サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

  1. hontoトップ
  2. レビュー
  3. 健志さんのレビュー一覧

レビューアーランキング
先月(2017年9月)

投稿数順ランキング
先月(2017年9月)

  1. 1

    UP

  2. 2

    UP

  3. 3

    UP

  4. 4

    UP

  5. 5

    UP

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    体が硬い人のための柔軟講座 (NHKテキスト 趣味どきっ!)

    中野 ジェームズ修一 (講師),日本放送協会 (編集),NHK出版 (編集)

    5つ星のうち 4.0 レビュー詳細を見る

健志さんのレビュー一覧

投稿者:健志

5 件中 1 件~ 5 件を表示

国会研究のルネッサンス

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 新制度論の興隆に伴い、アメリカ政治学界では制度の塊ともいえる議会の研究が盛んになっている。日本では従来「国会無能論」が幅をきかしていたため国会における立法過程自体の研究は盛んとはいえなかったが、アメリカの動向に呼応するように日本の政治学界でも近年、国会研究のルネッサンスとも呼ぶべき潮流が生まれている。著者がミシガン大学に提出したPh.D.論文を基にした本書は、その潮流の最先端の研究水準を示すものである。

 まず著者は、辻清明に代表される「官僚支配」論、マイク・モチヅキに代表される「与野党協調」論、ラムゼイヤー=ローゼンブルースに代表される「代理委任」論を、それぞれ「観察主義」であるとして退ける。すなわち、これまでの国会研究は、一方では論争的な立法事例がまれであることから「国会無能論」となり、他方では「国会無能論」が想定するよりも立法は国会で変換されているとして「国会機能論」が反論するという構図で、どれも「見える形」でしか国会をとらえていないのである。このように先行研究を批判したうえで、著者が本書で行っている主張は、議院内閣制という憲法構造に規定された国会は政・官関係を含めた立法過程を多数主義的(多数の意向を反映しやすいこと)に構造化しているということである。具体的にいえば、委員会制と会期制を持つ国会では立法過程において時間の管理が極めて重要になるため、法案の成否が議事運営に集約される。そのため、官僚は国会をスムーズに通過するよう前立法過程の段階で、与野党の選好を法案に反映させる。つまり、国会で実質的にどのような審議をし、法案を修正しているかが重要なのではなく、誰が議事運営権を握っているのかが「見えない形」で立法の生産性に対してきわめて大きな影響を与えているのである。

 本書では上に述べた主張を、「生存分析」や「サンプル・セレクション」といった高度な統計手法を用いて計量的に検証している。戦後の国会に提出された全ての内閣提出法案を分析対象とし、個々の法案の成否や時間といった膨大なデータを与党の議席率や常任委員会の委員長の党派といったデータに絡めて処理するその手さばきは圧巻といってよい。政治学における数理的もしくは計量的手法の重要さを改めて実感させられた。

 しかしながら、本書の分析については疑問がないわけではない。例えば、本書第8章では国会の議事運営と行政的規律の関係が、厚生省の部局再編の前後での「立法危険率」(立法化されやすさの指標)の変化を通して検証されているのだが、部局の再編前よりも再編後の方が立法化されやすくなっていることをもって、与党の政策選好に即した行政組織の再編が行われていると解釈し、多数主義的な議会制度が官僚制を派生的に構造化していると主張するのは幾分飛躍があるのではないだろうか。政治家の選好が政・官の相互作用によって形成されるという立場に立てば、官僚は前立法過程での与党工作の体勢を整備するために部局再編を行い、工作力の強化によって部局再編後に法案が立法されやすくなっていると考えることも可能である。つまり、本書のような統計手法を用いた量的研究では相関関係の強弱を判断することは可能だが、因果関係の方向(この場合、与党の選好に合わせて部局再編したのか、部局再編の結果与党の選好が変ったのか)を知ることは難しい。量的研究の威力は正当に評価すべきだが、政治学における質的研究の存在意義はまだまだありそうである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

日本型民主主義の機能不全

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は著者の「日本型民主主義の機能不全」という問題意識から書かれた現代日本政治分析の研究書である。ここでいう「民主主義の機能不全」とは、有権者の意向が政治に反映されないという状態を指している。この問題意識から、著者は本書において政党公約と政府支出の関係、政治家の合理性、有権者の反応のそれぞれを、膨大な統計データを元に計量分析し、日本の民主主義が機能不全に陥っていることを実証的に明らかにしている。そして氏は、民主主義の理想を「政党や候補者が提示した公約を判断して有権者が投票行動を決定し、その結果、選出された政治家が国会で有権者の民意に基づいて政策を決定する」と定めたうえで、「定数自動決定式比例代表制」などの政策提言を行って本書を閉じる。

