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yuyuoyajiさんのレビュー一覧

投稿者:yuyuoyaji

12 件中 1 件~ 12 件を表示

日本語と中国語

2006/06/18 21:54

日中すれ違いの理由

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本文の冒頭ではなにかにつけて挨拶好きの日本人がとりあげられているが、その挨拶ということばに中国人は「酷刑」をイメージするという指摘には驚かされる。また、「どうも」「すみません」を連発する日本映画の台詞を中国語に翻訳すると「対不起」とあやまるシーンばかりの映画ができあがってしまう。このすみません現象については、筆者の口癖になってしまい奥方に「なぜ、そんなに謝ってばかりいるの」いわれたというエピソードも記されている。このように随所にユーモアがちりばめられており、読みやすい文章になっている。
同じ漢字文化をもつだけに、意味が違う点を無視して不用意な用い方をすることがある。その一例として、小泉首相が「抗日戦争記念館」を訪問したとき「忠恕」と揮毫した例が挙げられている(これは小泉首相のメルマガにも紹介されている)。中国人にとって忠は誰にたいする忠であり誰が恕(ゆる)すのかが大問題であり、あるときは自分の属する国家や為政者への忠誠心であり、文化革命時には毛沢東への忠誠心が求められた。それゆえにこそ細心の配慮をすべき場であるにもかかわらず、不用意にこのことばを揮毫する首相(ひいてはそれを提案したであろう外務官僚)との”些細な行き違いをなくして相互理解の増進を図る”べきだと、冷静に注意を喚起する。
へりくだる日本人とお願いする場合にも平気で「要求」や「謝絶」ということばをつかって横柄に見える中国人という指摘は、外交面でおおいに配慮してほしいところである。へりくだりすぎたと思い直して「個人の内面のこと」だと居直って外交を放棄するひとと、侵略戦争についての謝罪を求め続ける中国とのあいだに架ける橋はこのようなことば—文化のちがいと共通点の認識を前提に築かれるべきであろう。
日本ではカタカナという便利な文字があるばかりに外来語のオンパレード、とくに高齢者に密接な福祉関係に多い現状についても苦言を呈している。そのうえ縮み志向がくわわってさらにわかりにくくなっているのだ。カタカナという便利な文字をもたない中国語では音と意味をどうじに表現する訳語に苦労しているという。そしてITとグローバル化に対応すべく、アルファベットも用いざるをえなくなっているらしい。ちなみに文中の「ファーストフード」は「ファストフード」が原語にちかいのではないだろうか。
いっぽう自国でかつて文化大革命時の「走資派」や毛沢東への最大級の賛辞である「最最最偉大」などがその異常さゆえに死語になっている事実も指摘されている。
食文化についても多くのページがさかれており、煮るという日本語にたいして、中国語ではゆっくり煮る「燉」、それ以外にもとろ火で煮るのと長時間煮るという意味の漢字がそれぞれにあてられている。これは徹底的に手を加える中国料理と素材を活かす日本料理との対比がこのことばの差としてあらわれているのだろう。中国でも遺伝子組換え食品には表示義務が課せられており、白色汚染(ビニール公害)についても述べられているが、中国からの野菜輸入で薬害が憂慮されている事実などとの関連付けがほしいところである。もっとも、国務院に属する新華社通信に籍をおき、政府要人の通訳をつとめた著者に中華人民共和国へのストレートな批判的な意見を望むことは無理なことかもしれない。
筆者は日本に親しみを感じる中国人が減り、中国に親しみを感じる日本人が激減している現状を気にかけてこの書をものした。一方的に要求するだけでなく冷静に共通点と相違点を観察し、相互理解の深化をこころみる中国人のいることは、アジアのなかの日本を重視したい日本人を勇気付けてくれる。

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紙の本対称性人類学

2004/08/22 17:22

野生の思考としての仏教再生

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『カイエ・ソバージュ』1巻で神話の誕生と伝承における環太平洋という枠組みと現生人類という壮大な装置に評者は惹かれ、5巻にたどりついた。「第三次の形而上学革命」をめざして、レヴィ=ストロースを下敷きに、精神科医ブランコ、南方熊楠、数学者ロビンソン、バタイユ、ハイデッガー、フロイト、とさまざまな領域の思考に焦点があてられる。その思考の向かう先はとうぜん4巻までであきらかにされたように、分析的・アリストテレス的論理ではなく対称性の論理につらぬかれていなければならない。第二次形而上学である「一神教型」資本主義がもたらしているグローバリズムに立ち向かうことのできるのは仏教の思想である。ここでいう仏教とは「無意識=流動的知性の本質をなす対称性の論理に磨きをかけて、その可能性を極限まで追求した思想にほかならない」。それは宗教としての仏教ではなく、「これから生み出そうとしている新しい対称性の知性のもっともすぐれた先行者」としての仏教である。

