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くうさんのレビュー一覧

投稿者:くう

2 件中 1 件~ 2 件を表示

同世代の同性愛者が読んでみて…。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

恐らく、これまで上梓されている同性愛関係書の著者の中では最も『普通の』若者である。『セクシュアル・マイノリティー』の中の『マジョリティー』と云うべきか。

インターネットという新たなコミュニケーション・ツールは、同性愛者のような社会的マイノリティーが活用してこそその真価を発揮する。彼に限らず多くの同性愛者がネットを通じてどれだけ救われ、どれだけ多くの仲間と出会えたことか。
そういう意味で、インターネットとの出会いを機に、様々な仲間と巡り合い、同性愛者としての自我を確立していった著者は、まさに『同時代的な』青年なのである。

しかし、余りに『普通の』青年であるが故に、僕達同性愛者にとっては本書はやや物足りない。何せ、考え方や感じ方のほぼ全てが自分と同じなのだ。勿論、それこそが本書の狙いでもあるのだが。
個人的には、『働くゲイとレズビアンの会(アカー)』の若者達の青春を追った『もうひとつの青春(井田真木子著)』の方が、『物語』としては胸に迫るものがある。しかしながら、『もうひとつの〜』に登場する若者達は、インターネットという手段を持っていなかった点で明らかに『前時代的』だ。インターネットの普及によって、僕達同性愛者は高い壁をひとつ越えることができたと同時に、活字にして第三者の興味を惹きうるほどの特殊性や閉鎖性を失ったのかも知れない(それ自体は好ましいことである)。

その辺りに本書の難しさがあるように感じた。この若さで自身の半生を公表した著者の勇気と誠実さは尊敬に値するが、本書に綴られている著者の半生は、彼のウェブサイトで公表しても充分目的を果たせそうに思えた。辛うじて活字にする意味があるとすれば、『すこたん企画』のスタッフとして数々の講演や活動を行ってきた経験を彼が持っていることか。

それでもなお『活字媒体』にこだわるならば、彼のウェブサイトをおよそ訪れないであろう人達に読んで貰ってこそ意義がある。常にもどかしく思っているのだが、同性愛者(特に男性同性愛者)に理解を示してくれるのはほとんどが女性である(理解を示して貰えること自体は感謝すべきことだが)。
このような本は、著者と同世代の男性にこそ読んで欲しい。『毎日顔を合わせている自分の友人が実は同性愛者かも知れない(その可能性は少なく見積もっても3〜5%程度ある)』という点では、著者と同世代の男性異性愛者こそゲイの存在は見過ごすべきではないし、また、身近な問題なのである。

その点から見ると、苦心の跡が見えるタイトルも、淡いブルーを基調とした装丁も、やや気恥ずかしいほどに平明簡易な文体も、男性(異性愛者)には却って敬遠されそうな懸念を感じた。
『活字媒体』としての意義づけのためにも、男性読者に受け容れられやすくするためにも、『第三者(それも男性異性愛者)の視点』を採り入れた方がよいのではなかろうか。私見だが、藤井誠二さんあたりに、彼を含む『すこたん企画』のメンバーの日常をルポルタージュ形式で追って貰うってのはどうだろう? 誰か企画してくれませんかねぇ?

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何とも救いようのない本

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何とも救いようのない本を読んでしまった、というのが第一印象。

タイトルを額面通り受け取ると、「団塊ジュニアはなぜ理不尽なことに対しても怒らなくなってしまったのか、その原因を明らかにする世代論」ということになるのだが、実態はさにあらず。自称『社会的弱者』である著者が、『最近の若者』や『オヤジ世代』への不満を羅列しているに過ぎない。

『世代論』が世代論たりうるためには、即ち、『人々の行動原則や精神構造を、世代という時間軸的側面から分析する』ためには、どうしてもある程度のデータ的裏づけが必要になるだろう。しかし、本書にそのようなデータは一切ない。本書で裏づけとなるのは著者の思想・信条と僅かな経験だけであって、しかもそれはデータよりも優先されるのである。

例えば、「フリーター人口が増加しているのは、中高年世代がなかなか離職しないことも一因である」という主張に対し、著者は玄田有史氏や宮本みち子氏の著書を引いて、そういう主張がデータに裏付けられたものであることを一応認めている。
ところが、それを認めつつ、結局は、「しかし自分達の世代(の女性)の方が就職は困難だった筈だ。故に最近の若者は甘えている」という結論にしてしまうのである。
しかし他方では、上述の宮本みち子氏の著書の中に、
「1975年から95年までの20年間、中年期の賃金は引き上げられたのに反して若年賃金は据え置かれた」という記述を見つけるや、
「これは要するに、ぶっちゃけていえば、『団塊世代のせいでくびれの世代(=著者の世代のこと)は賃金を上げてもらえませんでした、残念でしたね』ということである。マジかよっ!」と憤ってみせるのだ。
要するに、同じ文献であっても、彼女の主張にそぐわないデータは切り捨て、主張と合致するものだけがサポートデータとして扱われるのだ。一事が万事こんな調子で、著者の思い込みと我田引水の繰り返し。

また、著者は極端なリベラル派らしいのだが、本書の中で頻繁に『保守派』=『団塊世代』という論点のすり替えが行われている。リベラルだろうとコンサバだろうとそれは本人の自由だが、本書のテーマとは明らかに違う筈である。しかも、『保守派』=『団塊世代』という図式は明らかに事実と異なる。

要するに著者は、自分自身を第1次・第2次ベビーブーマーに挟まれた少数派に位置づけ、自分と意見の異なる人々を『団塊世代』又は『団塊ジュニア』のどちらかのグループに強引に押し込むことで溜飲を下げているのだ。従って、本書で云われている『団塊世代』、『団塊ジュニア』には、本来の第1次・第2次ベビーブーマーではない人達も含まれている。しかし、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことなのである。著者は、『団塊世代』、『団塊ジュニア』という言葉を使うことで、自分達が『その間に位置する少数派(=社会的弱者)』であることを強調できればよいのであって、要は『弱者の論理』を正当化したいに過ぎない。

但し、『若者が怒らなくなった』というのは一面の真理ではあるだろう。しかし、『団塊ジュニア』である僕に云わせれば、それは著者が云うような『決まっちゃったものはしょうがない』という消極的な理由からではない。『消費税率引き上げ反対』も『医療費負担率アップ反対』も結構だが、それが嫌なら実現可能な対案を提示するのが筋の筈だ。対案もなく、ただ駄々をこねる著者は、かつて「ダメなものはダメ」と嘯いた土井たか子氏と重なるものがある。
「自分が絶対的に正しい」と信じて疑わない著者の無邪気さは、周囲にとって迷惑なだけである。そういう無邪気さと視野狭窄は、土井たか子氏や辻元清美氏、田嶋陽子氏に通ずるものがある。どうしてリベラル女ってこんなのばっかりなんでしょう?

この本がまかり間違ってベストセラーになってしまわないことを願うばかりである。

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