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  3. じゃりン子@チエさんのレビュー一覧

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先月(2017年6月)

じゃりン子@チエさんのレビュー一覧

投稿者:じゃりン子@チエ

67 件中 1 件~ 15 件を表示

実は色々描けるんですよ照れ屋の天才による作品集

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 はるき悦巳という人は照れ屋らしく、「じゃりン子チエ」本編ではウェットな演出を行わない。同じ理由で、ヒーローヒロインも登場させない。その距離感がはるきマンガの魅力でもある。
 しかし、そんなはるき悦巳が唯一ヒーローを登場させるマンガ。それが実は「猫たち」のマンガなのである。
 「じゃりン子チエ」の名脇役である小鉄とジュニア。本編でも時々、人間たちの日常とは全く違った次元で、ささやかな活劇を繰り広げていた2匹。その2匹の、活劇のみならず恋愛話までが収録されているのがこの本である。アントニオとお好み焼き屋のオッちゃんの出会いから、チエちゃんの家では隠居を決め込んでいる小鉄が風来坊だったころの話等々。特に印象的なのは、はるき作品中唯一の、と言っていいだろう。「恋愛」がテーマの「ジュニアの初恋」だ。いつもの「チエちゃん」の屋根の上。小鉄の恋愛話を聞いてみようとたくらみ話を振るジュニア。ところが、小鉄に上手く話をかわされ、いつのまにか自分の初恋の話を始めることになる…。

「ぼくは その…」「名前がいる程の大した男やないです」

 薄幸の美猫といった趣の年上の猫に恋をするジュニア。自分を慕ってくれる彼女をなんとか幸せにして上げたい、と切望するジュニアが、健気で痛々しい。小津安二郎映画の長まわしを思わせるコマ割が、淡々とした会話の間の緊張感を静かに主張する。

「ふ… 不幸だったんですか」
「不幸っていうのかしら…」「ただシアワセじゃなかっただけ…」

 そんな会話のあと、急速に仲良くなる二人だが、初恋というタイトルからも推察できるように物語は切ないラストを迎える。特に詩的なイメージを強調するわけではないのに、哀切のこもった詩情を感じさせる話だ。
 アントニオとオッちゃんが博打場を開いていたころの話もいい。毎夜通ってくるテツに、潰されかかる遊興倶楽部。テツの顔を一切描かない演出が見事だ。そう、忘れそうになるがテツは迷惑な無職のチンピラなのだ。作者の冷静さが反映された印象的な話である。黒沢の「用心棒」のパロディーの「どらン子小鉄」(西部劇でもある痛快アクション!)を自ら揶揄した「『月の輪の雷蔵』を訪ねて」も、ばかばかしくて好き。
 「じゃりン子チエ」のみが世に知れ渡っているはるき悦巳は、実は引き出しの多い作家なのである。もちろん、独特の距離感を持ったあの個性はそのままで。様々な形ではるき悦巳の技が実感できる本書。隠れた名作としておきたい。

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紙の本おばけのてんぷら

2002/09/14 23:58

ああてんぷら、てんぷら。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 魅力的な子供の本のための重要な要素は一つに「食べ物」にある。「食べ物」が素晴らしく描かれていればその本は7割は成功していると言っていい。
「ぐりとぐら」を見よ。あの本のクライマックスは何より、ふたを開けた瞬間にふわんと出現するカステラにある。あのカステラを見てしまった後には、現実社会長崎あたりでどんなにおいしいカステラを食べても駄目だ。「ぐりとぐら」のカステラを目に焼き付けてしまった人間の、頭の中にあるカステラ以上に美味しいカステラはおそらくこの世に無いからだ。ことほど、「食べ物」が与えるインパクトは強烈なのである。
 「ぐりとぐら」とはまた違うが、この本も「食べ物」の感動をこちらに与えてくれる。テーマは「てんぷら」だ。
 うさこちゃんは山でこねこ君のお弁当を味見させてもらい、自分で作ることにする。においにつられたおばけが小さくなってうさこちゃんの家に侵入。ぱくぱくてんぷらを食べ始めるが …。
 全部が全部そうなのかは知らないが、せなけいこの絵は大体貼り絵だ。この本も貼り絵。その貼り絵が作り出すてんぷらのリアリズムがいい。歯ごたえが口の中に浮かび上がってくるような絵は、シンプルでありながら正確。本当にてんぷららしい。いつでものんびりマイペースなうさこちゃんの振るまいが物語の縦糸ならば、てんぷらの持つ簡潔なリアリズムとその魅力は、強固に織り込まれた横糸なのである。
 うさこちゃんのてんぷらに最敬礼。まこと「食べ物」は偉大である。
 

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女には向かない職業

2002/10/08 00:21

いしいひさいち最強ヒロインの活躍、ここに集約!

