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じゃりン子@チエさんのレビュー一覧

投稿者:じゃりン子@チエ

11 件中 1 件~ 11 件を表示

紙の本田辺聖子の今昔物語

2002/04/13 19:39

一級の、やさしい昔語り

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 古典の現代語訳というのは、いったいどういう行為に一番近いですかね。私が思うにこれは「子供に絵本を読み聞かせる」行為に近いと思うのですよ。洋書の翻訳は、作り手の作文能力が問われすぎる。戯曲の演出では、演出家の発想で作品が変質するし。そうとなれば、昔語りを現代に伝える「語り部」に近い性格を持つ現代語訳者はなんだか本を読んでくれるお母さんに近いかな。などと極端な発想を私にさせてくれたのが、この方。田辺聖子さんです。源氏物語、百人一首、枕草子など。さまざまな古典作品を小説化していますが、現代語訳の仕事ではこの本が最も作者の個性を生かしているのではないでしょうか。

 今昔物語は、もともととりとめない小話の寄せ集めのような性格を持っています。それに合わせて作者も、物語や事件を登場人物に語らせる形で話を作っています。話し言葉を使ってくれたことで物語が身近に感じられ、古典の登場人物が私たちに迫ってきます。例えば猿を助けたおかみさんの話。「なんだかかわいそうになっちゃてねえ。助けてあげたわけですよ」。こういった調子で語られることで物語の幅が広がることはもちろん、作者の文章の軽やかさや、人間に対する愛情といったものも感じ取れるようになるわけです。

 しかし、今昔物語という単純な古典に挑戦するにあたって、気軽な気持ちで望んだなんて事は全くないのでしょう。このほんの中で一番淡々とした口調で語られる、夫に捨てられた妻が、出家したかつての夫と出会うが…。と言う話は、作者の古典に対する挑戦の意気が感じられる名作です。最小限の表現で、人生のはかなさや悲しさを伝えること。しかも、原作の世界を壊さずに。P数で言えばたかだか数枚の話ですが、自然とこぼれる涙に随分不思議な気分になったものです。

 田辺聖子さんの持つ言葉は、多くの人に伝えるための軽妙な言葉です。そして、伝えようと書いていることは、人間に対する愛情です。そんな彼女が書いた「今昔物語」が面白くないはずないですね。プレゼントにもお勧めしたい「現代語訳の古典」です。

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萩尾望都の局地です

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 全ての表現は見えないものを見る、ためにある。そして、全ての表現者は見えないものをどう見せるかに苦心する。この作品は見えないものを、いかに見せるか、と言う問いに対しての萩尾望都の答えである。霧雨の降るイギリス、一人の女性の葬儀から物語ははじまる…。

 妻を亡くしたイギリス人グレッグと、夫を亡くし、息子のジェルミと二人暮らしをしていたサンドラ。ボストンで出会い恋仲になった二人。二人を祝福していたジェルミに、グレッグはある日突然キスをし、SEXを要求する。拒んだジェルミに対して「君が私を受け入れてくれなければ、サンドラとは結婚できない」と脅迫するグレッグ。サンドラのためにグレッグを受け入れたジェルミの運命は、断崖を転げ落ちるように落下して行く…。

 サイコサスペンスの名の通り、この作品は心理劇によってドラマが構成される。テーマは「生と死」とか「愛情について」とか「親と子」とか、いろいろあるがまあそれはとりあえずおいて。その心理と言う目に見えないものを萩尾望都がどう表現しているかがこの作品の注目すべき点の一つなのだ。
 人間の心理の動きと言うのはそれだけではドラマになり難い。感情と言うのは誰もが共有できるものではないし、何より、「絵にできない」からだ。しかし作者は、キャラクターのもう一人の自分や死者を、読者の目に見える形で登場させ、発言させることによって物語を重層的にすることに成功した。

