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先月(2017年8月)

たっちゃんさんのレビュー一覧

投稿者:たっちゃん

24 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本自虐の詩 下

2004/08/12 10:32

感涙もの

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 主人公の森田幸江は、無職の夫で典型的な甲斐性無しの葉山イサオに尽くしている。二人は一緒に暮らしているのだが、まだ籍を入れていない。

 幸江が食堂で働きながら生活を切り詰めやりくりしているというのに、葉山は毎日ボーッとして、やることといえば競馬、パチンコ、マージャンの賭け事ばかり。ところが、幸江さん、イサオにぞっこん、惚れて惚れて惚れぬいている。なぜ、そうなのか。それが下巻の後半で明かされる。

 また、これも下巻で明らかになるのだが、幸江さんは小さい頃母と生き別れ、父ひとり子ひとりの生活だった。イサオと同じぐうたらな父を支え、甲斐甲斐しくアルバイトで生計を立てている。幸江というのは名ばかりで実に幸薄い! この幸江が中学のとき、一人だけ心の許し合える友だちがいた。熊本さん。

 熊本さんの家も、幸江さんの家と同じぐらい貧しいらしく、学校で飼っているニワトリとか鯉とか掃除道具とか、帰宅途中幸江さんに肩車をしてもらい街灯の電球まで盗むぐらいにド貧乏。貧しいもの同士だから、感情の機微がわかる(!?)。

 ある夏の暑い日、幸江さんは熊本さんと一緒に下校する。「暑いね」「ホントね…」、と、目の前に駄菓子屋がある。「アイス食べようか」と熊本さん。「やっぱり私暑くないからいらない」と幸江さん。が、熊本さんは2コくっ付いて一つのアイスを買い、パカッと二つに割る。そして、「あたしもあんまり暑くないから半分食べてよ」と熊本さん。「うん、食べてあげる…」と幸江さん。

 こんな二人だったのに、ひょんなことから幸江さんは学校で注目される存在となり、熊本さんを裏切ってしまう。超美人でクラスの憧れの的の藤沢さんに「熊本さんのことどう思ってるの?」と訊かれ、「わたしも熊本さんが嫌い」と答えてしまう幸江。途中いろいろあるが、それでも、また二人は友情を取り戻す。友情回復の川べりのシーンがまた泣かせる。学校を卒業するにあたり、幸江に東京へ行けと諭したのは熊本さんだった。

 熊本さんは病気の父をかかえ、小さな弟や妹を世話しながらあばら家に住んでおり(下巻の終わり近くになってそれが明かされる。上手い!)、爪に火をともす生活ぶりなのに、東京へ出てゆく幸江さんのために百円(!)用意する。駅のホームでの別れのシーンは涙なしには読めない。

 時間は現在に戻り、ページは、下巻もあと少しとなって、どうやら幸江のお腹が大きくなる。イサオの子だ。幸江はお腹をさすりながら、この子が幸せになってくれますようにと祈るような気持ち。幸江さんが働いている食堂のマスター(幸江さんのことが好き)は、幸江さんが妊娠したと聞いてガックリ。幸江さんの子どもが生まれ大きくなって、あの甲斐性無しのイサオと二人でちゃぶ台をひっくり返す図を想像し、マスターはまた幸江さんを不憫に思う。

 いよいよ下巻も残り数ページ、熊本さんから電話が入る。あの熊本さんだ。夫の転勤で、九州から出てきて今東京駅からだという。幸江さんは取る物もとりあえず急いで会いに行く。「熊本さんて、学校のニワトリや鯉を盗んでいたあの熊本さんか」とイサオ。幸江さん、イサオにはなんでも話していたのだろう。家を出る前に、幸江さんは、ずっと大事に仕舞っておいた熊本さんから餞別にもらった百円を箱から出して握り締める。それを持って家を出る。

 ふたり再会のシーンは、これまた涙なくしては見られない。

 これは単なる物語、ウソの話さ、との感想が浮かび、ん? 待てよ、そうか、いい物語に触れたときというのは、いつもその感想が浮かぶのだったなと思い返し、しみじみ。そういう、本当に、泣ける、いい物語です。剥き出しのリアルだけでは生きていけない人間の性を知った、てか。ク〜ッ!!(むせび泣き)

 でも、これはやっぱり男が作った物語だな、とも思わされた。

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紙の本大葬儀 (F×COMICS)