著者は無意識に言及するにさいして、フロイトにくらべて「普遍的無意識」を説くユングについて触れることが少ない。仏性と無意識の共通性に注目するのであれば、自我を脅かす存在としての無意識をとりあげたフロイトよりも、人格の発生源として無意識を提示するユングをとりあげるほうが適切ではないだろうか。さらに、「無意識をとおして人間の『心』は自然に、そして宇宙につながっている」のだから、ユングの普遍的無意識にこそ親和力がはたらいてよいと考えられる。

ユングといえば、ユング派精神分析の第一人者河合隼雄の『ユング心理学と仏教』もまた、個人的・全人類的な問題の解決方法として仏教を提示していたことを想起させる。創作ファンタジーや昔話の分析に豊富な実績をもつ河合と地球規模の神話に焦点をあてる中沢というちがいはあっても、仏教への迫り方は似ている。もちろんアリストテレス的な論理にたいする見方も中沢が対称性論理を優位に置くのにたいして、河合が分析的論理への批判を限定的におこなっているというちがいはある。また一神教型の資本主義の原理を鋭く強烈に批判する中沢にくらべて、河合のばあいは経済についての考察は対象外であるといえる。中沢においては「人間の営む現象」だけでなく「科学的思考も、無意識の領域で直観的につかみだされたアイディアを、非対称の論理に『翻訳』することによって、飛躍を重ねてきた」。ハイゼンベルクが量子力学を発見したのも、ガロアが群論において「異質なレベルのあいだで、対称性をもったまま、ひとつの全体運動がおこなわれている様子」を見出したのもそのような位置付けのなかで展開される。

華麗な文体でラディカルな思考をくりひろげる中沢と中庸を行く河合との相違点はいわば、これまでの各々の「縁起」によってもたらされるちがいであるが、いずれも仏教の論理・智恵に個人と人類のかかえる問題解決の指針をもとめるという重要な接点をもつ。かつて『雪片曲線論』で密教による心の解放を追求した著者が大乗仏教に向かうのはある意味必然であろうが、初期の体験と思考に磨きをかけ、東西の華麗な宝石をちりばめて壮大な思考の輝きをわれわれにしめしてくれた。多神教の伝統をたもってきた日本の宗教的社会に希望を見出すべきだという主張とともに、思想としての仏教に惹かれる者にとっては、あたらしい視点から仏教への関心が鼓舞される書である。仏教についてのさらに深化した書が待たれる。

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紙の本人類最古の哲学

2004/06/07 15:40

人類最古の哲学

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


著者によれば、人類最古の哲学としての神話は新石器時代に根ざしている。ここでもちいられる「神話」とは民話をふくみ、神話学や民俗学、民族学の枠をこえた領域を占めている。著述の大半を占めるシンデレラ物語も民話としてではなく、3万数千年まえから伝承され変形されてきた神話としてとりあげられている。というよりも、脈々とうけつがれてきた世界観から民話と神話という従来の枠をとりはらって、原初のかたちにそって考察をすすめている。
 南方熊楠がはじめて紹介した世界最古の中国のシンデレラ物語が死と水の領域に深い関わりをもつのとどうよう、グリムのシンデレラ物語も妖精の仲介によってもっとも高いものともっとも低いものを結びつける。自己変形のプロセスが大規模かつ執拗にくりかえされ、中国からポルトガル、スペイン、インドネシアへとうけつがれるなかでも、ヘーゼルの小枝や豆、カマドは死者の世界と生者を媒介するもの、あるいは自然状態から文化への大転回を仲介するものとして物語の中核として据えられてきた。北米インディアンのミクマク族はペロー版が現世のしあわせに限定してその価値をおとしめているのを変形して、仲介機能を発見しようとパロディに生き返らせている。
 このように神話とは、大きな矛盾をかかえながら進行する文化にとって論理や構造をとりだすだけでなく、具体性の世界との関わりのなかにのみ価値をもつ。幻覚を利用してきた宗教(オウム?)の側にのみこまれず、材料は現実の社会構造、環境、自然の状態からとりだすのが神話なのだ。著者の言外の主張を推測すれば、ここにこそ、大国主義に汚染され蹂躙されている現代の世界にとって神話復活を意図する意味がある。
 民話や神話に関心をもつ者にとって、その源流は朝鮮や内陸アジア、さらにはインドネシアなどにもとめられることが多かった。あるひとは海上の道に祖先のすがたをおもいうかべ、あるひとは騎馬民族をおもいえがいてきた。著者はレヴィ=ストロースを媒介にすることによって、環太平洋という枠組みを析出し、新石器時代に形而上学の革命を指摘する雄大な構想をえがこうとしている。民族学や民俗学の壁をとりはらって源流への旅立ちをうながす書である。