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いしいひさいちのキャラクターの中でダントツに面白いのはナベツネと藤原先生だと思う。で、ナベツネはモデルがいるが、藤原先生はいしいひさいちのオリジナルなので彼女がいしいキャラのNO.1だ。
 もともと推理ものや、「ののちゃん」の脇役としてちょこちょこ作品に登場し、そのたびにメインキャラのお株を奪う活躍ぶりを見せてくれた彼女。その彼女の破天荒ぶりが一冊にまとまった。酒呑みで、推理小説家で、元小学校教諭の藤原先生。先生はいつでもどこでも同じだ。小学校も二日酔いで行って生徒に心配されるし、作家になってからは、酔っぱらってペコちゃんの立ちんぼ人形を持って来ちゃったりする。現実社会でもマイペースな人間というのは笑いを誘うものだが、彼女くらいになるともはや尊敬の域に達する。酔っぱらったときの為に玄関すぐ前にベッドが置いてあるのだって、見合い写真に小学生並みの落書きして気分転換するのだってこの人の場合は武勇譚の一環なのだ。「1P一笑」のこの本、買いの一冊です。

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紙の本サブカルチャー反戦論

2002/07/15 02:37

9月11日からずっと私たちが曖昧にしていた事柄について

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 感傷的、かつ個人的な話から始める。
 2001年9月11日の夜、私は芝居を観ていた。演目は坂手洋二作・演出「ブレスレス」主演の柄本明が、都会のゴミの山の中で暮らす新興宗教の教祖を演じていた。時代の変化か、役者の力量か。主題がぼやけてしまったような半端な印象を残す芝居だった。釈然としない気分で劇場から帰ると、「目の前で起こっていることが理解出来ない」事件が起こっていた。次の日、図書館で何冊かの本を読んで気持ちをいくらかでも整理しようとした。が、何にも分からないまま、家に帰った。
 自分の頭ではとても考えることすら追いつかないのでは、という気にさせられる事件。坂手洋二も柄本明も自分たちのやっていることの意味を問い直さずにいられなかっただろう。あの後も続いた公演はどうなったんだろうか? そして、私も考えなければいけなかった。しかし、問いに対する答え、考えに対するヒントを私たちの前に誠実に明示してくれた人間が、あのとき一体何人いたのだろうか? 記憶する限りでは、かなりの数の人が口を噤んでいた。「戦争反対」でも「賛成」でもない、意見表明の無い感傷的な文章。政府の思慮の浅い決断を糾弾しないメディア。
 私には当時、「自分が失望していた」という自覚はなかった。それより混乱に巻き込まれずに考えるには、一体どうすればいいのか、それを漠然と追っていた。
 しかし、この本を読んで気付いたのだ。私は、あの事件の後、混乱した社会に何のヒントも与えられない識者と呼ばれる人たちに失望していたし、政府に寄り添って、「戦争反対」という言葉をまるで時代遅れの叫びのように受け取らせてしまったメディアに対して悲しんでいた。
 この本が私にそれを気付かせたのは、この本の著者が「戦争反対」という一つの意見をきちんと明示していたこと。そして、物書きとして、彼の表現するところの「あなたたち」に対してまさしく語りかけたことによる。自身のアニメ誌での連載小説を勝手に差し替えての同時多発テロ評論。それには「これは多分、たった今、君たちがきちんと考えておく必要のある問題だからだ」とある。
 そう、あの事件は考えるべき問題だった。しかし、その事実を考えるべき世代の人間に伝えた物書きは、「『文学』はいかに戦争を語らなかったか」というこの本の章で証明されているように、ほとんど存在しなかった。物書き、メディアと呼ばれる世界の人間の不誠実さに、私は怒っていたのだ。この本で著者は、何度も同じことを繰り返し話す。若者には「戦争について考えろ」、物書きと呼ばれる人々に対しては「どうして語ろうとしないのか」そして、「戦争をしてはいけない」。
 あまりに当たり前の事じゃないか。どうしてみんなそれ位のことすら口に出してくれなかったんだ?
 この本は読まれるべき本だ。こういった強制的な言い方はかえって本に対する興味を失わせることがあるし、何より「大きなお世話」感がまとわりつくので使いたくないんだけれど、でも、そういう本だ。
 著者が受け取ることになる印税は全額NGOに寄付されるという。その、あまりに優等生な決意だけでも評価して欲しい。
 この本を買って、手に取ってくれ。

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紙の本小林カツ代の基礎のおかず

2002/12/22 01:36

おいしくできなかったらお金は返します(と言うくらいの意気込みでおすすめ)

