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  3. 大島なえさんのレビュー一覧

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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

大島なえさんのレビュー一覧

投稿者:大島なえ

31 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本無能の人・日の戯れ

2006/05/26 15:01

マンガ家はイヤだな

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

つげ義春の漫画のマンガの熱烈なファンは多い。寡作でいつ発表されるかわからない新作を待ち続けているファンは今でも多くいるだろう。
「無能の人」は、第一篇の「退屈な部屋」が1975年に「漫画サンデー」に発表され、最終の「蒸発」が1986年に「COMIK ばく」に発表された。11年分の作品を集めたもので、内容も青年の主人公が、次第に中年のおやじになる様は「無能の人」そのものかも知れない。書かれている内容は、漫画私小説と呼べるものであり、主人公の私は注文が来なくなった漫画家、それに仕事をしない夫に不機嫌になっていく妻は、生活の為に団地のチラシ配りをしながら後に、定収入を得る為に競輪場の車券売り場の仕事をするようになる。そして生まれた子ども三助の三人が常に描かれる。或る日は、私は河原で拾い集めた石を、競輪場の渡しの先で小屋を建てて売るが、所詮ただのどこにでもある石を買う客もおらず、ただぼんやり過ごしながら妻の白い目に合いながら、漫画をかこうとしない。傍らでは、ぜんそくをわずらった子どもがヒーヒー青い顔をして苦しんでいても、背中を向けて寝転ぶだけしかできない私は無能の人であり、そう書ききる当作品は、もはやギャグではなく文学だ。恐ろしいほどの諦めと、哲学的といえる客観性で読者を、つげワールドに引き込んでいく。
簡単に言ってしまえば、究極の自虐ネタに溢れた限りなく暗いマンガだ。
つげ義春は、恐ろしく寡作で新作も出さない。「無能の人」には、時おりマンガの依頼が来るが、それも断ってしまい妻になじられる場面がある。一作書くのに、大変なプレッシャーと葛藤があるかと思われるのも当作品集を読んでいるとうなずける。マンガを書かないマンガ家は、石屋になり中古カメラ屋をしたり、同じような売れない寝てばかりいる古本屋と話したりする。しかしどんな仕事をしても結局は、だらだらと日をすごしうまくいかない。多分、この作家は今もマンガを書くことから逃げ続けてどこかの河原で昼寝でもしているのだろう。

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紙の本塩壷の匙

2002/06/30 15:19

私小説のこわさ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『塩壷の匙』は、車谷長吉の名前が大きく知られた最初の小説と云って良いと思う。自ら、その二十年間の小説を書いてきたことの遺稿と呼んだ。もちろん、まだ生きている。
表題作をはじめ何篇かの小説が収められた本書は、まさに車谷氏のそれまでの人生そのものの
ように思えて仕方がない。その殆どが暴露的とも思われる家族の、ひた隠しにしてきた秘密の
ことが描かれる。例えば、若くして首吊り自殺をした叔父の、ゴム草履をはいたままの足の先が
因業な曽祖父の、すぐ背中に見えていること。
今や、私小説をかける最後の書き手となりつつある作者の原点とも遺書ともとれる一冊だろう。

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紙の本心臓を貫かれて 上

2002/05/21 10:45

思わず絶句

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 この本は実話の犯罪を描いたいわゆるノンフィクションになるのだが、それ以上に物語のような文章が、美しくて哀しい音楽が絶えず流れつづけているようだ。
アメリカの片田舎で起きた或る殺人事件を犯人の弟が、苦悩の果てにペンを取ったこの作品は現代アメリカの病んだ家族像の断面を確実に伝えていた。そこにはどうしようもない親兄弟の姿がある。そこから逃げ出そうとする作者がいて、罵り追いかけるものもいる。実話だからこそ受ける衝撃の事実に読者は引き込まる。家族の抱えるトラウマや家霊の存在が、引きがねになっているが、決してそれだけではない。
村上春樹の訳が、たまらなく的確に表現しているのも読んでいて楽しい。

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紙の本パイロットフィッシュ

2003/03/31 10:21

限りない透明感

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 パイロットフィッシュ、とは魚の名前ではない。その目的に使われる、用途を意味した名前なのを、この小説の中で説明されている。
 やがて、その捨てられる為に、水槽に入れられるパイロットフィッシュは、様々な人に変わり、物語の初めから終りまで泳ぎ回っている気持ちになった。
 