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紙の本愛と経済のロゴス

2004/06/19 11:30

よりヴィヴィッドな考察を

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

寡聞な評者にとって、中沢新一は宗教学の人であって経済を論じる人ではなかった。しかし、経済を「暗い生命の動きにまで奥深く根を下ろしたひとつの『全体性』をそなえた現象」として捉え、その考察の跡をたどるときその違和感は薄められた。(『緑の資本論』の著書もある。)

著者によれば、経済の全体性を見ると「交換と贈与と純粋贈与という3つの『体制』がしっかりとひとつに結びあって」いる。交換においては等価交換が原則になっており、贈与ではモノを媒介にして人と人、集団と集団との間を人格的ななにかが移動している。インディアンの有名なポトラッチに見られるように、たくさんの贈り物をされた者はお返しをしないと霊力の流動が滞ってしまうのを怖れて、自分も気前のよい贈り物をしないといけないと考える。この贈与のサイクルからはずれた原理が純粋贈与である。新石器時代人はラスコーやショーベの洞窟で動物を壁面に描き、そのまえで儀式をおこなうことによって動物の増殖を祈った。「洞窟という空間自体が純粋贈与の原理と現実の交点を意味している」。 国家が発生し「貨幣形態に変態をとげた富は、富を生む源泉を社会の内部に持ち込んでしまう」 。これは『熊から王へ』のなかで王の発生が自然の人間化であることが指摘されたように、「社会の『外』にあったものなのにいっさいを人間化してしまう能力をもつ」。
対称的世界から非対称的社会への転換は、『カイエ・ソバージュ 1、2巻』において著者が説いてきたところであるが、ここでもおなじ原理がつらぬかれている。人類が狂牛病などのむくいを受けたのは自然を「あらわにあば」いてきたけっかであり、交換から贈与の原理による全体性にたちもどってあたらしい経済学を樹立していかなければならない。
著者も指摘するように、「経済の合理性を支えているのは、贈与や純粋贈与のような不確実性をはらんだ活動を動かしている人間精神のぶ厚い地層である」。げんざいでは農業でさえも濃やかな愛をそそいで大地に増殖をうながすよりも、化学肥料をばらまき除草剤で手間をはぶいて果実を文字通り搾取せざるをえない。

いっぽう視点をかえて贈与や純粋贈与を現代的な活動のなかでかんがえるとき、ボランティアについての考察をのがすことはできない。とくに福祉の分野での贈与としてのボランティアや有償ボランティア等との関連のなかで、「人格的ななにか」が流動する意味についての考察をしめしてほしいところである。文献からはなれて現実の社会のなかでの経済活動について、その根源的な意味付けを望みたい。本書の冒頭ですこしふれられているが、本論のなかでそれについて詳細な哲学が展開されていればもっとヴィヴィッドな「愛と経済の」哲学になっていたのではないだろうか。

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紙の本熊から王へ

2004/06/15 15:24

王の発生

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カイエ・ソバージュの第2巻。1巻ではシンデレラ物語の分析をとおして、神話が新石器時代から生きつづけてきた事実を解明してきた。本書では、神話的社会の内部から王がどのようにして誕生したのかが、モンゴロイドのケースをメインにのべられている。

第1に新石器時代の人類がニューロン組織の進化によって、豊かな比喩をもちいてちがう分野の結合ができるようになり、さらに新しい意味をになったことばを創造できるようになった。神話の誕生である。神話をかたるにさいして生物学的な神経組織を提示するところに著者の独自性がしめされている。