 小林氏の本書のような試みの背景には、政治学は現実の政治を良くすることにつながらなければ学問としての使命を果たすことにはならないという信念がある。そして、そのために氏が政治学に与える課題は、第一に「どのような政治が理想であるのか」を明らかにすること、第二に「現実の政治がどのような状態にあるのか」を明らかにすること、そして第三に「現実の状態を理想に近づけるための方策」を示すこと、の三つである。そして本書で氏は、先に触れたように、第一の「当為」をはっきりと打ち出し、統計手法を用いて第二の「事実」を明確にし、さらに「当為」と「事実」のギャップを埋める第三の「手段」を実践的に明らかにしている。それは没価値とは区別される「価値自由」に適った試みであり、賞賛に値するといえよう。

 しかしながら、小林氏のいう民主主義の理想は本当に「理想」に値するのだろうか。比例代表制によって有権者の選好をなるべく直接反映した議席が国会にもたらされ、選挙の際に約束した公約や予算案で国を運営することが民主主義なのだろうか。そこでは、(小選挙区制よりましとはいえ)やはり51%の多数派の国民の利害が押し通り、少数派の利害は政治に反映されないということにかわりはない。つまり、小林氏の民主主義の観念では「コミュニケーション」という問題が閉ざされるのである。それゆえ、氏の「理想」に対して合理的な政策提言が実際に政治を良くするかどうかは分からない。

 このように、小林氏が政治学に与えた第一の課題は「当為」を扱うだけに結論はなかなかでないだろう。それゆえ、どれだけ第二と第三の課題に対する回答が見事でも、その研究が現実の政治を良くする保障はない。だが、没価値に陥らずに自分の研究の実践的意義を世に打ち出すというのは勇気のある行動であり、このような研究が学問の世界に蛸壺化した政治学を開いていくことになるのだろう。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本女性労働と企業社会

2004/01/12 14:23

新しい日本の階層構造

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 10年近く前、石田ひかり主演で「悪女(ワル)」(原作は少女コミック)というドラマが放映されていたことを覚えている方はいるだろうか? 商社を舞台にしたこのドラマの中で主人公達は、女性が「仕事と家庭の両立」に悩まなくても良い働き方を実現するとして、「レディースシンクタンク」なる派遣会社を立ち上げる。そして、主人公は男尊女卑の悪役上司(岸辺一徳だった)とぶつかって会社を辞め、最終的にはその会社の派遣社員として活躍していくことを暗示してドラマは幕を閉じていた。そこでは、「派遣」という新しい雇用形態がポジティブにとらえられていた。

 ところが、それから十年経ってみると、企業では一般職が消え、派遣社員に取って代わられつつある。すなわち、現在の日本では、「男は仕事、女は家庭」という性別分業から、「男は正社員、女は非正社員」という新しい性別分業が形成されている。そして、正社員と非正社員との間の賃金および<仕事のやりがい>の格差は著しいため、ジェンダー構造が階層構造に転化する新たな階層構造が成立しつつあるのである。

 本書はこのジェンダー構造と職種間格差の関係を、豊富なデータや現場の女性の声を用いて明らかにし、その解決策を提言している。著者の提言は経済界や一部の「成功した女性」のいう「性別格差に関係ない競争条件の整備」では決してない。著者が前著「能力主義と企業社会」で示したように、日本企業における<能力>とは「生活態度としての能力」だからである。いいかえれば、長時間残業でき、いつでも転勤できるという、全生活を仕事に捧げられるという面が評価されるからである。このような条件の下では女性はそもそも不利であり(男性が仕事に没頭できるのは家庭での女性の非賃金労働に依存する面が多いのだが)、機会の均等から結果の不平等が正当化されかねない。著者はこの「会社への全人格的奉仕」を改め、今後競争から脱落した男性も含めて、男女ともに働きやすい労働条件を確保することを求め、その役割を労働組合に期待するのである。

 評者にとってもこの結論は妥当のように感じられたが、幾つかの成功事例をもってただ組合に期待というのはナイーヴに過ぎる。組合の組織率が低下するなかで、組合が本来の機能を回復する制度的条件にまで踏み込んで議論をして欲しかった。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

