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  3. 木の葉燃朗さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年8月)

木の葉燃朗さんのレビュー一覧

投稿者:木の葉燃朗

190 件中 1 件~ 15 件を表示

なんでもないような日々の積み重ねが、後から見ると大きな意味を持つ。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 2004年7月〜2005年2月までの日々を綴った日記マンガ。2004年の7月から8月の分は同人誌として発表され、それ以降の分は、角川書店の雑誌『Comic 新現実』、『コンプエース』に掲載されたもの。あわせて、当時を回想するインタビューも掲載されている。
 「まえがき」に、この漫画の特徴は「事件無し/波乱無し/貧乏/神経症/冷やしラーメン/そば/本屋/図書館」(p.1)とあるのだが、表面的にはまさしくそんな感じ。ほぼ毎日、食べたもの、読んだ本見たテレビにその日の仕事、などなどが紹介され、淡々と進んでいく。でも、読んでいると、この淡々としたリズムにいつしか引き込まれる。インタビューでは「毎日あったことをズラズラと続けて、なるべく無味乾燥になるように描いていて……」(p.54)とあるのだが、読む方にとっては生活をこっそり覗いているような面白さがある。
 そしてもうひとつ、それぞれの日々は淡々としていても、後から全体を見てみると、この時期は吾妻氏にとってひとつの転換期だったことが分かる。アルコール依存症での入院生活を終えて5年、時には「商業氏の仕事ほとんど/無くなって すっきりして寝る」(P.77,9月24日)という状況になったこともあったようだ。インタビューによれば、収入が「月に四〜五万円とか(笑)」(p.197)ということもあったらしい。だから、結構切迫した日々だったのである。
 しかしその間に、ホームレス生活・アルコール依存症による入院生活を描いた作品が、紆余曲折を経つつも『失踪日記』として出版されることが決まる。この『失踪日記』がロングセラーとなり、吾妻氏の名が再び多くの人に知られるようになったのはご存知のとおり。つまり今になって読むと、この時期はいわば「吾妻ひでお復活前夜」とも言える日々だったわけだ、実は。
 そう思うと、よくぞ日記に残してくださいました、と感じずにはいられない。
 他にも、「2ちゃんねる」で「電車男」が盛り上がっていて、本になるらしいという話をしていたり、中島らも氏の死去のニュースを知った時の話を描いていたり、当時の出来事を吾妻氏がどう考えていたかも分かる。
 こうした、記録という面でも、非常に興味深い本。

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不思議な恋愛劇であり、魅力的な群像劇

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 川原泉氏の新作マンガ。同じ高校を舞台に、異なる主人公たちが登場する短編集。収録作は下記のとおり。
・「レナード現象には理由がある」。成績・スポーツ・容姿とも完璧だが、それゆえ人間らしさに欠け、孤高の存在である飛島穂高君と、成績はそれなりだけれど、やさしい心と不思議なヒーリングの力を持つ蕨よもぎさんが、恋愛と言えるような言えないような関係になっていく。
・「ドングリにもほどがある」。超平均的であるが超楽天的な亘理実咲さんと、彼女にインスピレーションを受ける、同じく平均的なのだが実は覆面作家としてデビューしている友成真一郎君が、やはり恋愛のようなそうでもないような交流をしていく(二人で公園にドングリやクルミを拾いに行ったりする)。
・「あの子の背中に羽がある」。柔道部キャプテンで容姿端麗、真面目な保科聡真君には、隣に越してきた小学六年生の若宮遥ちゃんの背中に羽根が見える。そしてこれがどうやら一目惚れの症状らしい(友成真一郎君の説によれば)、という話。
・「真面目な人には裏がある」。兄同士が実は同性愛者で、同棲を始めてしまう同級生の日夏晶さんと塔宮拓斗君の話。日夏さんは友人の草壁さんの影響でボーイズラブにはまりつつある、という設定もあります。
 ……という紹介を読むと、ファンタジーとか、あるいはアブノーマルな話をイメージする人もいるかもしれない。でも、いい意味で驚くほど抵抗なく読めて、かつ読後感は充実している。ジャンル分けをすれば少女漫画ですが、男性である私が読んでも非常に面白い。
 その要因はまず、独特の絵にあるだろう。これは川原氏の他の作品とも共通しているが、リアリティのある絵とデフォルメされた絵が、物語の緊張と緩和のリズムにあわせて描かれる。また時には絵と物語にギャップがあって、その落差が笑いにつながっている。例えば、リアリティのある真面目な絵で、「…BL小説」、「BL?/何の略だろう/ビジネス・/ロジスティッ/クス?」(「真面目な人には裏がある」,p.124)などと登場人物が会話をしたりする。
 あとは、キャラクターがみな(高校生たちも含めて)大人というか、老成した感じなのも、個人的には好き。だから独特のユーモアが生きてくるんだろうなあ。川原氏の作品が「哲学的」と言われるのも、こうした点が影響しているのだと思う。
 そういう部分を強く表に出した人物造形はされていないのだが、みな人生の意味とか、人としてやっていいこと悪いこととかを、心の深いところできちんと分かっていそうな感じ。だから、みんなセリフや行動が薄っぺらくない(もちろん、物語上敢えて、時々は薄っぺらい人物も出てくる)。
 それと個人的に好きなのは、話が進むごとに、前の作品に登場したキャラクターが登場してきて、徐々に高校を舞台にした群像劇的な側面も出てくること。学園もので群像劇って、好きだなあ。どうやら、これからもこの学校を舞台にしたシリーズが続いていくそうなので、楽しみです。

