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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

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    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

矢野まひるさんのレビュー一覧

投稿者:矢野まひる

26 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本さかしま

2002/09/07 12:28

逆説

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 白状するが、ユイスマンスを読むのは根性がいるのだ。退廃主義と言うから退廃してるのかと思ったら、とんでもない。いまどきのワイドショーなどで、なんとなくだらしがない、無気力、ごてごてしている、といった程度の意味で口にされる退廃という言葉とはわけが違うのだ。「さかしま」を読む限り、退廃ってのは、ものすごい生への執着のことを指しているとしか思えない。

 主人公デ・ゼッサントは、宗教にも勉学にも女にもすっかり嫌気がさしている。聖体のパンが、小麦粉ではなくじゃがいもの澱粉で作られるのには納得できない。金銭ずくの価値観しか持っていないのにも関わらず、凋落した貴族や僧侶のつまらぬ虚栄心やうぬぼれには迎合するブルジョワにはうんざり。女にも飽きた。もうとにかく、浮世の事柄全てに嫌気が指している。

 そこで、人里離れた邸宅で、自分を心地よくしてくれるいろんな試みをする(貴族の末裔なのでお金はある)。

 居室をルートヴィヒニ世とマイケル・ジャクソンを足して百倍にしたくらいの執拗さでもって飾り立てる。ギュスターヴ・モローのサロメにはまったり、口中オルガンと称する1種の利き酒にのめりこんだり、ありとあらゆる病的な植物を集めて(お気に入りはカラーとウツボカズラ)植物は梅毒だ! と決め付けたりもする。ディケンズやユーゴーを低俗! と言い放ったかと思うと、気が変わって「この低俗さがいいのだ」などと倒錯的な感情にとらわれたり、貧しい青年を高級娼家に連れて行き、贅沢三昧させたあげくに急に援助を打ち切って犯罪に走らせようと試みたり、幻臭に悩まされて香水の調合にのめりこんだり、とあらゆることをやってみて、その結果、神経症はますます進行していくのである。

 そして、本当はこういうところがこの小説の白眉らしいのだが、ラテン語の文学作品や中世の宗教文学の引用や批評がすごい。私は完璧にお手上げでした(他の箇所だって、きっちりついていくことができたというわけでは全くないのだが)。漠然と、19世紀の終わりに宗教文学を文学的見地から批判するのはとても衝撃的なことだったんだろうな、と思いをめぐらせるが、正直言って、私の生きている時代と私自身の教養のなさから、あまりぴんとはこない。

 それよりも、デ・ゼッサントひいてはユイスマンスのものすごい知識欲に圧倒された。これが、なんとしてでも生延びてやる! という試みでなくてなんでしょう。気がつくと同じところを何べんも読んでしまい(教養がないので意味がわからないところだらけ)、やっと読み終わったらもう疲労困憊してしまいました。それにも関わらず、このあまりにも、屈折してはいるが過剰な、生に執着する魂に触れることで、私はかなり相当励まされ、元気をたくさんもらったのです。

 「さかしま」を読んで、こんな感想を持つこと自体、それこそ退廃というものなんじゃないかしらん、なんて思ってしまったのでした。

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紙の本完本文語文

2003/04/02 21:43

死者たちからの贈り物

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 山本夏彦
 大正4(1915)年、東京下谷根岸生まれ。
 平成14年10月23日逝去。
 
「完本 文語文」(文藝春秋)は著者の文語と口語についての文章をまとめたもので、2000年5月にハードカバーで出版され、2003年3月に文庫化された。

 「あと十年生きたら一葉も口語文を書かないわけにはいかなかっただろう。時代というものにはそういう力がある。一葉は苦しむだろう。そしてあの文語文のような美しい口語文を書くことはできなかったろう。私は文語に返れと言いたいのではない。そんなことは出来やしない。ただ文語にあって口語にない「美」は何々ぞと、なおしばらくさがしたいのである。それは口語の美をすこし増しはしないかとわずかに思うからである」

