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先月(2017年6月)

ゆうゆうおやじさんのレビュー一覧

投稿者:ゆうゆうおやじ

1 件中 1 件~ 1 件を表示

紙の本無思想の発見

2006/09/14 15:35

思想におけるゼロの発見

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

おなじ著者の『バカの壁』はあまりのバカ売れに嫌気がさし、読む気が起こらなかった。しかし本書は、これまでに発表された本やテレビでの発言からみて、著者とは縁が薄いとおもわれる思想というものをターゲットにしており、わたしはそれに惹かれて手にとった。
日本には思想がないといわれるが本当にそうなのか。どのような意味でそういえるのか。その前提になるのは、意識は点に過ぎず、機能であり実体ではないという考えである。
個人が確立し、家族は最小の公的共同体であるヨーロッパと異なり、日本では家族が単位である。そして「本当の自分」なんてものはない。「後から自分ができてくる」。日本では、ジブンはIでもありyouでもあるように、霊魂不滅の思想に支えられたヨーロッパの「個人」と異なり、家族や世間によって「自分ができてくる」。「自分を創る」ためには「感覚の世界つまり、具体的な世界を身をもって知ることが大切」なのだ。
脳のはたらきはすべて思想だと考える著者の立場からいえば、日本においては世間ですら思想である。世間にはルールがあり、その基礎には決まった考え方があるのだから、それは思想(概念世界)にほかならない。思想のない社会はありえない。この意味で、現実としての世間と思想は対立するのではなく補完的関係にある。世間が大きく思想が小さい日本とくらべて、できの悪い社会に偉大な思想が生まれるという大胆なアイロニーには、思わずにんまりと溜飲をさげるひとも多いのではないだろうか。
「日本人はたいてい無宗教、無思想、無哲学だと主張する」。必要なら和魂洋才のようになにか思想を借りておけばよく、その借り物がとことん具合が悪くなったら取り替えれば済」んだのが、明治維新であり、戦後であった。つまり数字のゼロのように感覚と概念の世界とを補完しあう、支点としての無思想こそ日本人のとるべき道であり世界の諸問題を解決に向かわせる真に「科学的な態度」である。
著者にとっては、書かれなかった思想をあえて書くことが「思想としての歴史」である。ここで日本の無思想の元祖は仏教—般若心経—であることが述べられ、仏教思想は著者の説く「脳から見た世界」そのものだということが明かされる。日本仏教をとりあげる以上、仏教をどのように取り入れてきたのか、具体例を示すのが適切であろう。現実を重視する必要性を説く著者の立場からも、丸山真男などの評論家の主張について述べるよりもその歴史についての叙述もほしいところだ。まして無や般若について述べる以上、たとえば道元を取り上げないのは頷けない(「学般若」これ「虚空」なり、虚空は学般若なり。—『正法眼蔵』)が、それはともかく、色受想行識の五蘊は空であり、「意識と無意識を足してゼロになる」という説明は分かりやすい。
科学の「抽象」は「仮にみとめられている」のであって、不整合が発見されれば抽象は捨てられる。それと同様に社会や政治あらゆる思想においても現実と思想との整合性が追求されなければならない。「思想は言葉にされ、形に顕れないかぎり思想にならない」が、真理は固定すべきものではなく「追い求めるもの」。その態度こそが真の「無思想という思想」なのだ。
いっぽう、サヴァン症候群と自閉症について2箇所で触れている。身近にその対象者をもつわたしにとって、人類が「言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきた」歴史、概念化という現代人の習性をいまも「了解できない人」を排除している現状への指摘は身につまされる。かれらに「言語の能力が欠けている」のは、「感覚の世界、差異の世界に住むから」だろうという示唆はわたしの体験からもつよく共感できる指摘である。

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