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先月(2017年6月)

bookreaderさんのレビュー一覧

投稿者:bookreader

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「人殺し」の心理学

2002/02/02 20:27

戦場における「人殺し」〜兵士達は何を思うのか〜

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦場で引き金をひくその刹那、兵士達はいったい何を思うのだろう。自身、現役中佐であり心理学者でもある著者が、元兵士達の体験談、さまざまなデータをもとに「人を殺すことへの抵抗感、罪悪感」が戦場においていかに機能するのかを解き明かす。「戦争」「殺人」「死」を考える上で、得るところ多い一冊。

 われわれは、戦場の兵士といえば、彼らが当然のように手に持った銃を撃ち、相手を殺すことを想像する。頭の中には、ハリウッド映画のごとく、壮絶な撃ち合いを思い浮かべることだろう。ところが、驚くべきデータが本書では紹介される。なんと、第二次世界大戦以前においては、兵士の発砲率は、わずかに15〜20%であったらしい。つまり、80%の兵士が、銃を発砲すらしていなかったというのだ。もちろん、発射された弾が全て相手にあたるわけではない。それどころか、その多くが空に向けての意図的な誤射だったようだ。本文中では、さまざまな過去の戦いのデータが示されるが、その驚くべき命中率はなんと、「252分の1」であったり、「119分の1」であったりする。実に多くの無駄弾が費やされていたことになる。どう考えても、意図的にはずしているとしか考えられない。8割の者が発砲すらもためらい、その上発砲した者ですら、意図的に外すことがある。このことは、「人殺し」への強い忌避感情が極限状態の戦場においても機能していた証拠だ、と筆者は考える。

 ところが、ベトナム戦争においての発砲率は驚くべきことに、90%にまで上がっている。この急激な状況の変化は、もちろん偶然に起こったものではない。軍のトレーニングの成果なのだ。それまでの戦争での発砲率の低さ、無駄弾の多さに業を煮やした軍は、兵隊達を徹底的に「プログラミング」することで、反射的に敵を倒すことを刷り込んだのである。現代の兵士の射撃訓練には、極力実践に近い形がとられている。兵士は何時間もの間、不定期に飛び出してくる人型の標的を瞬時に撃たなくてはならない。命中すれば即座にフィードバックを得られるので、満足感は大きい。こうした訓練により、兵士は実践においても反射的に引き金をひくことを刷り込まれていくのである。現代的トレーニングを受けた兵士に、「人殺し」に対する忌避感情が生じる隙はない。

 筆者は最後に、暴力表現についての意見を述べる。映画やゲームにおける過度の暴力表現は、われわれからある種の感情を奪ってしまいかねない。ゲームセンターにおいてある「シューティングゲーム」は、まさに兵士が受ける射撃訓練のようなものだ。われわれは画面の中の人間に向かって銃を向け、何の躊躇もなくその引き金を引く。標的は血を流しながら倒れていく。われわれはそれをゲームと信じ込んでいるが、殺人に対する反射神経を知らず知らずに刷り込まれている可能性が大きい、と筆者は考える。

 現代の日本人にとって「戦争」、それどころか「死」というものに対する具体的なイメージを持つことは難しい。社会は「具体的な死」をひた隠しに隠し、「死」に悪のイメージを与えることで「死」そのものを忌避している。ゲームや映画の中では取り上げられるものの、そこに具体的なイメージは伴わない。われわれは「死」を消費しているのみだ。ところが、実際の「死」はおそらくもっとどろどろしたものだし、衝撃的なものだ。「戦争」「死」、われわれがあまりに遠ざけてきてしまった、けれども無責任には語れないこれらを考える上で、得るところの多い一冊であった。

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紙の本種をまく人

2002/02/04 12:53

つながる人々

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 アメリカのある片田舎の小さな貧しい町。ごみごみした住宅街の中に、ごみ捨て場のようになっていた小さな空き地があった。小さな女の子が、願いを込めてそこに種を植える。その瞬間、町には不思議な魔法がかかる。いろんな人が次々と現れ、空き地はいつの間にかみんなの畑となり、人々をつないでゆく。

 スラムのような貧乏な住宅街に、ぽつんと取り残された小さな空き地。なんとなく目に浮かばないだろうか。そこにはありとあらゆるごみがうち捨てられているのだ。生ごみ、空き缶、古タイヤ、壊れたイスや、冷蔵庫が実に無秩序に放置される。人々はそこを通る時には、ごみを投げ入れることはあれ、立ち止まることなど、決してない。そこは人々にとって、あってもないような場所であったのだ。

 ところがある日、一人の女の子がある願いを込め、日もろくにあたらないこのゴミ捨て場に、種を植える。そこから、この物語は始まる。そのあと、まるで魔法がかかったかのようにいろいろな人がここを訪れ、ゴミ捨て場だったこの空き地が、なんと畑となってしまう。もとあったゴミはどけられ、畑は次第に整えられ、共同の菜園となる。それまでなんとなくギスギスしていたこの街が、この畑でさまざまな人が、人種、年齢、などの境遇を超えて触れ合うことにより、活気を帯びてくる。

 著者のポール・フライシュマンは、歴史、音楽、自然科学を愛し、さまざまな著作を持つ。温かいタッチの絵と、穏やかな語りで、心温まる一冊となっている。

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