 大学に馴染めず、地方から出てきた僕と巡り会った由紀子の19年振りの、突然の電話からはじまり、思い出す過去と現在の自分を思うのは、一体、作者本人だろうか? いや、表面的なものこそ違えど、これは誰もが持っている思い出すと切なくなる大事なたまもののような青春という名の抽斗だ。
 その、抽斗を本書は、そろそろと引き出しながら見せて行く。するすると、引き込まれて、あっと言う間に読み終えて、しばらく切ない涙を零すのだ。

 作者の大崎氏は、将棋の世界で仕事されていたが、それまでの著書と違い、これは完璧な青春小説と呼んでいいだろう。大学に入る為、上京してきた山崎の姿は、しばしば作者の姿とダブるものも多いし、恋愛の描写もリアルだ。
 なによりも印象的だったのは、由紀子がカンだけで捜したエロ雑誌の出版社の編集長の沢井の生き方が良い。偶然の成り行き的な就職から、やがて山崎が沢井の分身となり、その未来をも予想させている。出版の様々な現場の様子も、興味のある者には、とても面白い。

 19年振りに、再会した僕と由紀子の間には、なにも変わっていないように見えながら、どうしようもなく埋められない時の見えない溝がある。そっと壊さないうちに、そのまま又別れてしまうのは、現実にはないかもしれない浪漫だろう。

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紙の本赤目四十八滝心中未遂

2002/05/31 09:42

最後の文士

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本の作者は、今では最後の文士と呼ばれていい。私小説が死滅しようとしている今、これほどまで文学に命をかけて文章を書く人はいない。本書は作者の自伝的な作家になる前の、世を捨てた一人の34歳の男が尼崎に身を隠すように暮らした間の物語だ。「温度のない町」で底辺に暮らす人々との中にいる私は、それでもバチあたりで、ここに居るものではなかった。毎日、暗いアパートの一室で串カツにする肉をさばいて串にさす。それが自分の仕事だ。と言い切っているが、そこには生きている魂が救われない場をさまよっていた。背中に蓮池に今飛ぼうとしている鳥の刺青を彫るアヤちゃんとの、哀しくてひそやかな愛。
このような作品は、今やこの人にしか書けないだろう。その文章に圧倒されて、読む者の生きかたまで変えようとする、とんでもない小説だ。

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紙の本百鬼園随筆

2002/05/10 14:53

イヤだからイヤ

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この「イヤダカライヤダ」という名文句だけでも、知っている人も少なくないだろう。
かなり前に出された随筆を集めて新しく漢字も当用に変えて、とても読みやすくなっている。文章がいつまでも面白いから、それだけでも飽きないが、この漢字かなの読みやすいのは良いな。
自分がなりたくない、したくないことは借金まみれの生活であれ、誰にこれでお金の苦労せずに済むよといわれようと、いやだからしない。恐ろしい頑固者だが、そんな自分をときには見つめてうんざりする。
百鬼園先生、パワー全開の一冊。

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神保町の伝説の書店

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

神保町のすずらん通りにある小さな新刊書店「書肆アクセス」が11月17日に閉店した。地方・小出版センターのアンテナショップとしておそらく、日本一小さな有名な書店だ。坪数10坪程の店内には、ここでしか手に入らない地方の小さな出版物とミニコミ本や、果てはフリーペーパーのお持ち帰り物も店頭に置かれていた。それ故、大手では絶対にない小さな手作り本を愛する人と読者が、必ず立ち寄る書店となる。
本書は、書肆アクセスという本屋を愛し惜しむ人達の「さようなら」の感謝と言葉に言いつくせない思いのメッセージを集めている。有名無名の沢山の寄稿者の原稿を集めて編集された、わかりやすく言うと書肆アクセス追悼集だ。しばしば名前が出てくる、畠中理恵子店長の存在も大きく大勢のお客さんが店長とちょっと話しにやって来た。
バブル期後の本が売れない年が続き、赤字転落になり閉店を決めた時は500万以上の赤字が出たこと等を理由に、地方・小出版センター社長名の閉店発表が出された直後にさまざまな報道が駆け巡った皮肉な事実は、どれほど書肆アクセスという本屋が神保町にとって、なくてはならないかを証明する事になる。約30年の歴史を閉じ神保町の伝説となっても今も尚、再復活を心に願う人も多い。そんな人々の思いで出版された本書は、とても稀有な本になるだろう。