2004/12/08 08:07

新鮮な未亡人あります。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 オビにそう書いてある。近親者の葬儀のために碁盤の目のような道を急ぐうら若き女性。急いでいるのだが、なかなか目的地に辿り着けない。と、ほかにも道に迷っている男性、女性数名、いっしょに走っているうちに喪主まで出てきて、よかったよかった、喪主なら葬儀の場所を知っているだろう。と思いきや、喪主も道に迷ったのだという。喪主が道に迷うなんてことがあるものか、怪しい! 何が怪しいものですか、わたしはこの町に来てまだ一ヶ月、道に迷って当り前、そういうあたなこそ誰なのよ、親戚にも友人にもあなたのような人がいるなんて聞いたことがないわ、わかった、あなた未亡人荒らしね。なにを馬鹿なことを。横の女性が、なに、その未亡人荒らしって? 知らないのあなた、未亡人の悲しみに突け込んで近寄り、奥さん奥さんそんなに気を落とさないで、なんて言いながら襟の合わせ目から手を入れ、キャーなにをなさるのです。奥さん、亡くなった人のことは早く忘れるのです。いけませんそんなこと、ああっ、夫の遺影の前でそんな、でも、それがとても背徳的でグー!

 そんなようにして始まる「大葬儀」を筆頭に集めた、奇劇漫画家カゴシンタロウ粉骨砕身傑作短篇集(オビのキャッチコピー)が『大葬儀』だ。表題作のほかに八つ入っている。

 何でも輪切りにしたがる男が出てくる「DISC」では、なんでもかでも輪切りにし、その穴に自分のものを突っ込む。女体を輪切りにし、下半身裸になった男は、10センチほどの厚さになった女体の腰を裏から自分にあてがってみたりする。「遠目塚先生の優雅な愉しみ」では、過敏肌の会なるものがあって、肌の弱みを積極的に楽しもうとする主旨なんだそうだ。その会の会員は、保湿クリームなどは厳禁で、わざと皮膚を乾燥させ、風呂には入らず睡眠時間を減らし仕事でストレスを溜め、痒くなってきたら、ひたすら掻く。掻き毟る。道具を使ったり、会員同志、痒いところを擦り合わせたり…。まあ、読んでいるとこっちまで痒くなること必至!

 普通なら著者・駕籠真太郎と書くべきところ、喪主となっている。葬儀だから喪主なのだろう。そうとう変わった漫画だ。いま、左手の甲が痒くなったよ。

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紙の本紙芝居昭和史

2004/09/30 08:22

血湧き肉踊る!

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 前に勤めていた会社で、紙芝居を総覧できる全集を作ろうということになり、その担当編集者になったとき、参考書として読んだ本が『紙芝居昭和史』(立風書房 昭和46年)だった。

 図書館から借り出し会社で読み始めたら、止められなくなった。紙芝居について書かれた歴史の本なのに、記述そのものが紙芝居みたいで心躍らせながら一気に読んだ。それに、なんといっても元気が出た。生きていくのに、学校で教えてくれないコツみたいなものが随所に折り込まれていて、よーし! 頑張ろう、と。

 紙芝居といえば、日本独自の庶民文化として昭和を彩り、だけでなく、今はそれがベトナムはじめアジア地域に広く伝播し独自の進化発展を遂げている。そういう画期的な紙芝居が、元を辿れば、失業者が食っていくために始めた苦肉の策であったということを、ぼくは、加太さんの本で初めて知った。

 立風書房版は古書店でも今なかなか手に入らない。と思っていたら、なんと、先月、岩波現代文庫として新たに刊行されているではないか。

 歴史といえば、イイクニツクロウ鎌倉幕府1192年なんてことを暗記させられ嫌いになる人も、それ的でない歴史の本として、これは絶対お勧めです。

 おれもさっそく買って読も。

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読書のたのしみ孤独の味

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 飯島耕一さんの『詩の両岸をそぞろ歩きする』がスコブル面白い。

 つい最近お目にかかったので、ますますそう感じるのかもしれないが、内容はもちろん、語り口が飄々として潔く、読むというよりも、つい、聞き入ってしまう。

 だんだん歳をとってくると(って、中年に産毛の生えた程度)、そうそう腹を割った話はできなくなってくるし、腹を割るなんてことがそもそもできるのかと、我ながら、怪しくなってきた。

 「人と付き合うことは偽善でしょ」とタモリさんが喝破したそうだが、あっちでこう言い、こっちでああ言うというのは、考えてみれば誰もがやっていること。だからどうだということもないけれど、おもしろい風景ではある。