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 小林カツ代さんの本はあきれるほどたくさん刊行されているので(料理の本中心で160冊って…)、その中から一つを選ぶということはかなり無謀な行為なのですが、これは「是非とも紹介せねばならん!」と思った一冊なので。実際台所で何回読み返したか分かりません、これ。
 前書きで小林カツ代さんは2つのことを教えてくれます。いわく、「昔と今では素材そのものが変わったこと」「お金を取る料理と家庭料理は違うこと」。
 その上で「今という時代に最高と思える料理法を紹介したい」。その試みは見事に成功していて、小学生の自分から大学生になった今まで、何度この本に助けられたかわかりません。この人の本のわかりやすさは、その合理性にあります。「面倒だったら殻はむかなくても大丈夫」。「今の野菜は火が通りやすくなっているから強火でワーッと煮たほうがいい」。「魚を焼いてからじゅっとタレにつければ照り焼きも簡単」。「冷凍ポテトは冷たい油で揚げると上手くゆく」等々。一見大胆なようですが、小林カツ代の言うとおりにしておいしい物が出来なかったためしがない! これほんと(言うとおりに出来なくてとんでもない物が出来たことは多々あるけど)。
 この本の何より好きな点は、「スピーディーに作る」ということの大事さとその実践法が調理法に反映されているところですね。「料理はスピード」というのは料理上手の父の口癖なんですが、それを誰にでも実践出来る形で世間に流通させている小林カツ代さんはやっぱ偉大ですよ。
 料理不得意で困っている人や、これから子供に料理を教えようと思っている人にオススメです。もちろん料理は大得意!という人も。
 あと、この人の本ってなんだかものすごく写真がよいのですね。力強い食事という感じがして。作ってみたい! 食べてみたい!と思わせる。私が持っているのは、実はこの本そのものじゃなくて、改訂前の版の大きいものなのですが、それは写真でいちいち調理手順が紹介されていて、非情に助かりました。そしてこの写真がほんとにおいしそーで…。お気に入り書籍の一つと言ってもいい本でした。

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紙の本君の鳥は歌を歌える

2002/12/21 01:55

大好きな名作を力いっぱい語るということ

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 うわああ…。もう書評書くの止めようと思いました。思わされました。ほら、bk1ポイントが欲しいからとか、エライ人をけなすことで優越感にひたりたいとか、そういう気持ちで書評書いてちゃあかんですよ、自分。心血をそそぎ込もうとか言う気はないけど、書評書いてるその一瞬ぐらいは、作り手の気合いに報いるくらいの集中力を駆使しよう!と、そういう風に考えさせられました。えれえ本ですよ、こいつは。
枡野浩一、特殊歌人兼ライター兼南Q太の夫。彼のすごさは短歌を読むことでもすぐに感じ取れますが、ライターとしての仕事も半端じゃなくすごい。なにがすごいってこの人には面白いものを面白いという力があるのです。「当たり前でしょ」って、それが結構当たり前じゃあないんですよ。だって、自分がよくよく知っていて、頭の中で体系化していて、理屈のつけられるものじゃないと説得力のある文章書けないじゃないですか! いや、そりゃ私は趣味の書評者ですけどね。プロだって評者と呼ばれる人たちはそういう専門性で勝負しているのではないでしょうか。専門外のものの「面白さ」を自らの言葉で語る。そりゃもう一筋縄ではいかない作業です。そんなことを念頭に置いてラインナップを見直すと…北野武、三原順、大人計画、ブリリアント・グリーン、永井均、銀色夏生、内田かずひろ…。この節操のなさだけでもすごいです。
 多岐に渡るジャンルを語るにあたって、枡野浩一は一つ、彼にしかできない批評の方法をとりました。それが、「名作の短歌化」。
 私は以前、萩尾望都がブラッドベリをマンガ化したの受けて、その挑戦の意と緊張感を「他流試合」と表現しました。それにならって表現すると、枡野浩一の挑戦には何だか「道場やぶり」を思わせる無謀さが漂っています。まえがきにはこんな言葉が残されています。
「あまりの努力とむくわれなさに、ついに力つき、連載を自分から申し出て別の企画に変えてもらったりもしました」。
 そうでしょうね。だってこれだけ選び抜かれた言葉による批評を書いて、さらに自作短歌をプラスするなんてむくわれないこと必須でしょう。でも枡野さん、(何となく“さん”付け)私はあなたの批評で泣けます。本当は泣いてないけど、泣かせるくらいの情熱が伝わってきます。でも、情熱を大声で叫ぶようなことはしない。冷静にマンツーマンで対象に向き合う。インスパイアなんて言葉に逃げずに、「原作より面白い短歌作品が作れるはず」と(最初のうちは)思って戦う。326も銀色夏生も全然好意的には感じていなかった私ですが、くだらない先入観に支配されずにもっとしっかり対象に向き合おう!と思わされました。というか薄々感じていたことですが相田みつをや326が嫌いな私たちは結局彼らが売れているのが妬ましいだけなのかもしれません。
 話がずれました。最後にちょっとだけ、枡野浩一のすごさを一番分かりやすいかたちで伝えるために、この企画から生まれた短歌を書き残しておきます。
「まだ何も始めちゃいない俺たちに あしたがあるというおそろしさ」
「馬鹿中の馬鹿に向かって馬鹿馬鹿と 怒った俺は馬鹿以下の馬鹿」
「バラ色の未来のために フラスコの中で生まれた灰色のバラ」
 もう一言だけ。枡野さんあなたのむくわれなさは、私の中でしっかり身の引き締まるような幸福感に変わってます。ありがとうございました。