日本政治の90年代における制度変動を鮮やかに析出

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本書は、金融ビッグバンがなぜ実現したのか、そして日本政治は90年代に変化したのかという問いに答える政治経済学研究である。結論をいうと、政権交代とスキャンダルという「組織存続の危機」に直面した自民党と大蔵省は、それまでの政・官・業による利益集団政治を公益政治に変化させ、公衆の支持を求めて金融ビッグバンを実現させたということである。著者によれば、従来の「仕切られた多元主義」と「護送船団方式」という<制度>は1995年以降確実に変化した。そして、本書の主眼はそのような制度変革における「公衆の支持」というファクターの重要性に置かれている。すなわち、アクターの選好は階層的であって、「組織存続の危機」に直面するときには、その最も根本にある選好である組織存続を求めて公益を重視するのである。それゆえ、金融ビッグバンで大蔵省は金融業に対する裁量権を失うにもかかわらず、その政策を推進したのである。

 本書は明確な分析枠組みに基づく政策過程研究なのだが、読んでいて二つの疑問が生じた。まず第一に、「公益とは何か」ということである。著者によれば、それは必ずしも「客観的な」国民の利益を意味しない。なぜなら、長期間にわたる政策の効果を予測することは困難だからだ。そこで「公益」とは「公衆の支持する政策」ということになる。だが、金融ビッグバンでは、本文中にあるように、その政策について知っていてさらに支持していた国民は九分の一にしか過ぎなかった。にもかかわらず、自民党が金融ビッグバンを実現しなければ選挙で戦えないとしたのは、それに消極的であればマスメディアにネガティブキャンペーンを張られ、積極的な野党に負けるからではなかったか。つまり、「公衆の支持」とはマスメディアからの支持を意味し、「公益政治」にかわったというよりも「マスコミ政治」が強くなったということではないだろうか。

 第二に、なぜ大蔵省は「公衆の支持」を志向したといえるのだろうか。国会議員は「公衆の支持」を失えば再選できないゆえに、これに行動を規定されるということは理解できる。だが、官僚は「公衆の支持」を失ったとしても、それが即座に「組織存亡の危機」を意味するわけではない。本書では何度も政治家のみならず官僚も「公衆の支持」を必要とすると繰り返されるのであるが、それがなぜなのか説得的なかたちでは示されていない。これは恐らく大蔵官僚としての著者の実感に属する部分であって、必ずしも理論化できる部分ではないのかもしれない。

 上で触れたが、著者は大蔵官僚であり、本書はスタンフォード大学留学時に執筆され同大学に提出された博士論文の全訳である。著者は博士号取得後大蔵省に復職し、2001年6月に28歳という若さで白血病のため亡くなった。ご冥福をお祈りする。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

これが「本来の政治学」なの?

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 公共哲学ネットワークを主催する小林正弥氏が助手論文を改訂してまとめた本。著者の壮大な構想の序論的性質のものらしい。

 内容は、現在の日本政治学会の主流になりつつあるアメリカの政治科学に影響を受けた日本政治研究(とりわけ日本型多元主義論者)批判と、クライアンテリズム論の紹介が主である。小林氏の目論見は、西欧近代に対する日本の後進性を問題にした丸山ら戦後政治学の問題意識を、クライアンテリズムという形で現代に復権させ、公共哲学としての政治学を構築するということ。そこから、「古層論」を展開した中・後期丸山とレヴィストロースの構造主義を結びつけ、それを「新構造主義」として止揚するらしい(詳しくは続稿でということなのでその妥当性は論評しようがない)。

 本書を読んだものが抱くであろう感想は、議論が誇大妄想的であることだろう。本書では、クライアンテリズム論の先行研究を詳細に紹介した後、著者自身の理論の展開が始まるのであるが、自らの説に対しては「真の哲学」「本来の政治学」「真構造主義」等、従来の研究に対しては「たんなる政治学」「反構造主義」等と、そこで用いられる言葉が善悪二元論的である。そして、舌鋒鋭く(明示的ではないが)レヴァイアサン学派を批判する割りには(否、それゆえというべきか)、結局は実際の日本政治分析に資するところがない。ただ、観念的な理論展開のみであり、クライアンテリズムこそが何故「本来の政治学」の名に値するのかはさっぱり分からなかった。

 私には本書がまるで宗派論争の書物のように思えてしまった。「諸学の王」たる壮大な政治学の体系の構築を目指すよりも、論理実証主義にもとづいて一歩一歩学問の発展を目指そうとするレヴァイサン学派のほうが建設的な試みではないか?

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

5 件中 1 件~ 5 件を表示