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紙の本あなたより貧乏な人

2009/10/28 10:22

明るいビンボー

8人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『あなたより貧乏な人』とは、なんとも具体的なタイトル。今の不景気が長く仕事なく収入なくあてもない。ホームレス化した人が増え続けている現代で、読むと少しホッとし楽しくなる。
 一言で言うと、この本は貧乏くらべを文化人、芸能人、作家などの著書に基づいて調べて書かれたものだ。石川啄木を借金王ナンバー1と位置づけて短歌で知られるきれいなイメージを根底からこわしてみたり、詩人の金子光晴、稲垣足穂もこてんぱん。面白いのは、群ようこが印税を払うのも困っているのに母弟の身内がアリのようにたかり、自分は住まない家のお金を印税にとっていたお金を無理矢理引き出させる話だの、収入はあれどビンボーで苦しんでいる。貧乏な話はどこか、「そうか、自分はまだこれほどじゃないな。」と安心したり何故か楽しい部分がある。勿論、余りに現実的な(借金苦で首つり自殺とか無理心中)悲惨な話は故意に避けられている。たのしいビンボー本なのが読ませている。
 文中では、ところどころに本人の貧乏体験も挿入されている。吉永小百合が父親の事業の失敗から家に差し押さえの赤紙を貼りにきた時の思いでを書いた本にからめて、自身も同じく父の死により自宅を差し押さえさられた高校生の時の話があったり、大学時代は自分で学費、生活費全て出さねばならず苦学しながら京都の二部大学を卒業した貧乏な思いでがあったりする。さらっと書いているが、現実はもっと大変だと思われるし差し押さえの赤紙を家中に貼られるのなど私は、映画の中でしか知らない。事業に失敗し、それまでぜい沢をした暮らしが一転、階段を転げ落ちるようなどん底の生活になるのは文で書くよりも本人にしかわからない悲しみや無念さがあるだろう。そこからビンボーもたのし。とお金のないことを悲嘆せず生活していくのは、心のリハビリと呼びたくなるものがある。どん底の井戸の底のような貧乏な生活から上を見ると、からりと晴れた青空があるような小さな明るさを感じた。

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東京へ出てくる話は数あれど

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

「おのぼり物語」なんて一見、どうしようもなくベタなタイトルに、なんとなく下手ウマなとぼけたメガネのダサい男の子が立っている表紙。
 しかし何故か読みだすと次第にじわじわと東京へなんのあてもなく職もなくマンガの決まった収入もないのに、ただマンガ家になるのだ。と上京する僕の「おのぼりさん」の日々がどちらかと言うと淡々と描かれている。月の収入は四コママンガの掲載料で、それも不定期で1~2万円で生活するという極貧生活なのに、酒はやめられず夜になるとひとりで部屋で酔っ払って寝るまで飲み続ける。他にアルバイトもせず、仕事も無いお金も無いので遊びにも行けない。線路沿い電車の音が早朝から深夜までうるさいアパートで、誰とも話し相手もなく、ただマンガを描く仕事を待って暮らしている。
 地方に住んでいると、誰でも一度は東京で生活したい。と言う夢を見ると思うだろうし、大学入学で東京へ出ていく人など実際に一度は東京で住む人も大勢いるだろう。けれどその後もずっと仕事を見つけて東京で暮らし続ける人は、そんなに多くないのではないだろうか。ひとりで東京で自活するのは簡単なことではないし、苦しいこともかなりある。時として見栄も張り本当は辛くて貧しい日々でも口には出さないこともあるだろう。
 カラスヤサトシは、本人も大阪で生まれ育ち東京にひとりで上京して、それこそ決まったあてのない、会社もやめ無職無収入の上京ひとり暮らしだった。マンガの中で、父親が気がつけば末期のガンだとわかり急遽大阪に帰った時に、母親に、あんたずっとこんな風に生き続けるんかと言われ、何も返事ができず、うなだれて病室で描いて送った四コママンガが意外にも編集者に好評で注文が来たりするのは、思わず「やったね」と声をかけている。
 大阪へは父親の死後も帰らず、なんとか生活できるよう仕事も少しづつ増え、上京してきた母親に食事をおごる時、ようやく「おのぼりさん」から脱出したと自覚する。
 「おのぼり物語」は、どこにでもある東京へ出てきた話のようでそうでない実が隠れている。どこかさらけ出すのがはずかしいような本音の自分を見ている気がして、思わず知らずうつむき加減にジンとなっている。

