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とりふねさんのレビュー一覧

投稿者:とりふね

6 件中 1 件~ 6 件を表示

紙の本忘れられた日本人

2004/08/15 10:38

滋味に富む食事のような。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

友人に強く奨められて読む。
さすが
私の好きな岩波文庫第7位にランクされるだけのことはある。
圧倒的な「書物」としての存在感。

土佐の山中の乞食小屋に住む盲目の元ばくろうが語った
「土佐源氏」の女性とのマグワイの数々もすごいが、
(映画にしたらおもしろいだろうな)
わたしがとても強くひきつけられたのは
冒頭「対馬にて」の「寄り合い」の方法だ。

今のわれわれの国や組織の物事の決め方とは劇的に違っていて
それは感動的といってもいいほどだった。

もちろん小さな共同体だから可能な方法だとも言えるのだろうが、
一見雑談のようなその話し合いは、大勢の人間が何日も時間をかけて行う。
協議は区長と地域組とのあいだをなんども往復し、
時々に議題はうつりゆき、また元に戻り、
多くの人がそれに関わる過去の体験を持ちより、
やがてゆっくりとひとつの結論に収斂してゆく。

強引な結論は決定後の齟齬を生む。
小さな共同体においてそれは致命的なことだ。
(国家や地球規模で言っても実はそれは致命的なはずだ。
ただその齟齬をないものとして次に進んでゆくだけなのだ。)
対馬の人々が自然にとってきた賢明な方法から
「場のはたらき」ということを考え、
「時が熟す」ということばを思った。
また、「時が熟す」のにじっと寄り添って、
そこに隠された哲学とも呼ぶべきものを
ていねいに拾い上げた著者の精神の深さを感じた。

素朴な食材だが滋味に富む食事を味わっていただいたような読後感である。

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紙の本網野善彦を継ぐ。

2004/07/02 23:17

人は生きて死ぬ。そして継ぐものがいる。

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

だいぶん前に網野氏が病床にあると聞いた。
一読者として気にかかっていた。

近くにいる人から網野氏の悪評を聞いた。
彼は阿部謹也氏の方法をそっくりいただいて云々…。
えげつないやつだ云々…。

学問の世界のどろどろはシロートにはわからない。
今まで彼の文章を読んだ感じからも
何年も前、北海道で網野氏の講演を聴いたときの印象を思い返してみても
その悪評はわたしにはしっくりこなかった。

中沢赤坂両氏の対談は、
その悪評がやはりまちがったものだと思わせてくれた。
少なくともそこで語る二人の人間の言葉には
故人への人としての敬慕や愛があり、
その仕事への尊敬と、
それを何らかの形で継ごうとする純粋な
(あるいはちょっと悲壮な、でも幸福な)使命感があった。
それぞれが徒党を組まず「ひとり」の道を進んでいる二人が
これほどの気持ちを言葉にせずにはいられない、
「その人」が「えげつない」人だなんてことがあるだろうか…。

地下鉄の読書で対談の終わりにさしかかったわたしは
不覚にも泣いてしまったのだ。

人間が生きて仕事をすること、それを誰かが継ごうとすること。
そのことに魂が反応したのだ。

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紙の本オイスター・ボーイの憂鬱な死

2003/08/26 23:00

見捨てられた、惨めな、そして透明な

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ジョニー・ディップ主演の「シザーハンズ」では、創造主である博士の急死で、ぬくもりのある人間の「手」をもらいそこね、触ったものすべてを傷つけてしまう鋏の手(シザーハンズ)を持った男の子が、古い城から人間たちの住む町におりてきて、一度は受け入れられたものの、その「異形」ゆえ、愛するものまで傷つける結果となり、再びたった独りの世界に帰っていった。奇妙で、グロテスクで、やがて水のように悲しいティム・バートンの世界。

すっかり有名になった「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」は、ハロウィンタウンのかぼちゃの王ジャックが、自分は見たことのない、「クリスマス」を自分の手でつくろうと、やっきになるお話。邪悪なものである彼の手にかかると、美しいはずのクリスマスは、どんどんおそろしいものになってゆく。

さて、「オイスターボーイの憂鬱な死」の目次をのぞくだけでも、わたしたちは、バートンの眼、または愛と呼んでもいいものがどこに向けられているかを知ることができる。

スティック・ボーイとマッチ・ガールの恋/ロボット・ボーイ/じーっと見つめる女の子/両眼に釘がささった男の子/たくさん眼のある女の子/ステイン・ボーイ/オイスター・ボーイの憂鬱な死/ヴードゥー・ガール/ステイン・ボーイの特別なクリスマス/ベッドに変身した女の子/有毒少年ロイ/ジェームズ/スティック・ボーイのクリスマス/まんまるチーズ坊や/ミイラ少年/ガラクタ・ガール/針やま女王/メロンヘッド/スー/ジミー、みにくいペンギンのこ/黒焦げ少年/いかりの赤ん坊/オイスター・ボーイのおでかけ

