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先月(2017年6月)

明石家ペコさんのレビュー一覧

投稿者:明石家ペコ

9 件中 1 件~ 9 件を表示

茄子 2

2002/07/29 20:50

“添えっぷり”の黒田さん

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 漫画界の申し子・黒田硫黄の『茄子』第二巻。何をして「申し子」と呼ばせるか。漫画でしか描写しようがないカット割りや(特徴的な)擬音。とクリシェを用いても始まらない。
 食卓の上で添え物としての役割が多いように、本書においても茄子は添え物である。人間模様の隙間にはかならず「食」があり、そのなかに茄子もある。ただそれだけといってよい。だが各話揃ってけして「それだけ」の中身ではない。素材もまた添え物なのだ。キャラクターも表現も描線も小道具も添え物なのだ。料理とは添え物の総動員なのだ。そして、この添えっぷりこそが(実際に料理が趣味だという)黒田硫黄の反射神経=才能ではないだろうか。
 ところで「食卓の上の焼き茄子」といえば丸一冊に値するかしら、ね(一冊となると「食卓を食み出る怪人茄子男」クラスかなー)。
 表紙も傑作。

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まんが発ほにゃらら

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 おお、鶴謙ひさしぶりのコミックスだ、バンザーイ。と大判の本を開けば、やれピンナップだの、アニメのシナリオに鼎談だの、とすさまじい付録がサービスされている。極めつけにトレカのていで、べったん(メンコ)までもがおまけされている。いったいこれは……? 表紙のタイトルには「アベノ橋」の横に五分の一くらいのちいさなフォントで「まんが」と銘打たれている。ふーむ。
 が! この「まんが」について詮索する必要はない。(仮に)キャラクター原案による設定資料集のように読めたとしても、本書はどこまでも「まんが」なのだ。つまり豪華だろうと付録はどこまでも付録なのであり、「まんが」を侵蝕することはない。演出として集約されているともいえる。思えば普段から漫画を手にすると、筆者のあとがき(前書き)から中表紙まで「何かあるぞ」と隈なく読むものである(これは漫画特有の体験かもしれない)。その「何か」がいっぱいになってできあがった「ほにゃらら」がこの「まんがアベノ橋魔法☆商店街」である。新味の出来。

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玉手箱のような一冊

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 「宝物」について口にするとき、わたしたちは自己のセンスを問われる。だから気心を許した相手でないと「宝物」はちょっと教えられない、と畏まった記憶が誰にも一度や二度あるのではないだろうか。
 『ブルーベリー・ディクショナリー』はだから貴重だ。全頁が異なるデザインという装丁への拘りもさることながら、この本で著者は数百項目にわたって自らが出会った「もの」をひとつずつ吟味するように披露してくれる。但し、自らの愛着を元に惜しみなく綴られている文章には、強引に読者との共犯関係を結ぼうとしない、いわば単独犯ならではのスリルがある。サブタイトルとして「Daily Wonder Book」と名指されているとおり、日々書き溜められた「もの」の特徴は凡そ、著者自身が再発見するための備忘録なのだ。
 わたしはこの一冊を「宝物」と呼んで憚らない。

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紙の本無人島レコード

2002/07/27 23:11

無人的娯楽

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 もしも無人島に十枚のレコードを持って行くとしたら?——いわゆる楽園的イメージが想起されるような、耳障りはけして悪くないこの問いかけを、ひとたび愚問と看做してしまったのは、無人島で音楽を聴く、という行為に排他性を読み取ったためである。愛してやまない音盤を人っ子ひとり居ない砂濱でエンドレスに回し続ける様子は言うまでもなくおぞましく、そら寒い、人間嫌いが行き着いた果てのような光景ではないか。
 ところが視点を変えて通学の電車でヘッドフォンを耳に当てている自身を顧みるならば、なんとうようよとした群集の息苦しさから解放されている感覚があることか、半径1mの境域に確かなユートピアを仮構している。無人島のイメージが実は抗えない日常と反駁する形で在り、不可分であることに気付くとき、同時にまた、自分が無人島に行かない事をも知る。
 十枚のレコードを持って?——日々の暮らしを意識してはじめて、読者はこの問いを昇華させることができるように思う。
 むろん本の内容は雑誌編集者・ミュージシャン・ライターらによる“実用的な”レヴューで占められている。厳選された音源リストはぜひとも新たな愛聴盤のための手がかりとされたい。