 文語文というのは、漢文をかみくだいた文章のこと。大正10年に新聞の社説が口語文になって文語文は滅びたという。この本では、滅びた文語文のよさ、おもしろさを、例をひとつつあげて紹介。これがおもしろい! 中江兆民、樋口一葉、二葉亭四迷、萩原朔太郎、夏目漱石に芥川龍之介、聖書の翻訳まで。文語文をベースにしながら決して文語文を書かなかったのは谷崎潤一郎。だが谷崎潤一郎の文章は現代の口語文とは一線を画している、なぜか、とか。文語文に返ることはできない、それでも文語文のよさを何度でも言いたい、と著者は執拗に繰り返している。現在の国語に対する無念や切なさが苦しいくらい伝わってくる。

 日本語は千年の蓄積を捨てようとしているのだな。それって苦しいことだな。渡辺哲夫も言ってたじゃないか、「死者の支えを失ったとき、人は狂気に陥る」って(「死と狂気」ちくま学芸文庫)。死者と言葉を交わす唯一の方法は、残された書物を読むこと。本を読むのはごはんを食べるのと同じ。たくさん本を読んだら、多くの死んだ人が、私を支えてくれるだろう、などとあらためて切なく思いました。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/01/05 00:35

動機

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 作家にとって書くことが生きることであるのと同じように、学者にとっては勉強することが生きることなんだな、と初めて思わされました。

 姜氏の個人史的なパートは圧巻。こういう人の言葉は(わからないところがあったとしても)本当に頭にはいってくる。学生時代、三島由紀夫の割腹とほぼ同時に、両親が日本に帰化した在日2世の焼身自殺に遭遇したこと。在日韓国・朝鮮人の学生運動に関わったこと。中国やロシアの社会主義は、行動様式や価値観や民族の慣習などにより(欧米とは違って)スターリニズムを招いたとする近代化論に強迫的な想いが募ったこと。近代化論の根拠となったマックス・ウェーバーを検証しようとドイツに渡ったこと。帰国し指紋押捺を拒否して犯罪者扱いされたこと。結局、押捺したこと。バブル真っ盛りの東京の盛り場が、昭和天皇「崩御」のニュースとともに真っ暗になり衝撃を受けたこと。そこから研究者としての活動を本格的に始めたこと。在日二世のこの人にとって、政治や経済や歴史や哲学を勉強することが生きることだったんだと伝わってくる。

 相方の森巣博氏の博識かつとらえどころのなさも相手に不足なし。オーストラリア在住の国際的博打打ちってなんじゃい、それは(笑)。氏はハートとネグリの「帝国」(Empire)という著作に大変な衝撃を受けたのだそう。

−ハートとネグリによれば、「帝国」とは、内部矛盾を外部化することによって、成立してきた。ところが現在では、世界のどこをどう探しても外部なんてものはないんだ、ということを指摘しているわけです。偉そうだな、俺も(笑)—

 終章近く、難民問題や関東大震災時の朝鮮人虐殺を例に取り、外部がなければ共同体の幻想は成立しないという対話を受けて森巣氏の引用するこの1節がすとんと胸に落ちてきた。

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紙の本ことばの食卓

2002/12/18 23:34

気持ちの曇りが晴れるようです

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文章は、何を受信するかと、それをどう消化したかの結果だ。この本で、武田百合子の受信するものは、寂しくて、怖いものが多い。当然だ… 生きるって、寂しくて怖いことなのだ。鈍感な私はそれをいつでも忘れてしまいがちだけれど。でも武田百合子の文章は伸びやかで生命力にあふれている。寂しくて怖いことが、「生きてるってそういうことだよ!」と消化されたのだ。文章って、才能って、こういうことなのだな、思った。

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紙の本夜と霧 新版

2003/03/08 23:15

収容所体験を超えて勇気を与えてくれます

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 旧版は確か中学生の頃読んだ憶えがある。当時は子供だった&アホだったので(今もだが)、よくわからなかった。同じ頃読んだ「アンネの日記」のほうが、書き手との年頃が近いこともあって、こんなに隠れなくちゃいけなくても、それでもやっぱりいろんなこと思ったり感じたりするよねえ、とごくシンプルな共感の仕方をしてたような気がする。

 で、「夜と霧」。強制収容所に収容された精神科医の先生の手記です。半世紀もの間、美しい本として読み次がれてきた古典なのですが、その意味があらためてわかりました。収容所での人を人とも思わないすさまじい体験が描かれるのですが、言いたいのはそういうことじゃない。

