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4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本ゲーム理論と蒟蒻問答

2003/05/02 18:54

経済学とゲーム理論の根底からの洗い直し

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、ゲーム理論や経済学の現状に危機感を抱いた著者が、二つの学問で当たり前と信じられている前提を掘り起こしていくという、意欲溢れる一冊です。ヘンテコな題名に戯曲形式という一見軟派な外見ですが、実はこのためにハードな専門用語の飛び交う歯ごたえの強い内容ともなっています 
 前提を疑うことの面白い例としては、「完全競争経済」という概念。これをよくよく突き詰めて考えていくと、

《「完全競争経済」では、真に個性的な芸術・学問は許されない。さらに、「完全競争経済」では伝統的社会の束縛とも相容れない。なぜなら、社会の伝統や慣習は経済行動の実質的自由に束縛を与える。したがって、伝統的な美徳、例えば、友愛、誠実、信頼、勤勉、などは社会で尊ばれることもない》

 という暗くて荒んだイヤーな社会になってしまうというのです。こんな社会を前提に物事考えている経済学って一体ナニって感じにもなりますよね……
 表題にある「蒟蒻問答」も、ゲーム理論の前提を掘り起こすためのキーワードの一つに他なりません。
 もともと「蒟蒻問答」とは、落語の傑作の一つで、二人の男が身振りだけの会話をするはめになり、一人は高尚な禅問答、もう一人は蒟蒻の話だと思っていて、まったく噛み合っていないのに、最後には双方が納得するという出し物のこと。 
 これがゲーム理論にどう関係するかというと、ゲーム理論の「人」や「プレーヤー」って、完全に理性的な人だったり、学習能力のない人なんかに措定されているんだけど、でも当たり前ですが現実にそんな人って存在しないですよね。逆に、蒟蒻問答みたいなことが頻繁に起こる方が現実に近かったりします。身近な例では、立場がまったく違う国同士——端的な例ではアメリカと北朝鮮——の駆け引きって、端から見ていると蒟蒻問答っぽかったりするし、学問の世界でも、ジャンルの違う学者同士が論争すると、お互いに「わかってないな、こいつは」と思い合って終るという蒟蒻問答パターンが結構あったりします。
 つまり、蒟蒻問答みたいな新たな視点を導入して、ゲーム理論を根底から豊かにしていかないと学問的にダメになってしまうというが本書の危機感なのです。過激な口調を引用すれば、

 《既存のゲーム理論を根本から問い直さずに、単に解釈し直したり、既存のものを組み合わせたり、といった新しい変種を作る研究はもう止めにしよう。それは産業廃棄物の山を増やすだけだ》

 《産業廃棄物》というのは非常に強い表現ですが、それだけ著者がマジメな証でもあるわけです。ゲーム理論や経済学の現状を、批判的な解釈で知りたい方に、ぜひお薦めです。

(守屋淳/著述・翻訳業)

