2004/12/02 01:37

残りのコラム520本。是非第2弾、第3弾と出してほしい

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

1993年から12年続いた毎週水曜日『日刊ゲンダイ』の「シャレ見たことか」597回から選りすぐりの77本のコラム。一編一編が2ページと短くてあっという間に読めてしまう。残りの520本のコラムから第2弾、第3弾希望ーーー!と強く主張したい。

第一章は立川談志師匠についてのお話。年初めの話が多い。おもしろい師匠を持てばその弟子もおもしろい。いい師匠を持ててよかったですね、と故内海好江さんじゃなくても言いたくなる。

第二章と三章は芸人列伝。変わった前座名の噺家から自ら命を絶った噺家、お世話になった評論家や寄席に出ている芸人たちまで様々な人間模様が時に軽やかに時に沈んだ調子で綴られる。談四楼さんの目はやさしくもあり、冷静でもあって、実に的確にその人をとらえているのだろうなと思った。この章では特に付記があるのがうれしい。破門になった元立川流の噺家さんが初高座でパニクって大泣きしたとバラしては、その彼・雷門獅篭さんは今は名古屋でがんばっていてよかった、なんて愛じゃなきゃなんだろう。と、愛を感じたところで、小朝さんの大規模な独演会を見て愛を前面に押し出しすぎだとチクリとやったりしているコラムを読めば、その冷静な目にドキっとする。そんなこと書いていいんですかい?と心配になる。

第四章と五章は、寄席や落語会以外での高座で経験した話が多く集められている。病院や少年院、刑務所、海外での落語会……ナイジェリアのラゴス? あれ? これって『石油ポンプの女』の「ジャングル寄席」そのままだ。と、前の話を思い返せば、第一章の「投票率が低いのは選挙の面白さを知らないからだ」で書かれている選挙に関わったときの体験はそのまま前掲書の「噺家遊説隊」のネタだろうし、第三章の福地泡介さんの思い出は「寿限無ズ」そのままじゃないか。

最後まで読んで、噺家さんは経験したことが芸にこうやってつながっていくんですね、と当たり前なことを思ったりもしました。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本人形の旅立ち

2004/06/28 18:02

不思議な不思議な「むかしばなし」

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

昭和30年代の島根県のとある町を舞台にした不思議な物語集。「わたし」は著者の子ども時代なのだろうなぁと思いながら読む。
「妹」という短編では病弱の妹が出てきたが、この後彼女はめきめきと回復したとあとがきにあった。

近所の神社の大きなご神木には役目を終えた雛人形が捨てられる。人形供養である。薄汚れた人形があらぬところに目を向けてじっとしている。この人形たちがある日気がつくといなくなっている。誰かが処分したのか?それとも……?

表題作は比較的短い。捨てられた人形たちがどこへ行くのかを描く。夢か現か。読後感は不気味ではなく、「よかったね」という感じ。

人形が重要なモチーフとして出てくる話はもう一編「ハンモック」。ボケたおばあさんがハンモックに人形をのせてゆらゆら揺らしているのを「わたし」が盗み見してしまう。そのおばあさん(とよばば)が死んだ後もあの人形がどうなったか気になって仕方がなかったが、ある日自転車で出かけた帰り道に不思議な体験をする。

話が長くて散漫な気もしたが後半のエピソードはちょっとぞっとする。

最後の「観音の宴」では、旅芸人の女性が「わたし」の家の近所の神宮寺の宿坊に泊まる。翌日食事を届けに「わたし」が行くとその女性は自分が人魚の肉を食べたためにいつまでも若いままで死ぬことができないのだと告白する。そして奏でる三味線の音に合わせて、宿坊に祭られている地蔵や不動明王、33人の観音菩薩が踊りくるう様子を目の当たりにする。

全編せりふは島根弁で、土着的な雰囲気が漂う。真っ暗な闇夜や大きな神木が怖いものであった50年前ならば、子どもはこんな空想とも現実ともつかない体験をしたかもしれない。

金井田英津子の版画が実に美しく、特に最後の「観音の宴」では絵と文章にくらくらした。

児童書売り場にあった本で、「小学校上級以上」と対象年齢が書いてあるが、子どもには受けないかもしれない。対象を大人にした本をもしこの著者が書いたとしたら是非読んでみたいと思った。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本春になったら莓を摘みに

2004/05/05 00:14

作者の小説のヒントがつまったエッセイ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

思っていた通りだった。この本は『村田エフェンディ滞土録』を書くための習作として捉えられる。

本書が上梓されたのが2002年2月、そして『村田エフェンディ滞土録』の連載が始まったのが同年の10月。本書を手に入れたのは、『村田〜』が実際の作者の英国留学での体験をたとえ少しだとしてもヒントにしていないわけがないと確信といえるほど強く思ったからだった。

そうしたら……。やっぱりそうだった。鸚鵡ももちろん出て来たし、下宿の女主人のモデルと思しき女性、ギリシア人やその他のさまざま国からやって来た人、その人々が話すこと。本書を既にお読みの方は『村田〜』を読んでその共通項を探す楽しみも味わえるだろう。未読の方は是非『村田〜』と合わせて一読をお薦めしたい。作家がいかにして自分の体験や見聞を小説に昇華するのか、その片鱗が見られるからだ。