 例えば十三巻でのジェルミとグレッグの息子イアンの対話。この回は二人の対話を中心に過去の事件を振りかえるという、読者にとってはあらすじの確認に近い話だ。しかし、この回はすごく面白い。すでに死者となったグレッグが二人の対話に割り込んでくる構成になっているからだ。足のある幽霊、といった趣で二人の間に居座るグレッグは二人の対話を時に補完し、時に冒涜することで読者を導き、混乱させる。グレッグはこの後もさまざまなシーンで登場し、生者たちの発言に割り込む。そして物語が複雑化するにつれ、ほつれた心理の糸によって生者たちは迷路から抜け出せない迷子のように途方に暮れる。その瞬間、彼個人のエゴにしか聞こえなかったグレッグの言葉が「叫び」に変わり、読者は更に重層的な心理の迷路に落とされることになる。
 実はここで使われているスタイル自体は別に珍しくない。しかしこの人がこう使うことによって、物語は多層的な視点を持ち、なおかつ誰が読んでもわかるようなすばらしい効果を上げる。生者と死者の対話や、愛情が回復する瞬間を目に見ることができるなんて! マンガってすごい! とついつい思わされてしまう。

 そしてさらにすごいのはここまで完成度の高い心理劇を、しかもエンターテイメントとして提供している作者が、この連載中にもどんどんうまくなっていることだろう。前述した心理表現の方法に関しても、最後の最後なんかすごく完成されたスタイルになってラストの感動を引き出してくれる。
 さらに、それでも萩尾望都という作家はまだまだ未完成で成長の余地がある感がある。次はもっと面白い作品を作ってくれるんじゃないかという余地である。すごいというのはストレートすぎてまぬけだけどすごい。マンガ好き、を名乗る人すべてに見せたい名作である。

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紙の本プロレタリア文学はものすごい

2002/04/29 14:18

おもしろがることのおもしろさ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 プロレタリア文学なんて読んだことがないのだ。たいがいの人
は。もちろん私だって読んだことがない。なんだか陰気くさい感
じがするし、使命感に駆られて読んだところで面倒くささに負け
てしまうのが目に見えている。ところが、「おたくのプロ」の荒
俣宏先生はプロレタリア文学のおもしろさをも無教養な私に解説
してくれる。プロレタリア文学はどうしてものすごいのか、それ
はおもしろいから。という運びでこの本は始まる。
 小林多喜二の「蟹工船」をホラー小説と呼び、葉山嘉樹の「セ
メント樽の中の手紙」を怪奇小説と呼ぶ。平林たい子の「施療室
」にては生理的エロ小説になり、江戸川乱歩はプロレタリア作家
として発見し直される。ほかにも坪内逍遙、中野重治、志賀直哉
、バルビュス等々いろいろな作家が登場し、料理されてゆく。上
にあげた著者たちで私がかろうじて読んだことのある作家は江戸
川乱歩だけ。そんなていたらくなのでうかつなことは言えないの
だが、おそらくこれまでおもしろい本として評価されてはいなか
った作家たち。続々発掘される彼らのエンターティメント性は、
今現在、過激な表現になれたといわれている私たちにも充分有効
なようだ。
 何せ彼らが書き出す物語は多くの実体験に基づいて書かれる。
エンターティメントではないが、自分の子供をしなせてしまった
経験を持つ、平林たい子の書いた「夜風」。これなどは、貧しく
て死ぬということが想像もつかない現代に生きる私たちとって
得体の知れない衝撃を与えてくれそうな短編のようだ。
 また「おもしろすぎる罪」という章ではプロレタリア文学の中
にも「おもしろくなければいけない」という意見と「芸術的に高
度でなければいけない」という意見が対立していることをも教え
られる。労働者のためにあろうとした文学がどういった方向性に
あるべきか、という論争は坪内逍遙と矢野龍渓の論争につなげら
れて、これまたおもしろい結論へ私たちを導いてくれる。
 この本には単なる解説書にはないおもしろさがある。それは作
者の知識の幅によってあちこちに広がってゆく文学の世界と、も
うひとつ、とことん文学をおもしろがる作者のパワーだ。荒俣先
生のおもしろがるパワーに乗っかってプロレタリア、という未知
の世界を覗く楽しみ。荒俣先生の本に共通するそんな楽しみをた
っぷり持ち合わせてなおかつ未知の文学に対する好奇心も満たし
てくれる好著である。