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絶対に行かない旅先

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

今の世の中、旅行ガイドブックや週末おしゃれな旅行向け雑誌は山ほどあるが、これほど穴をついた旅本はない。
本書は村上春樹・吉本由美・都築響一の中年トリオが交代で執筆している。雑誌の連載のために作った「東京するめクラブ」の三人が、普通ならまず行かないところばかりを選んで、旅行し泊まる企画のもの。しかし、この面々が見て回る例えば名古屋は、さながら異郷でありゲテモノの世界に限りなく近い。ほめ殺しの反対のケナシ褒めのような趣すらある。名古屋では田園地帯の真ん中に喫茶店があり朝から宴会のような騒ぎで賑わうモーニングを食べに行くと、そこにはコーヒーと巻き寿司やおにぎりに、あんこがどかっとのった四角いヘタつきのままのトーストが飛び交っていたり、そこへ田植え仕事を終えた農家のおじさんおばさんが朝のひとときを騒がしく過ごしていたりする。
名古屋以外にもサハリンの極北の地へ飛び、熱海のさびれきった温泉街を歩き、夢のあとの清里を虚しく見て歩いたりしている。それらの地に共通しているのは、ひとつ前は良かったのに今はどうしようもなくうらびれていたり人気がなかったりしていることだ。
だから、それを嘆いてじゃあ私達が盛り返そうとかではなく、どんだけダメになってしまったのかを写真や買物した店先や出会った人に向けて次第に明らかになっていく。そこには、街に対する嘆息でも愚痴でもないまして都会から来た人間の奢りではない、普通の視線があるのがわかってくる。そのへんが地球をはぐれて生きる三人のまともさがキラリと光っている。

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紙の本納棺夫日記 増補改訂版

2009/03/03 15:31

ふしぎなひかり

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

納棺夫とは作者の青木新門の造語であり、それまで特に葬儀社(屋)の社員のする仕事のひとつだった。この『納棺夫日記』によって納棺夫(師)と言う職業がはじめて認められたのは、それまでは死体を清め棺に納めるという葬式には欠かせない仕事が、実は誰もが嫌がり押しつけられるように仕方なくしていた日陰の仕事と思われていたのを、正しく認識させることになる。
詩人であり、故郷の富山で飲食店を経営するも文学好きな客の溜まり場になり金銭的にもルーズで店は倒産、妻子を養う甲斐性もない、生まれた子どものミルク代も欠き、偶然見かけた求人広告を頼りに藁をもすがる思いで戸を叩いたのが、実は葬儀社で仕事は遺体を拭き清め納棺する仕事だった。
しかしこの仕事をやめれば、生まれたばかりの子どものミルクが買えないと自身に言いきかせ、富山の昔からの風習の強い郷土独自の葬式の現場でも親戚も嫌がって触らない遺体を清め、抱き納棺する姿に、親族等は深い感謝の意を伝えるようになる。
しかし家に戻れば妻からは、死体をさわった汚らわしい体と触れるのを拒否され親戚の叔父からは、こんな恥ずかしい仕事はすぐにやめろ。と言われるのだ。或る日は真夏に老人が孤独死し何日も気づかれず体は腐り、蛆がわき警察官も逃げ出す遺体を蛆を掃除し棺に納めた時は、人から忌み嫌われる蛆が光りきれいに見えたことを日記に書かれている。また或る日は宮沢賢治の「永訣の朝」の妹の死を詠んだ詩を思い出し涙する。仕事柄、僧侶の姿も鋭く観察し仏教の教えにも深く学んでいき、半端な坊主よりよく仏教を学び本書にも引用多く書かれている。納棺夫の仕事を天職とも思い真摯に仕事をする姿が映しだされているような思いで読了した。
今年のアカデミー賞の外国映画部門賞を受賞した「おくりびと」の作るきっかけになり、原作とも言える本。