 好きな本を読んでいて、なにかそのひとの孤独が染み入ってくるように感じるときがある。

 中野好夫さんの翻訳でギボンを読んだときもそうだった。そんな風に感じて、それはギボンが孤独だったからか、中野さんがそうなのか疑問に思った。たぶん、両者共にそうなのだろうと思い至った。

 大学を出て高校に勤めた頃、そこにおられたI先生という方にずいぶん可愛がってもらった。数学の先生で、いつもブツブツブツブツ、職員会議をサボって近くの喫茶店でお茶することの多い先生だった。「あんなものは出たって無駄だよ」と仰るから、「はあ、そうですか」と、ぼくも、I先生の言に従ったことが何度かあった。I先生が、かつて情熱的な教師だったことを、最近になってある方から聞いた。

 「小説で何がおもしろい?」二人つるんで職員会議をサボっていたとき、I先生が、いきなりそう訊いた。

 「『ゴリオ爺さん』と『チボー家の人々』と『戦争と平和』」と、思いつくまま申し上げた。

 「きみは漢詩は読まないのか?」

 三つ上げた小説が、先生の気に入らなかったのかと危ぶんだ。

 「はい。読みません。学校で習ったきりです」

 「漢詩はいいよ。凄いものだねえ。陶淵明なんてものはさあ……」

 「はあ……」ぼくは、I先生の真意が分からず、適当に返事をした。あれから20年経ち、I先生はすでに鬼籍に入られ、気がつけば、ぼくもいつの間にかブツブツブツブツ訳のわからないことを呟くようになっている、下唇まで突き出して。I先生がそうしていたように。

 ブツブツやっているうちに、I先生が漢詩のことを口にしたときの気持ちが少し分かるような気になってきた。もちろん、気がするだけ、ということもあるだろうが。

 I先生、『戦争と平和』をもう一度読み返そうと思っている、と、仰っていたが、叶ったかどうか訊くべくもなくなった。

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他人の目

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 プルーストの『失われた時を求めて』には、いけ好かない変な人ばっかり出てくる。

 奇形な人物たちの奇矯な行動と発言。怪物ランドみたいな世界なのだ。

 ところが、だんだん歳を重ねるうちに、現実界も、プルーストが描く世界に負けず劣らずいけ好かない奴ばっかりだ、ああ、もちろん俺自身も負けずにいけ好かねえ野郎さ、と開き直ったり、ふて腐れることが多くなった。

 『失われた時を求めて』の個人全訳を完成させた鈴木道彦さんの『プルーストを読む』(集英社新書)は、さすが、あの大作をわかりやすく面白く解説してあり、読んでいて飽きない。本体の『失われた時を求めて』と違って一気に読める。

 中に、「スノッブ」と「ダンディ」の違いがあって、一人大ウケ、大笑い。

 鈴木さんによれば、スノッブとは、「基本的には自分の入り得ない階層、自分がそこから閉め出されているグループや地位を羨望する人間を指す言葉だった」そうだ。

 またそこから、「一つの階層、サロン、グループに受け入れられ、そこに溶け込むことを求めながら、その環境から閉め出されている者たちに対するけちな優越感にひたる人びと」ということにもなる。

 「俗物」「エセ紳士」の語源はこんなところにあったのか。

 『失われた時を求めて』は、スノッブたちオンパレードの世界。気持ち悪くないはずがない。

 ところで「ダンディ」は?

 「むしろ自分を一つの階層、グループから引き離し、他人との違いを誇示する人間」だそうだ。

 ボードレールは「ダンディ」を定義し、「精神主義やストイシズムと境を接する自己崇拝の一種で、独創性を身につけたいという熱烈な欲求」であるとした。

 あはははは… こりゃ可笑しい!