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あまりにロシア的な。

2002/04/06 17:30

ロシアンシンドローム人間からの手紙

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ロシアは寒い。じめじめしている。人が無愛想だ。治安が悪い。だのになぜ人はロシアに行くのか?そんな疑問に答えてくれる、と言うよりますます謎を深めてくれる。不思議な本です。
 著者の亀山郁夫さんは、ロシアの芸術に造詣の深い、その筋では有名な学者さんです。時は1993年〜。ソ連崩壊後の、ロシアの混乱が絶頂にあった時期です(今もか?)。自らペシミストで共産主義者を名乗る著者は混乱しきって夢も希望もないロシアが悲しくてなりません。悲しみとともに綴られるロシアの雪の冷たさ、みずたまり。これがめそめそした文体と中身に妙に合って不思議なリアリティを生み出し、なぜか文章に詩情を与えます。著者のロシア紀行はめそめそしながらも進んで行きます。
 ある時、ある詩人の詩に出てきた土地で写真を撮ろうとした著者は、警察にとっつかまってあわや殺されそうになります。「二度とこの国にはこないだろう」と考える亀山先生はしかし、しばらくしてまたロシアを訪れてしまうのでした。
 自分がかつて愛した国はもうなくなって、殺されそうになって、それでも訪れてしまうこの国っていったいなんなのでしょう? 多くの人間がその答えを、捜し求めていますが、その謎はいまだ解けていませんしこれからも解けないでしょう。書記と書簡でこの本が構成されているのは、ロシアの持つ真実と言うのは個人的な視点からの、個人の真実からしか見出せない、と言う割り切りなのかもしれません。
 さてこの本のおしまい。旧友たちと別れを惜しむ亀山先生にまたひとつ事件が…。
 ロシアの不思議な(異常な?)魅力にあきれかえったり感動したり、そんな経験ができる本です。NHKロシア語講座でこのおじさんちょっとすきかなあと思った亀山ファンのあなたにもお勧めです。

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紙の本永遠の10分遅刻

2002/04/15 14:10

あ!ひょっとして遅刻した相手を待ってる時間に読むような本だからこんなタイトルなの?

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 現代の、ガロとかTVブロスとかCOMICCUEとか読んでいる人の必須アイテムそれが松尾スズキ。そんな彼の、割とどうでもよさそうな文章を一まとめにした本だ。しかし、どうでもよさそうな文体だからといって、中身もどうでもいいという訳ではない。いや、いいのかな別に。うーん、なんだか本当にどうでもいいことばっかかいてあるからさ…。
 映画評、ゲームとか広告とか本とかの評、恋愛論、雑文、ラヂオドラマの脚本と盛りだくさんの内容。盛りだくさんだけど、投げやりである。良くいえば好き勝手。悪く言えば自由奔放である。あれ? 逆かな。
 そうそう好き勝手な本なのである。松尾スズキはいまどきの人気者らしく多芸の人だから、本分は芝居だけれど、文章もせっせと書く人である。で、もちろん文章も面白い。でも、なんか彼が主張したいことは芝居とか、小説とか、インタビューとかで読んだほうが面白い。と言うかこってりしている。味付けが濃い。だから、何とか評とか、何とか論とか薄味で物足りなっかたりする。この本もそんな薄味な本なのだ。1300円と思うとちょとやりすぎだよと思う。適当な文章もてんこもりでなおかつ松尾ファンには「なんか似たようなこと読んだよ。別んとこで」という感慨を抱かせずにいられない「永遠の十分遅刻」。
 けれど、ある種作者のテイストがぎゅっと詰まった本であることは間違いない。例えば、きちんと文章であろう、という姿勢がなくてすごく読むのラクなところとか。チャットでの言語に近いんだろうかこれは。背筋を正さない言葉で、背筋を正さない話をする。このバランスがなんだかぬるま湯っぽくてよろしい。構成も改行がたくさんあってえらいスカスカだし、なおかつ、くだらない4コママンガまでついているのである。なんか、味わい深いじゃないですか。松尾スズキっぽい気がするじゃないですか。スカスカってことじゃなくて。徹底して軽くしようとしてる反面ぎゅっと濃密な感じが。この本一冊松尾スズキっぽい気がなんだかふつふつと湧き上がってきたような…。表紙も本人の顔だし。松尾初心者にはお勧めできる、軽ーく徹底したという妙な本、かもしれない。ほんとか。

