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レビューアーランキング
先月(2017年6月)

−笑−さんのレビュー一覧

投稿者:−笑−

5 件中 1 件~ 5 件を表示

すがすがしさ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

読後、すがすがしい気持ちになる。
主人公の真人が体験する、ミズチという行。
自然と一体化し、山川草木、及びそこに住む生物たちの息吹を感じ取れるまでに成長する様に共感し、自分もそこにいるような気持ちになる。
見たことのない四万十川周辺の自然が目に浮かぶよう。

セゴシという一定不住の民の末裔たち。それと関わる大和神道。
ふた咲きの花、という救世主?伝説。
伝奇ロマンの趣もあって、わくわくする。
運命のままに、すべての流れがひとつに集結していくという物語は、非常に好き。

文章のひとつひとつにも、共鳴を抱く。
お盆の風習の中で、「ただ、準備をしていく中で、はるかな遠くから時間がつながってくるような感覚があった。」という表現があるが、これなど非常に印象的。
文章そのものにもよどみがなく、自然に流れ、登場人物の感情のひだまできちんと伝わってくる。

ティーンエージャー向けだろうけど、おとなが読んでも十分堪能できる。
いい書に巡り会えたと思う。


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浄化と浄火

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

第3部は、汚れに対する浄化法として2つの軸が対比される。
ひとつは、主人公真人とみずきの行う、水による浄め。
それに対比されるのは、火による浄火。
前者は怨霊や人々の悪しき念を自らのうちにとりこみ、浄化するものだが、恨み憎しみおそれなどの念を自らも追体験しなければならない。
後者は、火で焼き払うのだから、簡単で自分も安全だ。
その方が楽なのはわかりきっているが、それが果たしてよいものかどうか。
アメリカの対テロ戦争を想起する。
第3部の中でも、真人を仲間に引き入れようとする学生たちが火による浄火を行うが、裏神道の者たちもやろうとすることは同じ。
学生たちはまだしも真摯な意欲に満ちているが、裏神道の者たちには権力欲などの禍々しい念も含まれている。
浄火には、浄めようとする者が邪悪に落ちる陥穽がある。
危険で苦しくても、真人やみずきの行う水による浄めの方がすぐれているものだと思う。
ただ、自らの幸福を犠牲にして、真の救世主のように浄めのためだけに生きていくのは想像するだにつらい。
第4部では、真人とみずきに幸せを与えてほしい。

斎庭(ゆにわ)という考え方が興味深い。
四方を結んで結界を張り、その中を浄める。
斎庭が世界のミニチュアであり、斎庭を浄めることで世界が浄化される。
すべての人が、自分の身の回りを斎庭と捉えれば、あながち荒唐無稽でもない。

ヤマト族が日本を統一する過程で征服されていった部族たちが、鬼や土蜘蛛などの伝承として残されているという話は、目新しい説ではないと思うが、それでもこういう物語の中で取り上げられると、非常に興味深い。

真人やみずきの浄めの描写は、それを読むだけでも浄められるような気がしてすがすがしい。

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仁を体現した医者

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高度難聴の医者の自伝のようなものだが、高度難聴がどうこう言う以前に、家庭医として地域の患者たちのさまざまな病気に親身になって取り組むひとりの医者の姿が描かれている。
まさに「医は仁術なり」を体現した形だ。
高度難聴により、医学部に入るところから苦労し、その後も苦労は続くものの、そういうことを読者にあまり意識させず、普通のお医者さんとしての日常を伝えてくれる。
難聴によりかえって人の気持ちが理解できる、という著者の言葉が真実であることがわかる。
さまざまな症例も、興味深く、作者の必死の対応に引き込まれて一気に読ませる。

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高揚感

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

話の舞台がひんぱんにきりかわるので、第1部のときと違って集中しづらいところがある。
なぜなら、私が自分を重ねて追っているのは、主人公の真人であり、別の人物の場面に変わると、無理矢理意識をはがされるような気がするから。それだけ話の中に引き込まれているとも言える。
第2部は、簡単に言えば、主人公真人のさらなる覚醒の過程を描いている。
キリスト教的な救世主とはニュアンスが異なるが、救世主への成長過程と捉えることもできる。
この手の話は、主人公の持つ超能力に対するあこがれや、主人公がばったばったと悪を倒す過程のカタルシスにひきつけられることが多い。
この作品でも、真人がPKをつかってやくざを撃退する場面がある。それを読んですかっとしたりするが、なるべくそういう場面は少なくしてほしい。そういう面に集中してしまうと、ありきたりのSFになってしまうから。
くれぐれも、主人公の持つ力に対するあこがれが若い読者に芽生えないでほしいと思う。
作者もその辺は百も承知で、作品中にそういう戒めは何度も語られているけど、そういう力に対するあこがれはなかなか否定できないものだから。
もっとも、その辺がこの先のテーマでもあるのだろうけど。

このシリーズのすばらしさは、主人公が自然と交感している時の爽快さ、高揚感が読者にも伝わってくること。超自然的な力があろうと、すべては自然の一部にすぎないことを痛感すること。
二咲きの花という、男女の運命的なつながりに着目する楽しみもある。

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反復練習の効果

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ゆとり教育とか、個性の尊重という流れに反するような、読み書き計算という反復練習だが、それが現実に学力向上に効果を見せているというのは、興味深い。
また、そうやって計算力、読解力がつくことで、生徒が落ち着いて、その他の教科でも学力が向上する、知能指数も上がるというのは、見逃せない。
実際、反復練習の際、脳が活性化するという報告もあるし。
学力だけでなく、それによって、人格的な向上も見込めるのであれば、ぜひとも全国の学校で取り入れてほしいと思う。

せっかくの好書なのに、p225「的をえていた」という表現で、大きく減点。
表現の誤用で必ずとりあげられるポピュラーなものなのに、教育者が誤用してしまっては、がっかりする。
文藝春秋社の編集者も、この程度の誤用をチェックできないのか。

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