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なぜ独裁者は生まれ、不幸を撒き散らすのか

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、現代に重い問いかけを投げかけてくる内容を持つ超大作だ。
 特に今の日本にとっては、独裁者への対処法や、ナショナリズムの功罪、有効な外交かけひきの手法など、とても他人事では済まされない切り口が多々つまっている。
 ヒトラーとスターリン——この二人は、おそらく殺戮の世紀と呼ばれた二〇世紀を象徴する両巨頭だろう。《1914−53年のヨーロッパにおける暴力による死者はおよそ7500万人》と本書にあるが、その大半はこの二人に遠因があるといっても過言ではないからだ。
 結局、誰にとっても悲惨な結果ばかりもたらした二人が、なぜ権力を握り、しかも独裁者にまで上り詰め得たのか……一巻目はでは、まずこの歴史的経緯が語られていく。不景気のどん底に陥るドイツにおいて、ナショナリズムを鼓舞する言動と天才的演説術で旋風を巻き起こすヒトラー。そして、レーニン死後の状況下、冷徹な謀略でライバルを蹴落としていくスターリン。特に、スターリンはある意味卓越した戦略家だったようだ。《正面切って対決するよりも裏でこっそり策略をめぐらすことを好み、まずは敵に先手を打たせておいてから不意打ちをくらわせ、第三者を介して油断している敵の背後を襲うやりかたをした》という彼のやり方は、現代の企業でなりふり構わず出世するためのノウハウとして読み替えても通用する、普遍性と恐さを秘めている。
 そして、二巻目以降が、本書は佳境に入る。まさに尻上がりに面白さが増していく感じだ。英米がヒトラーを押さえ込もうとするが失敗して戦争へ突入、独ソ不可侵条約締結、そして一転して独ソ戦、ベルリン陥落、戦後処理まで話は一気に突き進んでいく。
 この一連の歴史的潮流のなか、顕著に見られる特徴の一つが、二人の独裁者におけるかけひきの上手さだ。戦前期の英米とヒトラーとの外交交渉では、常にヒトラー側が相手を出し抜いているし、戦後処理の問題にしてもローズヴェルト、チャーチル、スターリンの中でもっとも勢力拡張に成功したのがスターリンだった。ある意味で、下手に善良な者は、利己的な野望や悪意を心の底に隠す者に、どうしてもつけ込まれ、美味しい所を持っていかれてしまう面があるのかもしれない。そして同時に、長い目で見るなら、利己的な貪欲さで手にしたものは、結局いつかは手放さざるを得なくなるということも……。ヒトラーはドイツ敗戦によって、スターリンは死後40年近くたったソ連の崩壊によって、築いたものをほぼ失う結果になっている。
 時代がかわっても厭くことなく繰り返される、権力闘争、かけひき、差別、独裁などの諸問題を知る好適な事例がここにはある。
(守屋淳/著述・翻訳業)

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あなたがおかしいから笑っているのではありません

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 多くの商品では、環境や文化の違う地域で販売する際に「現地仕様」がついてまわる。
 四半世紀ほど前、アメリカの自動車メーカーが日本向け輸出車に右ハンドル仕様を設けず、日本の多くの消費者からそっぽを向かれてしまったように、その地域ごとの特性に合わせた仕様やサービスがなければ、独善的な商品はいずれ淘汰されてしまうからだ。
 そしてこの問題はマクドナルド——アメリカン・スタンダードの権化のように見なされる巨大ハンバーガー・チェーンでも当然付きまとってくる。
 本書は、そんなマクドナルドの現地仕様のあり方と、中国、香港、台湾、韓国、日本といった東アジア各国への食文化への影響を、現地調査を元に炙り出していった本だ。
 国ごとに著者が変わるため、内容には出来不出来の凸凹もあるが、現地調査を踏まえたリアリティ溢れる話——特に、異文化同士の接触によるユーモラスな逸話が、まずとても面白い。例えば、モスクワのマクドナルド開店時の話。

 《とくに忙しい時間は、若い女性が店の外に立って、携帯の拡声器でこう言ったものである。「店内の従業員はあなたに微笑むでしょうが、あなたがおかしいから笑っているのではありません。あなた方に応対するのが嬉しいからです」》

 また、中国ではこんな都市伝説が——

 《たとえば、マクドナルドで用いられているジャガイモは立方体のかたちをしている、と北京の多くが信じていた》

 さらに、日本でも、ある年齢以上には懐かしさを感じる都市伝説が広まり——

 《一人の少年がマクドナルド店の調理場に迷い込んだとき、そこで数多くの猫の頭を見かけたというものだが、要するにハンバーガーが猫の肉でつくられているという話である。このいかがわしい話は、その少年が一万円を握らされて口止めされたという結末になっている》

 こんな異文化の接触や軋轢を繰り返しながら、マクドナルドが各国の食文化を変容させ、またマクドナルド自身も変貌を遂げていく過程を本書は描き出していて、面白い。しかし一方で、本書にはちょっと首をかしげたくなる部分もある。例えば、日本のマクドナルドを考察した大貫・ティアニー・恵美子氏の一文。