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「わからないなにか」という恐怖

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 「ホラー映画の基本はハッピーエンド」という言葉を聞いた。なるほどである。恐怖の正体が最終的に暴かれることになっているから、みんな見に行けるのか。私なんかそれでも怖い思いはしたくないから、見たがる人たちが不思議だ。
 が、しかし、そんな私がなぜか持っているこの本は、いわゆる「ホラー映画」とは比べものにならないくらい怖い。この本の恐怖は「正体の分からないなにか」がそっと、しかも唐突にすり寄ってくる種の恐怖なのだ。
 4本の短編が収録されているこの本。その内の1編。財産目当てで富豪の娘と結婚した男が、海難事故に遭い彼女を見捨てて殺してしまう「ネジの叫び」。これだけが“そんなに”怖くない。復讐されるのは彼女を騙した男だけ、だからだ。絵もラストもぞっとするけど、眺めていられる怖さだ。
 しかし、残り3編はそんな余裕を与えてくれない。特に「わたしの人形は良い人形」。これは本当に怖い。割り切れない念というのがそこにあるからだ。物語は戦後すぐの東京から始まる。一人の少女がジープに当たって死んだ。少女の友達の母親は、死んだ少女が安らかに往けるように、と市松人形を供養に捧げる。死んだ少女の追突を知っていたのに、報せるのを忘れていた罪悪感からだ。しかし、残された女の子も死んだ少女に呼ばれるように事故死してしまい…。
 最初に死んだのは一人の女の子。そして、その友達の女の子。妙な言い方だが、普通は死ぬのはこの二人だけで済むはずなのだ。直接の因果関係があるのはこの二人のみだからだ。しかし、人形に乗り移った怨念は読者の想像を超えて不条理に暴走してゆく。物語の終盤、登場人物たちが怨念の正体を知る段階になっても、その不条理さはそのまま恐怖として残る。
「人形にとり憑いているのはその二人であって/もはやその二人ではないんだ」。
 怨念のみの力によって動き回る人形。それまでそっとすり寄ってきた人形が、その正体を現すがごとく飛びかかってくる瞬間のコマは、本当に心臓が凍り付く。山岸涼子の重さを感じさせない描線と白い画面構成が、かえってこちらに逃げ場のない恐怖感を与える。これを読んだ直後は、全ての人形がなにかしらの念につきまとわれているような妄想に駆られたものだ。
 ところが、「わたしの人形は良い人形」はそれでもエンターテイメントとして読むことが可能な作品なのだ。
 「汐の声」これは怖いなんてものじゃない。おそろしい。霊感少女タレントとして売り出し中の17才の少女サワ。両親から全く自立できていない彼女は、取材先の屋敷で奇妙な子供の幽霊を見る。が、“それ”が見えるのは彼女一人で…。
 子供の影が少しずつ少しずつ明らかになってゆくその過程はもちろん怖い。しかし、真に恐ろしいのは彼女一人に幽霊が見える理由。血の気が引く…。そしてあのラスト…。二重三重の恐怖が絡まったこの作品は、恐怖というのは人間自身が生み出すものなんだということを自覚させる。って、こんな言い方じゃこの作品を評するに正しくないのだあ! 力及ばずで作者に申し訳ない。それはともかくとして、
 本当の恐怖というのはその不条理さ、いや「わからなさ」によって恐ろしいというのが実感できる、本当に怖い本です。