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30代の切実な不安

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 四コママンガ、と紹介されているようですが、正確には四コマで完結するマンガではなくて、一ページ八コマが数ページに渡って続く形式のマンガ。
 正直に言って、絵はそんなにうまくない。でも、読んでいると気にならなくなってくる。それくらい内容に引き込まれる。
 
 主な登場人物は、まず、すーちゃんと呼ばれる女性。35歳で独身、カフェで店長をしていて、貯金もそこそこあるけれど、将来のことを考えると不安を感じる。もう一人は、さわ子さん。もうすぐ40歳になる。彼女も独身で、実家でお母さんと、「寝たきりで/いろんなことを忘れてしまっている」(p.20)おばあちゃんと暮らしている。
 ふたりは、かつてバイト学生と社員という関係だったが、13年ぶりにヨガ教室で再開し、近所に住んでいることが分かる。

 そのふたりの日常が描かれていく。これが、それぞれの切実な不安が描かれていて、読んでいると色々なことを考えてしまう。
 すーちゃんは、このままひとりで暮らして老いて行くことへの不安。特に「このまま/おばあさんになって/仕事もお金もなくて、/寝たきりになって/頼る人もなかったら/そしたら、/あたしの人生は/歩いてきた人生全部が/台なしになって/しまうの?/って考えると、/震えてしまうんだ」(p.63)という部分は、30代を迎えて独身である私も、同じように感じる。女性でも男性でも、ひとりで老いて行く不安は共通すると思う。そして、それがうっすらではあっても感じられてくるのが、30歳という年齢ではないか。
 さわ子さんは、寝たきりのおばあちゃんと、その介護をする母親と暮らしながら、より現実的に老いについて考える。「恋がしたいんです/いや、/恋とゆうより/男が欲しい」(p.17)という率直な欲望もあり、会社の先輩の紹介で男性と付き合ったりもするのだが、そんな時も家のことを考えてしまう。さわ子さんには兄がいるが、結婚して時々家にくる程度で、またさわ子さんの父親は、理由は描かれていないが不在である。祖母・母・自分の三人で、どうやって生きていくのか、それを考える中で、祖母も母も、ひとりの人間として生きていることを感じる。「そうなんだ、/おばあちゃんは、/赤ちゃんではなくて/ひとりの/『大人なんだ』」(p.84)とか、「そうだった/お母さんは/自分のお母さんに/忘れられているんだ/それが、どんなに/淋しいことか、あたし/考えたことなかった」(pp.113-114)とか。

 一方で、結婚して妻・母になることが、そのまま幸せになるのかという不安も登場する。それを象徴するのが、すーちゃんの友人のまいちゃん。結婚して妊娠していて、「おだやかで/幸せな日々です」(p.65)。しかし、これまでの人生で大学・就職・結婚と選んできたまいちゃんが、「なぜだろう、/もう、なんにも/選べないような/気がするのは」(p.68)と思い、「さよなら/さよなら、/あたし/もうすぐ別の/あたしになる」(pp.68-69)と覚悟をする。

 どうやって生きるとしても、楽ではない。そんなことが、現実味を持って感じられる。

 話は少しずつ区切られているのだが、最後の三話は、読んでいてちょっと泣いた。さわ子さんとお母さんが温泉に行く話、さわ子さんが交際相手と別れることを決め、飼っていたネコを探す話、さわ子さんの家へ、すーちゃんがお呼ばれする話。どうやって生きるとしても楽ではないけれど、みんな幸せに生きて欲しいと思える終わり方だった。