 《マクドナルドは、意味は違っていても少なくともかたちのうえでは、人の多い駅のプラットホームにある「立食い蕎麦」屋とまったく同じである》

 という真っ当な指摘をしておきながら、後の方ではこんな記述が出て来てしまう。

 《「汝立食いすべからず」はマクドナルドから直撃を受けた。「立食い」という行為は、何世紀もの間、日本文化のなかでは否定的な含意があった》
 《ファーストフード・レストランは、伝統的な日本の礼儀作法とは反対の食事作法を生み出したのである》

 落語で有名な「時そば」で知られるように、日本には江戸時代から「夜鷹そば」「夜啼うどん」といった立食い形式の伝統がある(蕎麦やうどんの「ぶっかけ」は、より立ち食いしやすい形態のため流行したともいわれている)。こんな基本的なことを無視して、日本の食文化を論じられても……とちょっと思ってしまう部分だ。
 この点で、本書はみずから異文化接触のトンチンカンな部分を体現してしまっている所もあるが、世界のグローバル化と反グローバル化という単純な二項対立に一石を投じる本として、お薦めしたい。

(守屋淳/著述・翻訳業)

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昔はよかったし隣の芝生は青いぞ、としか言えない教育論を超えて

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 「教育改革は成功か失敗か!」とか「凶悪化する青少年犯罪者に重罰は是か非か」などといった論争の止むことがない教育問題。その根源の部分を問いなおそうとした意欲作が登場した。
 《教育は、単純素朴な思い入れや思い込みで、誰もがいくらでも語れるようなトピック》と本書が冒頭で指摘するように、ちまたには様々な教育への提言や批判・言説が満ちている。本書は、それらの言説が前提としているものが、本当に正確なのかどうか——ノスタルジーや過剰反応ではないのか、をまず検証していく。
 例えば、《青少年の凶悪化》という問題。
 神戸で起きた酒鬼薔薇事件以降、「キレれやすい青少年」とか「おやじ狩り」といった凶悪化する十代像がマスコミで盛んに吹聴されてきた。しかし、実は年齢別殺人率を十年ごとに算出していくと、殺人で検挙される青少年の割合は戦後一貫して低くなっている、というのだ。扇情的な報道に惑わされて、一部の「凶悪化した青少年」にばかり目を奪われていても、まともな教育論議はできないということがわかる。
 また、「子供のモラルの低下は今の親たち、特に母親の問題」「今の母親はダメになった」という言われ方もよくなされるが、1953年に子供の人身売買の是非を調査した資料によると、なんと農村では身売りは仕方がないと考える人が約半分近くにのぼるという結果が出ているのだ。これでは、昔の親たちには教育以前の段階の人たちが結構いて、今の方が全然マシな状況と言う事にもなってしまう。
 では、映画やメディアに登場していたはずの、かっぽうぎで料理を作っているような昔の慈愛に満ちた母親像とは——《「昔の母親」を語る学者や文化人の多くは、都市の豊かな専門職・俸給生活層の出身であったり、地方の豊かな商家・豪農の出身であったりする》、つまりごく一部の階層の産物であり、まずしい庶民層ではほったらかしの子育てが当たり前だったというのだ。それに比べれば、現在の特に母親は子育てにプレッシャーをかけられ過ぎていて、逆にそれが問題点となっている位らしい。
 このような、いわば教育につきまとう幻想を次々と突き崩したのち、本書はこれからの教育が進みべき選択肢をあげ、それぞれのプラスとマイナスを明るみにしていく。そして、教育を「現状維持」のままにしたときの損得と比較し、これからの進むべき道を選ぶべきだと筆者は説く。確かに、さまざまな教育改革等のプランを主張する人たちは、そのプラスの部分は大声で主張しても、同時に発生してしまう弊害に対してはなかなか語ろうとはしない。優秀な経営コンサルタントのように、筆者の冷静な目が光る部分だ。
 教師、親、マスコミ、教育学者、社会学者とさままなな立場の言説が交錯する「教育」という問題の見取り図の一つとして、ぜひ。(守屋淳/著述・翻訳業)

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