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紙の本モンティ・パイソン大全

2002/04/12 15:20

あなたの知らないイギリスへ

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 イギリスってねえ、お上品でジェントルメンでカントリーでロンドン塔なところだと思ってらっしゃるでしょう皆さん。そりゃ、あまいっすよ。いや、そんな林望の「イギリスはおいしい」なイギリスもありですけどね、こんなイギリスもありまして。
 モンティパイソンって知ってますか? 1969年にイギリスで放映されたコメディーです。これがまたしっちゃかめっちゃかでねえ。英国女王陛下コケにしたり、アイルランド人差別して爆笑したり、フランス人馬鹿扱いしたり、首が取れたり、手え吹っ飛んだり手。きりがないのでこのへんにしときますが、そういうむちゃくちゃな番組があったんですね。この本はそのむちゃくちゃな番組を完全解説しようとしているという、むちゃくちゃ志の高い本です。
 ギャグというのは時事ネタをどんどん使いますし、何よりその国の生活に根付いた、ご当地ネタを多く含みます。だからこの番組のネタは、ときに現在日本に住む私たちにとって理解不能になります。そんな事が無いように、というやさしい気持ちからこの本は作られたと推察できます。しっかしねえ、マトモじゃできないですねこの本は。だって、コントの概要を全部時系列順に記述してあるんですよ。それでその横とか下とかに当時のイギリスに対する豆知識みたいなのが着くようになってて。それがまた、細かくてもう感動的ですらあります。351p!! うーん、がんばったんだろうなあ。拍手。
 そんな著者の努力のかいあって、この本はTV番組のガイドブックとしてだけではなく、イギリスという国の地肌に触れさせてくれるような、面白い本に仕上がっています。日本人にとって、耳障りのいいだけのイメージが流布されてしまっているこの国を、多面的に理解する為に窓口になるといって差し支えないでしょう。そして、この本とこの番組を見た後で、多くの人はイギリスの底知れない力に驚くに違いないでしょう。コメディーの古典としても、一度見て置いて損はないです。
 ちなみに、私なんかはもう完全にこっちがイギリスの本分だと誤解してます。イギリス万歳! パイソン万歳! ってなとこでこの文はお開き。また会いましょう。
 

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とりあえず英語恐怖症には効きます

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 たくさんやった分だけ身につきます。ってあったり前じゃねえか。と、言う気もしますが。この本のいいところは静山社の社長で「ハリー・ポッター」の訳者の松岡佑子さんの仰るとおり、「英語は苦労して学ぶもの」だと言っているところでしょう。
 そしてもう一つ、英語の文法、を感覚として絵にしているところ。言葉と言うのは人間の使うものである限り、意思表示であって、表現であるはずなのです。文法はしっちゃかめっちゃかにならないためのルールです。けれど、漠然と学んでいると表現するための感覚がなかなか身につきません。と言うより、そういったことそのものに気づかないんですが。そこでじゃあ絵にして見せよう、と考えた点で向山さんか、幻冬舎の編集さんかは分かりませんが、目のつけどころがエライというべきでしょう。実際、英語恐怖症の私の弟はこれ読んで「とりあえずしっちゃかめっちゃかはなくなった」と言っておりました。
 でも、結局のところ問題はこれを読んで、じゃあ英語の勉強を続けるかということなのですよ。ちょっぴりしかやらなければちょっぴりしか身につかないし、みっちりやればみっちり身につくそうなのですが、さてさてあなたの一年後は…?