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紙の本古本道場

2005/05/09 23:11

「古本って、なんかいいかも」と思ってください。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

古本に関する著作が多数あるライターの岡崎氏と、作家の角田氏による共著。岡崎氏が古本道場主となり、その道場に入門した作家角田氏が、様々な指令に沿って、古本屋を歩く、という本。
角田氏が街や古本屋を歩く様子は、エッセイである一方で、短編小説のようにも読める。なにげない文章や、角田氏の出会うエピソードなどが、非常に面白い。
例えば、東京古書会館での古書展(古本即売会)での話。角田氏が三島由紀夫の著作の並ぶ棚を眺めていると、見知らぬおじさんがある本を取り出し、すごく珍しい本だと言う。
「『いくらすると思う?』と訊くので、『うーん、一万円くらい』と答えると、『そんなもんじゃきかない。いい? 見せようか』と、箱から本を取り出している。けれど表紙を開かず、もったいぶって私をじいいいっと見る。『びっくりするよう』念押しして、ぱっと裏表紙を開いた。そこには『三五〇〇円』の値札が貼ってある。私とおじさんはしばらく見つめ合った」(p.206)
この文章、なんともいえないユーモアがあって、大好きです。
一方で、従来のイメージとは異なる古本屋を訪ねたときの「ここには『私』をどかんと越えたものがうようよある」(p.42)とか「歩かなきゃ世界は広がらないんだなあ」(p.43)という言葉にも、角田氏が古本屋に感じた新鮮な感動ともあわさって、説得力がある。
説得力、という意味では、指南役の岡崎氏の言葉にも、経験から来る重みがある。特に、古本道の心得の其の一として挙げられている「わたしはわたしの風邪をひく」(p.7)、つまり「自分の趣味、興味、関心を第一の価値基準に置く」(p.7)古本の楽しみ方は、すべての古本好きにとって大切なことじゃないかと思う。
古本が好きな人も、これまであまり興味がない人も、「古本って、いいかも」と思える本だと思う。

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萌えでもシュールでもなく、王道

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 女子高校生の三年間の学校生活を描いた四コマ漫画。1998年~2002年にメディアワークスから刊行された『あずまんが大王』全四巻を、学年ごとの全三巻にまとめたもの。雑誌『ゲッサン』で短期連載された「補習編」も含まれているし、かなりの部分が加筆・修正されている。元の版を読んでいるのだが、「あれ、初めて読む気がする」と思う部分もちらほら。

 もしも未読の方が、この漫画について「萌え系」とか「シュールなコメディー」と思っているとしたら、それはこの漫画のある一面への印象でしかない。そして、それが理由で読まず嫌いでいるとしたら、先入観に惑わされずに読んでみた方がいい。実際は普遍的な面白さのある、王道ともいうべき魅力のある作品。

 その理由の一つは、学校生活の中で誰にも共通する思い出が描かれていること。具体的には、「授業(学校行事含む)」と「休み時間」、「登下校」がほとんど。「部活」や「恋愛」のような、個人によって思い出が異なる時間はほとんど描いていない。

 女子高校生の学校生活のリアリティは、私には分からない。でも高校生の友だち関係って、同性同士なら男も女もあまり変わらないのかなってことを感じる。読みながら、「こういう人、いたかもしれない」、「こういう笑える出来事、あった気がする」と思うことがしばしばある。

 もう一つは、その中に他とは大きく異なるキャラクターを登場させて、マンネリになりがちな物語に刺激を与え続けている点。それは、本当は小学生なのだが、天才なので飛び級で入学してきた「ちよちゃん」。この子は勉強はできるのだが、なにせ年齢が小学生で、実は家も裕福なので、言動が一般的な高校生とはちょっと違う。そのずれが笑いになるし、ちよちゃんに説明するという形式をとると、物語が説明的にならずに進む。このあたりは、実は藤子・F・不二雄作品とも通ずる部分があるのだと思う。つまり実はちよちゃんはドラえもんやQちゃんのような存在と言える。

 各登場人物それぞれに魅力的で、ラストの、高校卒業を描いた3年生の3月を読むと、高校生活を丁寧に描いた漫画だけに(高校三年間できちっと終わった点が、改めて潔いと思う)、本当に卒業に立ち会った気持ちになって、ちょっと泣けてくる。

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紙の本日本人よ!