 となると、スノッブもダンディもあまり褒められたものじゃないな。

 でも、よくよく考えてみれば、だれ一人この二つの落とし穴から完全に免れている者はいないだろう。

 他人の目を気にせず生きることはどんなに頑張っても無理だから。

 そっか。「他人の目を気にせず頑張る」ということ自体、どちらかの穴に落ち込む結果になるのだな、きっと。

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絶望も希望も

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 1962年36歳で亡くなった<セクシー・シンボル>マリリン・モンローの伝記だが、死者の業績をたたえる墓石に刻まれた年代記風のものとは一味もふた味も違う。ノーマ・ジーン・ベイカーの痛みやあきらめがさっき別れたばかりの恋人を思うときのように切々と胸に迫ってくる。本の中に入りこんで彼女を励ましたり慰めたりブロンドの髪にちょっと触れてみたくなる。
 お呼びじゃないのに、読んでいるうちにどんどん登場人物(ほとんど実名)に感情移入し、彼女の望みはそんなことじゃないよ、俺ならこうしてあげるのに、すぐに行って助けてやるから待ってろよ、なんて。完ぺき小説世界の虜(とりこ)になってしまう。
 AorBで始まる二者択一の占いを素直にずーっとつづけていくうちに、いつの間にかとんでもない未来にたどりつくというのに、そこでそれを択ばなければと思うところでノーマ・ジーンは彼女の運命に忠実に1ミリの狂いなく正しくカードをひく。「当たり前のように死神はやってきた。無骨で味気ない自転車の、錆の浮いたハンドルに覆いかぶさるようにして。死神はカリフォルニア工科大学のロゴの入ったTシャツを着て、洗濯されているがアイロンはかけられていないカーキ色の半ズボンにスニーカーといった格好だ。靴下ははいていない」。

 運命の速達便をとどけに来た今風の死神からノーマ・ジーンはさっそく荷物を受け取る。「それがなんなのか、わたしにはわかっていたような気がするの。差出人がだれであるかも。わたしは住所と名前を見て笑うと、躊躇(ためら)うことなく受け取りのサインをしたわ」。

 のちにハリウッドを興奮のるつぼに巻き込むことになる大スター、マリリン・モンロー。<セクシー・シンボル><悲劇のヒロイン>の異名でよばれるノーマ・ジーン・ベイカーの一生を作家オーツの案内にしたがいながら見ていくと、この人は<認識する>世界の住人であって、他人から理解されたがったり他人を理解しようなどというオプティミスティックな希望は一切持たなかったんではないかと思わせられる。それならば絶望かといえば、そうも感じられない。ノーマ・ジーンは人に会えばいつも笑顔を絶やさなかったし、周囲も彼女を放っておかなかった。絶望や希望を繰り返しながら生きるのが庶民の暮らしだと思うが、彼女のたぐい稀な才能はそんなのに相応しくなかったというだけかもしれない。

 いずれにしろ、上巻の半分300頁を読み終えたばかり。ノーマ・ジーンはそろそろ最初の結婚に疲れてくる。16歳! 最後になるホテルの部屋へたどりつくまでには下巻を含めまだ980頁ある。

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紙の本悲しい本

2004/12/07 08:44

溺れないための本

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 変わったタイトルの絵本だ。

 日曜日、二十年前からたまに行く本屋さん(あの頃は息子がまだ小さく、クルマを道路の脇に停め、肩車をして本屋に通ったものだ。息子は、ほかの子と同じように肩車が好きだった)に入ったら、入口近くの「最近出た本」のコーナーに三冊、置かれてあった。

 谷川さんが訳しているから手に取ったのかもしれない。変わったタイトルの絵本だからかもしれない。ちょっぴり悲しい気分だったからかもしれない。三つ合わさって、そうしたのかもしれない。

 1ページ目を開いたら、眼がぐりっとした、ひげもじゃの男がニカーッと笑っている絵が描いてある。どうしたのだろうと思ったら、下にこうある。

「これは悲しんでいる私だ。/この絵では、幸せそうに見えるかもしれない。/じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ。/悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思って/そうしているのだ。」

 そうか、そういうことか。

 絵本だからすぐ読める。でも、ここに描かれた悲しみはそう簡単には読めない。絵本を読んで気づかされるのはむしろ自分の悲しみ。カネやオンナに溺れるということがあるけれど、悲しみに溺れることもある。歳をとるにつれ、そのほうが多くなった気もする。深く大きな悲しみには太刀打ちできない、溺れるのが関の山だ。でも、たまには、絵本の中の男がするような仕方で、じっと、自分の悲しみをみつめるのはどうだろう。それしかないかなと思えてくる。今流行りの喫茶店でおしゃべりしている男たちだって、自分の悲しみまではしゃべっていないのだろう。しゃべる言葉をみつけるのはむずかしそうだし、そもそも名付けられない悲しみもあるはずだから。

 変わったタイトルの本だけど、いい絵本だと思った。

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紙の本アメリカ

2004/11/06 09:00

武器の谷のアメリカ

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 お贈りいただいた飯島耕一さんの最新詩集『アメリカ』を読んでいたら、左足の親指がグググと音立てて攣って下方へ折れ曲がり、ヤッベー、と焦ったものの、我慢してそのままにしていたら、ほわ〜んと阿呆な笑いみたく治っちゃった。が、こういうハッキリした痛みではなく、今のぼくの痛みはもっと陰惨でちっぽけで、痔から出る血を座薬で一時和らげるような痛みでしかないな、と、そんなことを思った。痛みもほんの少ししか感じられなくなっている。

