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3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本本棚の歴史

2004/03/11 15:56

本棚から『本のある世界』を照らし出す

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 技術への深い理解をもつことで、周囲の世界と新たなかたちで接触することができる。そう指摘する著者は、これまでにも『鉛筆と人間』や『フォークの歯はなぜ四本になったのか』など、ちょっと不思議で、しかし刺激的な著作を生み出してきた。本書でもふだんの私たちの感覚からすれば地味な本棚に注目することで、私たちの「本のある世界」への考察に新たな知見をつけ加えている。

 本棚は歴史を通じて本と深く関わってきた。本が巻物として存在していた紀元前のギリシアでは、棚の上に並べるか、帽子箱に似た容器に収めるかが、主な保管のやり方であった。しかし中世ヨーロッパの修道院では、活版印刷術が登場するよりも早く、冊子状の写本の整理と収納がすでに懸案となっていた。それまでは鍵付きの保管箱や扉付きの戸棚に収納されていたが、新たに設けられた図書室のなかで、書見台の上に置かれるようになった。

 このときにじつは奇妙なことが起きている。まずひとつは本が鎖で結びつけられたことである。もともとは写本が貴重であったために書見台へと結びつけられたわけだが、その後もある種の習慣として残存し、今度は本棚へと結びつけられた。本棚そのものは本がさらに増加したことを受けて、書見台の上で読み書きする際に、いらない本を避けておく付属の棚として現れた。その後書見台や机から次第に独立して「本棚」らしくなっていくが、この棚の前面には相変わらずそれぞれの本から鎖が、まるですだれのように垂れ下がっていた。

 またもうひとつ不思議に思われるのが、本棚に並べられた本が、いずれも背を棚の奥の方に向けていた点である。ページをめくるときに手前に来るいわゆる前小口が、なぜか正面に向けられている。著者によると、このような独特の並べ方にはそれなりの理由があった。まずは美的な観点からみて、いわば蝶番にすぎない背の部分は隠されるのが望ましかった。また鎖が前小口側の表紙に結びつけられていたために、本棚の前面に向けておけば、からまって装丁を傷つけたりしないという利点もあった。さらに当時の本の背表紙には題名も著者名も表記されていないために、小口に施された装飾が本の識別に役立ってもいた。

 このように本書では、現在では忘れられている、奇妙な本棚と本の関係が復元されている。またその部分のほうが印象に残りやすいのだが、しかし、その奇妙な見かけの直接の背後には、現在を用意した関わり方も生まれている。私たちの「本のある世界」の成立を理解する重要な手がかりになるので、最後に著者の指摘を一歩だけ敷衍して確認しておこう。

 中世後期に本棚を仕切る縦板が導入されている。それは本の荷重によって棚が沈み込むのを防ぐものであったが、偶然にもブックエンドの機能を果たし、本を垂直に立てることを可能にした。そのために読者は他の本や鎖を乱すことなく、本を出し入れすることができるようになった。また棚の仕切りが細かくなったのに合わせて、本の分類も以前よりはるかに細かくすることができた。このような本棚のデザインは今ではありふれているけれども、本の側でそれより早く始まっていた冊子状のデザインと共に、情報への自在な接近とより高度な知の秩序を支えることで、私たちの「本のある世界」を用意してきたのである。
(御手洗陽/メディア論)

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「未だ『ニューメディア』だった頃をふり返る」──マス・メディアとしての電灯と電話──

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 テレビもラジオもなかった頃、いまや「オールド・メディア」である電話や電灯は、当時の人びとの眼にどのように映っていたのだろうか。ここしばらくのあいだ、ちょうどケータイがそうであるように、それは人の心をときめかせたり、ときに不安を覚えさせたりする、想像力を刺激する新技術なのであった。ここでは十九世紀末において、未だ「ニュー・メディア」であった電灯が、公的な行事や私的な集いへ人びとを集わせる機能を果たしていたという、本書の刺激的な指摘をとりあげよう。意外なことだが、それはただ夜を昼のように明るくするだけの技術ではなく、最も次世紀を予感させるマス・メディアだったのである。

 電灯(エレクトリック・ライト)は、発明されて間もない時期に、公共のスペクタクルへと導入されている。電灯が家庭に入ってくるのはもっと後の時期であり、その間には舞踏会やレセプション等、屋内の私的な集いでも利用されていた。まだ登場したばかりの電灯の存在を広く訴えるために、エレクトリシャンと呼ばれる電気の専門家たちは、役人や市民との結びつきを求めて活躍の場を探していた。

 例えば米国のオハマで開催された植民地博覧会では4万5000個もの電球が「まぎれもない妖精の国」をつくりだしていた。米国のピッツバーグで行われたテンプル騎士団の集会では、十字架などの宗教的なシンボルをも白熱電灯が飾り立てていた。そこでは光の塔、光の噴水、電飾旗、サーチライトなどが、従来からの公的な行事をより劇的に装飾し、より注目に値するイベントであることを告げ知らせていたのである。