さて、他作との比較はこのくらいにして、本書自体の魅力だが、私は作者の地に足をつけたような姿勢が想像できる作品が好きなのだが、その背景にある日常生活に対するまじめな考え方がとても好きだと思った。「日常を深く生き抜く、ということは、そもそもどこまで可能なのか(p.90)」ということを問う姿勢だ。シンプルにしかし深く考えながら日常を生きたいと書く作者の、静かだけれど強い憧れに私は圧倒された。その憧れの生活をしているウェスト夫人に出会えた僥倖を作者は作品に少しずつ確実に反映していて素晴らしいと思った。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本パンク侍、斬られて候

2004/04/19 14:22

時代小説と思いきや実はSFだったという愉快な肩透かし

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

義理人情にあふれる時代小説や剣の達人が懊悩する時代小説なぞを想像して読むと肩透かしを食らう。だいたい町田康がそういうものを書くわけがない。

時代は江戸……かなぁ。黒和藩のとある茶店。牢人・掛十之進が父娘連れの父親の方を「ずば。」と斬った場面から始まる。掛によるとこのところ「腹ふり党」の跋扈によって藩政が立ち行かなくなる藩が出ているという。今斬った男も腹ふり党員であると見て即斬った。このままではこの藩も危ない。

「腹ふり党」とはこの世が仮の世、条虫の腹の中にあるものであるとし、真正の世にするには早く条虫の中から糞となって排出されなくてはならない。それには腹ふりが一番聞く。とにかく馬鹿のように腹をふるのだ、という教義を信じる信仰宗教団体である。彼らがのさばれば殺人や略奪され放題、仕事もせずに腹をふる連中が増えて藩政が立ち行かなくなるという。それを聞かされた黒和藩士・長岡主馬は腹ふり党対策を掛に聞くが、答えてくれない。逆に黒和藩に召し上げてもらえるように藩に陳情せよと言われてしまう。

黒和藩家老の内藤の画策によって黒和藩士になれた掛であったが、密偵・江下レの魂次の調査によって実は腹ふり党はすでに解散状態であることが知らされた。掛を召し上げるように働きかけた内藤は立場が危ないというということで、隣国にいる腹ふり党元幹部の茶山半郎に恰好だけ腹ふり党を復興するよう願う。そうして復興したネオ腹ふり党によって城下は大混乱に……。

時代小説かと思いきやなんとSFだったという怪作。しかも時代小説の体裁をはじめの数ページはとっているのに、会話が現代若者の「っつーかさー」とか「〜じゃん」という言葉になってゆく。外来語しかもオトナ語のようなものも使う。出てくる人物全員が愚痴を言う。戦場で人がたくさん死ぬ。不条理な状況が現出する。

ここまでやられると読む側は、筋うんぬんよりも表現をおもしろがって読むのが一番だろう。現ににやにや笑ってしまった箇所がたくさんあった。
特に密偵・江下レの魂次の内藤に宛てた手紙の文体が変。アイドルのゴーストライターが書くような妙にナイーブな心情吐露に、ハードボイルドな状況説明、結局は話し言葉に落ち着くんだが。手紙の中で説明している状況の中に出てくる事物・人物がテレビ時代劇のものであるというのもまた笑える。
あと、茶山半郎の教義を話している言葉が3:7の割で分からないことが多い。わからないように登場人物に話させるというのはなんだかわからないけどすごいと思った。

町田康の小説についての評や感想はそのほとんどが文体に言及しているが、本書は特に会話や追想部分の妙さ加減を味わうべき本だと思う。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本リジー・ボーデン事件

2004/04/30 10:48

訳に対する不満あり。迷宮入りしたあの有名な事件の「小説」

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

世にも有名なリジー・ボーデンの事件を題材とした小説。

あくまで小説なので、事実と虚構がないまぜになっている。
リジー・ボーデンは両親殺害の最もあやしい容疑者として逮捕されるが、証拠不十分(衣服や凶器とされた手斧への血痕がまったく見つからなかった)として無罪となっている。結局この事件は進展を得られぬまま迷宮入りしてしまった。

事実を題材とした小説で、特別厳しい親の下で育ったがために身持ちを堅くせざるを得なかった30代前半の女性が恋をして、その激情に突き動かされて殺人を犯すといった経緯をまるで見てきたかのように描いていて、親の教育って怖いわ、と思ったが、訳がもういまいちどころか全然日本語になっていない部分、逐語訳が散見され、せっかくの心理劇が台無し。翻訳者はリジー・ボーデン事件に関する研究をしていて近くそれを出版予定ということで、そのためこの本の翻訳を手がけたようだが、もっとこなれた日本語でぐいぐい読ませるものにしてほしかった。

それと、ミステリとしてはかなり厳しい。手斧で人を殺した場合に飛び散る血の勢いはものすごいはずで、それを胸に留めた紙だけでよけきるとは思えない。そういったところにミステリとしての完成度の低さを見る。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

13 件中 1 件~ 13 件を表示