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先月(2017年8月)

於筋 揚羽さんのレビュー一覧

投稿者:於筋 揚羽

3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本家畜人ヤプー 第1巻

2002/03/12 04:23

怒濤の「押しつけ自虐史観」

3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「ヤプー」の世界にじっくり付き合ってみれば、「人のプライドや美意識がいかに政治的に操作されインチキにかけられるか」という事に色々と思い廻らせるだろう。だがサッパリと思考停止して、支配者を心から敬愛し素直に我が身を投げ出して、世の中の役に立つ喜びを教えられれば、抵抗するよりも救いを感じてずっと幸福になれる…。これが家畜人ヤプーこと、いさぎよくなった日本民族の姿である。



 二千年後の未来、白人の貴族を神と呼ばせる専制的な「イース帝国」がある。そこでヤプー:日本人は人類以下の畜生として見なされ、遺伝子操作や外科手術によって様々な畸形を加えられ「資源」として利用されている。それは、あたかもコンピューター内臓の家電のごとく知能と自意識を備えた、あらゆる家具調度品、ペット、果ては皮革用、食肉用として、である。要するに持ち主の面倒はかけず、常に有効、有用である為に最善を尽くして自己管理を行うという、ヤプーとはまことに繊細なはたらきをする、利用者には都合のいい道具・家畜なのである。
 また、あらゆるヤプー達は「白人に服従している」とは考えていない。ヤプーとしての誇りでもって社会に貢献している。ある者は便器として、ある者は椅子として、ある者は犬として。
 それぞれ決められた適正に沿って子供の頃から学校で神学、教養を身に付け職能訓練に励む。中でも大学を出て高いIQも備えた血統書付の者は貴族所有のエリートヤプーであり、最高の誉れとなる。そして何よりも、自分達の神妙な心がけと技能によってこそ、この神の世界は支えられているという自負がある。まさに帝国文化のにない手として、「美しいものを創りあげているのだ」という喜びで満ち溢れている。

 実際にどんな階級社会でも支配側は、被支配者からの支持、つまり彼等の自発性からくる服従をのぞめなければ階層が成り立たない。そのために宗教や伝統、道徳が精神的規範として大いにはたらいてきたのだが、しかし未だかつてこの「イース」ほど、それら規範をあくまで操作技術として周到に凝らすことに成功した社会はなかっただろう。それが可能であったのは、イース貴族は人民、ヤプーを従わせる「白神神話」について、いかににおのれに都合良く調子良く創られているかを、どこまでも自覚的に捉えて快楽・利便追求を止まないからである。
 しかしヤプー達はそうした白人側のごう慢さをも熟知しつつ、崇拝を惜しまない。もはや、「私は主人にどう思われているのだろうか」といった愛情不安にさいなまれる事もせず、ひたすらこの世界で繰り広げられる神話的美しさに陶酔している。そして与えられた「畜人論」や神学を我がものとしてより美学的に高めていく。


 
 奥野健男の第1巻解説によると、彼は雑誌「奇譚クラブ」で連載されていた当時(1957〜59年)ただ純粋に面白がって読んでたのに、その十年後、日本が高度経済成長を経てGNP世界第二位の先進国になって以降、「不愉快な日本人の劣等性が強調されていて不愉快」、となった心境の変化があったという。
 現在のいわゆる「歴史教科書問題」の中で、右派は日中戦争からの日本国への歴史的評価はこれまで不等に自虐的であった、と主張している。しかし、実際その「自虐的歴史教育」を受けてきた世代の多くは、かつての日本の「戦争犯罪」は古い世代における問題であって、同じ日本人でも高度経済成長以降に生まれ豊かさを享受する自分達を“自”虐しているとは思ってないのではないか。
 そんな一人である私はやはり、これを耽美小説としては読まなかった。奥野氏と同じく、不愉快なかつての日本人の「皇国の神話世界を生きる」生きざまと、それを受け継いで先進国の一員となった今を眺める、やはりそんな感じであった。