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紙の本奇譚カーニバル

2002/09/12 18:47

奇譚セッション

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 この中に登場する著者のうち、誰か一人にでも興味がおありでしたら。悪いことは言いません。買っとくべきです、お兄さん。まったく、こんなに充実した本がひょこっと文庫になって居るんだから、いいときに生まれたもんです。
 なんて下手な口上はともかく、この本は本当にお買い得、買いの一冊です。アンソロジー集というのは多くの場合、散漫であったり、個性がぶつかり合ってしまったり。収録作品の水準がどうであろうと一冊の本としてはつまらない出来になりがちです。ところがこの本、全てが強烈な個性の上に成り立った物語であり、一つとして物語が埋もれることはないのに、一つの本として完成されています。読み終わった後には、上手く編集されたオムニバスCDを聞き終わったときのような心地よさと、「もう少し味わっていたい」という、よい小説の後に訪れるあの後を引く感じが浮かび上がる! 気持ちいいことこの上なしでして、全く。
 夢枕獏の愛情に満ちた選択と巧みな構成は、おそらく綿密周到な計算の上に成り立っています。第一話を小泉八雲の「茶碗の中」で始め、読者を作者の意向へと誘い込んでから、お次ガツンと漱石「夢十夜」をぶつける。旧仮名遣いの幸田露伴「観画談」から、ぐわっとSFパロディ「昇り龍、参上」へ飛翔。タモリ、筒井康隆のアヴァンギャルドな合作「ハナモゲラ語の思想」を経て、とり・みき「遠くへいきたい」でマンガへ着地。しりあがり寿「瀕死のエッセイスト」を通って、杉浦日向子「百物語」で読後感を味合わせつつ、作品を締めくくる。いやいや全く編むというのはこういうことだ、と言わんばかりの構成です。
 一つ一つの短編の水準の高さは言うに及ばず。下手な説明より読んでその快感を味わって頂くほか無いのですが、読み終わった後から新しくこの本の楽しみは始まります。
 それすなわち、夢枕獏が「どうしてこの話を選んだか」を推察する作業が始められるからであります。私の邪推でありますが、それぞれ名作であるこの物語達はその面白さの他に、この本のリズムに合うか否かを問われている感があります。レベルが高いも低いも本書の中にはありませんが、なかでも屹立するかのような文章力と完成度を誇る「夢十夜」。そのすぐ後に来るの小川未明の「大きなかに」です。もっと哀切や寂寥の強い作品でも多くの傑作を残す未明から、あえて不可思議で漠然とした読後感の一編を選ぶ。また、椎名誠の言語センスが強烈に発揮された、密度の濃い「猫舐祭」の後に、タモリの奇襲で読後感を白紙に戻す。そのどれを取り出しても、読者を充分に満足させられるであろう「百物語」から、直接的な恐怖を呼び起こさない三編をとりあげ、最後に据える。その手管から、愛する作品を拾い上げながら楽曲を編纂するようにそれらを繋ぐことで、一冊の本を自身の作品として仕立て上げてしまう夢枕獏の巧みさを感じ取ってしまうのでした。まるでジャズセッションのような物語の共鳴。全く持ってお見事。
 しかし、そのリズムが自身の作品を挿入した一カ所に置いてだけ、ちょこっと崩れてしまうのが惜しいんですよねえ。いやいや、物語は面白いのですが。まあ、ご愛敬ってとこですか。