第2に神話的思考の本質はいまある秩序はかりそめのものという能力をもっている点にある。自然界では動物も人間もおなじような権利をもって地球を生きている。ここでいう自然とは即自的な自然ではなく、熊が人間になり人間が熊になれる対称性の世界における自然である。この自然と文化との対称性が本書の基調音をかなでている。

第3に神話的世界をいっぽうにふくみながら世俗的な季節を指導し、安全と平和を確保するのが首長である。それに反して、理性を超越した領域のリーダーがシャーマンであり、戦士や祭りの中心的存在となる秘密結社のリーダーである。権力はこれら理性を超越するものとして自然の領域に存在していた。縄文人や北米インディアンなどのモンゴロイドのなかでは、首長は文化の領域での調停者として機能し、権力者としての王をいただくという考え方は存在しなかった。文化の原理と人間の能力の限界をこえた自然のうちにある力とが合体するところに王が発生する。したがって、モンゴロイドが対称性の原理をもちつづけるかぎり王は発生しなかった。ここで王をいただくことを待望しつづけたイスラエルの民との比較がなされれば、より明確に特徴をしめすことができたかもしれない。

第4にこのようにして発生した王は、自然と文化という対称性を逸脱した文明の支配者となる。9.11以降巨大国家が「文明」にたいする「野蛮」との戦いをよびかけているが、野蛮を生んだのが文明なのだからそれは無意味である。首長の統括する社会では不必要な虐殺などはおこりえなかった。

第5に現代の大きな課題である文明と野蛮の対立を解消するには、自然のうちにあるべき権力を本来の場所に返さなければならない。人間がもってしまった権力を容赦なく食べ尽くし無化する力は、宗教とくに仏教の空概念にある。人間も他の動物もおなじ生きる権利をもつと考える仏教にしてはじめて、国家以前の人間の生き方を指し示し社会から野蛮を排除する道を照らすことができる。

本書は大学の講義をまとめ2002年6月に発行されたものであり、講義のスタートとほとんどどうじに9.11が起こった。野蛮と文明との対立がきわめてヴィヴィッドな課題としてつきつけられ、神話的思考の内部から発生する必然性をさらに重くしている。カビのはえていた神話に新鮮なひかりを当てた書である。『(徹底討議)世界の神話をどう読むか』(大林太良+吉田敦彦)と併読するとさらにアジアやギリシャにも視野をひろげることができ、より緻密で多面的な思考にいざなってくれる。

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従来の学説をまとめ、自閉症の娘をもつ実践をも踏まえた入門書であり、実践的概論書。

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の説く「自閉症スペクトル」は、カナーの命名した自閉症とアスペルガーのあげた「アスペルガー症候群」やWHOの「DSM」の「広汎性発達障害」などを加味した広義の症候群のことである。
 自閉症には障害の3つ組─人との相互交渉の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害─の基本的特徴があると定義づける。そのほかにも、なんらかの楽しみをもたらす動作を反復して安心する常同的動作の反復や運動をまねるのが不得意だったり、痛みが平気だったりする例をこまかくあげている。
 自閉症の原因としては、脳の返縁系と小脳の出生前からの異常と神経化学物質、心理学的機能障害があるが、いずれも研究中であり、脳のさまざまな疾患と関連がありうるうえに自閉症そのものの定義が流動的であるために、断定することは困難である。
 第2部の支援方法では、かれらの特徴にあわせた具体的な方法が数多くしめされている。まず時間を理解することができない。時間を理解できないということは、待つことができず、タイムリミットに合わせられない。その意味で目に見える予定表をつくることは価値がある。社会的な本能には欠けていても、親や家族がおだやかで一貫した接し方をつづけて、守るべき枠組みを明確にしめしながらたのしい経験を与えるようにすれば、おなじようにふるまえるようになる。コミュニケーションをとる最良の方法は、幅広い経験を子どもに提供—ことばや写真で予習し、復習—すること、触れたり指差したりのサインが使えるのなら、そのサインをのばすことが重要である。以下、有用な方法の一般原則と対処法がこまかく具体的にあげられる。
 さらに基本的な生活スキルを教える一般原則、たとえばある種の課題ではやりとげたことに気づくよう、さいごの段階からはじめ、つぎにさいごから2番目、と工夫するというように、自閉症児の主体的な立場を尊重したやり方を説く。
 後半では、顧問をしているイギリス自閉症協会の活動や医療サービスを自閉症児・者をケアする立場から紹介している。したがって日本とは社会的状況が多少ことなっている点もある。
 普通学校か特殊学校かについても述べている。その立場は自閉症児は模倣によって学ぶ際、こまかくプロセスを踏まなければ学習は困難なので、統合教育は理念先行である。そしてほかの子どものいじめを受け、こころの傷を負う、マイナス面があると主張。この考えはとくに「専門家」の多くが主張するところであるが、教育のやり方によっては—たとえばチームティーティングで—自閉症児の発達をうながす統合教育は可能である。いじめを避けることも、致命的な事態にいたらない程度にふせぐこともできる。社会的に「隔離」するマイナス面より、さらに障害児といっしょに学んで成長した子どもたちは、そうでない子どもたちとはちがった受け止め方を生涯にわたってするだろう、というプラス面が大である。このように一部議論の余地のある考えも述べられているが、入門書としてじゅうぶんやさしく、実践的ガイドブックとしてとても濃やかな書である。1970年版の改訂版。訳文はわかりやすい。