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紙の本椰子・椰子

2002/07/27 22:52

やーしやしやしやし

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 やし・やしと発音してまず目に浮かぶのはムツゴロウさん。やーしやしやしやし。というムードで語りたいところがある本です『椰子・椰子』は。
 どこを開いても面白い本というのがあります。たとえば何度となく読んで頭に馴染ませた本だったりがその筆頭にくるものですが、『椰子・椰子』にはひもといた初めから高い愛着性と仇名が具わっていたように思います。かくゆうわたくしも手に入れてから一度だって全編を通して読んだことはございません。
 オブジェのようにただ枕のそばにあること、気分に合わせていつでも読み分けられること、それが『椰子・椰子』のとらえどころのなさ、かゆいところにニュッと手が伸びる、そのムードではないかしら!

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FourQuartets

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 現代詩を読み始めてから一年もの間「荒地」を「あれち」ではなく「こうち」と読むものだとばかり思っていた。ジャンルならではというか、周囲に指摘してくれるひとが少ないため、辞書の孫引きのさいに知ることになってしまったが、T.S.エリオットの代表作は『こうち』ではなく『あれち』である。はてさて〔物事とは立て続けに起こる〕ものだ。あれよあれよと同系の読み間違いを繰り返していた。「更地」は「こうち」ではなく「さらち」である。
 漢字に弱いことを反省したいわけではない。この二度の読み間違いについて意識のうちで見事にシンクロしたのが、田中宏輔『The Wasteless land.』——表題の通り「荒れ果てた地=更地」の詩集である。一行一行が引用で形成されている詩には膨大な註釈がつけられており、しかし誰が読んでも異なる緊張を受けるだろう。詩行を采配する〈個〉と物語が相剋する瞬間がつらなるとき、読者はどちらに加担していくとも限らないからだ。
 「荒地」のマニフェストは『荒地』の文学を“継承”したものであったが、現代詩において「荒地」と「更地」が地(時)続きにあるということが、本書で提示されている。

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戦後‐現代詩を俯瞰してみる

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 城戸朱理・野村喜和夫をホストに90年代中盤から後半にかけて現代詩手帖誌上で展開された「討議戦後詩」を元に編纂されたのが本書。戦後以降の現代詩における主な立役者10人を俎上にのせて、ポストモダン的潮流が無抵抗に定着されたあとの世代を危惧したものか、当時における詩史の再構築=詩の復興をテーゼとしている。第1回には鮎川信夫ではなく吉岡実を取り上げて、戦後詩の脱神話化が試みられている。
 ところで本書の指針に対する異論がまとめて収録されている北川透の評論集『詩的スクランブルへ』は01年に発刊されているが、ここで討議された内容はノンリニアなものとして、02年現在においてほぼそっくり持ち越されている。戦後‐現代詩がいまだ何とも対決をしていないことが確認されるだろう。

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準備万端

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 現代思想の入門書に最適と言ってよいだろうか。5題43項目に分かれて総数230冊が図版入りで紹介されており、手頃なガイドブックとして携えて書店に出向くのもいいだろう。各分野の研究者が大体4頁当たりに5冊ずつを取り上げた簡潔で読み易い良書である分、読むだけでつい網羅的にわかったつもりになりがちだが、230冊のうち分野ごとに1冊ずつでも実際に手に取ってみることで本書の価値は決定付けられるものだろう。いざ書店へ。

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紙の本The other voice

2002/07/27 22:58

吉増“ごっこ”

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 かつて60年代にはどろどろと疾走する詩風から「現代詩の鬼っ子」と称されたこともある吉増剛造十六冊目の詩集。
 特筆されるべきは、詩人自らの実体験をまるで引用するかのように紡いでいくオケイジョナル・ポエムの手法に今回新たな次元を切り開いた割注の存在だろう。紙面に神出〈鬼〉没する声の分身(The Other Voice)はまるで星の裂け目を渡り歩く木霊のようである。
 ところで、現代詩の文脈でもまた喪われた「物語」へのアプローチが展開されているが、吉増個人が詩行に屹立するとき、一回性の「個」としての歴史が易々と体系に消費されることはない。だが一方で、詩人吉増は躊躇なくその身を削りすぎるために常に窮地の状態にあるようにも思われる。飯島耕一は昨今の吉増の詩を「やさしすぎる」と評しているが、いま吉増自身は寧ろ〈鬼〉の弁慶ではあるまいか。
 この“ぎりぎり”の鬼はなおも詩を追いかけずにいられないのだ。

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