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どこが禁断じゃ!エロとボケの夫婦合作本

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 コンビニに 置いてはあるけど 手に取れぬ 愛の世界は 迷宮入りかな
 なんてアホな狂歌を作ってしまうほど、相変わらずのあほな本です。唐沢俊一、ソルボンヌK子夫妻によるレディースコミックつっこみ本。しかし、この本に関しては、いつものように人様へのつっこみではありません。自分たちがかつて量産した身も蓋もないレディコミにつっこみと作品解説を入れて再編集し直した、自嘲の念の込められた本です。
 レディコミというのはどんなに話が適当でも絵がいい加減でもよいらしく、夫妻は月に四百五十枚以上を作成していたそうな。唐沢氏曰く、「隣の亭主と不倫する話を描いて、次に会社の同僚と浮気する話を描く。上司とする話を描いて部下とする話を描いて幼なじみとする話を描いて通りすがりとする話を描いて子供の先生とする話を描いてクリーニング屋とする話を描いてそば屋とする話を描いて八百屋とする話を描いて薬屋とする話を描いてペンキ屋とする話を描いて八百屋とする話を描いて(しまった、さっきもうやらせたと気がついて、あわてて八百屋の弟とする話に描き変えた)歌手とする話を描いて野球選手とする話を描いてプロレスラーとする話を描いて、犬とする話を描いて猫と、というのを書きかけたところでさすがにダメが入った。」話がめちゃくちゃなら、絵の方もめちゃくちゃで、ソルボンヌ氏はコピー機をフル活用することで大量の注文をこなしていたそうです。Hシーンは髪の毛だけを白く抜いた下絵を描いて、それをコピーして当てはめていけば何とかなっちゃうそうな。「私ってー人物も背景も絵を描くが嫌いなのー」ど…堂々とすごいことおっしゃりますね(そんなんでいいのならあたしもレディコミ描こうかなあ…)。
 そんな二人の描いたレディコミは、両者の悪趣味も手伝って、とってもあほで訳の分からない仕上がりになっています。足の裏フェチの男の話とか、ウナギがらみのエロとか、いろいろ。
 名ぜりふもたくさん残されていて読み応えまあまあなんじゃないかと思います。
 すてきな発言のいくつか、ここで抜粋しておきましょう。
 「怖い…私、怖いわ、ケンジ。あの人がウナギに姿を変えて、私を責めにくるのよ。」
 「あたしってお金をかけた演出に弱かったのね 豪華な部屋にいるとセックスしたくなってきたわ さあ抱いていいわよ。」
 「おじょーさまって、…貧乏人が描くとただのオカマになるのう。」
 こーれーになげやりーー絵がついてさーらーに本文はパワーアップしています。まったくもお。しかし、とにかく悪趣味B級な世界についつい目がいってしまうあなたにはお勧めできます。大猟奇などに比べると多少ぬるい感触はあるものの、相変わらずのB級精神と、レディコミという未知の世界を開拓したいかたでしたら読んでおいてもいいんじゃないでしょうか。おっと注意事項。全然エロくはないので期待して買ったりしたらがっかりしますよ!

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紙の本喜劇駅前虐殺

2002/03/29 22:02

冷静なギャグとあなたの狂気

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 駕籠真太郎の漫画は汚いものがほんとに露骨に出てきます。女の子が輪切りにされたり、腸が散ったり、奇形児生んだり殺したり。人間の尊厳や人格といったものは彼の作品の中ではまったく考慮されません。身体はただただ陵辱されます。そのあまりの虐殺ぶりに多くの人は彼の作品を「き@がい」という言葉で表現します。しかし、彼のすごさは、そのきち@いぶりではなく、むしろ、そういった世界をあくまで冷静に楽しむことを非常に当たり前のこととして行ったことにあります。
 書かれている物が狂悪なのであまり言われませんが彼の漫画は非常に端整で精密な描線から成り立っています。この線が一種病的な雰囲気をかもすと同時に、登場人物を非人間的な、私たちと違い痛みを覚えることも知らない人間に見せています。つまり、自分たちと違った、痛みを持たない体を持つ人間のことは、どんなに痛めつけたって平気だ。ということを読者に自覚させてしまったのです。え? 信じられない? いや読むとわかりますよ。ほんとに、何の痛みも罪悪感も感じずさせずに、人の身体が陵辱されることがエンターテイメントとして成り立っているんです。
 一見恐ろしいことのようですが、実は漫画においてはこれは当たり前のことでした。バックスバニーは金庫につぶされても生きてるし、鉄腕アトムでも壊れた町はすぐもと通りになってます。この鬼畜で一見前衛的な漫画は、非常に古典的な漫画のお約束の範疇にあります。お約束である、とどのつまり漫画という嘘であることを作者が自覚している限り、どんなに狂悪な死に方をする人間が、どれだけ登場してもそれはただの漫画であり、娯楽です。駕籠真太郎は、たくさんきち@いを書いていますが、それはあくまで漫画という娯楽に過ぎず、作品そのものには狂気は存在しません。
 狂気が存在しているのであれば、それは読み手ひとり一人の心に問われるべき問題なのです。まあ、ちょっとおかしいな、この作者、とは思いますが。
 だから、この人の漫画は書き手のきち@がいっぷりを楽しむ漫画ではなく、読み手が自分の心の中の狂気を自覚して、笑う漫画です。狂気も漫画になってしまうとギャグなんです。
 こわいですね、マンガって…