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紙の本神の発明

2004/07/10 23:31

刺激的な書

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タイトルから推測されるように、本書では神がどのような思考のプロセスをへて生まれてきたか、を考察する。ここでいう神とは、「超越者として世界を創造し、秩序を与えている」抽象的な神(ゴッド)と「森羅万象に住む」具体的なスピリットとしてのカミが前提とされる。本シリーズの他の巻でもそうであるように、キイワードは「流動的知性」と「対称性」である。

現世人類はニューロンの革命的進化によって思考自体について思考することができるようになった。その流動的知性が生み出した神には、常在神としての「高神型」—グレートスピリットや南島の御嶽の神など—と遠方から来訪する「来訪神型」がある。高神が生の領域のみを支配するのにたいして、来訪神—スピリット—は死と生、裏と表の領域を往き来できる対称性をもつ。高神は来訪神の対称性の原理と多神教宇宙のなかに共存しあっている。流動的知性が開く超越の領域と自分たちの外にひろがる自然のあいだをつなぐ通路をスピリットたちが飛び交っている。スピリットたちが活動する世界に「対称性の自発的破れ」がおこると、その切れ目を縫い合わせようとして神々のイメージが生まれる。さらに自分自身が全体性そのものになろうとする思考によって、多神教の宇宙が構想される。さらに、この世を秩序ある、知的にも理解可能なものにするためにことば的表現で満たそうとして「高神+来訪神=ゴッド」の世界がつくられた。しかし、現実はことばの象徴的秩序によってつくられるという考えそのものが「空虚な穴」を必然的に生み出してしまう。そこで一神教の神だけがこの空虚を満たすことができると考え、「完全な知性」としての神が発明された。キリスト教の唯一神のもたらした「あらゆるものを商品化し、管理する今日のグローバル文明」に代わって根本的にあたらしいものを生み出す流動的知性がもとめられている。「地球上のあらゆるものにたいして慎ましさの感覚をもつ」ことが必要である。それを実現するのは、「現生人類の脳」が誕生したときとおなじように、高次の対称性をもつスピリット世界を人類の心によみがえらせることによってのみ可能である。言い換えれば、スピリットは観念論と唯物論を統一し、野生の思考をとりもどす精神世界の救い主である。

ユダヤ教のヤハウェやアポリジニの神、日本の神社信仰などを示し、華麗な比喩を交えながら神の発生学が心の構造の表現としてときあかされている。かつて『雪片曲線論』で密教による心の解放を追求した著者が「全体性の思考」の必要性をアピールするいっぽう、著者自らが宗教全体を精神考古学として総括している。仏教との関連はもっとも深いと考えられるが、それは『カイエ・ソバージュ第5巻』で展開されると思われ本書ではほとんど触れられていない。また王と国家の発生と神の発生が具体的にどのように対応してきたのか、近い将来明らかにされることを望みたい。文化人類学や民俗学・民族学に関心をもつ者、あるいは宗教にひきつけられながらも組織の束縛や権力のもたらす腐敗、おぞましい暴力や絶対主義の独善性にためらい、現実の宗教活動にはふみだせない者にとって刺激的な書である。