2007/07/12 00:55

オシム監督の言葉に真摯に耳を傾けるならば、日本サッカーに関わるすべてが、一段階高いレベルに到達することができるだろう

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

サッカーの現日本代表監督、イビチャ・オシム氏による日本サッカー論。他の「オシム本」と大きく異なるのは、オシム監督本人が語った内容をそのまま翻訳しているということ。この点が、オシム監督の言葉を、別の著者が解釈する本との大きな違い。オシム監督のサッカー観・日本観に始まり、代表チーム、監督、Jリーグについて、更にメディア・マスコミに対する考え方も語られている。
 読んで思ったのは、オシム監督が日本代表の監督であることで、選手や指導者だけでなく、メディア・サポーターなど、日本のサッカーに関連するすべての人間が、一段階高いレベルに到達することができるだろう、ということ。そこには、「オシム監督の言葉に真摯に耳を傾けるならば」という条件がつくけれども。
 私は、これまでオシム監督が記者会見やインタビューで語っていたことについて、この本を読んで改めて納得できる部分が多かった。
 例えば、オシム監督になってから、日本代表選手から「どんな相手でも自分たちのサッカーをするだけ」という言葉が出てこなくなっている。これについては、「リスペクト」という言葉と関連して書かれている。
 「リスペクト」とは、一般的には「尊敬する」と訳される。しかしオシム監督が使う時は少し異なり、「すべてを客観的に見通す」(p.27)ことを意味する。例えば、サッカーの実力を測る場合「人は客観的な価値以上にブラジルを過大評価してしまうし、客観的な価値以下にイエメンを過小評価してしまう」(p.27)。そうした過大・過小な評価をせずに、相手を客観的に見て、分析し、その相手とどう戦うかを考える必要がある。そして同時に自分たちの実力も、客観的に評価すべきなのである。だから、「自分たちのプレーをするだけ」というのは、「既に相手を過小評価しているということ」(p.29)なのである。
 それから、オシム監督とジャーナリストとの間で時にすれ違いが生じる点として、オシム監督が選手名を具体的に挙げずに話す点がある。特に、悪いプレーを振り返る時である。
 そこにはこんな意味がある。「名前は出さず、何が問題かも明言しない。それでも何の事かを読む者が察知できるように、もし新聞を通してならば、これはああすべきだったのか、そう監督は望んでいるのかなどと、選手が読んで自問できるように話す」(p.112)。注意すべき選手だけでなく、日本代表に招集される可能性のあるすべての選手に対し、オシム監督はメディアを通してメッセージを送っているのである。代表チームの監督はクラブチームと異なり、常に選手とコミュニケーションを取るだけの時間がないから、特にそうする必要がある。だから、メディアが質問するように「『誰なのか』が重要ではない。『誰かさん』なのだ」(p.121)。
 こうした目的があるからこそ、メディアにはオシム監督の意図を正確に伝える必要がある。そのためには、個々のジャーナリストも「事実上、監督のようになる必要があるのだ。それがプロフェッショナルというものである」(p.169)。オシム監督は、「あの選手はなぜゴールを決めたのか?」、「あの選手はなぜ失敗したのか」(p.171)といった質問を「子どものような質問」(p.171)とし、ジャーナリストならそうした質問は「私にしないで欲しい」(p.171)と明言している。
 このオシム監督の考えが理解できるジャーナリストがもっと増えた時、日本のスポーツメディアはもう一段レベルが上がるだろうと思う。もっと言えば、これまでのスポーツマスコミとは異なるメディアになるだろう。
 その他にも、「多く長く信じてきた分だけ、人は戦うことができる」(p.24)とか、「人生において、経験は二十年あれば十分だと思う」(p.89)など、サッカーに限らず「プロフェッショナルである」ことを考える際に参考になる部分もあり、非常に興味深かった。