 「夏の雷」が気に入った。「夏の雷は/途方もない昔と同じくらい わめいて いるか」まったくだ。「生者の交合はあるか/死者のように 陰気な虫か何かのように/交合しているのはいるかも知れない」まさに、哀れ、陰気な虫のセックスだよ。

 「ヘルペス病中吟」という詩の、ヘル ヘル ヘルダーリンのリフレインは、少し声を上ずらせて音読すると、何ともいえぬ可笑しみがこみ上げて来て、とうとう涙まで出た。可笑しいのか悲しいのか、ぼくという一匹の虫がいた。

 最後の詩「アメリカ」のなかで、飯島さんは「武器の谷のアメリカ/悲しいアメリカ/それは私だ」と書いている。書かずにいられなかったのだろう。傑作詩集だ!

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愛妻日記

2004/09/21 07:26

「ゆがんだ」イヤラシさ

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いいねいいねいいねえ。とてもイヤラシく、理屈で割り切れない夫婦の性愛の機微を描いてドキドキする。全部で6編。

 著者の重松によれば、もともと「匿名で官能小説を」という「小説現代」編集部の注文を承けて表題作を書いたのだそうだが、ハマっちまったんだって。こういう「ゆがんだ」イヤラシさは、やはりそれなりに歳を重ねないと無理なんだろうか。

 たとえば「饗宴」という短篇がある。「饗宴」といえばプラトンの対話篇の一つでもあり、それをモチーフに、かつて高校の倫理社会の先生をしていた恩師に、いま中年にさしかかった元生徒が手紙を書いたという主旨のもの。

 手紙の書き手は自分たちの夫婦生活を、手紙という媒体のせいもあってか、赤裸々に綴る。(恩師に伝えたいわけがある。)夫婦気持ちが通じ合っているはずなのに、長年連れ添っている間に疲れが見えはじめ、互いの体を見ると夜の営みにとても及ばない、及べない。涙ぐましくも、それぞれ性具を使い、夫は妻を、妻を夫を思って隣り合わせでひとりセックスに励む。終わると手と手を重ね合わせる。笑うに笑えぬ夫婦の道行き。そうなってみて初めて手紙の書き手は、20年ほど前、先生の引越しの手伝いをしたときの奇妙な出来事の意味に思い当たる…。

 てな感じで、読ませる。これぞ官能小説。キザに「これはあなたの本でもあります」なんて献辞を重松は死んでも書かない。「奥様には隠れて読んでほしいのです。」オビにそうある。こうでなくっちゃ。ゆがんでないイヤラシさ、のっぺりして洟をかむようなイヤラシさは、イヤラシくない。

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純度100%の傑作!

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 ピュアな世界に圧倒された。狩撫麻礼(かりぶまれい、と読む)作、いましろたかし画『ハード・コア』(上)(下)(エンターブレイン)がそれ。

 オビに「平成最大の奇書」の惹句があるが、なるほど奇書に違いない。

 主な登場人物は三人、というか、ふたりと一ロボット。

 権藤右近は、三十代半ば、社会生活に馴染めぬ天性のアウトロー。入社試験の面接で志望動機を訊かれ、緊張し過ぎて、社員食堂がどうしたこうしたみたいな、訳のわからない返答をするような男。弟の権藤左近は一流商社に勤める生え抜きの商社マン。兄弟合わせると右近と左近で、名前だけはヤン坊マー坊みたいな二人だが、社会における地位は天と地ほどにも隔たっている。

 ところで、このマンガにおける主役は社会に馴染めぬ権藤右近のほうで、左近は脇役。右近は金城老人の命に従い、週一回の埋蔵金発掘に汗を流し、月収は七万。その相棒が牛山。

 いつも驚いたような表情をしている牛山は、言語障害があるらしく、しょっちゅう「えっえっ」と吼えるばかりで、あとは必要最小限の単語しか言わない、というか、言えない。牛山は、もと、四国の由緒ある家の出で、兄弟ともに、毎年東大に十人は入るというエリート校出身なのだが、ノイローゼが嵩じて蒸発、今は、右近を兄とも親とも慕って埋蔵金発掘に精を出している。

 もう一人の主役がロボットのロボオ。牛山が名付け親だ。

 話はこの二人と一ロボットが織り成す可笑しくも悲しい物語。

 上巻のページを開き、読み進んでいくと、ははあ、これは今の世の中を「はみだし者」の視点から告発する現実的な話なのかなと思ってしまう。だから、上巻の終わり近くになって、牛山が、廃棄された工場跡地の地下でロボット型の鉄屑を見つけても、それがまさか第三の主役とはとても思えない。