 この先生、「こんな状態でも、それでも人間は人間としての尊厳を失わないものなのか」とただただ驚愕しているのです。そういう本です。

 後書きも素晴らしい。旧版訳者霜山徳爾氏と新版訳者池田香代子氏がおふたりとも書いている。霜山氏の著者との思い出や、新訳に対する暖かい理解と思いやり、池田氏の著者と霜山氏に捧げられる敬意の言葉に、じんと来てしまいました。旧版もあらためて読んでみたくなりました。

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孤剣の刃零れ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ごぞんじ、bk1の文芸サイト編集長日記より、2002年8月から11月分までが収録されたもの。

 あらためて、縦書きにレイアウトされ一冊の本にまとめられたヤスケン日記を眺めてみたら、いやー、やっぱりすごいです。「激痛」「握力ゼロ」「痛み止めの注射」「両手の腫れ」「左手だけでワープロを打つ」「体調、すこぶる悪い」という痛ましい言葉が頻出する中、とだえることのないゲラと見舞い客と電話につきあい、「海辺のカフカ」と「宅配便のドライバー」と「鈴木宗男」に同じテンションで怒り、見城徹氏にも久世光彦氏にもカルチャーセンターの生徒さんにも同じように「涙チョチョ切れる」。この懐の深さ(そうなのか?)は他に類を見ない。これが末期癌の病人の日記ですかい!?

 あーびっくりした。なんか元気がでちゃいました。そう思わせられちゃうところがすごいのです。正直言って実際に手にとって見る前は、大ファンである私でも「いったいこれは誰が買うのかしら? 自費出版するならつきあう」などとの憎まれ口が思い浮かんだものだが、でもこれ、出版される意味のある本だと思いました。全国の落ち込んでいる皆さんはこれを読んで元気をだしましょう。

 タイトルは、久世光彦氏の帯の文の一節です。表紙の、秘密基地にちょこりんとおさまっている安原氏が可愛い。ご冥福をお祈りします、と言いたいところだが、あの世でもにこにこしつつ、でもやっぱり怒っているような気がします。

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紙の本死ぬほどいい女

2002/12/10 12:10

ウカツでしたよ!

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 パトリシア・コーンウェルの世界的怪物ベストセラー「検屍官」シリーズが華々しく登場したのは10年前の暮れのこと。以来、毎年この季節、ケイ・スカーペッタの活躍を心待ちにしていたのだが、99年、シリーズ10作目の「警告」で盲目的なファン心理に初めて「?」マークがともる。犯罪やトリックがエスカレートしすぎて、滑稽味を帯びてきたからだ。翌2000年の「審問」(上・下)で「?」マークは確信に変わる。作者は、スーパーキャリアウーマン・ケイを、権力者や組織によるすさまじいまでの虐めにあわせた。後味が悪く娯楽にならなかった。ヒッチ・コック、ロス・マクドナルド、ルース・レンデル、パトリシア・ハイスミス、ローレンス・サンダースらの作品が、牧歌的でおとぎ話のように見えた。

 そうして私はミステリーを読まなくなった。「サイコ・サスペンス」に食傷したのです。探偵(や検屍官)の心の葛藤につきあわされるのにもうんざりした。そんなの自分ひとり分で持て余してるわい。

 ところが、2002年師走。

 「死ぬほどいい女」めちゃくちゃ面白い! こんな書き方がまだあったなんて。つまんながってばかりいないで、読んでみることだ、と思いました。何をぼけっとしてたんだろ、とちょっと反省。

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距離感がなんぼのもんじゃい

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 上の欄の内容説明を読むと、書評集みたいだ。ぜんぜん違います。一般的に書評と呼ばれる文章が保っている距離感というものははっきり言ってゼロミリメートル。

 ならば何か。この安原顕という人は、誰かに何かを伝えようとするとき、フックが全て「本」なのだ。この人は小泉首相の靖国参拝や、オウム帝国や、ソ連崩壊後のロシアや、ジャーナリズムや文学のあり方や、サラエヴォ紛争や100年前の日本や、それやこれや全部、「本」によって知り、「本」によって自分も何か言いたくなってしまい、それで自ら1冊の本を編んでしまうのだ(1冊どころじゃないけどね)。本を愛しているというよりは、本にひどく愛されているある人のある側面に触れることのできる世にも珍しい奇書。
 