ああ、なんだか…書いているうちにお腹のあたりが苦しくなってきた。

こんなもの、子どもに読ませてはいけない。でも、待てよ。そもそも子どもとは、そんなに美しくて当然のように幸せなものでもないのだ。この世に生まれさせられた子どもはみな、すでに<捨て子>だ。

マッチ・ガールを愛したスティック・ボーイはほんとに燃えてしまい、ロボット・ボーイの頭からはワイヤーやチューブが突き出ていて、親であるスミス夫妻は彼ゆえに口論が絶えず、彼はごみ箱とまちがえられながら、成長していく。ステイン・ボーイの唯一の特技は汚いしみを残すこと。オイスター・ボーイは生臭くて、親にはまともな名で呼んでもらえない。ヴードゥー・ガールは、人が近づきすぎるとピンがハートを深く突きさす。それが絶対に解けない呪いだと、彼女は知っている。有毒少年ロイは排気ガスならよいけれど、きれいな空気で死んでしまう。黒焦げ少年はクリスマスに小さなプレゼントをもらって混乱し、暖炉のすすと間違えられて、道に掃き出された。………。DESERTED。

かわいそう、と言うことばではうまく処理できない。そんなにかんたんに対象化してしまえない存在がそこにある。見捨てられて、徹底的に惨めなものたちは、それでもたしかに(あるいは惨めであればあるほどたしかに)生きている。そして彼らが自分と遠くかけ離れているとは、どうも思えない。これこそが<存在>そのもののあらわな形なのだ。

バートンが、あのようなものばかりを、いとおしむように繰り返し描く気持ちが、そのまますーっとこちらに入ってくる。酷薄で美しい細い線。淡いけれど強い色。暗紅色の血と、深く、どす黒く、闇をかかえこんだ、<しみ>や<すす>。…うーん、やはり子どもには読ませられない。それと、やたら傷つきやすい人にもね。

映画「バットマン」のペンギンが大好きだった人は、もちろん必読である。

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ラストの禁じ手が強烈です。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

かたい文章の背後に人がらのようなもの(とてもいい人!!)が見えるので
この先生の書いたものに興味がある。
本書は1994刊と古いが、今の世界とわたしの現実にいちいちあてはまり、
(わたしには難しいところもあるが)面白く読んだ。
講義がもとになっているらしく、同じ著者の
「交易する人間」より平明。できのよい教科書的な読みやすさだ。

著者は1968「プラハの春」「パリの五月」により
第二近代は終焉を宣告され、第三近代への過渡期に入ったと言う。

わたしの個人的な文脈から笑うほどおもしろかったのが下記。
 
 けれども宣告は宣告でしかなく、
 我々の現実はまさに第二近代の最先端になっている。
 過渡期とは、前時代の勢力が絶頂に達する時期でもあるのだ。

思わず膝を打ってしまいました。
もちろん、例のニューヨークのテロを中心とする
世界や日本の現状にも、なのだが
現在わたしを息苦しくしている
仕事場の現実にあまりにもフィットするので。
なるほど、あれは第二近代の権化であったか。
そう言われると、
息苦しさにネガティヴに反応しているだけの段階から
次の段階にすっと移行できるような気がするから不思議だ。
哲学者の先生はえらい。
マクロもミクロもぴたりとあてる。
よくあたる占い師みたい。
今村先生にファンレターを書いてみたい。
先鋭化した第二近代について語るため、
仕事場のお友達にもついこの本をすすめてしまったことです。

著者の示す近代の特徴。

 「正確さ」というものに病的に取りつかれた時代。
 「企て」中心の方法主義。体系主義。純粋主義。
 直線時間。
 「未来」を先取りし、現在に取り込む「進歩」の理念。
 自然を、すべてを機械(メカニズム)としてとらえる態度。
 非人間を人間から差別し排除する構造。

それをのりこえるために著者は、
あいまいさを代価として支払い
エッセー的スタイルの思考をすることを提案する。

第五章 「排除」と「差別」の構造を超えて は
本書の中でもわたしにはもっともわかりやすかった。
目新しい考え方ではない。
どちらかと言えば、
昔からそれはわかってるよ、
というようなことがまとめられている。
自分が感じ、考えていたことが
間違いではなかったのだな、と確認する。

ただ、おおっと思ったのがラスト。
示した問題に対して
今村先生はどういう解決法をしめすのかなぁと、
興味シンシンで読み進めていくと、
「えーっ、それを言っちゃぁ反則じゃっ!?」
いや、否定するわけではないんですが…。

 人間中心主義は人間/非人間の切断線を立てるところには
 いつでも発生する。
 排除と差別の根絶への期待は絶望的だが、
 絶望的だと判断することが、まずは出発点になる。
 その判断については古来欺きの言説が多すぎたし、今もそうである。
 欺きのイデオロギーの正体をつきとめて、
 欺くことに加担しないことが必要だ。
 正義は、常に人間ではなく非人間のほうにある。
 差別と排除のメカニズムをのりこえるためには
 自分の中の「異者」に気づき、
 自ら「異者になること」だけがとるべき道である。