 鉄屑ロボット(!)が動き出すだけでも驚きなのに、右近と牛山がやくざ者たちに取り囲まれ窮地に陥ったとき、な、なんと、その鉄屑とも思えたロボットが二人を抱きかかえ空高く舞い上がった。飛、飛んだのだ。ぼくはここを読み不覚にも目頭を熱くした。目頭を熱くしたのは、ここと下巻の最後。これから読む人のために、そっちは言わずに置くが、なんとも悲しく感動的な結末。宮沢賢治の「よだかの星」を思い出した。

 この物語、賢治の「デクノボウの思想」を体現した平成の奇書として、長く読み継がれてゆくことだろう。

 最後に、これを教えてくれた我らが愛ちゃん(ぼくのマンガの先生)に、大きな声でありがとうを言いたい。ありがとーっ!!

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むきだしのリアル

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 愛ちゃんに借りたねこぢる漫画、『ぢるぢる日記』を残し全部読んだ。あと一冊と思うと、なんだかさびしい。

 『ねこ神さま 2』にでてくる話にこんなのがある。

 2匹のねこ神さまの先輩に無職のノラ造くんというのがいて、どうも2匹のねこ神さまからすでに何度もお金を借りているらしい。そのノラ造くんがまたお金を貸してくれという。300円、いや200円、100円でもいい。ねこ神さま、ノラ造くんの金の無心を断る。だって「ノラ造くん、お金返してくんないんだもん」。そう言われて寂しそうに去っていくノラ造くん。その背中に、ねこ神さまが声をかけ、なけなしの60円を貸す。借りることを躊躇するノラ造くん。そこでねこ神さま、「もう返してくれなくていいから」。「そのかわり、もう来ないでくれる?」そしてとどめの一発、「あっ それから…フィリピン行ったら? 腎臓買ってくれるってよ…」。「腎臓」だけ強調の意味か、赤い文字。ひゅーと風が吹き、ノラ造くんは涙を流しながら去って行く。

 言葉で説明すると、かったりーなー、もう。無表情に淡々と事実で押して行くねこ神さまと孤独なノラ造くんのあいだに吹く風はまさしく「いま」の風と思われた。ノラ造くんには事実を事実として受け入れたくない弱さと甘えと叙情がある。

 ねこぢるのといっしょに借りた山田花子の『花咲ける孤独』も面白かった。

 なんでこのコマにこの絵とセリフが来るのか、どう考えても分からないところがあって、不思議な気がした。たとえば、あるストーリーの終りの「終」の文字が猫の顔の真ん中に描かれているのなど。必然性が感じられない、ってゆうか…。でも、好き。ここにこうして書き残したくなるほど。印象的だった。

 この不思議感が独特。漫画自体(漫画はストーリーやセリフを含めての漫画だろうから、この場合、絵ということだが)はヘタ。

 読み終えて奥付を見たら、「24歳(92年)の初春、精神分裂症のため2か月半ほど入院。5月23日に退院するが、翌24日の夕方、高層団地の11階から投身自殺。」とあった。こういう漫画を描くひとだからこういう死に方をするのか、こういう死に方をする人だからこういう漫画が描けるのか、ぼくには分からない。そんな疑問自体ナンセンス! と、ねこ神さまに馬鹿にされるか無視されそう。

 ねこぢるにしても、山田花子にしても、この世のものとも思われぬ強力な磁力を極北へ向かって垂直に放射している。自分の甘えがうっとうしくなった時、またきっと読み返すだろう、と、思った。

 二人の漫画のネタにされないような生き方をしたいとも思うけど、今の時代じゃなくたって、この世じゃ無理だ。無理だよたぶん。それぐらい、むきだしのリアルが転がっている。むきだしってのがヤバイ!