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大山さんのドラえもんへの思いの強さがひしひしと伝わる本

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルどおり、大山のぶ代さんとアニメ『ドラえもん』との関わりの話が中心。だから、俳優・タレントとしての大山のぶ代さんについて深く知りたい人には、「もう少し詳しく知りたい!」と思うかもしれない。
 でも、『ドラえもん』で育った世代の俺にとっては、大山さんのドラえもんへの思い入れの強さが印象的。そして、感動的。ドラえもんを演じることを、ものすごく大事にしていたことを感じた。なんというか、まさにドラえもんと一心同体だったんだなあと思う。
 色々と興味深い話はあるのだが、とくに印象に残ったのは、1996年、NHKホールで行われた「ASIAライブ・スーパーコンサート」にドラえもんのレギュラー声優5人が出演した時の話。ドラえもんの着ぐるみが舞台に登場すると、「ホールの中はもう全員狂喜乱舞、立っている人もいて、すべてがウワンウワン言っています」(p.192)。そして、「気がついたら、舞台袖は各国の出演者でビッシリ。出演が済んだ人も、これから出演する人も、みんな空飛ぶドラえもんを見るために楽屋から飛び出して来ているのです」(p.193)。動き出したドラえもんの着ぐるみにあわせて大山さんが声をあてると、「今までのどの出演者のときより、ホール全体がこのまま空に向かって飛び立ってしまうかと思えるような騒ぎ」(p.193)。そして客席も出演者も一緒にドラえもんの歌を合唱したという。
 ドラえもんってすごいなと、改めて思う。この部分は感動したなあ。
 また、大山さん自身の病気について書かれた「第7章 ありがとう、ドラえもん。」と、若い頃に亡くなられたお母様の思い出と、俳優を志した思いについて書かれた「第8章 伝えていきたいこと」は、テレビを見ているだけの者には分からなかったエピソードが紹介される。
 特に中学生の頃に、自分の声にコンプレックスを感じていた大山さんにお母様が話した話は、印象的。
「目でも、手でも、足でも、そこが弱いと思って、弱いからといってかばってばかりいたら、ますます弱くなっちゃうのよ。弱いと思ったら、そこをドンドン使いなさい。声が悪いからって、黙ってばかりいたら、しまいに声も出なくなっちゃうわよ」(p.232)
 この話を聴いた大山さんが、次の日に早速放送研究部に入部したという。
 そして、16歳の時にお母様を癌で亡くした大山さんは、「癌は遺伝するから、私が大人になって結婚して子どもを持って、その子が十五、六になったとき、私もお母さんみたいに癌で死んでゆくんだ。そんなかわいそうなこと、絶対したくない」(p.216)と思い、「一生ひとりで生きるために、私はなにか手に職をつけておかなくては」(p.216)と、俳優になる決意をしたのだという。この話には、大山さんの仕事にかける思いの強さを感じるなあ。
 ドラえもんの声優さんとしての活動は終了されたわけですが、これからも大山さんの末永い活躍をお祈りしたい。

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紙の本失踪日記 1

2005/03/25 00:51

壮絶な話なのに面白い!

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 マンガ家吾妻ひでお氏の、失踪生活を描いた漫画。
 イントロダクションには「このマンガは人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています」(p.5)、「リアルだと描くの辛いし暗くなるからね」(p.5)とあるが、それでもかなりすごい生活をしていたことが分かる。

 収録されているのは、ホームレス生活を描いた「夜を歩く」、失踪の後、ホームレスを経てガス関係の肉体労働に従事する「街を歩く」、アルコール中毒になり、強制入院した日々を描く「アル中病棟」の三部。「街を歩く」の後半は、マンガ家デビューした当時の思い出話で、これもまた面白い。

 多分、この内容を、例えばつげ義春氏のような絵で描いてあったら、少なくとも俺は読むのに抵抗があったと思う。しかし、吾妻氏独特の丸っこい、かわいい絵で描いてあるので、読むのがつらくない。むしろ面白い。
 それから、当時の出来事の中で、マンガに描いて面白いものを選んでいることも、この本の魅力だろう。

 例えば、捜索願いが出ていたため、警察で保護された時に、警察官の中に吾妻氏のファンがいて、色紙に「夢」と書いてくれと頼まれる、とか。
 あるいは、ガス関連の会社で働いていた頃、社内報にマンガを投稿して採用された、とか。働いていなければ働きたくなり、肉体労働をしていると芸術がしたくなるらしく、あれほど描けなかったマンガを描いたらしい。これは興味深かった。
 このあたりについては、巻末のとり・みき氏との対談でも触れられていますが、やっぱり氏の上手さだと思う。