って、ねぇ。
そのようなカードをきっちゃってよいのでしょうか??
そりゃ、もう、宗教じゃないの…。でもいい人だ…。

注 わたしは、とくにいじめられっこではありません。
  どっちかというと潜在的にはいじめっこかな…。

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紙の本ミオよわたしのミオ

2003/08/13 10:04

幸福のかげの孤独

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ピッピの印象をもって読むと全く別な世界に驚く。
主人公のボッセ(ミオ)は孤児。
ピッピも、しかしほとんど孤児ではあった。父はいたが。ポジティブな孤児。

この物語の語りはつぶやくような一人称。ボッセが孤児である自分の身の上を語る時、そこには必要以上の嘆きはこめられないのだが、それがかえって淋しいあきらめのようなものを感じさせる。

ボッセは自分のよるべなさを、身体の芯で意識している。子どもというものは(あるいは人間というものは)、たとえ父母がそろっていて、あたたかなあかりの下にいても、根源的にこのような感覚をもっているものなのではないか。そのために、この本を読んだわたしたちは、ここで、ボッセの哀しみをボッセに寄り添うて哀しむ。

公園でビールびんの中にいた魔神を救い出したボッセは、魔神の「わたしは『はるかな国から来た』という言葉に、「そこにいけなかったらとても生きてはいられない」「だれかがそこでぼくを待っている」という思いにかられる。人が生きていくために絶対に必要なものが苦しいくらいに表現されている。魔神は金のリンゴを見て、その人と知り、ボッセをはるかな国の王さまのもとへいざなう。バラやユリの咲く美しいはるかな国で王さまと会ったボッセは、見たとたんにそれが自分のおとうさんだとさとる。

父王の「ミオよわたしのミオ」という呼びかけは、彼の存在をまるごと認め、つつんでくれる言葉であったのだろう。大きな愛情と幸福と安心がこの言葉に集約される。けれどもどこか哀しい。この言葉の幸福のかげにも、大きな哀しみ、魂の孤独が感じられてしまうのだ。

物語をたどっていくと、どこかできいたことがある話のような気がする。ファンタジーにはよくある展開かもしれないが、キリストの物語に重なるのだ。愛する息子の犠牲を求める圧倒的な父の存在。リンドグレーンの他の作品にキリスト教的な要素があるのか、読んだことが無いのでわからないが、少なくともこの作品では、それが物語の根幹に関わるものとなっているようだ。

騎士カトーを倒すまでの道行きは、闇と死の匂いと恐怖に満ちたものだ。ミオとユムユムがわたしたちに示すのは、勇敢さよりはむしろ、不安、おびえ、後悔、絶望といったもののほうが大きい。黒いスパイたちが近づいたとき、ユムユムとはぐれたとき、死の湖の荒波におそわれたとき…。

「木がこんなにびっしり生えていなければいいのに。」「闇夜がこんなにまっ黒でなければな。それに、ぼくらがこんなに小さくて、ふたりきりでなければいいのに…。」
「死ぬのがこんなに、こんなにつらくなければな。それに、ぼくらがこんなに小さくて、ふたりきりでなければいいのにな。」

繰り返される表現に、そうだ、生きてゆくことはこのように苦しいことなのだと、確認させられる。もちろんミオは、最後には騎士カトーを倒し、おとうさんの王さまに迎えられ幸福に暮らすのだが、それよりも生きてゆく苦しみや哀しみがみごとに描き出されているところにリアリティを感じて、わたしはこの物語にひかれるのだ。

いくどとなく繰り返される
「ミオよ わたしのミオ」の響きがうつくしい。
静かながら心ひかれる作品。

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紙の本サンタクロースの秘密

2003/08/08 11:32

結論はなぜか「萩尾望都ってすごい」

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レヴィ=ストロースの
「火あぶりにされたサンタクロース」中沢訳 と
中沢の「幸福の贈与」が入っている。読みやすくてかわいい本。
題名だけ見ると、講談社新書あたりの
サンタクロースに纏わる伝説や歴史や風俗を楽しくまとめた本みたい。
でもなかみはちょとちがう。
サンタクロースの原型「鞭打ちじいさん」の図版がコワイ。

1951、フランスでカトリックの司祭らが
サンタクロースを火あぶりにした事件の文明史的な意味。
彼らの行為が彼らの立場からいうと妥当なものだったこと。
しかし、結果は皮肉なものになったこと。

サンタクロース儀礼の元々のすがた。
子どもへの贈与は死者への贈与ということ。
偽王。

中沢の文章のさいごの
レヴィ=ストロースの構文による
「クリスマス・キャロル」の読み解きがきもちよくおもしろい。

この本を読みながら
わたしは萩尾望都の「偽王」という掌編(すごく昔)を思い出した。
とても好きだった作品。
そしてあらためて萩尾望都ってすごいなーと思った。

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