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レビューアーランキング
先月(2017年8月)

norimasa_ikedaさんのレビュー一覧

投稿者:norimasa_ikeda

3 件中 1 件~ 3 件を表示

徹底した論理構成と伝統的権利概念への固執

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

事例紹介をもとに現代の生命倫理学の問題を浮き彫りし
「伝統的倫理」が整合性がなく維持することができなくなったことを示すと同時に
倫理に対する新しい取り組み方を提案する刺激的な書。
シンガーは、神に似せて作られた人間の生命は常に尊重されるべきで
それ以外は尊重されるべきではないとする「生命の神聖性」をもとにした
倫理のとらえ方を批判し、
近代的な人格概念をもとに倫理をとらえることを提案する。
つまり、脳死の人、遅延性植物状態、無脳症児などは
生きていると認めた上で
「生きるための重大な権利」がないため
治療停止や臓器移植を行うことは許されると考える一方、
こうした存在よりもはるかに重要な
動物の権利を守るべきだと主張する。

シンガーの透徹した論の運びは
倫理学、医療に関わる全ての人にとって一読の価値がある思われるが
そこにシンガー自身も気づいていない重大な問題が隠されている。
すなわちシンガーは「生命の神聖性」を否定する一方で
歴史的にはこうした生命の神聖性を中心に生まれてきた
近代の人格概念の問題については全く触れていない。
人は他者的な存在であり
本来看取られるものの生と看取る側の感情の問題を
区別することはできないはずである。
また、人が他者的な存在である以上
「人間と」通常の意味で
コミュニケーションできない動物の権利は
「人間の側から見たときに」存在しないかもしれない。
しかしこうした問題については完全に無視し
「伝統的」な人格概念に固執し、それを適用することで
生と死の問題を語ろうとしており
そのことはこの本の結論が
多くの人にとって違和感を感じられるものである理由と言えるだろう。

しかし、この本の徹底した論理構成は
シンガーが意図しない形で
こうした人格概念の問題についても指摘していると考えられ、
そのことはこの本の議論のレベルの高さを表していると言えるかもしれない。

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生命学はどこまで言うつもりか

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

何が正しいかという倫理学を「正論の倫理学」として批判し
「悪い」と知りつつせざるを得ないという状況を
「とり乱し」として一般化していく。
臓器移植や人工妊娠中絶自体を悪としつつも
当事者の「とり乱し」を
生命学の営みとして肯定していく視点は
奇妙ではあるが斬新である。
こうした「とり乱し」を軸としながら
従来避けられがちだった障害者の問題を正面から扱い
フェミニズム、脳死とつなげていくパースペクティブの広さは
非常に興味深い。

しかし、学問として見たときにどうだろうか。
「とり乱し」を軸に肯定されるものは
親子心中、恋人同士の殺害、金に困っての銀行強盗、
新興宗教による大量殺戮……
とどこまでもエスカレートしていくかもしれない。
これはいわゆる「自然主義的誤謬」と言われる問題であり
「とり乱し」を軸に何かを肯定するという思考が
倫理の問題を扱うときにおかしてはいけない基本的な間違いを
おかしていることを明確に示している。

このような批判に対しておそらく
森岡は「生命学は何が正しく何が正しくないかを決める学問ではない」
と反論するだろう。
たしかに森岡はこうした問題について慎重な書き方をしていて
臓器移植や人工妊娠中絶の是非についても
「私の意見」と断って書いている。
その意味においては確かに森岡は正しい。
しかし、この本を読んだ人のどれだけがそのことに気づいただろうか。
大部分の人が生命学によって臓器移植や人工妊娠中絶が「論理的に」
肯定されたと感じたのではないだろうか。
それは読者の勝手だと森岡は言うかもしれないが
こうした多くの読者の理解をはっきりと否定していない以上
森岡が論理的な問題をレトリックとして隠すという
欺瞞に満ちた構成をとっているという批判は免れないだろう。

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紙の本心はどこにあるのか

2002/06/03 22:54

心に対する不適切なレベルでの議論

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

進化論的アプローチに注目して認知哲学、「心」の問題に挑戦している。
デネットが一貫して問題にしているのは
人間はどうして「動物と異なって」心があるのかという点である。
認知科学の知見と、哲学的な考察によって
全てのものに「志向性」があり
多くの動物に「思考」があるが
人間だけに「心」があるということを主張している。

しかし、論理的にはすきだらけと言わざるをえない。
デネットは人間とそれ以外の動物の
ある種の問題に対する解決能力の差を上げているが
少なくともいくつかの点で最近の霊長類の生態学に
ついての研究成果を無視しているようにも思える。
また仮にそれが問題でなかったとしても
こうした問題解決能力の違いが「心」のありなしを
語る基準となりえるのだろうか。

またこれとは別に哲学的にも問題がある。
つまり、デネットは議論の中で
人間に「心」があることを
自明のものとしてとらえている。
しかし、人間を認識者としてとらえるならば
認識される対象をはじめ
自己言及的に認識される自己の存在も証明することはできない。
他者的に理解される「自己」の概念は
言語哲学の問題であると同時に
現代の認知科学の成果でもあるのだが
デネットはこうした見方を完全に無視しているように思える。

デネットは認知科学と哲学の間の橋渡しについての
啓蒙的な仕事をした人である。
しかしそうした彼の仕事が理論的に行き詰まっていることを
この本が良く表しているのではないだろうか。

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