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紙の本場所

2003/11/19 11:34

情熱の果て

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 自分が神なら、青春を人生の最後にもってくる、なんて、くさいことばを平気な顔していったのは、どこのドイツの詩人ギョーテじゃなかったか。

 へ、へーんだ。ちゃんちゃらおかしいぜ。

 なーにが自分が神ならばだよ。耄碌じじいと歯っ欠けばばあになって、青春したってしょうがねえじゃねーか。

 青春はよー、青臭いからいんじゃねーか。もじもじして、喋れないからいいんだよ。ドキドキして、「ドキドキしてます」なんて野暮なこともいえねーしさ、無口にならざるを得ない。

 無口にならざるを得ない。

 瀬戸内寂聴さんの『場所』を読んだ。瀬戸内さんが、年表に記載される人生とは別に、どういう人生を送ってきたのかはわからないが、熱情の青春を遠く離れたいま、同行してくれるひともいない場所へ一人赴き、見えるものと、見えてくる自分をていねいに記述していて、ため息が出た。

 すごいなあ。

 逆説的に「いくつになっても青春」ってキャッチコピーもあるけれど、瀬戸内さんの本を読んだら、そんなことはないと思ったさ。

 十五からせいぜい二十までが青春。あとは、その短い時間をどう過ごしたか、何遍でも繰り返し思い出し、自分の錘が世界のどこら辺に降りているかを計るだけじゃないかって思った。

 見苦しいことはできないとも思った。するけど。

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紙の本夜のミッキー・マウス

2003/11/12 16:23

詩のことば

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 ちょっといま手元にないのでわからないが、神奈川新聞に、谷川俊太郎さんの新しい詩集『夜のミッキー・マウス』の書評(歌人の佐伯裕子さんでした)がでていて、とてもよかったので、ネットでさっそく注文。

 最初の詩「夜のミッキー・マウス」を読んだ。

 夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ

 この二行で、ぼくはもう爆笑した。まだ、朝の五時。これを書いているいま、夜はまだ明けていない。あまり大声を出しては、近所迷惑だ。このごろは寒いし、ちょっと涙まででてきた。

 朝日新聞にも書評が出ていた。こちらは、川上弘美さん。『センセイの鞄』の。

「詩人のことば」についてふれてあり、上の「二行を読んだだけで、私はシュッと音をたてて大箪笥の陰に隠れたくなってしまう。こわいから。」だそうだ。

 ふ〜ん。オカッパあたまの、ふわふわの白いセーターを着た、可愛らしい川上さんが目に浮かぶ。

 身体感覚も、ことばへの距離も、違うのかなあと思った。

 ぼくは、詩を、詩だからといって特別に読もうとしない。なんとなく、いまはそうなっている。

 夜のミッキー・マウスは/昼間より難解だ

 可笑しくないのかなあ。

 国語の先生が、ハッキリそう言ったわけではないが、やはり、「詩は特別」と教えてきたのではないか。少なくともぼくは、学校の授業から、そういうメッセージを受け取った。だって、詩を読んで笑ったりしてはいけない雰囲気が多分にあったもの。

 学校の授業以外で、あまり詩を読まなかったぼくがいけなかったのだろう。

 いまは、よくわからないけれども、わからないなりに、詩のことばが断然面白い。

 わかっているのは、たぶん、ぼくが、分析とか解析とか解読とかから割と自由になって、面白いと感じる自分でいいのさ、と自分を信じるというか、いとおしく思うというか、たいしたことないなと感じるというか、そんなふうになっていること。

 これからは、誰にはばかることなく、手当たり次第自分の好きな詩を読んで、手帳といっしょにもち歩きたい。

 こんなことをいったら叱られるかもしれないけれど、学校では、夏目漱石とか志賀直哉の後ろのページに、現代詩が載って(いまはどうかわからない)いた。

 あれがもし、ヨドバシカメラの広告文とか、高級肩ロース100グラム148円をこれでもかこれでもかと喧伝する肉屋のキャッチコピーとかと並んでいれば、もっと違っただろう。

 ぼくのこの机の上には、普段パソコンと、知人からもらった観葉植物の鉢しか置いてないけれど、谷川さんのオシャレな『夜のミッキー・マウス』をそこに置くだけで、かなしみがふかまりそのぶん、さびしさがうすまっていくような気がする。

 六時半。カラスが鳴き、夜が明けてきた。

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紙の本オール・アバウト・セックス

2002/05/08 11:18

もとを読みたくなる

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 齢80歳の女性が、とある老人ホームに入ってきた。

お化粧をしてきれいに着飾っていたので、そのうちに男友だちができ、やがて関係をもつようになった。

 男二人はホームの世話役の方にお札を持っていき小銭に両替してもらった。一回300円で女性と寝た。女性は「あたしの値段はそんなものさ」と言った。

 しばらくすると男二人は女性を独占したくなり、とうとう車椅子に座ったまま、杖で殴り合い突つき合いの壮絶なバトルになった。

 それがもとで、とうとう二人は1年後に死んでしまう。女性も間もなく死んだ。性が終わるとき、生も終わる、云々。


 以上のことは、私が鹿島茂さんの『オール・アバウト・セックス』(文芸春秋)を読んで、印象に残った話。この日記を書くにあたってその部分を読み返してみたらディテイルが違う。したがって、上の記述は、面白いと感じたものを私の頭が無意識のうちに勝手に歪めてつなげた話、と言ったほうが正確だろう。ここんところがぼくはまた面白いと思う。