 読めば、イース貴族の嘲笑が聞こえない日はもう無いかも知れない。

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紙の本あいどる

2002/03/07 08:07

ヴァーチャル・アイドル:才能と魅力の永久機関

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 物語は、「ゴジラ大震災」なる死者8万6千人を出す天災があった後、何事も無かったかのように瞬く間に再生していく近未来の東京を舞台としている。復興の繁華街は、欧米の国の暗黒街やスラムを装おう、などの相変わらずのコンセプトを繰り返している。
 一方、ネット上では香港の九龍城が復元され、そこで「日本の今日的アナキスト」とでも言うようなオタク達が分散型制御によるコミュニティを築いており、その無法都市と同じ地平で、ヴァーチャルアイドル・投影麗の「新型試作品」がただのお人形から、ネット上で存在する人工生命として育ちつつあった…。

 そこへアメリカのロックグループ「ロー/レズ」(Low Resolution;低解像度の意)のレズが彼女との結婚を表明する。彼等はスターお決まりのファッションは別にしてセックス、ドラッグの乱行を自負するといった、ロックスター的アピールの仕方を一切拒否し、定期的に作品を出し続けるといった繊細さ、賢明さがある。
 それは、投影麗の「スターの平均値から最大公約数的に割り出した」のではない、キャラクターデザインにもまた通じる。ロー/レズは投影麗プロジェクトの出資者であり、麗との結婚は、ネット上の膨大な経験値を吸収し成長を続けて「進行する連続的な創造」を行うヴァーチャル・アイドルと同一になりたいと言う、アーティストとしての願望があるのはやはりどうしても隠せない。

 作中に現れる「結束点」という概念は、いわゆるプロファイル捜査の方式を想像させることだろう。つまり具体的な事柄、状況が自然に積み重なっていく中でそれらが取り巻く意味を知り何らかのかたちを見い出す、その意味・かたちが、プロファイリングにおいては犯人像であり、物語では「結束点」と言い表わされてる(ここでは犯罪に限らず世界のあらゆる事に関わるもの)。
 この結束点を感覚的に探り当てる才能を持つレイニーという人物は、パパラッチとしてしかその力を発揮できずにいる。しかし音楽にしろ小説にしろ芸術の「創造力」とは、多くは「結束点」を捉えたものであると言ってもいいかもしれない。
 レズはハイテクの力で先ずは自己の限界を超えて膨大な蓄積を可能にしようとした。音楽なら一途に音楽の世界の事だけを考えてれば良い表現ができる、と言うものでは決して無い。その対称にあるのは、世界中の音楽データを蓄えたソフトウェアのキャラクター「ミュージック・マスター」である。
 曰く、「彼にできるのは講釈だけだ」と。
 現実でもアーティストが、音楽とは直接関係しない物事にも数多く触れた経験値のバックグラウンドを築いた上で、良質の表現が成り立っているのだ。

 一方で、仮想九龍城の住人の一人である引きこもりでオタクの正彦という少年は、多分その姿を端から見ればまるで非生産的なでくの坊としか判断されない様な人物である。しかし、私にとって正彦はけして嫌いな人物ではない。彼はアメリカから来た可愛い少女チアに対しても、麗に対しても、性的な興味を示さない。大抵の人間は性衝動に若い頃のエネルギーの大半を消耗してしまうものだが、正彦の場合は仮想都市のコミュニティ構築と、まだ家族も知らない心の問題との葛藤に、密かにそのエネルギーは費やされているのだ。
 終盤、チアにも仮想九龍城の住人として一室を与えられ、そこから正彦等と共にレズと麗の「錬金術的結婚」プロジェクトの進展を見守っていく。
 レズが麗について「麗の唯一の現実は、進行する連続的な創造の領域なんだ。純粋なプロセス--」と語っているが、その小さな芽がを正彦やチアの中にも感じさせるラストであった。