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恋する馬鹿が私は好きよ

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愛とか恋とかが素晴らしいなんて誰が言い出したんでしょう。失恋するたびに思います。少女マンガの読み過ぎは体に毒だあ。みんな楽しそうだし、なんか恋しなきゃいけない気にさせられます。でも、辛いじゃん。恋とか愛とか。そんなあなた(つうか私だ)に藪内笹子。
「16歳で実の父に犯され、22歳でタヌキの情婦となり…裏切られた男1382人!! 私は真実の愛を知らないヒゲのOL!!」「真実の愛」を求める彼女の口元にはヒゲが蓄えられています。谷村新司のようなそのヒゲは、彼女が「真実の愛」を見つけたときのみに剃られることになっています。
…が、剃れません。初登場から現在まで、人の結婚式に割り込んだり、ジムで鍛えたり、笹子はそれはもうエンエンと「真実の愛」を探しています。しかし、コミックスが3巻目に突入した今も彼女のヒゲが剃られる気配はありません。いや、笹子のヒゲが剃られる日はおそらく永遠に来ないのでしょう。だって、彼女が求める「真実の愛」なんて、この世に無いんだから。
笹子の失恋パターンは「思いこみを原動力に突っ走ったけど、実は向こうは何とも思ってなかった」が多いです。
「今日まであなたは私に おでんを3回 焼き鳥を2回もごちそうしてくれたわ」
「明細を言えばガンモ タコ(2) ツミレ〈略〉カワ タン レバー(2)」
「しめて… 3763円(税込み)もの愛を注いでくれた」
馬鹿ですね! もー滑稽ですね! でも、でも、恋してる時ってこんな感じじゃないですか? 違う? 私はそうです。こんな感じです。だから失恋するたびに、「あー私が求めてるのは恋とか愛っていうブランド商品なのねー」と思います。つまり、「恋愛の成就は幸せのための必須アイテム」っていう認識が確立していて、それを持っていない自分は不幸?!と思ってる。だから「相手が好きだから恋しているのか、恋がしたいから相手を好きになっているのか」がわかんない。笹子には実の父に犯されたというとってつけたような不幸があるけど、そうじゃない人間だってなにかしら満たされていない限り、「自分は不幸である」という感覚を持っています。で、「どうやってその満たされない想いを解消しようか」と思ったときに、「恋愛だあ!!」と思うわけ。合コンしたり、結婚したり、楽しそうじゃないですか。でも実際追いかけてるのが「真実の愛」だから、相手じゃなくて「真実の愛」って言うパッケージだから、不幸から逃げられない。
で、さらにあほあほしいのが、それでも「真実の愛」を探すのをやめられないところです。足りないのが「他者」なんですね。「他者からの愛」が欲しくて欲しくてたまんなくて、でも、探しているのが「真実の愛」なんて実体の無いものだから、いつまでもいつまでも満たされない。笹子の陥っているループは、読み手が「愛」が欲しくて、焼き鳥とかおでんとかに恋の萌芽を勘違いしている限り終わりません。
愛の幻想を断ち切ってくれる者は何か? 笑いです。失恋って勘違いしている時間はえらい気持ち良い…。「眠れる森の美女」も寝てるだけって言うのがポイントですね、きっと。夢の中では王子さまも自分もすんごいいい人なの。そこで、眼え覚まそうと思ったら笑いしかない。夢から覚めて、「すんごいミジメだーっ」てのを知ったときから新しい旅が始まる…はずなんですよ! そうであって欲しいわ。
 うん、私は笹子に「真実の愛」を教わりました。それ、つまり「そんなもんねえよ!!」ってことなんだけど。そして、それでも愛が欲しいということなんだけど。願わくば、再び眼を覚ましに来るその日まで、いつまでもいつまでも振られていて下さい。眼を覚ませる場所があることで、ほんのちょっと救われます。いつまでもいつまでもそのままで。
曰く「さーて ハラもいっぱいになったし 真実の愛でも探しにいくかー」。

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紙の本ハイスクール!奇面組 1

2002/06/20 14:09

お久しぶりの奇面組

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 最近のガンガンでのリメイク連載はかつてのファンとしては「なかったことにして欲しい」が、それはそれとしてこれは名作である。一堂零を中心とした主人公達の繰り出す奔放なギャグとその密度は、作者の熱気と若さ、そして少年ジャンプの様子をそのまま伝えている。
 「奇面」組、と云う名の通りの顔面ギャグ、いきなり二頭身になってボケる身体ギャグ、ダジャレ、パロディ…。一組五人単位で次々と登場し、不良、体育会、アイドルなどそれぞれのタイプにあわせたギャグをかましてくれる脇役達。そして、かわいい女の子。登場人物達がまんべんなく動き回る様が、作者の彼らに対する愛情を感じさせて、ほほえましい。マニアックな世界観の中で古典的なギャグが繰り広げられる、これはその後のパターンの一つとして定着する。
 ただ、その密度と長期連載により才能が枯渇してしまったのは返す返す悲しい。それにしても、当時のギャグのパターンと少年マンガ的要素がまんべんなく詰め込まれた欲張りな画面を、今の読者は一体どう見るのだろうか。

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演劇嫌いの必読書、演劇好きの必読書

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 「芝居は面白い」と私は確信している。芝居を観る人はそう思っているからこそ、高い金払って、時間を拘束されて、それでも劇場へ行く。が、芝居を観ない人にも観ている人にも、時には演っている人にさえ「芝居はマニアックだ」という信仰があって、これが新しい観客を劇場へ呼ぼうとする場合に足を引っ張る。しかも、この信仰は芝居を愛している人たちの過剰な思い入れから生まれている事が多いので始末が悪い。しかし、この本はそんな信仰を置き去りにして様々な角度から芝居の面白さを説いた、文字通りの力作である。

 松尾スズキと著者の対談「やっぱりナマ観たいでしょ」から始まるこの本の特徴は、なんといってもその情報量と内容の多様さにある。定番の小劇場役者レポートを経て、第二幕と題された章の主役は舞台裏の人々だ。小道具、照明、音響その他もろもろの人々のインタビューも面白いが、一番読み応えのあるのは×2.5主催Megumiの「制作の仕事」だろう。演劇界の広告代理店を目指す、と表明する氏のスタンスと、おそらく多くの小劇場でいい加減に行われている、制作という仕事に関しての詳細な記述は多くの演劇関係者にとって必読である。