 上記老人ホームの話を新社屋近くのレストランで、専務イシバシと社員ナイトウ相手に話した。私の声は元来デカイ。隣のテーブルにいた中年の女性8人がこちらの話に反応している。あからさまにではないが空気がそれと伝えてくる。私は気を良くしてさらにサービス精神を発揮。同じ本に紹介されていたもうひとつの話を披露した。
 すなわち、最近は女性の側からみたセックスに関するハウ・ツー本が多くなっている。そこにおいて、男性が勝手につくりあげてきたこれまでの常識がことごとく覆されつつあるという。たとえば、男は、女の足を上げ正常位でやるのが普通だと思っている。しかるに、足を上げられた女性はさほど気持ち良くない。挿入したらむしろ足を下ろしてあげ、男がおもむろに両足で女性の足を挟み腰を密着させたほうが良い…。

 ここまで話が及んだとき、社員ナイトウが怪訝そうに手を挙げた。「はい。ナイトウ君」「社長、いまの話、具体的にイメージできないのですが…」

 リアリズムを信奉する私は、テーブルの左隅にあったスティックシュガー2本引きぬいてそれを女性の足とみたてて解説を試みる。そうしているうちに勢い余って、1本がブチッと破れ砂糖がテーブルにぶちまけられた。あ〜らら、ら。私、専務イシバシ、社員ナイトウ、三人大爆笑。隣のおばさん8人もつられて大爆笑。


 それにしても、鹿島さんの書評、実に面白い。読んで、もとのが読みたくなるという意味において、小林信彦さんと双璧だろう。

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銭金について

2003/08/07 10:14

やりきれない日に読んだ本

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 なーんもしたくないとき、あります。なーんも。好きな詩人山之口獏の詩のように、思うだけであらゆる事を済ませたいけど、どうもそんな風にもできない。ならない。

 惨めになりながらでも、自慢するのは少しは効果があります。聞いてくれる人がいればの話だが。でも、甘えだな、結局。風の凪いだ水底深く、海草がすーっと立つように、生きられないものか。どうして動こうとするのだろう。

 ぼっかりと穴が開いたようになり、だれかに甘えたい欲に駆られ、ゆらゆらぼんやりただよって、亡くなった祖父母の写真にすがったが、どうにもならず、水槽の金魚に餌をやったら、この野郎、砂粒を吐くがごとくにオエーッとやるし、そんなときは、酒を食らってオナニーでもして寝るのがいちばん。

 あーあ、と。

 車谷長吉の『銭金について』(朝日新聞社)を読んだ。そのなかに「人はなぜ人を殺してはいけないか」の原稿を求められたときのことがあった。已むに已まれぬ内圧が高まって、ナイフを取るかことばを取るかはまさに紙一重。なるほど。

 12歳の少年は、ナイフは取らなかったが、ビルの上からおさな子を手ずから押した。

 自殺した江藤淳について、なぜ最後まで、歯噛みしながらでも『漱石とその時代』(新潮社)を書ききらなかったか、とも車谷は言っている。

 ぼくも江藤淳の自殺のニュースを知り、当時少なからずショックを受けた。あんなに研ぎ澄まされたことばをもちい、怜悧な頭脳の持ち主でも、愛する人に先立たれ、寂しさに感応してはどうすることもできなかったのだな、と、思った。しかし、当の本人にしてみれば、よけいなお世話に過ぎぬのだろうし、本当のところは、だれにもわからないのかもしれないが。

 事ほど左様に、日々の暮らしは、虚無の延長、時間切れのドロー試合。みんなだれかに褒めてもらいたくて、うろうろうろ。カラオケで歌を歌って拍手が少ないと寂しいしー。

 10年ほど前になるだろうか、日本国語学界の重鎮倉澤栄吉氏と新宿で飲んだことがあった。酔いにまかせて、倉澤氏にからんだ。「先生、国語の力って何ですか」。生きる力って仰ったか、そう仰ったと思い込んでいるだけなのか、もうハッキリとは憶えていない。

 倉澤氏と会う数日前、新宿の安アパートでひっそりと亡くなった老人の部屋に、きょうもだれも話しかけてくれなかった、メモがのこされていたと新聞に小さく出ていて、そのことが頭にあったから訊いたのだ。

 ウソをつけ!

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