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    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

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    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

杉山あつしさんのレビュー一覧

投稿者:杉山あつし

4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本生き屛風

2008/10/25 23:30

田辺青蛙「生き屏風」を読んで

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文芸評論家、東雅夫氏の推薦文にはどこか香具師の口上のようなものを感じる。虚空から薔薇をつかみだすような手品のような瞬間性の魅力とでもいうべきか。しかし、加齢とともに嗜好が変化し、そんな魅力的にすすめられる品々もこのごろはむなしく見送ることが、私は増えてきていた。
しかし、田辺青蛙氏の「生き屏風」における東雅夫氏の推薦にひさびさにのってみようという気になった。私が偏愛してやまない梨木香歩氏の「家守奇譚」との関連性が指摘されていたからだ。
「生き屏風」を読了し感じたのは、この作家にとって怪談という表現形式は必然的なものだということだった。つまり、狭間でいきることの苦悩をえがいた節のある表題作(作中の基本構図となる、死者と妖との対話という状況から窺えるだろう)には、おそらく、作家の表現者と生活者としての葛藤も仮託されているのではないだろうか。ゆえに「怪しい話」という側面から「怪談」という語彙を規定するのであれば、この作家において「怪談」は理想的な場といえる。
表題作をおおう「夕焼け」には、西洋的な黄昏の意味あいよりは、日本的な「逢魔ヶ時」的な日常と非日常の混在を促す時制としての採択としてみるのが妥当であろう。いずれにしても作中における「夕焼け」は現実世界の朧化を促している。
この連作集をよみおえて感じたのは、三橋一夫のまぼろし部落シリーズとの近似であった。人間と非日常的な場の住民たちが仲良く暮らす空間を描いた連作であるが、そうした理想郷的なものへの憧憬も田辺氏の作品集からは感じられる。
この作品集において私がもっとも評価するのは「猫雪」である。東雅夫氏も解説で絶賛しているが、作中に展開される作家の全方位的なまなざしを感じさせる雪の描写は秀逸だ。特に発想力に作者の力を感じる作品集である。

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紙の本抒情的恐怖群

2009/04/26 00:26

〈彼岸〉の記憶

9人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

文学作品の感動は、その長さによって〈質〉が決定されるように思う。
私にとって、長編は、〈思い出〉であり、短編ならば、〈印象〉だ。
短詩型ならば〈感慨〉である。
つまり、長編は記憶のようにふりかえる長さ、時間を意識した持続性を伴う形で、短編は、印象のように、瞬間的な形で、短詩型は主観に依存した感情を重視した形でそれぞれの意識にはいりこんでいく。
ここに「抒情的恐怖群」の総題のもとまとめられた七編の恐怖譚は、私にある〈印象〉をもたらした。一言でいえば、それは〈彼岸〉の記憶である。
ラヴクラフトがいうように、人間の最も古い感情が〈恐怖〉であるならば、その原初的なものに揺さぶりをかける〈ホラー〉は、作家にとって未生以前の風景、記憶を読み手に喚起させる格好の道具であろう。「抒情的恐怖」という語句の背後に、私はこうした遡及感覚のうごめきを見出す。
この短編集には、著者の先行する「闇の司」の延長線上に位置するような「町の底」「呪い田」のような短編がある一方、いくらか歪んだ形で官能性が追求されている短編もある。「影女抄」「緋の間」「グレー・グレー」である。
もし、各短編の美的基調に共通因子を敢えて見出すのであれば、マイノリティへの真摯な眼差しだろうか。抑圧されるもの、迫害されるもの、そうしたものへの作家の筆致は、どことなくあたたかいものが感じられる。無論、作中に定位される世界は、異形美、残酷性であるが。
こうした人外的な美の称揚の部分に、私は作家の「ゴシックハート」的なものの具現化を感じる。
いずれにせよ、今後の作家の歩みを期待させる短編集である。

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紙の本神野悪五郎只今退散仕る

2007/07/28 22:55

「神野悪五郎只今退散仕る」によせて

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

一読後、思い起こされたものがある。宮崎監督の映画「となりのトトロ」である。少女二人が妖怪にであうという構造上の相似だけではなく、夏休みの帰省という幼児時代多くの人間が大切な体験として記憶している事例をきわめて美しい形で形象化した部分に共通点を感じたのだ。本書は上質の娯楽作品であると同時に読み手の原風景となるものを必ずよみがえらせる。
作者高原英理氏の歩みから本書をみるならば、この作品は氏にとってのある種の到達点であることはまちがいない。「少女領域」「無垢の力」で人間の精神における純粋な部分についてひたむきな注視をおこない、他方、「ゴシックハート」では闇なる想像力と意識について語る。氏の嗜好する作家にたとえるならば、作家高原氏は足穂的なもの(=無垢なる精神)と乱歩的なもの(=闇なる精神世界)との狭間でゆれうごいている。本書において特徴的なのは、それぞれの要素が融和した形であらわれている点にある。ラストの解決方法など「ゴシックハート」の作者ならではと感じさせる。
また、こういういいかたも可能かもしれない。これまで評論という理論で語られてきたものが実践編という形で示されたとも。いずれにせよ、高原氏の多面的な魅力を本書一冊で味わうことができる。
本書はまた想像力をもつことの大切さも述べられている。かつて幻想文学を「過剰なる想像力で描かれた文学作品」という簡潔かつ適切な定義を与えた氏ならではの主題提示であろう。もちろん、本書が一級品の幻想文学であることは疑いようもない。
きわめて魅力的な小説集をこの夏、得ることができた。収穫である。


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紙の本世界の涯の物語

2004/05/12 22:39

新しいダンセイニ像をめざして

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

現代ファンタジー作家の祖のひとりとしても有名なロードダンセイニの
初期幻想短編集2冊の完全翻訳という、夢のような本が本書である。

本書の特徴は他にも初出時における、サイムの手による挿絵の完全収録、
それぞれの版の序文の収録など、マニアックなこだわりにある。

さて、内容であるが、私は、荒俣氏の「妖精族のむすめ」(ちくま文庫)や
「エルフランドの王女」などの印象が強かったため、初期の時点でこれほど多岐に
渡る作品群を執筆していたのかという驚きが読了して最初に走った。

この世ならぬ場を詩的に表現した寓話作家というよりも、なんでもござれのやり手の作家。
そんな印象を私は作家ダンセイニに抱いた。

逆に後年のジョークンズものに似た要素を感じさせる短編も多く、
必ずしも、ハイファンタジー一本槍ではなかったのかということも本書を読み気付かされたことの
ひとつだ。

概観するに、本書一冊からでも、これまで荒俣氏の精力的な紹介から構築されていた
幻視者ダンセイニという像から多面的な器用なところも多い創作者としてのダンセイニという像が
見出せるのではないだろうか。

荒俣宏氏の評論の最大の弱点は、ダンセイニをあまりに神秘化しすぎたところにあるのではないだろうか。
幻視者というレッテルつけは、ダンセイニという作家の本質を必ずしも示してはいない。
そうしたオカルトじみた価値観でダンセイニをとらえるのではなく、地上的な視線でダンセイニを
とらえるべきだろう。

ダンセイニは決して敷居の高い作家ではない。読者それぞれにあわせた作品世界を個々に提供することだろう、

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