 本書は氏の過去の10冊の書評集(違うと思うけど)から、「日本はどういう国なのか」「今世界はどうなっているのか」を考えるきっかけになりそうな本を選んだとのこと。その切り口もすごいが、そんなたいへんなことを誰かに伝えようとするときに、フックが60冊の本というのがまたすごい。こんな人が実在するのかと改めて驚く。そうして、ヤスケンマジックにはまってくると、紹介されている本の一冊一冊の意味が頭にはいってくる。

 本はご飯といっしょです。ジャンクフードばかりだと、具合が悪くなっちゃいます。栄養とらなくちゃ、と思わせてくれる本です。たぶんそれこそが著者が伝えようとしてくれたことの一部なのだろうと思う。著者は現在闘病中とのこと、エールの意味で★★★★★。

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紙の本パーク・ライフ

2002/08/29 23:53

私の場合の勇気

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 吉田修一の芥川賞受賞作「パークライフ」を読んだ。

 話という話はない。日比谷シャンテに出入りする営業マン「ぼく」は、お昼休みをいつも日比谷公園ですごす。そこでちょっとしたことを思い出しり考えたり、なんてことない出会いがあったりするのを、書いてるだけ。なのだけど。

 私たちに「お話」なんてもうないのです。ちょっと新聞を読めば、生きていくために必要なストーリー、例えば出世、マイホーム、幸福な家庭像、民族の自立、自由経済、平和、それらを手に入れるための冒険談が空しい夢物語でしかないことはすぐわかる。それでも何年か前までは、グロテスクな形ながら機能していたストーリーではあるのだけど、そんな幻想は昨年の9月11日にほぼ崩壊し、少しだけ残っていた残骸もワールドコムの破綻で崩れ落ちた。

 なんにもない。なんにもないけど、だからといって、やけになったりふてくされたりするつもりは毛頭ない。それって、実はけっこう勇気のいることだと思うんです。なにかお話がなくてはだめな人、多いはず。たぶん多くの50代の人には、想像もつかない種類の勇敢さじゃないかと思う。

 「パークライフ」では、あざといお話はない、といって文章には少しもふてくされたところはない。お話の筋が重要でないのだとしたら、問題になってくるのはディテールと、文章。作者はそんなことを百も承知なのだ。なんてことない事柄を、いっきに読ませる、この吉田修一という人の勇敢さ、私は好きです。

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2002/06/27 22:41

精神安定剤のようなものなのでしょうか

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 1920年代のミステリーが好きだ。最近読んだのはドロシー・セイヤーズとF.W.クロフツ。犯人探しをする探偵の動機がいいのだ(犯罪者の動機ではない)。彼らは犯罪者を裁くために犯人探しをしているのではないし、サイコパスの犯人の心理に分け入るつもりで捜査をしているのでもない。

 彼らは、それがおもしろいから、やっているのだ。

 サイコパスの犯人の心理描写にはもうあきあきしている。プロファイリング? それで何がわかるって言うんだろう。そんな話、わざわざ小説で読まなくたって、そこら中に転がっているじゃないか。精神分析で誰かを知ることはできない。私は、その人のやったこと・やらなかったこと、つまり行動で、その人がどんな人か知りたいのだ。

 今日読み終わったクロフツの「樽」では、そういう探偵の視点に立った語り口がすごく新鮮だった。ボクはとことこ歩いて追いかける、だってそこに謎があるんだもん! これが歩かずにいられるものか! そういう視点。犯罪者を裁こうなんて少しも考えてないし、まして、プロファイリングの過程で犯人と同化してしまう自分自身を「人としてこれでいいのか?」なんて悩んだりはしないのだった。どうして犯人を追いかけるか? すごく単純で明快だ。なぜなら、そこに謎があるからだ! 私は、驚くべき犯人像を、犯人が仕掛けたトリックを探偵といっしょにとことこ追いかけることによって知ったのだった。たった一行の心理描写も必要ない。

 フィクション(嘘の作り話)をおもしろがる・楽しむっていうのは、そういうことだと思う。おもしろいのは、人間の行動であって、人間の頭の中で起こっていること、ではない、と、最近、思う。