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みなさん、さようなら

2008/01/20 15:31

青春小説の新しいカタチ

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 東京近郊の大きな団地に生れた時から住む「おれ」は、小学校卒業間近の或る事件をきっかけに一生団地で暮らしたい。と思った。団地の中には生活できるなんでも揃っているから出て行く必要はない。と中学にも通わず母と二人で暮らす団地内の部屋で付き合うのは、かっての小学校卒業生ばかりだった。
 しかし次第に卒業生達はひとり減りふたり減りし団地内も住民が減り続け中学無通学のまま卒業した「おれ」は、団地内にあるケーキ屋で時給50円で見習いから働き、やがて一人前のケーキ職人になって師匠の跡を継ぐまでになるが、団地から出ていけない「おれ」は営業許可を貰いに役所にすら行けず、ずっと一緒にパトロールし続けている同級生に頼んで都内へ自分の代わりに用事を頼んでいたが、いじめられて神経を病んでいた同級生が入院し、ケーキ屋もできなくなった。やはり同級生で好意を抱いていた女の子と団地内でデートを重ね婚約までするが、結婚するという直前に「一生団地で暮らすつもり?子どもができてもずっと団地に閉じ込めるの」と問い詰められ、恋人も団地を去っていった。それでも団地の出口からどうしても出られない。小学校の同級生は全ていなくなり、「おれ」は団地内の家を訪問しケーキ作りを教えて収入を得ていたが、母のヒーさんが働く隣町の病院から脳梗塞で仕事中に倒れたと電話があり、「おれ」はまっしぐらに駅前の道を走り電車に乗り病院へ駆けつけていた。あっけないほどに団地のシバリから解放された時、ヒーさんは・・・。
 この小説は、決して「ひきこもり」の小説などではない。団地の中でしか暮らせない少年の毎日は団地の中で青春を生きている。読む者に、ぐいぐいと読みすすめていくパワーがみなぎっている。作者は、おそらく同じような団地に住んだのかと思われるほど、その描写はリアルでまた若さを感じる。さわやかささへ残る佳作だ。

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紙の本根津権現裏

2011/07/10 22:30

私小説の限りない寂しさ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 根津権現裏にある安下宿に住まう私は、その日に食うのも困る貧しい記者だった。冬の寒い日に単衣の夏物の着物しか持たず、金を無心に訪ねようとしてもみすぼらしさに気が退け、友人に袷の着物や袴を借りて行く。その借りた着物も食うに困ると売り金に代えてしまう生活。
 親友の同郷の岡田も同じように貧しく、ひどい蓄膿症を持ち回りから「鼻」と呼ばれていた。私と岡田は毎日のように下宿を往来していたが、岡田に女ができ、そののろけ話を日々聞かされている時に突然、岡田が首を吊って死んだ。故郷から岡田の兄が私の下宿を訪ねてきて死んだことを告げに来る。無二の親友の突然の死に、骨髄炎の後遺症から痛む足をひきずって岡田の下宿で兄とどうして死んだのか問い詰めてゆく間も、そこを以前宿賃を払わず夜逃げした私は大家に見つかるのを恐れていた。全てが明らかになり、明け方近くにひとり帰る私の足は激しく痛み友人の死を悼む気持の傍らで、また明日の飯代にも欠く金が無い現実に借銭しに行くために着物がみすぼらしいのを悩んでいた。
 本書は九十年前に出版され長い間、ごく少数の私小説好きな読者の間で知られるだけの幻の小説だった。それを今年二月の芥川賞を受賞した西村賢太が作者の藤澤清造の没後弟子を自称する猛烈なファンだったことが知られ、「根津権現裏」も西村賢太の強い推薦と自ら持っている初版本の無削除本を元に完全復刊されたもの。それがゴリ押しであれ、これだけの凄さを持つ小説が文庫になり幻の本が現在、読まれることができるのは文学史的にも稀な快挙だろう。極貧のなかにあって生きることの凄絶さを感じないではいられない作品だ。