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トリガー 上

2002/02/28 02:04

日本人が知らない、アメリカの「自由主義」と銃との奇妙な関係

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この小説は2001年に書かれ、その内容、出版時期共に奇しくも、アメリカ同時多発テロとの符合という偶然に遭った。これはアメリカが誇る「自由」という信条が、「銃所持の自由」という枠組みにおいてはアブない狂信の様相を呈してくる、という側面を描いた物語であり、そこに「武装する必要性是非」についての様々な思考の足掛かりがあって、日本人読者にとっても刺激となる作品だ。


 そこでは、「トリガー装置」というあらゆる火薬兵器の使用が未然に無効となる画期的発明があったことにより、トリガー技術を、平和をもたらすものとして歓迎する側の人々に対して、「憲法で定められた銃を持つ権利を政府や無神論者に侵されてはなるまい」としてトリガーを危険視する人々・世論とが在る。

 前者のトリガー推進派は一般市民では、都市郊外居住者、大学卒業者、女性、コミュニティの重視という価値観を持つグループ層が特徴とされており、政府国会、ペンタゴンにおいてはリベラル派が支持をし、作中での時の大統領もここに含まれている。一読者の私も、もしアメリカ市民でトリガーが現実に生み出されたとしたら、これを拒む道理は無いから推進派に属すだろう。しかし愛好家の銃の美しさを愛でる愉しみも否定するつもりは無い。

 しかし、反対派によればこれら推進派は、どれも「極端な単純思考の持ち主」となる。そのトリガー反対派に在るのは、全米ライフル協会(NRA)を筆頭に、様々な民兵団、また、日本のそれとはずいぶん様相の異なる護憲派:「憲法修正第二条を守る会(SAF)」も大きな反対勢力となっている(→1971年に制定、国民の銃器所蔵・武装する権利を保証している)。念のため注釈すると、大統領も議会でもトリガー普及後も銃所有の権利については依然変える考えはない、という設定になっている。

 作中で強固にあらゆる銃規制に反対する集団の信条、すなわち「自由主義」を自負する人々の台詞を注意して読んでると、「市民が銃で武装する自由」は「信条、言論の自由」より優位にであって、その為に「信条、言論の自由」を制限してもやむを得ない、という共通意識が見えてくる。
 民兵団兵士によって「修正憲法二条は中央政府の自爆ボタン」だと象徴的に語られているが、実際NRAの見解も、世界一の軍備を持った米政府が全体主義化しないよう、市民自ら武装して監視をしていく必要があり、暴政となれば憂国の市民の手で倒すべきだとしている。まさに民主主義を守るためこそ、市民武装が必要なのだ、と。

 しかしやがて、反トリガー過激派集団の不屈の反抗心は、まるで「Χファイル」よろしく、パラノイア集団の政府と政府雇われのマッドサイエンティスト等による、おそろしく入念に仕組まれた陰謀の存在というイメージへと飛躍し、そこから更に「いっそ政府相手に戦争を」という妄想が拡がってきたりする…。

 作中の銃規制反対の過激派は、誰も彼も自分のことは棚にあげて平気でいる、他人との議論も成り立たない人間ばかりだった。「こんなわからず屋相手に口げんかするととして、さあ、有効な言い方は何か考えてみて」というのがクラークからの課題ではないかとも思う。そしてアメリカの読者に向けてよりも、日本のような厳しい銃所持規制のある国の読者にこそ読まれるため書かれた気がした。なぜ犯罪の多さにも関わらずアメリカ市民は銃を手放せないのか、私も含めて日本人はほとんど知りもせず、ただ不思議がっているだけだったと改めて思う。
 物語の反対派の姿を見ていると例えば「命の大切さを知れ」「信じあう心を大切に」という紋切り方では、交通標語に似て有効力を持たないだろう。なぜならそれこそ、共感を前提にした仲間内ではない、異文化の他人を想定した言葉になっていないからである。

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