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紙の本自閉症の言語治療

2002/08/19 13:56

遊戯療法と行動療法を統合する治療教育法を提示

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自閉症は、1.対人関係の障害 2.言語関連の障害 3.常同的動作等の行動的問題をもつ症状群であるが、相互に関連性がある。まず発達レベルをしらべ、それから発達レベルに応じた統合的治療を開始し、治療段階に応じて個別領域の集中的治療をおこなうことが望ましい。この立場から、とくに言語治療に焦点をあてる。これがこの本の基本であり、要略である。
 したがって、カナーからはじまる診断基準や症状、病因を概説する「自閉症の一般的知識」や、ラターらの国際的研究動向を紹介する「自閉症治療の基礎知識」は、整理のためのガイドであって、「自閉症児の言語治療」がメインである。
チョムスキー以後、言語の基本的構造は生得的に与えられており、これが経験によって刺激され開花するとみなされるようになった。治療技法もいまでは、感覚運動刺激的遊戯療法と行動療法(オペラント条件づけ)へと移ってきた。著者の「統合的治療技法」はそれらをふまえた、最進の療法であるという。
 それはまず、子どもの認知機能の発達段階が象徴機能を獲得したか否かに応じた技法をもちいる。第2に母親を共同治療者から主要治療者へと成長させる。第3に遊戯療法と行動療法を併用し、統合して用い、象徴機能の出現以後はことばの習得そのものを目標としたオペラント条件づけ技法を利用する、というものである。
 精神の発達段階は、ピアジェの基本原則にのっとり、感覚運動期(出生〜1歳半ごろ)、前操作期(1歳半〜6歳ごろ)、具体的操作期(7歳ごろ〜11歳ころ)、形式的操作期(12歳ごろ以後)に分けられる。最大の分岐点は、象徴機能をもっている段階かそうでないか、ということである。それに応じて、象徴機能出現以前の子どもには遊戯療法を用いて情意機能と認知機能のバランスのとれた発達と象徴機能の形成をめざす。象徴機能出現後は、一般的技法によって、ことばの習得そのものを目標としたオペラント条件づけを用いる。
 とりわけ生後間もない乳幼児にとっては、対人的感覚運動体験の占める割合が大きい。その基盤のうえに治療教育的手段が必要になってくる。どのように制限された状態であっても、子どもの脳は発達途上にあり、たえず発達しつづけている。身の回りの自立を学習によって身につけ、可能性を引き出し、社会適応の技術をおしえていく教育的努力は、障害を克服していくための力をあたえる。
 さいごに、著者の理論構築のヒントとなり、検証の場ともなった慶應義塾大学病院でのひとつの症例をあげている。
 心理発達の段階をピアジェによるところは、「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子/編著)とも共通している。専門向けの教科書的編集になっているが、それだけによく整理され、われわれ一般にも理解しやすい。

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紙の本自閉症だったわたしへ 2

2002/07/19 23:35

前作につづけて、こころの壁がとりはらわれ、全世界が開かれるまでの道程。

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高機能自閉症である著者はたとえば、人真似ができ、高度のことばづかいいができ、この著書を書くことができる点で、重い自閉症とはたいへん差がある。しかし人に手をとられるとパニックに陥ったり、空腹感がなくなるなど、自閉症者に典型的な性癖は共通する。友達を信頼することができず、家族のきずなを牢獄としか受け止められない。教育実習でみんなと歌って、踊ろうとすると、苦痛で耳が鳴り、音が痛いほど大きく聞こえ、目がまぶしく混乱状態に。だが鏡のなかで合わさった自分の手を見てとつぜん、手をふれることが親しみを意味することをさとる。幼いころからかわいがってくれた叔母の手を、27年ぶりににぎることができ、「全世界が自分に向かって開かれ」、友達どうしの会話にも生まれてはじめて安心して入ることができ、周囲への「所属感」という感覚につつまれる。終生孤独な世界でたたかわなくてはならない数多くの自閉症者とはちがってまれなケースではあるが、それだけに自閉症の状態が体験者でなくては描けない細部までふれられている。また自閉症の度合いが「改善」する可能性もある例としても、関係者には一条の夢を(それがまぼろしであっても)もたせる。巻末には自らの体験や教師としての経験から、強制でなく「誘い」あるいは「励まし」によって療育することの大切さをメッセージとして付記。単行本『こころという名の贈り物』を改題文庫化。