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紙の本箱の中の書類

2002/04/17 23:28

覗き見趣味こそ小説の楽しみでしょう

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 何を書いたって、何を読んだって現実の犯罪のほうが上を行っている。そういう時代だ。P.コーンウェルは、スラップスティックに走ってしまった。フロストは毒舌をつきながら哀しんでいる。ミステリー小説の悪役は、どんどん人間離れし、犯罪はいっそう醜悪になっていく。そうしてどれほどグロテスクな人間の暗黒面を見せつけられようと、もう印象にすら残らない。どれも同じなのだ。もはや娯楽というにはミステリーはヘビーすぎるのだ。
 と思っていたところにドロシー・セイヤーズである。ウィムジー卿の登場しない唯一の作品だが、軽やかで、意地悪で、ユーモラスでいて生真面目な、セイヤーズ節は少しも変わらない。
 『箱の中の書類』は、とある人物に託された56通の書類で構成されている。5人の人物が書き綴る手紙、供述書、新聞記事が時系列に読者の前にさらされる。手紙の書き手は、それぞれの価値観でてんでに勝手なことを書き連ねている。新聞記事だって的を得ているとは限らない。供述書も主観に満ちたものだ。それにも関わらず、読み進めていくうちに、どうしようもない動かしがたい真実が徐々に姿を現してくる。読み進める原動力となるのは、「覗き見趣味」以外の何者でもありません!
 ミステリーの楽しみのほんとのほんとの基本になるのは、これだったんじゃないだろうか。現実の社会を切り取ることも大切かもしれないが、覗き見趣味を満足させつつ、登場人物といっしょに泣いたり笑ったり、落ち込んだりできるのが、娯楽小説というものだったんじゃないだろうか。
 本書は、1930年代の作品である。犯罪だって、せこいといえばせこい。それにも関わらず、少しも古臭くなく、一気に読めた。人間のやりきれない側面を描きつつ、品のいいユーモア感覚を死守しているところがかっこいい。こういう時代だからこそ、たまには昔の人の本も読んでみましょう。文句なく★5つの逸品です、といたいところだが、4つにしておくことにした。ここまでまめに手紙を書く人物が、一度に5人もそろうというのはちょっと無理があるよなーなんて、我に帰ってしまったからなのだった。

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紙の本日曜日たち

2003/09/07 00:42

最近の若いモン

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 この人の小説はなんか居心地が悪い。でもなぜか読んでしまう。なんというかどうにもこうにも、登場人物たちのスケールが小さくて、でもみんな自分のスケールの小ささを自覚していて、その中でどうにかプライドを保とうとあがいているところにものすごくすわりの悪い形で共感してしまう。Yahoo!パーソナルズの自己紹介欄に「趣味−カフェでまったり」と書く種族のなかのはぐれものが、「これでいーんだろーか? いやいいんだよな… 他にどうしようもないし。えっと、たまにはいいことだってあるし!」と自問しつつ、最後には無理やり前向きに自分を持っていこうとしている感じである。
 本書も、実際に「カフェでまったり」を趣味とする年齢層よりは、最近の若者は… って口にする世代にとって、てっとりばやく「最近の若者ってこうなのかー」とわかった気にさせてくれる一冊である。芥川賞なんかの選考委員のウケがいいのもうなづける。

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阿修羅ガール

2003/06/01 06:20

惜しい!

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 かっこいい装丁を裏切らない面白さ。主人公は女子高校生。近所で「酒鬼薔薇聖斗」的事件があって、なんとなく周辺はざわざわしている。ネットのコミュニケーションが生活に組み込まれると気持ちの在り様がどう変わるかっていうことや、「酒鬼薔薇聖斗」的事件の犯人はどんなつもりでいるのか、とか、今の問題にきちんと向き合おうとしていて爽快だった。

 不満もある。重要な背景として実在する巨大掲示板を連想させる「天の声」っていうコミュニティが描かれるのだが、ひとつ肝心なことを忘れてやしないか。

 現実の世界でネット上のコミュニティを利用する人々は、この世にはネットでのコミュニケーションなんて想像もつかない、まして某巨大掲示板なんて見たことも存在さえ知らない人もたくさんいることをけっこう忘れがちなように思う。その視野の狭さこそ特徴であり問題であるのに(みんなじゃないけど)、それについての視点が全くない。