 吾妻氏を知らない人にとっても、ノンフィクションのマンガとして面白いのではないかと思います。

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紙の本グーグル八分とは何か

2007/01/24 13:54

グーグルの「不都合な真実」

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 タイトルにもなっている「グーグル八分」について、この本から引用します。「グーグル八分とは、村八分をもじった言葉です。あるウェブサイトがグーグルの検索結果から締め出され表示されない、またはページランクを落とされて、ほとんど見えなくなることをいいます」(p.8-9)。
 そして、著者は実際にグーグル八分に遭っているサイト「悪徳商法?マニアックス」の管理人。この本では、グーグル八分の実例紹介や、グーグル八分の問題点の考察がされている。
 まず紹介されているのは、グーグル八分にも大きく分けてふたつある、ということ。ひとつは、「グーグルによる自主的な削除」(p.47)。例えば、「スパムや検索エンジンを騙すサイト」(p.46)。これらのサイトはグーグル自らが検索エンジンとしての質を上げるために削除している。
 もうひとつは、「第三者からの申請や法律に従って検索結果から削除する」(p.47)グーグル八分。この本で取り上げられるグーグル八分はこちらである。
 グーグル八分の実例の中で意外だったのは、東京都議会選挙の結果を表示したページもグーグル八分になっていること。それまでの実例に対し、「もしかすると『他人を批判しているのだから、グーグル八分にされても仕方ない』と思う方もいらっしゃるかもしれません」(p.176)という前置きの後に紹介されている。選挙結果という客観的なデータであっても、都合が悪いと思う人間は検索結果に表示できないように申請をし、グーグルはその申請を受けて検索結果に表示できないようにしてしまう。
 そして、表示されなくなったサイトが、誰の申請で表示されなくなったのかを確認できる可能性は低い。グーグルに送られたクレームを確認できるChillingEffects.orgというサイトはあるが、この本が出版された時点で「ほとんどすべての場合において、単に『通知は利用できません』と出るだけ」(p.38)であり、「日本語の申請が確認できるのはたった一件」(p.38)となっている。また、表示されなくなったサイトの管理者に訂正や弁明の機会も与えられない。著者がグーグルに対し、「『どこを修正すれば、再び検索結果に表示されるようになるのか?』などを質問したのですが、いっさい返事は来なくなりました」(p.23)という。
 このようなグーグル八分が問題になるのは、検索エンジンが寡占状態であることが原因のひとつだろう。
 アメリカの調査会社「ウェブ・サイド・ストーリー」の2005年6月時点の調査では、検索エンジンのシェアは「グーグルが52.2%、ヤフーが25.2%、MSNが10.4%」(p.7)となっている。また「ニールセン・ネットレイティングス」の2006年10月の調査結果では、「グーグルが49.6%、ヤフーが23.9%、MSNが8.8%」(p.8)のシェアとなっている。検索の約半分にグーグルが使われているのである。
 これに対して、グーグルに替わる検索エンジンが出てくればいいという意見があるとすれば、それは誤りだと著者はいう。「グーグル八分に対する批判は、現在の状況に対する批判です。実際に存在しない仮定の状況をもとに話をしても、意味がありません」(p.264)ということ。
 だから、今はとりあえず、グーグル八分というものが存在する、ということを知った上で、グーグルを使うことが必要だと思う。あとは、他の検索エンジン(ヤフーやMSNなど)も併用したり、色々な検索エンジンの結果をミックスして表示するサービスを利用したり、そもそも検索エンジンだけでなく、可能な場合は辞書や事典・書籍などでも調べることが必要だろう。
 ともかく、「グーグル八分」というものがあること、そしてどんなサイトがグーグル八分に遭っているかが分かることだけでも、この本を読む価値があるだろうと思う。

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良いか悪いかを考えるためにも、今なにが起きているか知るために

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 Googleに限らず、インターネット上のサービスの普及により、なにが起きているのかを簡単にではあるが分かりやすく紹介している本。
 現在、インターネットによって、経済の仕組みも変わっていれば、情報の伝わり方も変わってきている。良いか悪いかは別として、まず、それは意識しないといけない。
 その上で、この変わりつつある世の中で、どう行動していくか、もっと言えばどう生きるかを考えさせられた。
 最初に思ったのは、あまり無邪気にGoogleを(というか、インターネットを)信じてもいられないなあということ。特に第六章の「ネット社会に出現した『巨大な権力』」を読むと、特にそれを感じる。「グーグル八分」(Googleにより、意図的に検索結果からはずされること)もそうだし、「二〇〇六年一月、グーグルは中国政府の要請に応じ、千語近くの用語やホームページへのアクセスを制限した特別な検索エンジンを提供し始めた」(p.223)とか、Googleの提供する地図サービスから「沖縄の嘉手納基地をはじめとする米軍の基地やホワイトハウスなどの精密航空写真は、なぜか見られないように処理されている」(p.225)という問題もある。
 だから、インターネットを知識を得たり価値判断をするための唯一の基準にするのはやっぱり危険だよなあ。
 それから、インターネット上に自分のことを公開しすぎるのも控えようと思った。
 自分の場合は、ブログやサイトでは大したことは公開していないが、それでもそれがいつどんなことに利用されるか分からない。
 ブログやホームページ上の日記では、もっと自分の生活をくわしく書いている人もいる。もちろん心配するようなことはほとんどないのだろうだが、世界中の誰もが読める可能性のある状態になっているということは、改めて意識した方がいいよなあ。
 もちろん問題点だけではなく、インターネットの可能性も感じる。例えば、インターネットが従来と商売の方法を変えたことで、これまで勝ち目がなかった会社にもチャンスが巡ってきていることは、第二章「小さな駐車場の『サーチエコノミー』」や第四章「メッキ工場が見つけた『ロングテール』」で分かる。
 今なにが起こっているかを考える意味でも、読む価値がある本だと思う。