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紙の本自閉症だったわたしへ

2002/07/19 00:01

健常者にはとらえられない、自閉症者独特の感覚と思考の世界を自閉症者みずからが描く。

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「異常」あつかいされていた自閉症者の自伝。自分自身の行動についても他人の行動についても、観察し深く考えることのできる秀でた知性をもちながら、感情・情緒にブレーキが利かない自閉症の著者。ここにはそとからでははかり知れない自閉症の特徴が細かく描かれている。たとえば「話し声は寄せては返す音の連なり」であり、臭いで祖母を覚えたり、会話を聞いていないようでも「ことばの向こうの気配や人の心は、聴こえて」いる。「物も人もすごいスピードで流れるように動いており、はっきりと輪郭をつかめない」。だからこそ、同じことを何度も繰り返すのを好む。一生懸命集中するとかえって頭に入らない。物を写したり真似したり、整理整頓したりするのは大好き。心の葛藤はいつも、自分で自分をコントロールするのを中断して、他人と接触しなけらばならないときに起こる。気を張ってまわりのできごとに注意するには、大量のエネルギーが必要なので疲れる。それに対し「わたしの世界」はずっと静かで、やすらぎに満ちている。家族や友達のいじめや自分自身との葛藤から転校を繰り返すが、親友もでき、理想の自己をキャロルとウィリーと名付け自己をコントロールする方法を見出す。学校を止め、就職するが接客にうまく対応できず、転々と。手首を切って自殺をはかり、精神科医メアリの診察を受け、葛藤の原因を探り出してもらうことができたが、「精神分裂症」の診断がくだされる。大学卒業後、ホームレスの施設で働く。石炭酸アレルギーのための食事療法をつづけ一定の血糖値をたもてるようになってから、物静かで温和ではにかみがちな性格になる(これはいままであまり研究されていないが、自閉症と環境ホルモンとの関係を示唆するのかもしれない。)。ロンドンの図書館で自閉症の本を見つけ、自分のふるまいや感情・情緒すべてが書かれているのに驚く。みずから書いた原稿を児童精神科医に読んでもらったところ出版されることになり、それがこの本になった。理想の自己であるウィリーとキャロルに依存する状態から自立し、ほんものの友達を見つける確信をもてるようになる。そして自閉症の子どもたちをあずかる学校で、自らの経験から、「しっかりとしがみつくことのできる何か」を教える教師になる。「終わりに」では、自閉症児への接し方で大切なのは間接的なやり方の方が子どもは消耗せずにいられる。また視覚、聴覚、言語に認知障害があるようにふるまうが、情報の多さに圧倒されてはげしいストレスのために自分をシャットアウトしてしまうことを指摘する。さらに「エピローグ」で20項目にわたって自閉症の人の行動・感性の特徴と意味を解説。自閉症の実態をつぶさに述べた一級の作品。

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TEACCHプログラムを紹介し、著者のかかわる国内での実践例にも触れる。