 それから、「日々」「作・演出」「劇場」と、様々な項がインタビューや対談を経て続くが、登場する人々が、まさに旬の人々ばかりでその情報の新鮮さに驚かされる。せっかく字数があるので紹介しておこう。
動物電気主宰・政岡泰志
猫のホテル主宰・千葉雅子
拙者ムニエル主宰・村上大樹
双数姉妹・五味祐司
古田新太
カムカムミニキーナ主宰・松村武
MONO主宰・土田英生
阿佐ヶ谷スパイダーズ主宰・長塚圭史
劇団☆新感線主宰・いのうえひでのり
HIGHREGJESUS総代・河原雅彦
このラインナップを見ただけで、著者が現在進行形で舞台を観続けている、信頼のおける情報を提供している人だ、という人がわかる。(2002年6月現在)

 他にも、ワークショップ潜入リポート、関西、名古屋、その他の地方の演劇レポートなど、取りこぼしを許さないかのような情報の幅広さには思わず感嘆させられる。

 圧巻は最後に34pの分量を割いて作られた「演劇団体Date101」だろう。イエロー・ページ風に並んだ劇団紹介はその量のみならず、質の面でもこれまでに出たどんな演劇紹介書もかなわない情報の安定度を誇る。さらに「ミニ・コラム」では、一人芝居で活躍する役者や、ダンス集団、プロデュース集団、蜷川幸雄など小劇場の枠を越えた活躍をしている人々を紹介。このほか劇場indexまでついている。

 いあや拍手だ。

 ところで、この本の面白さは情報の密度のみならず、登場する人々の演劇に対する姿勢の柔軟さにある。これまでの演劇界にあった信仰から離れ、客観的に芝居を愛する人々のコメントは新鮮で痛快だ。

 演劇をさらに楽しみたい人、演劇なんかに全然興味のない人、今まさに芝居をやっている人、全ての人々にお勧めできる素晴らしい本だ。

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紙の本第三の役たたず

2002/06/06 23:42

真実の果て

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 エログロとか、悪趣味とか、色々な色づけをされる松尾スズキは、その表層的なイメージにはそぐわない、「真実」という言葉をよく使う。
 この本は松尾スズキと、彼が出会った「真実」を追究する人々との対談集である。
 対談相手は五人、庵野秀明、天久聖一、根本敬、鶴見済、町田康、異能の人々だ。彼らの共通点は世間に対して生きづらさを感じていること、そして、その生きづらさを追求して、作品化することで生活していることだ。根本敬が言う。
 「要するに、自分で生きにくいなっていうのをさ、カタチにしてメシ食ってるわけじゃないですか。そういうのが根本にあって。」
 彼らの生きづらさの元も、メシのタネもおそらく同じもので、それにあえて呼び名を付けるのであれば「資本主義」ということも出来ないことは無いけど、そんなことはどうでもいいのだ。彼らは、その矛盾を生き抜くことで「真実」を見抜く。その方法は、「新世紀エヴァンゲリオン」であったり「バカドリル」であったり「因果鉄道の旅」であったり「完全自殺マニュアル」であったり「屈辱ポンチ」であったり、それぞれ違う。けれど、その生き方のしんどさにおいて彼らの持つ重さはある意味等しい。「真実」を「シンジツ」と言い換える松尾スズキのサービス精神と照れによって、その重さは直に伝わらないけど、そんな資本主義とか真実とかどうでもよくって、ダメ人間レポートとしても十二分に面白いけど、この本は実はとてもとても重たい真実の本なのだ。
 「ああ、今の世の中生きづらい」と、思ってるヤツはこれを読めー! あとがきの、鶴見済の言葉を読んで泣けー!
 「真実の果て」の一端が見えるぞ!