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懐かしい!一人で読んでも楽しいし、みんなで読んでも盛り上がりそう。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 子どもの頃に学校などで使った文具の中で、今でも買える商品を紹介した本。見開き2ページで一商品ずつ、カラー写真と商品の情報、そして紹介文が掲載されている。
 色々な商品が今でも買えることが分かると同時に、値段も分かるところがなかなか面白い。学用品が意外に高かったり安かったりする。
 例えば「トモエそろばん」が3150円というのは、ちょっとびっくり。今では電卓の方が安くなっている。
一方で「地球ゴマ」が安いものなら735円だったり、「肥後ナイフ」(「肥後守」という登録商標もある)が263円〜525円と、結構手ごろ。欲しくなる。
 それから、横断歩道用の横断旗はひとつ300〜400円らしい(pp.146-147)。個人への小売はしていないそうだが、欲しいなあ。なにに使うか自分でも分からんけれど。
 こういう学用品だけを小売りする店はないだろうか、と、本気で考えてしまう。結構繁盛するんじゃないかと思うんだけれどなあ。
 他にも、「ロケットペンシル」とか「マジックインキ」とか「ポスターカラー」とか「チェックセット(マーカーで塗ってシートを置くと文字が見えなくなるというあれです)」とか、懐かしい品々が多数登場する。
 一人で読むのも楽しいですが、同世代、あるいは別の世代間でも、みんなで読むと色々な思い出話に花が咲くのではないだろうか。

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紙の本気分はもう、裁判長

2005/09/17 10:10

多くの人が敬遠する裁判の世界。でも一歩踏み入れると、色々なことが見えてくる。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 刑事事件を中心に様々な裁判を傍聴する、という形式で、裁判所・裁判の様子を解説した本。
 裁判や裁判所というと、多くの人は抵抗を持っているだろう。おそらく、その理由は大きく分けて二つあると思う。
1.なにをやっているのか分からないので怖い。
2.自分には一生縁がないから知りたくない。
 しかしこの本を読むと、その考えが変わる。
 まず、裁判長も検察官も弁護士も、法律の専門家ではあるが普通の人間である。昼休みに、食堂で昼食を食べる裁判長を見ながら、著者は次ように言う。
「法廷では神様のような裁判長も、ぼくたちと同じように昼食を食べ、同僚と会話をする。家に帰れば家庭があって、子供の父親かもしれない。もう少し給料が上がればいいなとか、日曜日は釣りに行こうかとか、そんなことを思うことがあるかもしれない」(p.103)
 裁判は決して特別な人間が特別なことを行っているのではない。それを知るだけでも、傍聴する意味があると思う。
 また、著者は傍聴する際、「被告人を見ていて、自分と無関係な人だとは思えない」(p.37)のだという。もしも万引きをして、告訴されたら。あるいは、万が一他人に暴力を振るってしまったら。そんな想像をすると、裁判が自分に縁がないとは思えなくなってくる。
被告人も、見た目だけでは罪を犯しそうにない人間が多い。例えば殺人事件の被告人が「二十代の優しそうな青年。ケンカさえしそうにない、やせっぽち」(p.155)の男だったりするである。
 このようにして裁判を紹介する著者が考えているのは、多くの人に裁判に関心を持ってもらいたい、ということ。
 なぜなら、ひとつはそれが犯罪数の減少につながると考えているから。「傍聴をしていて心から思うのは、被告人だけにはなりたくないということ。悪いことをして得られるものの何倍も、被告人席に座らせる苦痛のほうが大きい」(p.162)のである。
 そしてもうひとつ、有罪判決を受けた者が刑務所から「出所してきたとき、立ち直るチャンスを与えてあげられる社会に生きていたい」(p.140)から。「前科がある」というと、どうしても偏見を持ってしまう。しかし、「前科があるということではなく、どういう事情でどんな事件を起こしたのかを聞き、つきあうか、つきあわないか、自分の意志で判断することのできる人になりたい」(p.140)という。
 こうした著者の考えも含め、これまでまったく知らなかった裁判の世界を知ることで、裁判に対する考え方が変わるかもしれない。また、実際に傍聴に行期待と思った人には、ガイドブックとしても役に立つだろう。