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 冒頭で統合教育について、著者が関係した調査で「意味のある自発的な言語がなかった自閉症児で、小学校の6年間を普通学級に安定して適応しつづけた事例は1件もなかった」と、批判する。他の箇所でも何度も統合教育について、徹底的な批判がなされている。しかし、発語がなくても小学校をとおして、「激しい不適応行動」を示さなかった自閉症児も現実に存在する事実を書評子は体験している。また、教師の熱意と能力や、ダブルティーチングなどの教育法を柔軟に適用したり、同輩の子どもたちの対応によっては、統合教育でこそできる療育もある。
 それはさておき、 1966年にアメリカでスタートしたTEACCHプログラムの療育とは、素質や個性、機能、能力に応じて、かれらが演じることができるシナリオを書き換えながら、両親や家族と協力して演技指導していくことである。自閉症の診断基準として、アメリカ精神医学会のDSMやWHOのICD、TEACCHプロジェクトで開発したCARSなどがある。各人の入念なプログラムをつくるには、さらに詳細な評価をしなければならない。そのための検査には「心理教育診断検査」(PEP)がある。これには合格と不合格の中間に「芽生え反応」の評価レベルがあり、これが具体的治療教育プログラムを計画・実施するさいの手がかりになる。
 指導には、周囲でなにが起き、なにをすればいいのかを、自閉症児にわかりやすく提示する構造化が必要である。能力・機能の低い症児のために、住宅の内部や学校の教室を家具、ついたてなどを用いて、場所や場面の意味を視覚的に理解しやすくする。つぎに、1日の学習や活動プログラムを絵、カードや文字で示す。あるスケジュールからつぎの行動に移るばあい、トランジション・エリアを設け、つぎの行動内容を確認してから、つぎの場所に移動する。さらに課題のやり方をわかりやすくするため、作業をいつも左から右へ進めていくのを習慣化し、絵、図、文字などを利用して作業手順を示しておき、さいごに完成品も提示しておく。
 重要な原則は、言語スキルではなくコミュニケーション・スキルを教えることである。日常生活場面で自発的に応用して、その結果に喜びを感じることができるようにするために、段階別の方法を設定している。大切なことは、禁止するのではなく、「もっとよい方法がある」ということを教えることである。
 カリキュラムの内容としては、食事や排泄、着脱衣などの身辺処理と余暇やレクリエーションの2本柱がある。余暇活動は症者が好む活動のなかから長い時間をかけて取り組めるものを用意し、一貫した計画をもって、習慣や日課になる活動を選んで指導する。習熟すれば自閉症児は楽しみを感じる特性をもっている。職業的活動の援助については、就労や作業所での作業が安定してつづけられる人は、家庭内で習慣的な役割をもっていて、独自の余暇的技能を習得しているという事実がある。職業的行動時の態度や姿勢は、学業や余暇的活動を学習するときのそれらとおなじ指導が望ましい。TEACCHでも幼少期から、先述の方法でひとりで実行できるように指導、援助している。理解できないことやがまんできないことが起きたら、「助けて」のカードなどで援助をもとめる表現や方法を教えている。
 不適応行動には、ノーといったら必ずそれに代わるものを示して、すぐその活動に取り組めるように支援してあげるのが最適である。さらに環境や場面の物理的な構造化を整備し、学習や生活のための予定をはっきり伝え、指導する予防的療育が可能になってこそ、自閉症の療育といえる。巻末にCARSやPEPなどの評定尺度が資料としてつけてある。

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福祉NPOの現状と可能性をまとめたガイドブック

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介護保険の事業者としての参入がみとめられ、さいきん増加しているNPO(民間非営利組織)の活動と役割を新聞記者が解説。NGO(非政府民間組織)が国際交流中心なのにたいして、NPOのカバーする分野は保健・医療、福祉であり、メンバーには40〜50代の女性と退職サラリーマンの活躍がめだつ。1998年特定非営利活動促進法(NPO法)施行によりNPOの法人格が、既存の公益法人や社会福祉法人、医療法人などとちがって認証制で設立が認められるようになった。さまざまな活動例を新聞記者の行動力をいかして全国に求めている。近所のお助けマンから会員制の有償のサービス会社を設立したり、介護保険対象外の高齢者の生活支援する組織と介護保険の指定業者として会社をつくった例。さらに空き教室を利用しての種々の講座をもうけたり、介護(保険)サービス、グループホーム(在宅介護のひとつとして)や移送サービス、その他配食サービスなど介護保険の対象外のみのサービスなどなど。その形態も無償であったり有償でしたりさまざまである。対等の関係を保ちながら謝意や経費をみとめあう有償ボランティアがさいきんふえてきたのは、資金的にも時間的にもゆとりのある人だけの活動から、1980年代都市部にうまれたグループの生い立ちに由来するようだ。有償と無償に関連するが本書で紹介されているなかで、多摩ニュータウンで住宅管理支援や高速通信網の誘致などの仲介する活動が「営利という果実を生み出す」事業になると、NPOの範疇をはみだすことになる。いっぽう、行政主導の社会福祉協議会や生活クラブ生協、農協もホームヘルプサ−ビスをするなど大きく変質しつつある。そしてアメリカの130万あるNPOが施設入所から在宅の訪問介護に重点をうつしつつある現状などにもふれている。秋田県鷹巣町や愛知県高浜市の地方自治体では、現金支給から現物・サービス提供へとその性格が変化しており、介護保険が地方分権を推進するきっかけになるだろうと位置付けている。寄付や収益にたいする税についても整理しており、福祉NPOの手軽なガイドブックである。

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