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紙の本最後の冒険家

2008/12/26 23:53

壮絶な物語の記録

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『最後の冒険家』とは、熱気球で大平洋を単独横断しようとし今も行方不明になっている神田道夫に石川直樹がつけた最上の呼び名だ。
 この本は、事実に基づいて語られたノンフィクション本になるけれど冒頭に淡々とした文で書かれた、熱気球ごと海に落ちたゴンドラの中で感じる死の予感と恐怖は、どんなノンフィクションよりもリアルで本当の凄さがある。それは、石川直樹著者自身が熱気球による大平洋横断のために神田道夫と共に副操縦士としてゴンドラに乗り8000メートル上空に浮いて飛ぶ、仲間の目で感じたこと考えた言葉で書かれたものだからだ。
 決して同乗したカメラマンやジャーナリストではない、神田から依頼されその為に時間と労力をかけて熱気球に乗る訓練を受け、免許もとり操縦を覚え未知への空の旅に、優れた機知と体力をそなえた同乗者だからこそ、この本が、たまらなくリアルで読ませるものになっている。
 2004年の1月終わりに二人は手作りの熱気球を浮かせ大平洋横断へと飛んだ。しかし思わぬアクシデントがあり途中で飛行断念を決意し、大平洋上に漂流、時化のため激しく揺れるゴンドラの中で救助を待つ間に隙間から入ってくる海水と真冬の寒さに死の恐怖を間近に感じながら、日本船籍の貨物船に救助されるが、それも石川の若い力でハッチを開けられたことや英語が話せない神田にかわって、船員の話を理解したり若し石川がいなかったら、と思うものもあった。そして、その時の死の恐怖も覚めない時に再び同乗を求められた石川自身は、成功する可能性の少なさに疑問を感じる。
 やがて神田道夫はまるで死に場所をさがすようにひとりきりの大平洋横断を決行するが、それはどう考えても誰も一緒には乗らない無謀に近いものだった。数々の熱気球による記録を塗り替えている神田には、冒険家が最後にたどる死ぬまで続ける冒険の飛行だっただろう。
 大平洋上でそのまま漂流したゴンドラが日本の南洋沖の小さな島に打ち上げられたのを知った石川直樹は、自らが乗ったゴンドラを見届けるために島へ向かった。そこにいない神田の亡骸の影をどこかに感じ続けて共に飛ばなかった自分の冒険家として海に消えた師への「まとめ」として書かずにおれなかったのではないのか。と思わずにはいられない。

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紙の本ひとり日和

2007/03/18 10:04

若い小説

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 『ひとり日和』とは、うまいタイトルをつけたな。と一番に感じた。主人公の知寿は、大学に入るでもなく仕事をするでもない所謂ニートと呼ばれる人種、父親の居ない母と娘の二人の生活が嫌で、教員の母親が海外へ行くのに合わせて、ひとり家を出ていくことから始まる。
 しかし、娘をあくまで自分の手中範囲から離したくない母親の根回しで、知り合いの東京の古家でひとり住む老人の吟子のところへ居候させる話になり、どうでもひとりで家を出たい知寿は言われるまま、吟子の家で老人とのどこか奇妙な生活を淡々と小説は描かれている。
 知寿は、20歳の若さだがどこかキャーキャーした若さが全くなく、恋人とも外で(例えばディズニーランドへ)遊びに行くなどせず、吟子の家の縁側でぼんやり二人で庭を眺めたり、もそもそと吟子の留守にセックスをしたり、どこか人生を諦めたような雰囲気がある。仕事もコンパニオンと駅の売店でアルバイトをしてお金を貯めて、ひとりで吟子の家を出て生活しようと思うもののどこかまぁこのままでも良いや。と言う感じがする。
 吟子は、夫に先立たれひとり暮らしだがダンスで知り合ったボーイフレンドがしょっちゅう家に訪ねてきたりおしゃれをして出かけたり、知寿よりも女性らしいところがある。奇妙な孫と祖母のような年の離れた他人の二人には、わからないが次第にお互いに近づいていく親しさが生まれているようだ。全体に、今のニート世代をうまく表現しているだろう。作者も同世代で若いが、ただ吟子の70代の老人の生活や表現に少し疑問を感じる。これから期待したい新しい作家。

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