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思い込みの美学

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 正義が肯定できなくなって、ヒーローは死んだ。かつてヒーローと呼ばれた人種は次々に自分勝手な思い込みヤロウになった。と、思っていたら今度は自分勝手な思い込みが売りのヒーローが出現した。その名は大文字さくら子、東大法学部卒業、26にして一橋署の署長に就任。無敵のキャリア美人である。
 牛丼の食べ方で人間の器をはかる、と豪語するさくら子は圧倒的な頭脳と権力を持っているのに、ケチだ。ファミレスで食事をするときには、「セットのみ」を注文し(当然不可)、子供と駄菓子を賭けて賭博をする。そして、権力者なのに人情家。駄菓子屋のおばあちゃんを助けてやったり、病気の母親のいる家庭にお金をあげたりする(しかも、悪役から巻き上げて)。そんな、彼女の行動原理は“美学”。だから「醜い…」「器が小さい」といってスケベ警官やライバルキャリア女性を叩きのめす彼女は、正義の味方と同じようなことをやっていながらとてつもなく自由でいられる。正義は葛藤から免れないけれど、美学は言ってみれば個人の生き方の反映だから、 大義や社会的な規制に縛られなくてすむのである。
 高橋のぼるはかつて「リーマンギャンブラー・マウス」で女体盛りとギャンブルに賭ける男を、清々しく描いた。しかし、さすがに女体盛りではヒーローにはなれない。マウスの欠如を補う意味でもさくら子は無敵な女なのだ。
 そして、エリートでありながら庶民派という矛盾した人物像を描くのに高橋のぼるの絵は、妙に適している。彼の描く美人は鼻がかぎがたで、厚ぼったい唇を持つ。なんとなくお水っぽい。さくら子もその例に漏れず、エリート警官なのにいかがわしい顔をしている。このアンバランスな外見は、彼女の矛盾した人物像を非常に魅力的に反映している。思い込みだって、美学! 言ったモンが勝ち! 権力持ってるモンが勝ち!な存在でありながら、精神性において庶民というさくら子は完璧な現代ヒーローと言えるだろう。

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夏のオールスター相撲大会

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 この巻の一番の見せ場は作者が一番書きやすいと言っていたヒラメちゃんの活躍、相撲大会でしょう。あ、書きやすいと言うのはビジュアルではありません。メンタルです。テツやチエちゃんは作者の予想を超えたところで動くから大変なんだそうだ。
 ともかく相撲大会です。ふつう相撲大会って女の子は出ないんだけど、出ることになっちゃうんですねえ。チエちゃんは「女の子」だからイヤだって言っていたんですが相変わらず出ちゃうのね。心がオトナだからいろいろあるうちに断れなくなる。ところが、ヒラメちゃんは「絶対優勝しような」と言うのです。普段からドンくさいだなんだ言われているヒラメちゃんには、勝つことは自らの誇りを証明することなんだな。よく言われることですが(と言うより井上ひさし言ったことですが)、このマンガの「子供はオトナよりオトナらしい」、そういう登場人物の特性がよく出ていて、読み応えあります。マサルもタカシも、それから最初の方でコケザルという重要人物が出てくる。そろそろ人物のイメージが作者にとっても読者にとっても固まってきた、生きのいい巻ですね。
 そして、これが子供の部。大人の部の方もオールスターで展開します。テツに花井先生、お好み焼き屋のオッちゃん、カラメル兄弟、レイモンド飛田。このマンガって基本的に人情話だからあんまり「盛り上がり」という単語が似合う話はないのですが、相撲大会は盛り上がります。なんたってテツが燃えますから。カッコイイんですよ、珍しく。そんなわけでオールスターのこの話、長い「じゃりン子チエ」の歴史の中でも最もにぎやかで景気のいい話です。

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紙の本全日本食えばわかる図鑑

2002/05/25 01:23

海外旅行のポケットに

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 友人に「椎名誠のエッセイではこれが一番だと思うね」と言ったら、彼は「うん、俺海外旅行に持ってって、日本食恋しくなったときに読んだ」と言う返事が返ってきた。 
 そ、そうかそういう使い方があったか。なんかくやしい。気付かなかったぞ。しかし、彼の使い方はきっとこのほんのスバラシサを再確認させてくれるはずだ。この本ほど全編食欲を誘う本を私はまだ知らない。
 ここに出てくる食事はその全てがありふれたものだ。カツ丼とかおにぎりとかラーメンとか、いつも食べているもの。しかし、だからこそこの本は圧倒的な共感を誘う。おいしさが分かり易い。おいしく食べてる作者がうらやましい。まず椎名さんの情熱もばかばかしいほど並じゃなくてかっこいい。東海林さだおさんとの、究極のラーメンを作る話なんか、無意味に真剣だ。その無意味さがうらやましい。
 夕飯の残りの活用法とか、ただしいのり弁の思い出話とか、中国のお粥の話とか、作者の愛情がうれしい。
 でも、私が個人的に一番笑ったのは、ある日雑誌記者の人から電話がかかってきて、グルメなことなんか全然知らないのに相手の女性がとてもしっとりしたいい声だったので、電話を切りたくないな、と思ってしまったら…、と言う話だ。なんだかとってもアホっぽい椎名誠がおかしい。沢野ひとしの絵も一番脂がのっている(つまり一番おかしいときということだが)。彼の描く、あのじっとーとした目のお兄さん。お兄さんが一番元気な、つまり変な時期の絵はここに集結している。椎名・沢野の楽しい共作としても、これはスバラシイ本なのだ。

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