 ジャンク小説と乱暴にもくくられてしまうのは、読者が「天の声」−実在する巨大掲示板と実感を持って連想できる人だけ、に限られてしまっているからなのではないのか。まあそれはそれでいいんだけど、ここまでおもしろいんだからもっと多くの読者を獲得して欲しいと要らぬおせっかいを言いたくなった。

 その「酒鬼薔薇聖斗」も自分をとりもどしつつあり、深く反省しているという報道を読んだ。理解してあげたいけど、それにはあまりにも罪が重すぎる…。

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「美しい」と言ってみたい

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 橋本治「人はなぜ“美しい”がわかるのか」(ちくま新書)を読む。

 “美しい”がわかるとかわからないとかいう発想はしたことがなかったけれど、どうして私は“美しい”という言葉を使いたがるのか、ということはずっと気になっていた。例えば玉三郎の娘道成寺を見て。例えばウェストサイド物語の冒頭を見て。例えば新年の川崎大師の人ごみの中に出かけて。例えば「少将滋幹の母」のラストシーンを読んで。

 そうしてうすぼんやりと気がつき始めていたこと。あくまで私のイメージなのだが、“かっこいい”という言葉は、自分の中にすでにあるものを引き出すようなイメージに出会ったとき使う言葉だという気がする。良し悪しではないが、価値観を同じくする者同士の間でだけ通じる言葉だ。

 一方、“美しい”という言葉は、自分にないもの、自分の価値観の外にあるものでかつ心地よいものに出会ったとき使う言葉なんじゃないだろうか。“美しい”って、絶対に手の届かない他者を意識させられてしまう、とても寂しい言葉なのだ。しょっちゅう会っている友達だって手の届かない他者だ。それがわからない人に“美しい”はわからない。価値観の違う者が集まれば、思ったことを全部何も考えずに口にしたりするラクチンさからは遠くなるかもしれないが、“美しい”に出会える確率はうんと高くなる気がする。

 とても寂しいけれど、寂しいから“美しい”がわかる。私は他者と出会いたいから、“美しい”という言葉を使う機会を捜しているんだな、と思った。

 うっすらと、そう思い始めていたところにこの本を読んで、すっきり明快になった感じ。橋本治の本は久しぶりに読みました。「徒然草」のくだり、傑作です。ただし冒頭ははいりにくい。

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紙の本スーパー・カンヌ

2003/02/09 21:17

すごくわかるような気が

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 高級リゾートとして名高いコート・ダジュールは、年々、シリコンバレーのようなビジネス・エリアとしての側面を強めていっているのだそう。では映画祭で有名な近未来のこの土地で何が起こるのか。タイトルに魅かれて読み始める。

 舞台はハイテク都市「エデン・オランピア」。みんな仕事がレクリエーション、余暇なんて死語というほどの仕事マニア。セックスなどという古臭い習慣に興味を示す人もいない。重役たちは精神安定のためにスラムに行って、有色人種を狩る。これれっきとしたセラピーのプログラム。このセラピーがめちゃくちゃ効果があがるのです。

 それだけなら、まあ誰でも思いつく話なんですけど(っていうのもすごいけど)、この小説が成功しているのは、単純に、アラブ人を叩きのめしてエクスタシーを感じている重役たち=悪、それに反発してエデン・オランピアから脱落したもの=善、っていう書き方をしないところなんです。

 突然連続殺人に走って撃ち殺された小児科医の代わりに、エデン・オランピアに配属された妻についてきた、怪我で休職中の飛行機雑誌編集者が主人公。彼は連続殺人の本当の理由を探っていく過程で無菌都市の本当の姿をだんだん知っていくのだけど、ここがすごい。

 この人、ものすごくゆれるんです。どうしても、肯定しないまでも否定することができない。ここがすごくこわい。例えば私に、絶対に人種差別的なところがないと言えるでしょうか? 暴力で全てのストレスが解消されるとしたら? 難民を極端に受け入れないこの国で、何も考えずに済んでいるからって、自分に人種差別的な傾向がないということにはならないです。

 謎解きもさることながら、主人公が結局どっちに転ぶのだろうという興味にひっぱられて読み進めました。おもしろかったです… が、長いよ! 2段組で367ページ。うんと暇なときに読むことをオススメします。あなたの暇は間違いなくつぶれます。

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