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紙の本血の味

2002/04/12 14:39

沢木耕太郎という商品

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 小説として駄作だろうと何だろうと沢木耕太郎の作品である限り、この商品は売れる。この本が結果的に読者に問うことになったのは、本を買うにあたって何に価値を置くか、という一点かもしれない。
 この本には二つの付加価値がつく。それは作者が沢木耕太郎という、ある種の読者にとってスター性を持つ書き手であるということ。もうひとつは14歳の殺人という時事的なテーマを扱っているということである(2000.10出版)。「酒鬼薔薇」事件が起こり、少年犯罪がクローズアップされた当時。多くの書き手がさまざまな立場から「14歳の衝動」に意見表明を行った。その中のひとつの立場に自分自身の「14歳」を作品化する、という表明の方法があった。例えば柳美里は自らの育った場所、横浜黄金町を舞台にして「ゴールド・ラッシュ」という小説を完成させる。「血の味」は、例の事件の為に生まれたわけではないが、そういった自らの「14歳」に対する自問がこの作品を生んだのおそらく間違いない。
 この物語にかかれている主人公の、世界や父に対する乖離の感覚は、著者の少年期の感覚をそのまま書いているのだろう。ここで読者が感じるはずの少年の孤独感や、閉塞感には確かにある種の真実味がある。また、この著者の筆力は並みの小説家ではかなわない程高い。文章を読んでいるだけで読者はある種の「本を読む快感」を味わうこともできる。
 しかし、これが小説としてどう評価されるべきか、というとまた話が変わる。確かに三流ドラマみたいだし、登場人物の役割もよくわからない。組み立て不足の感が残る。
 それでも、私個人は読んでまあまあ面白いと思った。それは小説としてどうとか言う正論より、「沢木耕太郎はこういう感情を抱えた少年だったのか」という発見のほうが私には大事だったからだ。誠実で柔らかいイメージを持つ著者だが、私は氏の著作から常に「底知れない冷静さ」を感じていた。その感覚が、間違いではなかったことを証明してもらったような満足感が、そのままこの作品に対する評価になっていたのだ。
 私にとってのこの本はそういった「沢木耕太郎」という付加価値とともにある。おそらく、多くの読者がその付加価値に対してお金を払っているだろう。こんな話は大体よくあることだ。しかし、この本が商品として流通し、成功してしまった。そのことが、果たして作者本人にとってどういう影響をもたらすか。それはまだわからない。
 そして、私たち「沢木耕太郎の熱心な読者」はひょっとすると、「一人の作家を商品化してしまったこと」に対してもう少し罪悪感を持つべきなのかもしれない。そんな風に思わされてしまった本である。

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紙の本定本物語消費論

2002/03/25 18:56

ビックリマンが2001年を予言する

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 「憲法違反を犯しても下がらなかった支持率が、なんで、真紀子更迭で下がるんだ?」と、不思議がっていたみなさん。実はその答えはこんなところにありました。
 「ビックリマンなんかなんで集めていたんだろう?」と、思うまもなく当事者である私達はそんなものの存在を忘れていました。ところが、当時その謎に挑戦していた人がいたわけですね。漫画原作者兼評論家兼編集者、大塚英志です。彼がいうには、ビックリマンを集めることによって、私達は「小さな物語」から「大きな物語」にアクセスしようとしていたのだそうです。このへん、詳細は本書を読んでもらうことにしまして、この本のすごいところは、小さな物語を集めつづける子供達を発見することによって、はからずも一つのことを証明してしまったことにあります。すなわち、私達にとっては世界が小さな断片の寄せ集めとして認識されているという事実。世界が、自分達を生み出した大きな物語に見えないのです。歴史も見えないし、他者の顔も見えない。
 そんな私達もいつのまにか「小さな物語の寄せ集め」には「大きな物語」はないことに気づきました。そして今の私達は、これまた彼のいう通り、漫画家にしろ、政治家にしろ、一つの人や組織を選んで、その人の世界を好き、と思うことで世界の輪郭を確認しています。だからカンダハールで起こったことは、私達には世界の出来事に見えない。国会の小泉さんたちのやっていることが、世界で起こっていることに見える。
 この本は、まさに今議論されるべき本です。迷ってるあなたはとりあえず読んでみて。よくわからないかもしれないし、古くなった部分もあるけどこれも一つの予言書です。

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