 また電灯との出会いは商業的な利用において、より多くの人びとへともたらされた。多彩な電球で装飾された電車で開催されるトローリー・パーティーや、照らし出されたブルックリン橋を眺めながら港を行く夜間クルーズ、ガス灯が物足りなく思われるほどの輝きで店頭を飾るイルミネーション。いずれもスペクタクルの効果をつけ加えることで、それまでにはありえなかった規模で、夜間における社交的な集いを生み出していった。

 電灯は近代的なスペクタクルの原型であり、今日のテレビ放送に結びつくようなマス・メディアだったのである。もちろんオーディエンスが屋内ではなく屋外で、個人ではなくグループで眺めるという点で、二十世紀のテレビとは様子が異なっている。しかしながら、電灯もまた色鮮やかな光によって視覚をマッサージし、集合的な拡がりで興奮とドラマを生み出していた。テレビの光りと電灯の明かりは、そのメディアとしての働きにおいて、じつは、ひそかにつながっている。

 本書にはここでとりあげた電灯以外にも、初期の電話利用をめぐる動向が復元されている。それはいまからみると戦争の布告や天気予報をいち早く伝えるという点で新聞のようでいて、スタジオで番組を制作して流すという点でラジオ放送の先駆けにもみえるという不思議な形態をとっているのだが、詳しくは直接手にとって読んでみることをお勧めしたい。本書はメディア論のなかでも、特に歴史をふりかえる作業特有の、発見的な歓びを味わうことができる労作である。

(御手洗陽/メディア論)

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興行成績を手がかりに観客の実像に接近する

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 著者は本書を通じて端的な疑問を投げかけている。それは国策映画は果たして当時の観客に見られていたのかというものだ。
 これまで昭和戦時期は、国家によって映画の製作や興行が管理され、戦意高揚や国策宣伝のための作品ばかりが現れた時期であるとされてきた。たしかに当時は検閲を含む映画法の制定を、映画の社会的地位向上や低俗作品の鑑賞制限などを理由に、映画会社の幹部、評論家、教育関係者らが肯定的に受け入れていた時代であった。

 通説にしたがうなら観客も国策映画を見ることで、いつしか戦争に参加し協力したということになるだろう。けれども、改めてオーディエンスの姿を確かめようとする作業は、これまで本格的には行われていない。そこで著者は作品毎の興行成績を、『キネマ旬報』などの業界誌に実際にあたって調べてみた。
 その結果明らかになったのは、検閲手数料を免除されたり、文部省の推薦を受けたりした国策映画はあまり観客を動員できず、代わりに人気があったのは、エノケン、ロッパらの娯楽作品だということである。当時の代表的なヒット作はメロドラマ『愛染かつら』シリーズなのだった。国策映画でも数字の上で動員に成功した作品もないわけではないが、その場合には通常時以上の宣伝活動や上映期間の延長等、特殊な事情が働いている。
 ならば、戦時下の日本社会において、戦争景気のバブルを背景に、急速に浸透しつつあった映画の効果を直接の宣伝、いわゆるプロパガンダに求めるのはもはや困難である。国策映画は不人気で、実際にはあまり見られていないのであれば、いかに官僚らが戦意高揚や国策宣伝を試みても、そのメッセージは観客には届いていなかったのだ。

 著者は映画が果たした重要な機能は、むしろ「息抜き」であったと論じている。戦時下の観客に求められていたのは娯楽映画であり、それらの作品は日々の緊張から彼らを一時的に解放することで、結果として総力戦という緊急事態を長続きさせるのに役立っていたという。また、だからこそ、官僚や識者による映画統制は「皮肉」な失敗に終わったのであり、いまなお高等教育は当時の娯楽映画やその擁護論から学ぶべきことがあるとも、つけ加えられている。
 このようなまとめはたいへん魅力的だが、しかし、それまで丁寧に進められてきた本論と比べて、いささか性急にみえる。本書が論じてきた国策の不人気と娯楽の大人気という作品の興行成績の問題を、まじめな鑑賞と息抜きの鑑賞という観客の視方の問題へと唐突に展開してしまっている。けれども、何を観たのかということと、どのように観たのかということは、本来別に扱われるべき問題である。
 例えば当時、国策映画に登場する戦闘機の飛行場面や精巧な特撮シーンに驚嘆する観客が存在した。それを考慮するなら、国策の作品も厳しい日常を忘れられる「息抜き」として眺められていた可能性を、けっして排除できないように思われる。著者自身もそれらの作品に、国策映画にしてはまれな娯楽性と言い添えていたように、娯楽と息抜き、国策とまじめという組み合わせは、自明とはいえない。

 ただし、映画がプロパガンダとしてではなくても、戦争へと深く結びつく可能性を指摘している点は、たいへん重要である。それは映画と戦争、映画とナショナリズムとを当然の関係ではなく、無関係と即断するのでもない、確かな思考の方向性を示している。すばやく駆け抜けてしまう現代の反省のなかで、本書のように歴史のなかの身体に接近する試みは貴重であり、今後はさらにメディアの経験から問い直す作業が、着実に進められてゆく必要があるだろう。

(御手洗陽/メディア論)

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