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紙の本いろんな気持ちが本当の気持ち

2005/08/07 23:11

作者のことを知らなくても、文章の面白さだけで惹きつけられます

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作家長嶋有氏のエッセイ集。全体としては、いい意味でくだらなくて、面白く読めるエッセイなのだが、突然鋭いところを突いていたりして、興味深い。これは、氏が「ブルボン小林」というペンネームで書いているコラムにも近い雰囲気である。
最初の方に出てくるエッセイのタイトルが、「ポンポン板井」。あまりにもいきなりな題名である。
これは、もしも弟子を取るとしたら付けたい名前。ここから、弟子をとったらどんなことがしたいかを書いていく。この空想というか妄想が、どんどんと広がっていく様子が非常に面白い。
ちなみに秘書ではだめなのかというと、「都合が悪くなったときに、理不尽に『おまえちょっと町内三週してこい!』とか、秘書にはいえない」(p.9)ので、だめなのである。
しかし、更に面白いのが、最後の最後になって「本稿の主旨は、俺のポンポンを募ることではなくて、皆も弟子の名前くらい決めておいたら、ということ」(p.13)だった、というところ。
このどんでん返しというか肩すかしというか、素晴らしい。
他にも、昔話の「こぶとりじいさん」について、「こぶとりはファンクネスを啓蒙する物語だった。素敵だ」(p.236)と結論付ける「瘤取り考」など、いずれのエッセイにもニヤニヤしたくなるユーモアにあふれている。
長嶋有氏のことをご存知でなくても、そのユーモアだけで楽しめるであろう。そういう意味では内田百閒や武田百合子などの諸氏の文章にも近い面白さだ。

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紙の本放送禁止映像大全

2005/07/06 21:15

作品の内容とともに、作品の抱える事情も興味深い

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様々な事情により、見ることができない、あるいはできなかった映像作品を紹介・解説する本。作品ひとつひとつについてのページ数は、やや少ない。しかしその分紹介されている数が多く、次々と登場する作品を読んでいると、わくわくしてくる。
意外だったのは、再放送やビデオ化・DVD化がされない理由は、なにも作品中の表現に問題がある場合だけではない、ということ。放送禁止作品として有名な「ウルトラセブン」12話、「怪奇大作戦」24話、映画「ノストラダムスの大予言」などが、いずれも内容にクレームがついたことが原因なだけに、そう思い込んでいたが、実は色々な事情があるようだ。
例えば、「NHK少年ドラマシリーズ」の名作「タイムトラベラー」(原作は筒井康隆『時をかける少女』)は、放送局に原版がないため、再放送もソフト化もできなかった。「当時は放送終了後の番組を保存するという概念がない」(p.89)のが普通だったそうだ。しかし「タイムトラベラー」は、最終話だけは当時の視聴者が放送をオープンリールに録画していたため、今でも見ることができる。
だが、そのような幸運な例は少ない。この本の中に紹介されている作品の中には、作品の抱える事情も含めて非常におもしろそうなものが多く、見てみたいと思うのだが、それがかなわないというのは非常にやきもきする。やきもきしながら、何度も読み直している次第である。

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他人に伝わる文章とは

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 編集者に預けられたまま、46年間発表されることのなかった遠藤周作氏の原稿を書籍化したもの。
 しかし、未発表原稿だからという理由だけで刊行されたわけではないことは、この本を読むと良く分かる。手紙の書き方を指南する随筆なのだが、それだけに留まらず、他人に伝わる文章をいかに書くかについて、分かりやすく、面白く説明されている。

 おそらく、現在たくさん出ているであろう「手紙の書き方」、「メールの書き方」といった本のほとんどよりも、この本の方が参考になる部分が多いだろう。なぜなら、一つの形を提示するのではなく、「読む人の身になって」という基本原則を守って、あとは相手との関係の中でどういう手紙を書くのが良いか、色々な例を挙げて紹介しているから。むしろ、決まりきった文章は「読む側になんの感興も、感動の起こさぬ」(p.63)のである。この本で紹介されている文章の書き方は、手紙に限らず色々な場合に応用できる。

 また「読む人の身になって」を原則に挙げるだけあって、文章の中にはユーモアやサービス精神がたくさんある。また当時の時事的な固有名詞(俳優の名前など)には注も付いているし、今読んでも古い感じはない。

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